おやじ山の自然

ー私の日々のモノローグです。興味ある方はお読み下さい

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2006年5月1日(月)曇〜雨
賑わいの春の山のスタート

4月28日に再びおやじ山に来て、今日で4日目である。
いよいよ5月になった。豪雪に見舞われた越後の山にも本格的な山菜シーズンの到来である。
例年のことだが、この山菜の時期だけはカミさんがついて来る。本人は「仕方なしに旦那に付いてきてやっている」と恩を売るようなことを言っていて、おやじ山に着くなりガラリと顔つきが変わって獲物を狙う目つきになる。
もうこれ以上採ってもとても処理しきれずに(山菜は採った後の手早い処理が大事である)悪くするだけだと分かっていても、中毒にかかったようになって目にする山菜を親の仇とばかりに採り続けるのである。まるで際限なく呑み続ける大酒のみのようなものだが(あっ!あまりひとの事は言えないなあ)、得てして女のヒトにはこのような傾向があるようである。
山入りの28日には西斜面の山桜はまだ蕾だったが、晴天が続いて30日には真っ白に咲き誇った。小屋の裏のシイタケのホダ木も日に日に大きくなっていくシイタケがビッシリとついている。「カタクリの丘」も見事なお花畑で、雪融け直後の所からもカタクリの幼芽が一斉に頭を出していた。
29日に、仙台にいるカミさんの甥っ子がバスと電車を乗り継いで我々のテント場に遊びに来て、「ああ、気持ちが良かったあ」と言い残して今日帰って行った。その甥っ子を長岡駅まで送って行ってから「市」(いち)をぶらついた。雨が降り出してきたが、竹棹から張り出した「市」の店の天幕の下を渡り歩きながら、そこに並べられたいろいろな野菜や果物や植木、それにフキノトウや昨年の塩ワラビなどの姿に見飽きることがなかった。





2006年5月3日(土)曇〜晴
賑わいの春の山(東京からの客人)

おやじ山に東京からの若い美人の客人が2人来た。次兄の知り合いで一昨年昨年と今年で3回目の訪問である。「都会の若い女の人が何でこんな越後の山に?」と思うのだが、おやじ山の山菜採りが余程楽しいらしく、こちらも山が賑わうのは大歓迎である。
9時過ぎに麓のテント場からおやじ小屋に行くと、谷を越えた向かいの斜面に2人の客人と少し離れて次兄がいた。「おお〜い!」と呼ぶと3人同時に振り向いて、次兄が「おお!」と応えて「俺の弟だ!」と客人に教えている。(過去に2回会っているのに・・・)
「何がある〜!」と聞くと「あんまり無いな〜!」と応える。実は今年は例年より大分山菜の出が遅く、いつもは真っ先に入る向かいの斜面にはまだ行っていなかった。それでもしばらくして3人が降りてきて、小屋の前のデッキの上にウド、ウルイ、ミズ、シドケなど結構の量を並べている。
しばらく休憩してからもう一度別の所に山菜採りに出掛けるという。次兄を先頭にカミさんも加わって4人でブナ平から三ノ峠山の尾根沿いを登って行った。
私は1人で谷に下りて向かいの斜面の様子を見に行く。谷に下りた時にオオルリが目の前をサッと通り過ぎて行った。何と美しいブルーなのだろう!(東京の客人もカミさんもこの谷で青い鳥を見たというから、ここが縄張りのオオルリのオスである)
中腹まで登って小屋の方を見ると山桜が満開になっている。それから斜面を下りて「カタクリの丘」に行く。雪解け直後で幼芽だったカタクリも花開いて一面の花の絨毯である。
小屋に戻ってチェーンソーと手斧で薪を作っていると4人が帰ってきた。東京の客人はホクホクの笑顔である。大分収穫があったようだ。こちらも嬉しくなって「またいつでもいらっしゃい!」と心に思うのである。





2006年5月6日(土)晴〜雨
賑わいの春の山(孫来る)

4日の朝はいつもより早く起きて、5時過ぎに見晴し広場までバードウォッチングに行った。幸運にもキビタキに出会え、まるで地鶏卵のオレンジ色の濃い黄身のような喉から胸の羽毛の美しさに息を呑んだ。ヤマガラのツガイにも出会って、オスがせっせとメスに餌を運んでいる可愛らしい様子も見た。
この日、息子夫婦が2歳になった孫を連れておやじ山にきた。休みに入った娘も一緒だった。全く先客万来である。4日の夜は長距離ドライブで疲れただろうと、みんなで悠久山の国民宿舎湯元館に泊まった。
5日のまる一日と6日の午前中はみんなでおやじ山で過ごした。晴れて気温も上がり絶好の山日和である。孫は私を真似て大きな熊手を持って(というよりは熊手に振り回されて)小屋の前の杉落葉を掻いたり、池の中のクロサンショウウオの卵をしげしげと眺めたりしている。
5日の夜は息子夫婦に大型テントを譲りこちらは山用の小型テントに移ったが、孫は初めてのテント生活で夜遅くまではしゃいでいたようだ。
息子達が帰る6日は、満開のカタクリの丘で勢揃いの記念撮影をした。(もちろん写し手の自分は写真に入れなかったが) そして最後に、再びおやじ小屋の前に並ばせて写真を撮った。2歳の孫がおやじ小屋の前で撮ったこの写真をずっと持ち続けてくれることを密かに願いながら・・・





2006年5月8日(月)曇
賑わいの春の山(黄土へ)

孫たちが帰ってちょっと寂しい気になっていたら、今度は会社時代の同僚のOさんがテントを訪ねて来た。Oさんは信州に自分の山を持っているが、私の山には山菜と秋のキノコのシーズンに何回か来て、キノコのあり場所は山主の私より良く知っているくらいだ。
早速カミさんと3人で山に行く。次兄が東京の客人を案内したという三ノ峠山への尾根沿いのルートをカミさんに案内させて二人でついて行く。ところがカミさんの記憶が曖昧で「ああだったか?いや、こっちだったか?」とまったく埒があかない。こちらも腹が立ってきて「先日行ったばかりなのに、全く物忘れがひどいんだから・・・」とつい声が大きくなる。(あまりひとの事は言えないが) Oさんが「まあまあまあ・・・」と仲裁に入る始末である。
私が先頭に代わって強引に杉林を下ったら、カミさんが「ここだあ!」だって・・・。
三ノ峠山の峰のすぐ下の清水が染み出ている場所で、太いゼンマイや木の芽がわんさかと生えている。
ここまで登ってきたら「黄土」まで行きたくなった。このまま水平にトラバースして谷を2つか3つ越えれば割りと簡単に行けそうな感じである。2人ともOKだと言う。
トラバースは思ったほど簡単ではなかったがルート上に太いゼンマイやシオデ(ヤマアスパラ)がいっぱいあって、カミさんはもう髪振り乱しての山姥ぶりである。「おお〜い、早く行くぞ〜!」と呼んでも、もうギラギラと目が大地を嘗め回して体が起きて来ない。
(この途中にアカイタヤの見事な巨樹があった。<おやじ山の植物図鑑−山の樹木「高木」>にアップしたので是非ご覧下さい)
懐かしの(と言っても毎年何回も来ているが・・・しかしやっぱり、懐かしい)黄土に出た。コゴメはもう旬を過ぎ、ワラビには時期が早すぎたが、カタクリの咲く峰に腰を下ろすと、眼下に長岡の街並みが広がって見える。この風景を見るだけで何もいらず、只々満足である。
(Oさんはこれから3日間一緒に山で泊まり帰っていった)





2006年5月10日(水)曇、夜から雨になる
賑わいの春の山(苦手な蛇)

Oさんと一緒に3人でちょっと遅い朝食をテントサイトで摂った後、Oさんは帰っていった。天気予報では夕方あたりから崩れて雨になるという。何故か急にテント場が寂しくなった。
そろそろ藤沢に帰ろうかな、と思った。自宅に帰ってからいろいろとやらなければならない事が思い出されて来た。ワラビのシーズンが始まったらまた戻って来るので、テントの一つは張ったまま残して置くことにした。
午前中、のろのろと小屋に戻すものを片付け、それらを見晴らし広場まで軽トラに乗せ、そこから一輪車で小屋まで運んで行った。この日はひどく蒸し暑い日で、こういう天候の時には大嫌いな蛇が出るのである。
「今日は出るぞ!」と分かったので、私よりいくらか蛇に強いカミさんを前に歩かせ(山主としては実に不甲斐無いことだが)自分は一輪車を押して後ろに付いて行く。
「出た!」とカミさんがいう。「やっぱり、出たか・・・」と私はそちらの方を見ないで一輪車を置いて「ふっ〜」と息を整える。これが2度も続いて、3匹目の蛇が道を退かないで居座っているという。「棒切れでも投げたら?」と後ろから小声でカミさんに提案する。「やだ。向かってくると困るから」とカミさん。「ばか、蛇はヒトに向かってきたりしない」「じゃあ、あなたやったら」「やだ!・・・それじゃあ、向こうが逃げるまで待ってみるか?」 何とも生産性の低い後片付けだった。
小屋にデポの荷物を置きながら片付けなどをやっている間、カミさんは未練がましく「道子の斜面」で山菜を採っていた。ワラビのハシリが出ていたようだ。
午後5時を過ぎて小屋を閉めた。そして「ありがとうございました!」と私だけ大声で言って小屋を後にしてテント場に戻った。
夜は予報通り、雨になった。ぱらぱらと一晩中テントが音をたてていた。
(翌11日の午後山を離れて12日の明け方自宅に着いた。14日ぶりに畳の上の布団に寝た。)

2006年5月18日(木)
再び山へ

午前4時半に起き、山道具を車に積み込んで(ついでにカミさんも積み込んで)おやじ山に向かう。
小雨混じりの出発だったが、関越トンネルを抜けると陽が射している。実家の近くで軽トラを借りて、テントを残してきた東山のキャンプ場に向かう。
カミさん曰く。「キャンプ場の管理人さんに会ったら<お帰りなさい>だって」
例によっておやじ小屋に置いてあるキャンプ道具のデポ品を一輪車でテントに運ぶ。山の緑がまた一段と濃くなった。

2006年5月19日(金)曇〜小雨
友、遠方より来る

おやじ小屋に高校時代の同級生たちが訪ねて来てくれた。何と伊豆に住んでいるKさんと地元長岡のO君である。
10時過ぎに二人がキャンプサイトに来て、カミさんの紹介もそこそこに4人で軽トラに乗って山に向かう。
見晴らし広場で車を停めて、ここで持ってきた山菜前掛け(山菜を採って入れる袋状の前掛け)や鎌の山菜グッズを二人に渡した。O君が「俺はマチヒコだったからなあ」と言うので「はて?何のことか」と思っていると、Kさんが「ほら、海彦、山彦それから町彦よ」と言ったので「なあ〜んだ!」と笑ってしまった。
おやじ小屋に着いてデッキに荷物を置き、早速カミさんを先頭に「道子の斜面」に向かう。谷に下りると伸びたコゴメの間にポツリ、ポツリとまあまあのワラビが生えていた。道子の斜面の下に立って、Kさんは斜面を見上げて「随分急なのね」と驚いている。「ホームページの写真ではもっと緩やかでなかった?」などと言っている。それでもO君と二人で登って行ってワラビを採り始めた。カミさんは谷川を越えて「山菜の斜面」にへばり付いている。私は谷川を登ってウルイとウド、それにミズなどを採った。
ちょっと蒸してきて蛇が出そうな雰囲気になったので小屋に戻ることにした。「お〜い!ビールタイムにしよう!」と大声でみんなに呼びかける。O君は「俺、フキ専門でいく」と谷川の近くでフキを採っていた。そのO君の脇を通って小屋への坂を登りかけて、ついに蛇(のしっぽ?)を見た。思わず「ワァー!」と大きな叫び声が出て(どうして蛇を見るとこんな大声が出てしまうのか、自分でも不思議である)後ろに飛び退いた。(この時の様子をあとでO君が「まるで別人の顔だった」と評した。誠に、不覚である)
みんなが小屋に戻って、先ずビールで乾杯。O君が持って来てくれたおにぎりとお酒で真昼の宴会である。大きなクマンバチも「ブーン」と仲間に入ってきて、先ず私の顔の周りを回って、次はカミさんの頭の上を回り、ひとしきり彼女を怖がらせてから、今度はO君の所へ移った。Kさんは「何で私には来ないの?」と何やら不満げである。O君が「ハチも面食いなんじゃないか」と冗談を飛ばした途端にKさんにも飛んで行って、Kさん「ああ、良かった!」だって・・・。
最後にもう一度、若杉の森の上にあるコゴメ畑に2人を案内した。ここもワラビが出る場所で、小屋からすぐ近くなのでカミさんに案内させて、私は残りの酒を飲んで待っていた。二人が帰って来て「なあ〜んだ、最初からこの場所に来てたら労せずしてワラビの収穫があったのになあ」などと贅沢なことを言っている。
山を下りてからO君推薦の「桂の湯」にみんなで入りに行った。山際の田んぼの中にあるのんびりとしたいい湯だった。
湯から上がって市内にあるO君馴染みの店「風の又三郎」に案内してもらった。出てきたお刺身が実に美味しい。しばらくしてO君の奥さんも駆けつけて来た。O君が店の女将さんに「持ち込み」の交渉をしてたと思ったら、外に出て行って車に積んであったウドとタラの芽を持ち込んで来た。しばらくしてウドとタラの芽の天ぷら、そして短冊に切った真っ白いウドと生味噌が卓の上に載った。これらもまた絶品だった。
O君が携帯電話で同級生の何人かに電話をし、途中で私に代わる。酔って話しがしどろもどろになる。新潟に住んでいてたまたま長岡に来ていたH君が電話を貰って店に駆けつけてきたりした。夜は更けた。目は据わった。(後でカミさんに言わせると)同じことばかり何回も喋り続けた。山のテントにどうして辿り着いたのだろう? 本当に、ご馳走様でした!

2006年5月20日(土)雨
・・・雨読

雨である。この雨で山菜が伸びることを期待する。長岡中央図書館で読書。そして信濃川を渡って県立長岡歴史博物館を見学する。

2006年5月21日(日)晴れ、夏の日差し
水穴から黄土へ

この日はこの春一番の山歩きだった。朝7時に栖吉のミズアナ(水穴)に入る。ここも昔おやじに教えてもらった山菜の宝庫である。鋸山に向かう道路からコンクリートを吹き付けた崖を登り、谷川に沿って(または谷川の中を渡渉して)奥に登り詰めて行くとこの水穴という場所に着く。地震と豪雪で大木がなぎ倒されて、これらを喘ぎあえぎ越えながら行くことになる。
水穴は広大なコゴメ畑の斜面である。この伸びたコゴメの中に太い質の良いワラビが出る。コゴメを掻き分けながら採り進んで、多分名前の由来になった清水の湧き出る窪地に着くと、ここには立派なウドとフキの群落がある。カミさんはここでワラビをリュックいっぱい採った。私はウド専門である。
水穴の頂上付近まで来て腰を下ろして休む。まるで夏のような太陽の光で大きく広がったコゴメの葉が透けて見える。目の前の鋸山の三本川の雪形も小さく細って今にも消えそうである。それらを見ながら「そろそろ山菜シーズンも終わりだなあ」と思う。
カミさんが自分で採った山菜リュックが重くて背負えないと言うので、仕方なくリュックを交換する。最後の急登を登り切って峰に出た。ここから尾根伝いに三の峠山の山頂に行き、赤道を下って黄土に降りた。いつものカタクリの咲く鞍部は、イタドリも大きく伸び切って春の初々しさは既に無くなっていた。それでも「最後の春」をここに座って惜しむ。
赤道に戻って、山道を一気に下る。瞑想の池でトチノ木に付いたモリアオガエルの卵を見つけて写真に撮った。
テントに戻ると正午を過ぎていた。
午後、実家の兄貴の嫁さんと姪の鈴ちゃんが子どもたちと一緒に山に遊びに来た。子どもたちはもちろんおやじ小屋は初めてである。コー君は上のコゴメ畑にワラビを採りに行ったり、ホダ木のシイタケを取ったりと、恐らく初めての山遊びに興味津々だった。
おみやげに朝水穴で採ったウドを持ち帰ってもらった。コー君も山が好きになってくれたら、と願うばかりである。








2006年5月22日(月)晴れ、気温が上がる
最後の春

軽トラを借りたところへ返す日である。これをしおにそろそろテントをたたむことにした。昨日に続いて夏の陽気である。それが山菜のシーズンの終わりを告げているようでもあった。
午前中におやじ小屋にデポする道具をまとめ、軽トラと一輪車で小屋に運び込んだ。荷物を片付け終わって戸締りをしデッキに座って一休みする。筒鳥が「ポポ、ポポ」と鳴いている。今回この山に来た時から筒鳥の鳴き声に気付いていた。そして今日、初めてアオバトの鳴き声を聞いた。「アオ〜、アオ〜、アオ〜」と尺八を吹くような、知らないとちょっと気味悪いような鳴き声である。実際見たことはないが、羽の色が美しい緑色の鳥だという。
腰を上げ、大声で「ありがとうございました!」と小屋に挨拶し、山を下った。
軽トラを返し、再びテント場に戻って最後の荷物の整理をした。春ゼミが「ジージー」とうるさく鳴いていた。まるで夏のセミのようである。
夕方、山を去った。

2006年5月23日(火)曇
「無言館」に寄る

昨夜は上信越道の豊田飯山インターに入る手前の道の駅の駐車場に車を停めて泊まった。今日は上信越道の上田インターまで行って、上田市にある戦没画学生追悼美術館「無言館」を見てから藤沢に帰る予定である。この美術館でどうしても観ておきたい3枚の絵があった。昨年の7月31日、NHKの「新日曜美術館」で紹介された若くして戦死した画学生の絵である。
開館の9時まで近くの前山寺の境内を散策し、時間になって館に入った。観ているうちに胸がシンとなってしまった。出口から裏庭に出た時、どうした訳か思わず落涙しそうになって慌てた。そして再び前山寺の山門まで行き、そこから上田の町並みを眺めてこの場所を後にした。
家には夜遅く着いたが0時は回っていなかった筈だ。
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