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2006年4月1日(土)晴れ
角田山に登る

 次兄と一緒に角田山に登った。いい山だとは噂に聞いていたが、こんな素晴らしい山がすぐ近くにあったとは、と認識を新たにした。角田山は新潟市の南、巻町にあり、日本海の沿岸にそびえる独立峰である。こう書くと山形の鳥海山の秀麗なイメージを思い描くかもしれないが、標高わずか481mのいわば里山のようなファミリーな山である。
 この山が今、関東や関西からの登山ツアー客で大賑わいなのである。目的は春の使者、雪割草(オオミスミソウ)やカタクリ、キクザキイチゲの群落を見ることである。この日も好天気に恵まれて、481mの頂上はまるでお花見の公園のような賑わいだった。
 登山口はあちこちにあるが、灯台コースから上った。角田浜の海水浴場の波打ち際から登るので、まさに標高0mからのスタートである。
 階段のついた海岸の岩場を登り始めてすぐ美しい鳥の鳴き声に迎えられる。岩のてっぺんでさえずっているブルーの羽根と茶色の胸毛のイソヒヨドリである。カシワの群落地を右手に見ながら尾根を登ると休憩に好都合な鞍部に着く。ここに大きなヤマナシの木があって、5月頃の花の時期にはさぞかし見事だろうと思われた。
「いい山ですねえ、地元の方ですか?」と夫婦で来ている登山客に声をかけられた。茨城からやってきたそうでご主人から「わたしはこういう者です」と「山岳遊歩人・中高年安全登山指導員」と書いてある名刺を渡された。ホームページのURLも書いてある。実に気さくな人である。
 登るにつれてカタクリが多くなる。しかしまだ蕾が多く、あと1週間もたてばそれは素晴らしいお花畑になると思われた。
 椿が咲いている。今の時期花をつけているからにはヤブツバキである。雪国越後の野生種では珍しいのではないだろうか?花弁もユキツバキより厚いが、正式には中間種のユキバタツバキという種類かもしれない。常緑の蔦、キズタも紫黒色の実をびっしりとつけていた。
 頂上の芝生の上で昼食をとり、少し下るとすごいパノラマ展望台に出た。新潟平野が一望である。この日は生憎の春霞で靄っていたが、平野の向こうに飯豊山をはじめとする新潟と福島国境の名峰がずらりと望まれるのだという。次回の楽しみである。
 帰りのルートは素晴らしいカタクリの群落を見ながらの下山である。右手の眼下に浜に並ぶ切妻屋根の家々を見ながら麓に着いた。
 帰りは湯の腰温泉で一風呂浴びた。鄙びたいい温泉である。近くの食堂でラーメンを食べて今日の山行の打ち上げをした。


イソヒヨドリ

ヤブツバキ(ユキバタツバキ)

カシワ

キズタ


ヤマナシ

新潟平野の大パノラマ
2006年4月2日(日)冷たい雨
語りえぬもの

 昨日の角田山登山の帰り、途中で買い物などをしていたために山に着いたら暗くなっていた。それでおやじ山には明朝(すなわち今日)一番で登ることにして麓の東山ファミリーランドの「ふるさと体験センター」の前庭に駐車して車の中で眠ることにした。
 後部座席を倒して毛布に包まってうとうとしていたら突然車内に車のライトがパア〜ッと当たって、見るとパトカーである。2人の警官が降りてきて「コンコン・・・コンコンコン・・・・」と窓ガラスを叩いている。寝込みを襲われて頭に来ていたので外に飛び出して啖呵を切ってやろうと思ったが、毛布の下はズボンを脱いでパンツ1枚である。仕方なく窓ガラスを開けようとしたが暗くてスイッチボタンが分からず、無防備にもドアを開けてしまった。瞬間室内灯が点いてぶざまな姿と寝酒の酒瓶などが転がっている車内が丸見えになってしまった。
 「ここで何をしてるんですか?」と警官が尋問する。「はて?どう答えたら・・・」と咄嗟の答えも見つからず黙っていた。オーストリア出身の天才哲学者ウィトゲンシュタインの「語りえぬものについては沈黙せねばならない」を実践したのである。「俺は怒っているぞ!」と無言の抵抗の意味もあった。
しかしもう1人の警官が車のナンバーを控えていたり、何やら無線機を口につけて小声で連絡をとったりするものだから、仕方なくくどくどと説明するハメになった。角田山登山よりこっちの方が余程草臥れてしまった。
 今日は朝から冷たい雨で、おやじ山へ行くのは止めて学校町の長岡中央図書館に行った。「雪国の森林づくり」(豪雪地帯林業技術開発協議会編)を借りて読みながら、2年続きの豪雪で痛めつけられたおやじ山の若杉の森をどう管理して行こうか考えた。杉の択伐を繰り返しながらブナを植えて杉-ブナの混交林に仕立てるヒントを貰ったような気がした。







2006年4月4日(火)晴
2つの実験

 3日ぶりに晴れた。それにしても夜中の嵐は凄かった。午前2時半にものすごい風音で目が覚めたが、春の大嵐は明け方まで続いた。昨日も冷たい雨の1日で麓でぐずぐずしていたが、山で張りっ放しのテントが飛んでしまったのではないかと心配になっていた。
 テントは無事だったが北側のアームが曲がっていた。雪も降ったようでダラリと垂れてしまったターフの端に雪が積もっていた。
 しかし雨のお蔭でおやじ山への山道は少し露地が出て、ここに昨年の秋に落ちたミズナラの実が小さな芽を出し始めていた。狭い面積の山道にビッシリといった感じで落ちていて両手で掬える程である。おやじ山に持って行って植えてみることにした。(小屋の西側の雪の消えた所に少し穴を掘って植えたが、ドングリは合計103個あった。果たして103本のミズナラの苗木に育つだろうか?)
 山桜の斜面にキクザキイチゲが咲いた。この斜面にはカタクリの芽もいっぱい出ていて日射しが続けば一面のカタクリに覆われるはずである。まだ芽の出始めの今のうちだと思って熊手で杉の落葉などを掻いてやった。せいぜい10畳ほどの面積を掻いてやっただけだが、これでここにカタクリがワッと咲けば、この落葉掻きは意味があったことになる。





2006年4月6日(木)曇り時々晴
痛めて気付く山仕事かな
 この時期は確か三寒四温と言う筈だが、異常気象のせいか今年の越後は六寒一温がせいぜいである。昨日も1日中冷たい雨、今日の朝の気温はテントの中で4℃、外は1℃である。
 手首が痛い。一昨日、雪で落ちた枝を拾ってきて手斧で切って薪を作ったが、夢中になり過ぎて腱鞘炎になってしまったようだ。手首を痛くしてから今回の山籠りの目的をハタと思い起こした。おやじ小屋の点検・修理と雪があるうちにできる持ち山の測量(というか簡単な地図作り)である。3月25日に山に入ってからぶらぶらと遊んでばかりいてこの2つは今日まで何も手を付けていなかった。
 それで手首が利かなくなってしまってからでは何も出来なくなると思って、今日から本来の仕事に取り掛かることにした。
 午前中は20m巻尺と方位計で持ち山の西側を測る。伸ばしたスケールを巻き取る時に手首が痛くて困った。
 午後は小屋の修理。先ず雪で押し潰されて土中にめり込んだ入口の立て戸を外して木枠の下を切って小さくし、波板をこの木枠に合わせて張り替えた。(これでようやく玄関から入れるようになった。どうしてもっと早く修理しなかったのだろう?) それから屋根の雨漏りの補修。小屋の中から天井を覗くと所々に白い穴が透けて見える。もう全部張り替えないと駄目なのだが当面の簡易補修である。小屋の中からこの穴に杉の葉を挿して位置の目印をし、屋根に登ってここにトタン板を被せるのである。こんなことで雨漏りは無くはならないが、まあ気休めのようなものである。
 夕飯はメザシとハムの動物性たんぱく質をとって実に豪華な気分になった。
 今日初めてウグイスの鳴き声を聞いた。
2006年4月7日(金)曇り午後少し日が射す
おやじ山のゾーニング

 5時20分起床、ではなくて、目を覚ましたが寝袋の中で起きずにじっとしている。このぼんやりとしている時の寝袋の中のぬくぬく感が堪らなくいい気持ちである。(だんだんホームレスの心境になってきた)
 気温1℃。午前9時に3℃まで上がる。昨日に続いてウグイスの鳴き声を聞く。
 朝食前に昨日測量した楢の森と百年杉の森を回って地図の修正をする。
 朝食後に(小屋)裏の森と若杉の森の測量をする。やっぱり巻尺を巻く時に手首が痛んで「このヤワが!」と自分の手首に悪態をつく。
 まだ南側の斜面の測量が残っているが、ほぼ地図は完成した。この図を元に修正を重ねて行けば立派な地図になりそうである。
 用途の第一はこの地図にこれから調べていく植生を書き込んで行く事である。そしてゾーニング毎にその植生にあったあるべき森の姿を考えて時間をかけて仕立てて行く事である。それからキノコや出会った動物を書き込んで・・・と、いくらでも用途が出そうである。
 斜面に沿って測ると全体で優に1ha(1万u)は超えていた。そしてこの地面をゾーニングしてつけた名前は以下の通りである。
(西から東に向かって)
●楢の森(2000u) ●小川と湿地の原(500u) ●百年杉の森(3400u) ●小屋の広場(1000u) ●若杉の森(3800u) ●裏の森(1300u) ●山桜の斜面(2100u) ●道子の斜面(2000u)

道子の斜面 山桜の斜面



楢の森

百年杉の森

小屋の広場

若杉の森

裏の森
2006年4月8日(土)雨〜暴風雨

 午前2時に目が覚める。思わず手首の具合を見る。外に出て放尿。さほど寒くはない。テントに戻るとパラパラと雨の音がし始めた。遠くから夜汽車が走る音。そしてフクロウの鳴き声。酒を少し飲む。今日、明日の天気が気になる。
 朝食を食べてからずっとテントの中で横になってラジオを聴いている。天気予報では前線を伴った低気圧が日本海を東に進んでいて明日の明け方までは雷を伴った雨だという。 時々、強い北西の風がテントに吹きつけてアームがたわむ程である。気温はテントの中で6℃まで上がって暖かくなった。
 午後はものすごい暴風雨となる。テントがバラバラと雨に打たれ、上空で風の音が何層にもなって唸っている。まるで風のオーケストラである。テントを打つ雨の重奏曲も凄い。「シワシワシワ・・・」と優しく吹きつけていたと思うと「パラパラパラパラ・・・」と小豆を転がす音に変わり、それが突然煎り豆を投げつけるような凶暴な風雨となる。
 NHKのラジオで橋幸夫が「雨の中の二人」を歌っている。「あめがァ〜〜♪」 懐かしいなあ!

2006年4月9日(日)曇
また来る日まで

 昨夜はラジオをつけたままで眠っていた。目を覚ますと風が静かになっていた。ラジオからはアンカーの加賀美幸子さんの声が聞こえてくる。NHKの「ラジオ深夜便」である。「明日の日の出をお知らせします。札幌 5時4分・・・金沢は 5時29分・・・福岡 5時56分、そして那覇は 6時13分です」まるで日本列島が目に見えるようである。
 日付が変わって9日の午前1時になった。今日下山する予定である。手首の腱鞘炎が少しずつ悪くなっているようで、もう今回はこれ以上山の作業はしないほうがいいと判断したからである。おやじ山を去るとなると途端に夜の時間がもったいなくなって、ずっと起きていた。
 「世界の天気です・・・」加賀美さんの声である。「・・・パリ 晴 9度・19度、ロンドン 曇 8度・16度、ベルリン 曇 6度・16度、リオデジャネイロ 晴 18度・31度、そして東京は 晴 10度・17度です」上手いなあ、と感心する。都市名と天候と最低と最高気温を繰り返すたったこれだけの語り口だが、世界地図がパァ〜ッと広がって見えるのである。
 5時起床。気温は4℃、予報に反して曇である。しかし西山の空が幾分明るい。
 ブルーシートでおやじ小屋の屋根を覆う作業をし(やっぱりかなり手首を使ってしまった)16日間雪の上に張ったテントを撤収した。テントを張った部分の雪が周りの解けた雪より一段高くなって、まるで雪のベッドのように残っていた。16日間の記念にとデジカメで写真に収める。
 夕方、2往復目の荷物を背負っておやじ小屋を後にする。いつものように大声で「ありがとうございました!」とおやじ小屋に向かって挨拶する。
 帰りの山道は3月に来た時の深い雪道から大分露地の出た春先の山道に変わっていた。もうすぐ楽しい山菜採りのシーズンである。