2017年10月1日(日)快晴 |
おやじ山の秋2017(病室のいとこ会) |
朝6時前、携帯電話が鳴って、Nさんから「孝雄ちゃん、すぐ病院に来て!」と切羽詰まった言葉が飛び込んだ。早朝に病院から実家(と長女のFちゃん宅にも)に電話が来て、「家族が集まるように」との連絡があったという。すぐに新潟の次兄に連絡する。
病室に入ると主治医のI先生がベッドに屈み込んで兄の診察中で、H看護師も慌ただしく病室を出たり入ったりしている。枕元の酸素吸入器の数値は12と表示されて今までの最高値である。H看護師が大型酸素吸入装置を運び込んだ潮に、Nさんと廊下に出た。「お父さん、と呼びかけると、意識は少しあるようなんだけど・・・」。Nさんが青白い顔でポツリと言った。
しばらくして、三条にいるFちゃんがナースセンター前の廊下を小走りに駆けて来た。見ると目に涙を溜めて、今にも泣き出しそうである。病室に入ろうとするFちゃんに、「Fちゃん、泣いたらダメ」と釘をさす。可哀想だったが、兄にまだ見込みが無い訳ではない、という思いと、まだ意識のある兄に、家族の泣き顔を見せたくなかったからである。
午前7時、診察を終えたI医師から家族が呼ばれてナースセンターで説明を受ける。兄の呼吸は浅く不安定で、溜まった二酸化炭素を吸い込むために麻酔を吸ったと同じ症状になり、それで時々無呼吸になること。本人の意識は、まだある様子だとのこと。今後の処置は、逆に送り込む酸素量を減らして自力で呼吸するようにドライブをかけること、等々。
今まで連絡は控えていたが、、秋田県内に住んでいるYさんとHさんの二人の従兄弟に、兄の状態を電話で伝える。そして今年は俺が当番の幹事役だが、今月19、20日に予定していた毎年恒例のいとこ会(昨年決まった越中五箇山合掌造の里ツアー)の中止をお願いした。
しばらくして従兄弟たちから相次いで電話が入った。それぞれ今日の午後に長岡駅に着くという。そして「宏ちゃん(兄の名前)が意識があるうちに病室でいとこ会をしたい」と言うのである。
Hさんは新潟乗り継ぎの新幹線で、Yさんは出先の東京から上越新幹線で長岡に着いた。
兄の病室にYさんとHさん、そして兄嫁のNさん、新潟から駆けつけた次兄夫婦、俺とカミさんのいとこ会のメンバーが集合した。従兄弟たちは「宏ちゃん!」と何度か大声で呼びかけたが、残念、兄は酸素マスクのなかで荒く息をしているだけで反応は示さなかった。そしてHさんが帰り際、「宏ちゃん、また一緒に酒呑もうよ」と呼びかけると、何と!兄の顔が少し笑ったのだ!
今日中に帰宅するという従兄弟たちを再び長岡駅で見送り、キャンプ場に帰った。今日は恒例になった蓬平の猿倉緑の森の会が主催する「猿倉岳秋のトレッキングイベント」の当日で、神奈川から森林インストラクターの仲間3人を呼び寄せてグループリーダーの手伝いをお願いしていた。肝心の責任者の俺が欠席で大迷惑をかけてしまったが、大役を終えてキャンプ場に戻った仲間たちから「無事成功裏に終わった」との報告を受けた。遠来からの友人たちに心から感謝である。(市民や町民など総勢130人が参加した大イベントになったという) |
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2017年10月2日(月)曇り |
おやじ山の秋2017(病院長の来訪、病室に泊まる) |
朝、森林インストラクターの仲間たちとおやじ山に行く準備をしていたが、Nさんから電話があって急遽病院に行く。兄の意識が途絶えたという。
病室前の廊下にNさんが不安そうに立っていて、中では看護師たちが生体情報モニタ(心電図、脈拍、血圧、血中酸素量モニタ)を兄に装着していた。すぐには病室に入れそうにない。Nさんが言った。 「さっき(先ほど、の越後弁)病院長の富所先生がいらして下さって、『関先生、長い間良く頑張りましたね』とお父さんに声かけて下さって・・・昔、お父さんが医者になって間もない頃、富所先生とお父さん、この病院で一緒に働いていたことがあったんだって・・・」。「院長先生、お父さん助けて下さい、とお願いしたんだけど、『誰もが通る道ですからね』とおっしゃられて・・・」
病室のフロアーの食堂(兼休憩室)でNさん、Fちゃん、ボンちゃんたちに、「もしもの時」の準備を伝える。3人より「お父さんが頑張っている時に葬儀の話などしないで下さい」と叱られてしまった。ああ~。次兄に葬儀の件で相談したいと連絡する。
一度キャンプ場に戻ると、お世話になった森林インストラクターの仲間は帰った後で、テーブルの上にTさんとSさんのメモが置いてあった。全く不義理をしてしまった。夜8時、再び病院に行く。夜9時、熊本からボンちゃんの夫が駆けつける。そして集まった家族達が皆帰り、一人病室に泊まる。兄と二人きりの夜となる。 |
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2017年10月3日(火)曇り |
おやじ山の秋2017(新潟へ) |
昨晩は、殆ど眠れなかった。兄のベッドの脇に置いた簡易ベッドで横になっていたが、兄の呼吸音に耳を欹てながら、一瞬の不規則呼吸の度に身を起こした。夜中に何度か宿直の看護師さんが見回りに来てくれる。
朝6時半、ベテランのY看護師が病室に来た。兄がこの病院に赴任した当時、看護師養成の講義を兄から受けたことがある、と仰った。兄に「先生」と呼びかけながら胸に聴診器を当て、丁寧に痰を吸引して口内を何度も拭いてくれて(さすがベテランの見事な手さばきで、感心してしまった)、ぬるくなった氷枕も替えて下さった。(38℃の熱が出ていた)全く有難く、感謝に堪えない。
しばらくしてNさんとボンちゃん夫婦がやってきて、交替する。
病院を出てから日赤町のSさん宅に伺い、パソコンを借りて「もしもの時」に連絡する親族一覧と知人一覧表を作成する。
そして午後4時、カミさんと関越道を車で飛ばして新潟の次兄の家に行った。次兄は早速隣に住む長男のM君夫婦も呼んで皆で葬儀の打ち合わせをする。
夜10時、ご馳走になった新潟小嶋屋そば店で次兄等と別れて一路キャンプ場に帰る。先ずはもしもの際の一歩前進だが、実に長い一日だった。
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2017年10月4日(水)曇り |
おやじ山の秋2017(久々山へ) |
午前9時、再びSさん宅でパソコンを使わせて貰う。昨晩の次兄等との打ち合わせ内容を纏め、もしもの時の一覧表を更新する。
兄の家族等には内緒で、市内の葬儀社とタクシー会社を訪ねて若干の下準備をする。
今日はカミさんを連れて久々におやじ小屋に行った。何と、カミさんは長岡に来て初めて(8日ぶり)の入山である。小屋脇のミョウガ畑では自慢の秋ミョウガが出ていて、シイタケのホダ木も採り忘れられたシイタケが巨大なお化けシイタケになって生えていた。
久しぶりのキャンプ場の夕食は、七輪に炭火を熾して炭火焼きシイタケを堪能する。やっぱり、美味かった! |
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2017年10月5日(木)快晴 |
おやじ山の秋2017(秋の陽射しは、穏やかなり) |
抜けるような秋晴れである。早速、「おっはよ~」と麓の村のNさんがキャンプ場の階段を上がってテントサイトに顔を見せた。こんな朝は、「巷の大博物学者」のNさんにとっては絶好のwatching(observation)timeで、この辺りの生き物の事なら(植物、動物、鳥、虫、きのこ、ヒト?)Nさんが知らないことは無い。続いてSさんご夫婦がお隣りのR子さん(何と俺の高校の先輩だった!)を伴ってテントに来た。Sさん宅に伺った時にお隣りさんには何度もお会いして顔見知りになっていたが、R子さんが山に来たのは初めてである。
昼はおやじ小屋の前のデッキで、SさんとR子さんが持参してくれた豪華なランチ弁当を並べて全く楽しい時間を過ごした。暖かい秋の陽射しが百年杉の梢を透してデッキを囲んだ皆にまで当たって、こんな穏やかな時がいつまでも続いて欲しいと願わずにはいられなかった。
午後3時過ぎに、新潟の次兄がM君が作ってくれた「もしもの時」の手順表を持ってキャンプ場に来た。そして次兄、カミさんと3人で兄の看護に行く。
太い酸素チュウブを鼻に入れて大きく口を開けて息をしている兄の顔(首も)は今までにない程異様に膨張して、思わず次兄と顔を見合わせる。
それから5階の展望室にNさんを誘い、次兄からNさんにもしもの時の準備の話をする。辛い話だったが、もはやタイムリミットである。 |
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2017年10月6日(金)曇り、夜雨 |
おやじ山の秋2017(兄死亡 あゝ、萬事休す) |
12:40 市内のいつも利用しているコインランドリーで洗濯機を回していた時、Nさんから「お父さん、死んじゃった」と電話が入る。
すぐ新潟の次兄に連絡。洗濯物はそのまま放っぽって、近くのJAの店で買い物をしていたカミさんを車で拾って病院に駆けつける。Nさん、Sちゃん、ボンちゃん達が泣きはらした目でベッドを囲んでいる病室に飛び込んで、兄の顔を手で触ると、まだ温かい。「I先生も今までいらして、12時38分に息を引き取りました、と・・・」Nさんの言葉で、一気に涙がこぼれ出る。あゝ、萬事休す!
長女のFちゃん、次兄夫婦も駆けつけて、皆でI先生から死亡診断書の説明を受ける。(死因は肺炎。死亡時刻、午後0時38分)
先日見舞いに来てくれた秋田県のいとこ(Yさん、Hさん)等に兄の死去を伝える。
14:30 葬儀社に電話。
15:30 葬儀社の人が病室に来て兄の遺体を引き取り、実家に移送。我々も実家に向かう。
実家には既にM君夫婦が新潟から駆けつけていて、兄の帰り支度を実にきめ細かく準備してくれていた。有難し。すぐ実家の菩提寺の託念寺に電話する。実家とは親交が深かったお寺様も涙ぐんで懇切に対応して下さる。嬉し。
中学時代からの兄の親友(Aさん)等に兄の死去を電話連絡する。
18:30~託念寺ご住職様の枕経
託念寺ご住職、葬儀社、次兄、Nさん、Sちゃん、M君、俺の7人で葬儀日程打ち合わせ。
通夜を10月8日午後6時半~
葬儀・告別式は10月9日正午~と決める。
その後会葬者の見込人数、お斎の名簿作成など慌ただし。
午前1時(10月7日)カミさんと雨に濡れたキャンプ場に帰る。テントで一人酒。はなはだ寂し。午前3時就寝す。 |
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