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最後のページは<9月30日>                     「おやじ山の秋2017」

2017年9月2日(土)晴れ
おやじ山の秋2017(勝保の田圃を刈る)
 昨日は友人のOさんとおやじ小屋や日本海を臨む日帰り温泉に行ったりして、夜はキャンプ場で楽しく酒を酌み交わして過ごした。そして今朝、長岡に嫁いだ娘さんがテント場に迎えに来て、Oさんは帰って行った。

 今日は神奈川からNさんも来て、恒例になった朝日酒造の千楽の会の稲刈りである。場所は塚山にある勝保の田圃で、5月にやはりこの会で五百万石の酒米の苗を植えた所である。
 いつもは、千楽の会の行事の後はこれ又恒例の宴会が待っていて、実はこっちが本命で行事に参加していたのだが、今日は稲刈りだけで後はパスした。親しく酒を酌み交わしたい友人達がいたが、今回だけは宴会に参加する気分にはなれなかった。

 稲刈りが終わり塚山駅発15時28分の信越線で山に帰る。
2017年9月3日(日)小雨~晴れ
おやじ山の秋2017(父が刻んだ銅板)
 午前10時過ぎから30分ほど兄の病室に寄る。その後キャンプ場に戻るとSさん夫婦がテント場に来ていて、長岡名物の笹だんごなどの差し入れを頂戴する。いつものご親切に感謝、感謝である。

 昼過ぎから実家に行き、庭の草取りや落ち葉の清掃、植え込みの剪定をした。ふと、兄がもしもの時に、人さまが実家に来てもみっともなくないようにと思ったからである。
 すると、繁った植え込みの陰に隠れていた石に嵌め込んだ銅板が二枚出てきた。銅板には文字が刻んであって、おやじがこの家を建てた時に自らの手で掘ったものである。
 一つは、多分お袋が亡くなった直後に掘ったもので、生涯初めての念願の持家に、ずっと借家住まいで苦労をかけ続けたお袋と一緒に住もうとしていた矢先に先立たれた、その叶えられなかった無念さを詠んだもの。もう一枚は、この文の通りにお袋の一周忌に刻んだものである。


 最初の一枚にはこう刻んであった。

 君の遺志
   為すはらからを
    見とどけて
 給え母なる
    家に在まして




 もう一枚の銅板には次のような文が掘ってあった。(□は判読ならず)


 君の一周忌に当たり
 関ヨシヱの霊に捧ぐ
 君、明治四十三年七月十八日
 秋田県三関村字関口に生れ昭
 和三十九年十一月三十日、五十
 四歳にして苦難に満ちし生涯を
 閉じ給う。嗚々君ありしが故に
 我らに今日あり且広く遠く子弟
 の行方を展き給えり。我等限り
 なき感謝を捧げつゝ尊き志を目
 ざし君の霊を永遠に安んじ□□
 ら


 キャンプ場に帰って一人で酒を飲んでいると、ご近所の(と言っても多分1000m以上離れている)茶房「千花」のご主人が娘さんを連れて訪ねて来てくれた。嬉しかった。娘さんはテントサイトに立って「あそこに家が・・・」と、遥か遠くに見えるご自宅とお店を指差したが、事実我がテントからは一番近い「お隣さん」である。
2017年9月5日(火)晴れ~曇り
おやじ山の秋2017(兄のリハビリ)
 大きなリスクはあるが、明日、兄を実家に一時帰宅させることにした。せいぜい1時間ほどの滞在になるかも知れないが、比較的体調が安定している今こそ兄の望みを叶えてやりたかった。

 それで昨日から兄を車椅子に乗せて病室のある5階フロアーの廊下を一巡するリハビリを開始した。今日が2回目の訓練である。
 10時に病室に行き、看護師さんから兄の躰の支え方や車椅子への乗せ方の指導を受けて廊下を一周する。
 姪のボンちゃんは介護タクシーの手配、俺はホームセンターに駆けつけ、実家の庭先から兄の寝室まで車椅子で移動できるように、スロープ用のコンパネ、コンパネの下に敷くコンクリートブロック、居間から寝室までのブルーシートなどを買う。

 午後3時半、病室に戻る。今日はリハビリの専門医がマッサージに来てくれると聞き、是非病室で技術を盗み見て習得したいと思ったからでもある。兄は頻りに痰が出て苦しそうである。5時半まで待ってナースステーションに行き、「あの~リハビリの先生がまだ来ないんですけど~」と訊くと、「あらそうですか。この時間なら、今日はもう来ませんね」とあっさり言われてしまった。

(ひと昔前なら「ヤロー、ふざけんじゃない!」と尻をまくったところだが(ホントかなあ?)、もうこの齢だし、とばっちりで兄の面倒見が悪くなったりしたら困ると、しょんぼりうな垂れてひっそりと暗いキャンプ場に帰った。)
2017年9月6日(水)雨
おやじ山の秋2017(一時帰宅ならず)
 朝8時に実家に行き、今日の兄の帰宅準備をする。庭先のタタキ台から居間に車椅子で入れるようにコンクリートブロックを積んだ上にコンパネを敷いてスロープを作る。居間から兄の寝室までは、床にブルーシートを敷く段取りだが、これはボンちゃんに頼んで病院に急ぐ。

 9時半、病室に入ると看護師が居て兄の病状が芳しくないと告げられる。発熱と多量の痰で今日の外出は医師の指示待ちだと言う。
 Ⅰ医師が来て兄の胸に丹念に聴診器を当て、これからCT撮影、血液検査、尿検査をして詳細を調べるという。実家で待機しているボンちゃんに電話を入れ、予約しておいた介護タクシーのキャンセルを頼む。誠に残念だが止むを得ない。ふと、おやじが特養ホームで長く療養していた頃、次兄の軽ワゴン車でおやじを実家に一時帰宅させ、おやじが丹精して造った庭など見せた時の嬉しそうな顔を思い浮かべて、悔しくて仕方が無かった。

 午後、キャンプ場に帰り新潟の次兄に状況報告の電話を入れる。
 夕方、三姉妹の姪達の長女フーちゃんからLINEが届き、「今日の検査の結果は悪くはなかったですよ~。近いうちにお父さんの一時帰宅リベンジしましょう」と。少し安心するも、悩むことはなはだ多し。

 
2017年9月7日(木)雨、長岡に大雨注意報
おやじ山の秋2017(囲炉裏の火)
 頻りに雨足が強くなって、長岡に大雨注意報が出た。レインウエアで身を固め、テントを出て傘を手におやじ小屋に向かう。
 おやじ小屋に着いて囲炉裏の縁に「ヨイショ」と座ると、いつもの事ながらホッとする。特に今日のような雨降りの日には、事の他心が和むのである。

 そしていつものように囲炉裏に火を焚き、外に降り続く雨音を聴きながら燃え続ける炎の揺らめきを眺めていた。この赤々と燃える炎には、人間が火と過ごしてきた太古の昔からの限りない安寧と、ヒトが火を手に入れた時からの根源的な情動を呼び覚ます力があると思っている。火は人の心を静めるとともに、己の心に素直で無垢な気持ちを呼び起こしてくれるようである。

 囲炉裏の火を見つめながら、頻りに兄の事を思った。そして堪らなく兄に会いたく、一刻も早く兄の顔を見たくなった。燃え盛る薪を寝かせて炎を沈め、囲炉裏の縁を立ち上って、小屋を出た。

 病室の兄は、自力では出し辛くなった痰が喉に詰まって苦しんでいた。看護師を呼んでバキューム装置で吸引してもらう。いくらか楽になったと見えて、手付かずになっていた昼食の半熟卵とおかゆを少し食べさせる。

 今日の午後は、来る10月1日に開催される蓬平町猿倉岳トレッキングイベントの事前打ち合わせがあった。参加者の引率リーダーを任されていたので、午後1時半に会議場の蓬平集落センターに行く。

 夜は土砂降りのキャンプ場をパスして実家に泊まる。
2017年9月8日(金)雨時々晴れ
おやじ山の秋2017(ふるさとの風景-稲田輝く)
 昔は「女こころと秋の空」などと言ったものだが、今日の天気は雨、晴れとコロコロ変わって、まさにそんな移り気の空模様だった。

 昨晩は実家に泊まり、今朝家を出て田圃道を車で走ると、ぱあ~と陽が差して見事な黄金田の風景が広がった。

 キャンプ場に着いて雨になり、傘を差しておやじ小屋に行く。道端にはきのこの一番手「キンロク」(正式名:ニンギョウタケ)が顔を出し、アマンダレ、アミタケなども少し発生していた。
 東京住まいのいとこのT君から突然電話があって(T君の電話はいつも唐突で驚きもし、嬉しくもある)「今、長岡で~す!」と言う。明日長岡駅前で会うことにする。
2017年9月9日(土)晴れ
おやじ山の秋2017(決断の日)
 長岡駅のJR駐車場でT君と落合い、兄の入院先の長岡中央総合病院で面会させる。兄がずっとT君を可愛がっていたことは知っており、東京住まいのT君も、実家の兄にたまに電話を入れて自分の持病の相談などをしていたようである。(兄は今回の入院の前日まで、現役の医師として自分の病院で患者を診ていた)

 病院を辞してからT君をキャンプ場に連れて行くと、昨日「山にキノコが出ましたよ~」と連絡したSさんが、俺たち分までの弁当持参でやって来た。3人でおやじ山に入り、小屋の前のデッキで秋の日差しを浴びながら昼食弁当を摂る。下山してテント場に戻ってからも、T君とSさんの会話は盛り上がり、夕方まで楽しい時間を過ごす。

 夜7時、再び兄の病室へ。今朝から血の混じった真っ赤な血痰が多量に出て、食事も摂れず「禁食」となっていた。水の投与も必ず「トロミ水」として看護師を呼ぶように、と指示が出ていた。
 一時的な若干の快復はあるものの、確実に病状は悪い方向に向かっている様子だった。この際、家族皆で正確な兄の病状を把握し、その上で必要な備えをしておくべきだと思った。

 夜8時過ぎ、病院を出て実家に行き、兄嫁のNさんが休んだあとでボンちゃんに俺の気持ちを伝える。先ず何よりも主治医のⅠ先生と家族で面談して正確な病状を訊き出すこと(残念ながら、今までⅠ医師からのまとまった話は一度もなく不満も残っていた)。そのためには女医として兄の病院をサポートしていて、Ⅰ医師とも気脈が通じている次女のSちゃんの了解も必要だと思った。その旨もボンちゃんに伝える。
 実家に泊まったが、様々な思いが頭を巡り、眠れず。
(今日は片貝花火の日だった。一時、実家から歩いて、ガキの頃泳いだ「前ん川」の畔に行き、遠くに打ち上がる花火見物をした)

2017年9月10日(日)晴れ
おやじ山の秋2017(血痰止まらず-YouTubeを聴く)
 朝、今日もSさんがキャンプ場に来て下さり、大きなおにぎりの差し入れを置いて行く。Sさんのご親切には本当に頭が下がる。ありがたし。それから麓の村(栖吉町)のNさんが来て、自分で焼いた大きな抹茶椀にたっぷりの抹茶を入れて点ててくれた。まさに血の濁りが消えるような爽やかな美味さだった。

 午後、山に入る。途中の山路には「男郎花」があちこちに咲いて、ヒョウモンチョウが穏やかな姿で止まっていた。小屋の前に転がしておいたゲストハウス用に伐倒した杉丸太の皮むきをする。本来ならばずっと以前にやっておくべき仕事だったが、遅れ遅れて今日になってしまった。

 午後6時、兄の病室に行く。看病をしていたNさんが、俺の顔を見るなり「ああ、孝雄ちゃん来てくれてよかった。私さっき、大失敗しちゃった」と目に涙を浮かべている。訊けば、兄の唇が渇いて気の毒に思い、ジュースか何かの汁を含ませてやったらしい。そしたら激しく噎せて「死ぬかと思った」という。なるほど、ベッドの手すりには「禁食」「水分はトロミ水のみ。但し看護師を呼んで飲ませて下さい」と病院側で書いた張り紙がしてあった。血痰も誤嚥による肺からの出血のようで、Nさんは兄の口に溜まる血痰を頻りにテッシュペーパーで拭っていた。見ていて可哀想で仕方がない。憔悴した様子のNさんを実家に帰らせる。

 兄が落ち着いた様子を見て、俺のスマホでYouTubeの音楽を聴かせる。兄がまだ入院する前に俺のスマホのこの機能を知って欲しがり、兄に代わって手続きしたタブレット端末がどこかにある筈だが、果たしてこの病室に持ってきたものやら、取り敢えずのスマホでの視聴である。以前も感心したが、兄の音楽知識の豊富さには舌を巻いてしまった。曲目はもちろん、作曲や指揮者の名前、映画音楽ならば題名、歌手、俳優の名前など驚くほどの記憶力である。ましてや、こんな重篤な病状の中においてである。

 8時、「気をつけてな・・・」(自分の方がよほど苦しいのに)のいつもの兄の言葉を背に受けて病室を出、キャンプ場に帰る。新潟の兄に電話、今日の症状を伝える。ああ~!!
2017年9月12日(火)雨
おやじ山の秋2017(主治医に訊く)
 昨早朝にボンちゃんと一緒に、H看護師を通じて主治医のⅠ先生との家族面談を申し入れていたが、今日の午後6時半からと決まった。昨日は新潟から次兄も来て、病室で長い時間、兄と二人きりで昔の思い出話しなどを交わしていたようだった。

 面談はⅠ医師の他、若い研修医のK先生と西棟5階の看護師長(?)も同席され、家族側は長女のFちゃん、次女で医師のSちゃん、それに次兄と俺の4人で(Sちゃんの判断で、今日の家族面談についてはNさんには知らせず)、約1時間20分間行われた。Ⅰ医師は兄の肺のCT映像を示しながら病状の経緯と現状を説明し、今後の治療の選択肢(中心静脈栄養)や一時帰宅の是非について家族で相談して判断を示してほしい旨の話だった。特に、兄の一時帰宅の際のリスクについては何度もⅠ医師に訊ねたが、残念ながら素人の自分には理解の範囲を超えた内容だった。
 終わって、Nさんとボンちゃんの居る病室に入る。20時半、病院を出てキャンプ場に帰る。帰り際にナースステーションの奥の椅子にポツンと座って、Ⅰ医師が鎮痛な面持ちで頬杖をついている様子が目に入った。
2017年9月13日(水)晴れ、夜雨
おやじ山の秋2017(Mさんからのプレゼント)
 今日は大きなプレゼントを貰った。前・朝日日本酒塾塾長だったMさんとAさんが10時過ぎにキャンプ場に来られて、折り畳み式の立派なベッドを運んでくれた。8月3日の「もみじ園」での長岡花火観賞会でご一緒した際にプレゼントの申し入れがあったもので、これで一気にキャンプ生活が豪華になった。お二人からはお酒の差し入れもあって、短い時間だったがおやじ小屋まで案内させてもらった。

 午後6時、兄の病院に行き、Nさんと一緒に看病する。珍しく病室でテレビを点けてニュースを観たらしく、「おい、熊が出たぞ。山では気を付けてな」と気遣われる。
 Nさんが帰ってから、兄が病室に持ち込んでいたタブレット端末で、兄のリクエストに応じてYouTubeで音楽視聴。兄から「タブレットの操作方法を、もう一度教えてくれ」とせがまれ、「おッ!」と嬉しかったが、今の病状ではとても無理で、「後日、ゆっくり教えるこって」とかわす。

 午後8時20分、Ⅰ先生がひょっこり病室に来て丁寧に胸に聴診器を当てる。8時半過ぎに病室を出た。途中スーパーに寄り夕飯の弁当を買ってテントに帰る。夜から降り始めた雨が、夜中には「バラバラ」と激しくテントを叩く本降りになった。
2017年9月14日(木)晴れ
おやじ山の秋2017(姪たちとの相談)
 昨晩はMさんからプレゼントされた大型ベッドで寝て、実に快適だった。ずっと地べたに転がって寝ていたので、一気に文明社会に戻った気分である。

 午前中おやじ小屋に行き、途中の山路では先日見つけておいたキンロクが大きく生長していて嬉しい今年の初収穫だった。

 午後2時、三条に住まう長女のFちゃん家の近くの某所で、新潟の次兄と姪たちを含めた5人で会った。そして先日のⅠ医師と面談した際の家族の検討事項を相談する。兄のリベンジ帰宅については、次女のSちゃんよりNさんにこの際しっかりと兄の病状を伝え、その上でNさんの意向を訊いて判断することにした。女医のSちゃんがいて大いに心強いが、話を聞いた時のNさんの気持ちを思い遣って心が痛む。しかし次兄が強く主張したように、もう今はNさんにもはっきりと兄の病状を伝えておくべき段階だと、俺も思う。
2017年9月15日(金)晴れ
おやじ山の秋2017(ガチャポンプ直る)
 何年か前にSさんから据え付けていただいた(それもタダで)昔懐かしいガチャポンプが、幾星霜の積雪の重みで使えなくなり、Sさんにそのことを話すと、早速修理部品を揃えて下さり、先日早くも「直りましたよ~」と電話が来た。「ウチのお父さん、何でも直しちゃうから、いつまで経っても新製品買えんがらてえ」と奥さんが半分嘆きながら言っていたが、全くSさんは神の手を持つ「必殺修理人」である。
 それで今朝早く受け取りに行くと、高級旅館で出されるような豪華な朝食が揃えてあった。恐縮しながらも腹一杯いただき、ガチャポンプを受け取って山に帰った。

 早速据え付けにおやじ小屋に向かうと、昨日採り残したキンロクがまたもや目につき、今日も大収穫である。

 夕方、麓の村のNさんがキャンプ場に顔を出し、Sさんも来て下さって、3人で楽しくよもやま話に花を咲かす。

 夜、兄貴の病室に行く。K医師が来てCT撮影と血液検査のための採血をする。もはや看護師では腕のあちこちに針を刺して試みても血が採れなくなって、医師による大腿部の付け根からの採血しか出来なくなってしまった。8時半、病院を出る。
2017年9月16日(土)曇り
おやじ山の秋2017(台風接近)
 超大型の台風18号が本土に接近しているという。テント生活で大雨ならまだ凌げるが、風が一番の大敵である。それで朝からテントを取り外し、プレゼントされたベッドやら椅子、テーブルやらをデッキテーブルの上に積んでブルーシートで覆い、その他のガラクタ類をキャンプ場の受付小屋を間借りさせてもらって運び入れた。
 朝から延々午後4時までかかり疲労困憊したが、やはり兄の顔が見たくて病院に向かう。今日は兄と二人で大相撲中継のテレビ観戦をしたが、結びの一番前にNさんが来たので交替して病院を出る。

 キャンプ場に戻ったがテントも畳んでしまったので、コスモス広場に車を停めて車中泊を決め込む。眼下に瞬く街の灯を眺めながら、酒を呑む。
街の灯美し・・・涙ぐむ。
2017年9月17日(日)曇り
おやじ山の秋2017(超大型台風本土上陸)
 一泊した車の中で昨日買っておいたパンで朝食。昨晩は良く分からなかったが、周りは一面にコスモスが咲き誇り、台風の影響か、湿った空気が視界を透明に澄ませて、遠く佐渡ヶ島まではっきり見渡せた。(超大型台風18号は9時40分九州鹿児島に上陸)

 昼兄の病室に寄ると、看護師のHさんがバキュームで痰を吸引してくれていた。兄はまだ自力で看護師コールのボタンを押すことができるんだ、と少しホッとする。吸引が終わっていくらか楽になった様子で、「台風はどうなった?気を付けろよ」と兄から心配される。

 今日は車を大手通りの地下駐車場に泊まりで預け、長岡駅から信越線に乗って実家に泊めて貰う。実家の台所でNさん、ボンちゃんと一緒にテレビの台風中継を観ながら歓談する。
2017年9月18日(月)曇り
おやじ山の秋2017(日本海)
 台風18号は午前3時佐渡沖を通過。幸いにして雨・風とも比較的穏やかでホッと胸を撫で下ろす。
 実家を後にして大手通り地下駐車場から車を出し、石地海岸の雪割草の湯に行く。台風通過後の日本海を見てみたかったからでもある。真っ赤な夕陽が沈む穏やかな日本海も好きだが、今日のような激しく怒り荒ぶる日本海もまた、俺は好きである。
 キャンプ場に帰り、麓のNさんに手伝ってもらいながら再びテントを設営する。

 今日はFちゃんからのLINEで「お父さん、ウチに帰ると言いました。痰を自分で切る練習をして、車椅子に乗せて帰らせます。絶対実現させます!」と一途なメールだった。次兄にも連絡し、奇跡がおきることを祈る。
2017年9月19日(火)晴れ
おやじ山の秋2017(イエスタディ・ワンス・モア)
 まさに台風一過の、大きく息を吸い込みたくなるような秋晴れになった。午前10時過ぎに兄の病院に行く。今日は比較的気分が良さそうで、タブレット端末でYouTube音楽を聴きたいという。

 いつもの懐かしの映画音楽を視聴し、クラシック音楽に耳を傾けながら、5階の病室の窓から見える弥彦や、黄金色に光る稲田や、真っ青な秋空にポッカリと浮かぶ白い雲などを眺めていた。
ふと見ると、窓の外のベランダの手すりに赤トンボが一匹、静かに止まっていた。
 それから、これも懐かしいカーペンターズのイエスタディ・ワンス・モアを兄と二人で聴いた。

When I was young
I'd listen to the radio
Waitin' for my favorite songs
When they played I'd sing along
It made me smile.

幼かった頃、
ラジオを聞いていた
大好きな曲を待ちながら
その曲が流れたら、一緒に歌って、
笑っていたの

Those were such happy times
And not so long ago
How I wondered where they'd gone
But they're back again
Just like a long lost friend
All the songs I loved so well.

とても幸せなときだった
遠い昔じゃないけど
どこに行ってしまったんだろうと思う
でも戻ってきた
古くからの友人のように
私の大好きな歌が

Every Sha-la-la-la
Every Wo-o-wo-o
Still shines
Every shing-a-ling-a-ling
That they're startin' to sing's
So fine.

どの「シャラララ」も
どの「ウォウウォウ」も
今も輝いてる
いつもの「シングアリング」も
歌い始めると
とても良いの

When they get to the part
Where he's breakin' her heart
It can really make me cry
Just like before
It's yesterday once more.

曲が流れて
彼が彼女に別れを告げるところになると
泣いてしまうの
昔と全く同じように
昨日をもう一度

Lookin' back on how it was
In years gone by
And the good times that I had
Makes today seem rather sad
So much has changed.

昔を振り返ったら
月日は流れていって
過去の楽しかった日々は
よりいっそう今の私を悲しくさせる
たくさんのことが変わっていってしまった

♪It was songs of love that
I would sing to then
And I'd memorize each word
Those old melodies
Still sound so good to me
As they melt the years away.

ラブソングだった
あのとき歌っていたのは
いまでもどの歌詞のフレーズも覚えてる
なつかしいメロディーは
今でも私に優しく響いて
過ぎ去った時間を溶かしていくの

Every Sha-la-la-la
Every Wo-o-wo-o
Still shines
Every shing-a-ling-a-ling
That they're startin' to sing's
So fine.

どの「シャラララ」も
どの「ウォウウォウ」も
今も輝いてる
いつもの「シングアリング」も
歌い始めると
とても良いの

♪All my best memories
Come back clearly to me
Some can even make me cry.
Just like before
It's yesterday once more.

全ての思い出たちが
はっきりと今私によみがえってくる
今でも私は泣いてしまうこともある
昔と全く同じように
昨日をもう一度


 いつの間にか涙が流れて、自分でも「あれッ?」と思ったが、兄に気付かれまいかと焦ってしまった。
2017年9月20日(水)朝晴れ~夜強風雨
おやじ山の秋2017(兄の誕生日)
 5時に起きてキャンプ場の空を見ると、今年初めて(?)のうろこ雲(いわし雲)が浮かんでいた。「ああ、秋だなあ~」と感じながらも、この雲が出ると天気が悪くなる、と聞いたことを思い出した。

 今日は兄の79歳の誕生日で、朝8時前に病院に行った。少し狡い感じはしたが、兄の意識を確認するために、「今日は誕生日だなあ~。幾つになったんだっけ?」と尋ねてみた。「ナナジュウ・キュウ歳!」兄は大きな声で答えた。どうした訳か、兄に「おめでとう」という言葉が憚られて、言うことが出来なかった。兄は頻りに「息が苦しい」と言う。「看護師さんを呼ぶ?」と訊くと、「呼ばんでいい」と答える。見ていて辛そうで可哀想だったが、病室を出た。エレベーターで1階まで下り、「さて、引き返そうか?」と迷い、病院の玄関まで歩いてまた迷ったが、そのまま病院を後にした。

 今日は彼岸の入りで、越後川口道の駅「あぐりの里」で墓参用の花束を買って実家に急ぐ。

 午後は長岡の森林インストラクターのMさんとの約束で、猿倉岳に案内してサルナシの実を採取した。Mさんが主催するイベントで果実酒を作る企画を立てたが、今年はサルナシの実だけが不作で採れないという。成るほど、俺のとっておきの穴場のサルナシも例年の半分の実付きもなかったが、Mさんは満足してくれたようだった。

 猿倉岳から帰って再び病院へ行く。病室には兄の病院の職員さん一同からの見舞いの花束が飾ってあった。
 夜は朝のうろこ雲の予兆通り、激しい風雨となった。
2017年9月21日(木)晴れ
おやじ山の秋2017(「気をつけてな」が・・・)
 昨晩からの暴風雨が明け方6時に止んだ。昨日は群馬県から来たという若い夫婦が、近くのテントサイトでキャンプをしていたが、こんな荒れた天気でも慣れた様子で、朝の炊事場で食事の準備をしていた。声を掛けて夫婦と話しているちに(奥さんは物凄い美人だった!)「ここのトイレはとても綺麗で気持ちがいいですね」と言う。なるほど二人は各地のキャンプ場を渡り歩いているベテランキャンパーで、他のキャンプ場と比較しての評価のようだった。日頃トイレ掃除の管理人さんには事の他感謝しているので、まるで自分が褒めらたように嬉しかった。それで「管理人さんが来たら是非そのことを話して欲しい」「それに、受付小屋の利用届の用紙にその事も書いて欲しい」と頼んだ。「はい」と奥さんが笑顔で頷いたのでうっとりしてしまった。

 天気は見る見る回復して、山に入る。そして刈払い機のエンジン音も高らかに、午前中はおやじ小屋周りの草刈り、午後からは山径の草刈りをした。途中にわか雨が来て、慌ててキャンプ場に戻り、天日干ししていたガラクタ類を取り込む。

 午後5時病院へ。兄とテレビの大相撲中継を観るが口がカサカサに乾いて辛そうである。しばらくしてNさんが来て、3人で一緒にテレビを観ていたが途中でスイッチを切った。Nさんと交替しての帰り際、いつもの通り兄に向かって「帰るぞ」と声を掛けたが、いつもの通りの「気を付けてな」の兄の言葉が返ってこなかった。今日初めて事で、大いに寂し。(病院の窓から夕陽を見る→)

2017年9月23日(土)曇り
おやじ山の秋2017(定正院のブナ)
 今日は秋分の日「彼岸の中日」なので、墓参用の花を「あぐりの里」まで買い出しに行った。ここの花は、大束で豪華な上に僅か250円程の値段で、生産者には気の毒な気さえしてしまう。開店早々に花束をゲットして、店内の休憩室でタダの熱いお茶を啜りながら(ついでに試食用に置いてある漬物なども失敬して)昨日Sさんが差し入れて下さった大きなおにぎりを頬張りながら朝食を摂った。
 それから実家の菩提寺の託念寺に向かう。墓前に花を生け長い時間手を合わせた。おやじとお袋に兄のことを願ったのである。お参りを済ませて、いつものように境内の裏門から出、ガキの頃に兄弟3人で遊んだ遥か昔を思い出しながら信濃川の堤防を望む。


 キャンプ場に帰りテントの中でうたた寝をしているとSさん夫婦が訪ねて来た。以前森林インストラクターのMさんに案内されて定正院のブナを見学したことをご夫婦に伝えていたが、それを見に行った帰りだという。Sさんもそうだったが、俺もこんな近くに、しかも低地にブナの自然林があり、ましてや目通り周囲3.1メートルもある巨木が生えているとはビックリしてしまった。そこに偶然当のMさんもやって来て、定正院のブナ林の資料コピーを置いていってくれた。(実に貴重な資料で、後日「森のパンセ」で紹介します)

 夕方、病院に居るNさんに電話を入れ「今日は行かない」と連絡する。キャンプ場は久々に家族連れのキャンパーなどで賑わう。
 
2017年9月24日(日)晴れ
おやじ山の秋2017(ふるさと研究会)
 朝早く、Kさんが東京から駆け付けて来た。今日は蓬平町の中村さんが主催する「ふるさと研究会」(つまり棚田の稲刈りや稲架掛け体験)の当日で、昨年から森林調査の相棒(俺の上司)のKさんにも声を掛けて参加してもらっていた。

 9時に集合場所の蓬平集落センターに行くと、既に中村さんのお孫さん達やお手伝いの村の人達が集まっていた。早速軽トラに分乗して山路を走り、中村さんの棚田に向かう。

 今日は絶好の稲刈り日和で、せっせと黄金色に実った稲を手刈りしては藁で結わいて行く。何とKさんは中村さんが運転していた稲刈り機を借りて、あっという間に見事な運転を始めたのには舌を巻いてしまった。「運動神経抜群で、大したもんだいねえ」と、中村さんも感心しきりだった。
 田圃1枚を刈り取った後は稲束を稲架場に運び、今度は稲架掛けである。中村さんのお孫さんが稲束を投げ、梯子の上のKさんが受け取って稲架掛けするコンビは、見ていて何とも微笑ましい風景だった。

 昼食は集落センターに帰って、中村さんの奥さん手作りの豪華版だった。長岡名物ノッペやゼンマイ、車麩、鰊の煮付け、サラダ、豚汁、絶品のおにぎりなどがズラリと並んだ。

 「ふるさと研究会」の行事が終わってキャンプ場に戻り、Kさんを残して病院に行く。朝Nさんからの電話で、病室の兄が「昨日は孝雄が来なかったが」と何度も言ってたそうで、是非今日は病院に来て欲しいとの事だった。俺を案じてか心細かったのか・・・

 病院から帰り、Kさんと七輪の炭火で秋刀魚を焼いて食った。今年は秋刀魚が不漁だというが、やっぱりこの時期は、炭火に秋刀魚である。
2017年9月26日(火)
おやじ山の秋2017(生物多様性日本アワードに出席)
 今日は東京渋谷の国際連合大学・ウ・タント国際会議場で開催された、イオン環境財団主催「生物多様性日本アワード」の授賞式に参加し、東大名誉教授の植物学者、岩槻邦男先生の記念講演を拝聴した。当財団から本授賞式に招待を受けた「猿倉緑の森の会」の中村代表の代理として出席させてもらったのである。

 優秀賞5件の中に、かって東日本大震災復興支援のボランティア活動で延べ20日程滞在したことがある宮城県南三陸町の漁業協同組合が選ばれており、戸倉出張所の阿部所長さんとも親しくお話しさせていただいた。(授賞プロジェクト名:国際養殖認証の取得を通じた持続可能で高品質なマガキの養殖生産)
 岩槻先生の「生物多様性と人~持続的利用を考える」と題した講演では、今まで漠然と持っていた知識が体系化された形で収得されて大いに勉強になった。

2017年9月29日(金)晴れ
おやじ山の秋2017(森林インストラクター集う)
 東京からのトンボ返りで自宅に寄ってカミさんを連れて長岡に帰り、今日は神奈川県からおやじ山の仲間の森林インストラクター、Sさん、Tさんが昼の新幹線で来岡し、夜9時過ぎには仕事を終えたNさんもキャンプ場に合流した。10月1日に蓬平町の「猿倉緑の森の会」主催の「天空のブナ林秋のトレッキング」イベントがあり、今日集まった皆さんに参加者のグループリーダーをお願いしていた。恒例になったこのイベントも年々盛況となり、今回も70名程の市民の申し込みがあったと聞いている。(実際はスタッフも含め130名の大盛況となった)

 「明日は猿倉岳の下見だからほどほどにしようね」などと昼間は約束したものの、長岡のSさんからは銘酒一升瓶のご提供、麓の村のNさんからは手造り胡麻豆腐の差し入れなどがあって、賑やかに盛り上がってしまった。
(さて、今日は病院で主治医のⅠ先生とNさんを含めた家族との面談があった筈だが・・・)
2017年9月30日(土)晴れ~曇り
おやじ山の秋2017(会話途絶える)
 午前11時に昨日集まった皆でキャンプ場を出発。先ず途中の定正院のブナ林に案内する。皆野菜畑に隣接したこんな低地に巨大ブナが自生していることにビックリする。

 猿倉岳の下見を終えてキャンプ場に戻り、しばらくしてNさんから電話が入った。午後5時病院に駆けつけると兄は酸素マスクを装着して苦しげに息をしている。(酸素量7)「兄貴!」「お父さん!」と呼びかけても意識はあるようだが、返事がない。兄はもはや喋ること出来ず、この日で兄との会話途絶える。