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おやじ山の春2015

2015年5月5日(火)曇り
おやじ山の春2015(息子たちの休日)
 4月30日におやじ山から一時帰宅し、5月2日の未明に、カミさんと息子、そして孫の承太郎を車に乗せて再びおやじ山に戻ってきた。麓のキャンプ場に着いて荷物を下ろし、早速息子たちと一緒にいつもお世話になっているSさんのお宅にご挨拶に伺った。

 Sさん宅では大きなビーチパラソルが開いた庭のテーブルに招かれて、いつも通りのご馳走攻めにあったが、庭のどこやらに隠してあるスピーカーから録音した野鳥の鳴き声が流れてきたりして、Sさんらしく息子や孫たちを喜ばせてくれた。

 そして大型連休初日のこの日は、森林インストラクター仲間のNさん、娘と友達のSさんが神奈川から、そして信州からOさん、更に現役時代にOさんと職場で一緒だったTさんが群馬県からと、キャンプ場が一気に賑わった。

 翌3日には息子と承太郎を小屋向かいの山菜山に連れて行った。ちょっと見ないうちに孫の体力は見違えるほどで、急な斜面をものともせずに這い上がったり、ワラビしか知らなかった山菜も、フキ、ウド、ゼンマイ、シオデ(ヤマアスパラ)と、教えるあとからどんどん一人で採りはじめるのである。おじいちゃんにとっては、これが嬉しくて嬉しくて、思わず目頭が熱くなったりして・・・。



 そして翌4日には、皆で小千谷の山本山に登り、Nさんが紹介してくれた木沢里山食堂で昼食を摂り、川口温泉で一休みしてから、娘とSさんの車を見送った。


 すでにOさん、Tさんもキャンプ場を去って、今日の未明にNさんの車もキャンプ場を離れた。そして息子と承太郎も、今日の午後6時の新幹線で帰ることになっていた。

 息子は孫と一緒に近くのスキー場のゲレンデに設置されたボブスレーに乗って遊んだあと、孫の手を引いてゲレンデ脇の草原に行き、二人しゃがんでワラビを採りはじめた。

 そんな姿を見届けてから、俺は一人でおやじ山に入った。そして午後3時にキャンプ場に戻り、息子に帰り支度をさせて長岡の街に下りた。時間は少し早いが、息子たちとの最後の晩餐である。

 食事が済んで、息子は「ここは自分が払う」と財布を手にとったが、カミさんは「この店は二人でよく来る店で(そんなことはないんだけど)、ポイントがつく店だから」と変に頑張っていた。(それにしてもカミさんの財布の中には、長岡市内のスーパーや飲食店、コンビニ、風呂屋、コインランドリー、美容院、etc・・・と、もう二度と行かないような店のポイントカードまで貰って、カードだけでぎっしりなのである)

 カミさんと二人で入場券を買って、新幹線のホームで息子たちの列車を待った。息子とふざけていた承太郎も、新幹線がホームに入ってくると息子に促されて俄かに神妙な口調で「おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとうございました」と言った。「お父さん、山菜採り、楽しかった。お母さん、ありがとう」息子はニコニコと笑いながら、孫の手を引いて新幹線に乗り込んだ。
2015年5月6日(水)晴れ、夏日となる
おやじ山の春2015(早春の猿倉岳)
 今日はカミさんと一緒に、9日(土)実施の「猿倉岳天空のブナ林スノートレッキング」の下見に行った。ブナ林を整備している地元蓬平町の「猿倉緑の森の会」のメンバーが、イベントに向けての登山道の整備をする日でもあるので、挨拶を兼ねての山登りだった。


 天空のブナ林に着くと、会の人たちは既に作業を終えて、俺とカミさんをニコニコと出迎えてくれた。会の代表のNさんとちょっとした立ち話の打ち合わせを済ませてから、メンバーと別れてブナ林をぐるり一周する。全く目に刺さるようなブナの新緑と眩い残雪の白さとのコントラストが実に見事で、思わず感嘆の溜息が漏れてしまう。


 その昔、多分実生での森の更新をはかるために伐らずに残したブナの大木が何本かあって、太さを直径巻尺で測ったり、カミさんを巨木の脇に立たせて太さの目安とする写真を撮ったりした。


 午後2時過ぎに麓に下りて、Nさんのご自宅にお邪魔した。お茶やコーヒーで接待されて、帰りには奥さんが揚げてくれた山菜天ぷらをどっさりお土産にいただいてキャンプ場に帰った。
2015年5月9日(土)曇り~雨
おやじ山の春2015(天空のブナ林スノートレッキングと守門岳登山前夜祭の顚末)
 猿倉岳天空のブナ林スノートレッキングのイベント当日である。2日前に神奈川から高速バスでSさんが駆けつけ、そして昨日は新幹線でKさんも合流して、力強いリーダー仲間が揃った。

 午前7時に3人でキャンプ場を出発して、受付場所の蓬平集落センターに向かった。続々と今日の参加者が集まり、午前8時半の開会式では、長岡市民47名、蓬平町民10名、そして地元の太田小中学校の生徒10数名の、何と!合計70名ほどの参加者が顔を揃えた。

 先頭のA班が自分で、B班がKさん、C班をSさんが引率して猿倉岳山頂を目指して出発した。今にも雨が降りそうな空模様だったが、何とか山頂に着くまでは持ちこたえた。そしてブナ林に入るなりついに空が泣き出して、生憎の雨の中の帰還となった。
 
 しかし参加者が辿り着いた蓬平集落センターでは、素晴らしいご馳走が待っていた。地元のおかみさん達が腕によりをかけて用意した山菜天ぷら、ウルイとコゴミのゴマ和え、ウドの煮物、ワラビのお浸し、長岡名物しょうゆ赤飯、特A米のコシヒカリで握ったおむすび、手打ちそば、豚汁、各種漬物と、どっさりテーブルに手づくり料理が並んだ。

 そして帰りには、有難くも残った料理をお土産に包んでいただき、これは今夜の宴会用である。というのは、明日は森林インストラクターの有志で守門岳登山を企画していて、そのためにKAさん、Yさん、YOさんが遥々神奈川県からやってきて長岡のホテルで待機していたのである。

 ホテルの待機組3人もキャンプ場に呼び寄せ、キッチンテントの中で賑やかな前夜祭が始まった。何しろインストラクター仲間きっての酒豪揃いである。恐ろしいほどのピッチで酒が進み、KAさんがやおら懐に忍ばせていた三橋美智也の歌詞を取り出して唄い出し、その歌に合わせYOさんがテントの外に飛び出して、奇妙な蛸踊りを始めた。


 越後長岡おやじ山の夜は、こうして無頼の徒による三橋美智也のダミ声と手拍子の喧噪に包まれ、キッチンテントからは虹色の吐息が
闇夜に立ち昇って、日頃の慎ましやかなイメージを一変させたのである。
2015年5月10日(日)曇り~晴れ
おやじ山の春2015(守門岳登山顚末記)
 今日は新潟県内で山岳ガイドをしている次兄に案内を頼んで、神奈川の森林インストラクター5人で、いまだ雪深い越後の名峰守門岳(1538m)登山を敢行する日である。
 しかし、朝から何故か胸騒ぎがした。

 約束の午前5時45分、長岡市内に宿をとったYさん、YOさんを車で迎えに行くと、Yさんはホテルのロビーで手を挙げて待っていたが、YOさんがいつまで経っても現れない。「どうしちゃったんだろう?YOさん、昨日の踊りでエネルギー使い果たしたのかねえ」「椅子からひっくり返ったりもしたね」などとYさんと話していると、ようやくYOさんがエレベーターから出てきた。「・・・!」目が腫れて、お岩さんの顔である。
 二人を車に乗せてキャンプ場に戻ると、次兄も新潟から到着していて皆でキッチンテントの中でお茶を飲んでいた。と、KAさんを見ると、昨晩のリキュールがまだ効いている様子で、またもや三橋美智也の紙切れを開いてダミ声で喉をふるわせていた。

 6時20分、次兄に促されて皆椅子から腰を上げて、キャンプ場を出発する。そして栃尾の町を走り抜け、二口登山口の2キロ程手前で雪に阻まれて、ここからの歩きとなった。
 20分ほどで二口登山口の入り口に着き、石のベンチに座ってコンビニで買った弁当で朝食を摂った。そしていよいよ守門山頂に向けての山登り開始である。

 ものの10分か15分ほど歩いてからだろうか。最後尾についた俺の前を歩くKAさんが、トップの次兄に声を掛けた。「すいませ~ん。もう少しゆっくり歩いて下さ~い」「は~い了解。ここで一息いれましょう」と早くも小休止である。
 そして今度はKAさんは「俺、前に行く」と、トップの次兄から2番手について再び歩き始めたが、突如「もう、ダメだあ~」と一声を発してバタンと倒れた。皆呆気にとられてKAさんを覗き込むと、ハアハア喘いでびっしょりの汗である。次兄はここで再び休みをとろうと言ったが、KAさんの様子をみて観念した。俺はKAさんをここで休ませてから二人で下山するので、皆さんは次兄と一緒に予定通り登山を続けるようにと告げた。

「スミマセン」とKAさん。
「普段あまり動いてなくて、山に来て急に身体を使ったからでしょう。よくあるこってす」
「いや、昨晩の酒のせいです。呑み過ぎました」
「楽しかったからね」
「情けない・・・」KAさんはペタリと登山道に尻餅をついたまま、白い顔でうなだれていた。

 真水の他に持参したスポーツドリンクをKAさんに飲ませながら、登山道に腰を下ろして二人でいろんな四方山話しをした。KAさんの仕事のこと、転勤で過ごした地方都市のこと、今まで登った山の話、そしてつい、「ここから少し登ると開けた場所があって、そこのブナ林は見事ですよ」と言ってしまった。「そこまで私を連れて行ってくれませんか」KAさんが言った。

 全くそこは幽玄の世界だった。鮮やかなブナの緑が、深山に降り積もった無垢の雪の中から生き生きと萌え出て、たおやかに葉を広げている。ブナの新芽の苞が散りばめられた残雪の上にKAさんは腰を下ろして、「綺麗だなあ~」「綺麗だなあ~」と何度も感嘆の声を上げていた。


 二口登山口まで下りて、KAさんは「カカァに土産でも・・・」と、雪融けあとの道端に生えているフキノトウを採り始めた。俺も手伝って採ってはKAさんに手渡していたが、先に進むにつれて夥しいフキノトウの数である。今度は自分用にとビニール袋を取り出して収穫に励んだ。


 二人でキャンプ場に戻ってしばらくすると、次兄の車もメンバーを連れて帰ってきた。「イカン!また、体調不良者が出たか!」と思いきや、「先の斜面が凄い雪で、トラバースするには危険過ぎて引き返した」という。残念な結果ではあるが、安全第一、まあこれで良しとしなければなるまい。

 守門岳には及びもつかないが、神奈川からの客人たちを山本山に案内し、山頂の展望台から恨みの守門岳や白く輝く越後三山を遠望し、越後川口道の駅「あぐりの里」に寄って買い物を楽しんで貰った。そして午後3時過ぎ、Kさん、Yさん、YOさん、そしてKAさんら4人の守門岳アタック隊を長岡駅で見送ったのである。