<<前のページ|次のページ>>
最後のページは<4月30日>     

おやじ山の春2015

2015年4月8日(水)赤城高原~湯沢雪、長岡曇り
おやじ山の春2015(山入り)
 午前3時に自宅を出発して、、嬉しいことに今春自宅近くまで開通した圏央道から鶴ヶ島JCT~関越道経由でおやじ山に向かった。
 赤城高原まで走って、雨が雪に変わった。関越トンネルまでの長い坂道は路面が吹雪で白くなって、いつ交通規制がかかってもおかしくない道路事情である。タイヤチェーン装備の道路表示が出たが、俺の車はノーマルタイヤで、こんな時期にチェーンなど持ち合わせていない。ヒヤヒヤしながら何とか「国境の長いトンネル」に突入した。トンネルを出て、土樽PAの中に強制迂回させられたが、未明の時刻で幸い監視員は不在。そのまま吹雪舞う上越の坂を湯沢へと慎重に下った。

 8時半にSさん宅に寄りご挨拶し、それからJR長岡駅で、5月の大型連休に息子と孫がおやじ山に来た時のために頼んでおいた新幹線指定席券を受け取る。そして車をおやじ山の麓のスキーロッジの駐車場に入れて、大型リュックを担いで長岡東山ファミリーランド自然観察林の作業道を登った。
 山道の所々に吹き溜まりの雪が大分残っていて、本格的な春はまだまだ先の気配である。それでも作業道脇のオオヤマザクラは、僅かに蕾を綻ばせて、おやじ小屋に向かう山道では、純白のタムシバの花が楚々と開き始めていた。

 正午少し回っておやじ小屋に入る。リュックを下ろして早速小屋周りを歩いてみる。おやじ池のクロサンショウウオの卵のうが随分増えて、下の池ではミズバショウの花が白く咲き出していた。まだ薄く雪の残っているカタクリの斜面では、赤紫色にツンと頭を出した新芽が、斜面いっぱいに拡がって、わくわくと胸弾む思いだった。


 夜、フクロウが小屋の真上で鳴いた。俺に挨拶しに来たのだろうか。
2015年4月12日(日)晴れ
おやじ山の春2015(ギフチョウ初見とフクロウの巣箱入り)
 山に来てから、ようやく体が馴染んできた。初日は、小屋の窓から差し込む月明かりで目を覚まして、「あれ?もう朝かぁ~」と勘違いして起きたら、午前2時半だった。それにしても煌々とした凄い月だった。

 そして今朝の、午前3時頃に見た下弦の月も、全く惚れ惚れとする美しさだった。昨日来の雨が上がり、澄み切った夜空に、何やら妖艶ともいえる眩しさで光を放っていた。

 それから一眠りして、午前6時に起きた。小屋の戸を開けて外に出ると、清冽な朝靄が立ち込める杉林を突き抜けて、目覚めたばかりの朝日がおやじ小屋に届いていた。「よ~し!今日から働くぞ~!」と、思わず本格始動の気合が入るのである。

 午前中、今年はビッシリ新芽を出したカタクリ斜面の倒木や枯れ枝の整理。それから小屋周りとおやじ山の入り口までの枯れ枝と倒木の片付け。さらに雪融け水が溢れたミズバショウ池からブナ幼樹の植林地の排水溝掘り。
 午後になって、おやじ山から自然観察林のブナ平分岐までの山道の整備。今年は重く湿った雪質で、例年を遥かに凌ぐ荒れ様である。コナラの大木が倒れてドンと道を塞ぎ、硬いアズキナシの木まで枝が折れて頭上に垂れ下った。

 しかし今日のこの陽気で、春の女神ギフチョウの今年の嬉しい初見だった。1頭、2頭と数えて、5頭まで数が増えた。
 さらに、仕事を終えた夕方6時過ぎ、小屋下のホオノキの大木に掛けてある巣箱にフクロウが入る姿を見た。今年もフクロウの子育てが始まったかと、嬉しくて「バンザ~イ!」と(心の中で)叫んでしまった。

                        
昨年みよけたフクロウ(2014年5月24日撮影)
2015年4月13日(月)曇り~雨
おやじ山の春2015(山菜山に入る)
 初めて気が付いたが、フクロウは明るくなっても鳴くのである。今日の午前中と昼頃、若杉の森で、小さく「ホ~、ホ~ッ」と鳴いた。多分、昼間は杉林に留まっているオスである。巣箱の中にいるメスに「愛してるよ~」と気弱く伝えているのか、夜のエサ運びで疲れ果てて寝言を言っているのか、よく分からない。

 ラジオの天気予報が「雨になる」と報じているので、午前中は朝飯抜きで働いた。11時まで中の小川の整備。水路の枯葉を掬い取ったりシャベルで土砂を上げたりした。流れにクロサンショウウオが居たりして、痛めないようにして気が抜けない作業だった。

 そして11時からは、小屋向かいの山菜山に入った。今年初めての山菜取りである。雪融け直後の斜面には、顔を出したばかりの真っ黄色のフキノトウが生え、青くみずみずしいコゴミが群生して、嬉しい初物の収穫である。さらにスミレサイシンやオオバキスミレが美しく咲き誇って、雪国の春を呼んでいるようだった。


 午後、下山して近くの風呂に入り、初物の収穫を山菜好きのKさんとTさんに宅配便で送る。長岡の町はソメイヨシノが満開だった。
2015年4月14日(火)曇り、夕方雨
おやじ山の春2015(再び山菜山へ)
 午前中は腐葉土置き場の修復作業。それに今週の土日開催の「おやじ山カタクリ観賞会」イベントのために、若杉の森最上段のコゴミ畑からカタクリ斜面に上がるための梯子作り。

 午後は、再び山菜山に入って、今度は自分用のフキノトウとコゴミを採る。夕飯のおかずは、もちろんフキノトウとコゴミの天ぷら。旨かった!
2015年4月16日(木)晴れ
おやじ山の春2015(木沢の「やまぼうし」)
 昨日、今日と山を下りて、今週の土、日開催の「雪国越後の山菜料理(地酒付き)とカタクリ観賞会」イベントの準備をした。募集したらアッという間に20名を越える応募があったが、最終的には「あっちが病気で・・・」「こっちが痛くて・・・」と高齢者特有のキャンセルが出て17名になった。しかし、多くの参加者を得て嬉しい限りである。

 昨日は、長岡の街で初日の宴会(前夜祭)用の酒の買い出し(何しろ<地酒付き>のフレーズだけに惹かれて参加する人もいるので、銘柄選びと一升瓶何本買うかで随分悩んでしまった)、そして今日は、初日の宿泊先、越後川口の木沢集落(新潟県中越地震の震央地)にある「やまぼうし」の下見である。

 今日は春の陽射しがポカポカと暖かく、途中の山道では、南の国から渡ってきたサシバが上空を旋回し、目に刺さるほどのキタコブシの白さや満開となったオオヤマザクラの淡紅色に目を細めながら、一人ではもったいないほどの長閑な風景の中をのんびりと下山した。


 越後川口の道の駅「あぐりの里」でちょっとした買い物をし、イベント初日のスケジュールにある川口温泉に浸かり、フロントで団体割引の打ち合わせもして、約束の午後1時に「やまぼうし」に行った。管理人のHさんが玄関で出迎えて下さり、山の暮らし再生機構のSさんも駆けつけてくれて、食堂で1時間ばかり談笑に耽った。「やまぼうし」は中越地震の翌年に閉校となった元木沢小学校を利用した交流・宿泊施設だが、中は綺麗に改装されて、予想を遥かに超えた素晴らしい施設だった。

 帰途、今回参加のSさんの顔が浮かんで(呑みっぷりが頭をよぎって?)、俄かに心配になって更に村上の銘酒「〆張鶴」を1本追加購入した。単純計算では、これで一人当たり4合超飲む勘定になるが、本当だろうか?


(結局、宴会用に用意した酒は次の7本(7升)である。朝日酒造の「久保田 千寿」2本、「朝日山千寿盃」1本、八海醸造の「八海山(特別本醸造)」1本、塩沢の隠れた銘酒「鶴齢(本醸造)」2本、そして「〆張鶴(月)」1本。どうだ!!)
2015年4月18日(土)晴れ
おやじ山の春2015(カタクリ観賞会1日目-木沢にて)
 晴れた!快晴の朝である。良かった! いよいよ今日は「おやじ山カタクリ観賞会」初日。(と言っても本番は明日で、今日は前夜祭) 神奈川から森林インストラクター17名を迎える日である。昨晩は酒(の量)も控えて、体調は万全である。

 朝、目を覚まして、早速明日客人たちを案内するカタクリの斜面を点検に行く。まさにドンピシャリの開花加減で思わず顔がほころんでしまう。

 8時半、小屋を閉めて下山。ギフチョウが舞う山道を下ると、途中で顔見知りの野鳥観察の女性と男性に会う。二人とも大きな望遠レンズをつけたカメラを三脚に据えて、いつも熱心にこの辺りで観察を続けているのである。「おはようございます!」と声を掛けて、今朝のルリビタキの情報を聞いたり、おやじ山のフクロウの事を話したりして、しばしバードウォッチ談義である。

 午前10時半、新幹線でやって来たTさん夫婦を長岡駅で出迎え、今日の集合場所、「やまぼうし」に向かう。途中越後川口道の駅「あぐりの里」に立ち寄って弁当を買い、木沢集落手前の眺めの良い場所に車を停めて、道端に3人並んで座って昼食をとった。

 「やまぼうし」に次々と参加者の車が着き、管理人のHさん、山の暮らし再生機構のSさんらにニコニコと出迎えられてから、HOさんの案内で近くのブナ林を見学した。まだ雪が多く残る林の中に入って、目にも鮮やかなブナの新緑に一同感嘆の声を上げたのである。Tさんの奥さんなどは、ブナにすっかり魅せられて、感動のあまり木に抱き付いてしまった。


 そしていよいよ待ちに待った宴会(前夜祭)が始まった。木沢の母ちゃんたちが腕によりをかけた山菜料理が並び、俺が選りすぐった越後の銘酒がズラリ並び、さらに宴会中のアトラクションにと用意したビンゴゲームの景品用の四合瓶を飾って、座は一気に胸苦しいほどの熱気に包まれたのである。
 宴会が盛り上がる中、地元木沢里山食堂の亭主Hさんが差し入れを持って座に加わり、ブナ林を案内してくれたHOさんが自家製どぶろくを置いて行ってくれた。(キリリと冷えた絶品のどぶろくだった)
 こうして、いまだ雪深い越後木沢での夜が、楽しく賑やかに更けていったのである。
2015年4月19日(日)晴れ~曇り~雨
おやじ山の春2015(カタクリ観賞会)
 午前8時半、「やまぼうし」の玄関で皆揃って記念撮影。里山食堂のHさんも別れの挨拶に来て下さり、木沢の人達に手を振られて「やまぼうし」を後にした。

 午前9時半、長岡東山ファミリーランドに着く。今日は長岡在住の森林インストラクターMさんのグループの活動日で、同じインストラクター仲間の参加者たちをMさんに紹介する。

 そして自然観察林の沿道の草花をゆっくり観察しながらおやじ山を目指した。11時過ぎ、おやじ小屋に着いて、早速カタクリの斜面に皆さんを案内した。「ワ~ッ!」と歓声が上がり、斜面いっぱいに咲くピンクの花々に屈み込んではカメラのシャッターを切り始めた。

 昼食は「やまぼうし」で作ってもらった豪華な弁当である。各々がおやじ小屋の前で弁当を広げ、カタクリ談義に花が咲いたのである。

 皆さんにコゴミを採ってもらったり、ミズバショウの池まで案内したりしてから、午後1時に山を下った。そして午後2時、スキーロッジの駐車場から1台、また1台と出てゆく仲間達の車に、手を振って見送った。

 ポツポツと雨が降り出した。こらえ切れずの涙雨である。誰もいなくなった駐車場を出て、雨に打たれながらおやじ小屋に戻った。そしてストーブに火を点け、一升瓶を手に酒を呑み始めた。

  (後日、昨年今年と連続して参加して下さったSさんから、おやじ山で詠んだという短歌が届いた。Sさんはある短歌会に所属する歌人で、その会報に掲載された投句のコピーである。「おやじ山探訪」と題して昨年届いた1句は、次のようなものだった。

   友なくば泣いて暮らすと山主は 肩をいだきて別れを告ぐる

 そして「おやじ山再訪」と題した今年の句は、

   片栗の花は野に満つ 寛容の生き方教ふ仙人老いず
   春山に集いし友のよろこびは 岐阜蝶乱舞と片栗の花

 有難し。俺にはもったいない句である。)
2015年4月20日(月)南西の風強く夕方から本降りの雨
おやじ山の春2015(カスミザクラ開花)
 朝から小雨がパラつき、時折南西の強風が吹く。春の兆しである。おやじ小屋の前の斜面に、樹齢が優に100年は超えると思われるカスミザクラが2本あったが、今冬の雪で1本が根元から倒れ、もう1本が今日開花した。
 そして昨年5月に長岡の街で開催された緑化フェスティバルで買って山に地植えした雪割草が、美しく咲いた。
 
 昨日のカタクリ観賞会の余韻に浸る訳ではないが、カタクリ斜面に行ってみた。昨年もそうだったが、精一杯の役目を終えて、すでに早咲きのカタクリ群落が、今日の雨に打たれて萎み始めていた。まさに昨日が花のピークだったおやじ山のカタクリたちだった。


 夕方から雨になった。森林調査で宮崎に行った折、相棒のKさんを真似て道の駅で買った切り干し大根を使って、その袋の中に入っていたレシピ通りに料理を作ってみた。実にうまくできた。ひょっとしたら、俺はその道の天才かもしれない。雨降りの時、狭い小屋のなかでやれるのは、せいぜいこんなことぐらいである。
 
2015年4月21日(火)朝雨~曇り
おやじ山の春2015(Kさんご夫婦の来山)
 昨夕からの雨が一晩中続いた。雨が降るとフクロウの鳴き声も弱々しく聞こえて、何やら物悲しい気分になる。
 そして今日は、遥々伊豆から高校時代の同級生Kさんとご主人が山菜採りにやって来る日である。ご主人の郷里も越後長岡である。
 確かKさんはある時期までは「晴れ女」の筈だった。しかし、Kさんも寄る年波には勝てず、近年はその念力もすっかり衰えて、いつもおやじ山に来る時は雨になってしまうのである。「トホホッ・・・」

 午前9時、山から下りてスキーロッジの駐車場で待っていると、「おっはよう~!」と、俺の嘆きも何のその、Kさんご夫婦がニコニコとやってきた。そして「はい、これ」と伊豆から運んできたどっしり重たいミカンやら手作り料理のお土産を俺に手渡して、いそいそと雨合羽に身を固め、鼻息荒く山道を登り始めるのである。

 この時期の山菜はせいぜいコゴミくらいだが、足場の悪い中、二人でそこそこ収穫して小屋に戻ってきた。
 Kさんが持ってきてくれた昼食を小屋の中で食べながらひとしきり談笑し、3人で山を下った。そしてまたスキーロッジの駐車場でご夫婦を見送ったのである。

 作業道を登っておやじ小屋に帰る途中、オオルリの姿を初めて見た。以前は頻繁に目にし、ここ数年は殆ど見かけなかっただけに、嬉しかった。

 そして昨日と今日の雨で、山が一気に色付いたのが分かった。まだ「山笑う」程ではないが、「微笑む」感じには緑が萌えたようである。
2015年4月22日(水)晴れ~曇り
おやじ山の春2015(今冬の雪の重さ)
 朝のラジオで、長岡にある「雪氷防災研究センター」が、長岡で観測した今冬の雪の重さは、1立方メートル当たり最大で500kg、これは過去20年で最大値を記録した、と発表した。「どおりで」と合点がいったが、豪雪とはいえなかった今年の雪で、一抱え以上もあるおやじ山の大木(カスミザクラとコナラ)が2本倒れ、山道の荒れ様も例年以上にひどかった。毎年4月第3週の土曜日にオープンする麓のキャンプ場も、今年の開業は連休直前になるという。

 今日は、来月9日に実施する「猿倉岳スノートレッキング」の打ち合わせで蓬平に出掛けた。下山途中の山道では、一気に萌え出た木々の新緑やヒラヒラと舞うギフチョウの姿に、「ようやくこの山にも春が来たなあ~」とつくづく実感するのである。

 蓬平集落センターでの会議には、主催者の代表Nさんはじめ、猿倉緑の会のメンバー、蓬平温泉の女将さん、太田小中学校の先生、山の暮らし再生機構のAさんらが集まり、当日のスケジュールや役割を確認したが、このイベントも年々盛況となって、何と今年の参加者は70名近くになるという。まさに「継続は力なり」。地元の皆さんの努力には頭が下がる思いである。

 Nさんから、地酒と自家製フキ味噌を頂戴して山に帰る。ありがたや。

2015年4月23日(木)晴れ
おやじ山の春2015(ゼンマイの初採りとKさんの来山)
 朝5時、小屋向かいの山菜山でゼンマイ採りをする。今年のゼンマイの初収穫である。
 一通り摘んでから山菜山の斜面に腰を下ろして、おやじ小屋の前で満開となったカスミザクラを見下ろし、そのずっと奥に広がる長岡の街を眺めた。こんな時間が俺にとっては何とも言えない穏やかで心満たされる時なのだが、ふっと懐かしいおやじの顔を思い出す瞬間でもある。

 今日は山菜山の斜面で、珍しい白花のスミレサイシンを見つけた。(普通は紫色)さらに小屋に戻るとおやじ池の縁に金毛のテンがいた。夜行性で警戒心が強いテンをこんな間近で見たのは初めてである。
 
 午前中は今朝収穫したゼンマイを茹でて干し、正午近くに東京からやってくるKさんを迎えに山を下りた。Kさんは全国の森林調査でお世話になっている相棒で、前回の秋の来山に続いてお誘いしていたのである。


 そして夕食は、小屋の外のデッキで、今日採ったコゴミ、フキノトウ、ホダ木で摘んだ椎茸を天ぷらに揚げ、名物小嶋屋のそばを茹で、目の前で豪華絢爛と咲き誇るカスミザクラも肴にして、Kさんとの楽しい宴会となったのである。


2015年4月24日(金)晴れ、夏日となる
おやじ山の春2015(サクラのホダ木作り)
 朝はKさんと一緒に山菜山に入って、Kさんのお土産用にコゴミを採り、それからKさんに手伝ってもらって、この冬倒れたカスミザクラの枝をチェーンソーで伐り落として、ナメコのホダ木作りをした。
 何しろ幹の根元の太さは80cm程の大木で、枝といっても直径は30cmはあるごつい枝である。更に幹の上に乗っての高所作業で、二人ともヘルメットをしっかり被って慎重を期した。そして幹から伐り落とした枝を1m程の長さに玉伐っては、Kさんに小屋の脇まで担ぎ上げて貰うのである。今日はまるで真夏の暑さで、馬力のある若いKさんが居なかったらとてもできる仕事ではなかった。Kさんは学生時代剣道の代表選手で、そんなKさんでも、「今朝はいつもやってる(木刀の)素振りをしなくて良かったです。あれやってたら、この作業でへばってましたね」と苦笑いしていた。お蔭で、昼までに30本ほどの立派なホダ木が出来た。


 そして午後2時過ぎ、Kさんは「とても面白かったです」と言い残して、飛鳥の如くにおやじ山を去って行った。

 Kさんを麓で見送ってから山に帰り、デッキに一升瓶を立てて、一人、夕陽に照り映えるサクラを観ながら酒を呑んだ。なぜかポロポロと涙がこぼれ落ちたが、独り占めのカスミザクラがあまりに美しかったせいかもしれない?
 

 携帯電話が鳴って、長岡のSさんからだった。この電話も、有難くて、有難くて・・・もう、泣けてくるのである。

 さまざまなこと思い出す桜かな  (芭蕉)

2015年4月26日(日)晴れ
おやじ山の春2015(ナメコの種駒打ち)
 昨日は街に下りて、Sさん宅にお寄りしてからホームセンターに行き、かねてから目星をつけておいた「椎茸ドリル」と「発電機」を買った。これで「きのこ屋」になる第一歩を踏み出した訳である。しかし一昨年は、伊豆のKさんに作っていただいたミツバチの巣箱をおやじ山に設置し、俄かに「養蜂業」を宣言したが、数匹ミツバチが穴から出入りしたものの、いつの間にか消えてしまった。

 そして今日は、昨日信州からやってきたOさんに手伝ってもらって、真新しい発電機と椎茸ドリルを存分に駆使して、何と1,000個のナメコの種駒をホダ木に接種した(ホダ木26本)。俺が椎茸ドリルで「ブンブン」とホダ木に穴を開け、Oさんがその穴に、トンカチで「トントントン」と種駒を打ち込むのだが、1,000駒を打ち終わった後でOさんは、「おれは単純作業に向いている男だと、今日初めて分かった」と、しみじみ呟いた。Oさんは現役時代、天才と謳われたSE(システムエンジニア)だった。

 Oさんもやって来たので、今日からの寝場所をおやじ山の麓の長岡市営キャンプ場に移した。そしてキャンプ場から見た夕陽の、何と美しかったことか・・・!
 今日も、ギフチョウが頻りに舞った。

  新潟県の木ユキツバキ  遠目にもわかるアカイタヤ 見晴らし広場からの長岡市 準絶滅危惧種ギフチョウ
2015年4月27日(月)晴れ、夏日となる
おやじ山の春2015(アンニンゴ)
 今日から山暮らしの拠点を市営キャンプ場に移す。
 午前中、大型のドームテントやキッチンテントを預かってもらっている市内のアウトドアーショップからテントを受け出して、Oさんに手伝って貰って2張を設営した。さらに、市内に出たついでにホームセンターに寄って、ナメコの種駒1,000個、椎茸の種駒1,000個を追加購入した。

 そして午後には山に戻り、倒れたカスミザクラの大木と再びチェーンソーを持って格闘し、ナメコ用のホダ木を更に20本以上作った。今日は目一杯体を使って、とことん消耗した。

 夕方、仕事を終えてキャンプ場に戻る途中の山道でウワミズザクラの蕾がちょうど良い具合に膨らんでいた。長岡ではウワミズザクラの花序を「アンニンゴ」と呼んで、蕾や花後の若い種子を塩水に漬けて酒の肴にするが、おやじはこの木を「アンニンゴの木」と呼んでいた。実家の庭にもおやじが植えて、今では随分大きくなっているが、おやじが大好きな木だった。  
2015年4月28日(火)晴れ
おやじ山の春2015(白い花の競演)
 朝6時、Oさんと一緒に山に「出勤」する。昨日までは気付かなかったが、アオダモの綿毛のような花が一気に開花した。昨年はほとんど花房を付けず、もともと清楚な感じで出しゃばるような花木ではないが、今日は新緑の森の中で存在感を際立たせている。

 さらに今日は、アズキナシやウワミズザクラ、例年ならこの時期とっくに花期が終わっているオオカメノキまでが、互いの咲き様を競い合うようにして豪華な花を付けている。越後では昔から「白い花が多く咲く年はコンキョ(越後弁で困窮の意)になる」(つまり、良くない年)と言い伝えられているが、こうも狂い咲きを目の当たりにすると、不安にもなる。


 今日からコナラの倒木を玉伐って椎茸のホダ木作りである。先ずは太いホダ木8本を作って、シイタケ菌500駒を接種した。
2015年4月29日(水)晴れ
おやじ山の春2015(白い花の競演Ⅱ)
 朝6時前におやじ小屋に出勤。向かいの山菜山に入ってゼンマイを採る。斜面にはサンカヨウが美しく咲いて、ホッと心が和むのである。
 一通り採り終わって小屋に戻り、携帯用の竈に薪をくべてゼンマイを茹でていると、「おはよう!」と新潟の次兄がニコニコと山に入って来た。まだ6時を少し回った時間である。「早いなあ~」と驚いて言うと、これからホオノキ平の下の沢で山菜採りだという。
 そしてしばらく経って、パンパンに膨らんだ山菜リュックを背負って戻ってきたが、やっぱりおやじ山を知り尽くしている次兄にはかなわない。

 次兄と別れて、入れ替わるようにOさんが山に来た。「山道の途中でお兄さんに会ったけど、物凄い量ですね。あれだけの山菜を、もうこの時間で採っちゃったんですか」とビックリしていた。

 Oさんと二人で椎茸のホダ木、更に20本ほど作って山を下りた。
 そして今日も、ウワミズザクラやタムシバの花の狂い咲きに目を奪われた。一体今年はどうなっちゃったのだろう。


   
狂い咲きになったタムシバ          そして  ウワミズザクラ
2015年4月30日(木)晴れ
おやじ山の春2015(一時帰宅)
 5月2日からの大型連休を控え、同じ藤沢に住む息子と孫、それにカミさんを迎えに一時帰宅することにした。朝5時半にキャンプ場を発って、神奈川に向かった。

(おやじ山の春2015「5月日記」に続く)