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2015年3月16日(月)曇
「南三陸町ボランティア感謝のつどい」に出席して
 一昨日午前3時に飛び起きて車で南三陸町に向かい、この日は志津川湾を見下ろす民宿に一泊。そして昨日、南三陸町ベイサイドアリーナで開催された「ボランティア感謝のつどい」に出席した。

 今年1月末に南三陸町から封書が届いて、中を開けてみると「東日本大震災から4年を迎え、『南三陸町災害ボランティアセンター』もこの3月末で閉鎖することになった。これを期に、いままで全国各地から駆けつけてくれたボランティアの皆さんに町民として感謝のイベントを開催するので、参加いただきたい」との主旨の案内である。
 俺が南三陸町へボランティアで行ったのは、一昨年に15日間、昨年は10日間の延べ25日間だったが、現地でいかほどの事ができたかは全く心もとない限りで、逆に、被災者の皆さんやボランティア仲間から元気を貰って帰ってきたようなものだった。それで今回も、やっぱり元気を貰いに、それと、南三陸町の復興がどれだけ進んでいるか、を確認するために参加することにした。

 イベントの開会は午前11時とあった。しかし戸倉にとった民宿を早めの午前8時過ぎには出て、会場に向かう。ベイサイドアリーナの玄関前の広場には沢山のテントが張られて、昼食の準備やら出店の設営で皆さん大忙しである。アリーナの大駐車場に車を入れると、周りは、すでに前日からの車中泊と思しき様々な県ナンバーの車が停められていた。ぐるり回ってみると、首都圏はもちろん、大阪、京都、広島、そして宮崎、鹿児島ナンバーと、遠路マイカーを駆ってやってきた猛者連中の車が方々に停めてある。

 懐かしのボランティアセンターの大テントの前に行って写真を撮り、それから、北海道釧路のSさんと一緒にここでテントを張って二夏を過ごした児童公園に足を運んだ。
 この公園からすぐの高台に仮設住宅があって、いまだそこには町民が住んでいる様子だったが、一昨年、ここでテントを張っていた時に、この仮設に住む若い奥さんが、おにぎり8個も差し入れに持って来てくれたことを思い出して、涙ぐんでしまった。
 昨年来た時にはまだ更地のままだった公園と道路向かいにある災害復興住宅の敷地は、ようやく建屋の建設が始まった様子だった。昨日、南三陸町に入った時に目にした志津川湾沿いのいまだ荒涼とした風景と合わせ、一体いつになったら、この町に住む人たちの本当の笑顔が見られるのだろうかと、ため息の出る思いだった。

 午前11時きっかりに、舞台の上にずらり並んだ大太鼓、普通の太鼓、小太鼓が勇壮に打ち鳴らされて、オープニングである。
 それから、社会福祉協議会の阿部会長や猪又事務局長のあいさつと報告があり、南三陸町長の感謝の辞に続いて、3名のボランティア代表が体験発表をした。最初に発表したIさんは瓦礫撤去でご一緒し、最後に発表したTさんとは、丸太をチェーンソーで刻んで「モアイ像」作りをしたライバルだった。

 アトラクションで、地元の小・中学生くらいの女子たちが「よさこい」を踊った。実は、俺はこの「よさこい踊り」なるものが大嫌いだった。伝統ある日本の民謡踊りをもじって、「ヤアッ!」だの「キャー!」などと大声で騒ぎながら躍る踊りに、おじさんは、とてもついて行けないのである。
 ところが!である。この女の子たちの「よさこい」には、全く打たれてしまった。
 若さが弾け、不屈の闘志が叫び、希望が燃え、未来が輝き、そして復興への祈りが・・・会場に響き渡ったのである。
 激しい踊りが終わって、一列に横並び、そして声を合わせて「ボランティアの皆さん!南三陸町のために、ありがとうございましたあ~!」と頭を下げられた時には、おじさん、思わず泣いちゃった。

 最後に「花は咲く」を、会場の参加者全員で合唱した。

 ♪真っ白な 雪道に 春風香る
  わたしには なつかしい
  あの町を 思い出す♪

  ・・・   
  ・・・

 ♪花は 花は 花は咲く
  いつか生まれる君に
  花は 花は 花は咲く
  わたしは何を残しただろう♪

 「わたしは何を残しただろう・・・?」 ここ、南三陸町では、4年前の大地震と津波で、町民の死者、行方不明者は760余名に上った。それらの人たちへの弔いの歌詞の、何と厳しい一言だろうか! 震災による死者の言葉ではない、生きた被災者たちでもない、俺は己自身の厳しい自責の言葉として、この歌詞を涙を流しながら歌った。

 2年前、最初のボランティア活動から帰ってしばらく過ぎて、東北地方のブロック紙「河北新報」<持論時論>に俺の投稿した文が載った。この文章の最後に、俺はこう書いたのだった。
 『あの3・11から2年半がたち、世の中から徐々に被災地と被災者が忘れ去られていく確かな現実があった。そしてその現実を激しく憎みながらも、私自身の心の中からも「東北」が次第に遠ざかっていくことを自覚していた。そのことが怖かったのだ。次第に薄情になっていく自分自身が許せなかったのだと思う。被災地への旅は、その「心の風化を止める」ための行為だったのかもしれない』と。 

 そして、今回もまた・・・。


おやじ山の早春2015
2015年3月20日(金)曇り
おやじ山の早春2015(山入りの日)
 午前3時に自宅を出発して、おやじ山に向かう。3月8日に圏央道が茅ヶ崎中央JCTまで開通したお蔭で、おやじ山がグンと近くなった。それで、もう午前9時には関越道の「南長岡越路IC」を下りて、10時にはおやじ山の麓の長岡市営スキー場に着いた。

 既にスキー場は今季の営業を終えていたが、ロッジの事務所に行ってK場長さんに挨拶して、早速荷揚げを開始した。
 麓の積雪は50㎝ほどだろうか。スキー場のゲレンデはまだ一面真っ白なスロープである。スノーシューを履き75ℓの大型リュックを背負い、ストックでバランスをとりながら雪道を歩いて、初回の荷揚げで1時間50分を要した。

 いつものことながら、山入り最初の荷揚げでは目一杯の荷物を背負いながら、途中、木々の様子や周りの風景や、尾根から振り返って長岡の街並みを見下ろしたりと、グズグズと時間を費やしてしまうのである。早く小屋に着きたい気持ちと、そんな逸る心を抑えながら、あえて時間稼ぎを楽しむ気持ちの交錯で、我ながら戸惑ってしまう。

 背景が薄墨色の曇り空で咄嗟には判別しがたかったが、枝々がボンヤリ色づいていたのは、マルバマンサクである。この花木は昨年はウラ年だったが、今年は花付きも良好、オモテの年になった。
 そして大きく融けた雪穴を覗くと、さらさら流れる小川に、一冬を雪に耐えたユキツバキが覆い被さっていた。
 木肌が白く剥き出ているのは、トウホクノウサギの食み跡である。こんなのは何度も見飽きているはずなのに、やはりまた「ほほう~」と近寄っては時間を費やすのである。

 今日は、午後からも2回目の荷揚げをした。(実に疲れた~)荷物を小屋に入れてから、屋根に上って煙出しの覆いを外し、窓の雪囲いをバールで外し、囲炉裏とストーブと、おまけに七輪にも全て火を焚いた。もうもうと小屋の中に煙が立ち込め、涙と鼻水をジョロジョロ垂らしながら、何故か「バンザ~イ」と叫んでしまった。
 小屋脇のおやじ池を覗くと、クロサンショウウオの卵塊が浮いていた。まだ初回の産卵が終わったばかりの様子だった。
 
2015年3月21日(土)晴れ
おやじ山の早春2015(春の気配)
 昨夜は、寒かった!夜中に何回も目を覚まし、その度に背中にホカロンを貼りつけたら合計5枚になった。朝起きたら背中がカチカチ山で、皮膚がピリピリ痛んで仕方がない。
 朝もやっぱり寒くて、ストーブに薪をくべる。

 外に出ると、素晴らしい朝日である。山菜山の斜面の雪が眩しく輝いて、「やっぱり、おやじ山だあ~!」と一人で感動してしまった。
 それでデジカメ持参でおやじ山を一回りする。朝日で輝く山菜斜面を写し、南斜面で咲き始めたばかりのカタクリを撮り、4月には、今年も神奈川からの客人たちを呼んで開催する「カタクリ観賞会」の広場を確認し(まだ1mの積雪だった)小屋に戻った。

 今日の午前中も麓に下りて、車に置いてきたクーラーボックスを荷揚げする。途中、まるで子どもたちがダンスでも楽しんでいるようなムシカリの花芽(と葉芽)に見とれ、晩秋には大豊作になったヒラタケ(カンタケ)の名残を見付けたりと、緩んだ雪道に苦労したが、楽しみながらの山歩きだった。

 そして午後4時、Sさんとの約束で再び麓に下りた。今日はお彼岸で、Sさんから、ご近所のお寺さんで開かれた「おとき」のご馳走やら、奥様の手料理やら、ワンカップやら、おにぎり、ミカン、干芋、モチ・・・etcと、凄い差し入れを頂戴してしまった。小屋に着いてデッキの上に戴いた品々を置いて、心を込めてパチパチと柏手を打った。

 陽が落ちてから、小屋の中も0℃近くまで冷えた。それでもSさんからの豪華な夕食で、心はホカホカと暖ったかだった。
2015年3月22日(日)晴れ
おやじ山の早春2015(利く~!)
 小屋に置いてあるラジオが、NHK開局90周年記念番組、「90時間ラジオ」を昨日から放送していた。そして今朝は、各時代に放送したアーカイブで、昭和39年10月10日の東京オリンピックの開会式の実況中継が流れた。
 ラジオ実況の担当は鈴木文彌アナウンサーである。オリンピック序曲の演奏が始まり、いよいよ鈴木アナウンサーの名調子の声が響いた。
 『東から西から、南から北から、海を越えて、空を飛んで、世界の若人が、世界のスポーツマンが、東京に集まって来ました』

 「ああ~昭和39年!」 俺にとっては決して忘れることができない1年だった。この年、郷里の高校を卒業して東京に出、上野公園で何時間も並んで「ミロのビーナス」を観、まだ開業前の東海道新幹線に試乗し、そしてこの東京オリンピックが開催された。少年S君は代々木オリンピックプールまで足を運んで憧れの水泳競技を観、まさに胸がはち切れんばかりの夢と希望を抱いていた最中に、大好きな大好きな俺の母ちゃんが死んだ。

 今日は絶好の晴天である。屋根に溜まった杉の枯葉を落とし、小屋回りの杉枯葉を集めて燃やし、雪で潰れた薪小屋の片付け、池と小川の清掃、ミツバチラン(キンリョウヘン)の鉢の世話、インターネット通販で買った「木登り器」の試し運用(これには苦労した。登った杉の木から落ちそうになった)。まさに八面六臂、馬車馬の如く働いた。これもSさんから差し入れがあったお蔭で、いちいち炊事をする手間が省けたからである。

 午後4時半、今日の仕事を終えて、Sさんから頂戴したワンカップをパチンと開けてグイとやった。そしたら、
 「・・・!!!」
 一気に五臓六腑に酒が浸み透って、利くの何のって・・・!
2015年3月23日(月)雪
おやじ山の早春2015(雪の下山)
 今日は下山して、Sさん宅にお呼ばれである。おやじ小屋の煙で燻され燻製になった身体と、溜まったゴミと洗濯物、「みんな持って山から下りて来いてえ」と、Sさんは言って下さるのである。
2015年3月24日(火)雪
おやじ山の早春2015(山に帰る)
 昨晩はSさん宅の風呂に入り、洗濯をしていただき、素晴らしいご馳走と美酒でもてなされて、蒲団で手足を伸ばしてぐっすりと寝た。

 午前9時、Sさん宅を辞す。まるで下宿住まいをしている我が家の息子でも送り出す時のように、どっさりとご馳走を手渡された。拝みながら受け取って、山に帰る。
 小屋回りの新雪は7,8cmくらい積もったのだろうか。風景がまた一段と白くなっていた。
2015年3月25日(水)雪
おやじ山の早春2015(フクロウ鳴く)
 夜中寒く、何度も目を覚ます。お蔭で(?)フクロウの鳴き声を今回初めて聞いた。それも番(つがい)の鳴き交わしである。嬉しかった。また昨年同様、卵を産んでヒナを育て、しっかりと子どもを旅立たせて欲しい。

 6時に起きて、外に吊るした温度計を見ると-2℃だった。小屋でストーブを焚き、七輪に炭を熾して、室温を測ると、0℃である。おやじ小屋は通気性抜群なのである。

 今日は一日、小屋の中で過ごす。寝袋に包まって夏目漱石の「草枕」を読み続けた。やっぱり文豪である。所詮敵わない天才である。

2015年3月26日(木)晴れ
おやじ山の早春2015(ウルフN君来る)
 神奈川から友人のN君が新幹線でやってきた。杉の大径木の枝打ちをやってくれるための来岡である。俺と歳が一つしか違わないのに、まるでターザンみたいに木登りしたり、刃物を振り回したり、泥水を飲んだり、女の前で平気で下着を着替えたり(いつか一緒に山登りして泊まった山小屋での出来事である)するので、俺が「ウルフN」と命名したのである。しかし面白くて味があって、実に立派な男である。

 長岡駅の改札で待っていると、ぞろぞろ出てきた乗客の中に、一段と目立つ男が混じっていた。大型リュックの上に更に寝袋やら袋物を紐で括りつけ、両手にはスキーストックと紙袋とレジ袋を重そうに下げて、まるで終戦直後の買い出しと今のホームレスの姿を足したような恰好の人物だった。「ウルフN君」である。

 スーパーでN君滞在中の食料、酒、炭、水なども仕入れ、二人で荷物を分担して荷揚げしたが、苦しかった!N君に「何でこんな一杯荷物があるんだ?」と訊いたら、「安全ベルト、ノコギリ・・・」「なるほど」、「枝に掛ける投げ縄」「フム、フム」、「俺が作った焼き芋、とモチ」「お前は芋には目がないからなあ~」、「俺が考えた大津波を防ぐアンカーの設計資料、それと海水淡水化構想の資料・・・」「???」

 夜は、二人で大いに飲んだ。フクロウが小屋のすぐ近くで鳴き出して、嬉しくなって小屋から飛び出して、俺もフクロウと一緒に鳴いた。「ほう、ほう!ほほう、ほう、ほう!」
 明日はもう、フクロウは寄り付かなくなるかも知れない。
2015年3月27日(金)
おやじ山の早春2015(太杉の枝打ち)
 夜中の0時を回った頃、小屋の真上でフクロウが大きく鳴いた。朝起きてN君に「確か、夜中にフクロウ鳴いたよなあ?」とウキウキして尋ねると、「あれは、お前が叫んだんじゃないか?」と言われてしまった。おやじ小屋は一人しか寝れないので、N君は小屋に、俺は外に出てテントで寝ていた。

 今日から杉の大径木の枝打ちである。と言っても、俺は下から見ているだけで、枝打ちは「ウルフN君」一人でやってもらうのである。
 場所は下の池の縁で、胸高直径が55cm程度の杉林である。 
 「N~!落ちるなよ~!」を連呼し続けて、今日は3本の大木を片付けた。午後からの1本は中間に枝の足場が無くて困難を極めた。

 今日はキノコの混ぜご飯で夕食を済ませ、「俺はもう寝る」とN君に宣言した。「え~!まだ7時前だよ!」とN君。「今日は疲れた。お前を下から見てて精神疲労が募った」と言ったが、本当だった。テントに入った途端、グッタリとして横になった。


2015年3月28日(土)晴れ
おやじ山の早春2015(太杉の枝打ち-2日目)
 5時過ぎに起きて、おやじ池を覗くと、クロサンショウウオの2回目の産卵が確認された。この生き物が日にちを置いて、何回かに分けて産卵するのは、やはり自然界におけるリスクを分散するためだろうか。

 今日も日中は暑くなる予報で、午前中の雪が締っているうちに、麓に下りて買い出しすることにした。何しろ体に入れるガソリンが早々に切れてしまった。
 途中、マンサクの花が美しく咲き、今年は例年より遅くようやくオクチョウジザクラが可憐にほころび始めた。

 買い物から戻り、今日は小屋の前の径50㎝の杉の枝打ちをした。お蔭で、今まで太枝に邪魔されていた南からの陽射しが入るようになった。写真は「ウルフN君」の雄姿(?)だが、まあ、落ちなくて本当に良かった!
2015年3月29日(日)曇り、夜雨
おやじ山の早春2015(忘れ物)
 天気予報が、午後から荒れ模様になると告げていた。それでN君が急遽午前中に下山して帰ることになった。

 二人で麓まで下りると、閉場となったスキー場のゲレンデで、親子がソリ遊びをしていた。そうか、今日は日曜日だった。この親子の他には誰もいないゲレンデで、こうして大自然の中で目一杯体を動かし、大声で親子が楽しんでいる姿こそ、現代では忘れかけてしまった風景ではないかと思った。

 「N君、忘れ物ないかい?」「ないない、ないない。俺はまだボケてない」「じゃあな・・・」と言って長岡駅でN君を見送り、小屋に戻る。

 夜、携帯メールが届いた。N君のカミさんの携帯を借りたN君からのメールである。
 <俺のケイタイ、何処かに忘れたようなので、スミマセンが探してください。N>
 ほらね、やっぱり。

2015年3月30日(月)曇り~晴れ
おやじ山の早春2015(フクロウの逃飛)
 冬の間に落ちた杉の枯葉を片付けることにした。雪穴を掘って大きな竈を作り、この中で枯れ葉を燃やすのである。山火事防止で、この時期の外での焚火は慎重の上にも慎重を期さねばならない。フォークで枯れ葉を掻き集め、それを両手で鷲掴んではせっせと雪穴に抛り込んだ。

 ところが!である。まだ巣箱に入っていないと思っていたフクロウが、中にいたのである。もうもうと立ち昇る煙に、「ゴトゴト」と巣箱が音をたてて、フクロウが飛び出して若杉の森に飛んだ。「あ!ゴメン!」と慌ててバケツに水を汲んで焚火にぶっかけた。それからこともあろうに、俺は若杉の森に入ってフクロウを探し始めたのである。枝に留まっていたフクロウを見つけて、「ゴメン、ゴメン」と声をかけ、また逃げたので、また追いかけて・・・怯えているフクロウに、俺は何とバカなことを・・・。

 午後下山して車の中を探す。「あった~」助手席とドアの間にN君の携帯電話が落ちていた。
 それにしても、もう麓近くはすっかり春めいた景色だった。

   タムシバ        アカタテハ        オクチョウジザクラ      マルバマンサク
2015年3月31日(火)晴れ
おやじ山の早春2015(春生まれる)

  フクロウの巣箱     小屋下の谷川の雪どけ        カタクリの広場       カタクリの広場の雪穴

   南斜面のカタクリ       山菜山にそそぐ虹色の朝日       山菜山の雪どけ        山菜山の雪どけ 

   谷川のナダレ        雪どけ後のキクザキイチゲ       雪どけ後のフキノトウ       看板を新しくしたおやじ小屋

 何と言ってもおやじ山が素晴らしいのは、この時期である。まだ冬が明けきらず、春にはもうちょっとのこの季節の移行期。今日のような絶好の晴れ間には、まさに「春が生まれた」感じがするのである。

♪ どこかで春が 生まれてる
  どこかで水が 流れ出す

  どこかで雲雀(ひばり)が 鳴いている
  どこかで芽の出る 音がする

  山の三月 そよ風吹いて
  どこかで春が 生まれてる ♪

 昨夜は、いつも通り酔っ払ったのに、我慢して目を覚ましてフクロウの鳴き声を待った。午前1時15分まで待ち続けたが、残念、鳴かなかった。しかし夜中にヒメネズミが俺の枕元に来てくれて、昼には、待望のサシバが若杉の森に飛来した。山菜山からはウグイスの初鳴きが聞こえ、小川のせせらぎにはホタルを招くカワニナが育っていた。
 まさに、春が生まれたのである。
2015年4月1日(水)曇り
おやじ山の早春2015(下山)
 昨夜、フクロウが鳴いてくれた。嬉しかった。本当に良かった。ありがとう!

 今日、山を下りた。所用で一時帰宅である。
 長岡の街に出て、Sさん宅にご挨拶し、そして信濃川沿いの県道を走っていると、まだ雪の残っている田圃に、北に帰る白鳥の群れが羽を休めていた。

 2週間後には神奈川の森林インストラクターの皆さんをおやじ山に招待し、カタクリを観賞していただくが、前日の宿を越後川口の木沢にある「やまぼうし」にとった。帰途、その下見で木沢の集落に行ったが、まだ1m以上の積雪だった。果たして皆さんをお招きする時には、どれほど雪が残っているだろうか。


(おやじ山の早春2015 おわり)