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最後のページは<6月30日>      おやじ山の夏2015は「6月21日日記」からアップしました。   

2015年6月2日(火)晴れ~曇り
おやじ山の春2015(プロローグ)
 一昨日(5月31日)の日曜日に、南魚沼での田植えを終えて藤沢の自宅に帰った。

 今春、おやじ山に入ったのは、3月20日。4月1日に所用で一時帰宅し、再びおやじ山へ向かったのが4月8日だった。そして大型連休を控えて、息子と孫、それにカミさんを迎えに4月30日にまた山を下りて藤沢に帰り、5月2日の早朝にトンボ返りでおやじ山に戻ってきた。そして5月30日におやじ山の麓のキャンプ場に設営したテントを畳み、南魚沼の舞子スキー場近くの民宿に宿をとった。今春の山暮らしは通算65日間に及んだことになる。

 南魚沼(旧塩沢町)での田植えは、旧知のIさんから4月にお手紙を頂戴し、お誘いを受けたからである。Iさんは東京に本社があり、大阪、広島に支店を持つ会社のオーナーで、南魚沼で1000坪の田圃を借りて、社員家族や知人を呼んで、一緒にコシヒカリを植えたり、そば打ち体験を主催したりしている篤志家である。

 カミさんとともに泥んこの田圃に入り、夜はIさんらと山菜料理や本場のコシヒカリを堪能し(もちろん南魚沼の地酒も)、翌日は自分らで打ったそばを食べて、実に楽しかった。何もかもすっかりIさんにお世話になってしまったが、何十年ぶりに再会した予想通りのIさんの生き方に、深く感銘を受けた。そしてIさんのお蔭で、春のおやじ山の素晴らしいフィナーレをこうして迎えられたことに、心から感謝したい。


 Iさんは既に10年に及ぶ南魚沼での田植えの他に、山梨では跡継ぎの居なくなったブドウ畑を借りてワイン作りに励み、昨年は何と、東日本大震災をテーマにした映画を制作して、現在なお全国各地を回って上映会を重ねている。(映画の題名は「物置のピアノ」)

 今年の春も、またSさん初めふるさと長岡の方々に限りないご親切を受け、いつもの友人達との嬉しい再会があり、たくさんの人達との出会いがあった。
 4月18、19日は自分で主催した「おやじ山カタクリ観賞会」(森林インストラクター神奈川会から17名参加)、5月9日には、猿倉緑の森の会主催「天空のブナ林スノートレッキング」のガイド(約70名参加)、翌10日に守門岳登山(次兄リーダーで5名参加)、5月17日は地元長岡の森林インストラクターMさん主催の「三ノ峠山登山(森林インストラクターと新緑を歩こう)」のガイド(20名参加)、そして5月18日には、長岡高校同窓の東京組5名と地元組5名に俺とカミさんを加えた「おやじ山山菜採りツアー前夜祭」、翌19日は生憎の雨の中、東京組5名は雨合羽を着て果敢におやじ山に繰り出したのである。(約1名はおやじ小屋で留守番だった)
 地元のSさんは、これらの行事の度にまるで我が事のように当日の天気を気遣い、事前にどっさりと差し入れ品を届けてくれたり、無事イベントが終われば「よかった、よかった!」と後始末の面倒まで引き受けてくれたりと、何とお礼を申し上げたら良いか知れないのである。もしSさんと出会わなかったら、とても今のような山生活は叶わなかったと、はっきり断言できる。


 すでにとうに立夏も過ぎて、とりわけ今年は、くそ暑い夏日が続いている。「いまさら・・・」と言われそうだが、4月日記、5月日記に遡って「おやじ山の春2015」で今年の春のこもごもを綴りたいと思う。


<おやじ山の春2015>は「4月8日日記」から
2015年6月15日(月)晴れ
学生の姿が見えない
 昨6月14日(日)、「戦争させない・9条壊すな 総がかり行動 戦争法案反対国会前集会」に行ってきた。「戦争法案反対!」「憲法守れ!9条壊すな!」のシュプレヒコールの後、野党各党の代表、ジャーナリスト・鳥越俊太郎のアピール、政治学者・山口二郎の火の出るような演説(凄い迫力だった!)などがあった。

 俺がこの集会に参加したのは、もちろん安倍内閣が進めている安全保障関連法案に断固「ノー」を突き付けたいためだが、真の理由は「デモするためにデモに行った」のだ。デモする社会こそが民主主義の基盤だと信じているからである。
 戦後70年のいま、この国のかたちが大きく転換されようとしている。国会で論戦が繰り広げられているが、その応酬もむなしく空回りしているように思える。そんな時、国民自身が「おれたちの問題」として街に出て声を上げるのは当然の行為なのだ。
 作家高橋源一郎がいみじくも言っている。『誰かが楽しい社会を作ってくれることを待つのではない。社会を作るプロセスの一つ一つが、自分を変え、それに関わる相手を変えてゆく。変わってゆくことは楽しい、と人びとが知ったとき、そこに「デモする社会」が生まれている』と。

 6・14の今次集会には主催者から2万5千人の参加があったと発表された。しかしその参加者たるや、俺が国会正門前に陣取って周囲を見渡した限りでは、悲しいかな殆どが老人である。若い人達、とりわけ学生たちの姿が見えないのである。

 これが今の日本の象徴だと思った。いつの間にか日本人は、「デモが出来ない国民」になってしまった。その責任は、政治家だけではない。今、国会前で拳を振り上げてるおれたち老人にもあると思った。

 帰りの地下鉄で、黒いリクルートスーツに身を包んだ女子学生たちと乗り合わせ、思わずため息がもれた。
本来ならば若者たちの中で一番時間があり、勉学にいそしみ、己の人生や社会のあり様を考え、路上に出て「社会を作るプロセス」にいつでも参加できる立場にいながら、市場原理主義がもたらした様々な弊害の中で、もがき苦しんでいる。アメリカの公民権運動での87キロの行進、ガンジーが率いたインド独立の380キロの「塩の行進」、それらはただの「路上」が、人生にとって素晴らしい「教育の場」であることを示しているのに・・・。


おやじ山の夏2015
2015年6月21日(日)小雨
おやじ山の夏2015(サンコウチョウとモリアオガエル)
 来週の土、日(27日、28日)、長岡で行われる別々の行事に参加するために、昨日おやじ山に入った。
 この春おやじ山で仕込んだ100本近くのナメコと椎茸のホダ木の確認のためもあった。何しろナメコと椎茸の種駒合わせて5,300駒をサクラとコナラの木に打ち込んだ。大げさに言えば、俺の人生の中で久々に勝負を賭けた(やっぱり大げさか?)ホダ木作りだった。そして藤沢の自宅に帰って新潟県の天気予報を見ると、連日☀マークである。せっかく仕込んだキノコ菌が干乾びてしまわないかと雨乞いしながらジリジリとしていた。
 そして新潟県の梅雨入りが報じられたのが、ようやく6月19日だった。「すわ~これで!」と山行きを決意した次第である。

 梅雨時のおやじ山は、実に静かである。湿り気を帯びた山の冷気がピタリと止まって、満々と力を溜めた群緑の森が、息を詰めているようである。そんな中で、時折、ホトトギスとサンコウチョウの鳴き声がけたたましく山にこだまして、おやじ山の静寂を破るのである。

 午前4時、早起きのサンコウチョウが「ツキ・ヒ・ホシ(月・日・星)・・・ホイ・ホイ・ホイ!」(だから三光鳥である)と囀って、目が覚めた。今日は午前9時から「蓬平集落センター」で「猿倉緑の森の会」の皆さんと、28日開催の「新潟県あじさいサミットin蓬平」の事前打ち合わせである。

 おやじ小屋を閉めて山を下る前に小屋脇の池を覗くと、モリアオガエルが1匹、大きなギボウシの葉の上にいた。そして蓬平の会合が済んで小屋に戻ると、くだんのカエルは、じっと同じ場所で待機していた。頻りに鳴いていたが、メスを呼んでいたのだろうか?
2015年6月23日(火)曇り
おやじ山の夏2015(「みるく世(ゆ)がやゆら」)
 昨日は夏至。一年で最も昼が長い日だった。「さて、今年のおやじ山のホタルは?」と暗くなるのを待って小屋下の谷川に目を凝らすと、ようやく1匹、強い光を放ってゲンジボタルが闇を割いて真横にス~と飛んだ。今年はまだ時期が早くて様子見の「斥候ホタル」なのか、既に盛期が過ぎて「しんがり役のホタル」なのか、どっちだろう?

 そして70年前の今日、沖縄戦終戦の日である。昼のラジオで、糸満市摩文仁の平和祈念公園での「沖縄戦没者追悼式」の実況を聴く。
 翁長沖縄県知事は平和宣言の中で、普天間基地の辺野古移設工事の中止を強い口調で求め、2,300編の中から選ばれた平和の詩を、高校3年の知念捷君が、「みるく世(ゆ)がやゆら」(平和でしょうか)と思いを込めて朗読した。そして会場からの「帰れ!」の罵声を浴びて3番目に壇上に立った安倍首相の挨拶は、県民の最大の関心事「辺野古移転」には一切触れず、日頃口にしている「国民への丁寧な説明」とは程遠い白々しいものだった。卑怯とは、こういう態度をいうのであろう。目の前で反対を表明されたなら、罵声を浴びて怒りをぶつけられたのなら、いやしくも一国のリーダーなら、正々堂々とその声に対して説得を試みるべきではないか。

 今日は谷川の水道の受水バケツの泥出し、それにサンカヨウの美しくブルーに熟した実を採取して、鹿沼土のビニールポットに埋めてみた。果たして来春、芽が出るだろうか?

 まだ随分陽が高かったが、沖縄戦没者を心から悼み、さらに安倍総理への憤懣やるかたない気持ちを払拭せんがために、酒を呑む。あ~あ・・・
2015年6月24日(水)曇り
おやじ山の夏2015(ブランコ毛虫大発生)
 今朝も「ツキ・ヒ・ホシ(月・日・星)・・・ホイ・ホイ・ホイ!」のサンコウチョウの鳴き声で目を覚ました。よくもこんな不思議な鳴き方をするものだと感心してしまうが、何と、長岡駅のホームでこの音声を流している。JRにも野鳥に詳しい粋な職員さんがいるようである。

 今日は植林したブナの幼樹にたかったマイマイガの退治をした。手袋をした手で掴んで潰す仕事だが、やっぱり気持ち悪かった。
 調べてみると、今年は全国的にマイマイガの幼虫が大発生だという。新潟県の他に、秋田、長野でも異常発生、四国でもJR四国の高徳線でレール上に毛虫が大発生して、列車の車輪が踏みつぶした毛虫の体液で空転立ち往生して運休したという。
 しかし、おやじ山でこんなにマイマイガの幼虫(糸を吐いて木からぶら下がるのでブランコケムシの別名がある)が大発生した年は初めてである。なぜ大発生するかは不明だというが、俺は地球温暖化のせいだと睨んでいる。

 
マイマイガの成虫          ブランコケムシ 
2015年6月25日(木)晴れ
おやじ山の夏2015(立ち眩み)
 おやじ池に注ぎ込んでいる湧き水の量が儚くなって、トイを敷設してある水源地を整備することにした。つまり水源地にシャベルで穴を掘って池を作り、一度湧き水を溜めてからトイで流すようにするのである。

 それで今朝からバカ長を履いて、シャベルを手に、勇躍(?)水源地に入って腰をちょっと屈めた途端に、クラクラと目まいがした。「こりゃいかん」とその場にしゃがみ込んだが、ハアハア動悸もするのである。
 考えてみると、20日におやじ山に入ってからろくな食事をしてなかった。コッヘルで飯を炊いて、せいぜい味噌漬けを齧るか、インスタントみそ汁をお湯に溶いて啜る程度だった。今は山菜も時期外れで、多分栄養失調による体力減退である。

 一度小屋に戻って、水を飲んだ。動悸を鎮めるためである。それで、また考えたら「酒のせいかも知れないなあ~」と、ちらっと思いがかすめたけど・・・。

 それでも午前中いっぱいかけて、休み休みしながら、ついに水源地の穴掘りを完成した。

 今日は貴重な晴れ間で、午後は、28日の蓬平イベント時に参加者を案内する猿倉岳の下見をした。そして何よりも、体力をつけておかないといけない。
 下山してすぐスーパーに直行して、栄養ドリンクを2本買った。値段はピンからキリまであったが、今日はちょっと奮発してピンにした。それから蓬平に着いて、角八食堂に駆け込んでタンメンの大盛りを頼んだ。座敷に座ってタンメンを啜っていると、窓の下の太田川のせせらぎから、カジカの鳴き声が美しく聞こえてきていた。

 猿倉岳の林道脇のエゾアジサイを写真に撮り、天空のブナ林をぐるり一周して蓬平を後にした。
 時間も遅くなったのでスーパーで弁当を買って小屋に帰ることにした。あれこれ物色したが、今日の夕飯はボリュームたっぷりのカツ丼弁当にした。先ずは肉で体力回復である。
 今日一日でいきなり栄養をつけちゃったけど、その分お金もかかったなあ~。

 
2015年6月27日(土)曇り~雨
おやじ山の夏2015(田圃の草取り)
 午前中に山を下りて、今日宿泊する長岡市内のホテルに車を預けた。そして長岡駅発12:12のJR信越線のローカル列車に乗り込み、塚山駅で降りた。今日は「千楽の会」という、長岡の蔵元朝日酒造が毎年開講している「あさひ日本酒塾」卒塾者で作っているOB会の開催日である。

 塚山駅前にはマイクロバスが待っていて、これから千楽の会で酒米の苗を植えた棚田の草取りである。生憎の空模様で、今回の参加者は少なく、十数名だっただろうか。
 しかし久々にお会いした富山のⅠさんご夫婦、「あさひ日本酒塾」が契機で蔵元近くの長岡人と結婚した同期のTさんなど、懐かしい顔ぶれをみて嬉しくなってしまった。

 タナ草取りが済んで、恒例の地元の温泉旅館での宴会が始まった。しかし明日は「新潟県あじさいサミットin蓬平」の本番である。その本番での「立ち眩み」の懸念が拭えず、ズラリ並んだ極上酒を前に、涙を呑んだ今宵だった。

 夜8時過ぎ、塚山からの鈍行列車で長岡に帰り、市内のホテルに泊まる。
2015年6月28日(日)雨
おやじ山の夏2015(「新潟県あじさいサミットin蓬平」)
 朝起きてホテルの部屋のカーテンを開けると、横殴りの雨である。今日は県内からアジサイ愛好家5団体40名程が集まっての交流会である。名付けて「新潟県あじさいサミットin蓬平」、今年は第6回目になるという。今回俺に与えられた役割は、天空のブナ林の案内と、畏れ多くも、サミット会場蓬平温泉和泉屋での「記念講演」である。

 8時過ぎに山の暮らし再生機構のⅠさんがホテルまで車で迎えに来てくれて、集合場所の「蓬平集落センター」に着いた。既に県内からの参加者の大方が到着していて、主催者の代表Nさんと談笑していた。そしてNさんは、「今日は生憎の雨で、予定していたアジサイ見学や天空のブナ林の散策は、申し訳ありませんが、車の中から観ていただくということでご勘弁願えればと・・・」挨拶した。今日の本番に向けてNさん達「猿倉緑の森の会」のメンバーが、沿道の草刈や登山道整備に多くの日数を費やしていたことを知っていただけに、そちらの方が気の毒に思えて仕方がなかった。

 そして午前9時、参加者がワゴン車4台に分乗して猿倉岳を目指した。頂上に近づくにつれて雨の激しさは増して、山頂の駐車場で一度は参加者が車を降りたものの、早々に引き返す有り様だった。

 和泉屋での「サミット」は、猿倉緑の森の会代表Nさんの挨拶に続いて、地元出身議員や長岡市役所の部長さんなどのスピーチがあり、続く俺の演題は「天空のブナ林、その環境と生態的特徴について」と、後で思えば「随分硬いタイトルをつけてしまったなあ」とつくづく後悔した。それでも3日前に撮ったエゾアジサイの花や、春のイベント時の新緑のブナ林の様子をプロジェクターに何枚も写して、皆さんからは、「今日は雨で見らんねかったろも、お蔭で様子が分かって、こっていかったてえ」と御愛想でも言っていただき、俺も「こっていかった」。

 その後、各団体からの報告があり、最後に「あじさいサミット宣言」が採択されて、サミットは無事閉会した。


 その後の宴会では、何と最初にスピーチしたお偉方と同じ雛壇に席をあてがわれて、実に具合が悪かった。料理はもちろんだが、御神酒も出て、今日こそは昨晩の宴会の仇をとってやろうと思っていたのに、結婚披露宴の新郎のような席では、とてもリラックスしてガバガバ呑めたものではなかった。見渡せば、向うの席ではNさん達が真っ赤な顔して酒を酌み交わしているのに、俺はいつまでたっても真っ白い顔で、一人おちょこを舐めていた。

 しかしまあ、無事に終わって、良かった、良かった。
2015年6月30日(火)曇り
おやじ山の夏2015(タチアオイの花)
 今回予定していた山仕事や行事も一応終わって、今日はおやじ山を去る日である。
 昨晩は珍しく煌々とした月明かりがおやじ山の森を照らし出して、外のデッキで月見をしながら夜遅くまで酒を呑んでいた。小屋下の谷川の暗がりで、ホタルの灯が走って、よろよろと斜面を下って谷川の縁まで行ってみたが、確認できなかった。

 午前9時、小屋を閉めてシュラフを詰めたリュックを背負った。そしていつものように、おやじ小屋に向かって大声で「ありがとう、ございましたあ!」と頭を下げた。

 急ぐ旅ではないので、信濃川沿いに国道117号線を走り、飯山から上信越道、長野道、中央道、そしてこの春自宅近くまで開通した圏央道まで走り継いで、藤沢の自宅に帰ることにした。
 出発してしばらく経って、「今そっちに向かってる。今日帰るから」と自宅に居るカミさんに電話した。そしたらカミさんいわく、「高速料金がもったいないから、深夜割引になる夜中の0時過ぎに帰って来て」とのたまうのである。普通なら嘘でも「あら嬉しい。寄り道などしないで真っ直ぐ帰ってきてね」ぐらいは言うだろうに、いつの間にこうなっちゃったんだろう。俺もまた、素直に「うん」と返事をしてしまうだらしなさで、仕方なく時間稼ぎと我が身の慰労を兼ねて、温泉にでも浸かってから帰ることにした。

 それで向かったのが、名水竜ヶ窪の傍にある「竜神の湯」である。ここは広い敷地に大きな木製の露天風呂があって、ここで寝転んでいるのが最高の気分なのである。国道を外れ、長い坂を上って辿り着いたら、何と、今日は火曜日で「定休日」の看板が出ていた。「あれ~」と坂道を引き返して、今度は更に国道を走って千曲川の対岸にある「湯滝温泉」に向かった。近づくと、何やら駐車場に車が無くて嫌な予感がしたが、ここも「定休日」の看板である。
 それで今度は、もと来た道を長岡方向に戻って、天下の名湯「野沢温泉」に向かった。まさかここでは定休日などあろうはずはない。そして温泉街のど真ん中にある共同浴場に、晴れて身を沈めることができたのである。

 俺がこうして越後路や奥信濃の道をドライブしていて、郷愁を誘う大好きな夏の花といえば、タチアオイの花である。ガキの頃、郷里にはこのタチアオイの花が本当にたくさん植えられていて、花弁を割いては顎や鼻に張りつけて「コケコッコー!」などどふざけて遊んだものである。
 だから、このタチアオイの花を目にすると、遥か遠い少年時代の涙ぐむような懐かしい記憶と、その当時のふるさとの夏の風景とが、まざまざと思い出されるのである。