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 「おやじ山の秋2013」は「9月25日日記」からスタートしました。

2013年9月16日(月)暴風雨(台風18号上陸)
福島県森林調査(その1)
 一昨日(9月14日)福島県森林調査の仕事から帰って来た。今日のテレビは本土上陸した台風18号関連のニュースで持ちきりだが、早めに仕事を切り上げて帰って来て良かった。

 今回の調査では9月2日に福島県入りした。そして前半の6日までは会津若松市のホテルに連泊して、尾瀬に近い南会津町の山中や新潟県境の峠が目と鼻の先にある西会津町の調査地点などでカラマツ林や杉林の調査をした。この時期の仕事は、何と言っても目的のポイントに辿り着くまでの歩行の困難さにある。残暑の厳しさと背丈ほども生繁っている夏草との格闘である。西会津町の調査では、ススキとクズの繁茂する古い林道を藪漕ぎしながら片道3時間の悪戦苦闘だった。
 しかし仕事の行き帰りに車で走った会津西街道では、この道沿いに流れる阿賀川(大川)を眺めながら、もうずっと以前に、鮎釣りの師匠Fさんと一緒にこの川中に立って竿を振った懐かしい思い出に浸ることができた。そのFさんは、今どうされておられるだろうか・・・。

 7日、8日は仕事を中断して(アルバイトの身分なのに我がまま言って本当に申し訳ない)郷里の長岡に行ってきた。「あさひ日本酒塾」(長岡の蔵元朝日酒造が毎年20名の塾生を募って日本酒に関する講座を開いている)のOB会「千楽の会」の稲刈りに参加するためである。
 新潟県内や関東各都県から集まった30名程の参加会員が、朝日酒造が管理する会員専用の酒米棚田(勝保の田圃)で稲刈りをした後、柏崎市高柳にある「じょんのび村」の温泉に浸かり、近くの「茅葺の宿」を借り切っての恒例の宴会となるのである。もちろん稲刈りがメインの恒例行事だが、俺にとっては、断然この宴会に出ることこそが、まあ参加理由の本音である。
 この日朝日酒造が用意してくれた美酒は次ぎの通りである。
 久保田 萬寿 2升
 久保田 碧寿 2升
 久保田 紅寿 2升
 久保田 千寿 2升
 久保田 百寿 2升
 さらに近所の奥さん連中が腕によりを掛けたゼンマイの煮付け、車麩を使った郷土料理やのっぺ、鮎の囲炉裏火焼き、さらには土間で餅つきまであって、大満足の宴会だった。翌朝空になった一升瓶が茅葺宿の縁側にズラリ並んでいたが、宴会参加者20名で一人5合平均飲んだ勘定になる。

 そして翌8日は、やはりおやじ山に入った。まだきのこシーズンには早くて、地元のきのこ採りの人たちの姿は無かったが、いつもの場所にはシーズン最初に生えるキンロク(ニンギョウタケ)が早くも顔を出していた。
 「ただいま」とおやじ小屋に入って土間に掘った囲炉裏の前に座る。「ああ〜・・・」と思わず声が出て、この心の安らぎと安寧はいったい何故だろうかと、いつもいつも不思議に思うのである。シンと静まり返った山にツクツクボウシの澄んだ鳴き声だけが響き渡って、再び夏の名残を惜しむまさに至福の時間を過ごすことができた。

 8日は長岡市内のホテルに泊まり、再び9日からの後半の森林調査に備えた。相棒のTさんとの福島での待合せ場所に、昼までに着かなくてはならなかった。
 下り一番の上越新幹線で新潟まで行き、そこからは磐越西線に乗り換えて会津若松から郡山を目指した。車窓からは若干雲に隠れた磐梯山をバックに、一面黄金の稲穂が揺れる会津盆地を飽かず眺めながら、ひと時のローカル列車の旅を楽しんだ。

(「福島県森林調査 その2」に続く)
2013年9月18日(水)晴れ
福島県森林調査(その2−再び原発問題を考える−)
 9月9日から後半の福島県内の森林調査が始まった。福島県は南北に走る奥羽山脈と阿武隈高地を境に、それぞれ県西部から東部の海側に向って、会津、中通り、浜通りと大きく3地区に分けられる。そして後半の調査は中通りと浜通り地区の森林が対象だった。

 思い起こせば、今年7月初旬に東日本大震災復興支援ボランティア活動で南相馬市の小高区に入り民家の瓦礫撤去作業を行ったが、当地は「避難指示解除準備区域」に再編されたとはいえ、我々の作業に立ち会ったご夫婦の放射能に対する恐怖を目の当たりにした。そしてこのご夫婦や地元のボランティア仲間に遇ったお蔭で、放射能に対する自分の認識を新たにした。そんな体験から、「帰還困難区域」と「居住制限区域」が残る大熊町や浪江町、川内村、飯舘村、葛尾村などの後半の調査地をTさんから知らされて、大きな不安を覚えたのである。

 その不安が的中したのはやはり仲通り地区から浜通りに調査ポイントが移ってからである。大熊町の調査地点に向う国道沿いにはマスクをした除染作業員の姿が散見されるようになり、現地の人たちが「トン袋」と呼ぶ除染で出た土嚢などを収める黒袋が国道沿いに不気味に並べ置かれていた。そんな光景を目の当たりにすると、やはりギョッとしてしまうのである。ましてや我々の調査地点は除染など及ばない山の奥地である。案の定、国道288号線の望洋平トンネルを抜けた先には検問所があり、正直ホッとして、ここで素直に引き返すことにした。

 この日は駄目を承知で川内村の調査地にも向ってみた。3・11以来補修も手付かずのままの林道には大岩が転がり、どだい現地には進めなかったが、Tさんが持参した放射線量計で計測すると、秒単位で積算線量が跳ね上がって、慌てて退散した。(時間当たりの計測では、1.15マイクロシーベルト/時だった)

 さらに飯舘村に入る国道399号線の登館峠に設置された無人のバリケード前では、広島から派遣されて来たという警察隊の尋問まで受けてしまった。森林調査とはいえ、余所者が全村避難中の留守の村に入ることはどだい非常識なことだと思い知ったのである。

 放射能による警戒区域で幸い1ヶ所だけ調査できた場所があった。いまだ469世帯、1500人の全村民が避難生活を余儀なくされている葛尾村の調査地である。Tさんは調査初日に、立入りの了解を得るために三春町の仮設住宅地に建つ葛尾村仮役場を尋ねて許可を貰っていた。
 葛尾村のこの調査地はすぐ近くで大掛かりな森林除染をやっている地域だったが、Tさんと二人で防塵マスクをしながらの仕事もやはり気持ちの良いものではなかった。
 調査を終えてから無人の葛尾村役場前の広場で昼飯を食った。その正面玄関脇には真新しい放射線量計が設置されてあったが、既にしっかり除染されているはずの村のヘソとでも言えるこの場所でさえ、放射性物質汚染対処特措法に基づく重点調査地域の基準値毎時0.23マイクロシーベルトを超える高い値を示していた。
 宿泊先のホテルで手に取った「福島民報」には、「環境省は10日、福島県の11市町村で行う国直轄の除染について、今年度中に一律で作業を終えるとしていた工程表を撤回し、7市町村(南相馬市、飯舘村、川俣町、葛尾村、浪江町、富岡町、双葉町)で作業を延長すると発表した。」と載っていたが、現地を体験しただけに当然と思いながらも、葛尾村役場の線量計の前に佇みながら、全く暗然たる思いだった。
 誰も居ない役場の広場にはヤマボウシの木が赤い実をいっぱい付けていた。その美しい果実を帰還した村人たちが安心して口にできるのは、果たしていつなのだろうか・・・

 兎に角、今回の福島県森林調査は終った。この仕事の手伝いを始めて6年目になるが、今まで全国の各地を渡り歩いた調査では崖崩れや落石、熊、スズメバチ、猛暑といった目で見、膚で感じる危険に遭遇しながらも、それなりに対処しながら無事にやってきたつもりである。しかし今回の福島では、放射能という目には見えない新たな危険に身を曝したという点では、大きな課題が残った。しかし俺にとっては、再び原発の問題を考える貴重な体験だったとも言える。
 
2013年9月20日(金)
「心の風化止めた18日間」(河北新報−持論時論)
 昨19日、「河北新報」(東北地方のブロック紙)朝刊「持論時論」に拙稿が掲載された。今年6月から7月初旬まで被災地入りした東日本大震災復興支援のボランティア活動での断片を記した投稿文である。 早速今日午前の宅配便で、車を貸してくれた仙台の義兄から本紙が送られてきた。
 個人でボランティア活動に出向いたとはいえ、仙台に住む親戚や現地の南三陸町、南相馬市のボラセンのスタッフ、そして全国各地から来たボランティア仲間達にお世話になった。
 本稿がそんな皆さん方への感謝とお礼の一助になれば幸いである。
(下の新聞をクリックすると拡大します)

(本稿は河北新報データベースに収録)

 
2013年9月22日(日)晴れ
秋点描
 台風18号が去ってから嬉しい秋晴れが続いている。
 19日の中秋の名月は十五夜と重なって素晴らしい満月だった。そして翌20日の十六夜(いざよい)の月も、昨晩の立待月(たちまちづき)も申し分ない名月だった。それなのに晩酌をやりながらゆっくり月見を楽しもうと思っても、チビチビと盃を重ねる毎に、何やらの気苦労と人生の疲れとがドッと溢れ出て、たちまち睡魔に襲われてしまうのである。
 昨日の未明に目を覚ました時、「そうだ、月見だった!」と慌てて猫額の庭に飛び出て、西の空に傾いたお月様に向けてシャッターを切った。既に東の空は微かに白々としていたが、この月を果たして十六夜の月と呼ぶべきか立待月と呼ぶべきか、いつかその道の専門家に尋ねてみたい。

 そして今日は、自転車をこいで茅ヶ崎里山公園まで行ってみた。芝生の広場では「茅ヶ崎ジャンボリー2013」なるお祭りが催されていて、特設舞台のカントリーソングに合わせてテンガロンハットを被った年寄り達も手拍子で興じていた。見ればあちこちにカウボーイハットかテンガロンハット姿の人達がいて、いったいこの人種は何者達なのだろう?
 芝生広場には模擬店も軒を並べていたが、とりわけ行列を作っている屋台があった。ヤジ馬根性で覗いてみたら・・・!!。 どおりで列には男性が多いはずである。俺も並んでみっかな・・・。

 公園内の芹沢谷戸まで足を伸ばした。幼い兄弟が手作りの竿で小さな池で釣りをしていたが、俺にも兄ちゃんと過ごしたあんな時代があったんだ、と思わず涙ぐみたくなる懐かしさでしばしこの二人を眺めていた。
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おやじ山の秋2013

2013年9月25日(水)曇り〜雨
おやじ山の秋2013(旅立ちの日)
 いよいよ秋のおやじ山に出発である。午前10時に車にパンパンの所帯道具とカミさんを乗せて勇躍長岡に向った。今秋はキノコも木の実も期待が持てそうである。

 と言うのも、今月7日に福島県森林調査を中断して長岡で開催された行事に参加し、翌日おやじ小屋まで足を伸ばした時、途中の山道沿いの松林には早くもキンロク(ニンギョウタケ)が10株以上も顔を出していた。長岡ではいつもお世話になっている「長岡きのこ同好会」のSさんに早速電話をして「採りに来てほしい」と伝えて福島に戻ったが、その数日後に、「籠にどっさり採らして貰いましたてえ」と嬉しい連絡を受けた。 そして春の木々の豪華な花付きから想像した通りに、この時はガマズミ、ナツハゼなどの秋の山の味覚はもとより、ナナカマドやアオハダ、アズキナシといった木にもまさに鈴生りの実の付きようだった。

 鼻息荒くハンドルを握って関越道をひた走り国境の長いトンネルを越えると、越後は雨だった。「あ〜あ、今夜はテント張れなくて車中泊だなあ」と、先ずは国入りの挨拶電話をSさんに掛けた。そしたら「是非私ん家に来て今夜は泊って下さい!」とお誘いを受けてしまった。迂闊に電話をしてしまって、Sさんからはいつもいつも涙が出るほどの親切を受けてしまうのである。
 そしてSさんご夫婦の大歓待をうけて久々の再会を祝し合ったのである。
2013年9月27日(金)晴れ
おやじ山の秋2013(墓参り)
 昨日は台風20号の影響で雨混じりのぐずついた天気が終日続いた。それでもおやじ小屋に行ってテント生活には欠かせないデポのガソリンバーナーだけはキャンプ場に運び、取り敢えずの小型テントを張って一夜を明かした。今回の台風20号もそうだが、9月26日は統計上台風の襲来回数がとても多い特異日だそうである。昭和29年の洞爺丸台風、昭和33年の狩野川台風、そして翌34年の伊勢湾台風も全てこの日だったと言う。

 そして今日は、台風一過の気持ちよい秋晴れになった。
 それで秋彼岸はあけてしまったが、午前の早い時間に行きそびれていたおやじとお袋の墓参りに行った。菩提寺は実家近くの托念寺である。

 お彼岸も過ぎて安くなった黄色と赤紫色の小菊がいっぱい入ったお供えの花を買って、いつもの通り墓前で長い長い時間手を合わせた。先ずは両親への感謝、それからカミさんのこと、娘と息子達のこと、兄弟や親戚のこと、おやじ山のこと、そして自分自身の健康のことなど、いつも墓の中のおやじとお袋が呆れるほどのお願いをするのである。そしてそんな野放図な我が儘でもいつも許してもらえることの安心感と限りない幸福感!

 お参りを済ませて、墓地の裏門から外に出た。まだ緑濃く残る信濃川の堤防が、高い秋の空と稲刈りの済んだ広々とした田圃との間に太い一本の線を引いて続いている。涙ぐむほどに懐かしい俺の原風景である。そして村のガキ大将の後に一列に並んで毎日この堤防の上を行進していた幼い子どもの頃が彷彿として瞼に浮かんでくるのである。遠くの田圃の畦には、真っ赤な曼珠沙華が一際目立って咲き誇っていた。

 午後いっぱいかかっておやじ山の麓のキャンプ場にドームテントとキッチンテント、それにターフの設営をした。そして夕方は、燃えるような夕焼けである。高台に折畳み椅子を出して、夕日を見ながら酒を呑む。
     

  

  
2013年9月29日(日)晴れ
おやじ山の秋2013(実りの秋)
 昨日から麓のキャンプ場からおやじ山への通勤が始まった。
 昨日はおやじ小屋のインフラ?整備で、谷川から水を引いている受水槽の泥出しと通水、おやじ池の脇に設置してある湧き水受けの酒樽清掃。そして今日はブナ平ハイキングコース分岐からおやじ小屋までの山道の草刈りをした。やはり草刈りを終えた山道は広く見えてスッキリと気持ちがいい。
 山からの帰り、そのスッキリと見通しの良くなった法面を滑り落ちるように下って山道を横切った太いヘビに出会った。「ギャー!」と叫んだ時には既に谷側に姿を消したが、随分素早かった。もう少し早足で歩いていたらヘビと正面衝突して気絶するところだった。

 午後2時過ぎにカミさんと一緒に八方台の「いこいの森」に行った。来週来る森林インストラクター神奈川会のメンバーを案内する下見である。サルナシの実は既に終盤を迎えていたが、ガマズミ、ナツハゼは最盛期、今年はサンカクズルも豊作でまさに実りの秋に相応しい山姿だった。これで安心、大収穫間違いなしである。

 夕方、Sさんご夫婦が「宅急便で〜す」と、娘に頼んで送らせたキャンプ道具の忘れ物を届けに来て下さった。さらに奥さん手料理の鯨汁や鮭の白子煮の珍味まで頂戴して有難い限りである。そしてしばらくは涼やかな夕風に吹かれながら4人の談笑が続いた。
2013年9月30日(月)晴れ
おやじ山の秋2013(猿倉緑の森の会)
 深夜トイレに起きてテントを出ると、素晴らしい星空だった。三ノ峠山から連なるシルエットの際から澄みきった濃紺の巨大ホリゾントが天空に拡がり、その上にまるで金銀の砂をばら撒いたかのような星空である。南東の空にはオリオン座の三ツ星、そして一際明るいシリウスとプロキオンが瞬いていた。

 朝5時半、テントを出ると再び東の空のファッションショーである。慌てて「カメラ!カメラ!」とアタフタしているうちにシャッターチャンスを逸してしまった。(この写真よりは遥かに綺麗だったとご想像ください)

 今日は猿倉岳の天空のブナ林に行き、この森の整備をしている「猿倉緑の森の会」の皆さんとお会いし、会代表の中村達男氏と若干の打合せをした。来る10月6日(日)に実施される「猿倉ブナ林 秋のトレッキングイベント」に、前日おやじ山に来る森林インストラクター神奈川会の仲間達と自然観察会のスタッフとして参加することになっていたからである。

 登山道ではイベント本番に向けて会のメンバー達が沿道の草刈りに汗を流していた。そして中村代表の話では、定員30名のところ何と一般参加者46名の応募で受け付けざるを得なかったと苦笑いしていた。しかし中村氏の人柄と会員の皆さんの地道な努力でイベントを重ねる毎に盛況になるのは本当に嬉しいことである。

 イベント前日にも森林インストラクターの仲間と下見を予定しているが、その下見の下見の積もりで展望台までの山道を歩いた。ここでも木の実が大豊作である。美しく青紫色に熟したミツバアケビ、鈴生りになったサルナシの蔓、たわわに実ったサンカクヅル、そしてツノハシバミ(越後ではカシマメ)など、代表的な秋の山の味覚がいっぱいだった。
         (右の小画像にマウスポインターを載せると拡大画像になります)

(写真上から)
ミツバアケビ
サルナシ
サンカクヅル
ツノハシバミ(カシマメ)