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2013年8月1日(木)曇り
「見えなかったものを見せたい」
 先月29日から昨31日までの3日間、北信濃の斑尾高原に行ってきた。出発の2日前に森林インストラクターのSさんから、ある学校のキャンプ指導でインストラクターが1名欠員してしまったとの話があり、急遽ピンチヒッターで参加させてもらった。神奈川県内にある中学校1年生230名程のサマー・キャンプで、担当スタッフはTリーダー以下森林インストラクター10名である。

 29日の正午過ぎに現地入りして、早速スタッフ仲間で自然観察やクラフト作りのリハーサルと野外ゲームなどの事前準備、そして30日の朝からが本番で、森林インストラクターのスタッフがそれぞれ班ごとに分かれた子ども達にプログラムを指導しながら夜のキャンプファイアーまで一緒に過ごす、というスケジュールだった。
 俺を除いて他のスタッフは皆キャンプ指導の大ベテランである。ましてや本校のここでのキャンプに他のスタッフ全員が昨年も参加しており、初参加は俺一人である。いくらおやじ山暮らしで年に百何十日かのテント生活を送っているとはいえ、こんなヤクザなホームレス生活とキャンプ指導は全く次元の違う話で、せいぜい他のスタッフにご迷惑を掛けないようにと念じるばかりだった。

 現地入りした初日の夜、キャンプ場の食堂で本校の先生方と我々スタッフの懇親会があった。その席で一人の先生に、我々にこのキャンプで何を期待しているのか訊いてみた。その先生は、こう答えたのである。

 「子ども達が見えなかったものを、見せてあげたい」

 ドスンと一撃を喰らった。勇気を振り絞って「見えなかったもの、とは何ですか?」と重ねて質問を試みたが、確たる回答はなかったように思う。しかし最初のこの回答で俺には既に十分過ぎた。子ども達が「見なかった」ものでもない。「見たことがなかった」ものでもない。子ども達にとって今まで「見えなかったもの」、それをこのキャンプで「見せてあげたい」という先生の子どもらへの深い愛情と慈悲、限りない想いの深さにすっかり感動してしまった。
 この学校は天下有数の受験校だと聞いていた。既に中学入学から厳しい受験競争に曝されてきた子ども達である。その子どもらが目で見ても真に見えなかったものとは何だろう?そしてこの先生が日々自問し苦悩し続けている難問に、安直に踏み込んでしまった俺の質問に、重く鋭い一矢を返されたことでドキリとうろたえてしまったのである。

 しかし翌日の本番を控えて不安を募らせていた心が、この先生の一言でいくらか軽くなったのは事実である。俺は慣れない「指導」に拘ってやたら不安がっていたが、ここ斑尾高原で子ども達を教えるのは「自然」そのものである。子ども達が「目で見えなかったもの」を「心の眼で見せてあげる」のも「自然」がもつsomethingだろうと気付いた。ここで俺ができることは、せいぜいその橋渡し役ぐらいである。それが出来ればそれで十分ではないかと思った。

 ふっと思い出したことがある。それは肥後熊本藩の18代当主、政治の舞台では連立政権で第79代の首相を務めた細川護煕氏が、政界引退後に陶芸家、茶人として活動してこられたが、数年前のNHKラジオの番組でこんな事を言っていた。細川氏の美術品に対する目利きの鋭さに、インタビューのアナウンサーが「細川家には代々伝わる国宝級の美術品がたくさんあって、そういう良いものを日頃目にしてセンスを養われたのですね」と問うたのに対し、即座に細川氏はこう答えた。「違います。子どもの頃に精一杯自然に親しんだからだと思います。もし私にそういう感性があるとしたら、自然がその時に教えてくれたものです」

 正直言って、今回俺にはプログラムの内容をこなすのが精一杯だった。自然と子ども達の橋渡し役になれたのか?そして、子ども達が見えなかったものを、少しでも見せてあげられたか?と問われたら、黙ってただうな垂れるしかない。

 でもあっという間の短い時間だったが、子ども達と接し、話をし、一緒に歩くことができて本当に楽しかった。「梁塵秘抄」の一節にはこうあったと記憶している。

 『遊びをせんとや生まれけむ  戯れせんとや生まれけむ

  遊ぶ子供の声聞けば     我が身さへこそ揺るがるれ』

 斑尾高原の空のもとで元気に遊び回る子ども達を目にしながら、この子らにそれを許すのはたとえ束の間であっても、どうかこの子ども達に幸あれ、と願わずにはいられなかった。
 
2013年8月7日(水)晴れ
無責任という責任
 先日の斑尾高原でのキャンプ指導に引き続いて、8月3日(土)、4日(日)の2日間、「かながわジュニア・フォレスター教室」という1泊2日の子どもキャンプのスタッフとして参加した。場所は神奈川県南足柄市にある「足柄森林公園丸太の森キャンプ場」である。応募された参加者は小中学生の子ども達と父兄の皆さん40名で、一人5歳のお子さんも混じっていた。

 40名の参加者が5つの班に分かれて、各班にそれぞれ2名の森林インストラクターのスタッフがつく。俺はC班のサブリーダーで、嬉しいことに我が班のリーダーはおやじ山には何度も来ている気心の知れたKさんである。
 C班は5歳の女の子Kちゃんと小学校2、3、4年生の男女6名、それにKちゃん、Sちゃん付添いの女性2人の合計9名のグループだった。

 2日間のスケジュールはざっと次の通りである。第1日目の午前中は、紙芝居を使っての森の話と丸太の森の自然観察、午後には目隠しロープ伝いのネイチャーゲーム。それから夕食は杉の枯れ葉と薪で火を焚いてカレー作り。そして1日目の最後は、赤々と燃えるキャンプファイヤーを囲んでゲーム遊びや歌を唄って各自のテントで就寝。
 2日目は、各自が牛乳パックを燃やして作るカートンドッグで朝食を摂ってから、ヘルメットを被ってノコギリで杉林の除伐作業。更に伐り倒した丸太を使って各自首から下げる名札作り。午後からは谷川の中をジャブジャブ歩いてリバートレッキング。そして最後に各自感想文を書いてグループ内で発表し合い、さらに各班の代表者が閉村式の会場で全員の前で発表して終了である。

 子ども達の扱いに慣れたリーダーのKさんがてきぱきとやってくれて、俺はただ皆の後ろでウロウロしているばかりだったが、本当に楽しかった!特に5歳のKちゃんが「百人さ〜ん!」「百人さ〜ん!」(俺のキャンプネームはいまだ仙人(千人)の域に達していないので「百人さん」)と俺に懐いてくれて、手を繋いでくれたり抱きついたりして、可愛いったらなかった。

 子ども達を見送ってからスタッフ連中が集まって打上げと反省会をやった。その時名指しされて俺が喋ったことは、「幸い天気が良くて、これでもう80点。さらにけが人や病人も出ず、子ども達や父兄の方々も喜んで下さって、さらに加点して良いのではないか」という主旨の事を話した。
 とかく反省会となると、「ああすれば良かった」「これもやったら良かった」との足し算の話しが多いが、俺は逆に「これは手を掛けない方がいい」「これは黙って見ているだけでいい」という引き算の反省もとても大事な事だと思っている。それは先の斑尾高原でも感じたことだが、キャンプ体験の最大の目的は「自然の中でのびのびと過ごさせてやること」だと思うからである。自然の力を信頼すればこそ、その自然に「おんぶに抱っこ」で、いわば「無責任という責任」もあっていいのではないかと思っている。


おやじ山の夏2013
2013年8月21日(水)晴れ
おやじ山の夏2013(山入りの日)
 昨日の午後藤沢の自宅を発って、関越道の越後川口SAで車中泊。今朝8時に東山ファミリーランドのキャンプ場に着いた。夏の季節も大分遅くなってからの今年のおやじ山入りだったが、やはり夏の滞在をパスする訳にはいかない。

 早速キャンプ場に小型テントを張ってから、おやじ小屋に向かった。8月2日、3日の長岡まつりの大花火も終わりお盆も過ぎて、この時期のキャンプ場や途中の山道もひっそりとして人影もない。

 おやじ山の入口に立って、「只今、帰りましたあ〜!」と心の中で叫んでから、こと更ゆっくりと道脇のヤマユリの咲き殻を数えて豪華に咲き誇っただろう花姿を想像したり、ミズバショウ池の縁に植えたアヤメやノハナショウブの株を点検したりしておやじ小屋に着いた。こうして自分を焦らしながら嬉しさを長持ちさせようとする貧乏根性は幾つになっても抜けないのである。

 締め切っていた小屋の窓を開け、囲炉裏に設置したストーブに火を点けた。そして小屋の外に出て、煙突から立ち上る煙を我が事のように誇らしく眺めながら、やっぱり嬉しくて仕方がなかった。

 今日はおやじ小屋の住人ヒメネズミの落ちた巣を片付けたり、少し小屋の中を掃除した以外は何もせずに、折畳み椅子を出して小屋の前でずっと座ったまま過ごした。春のように鳥の囀りもなく全く静まり返った夏の緑陰だったが、時折「ピューッ、ピューッ!」と静寂を裂いて高い上空から鋭い鳴き声が聞こえてきたのは、サシバだろうか?

 夕方、キャンプ場に戻ってテント脇のデッキで一人酒を呑む。酒の肴は、帰り際におやじ山で摘んだ香り高い山ミョウガ、そして眼下に拡がる稲田の風景である。

2013年8月22日(木)晴れ、猛暑日
おやじ山の夏2013(谷川水道の通水)
 今日もラジオが猛暑日になると報じていた。しかし昨夜はテントで横になっていると、「リリリリリ・・・リリリリリ・・・」と虫の鳴き声が響き渡ってきて、「やっぱり秋だなあ〜」と・・・・・・。

 それで今日は、おやじ小屋の水回りの整備である。先ずは湧き水を受けている酒樽をタワシで磨きあげて、新鮮な清水を溜めた。(ついでに暑気払い用に缶ビールを3本投げ込んだ)
 そしていよいよ、小屋下を流れる谷川の上流からホースで水を引いている取水バケツの泥出しと通水作業である。これがまた、実に難儀な作業だった。ホースの総延長は約150m。春の山菜採りで通っている谷川脇の道は物凄い夏草で覆われて、山林鎌と鉈でクズの蔓を払い、背丈以上もあるオオイタドリやウドの繁みを叩き伐りながら取水口まで進んだが、大汗をかいての格闘だった。谷川に下りるのも、先日の長岡豪雨で川底が深く抉られて容易ではなかった。

 それでも流されずに済んだ取水バケツに溜まった泥を掻き出し、ゴムホースを繋ぎ直していよいよ通水である。取水バケツから7、8m下った繋ぎ目で点検してみると・・・「あれ?水が流れてない!」それでホースを口に咥えて思いっきり吸ってみた。何しろ昔は6000あった肺活量である。「出た!」「呑んだ!」最初の泥水を口に入れてゲーゲー咽たけど、「でも、嬉しい!」
 小屋に戻ると、ホースから迸り出る谷川の水が、おやじ池の水面をパチャパチャ音をたてて落ちていた。「バンザ〜イ」酒樽に浮かんだ缶ビールを手に取って、通水祝いの一人乾杯だった。

 キャンプ場のデッキに座って、酒を飲みながら見た今日の夕日も美しかった。猛暑をもたらした昼の太陽が、真っ赤に燃え尽きて西の空に沈んでいく様子は、さながら勇猛に戦い終えた後の潔い美学を感じさせるものがあった。
2013年8月23日(金)大雨
おやじ山の夏2013(!とΩ)
 長岡と新潟県下の各地に大雨洪水警報が出た。朝の早いうちは雨もまだ小降りだったのでミョウガ採りにおやじ山に入ったが、いきなり大雨に祟られて急いで逃げ帰った。

 それで今日は川口温泉でのんびり過ごすことにした。途中、越後川口の道の駅「あぐりの里」に寄って墓参り用の花とキャンプ料理で使うナスとエノキタケを買った。旧盆も過ぎて盆花も驚くほどの安さだった。

 こんな大雨の日の午前中とあって、川口温泉も客はまばらだった。ましてや雨の露天風呂は全く独り占めの大名風呂である。そのピシャピシャと大粒の雨が叩きつける露天風呂に身を沈めている時、面白いことに気付いた。水面に落ちた雨足の跳ね返りが「!」や「Ω」の形になって、広い露天風呂一杯に「!」と「Ω」が出来ては消える生滅の造形美となって、全く見ていて飽きないのである。雨の日の露天風呂の楽しみがまた一つ増えた。

 今日のラジオニュースが「島根県に記録的豪雨」と報じていた。最近、こんな報道がやけに多いように感じるのだが・・・。
2013年8月24日(土)雨〜曇り
おやじ山の夏2013(墓参りと花火)
 明け方、テントを叩く物凄い雨音で目を覚ました。時計を見ると午前5時である。ラジオを点けたがボリュームを上げても聴き取れないのですぐ切ってしまった。午前6時過ぎまで猛烈なドシャ降りが続いた。

 コンビニで朝食を買って、そのまま車の中でラジオを聴きながら過ごす。長岡に再び大雨洪水警報が出て、新潟市には洪水警報が発令された。
 午前9時過ぎからNHKラジオが「ラジオ深夜便」の昼バージョン「ラジオ音楽便」という歌謡番組を流していた。その中で鮫島有美子が歌う「月の沙漠」を聴いていて、2007年9月に中国人画家のNさん、義兄と俺の3人で新彊ウィグル自治区トルパンにあるNさんの実家に旅行した時の事を思い出した。この歌の歌詞は画家で詩人の加藤まさをが療養生活で過ごした房総の海岸風景(だから「砂」漠ではなく砂浜の意味がある「沙」漠にしたという)をモチーフにして作詞したというが、この歌からは、やはり俺たちが行ったシルクロードのタクラマカン砂漠あたりをイメージしてしまうのである。そして今アメリカに亡命したNさんはどんな暮らしをしているのだろうかと・・・。

 雨が小降りになって、実家近くにある両親の菩提寺「托念寺」に墓参りに行った。昨日川口の「あぐりの里」で買った盆花を供え長い時間手を合わせた。やはり胸がシンとなって墓地の裏手から外に出て、ガキの頃に毎日目にしていた信濃川の堤防を眺めた。黄色く色付き始めた稲田の向うに長く緑に伸びる堤防が空と大地を分けて、その上にはあくまでも広い広いふるさとの空があった。その開放的で何とおおらかな風景だろうか!

 午後はおやじ小屋に向う山道の草刈り。そして夜はコスモス広場の高台まで行って小千谷まつりの花火鑑賞をした。今日は土曜日で夏最後の祭りラッシュらしく、小千谷花火の右奥でも花火が上がり(小国あたりか?)、小千谷の左手、越後川口あたりでも花火が開き、さらに北方向では遠く見附あたりでも花火が見えて、一度に何ヶ所もの贅沢な花火見物ができた。
2013年8月25日(日)曇り〜雨
おやじ山の夏2013(ヘビを轢く?)
 今回は蛇が出そうなむしむしした日でも、幸い大嫌いな蛇に出会わず胸を撫で下ろしていたが、今朝おやじ山に出勤する途中の作業道路で、「何か長いモノがいるなあ?」と目を凝らしている間に車で踏んでしまった。運転しながら「ワ〜ッ!」とやっぱり大声を上げたが、間違いなく蛇である。俺はクマもハチもクモも平気だが、このヘビだけは大の苦手である。車で踏んだ(多分?)だけで、もう気持ちが悪くて仕方が無かった。
 それで一旦見晴らし広場に車を停めて、事もあろうに長い棒っ切れを拾って踏んだ蛇を確認しに戻った。多分道路の真ん中で気味悪くのた打ち回っていると思ったからである。ところが、路上に見当たらない。「あれ?」と見回すと、繁みの中から再び道路に出ようとして様子を窺っていたその蛇とパチンと目が合ってしまった。また「ワ〜ッ」と棒を投げ捨てて逃げたけど、道路の真ん中で死んでいなくて良かった。

 それでも勇気を出して、今日は草刈りの一日だった。ブナ平分岐からおやじ山までの山道をすっかり刈り終え、春Sさんと作った遊歩道の草刈り、さらに夏草が蔓延ったブナ苗の植林地もすっかり綺麗にした。

 今日の夕食はスーパーから「天ぷら盛り合わせ」を買ってきてちょっとリッチな晩飯だった。トレーの中にビニール袋に入った天つゆも付いていて、トレーの蓋にあけて食べていた。そしたら突然凄い夕立が来た。慌てて天ぷらと酒を注いだコップを手に持ちテントに逃げ込み、一雨去って再びデッキに戻って天ぷらを食べ始めたが、夕立の雨水がたっぷり入った天つゆのせいで、何とも心もとない天ぷらの味になってしまった。
2013年8月26日(月)朝にわか雨〜曇り〜晴れ
おやじ山の夏2013(いこいの森)
 朝5時半にテントを出て、栖吉経由で八方台のいこいの森に行った。秋にまた神奈川から森林インストラクターの仲間達が来るので、今年の木の実の生り具合を確認したかったからである。朝も早いせいで(実は帰りに気付いたが、成願寺経由のルートは土砂崩れの復旧工事で通行止めになっていた)公園内には誰もいなかった。

 ミヤマガマズミはもちろん、今年はサルナシもナツハゼも、そして珍しいことにオオカメノキの実生りも近年にない豊作である。
 池の周りをぶらついて、ヒツジグサ、エゾミソハギ、セリ、コバギボウシなどの写真を撮ってキャンプ場に戻った。

 今日はおやじ小屋までチェーンソーと刈払い機に使うガソリンとギョウジャニンニク畑に撒く完熟腐葉土を運び上げた。それから帰りに持ち帰るおみやげ用の山ミョウガを採ったりした。

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(花のコメント)
ヒツジグサ:和名は未草。未(ひつじ)の刻(午後2時頃)に花開くのでこの名があるが、実際には正午前から咲き始める。
エゾミソハギ:和名は禊萩(みそぎはぎ)で祭事に用いられたので。花は旧暦のお盆の頃に咲くのでボンバナの異名もある。ミソハギより草丈が高く、葉が茎を抱く。
セリ:春の七草の一つだが、昔から晩春から秋の彼岸までは食べてはいけない、と言われてきた。堅くてアクが強いからである。秋になると新しい葉が出てまた食べられる。
2013年8月27日(火)晴れ
おやじ山の夏2013(エピローグ:満天星の湯)
 今回は短いおやじ山滞在だったが、テントを撤収して帰る日である。朝、おやじ小屋にデポする大型クーラーやガソリンバーナーを背負子に載せて運び上げた。そして小屋を閉め、いつものように大声で「ありがとう、ございましたあ〜!」と挨拶して山を下った。

 長岡からは直ぐに関越道に乗り入れず、しばらく国道17号線を走り、途中越後川口の道の駅「あぐりの里」に寄って買物した。地元の農家の人が作った長岡名物「醤油おこわ」だけを昼飯用に買うつもりが、店内をぶらついているうちにあれこれ買いたくなって、思わず衝動買いをしてしまった。
ナマスウリ1個(140円)、キュウリ5本(100円)、ゴウヤ(70円)、長岡名物梨ナス10個(140円)、紫水ナス(10個)140円、盆花2束(300円)、さて巨大なスイカが1個1200円とあってしばし迷ったが、こんなドでかいスイカを買ったら、隣近所我家に呼ばないと食い切れないので止めにした。

 そして最後に立ち寄ったのが猿ヶ京温泉の「満天星の湯」だった。滾々とお湯が流れる露天風呂に浸かり、湯船の縁石に頭をのせて仰向けになって空を見上げる。露天風呂の脇に植栽してあるカツラの葉が幾分黄色く色付き、そも奥には真っ青な秋の空が広がっていた。

 俺の大好きな夏が終った。

(おやじ山の夏2013  おわり)