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2013年1月20日(日)晴れ
回想の山旅−神奈川の森林調査
 年明けの15日から神奈川県森林調査の仕事で県内の山々を歩き回って、昨日帰宅した。5年前にも同じ神奈川県の森を調査したことがあり、今回は県内2度目の仕事だった。

 今回の山旅では、出発直前の14日成人の日に首都圏を襲った大雪?(郷里長岡ならどうってことない小雪だけど・・・)のせいで、いろんなハプニングが起きた。俺も相棒のHさんも互いに初日の待ち合わせ時間に大幅に遅れ、せっかく林道ゲートの鍵を借りていながら積雪でとても車の運転ができず、ポイントまで2時間以上も歩いたり、そして最終日には四駆車スタッドレスタイヤを過信して雪道で嵌って必死に車を掘り出したりした。さらに気象庁発表の「この冬一番の寒さ」が連日更新されて、日中山中で流した汗が帰路には陽の沈みかけた夕方の寒気で冷やされて、寒いの何のって凍える思いだった。

 しかし今回何よりも嬉しかったことは、まだ現役で働いていた頃の土曜や日曜、そして仕事を辞めてからも暇を見つけて、丹沢山系の登山や川辺のキャンプで過ごした山や渓谷を再び間近に見て、本当に懐かしかった。
 何度も登ったジタンゴ山や鍋割山を指呼の間に望み、西丹沢の畦ガ丸、大室山、犬越路、桧洞丸などの山々を、過ぎ去った当時の実に懐かしい思い出と重ね合わせて眺めたりした。

 昨年の暮れから今年の正月いっぱい、一昨年の3月11日を皮切りに撮り溜めた何十本ものテレビ録画をずっと観続けていた。それからそれらに関連する書物(※)を何回かアマゾンから取り寄せて読んでいたが、再現したビデオの悲惨な光景に再び胸が締め付けられ、東北の人々の映像を観て切なくて切なくてまた涙し、無性に悔しいやら沸々と滾る憤りと鬱憤で、さすがに疲労困憊して自己破滅してしまった。
 そして今回の山旅が、グッドタイミングで俺のそんな疲れを癒してくれたことに、本当に感謝しなければならない。 詩人石川啄木は、歌集「一握の砂」で

   ふるさとの山に向ひて
   言ふことなし
  ふるさとの山はありがたきかな


 と詠ったが、記憶にある山の風景、とりわけ一度ならず登った山には、人の心を癒すとともに様々な感慨を抱かせる何かがあるのだと、いつも思っている。
 



(※)「原発のコスト」大島堅一著(岩波新書)、「福島原発事故・記者会見」日隅一雄、木野龍逸共著(岩波書店) 
 
2013年1月26日(土)雪
おやじ小屋の雪掘り(1日目)
 連日報道で、「日本海側は大雪だ、大雪だ」と騒ぎ立てるものだから気が気じゃなかった。ましてやテレビの関東甲信越版の天気予報で、新潟県だけが赤い帽子の雪だるまに横殴りの雪が吹き付けるイラストで脅かすものだから、ついに意を決しておやじ小屋の雪掘り(昔の長岡人は雪下ろしとは言わなかった)に出かけた。有り難いことに、助っ人は昨年もおやじ小屋の雪掘りを手伝ってくれたNさん、Kさん、Oさんの森林インストラクター仲間3人で、今回も心強い限りである。

 しかし出発直前になって日本列島は大寒波襲来、長岡地方には暴風雪警報と大雪警報が発令された。それで昨日、助っ人の皆さんに「新潟県には90センチの大雪警報が出ました。行きますか?止めますか?どうしましょう?」とメールを打った。応えは「取り敢えずおやじ山の麓まで行って様子を見ましょう」と返って来たので、予定のおやじ小屋泊(といっても小屋に泊れるスペースなどは無く、昨年同様、雪上のテント泊をお願いしていた)は中止して、急遽悠久山にある国民宿舎湯元館に宿を予約した。

 オレンジ色の朝日が暁の地平線を眩しく染める関越道をひた走って、赤城高原辺りから雪が舞い始めた。そして関越トンネルを越えた途端に雪の降り頻る白一色の世界になった。幸いにして交通止めには至らなかったが、高速道の所々で除雪車の黄色い回転灯がクルクルと回っていて、その後ろに数珠繋ぎの車がのろのろ付いて行くという有様だった。

 正午におやじ山の麓の長岡市営スキー場に着いた。今までの天気予報から猛烈な吹雪かと思いきや、案外穏やかな降り様である。「これなら行けるね」と全員納得して、先ずは休日のスキー客で賑わっているロッジの食堂で昼の腹拵えである。

 全員スノーシューを付けて、念のためルートの所々でピンクテープを枝に結びつけながら、Nさんをトップにラッセルしながら小屋に向った。そして小屋に辿り着いたのは午後2時頃だっただろうか?昨年2月に雪掘りに来た時よりも積雪量は少なかったが、やはり2m近くは積もっている様子である。早速手分けをして先ずは物置を掘り出してストックしてある雪掘りシャベルを取り出したり、おやじ小屋の玄関前の雪を掻いてドアーの雪囲いを解いたりした。

 小屋が開いた。昨年秋に小屋を閉めてから、まだそんなに日にちが経っていないのに、小屋の中に足を踏み入れると、やっぱり懐かしいのである。ガソリンランタンに明りを灯して早速ビールで乾杯した。今日の作業はここまでで、本番の屋根の雪掘り作業は明日に回して早々に下山することにした。

 何度かお世話になっている宿の湯元館では、心尽くしの料理と各自が持ち寄った酒とで大いに盛り上がった。そしてゆったりと温まる宿の鉱泉に皆2度づつ浸かって明日の英気を養ったのである。
 
2013年1月27日(日)雪
おやじ小屋の雪掘り(2日目)
 幸いにして大雪にはならずに朝を迎えた。宿の湯元館を8時過ぎに出発して、9時には山登りが開始できた。それでも昨日の踏み跡は一晩の降雪で消えてしまって、今日もNさんのラッセルでおやじ小屋を目指した。そして今日は背負子に越後雑煮の食材を載せて、助っ人の皆さんにおやじ直伝の手料理を小屋でふるまう予定である。

 おやじ小屋に着いて、早速Nさん、Kさん、Oさんの屋根の雪掘りが始まった。俺はホオノキに掛けてあるフクロウの巣箱の現在の宿主の確認である。
 全くこの巣箱の宿主は入れ替わり立ち代りの気まぐれ連中で、最初はカルガモ、次がカモの卵を狙ったアイダイショウ、その次がムササビで、そして昨年春にようやく本命のフクロウが棲みヤレヤレと喜んでいたら、秋にモンスズメバチが入口を塞ぐ巣作りをして棲みついてしまった。さらに晩秋にはその巣もテンの攻撃を受けた様子で、バラバラに壊れた蜂の巣がホオノキの根元に散らばっていた。
 ひょっとして、またムササビ君が棲みついているかも?との期待があった。おやじ山の入口の大杉の幹に、ムササビが巣作りで使う杉皮の引っ掻き傷が真新しく残っていたからである。
 Oさんが掘り出してくれた2連梯子をホオノキに立て掛けてそお〜と登って巣箱を覗いて見た。残念、無人である。いくらか巣箱の底に杉皮が敷いてあったが、猛禽類のフクロウの匂いが残って途中で巣作りを止めたのかもしれない。

 11時に助っ人の皆さんが屋根を降りて来た。そして火を入れた小屋のストーブに手を翳しながらビールで打上げの乾杯である。俺はそのカップを手にしながら雑煮作りである。全く残念なことに、雑煮の重要アイテムである鶏肉を自宅の冷蔵庫に忘れてきてしまったが、おやじ山で採った何種かのキノコ、ゼンマイ、大根などを煮込んで、それにストーブで焼いた越後の杵つき餅を入れ、セリで香り付けをして皆に食べてもらった。それでも皆さんから「美味い、美味い」と誉めてもらって嬉しかった。

 ストーブの火を落とし、小屋のドアーに再び雪囲いの衝立を立てて山を下った。下山時には仄かに青空も見え始めて、大雪の峠は越えたようである。市営スキー場が見える尾根まで下ってくると、リフト待ちのスキー客の長い行列が出来ていた。この寒波で乾いた良質の雪が積もって、ゲレンデコンデションも良好なのだろう。

 長岡駅の商店街で皆さんがお土産を買って、関越道に乗り入れたのが午後3時半過ぎである。そして一路関東に向けて魚沼盆地をひた走った時には、すっかり晴れわたった夕焼けの光線が日本百名山の巻機山(1967m)、その前衛峰の金城山(1369m)などの白い峰々を朱色に染め上げて、まさにえも言われない美しさだった。