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2012年12月31日(月)
67回目の大晦日
 新年を迎える準備も年々「省略」が多くなって、67回目の大晦日もあとは年越しを待つだけとなった。今年は何やら空しい年の瀬である。

 12月16日の衆議院選挙が終ってからすっかり元気がなくなってしまった。俺が生まれた年の生まれた月に、世界で初めて経験したあの原爆投下の大惨事から日本の戦後が始まり、そして1年9ヶ月前に起きたあの福島原発の未曾有の大惨事をすっかり忘れたかのような選挙結果だったからである。国防軍を公約に掲げた自民党が政権をとり、衆院の改憲派議員が9割を占めた。そしてその後に誕生した安倍政権は、早速原発の再稼動と新増設をも認める見解を出した。
 もうこれからの日本は、「行け行けドンドン」の時代ではない筈である。昨年の3・11のあの惨禍がその事を我々に肝に銘じて教えてくれたのではなかったのか?脚本家の倉本聡は、「日本というスーパーカーに付け忘れた装置が二つある。ブレーキとバックギアである」と言った。その通りである。
 昨30日の朝日朝刊に載った読者の声欄にはこう書いてあった。
 「国民はその程度に見合った政治家しか選べない」
 結局、この言葉を歯軋りする思いで是認せざるを得ないのだろうか。

 2012年大晦日。千家元麿の次ぎの詩を読んで、俺にこれから何ができるだろうか、を考えてみたい。

    三人の親子      
或る年の大晦日の晩だ。      
場末の小さな暇さうな餅屋の前で      
二人の子供が母親に餅を買ってくれとねだってゐた。      
母親もそれを買ひたかった。      
小さな硝子戸から透かして見ると      
十三銭と云ふ札がついてゐる売れ残りの餅である。            
母親は永い間その店の前の往来に立ってゐた。      
二人の子供は母親の右と左の袂(たもと)にすがって      
ランプに輝く店の硝子窓を覗いてゐた。      
十三銭と云ふ札のついた餅を母親はどこからか射すうす明かりで      
帯の間から出した小さな財布から金を出しては数へてゐた。      
買はうか買ふまいかと迷って、      
三人とも黙って釘付けられたやうに立ってゐた。      
苦しい沈黙が一層息を殺して三人を見守った。      
どんよりした白い雲も動かず、月もその間から顔を出して、     
如何なる事かと眺めてゐた。     
さうしてゐる事が十分余り      
母親は聞こえない位ゐの吐息をついて、黙って歩き出した。      
子供たちもおとなしくそれに従って、寒い町を三人は歩み去った。      
もう買へない餅の事は思はない様に、      
やっと空気は楽々となった。      
月も雲も動き初めた。さうして総てが移り動き、過ぎ去った。      
人通りの無い町で、それを見てゐた人は誰も誰もなかった。      
場末の町は永遠の沈黙にしづんでゐた。      
神だけがきっとそれを御覧になったらう。      
あの静かに歩み去った三人は      
神のおつかはしなった女と子供ではなかったらうか      
気高い美しい心の母と二人のおとなしい天使ではなからうか      
それとも大晦日の夜も遅く人々が寝静まってから      
人目を忍んで買物に出た貧しい人の母と子だったらうか。


<来年が真に良い年となりますように・・・>       おやじ小屋主