4日前の2月13日、熊本県内の森林調査の仕事から帰って来た。
2月1日に羽田からのANA便で熊本空港に降り立って、早速県北部、福岡県境の筑肥山地の森に向った。先ずは有明海に注ぐ矢部川源流域の国有林から今回の調査がスタートした。主任調査員は先月も神奈川県調査でご一緒させていただいたベテランのHさんである。
そしてその後の13日間に及ぶ山旅では熊本県内を徐々に南下して、県中央部では「阿蘇くじゅう国立公園」の森と宮崎県境の九州中央山地の森林(いわゆる島原湾に注ぐ緑川の源流部)、調査後半に入って八代と人吉盆地の宿に何日かづつ泊り歩いて九州きっての大河、八代海に注ぐ球磨川流域の森林を攻めた。 そして終盤には、熊本、鹿児島、宮崎3県境の源流部に分け入り、「万年青平」付近のポイントでは、「こっちの小滝は球磨川の源流、あっちの渓流は、宮崎県えびの市から大口盆地へと流れ下って、遙々鹿児島県の甑海峡に注ぐ川内川となるのか・・・」と手元の地図で確認して、何やら人生航路の運命の岐路に立った思いで、しばし感慨に耽ったりした。
そして今回の山旅でも、様々な風景や人、その人たちが背負ってきた歴史と伝統の一端を垣間見ることができた。
九州中央山地の旧那須往還では、幹周りが二抱半から三抱えもある息を呑むほどのブナとミズナラの巨木の森に出会い、その山地脊梁に点在する全戸数7戸全てが「奈須」姓の舞岳集落や栗林の集落を見た。思えば昨年11月の宮崎県森林調査では、たまたま壇ノ浦の戦で敗れた平家落人の邑「椎葉村」に宿をとり、平家の鶴富姫と源氏の那須大八郎の恋物語や、この邑で平家方姓の「椎葉氏」と源氏方姓の「那須氏」とが連綿と生活を営んでいることを知ったが、この熊本県の奥山の地にも椎葉村から移り住んだであろう人たちが居り(「那須」と「奈須」の違いはあるが、先祖は同じであろう)、ピタリと身を寄せ合って暮らしているということが、凄く尊いことに思えた。そして肥後の国の悠久な大自然とそこで出会った数奇な歴史に思いを馳せて、心底感動を禁じえなかったのである。
さらに13日間を菊池市、山都町、八代市、人吉市と泊り歩いてきたが、熊本県人の礼儀正しさにも心を打たれた。あちこちの村に入れば、見知らぬ我々に誰もが腰を深く折ってお辞儀をし、温泉の共同風呂では高校生の若者から「こんにちわ」と挨拶されてビックリしてしまった。熊本県の県民性「肥後もっこす」とは、頑固で妥協しない男性的な性質を表現するが、どうしてどうして、ここに優しさと礼儀正しさを加えなければならない。
それでは、熊本県での13日間の山旅を遡って綴っていきたいと思う。
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