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2012年5月1日(火)晴れ、長岡29℃
おやじ山の春2012(水穴に入る)
 午前4時前から杉林で頻りにフクロウが鳴いていたが、やはり4時10分過ぎに「ゴトン!」と巣箱に入る音がしてひっそりとなった。
 朝の水汲みに行くと、おやじ小屋の周りでは最後の雪が手の平大になっている。長かった今冬のフィナーレに思えて、いささか感慨を込めて名残雪をデジカメに収めた。そして朝日が差した向かいの山菜山を見ると、コゴミがどんどん育って地面が若葉色に染まってきている。谷を越えて斜面に取り付いてみると、立派なゼンマイが目について、やはり手が伸びて摘み取ってしまう。

 朝6時半、今日も”森の賢人”88歳のFさんがニコニコとやって来た。早速お茶を出すと、いつものように昔語りを始めて、そして戦地から復員した段になると、「4月19日に浦賀にやっと船が着いたがども、みんなマラリアだとかコレラに罹っていて、船ん中に1ヶ月も止められたがあてえ。その間、イワシの缶詰、1日にたった一個らいのお。腹へって、腹へってのお・・・。それで、せっかく内地に帰って来た戦友が、浦賀の船ん中でいっぱい死んだがあてえ。・・・俺がやっと復員したのが昭和21年の6月8日。本当に地獄らったいのお・・・。」と溜め息をつくのである。「今日は、山から帰ったら温泉に行って、それからカラオケやるがあてえ」と言うので、「Fさんの十八番は確か<女の願い>だったいのお」と水を向けると、「ハハハハハ・・・それから<山茶花の宿>と<夢追い酒>と<北国の春>も唄うがあて。<岸壁の母>も唄うこっつぁあ」と笑顔に戻るのである。

 腰を曲げて山菜山に登って行くFさんを見送ってから、俺も今年初めての「水穴」に行ってみることにした。
 北尾根を登っていつもの千本ブナの所で一休みする。そしてここから望む鋸山の姿も雪解けがどんどん進んで、今日はすっかり春めいて見える。

 水穴に着くと残雪の上にも雪解け直後の露地にも人の踏み跡はなく、今年はまだ誰もここまでは入っていない様子である。全く独り占めの斜面で、立派なコゴミやゼンマイ、フキノトウを摘んで<てご>一杯の嬉しい収穫となった。


 午前中には小屋に戻って、早速ゼンマイを茹でて天日干しをした。ラジオが、日中の長岡の気温は29℃になった、と報じている。絶好のゼンマイ干し日和となった。

 小屋の中で昼飯を食っていると、窓からサクラの花びらが舞い込んできた。3日前に開花したばかりのカスミザクラが、もう散り始めである。
2012年5月2日(水)曇り
おやじ山の春2012(小屋暮らしからキャンプ場へ)
 今朝は雛フクロウの気配がした。親フクロウが午前4時過ぎに夜勤から巣箱に帰った時、「ジャージャー」としゃがれ声を立てて騒ぐ声が聞こえた。きっと、卵からみよけたヒナだと思う。

 そして、やはり、南斜面のカスミザクラの若葉が一気に展開して葉桜となった。桜花の命がいかに儚く短いと言っても、開花からわずか5日目である。

 それにしても、今日は忙しかった。山入りした3月下旬から先月のつい最近まで、今年の積雪状態ではとても連休に入ってもキャンプ場のオープンは難しいと思っていたが、ここ数日来の夏日続きと企業公社の管理人さんたちの献身的な働きで、無事オープンに漕ぎ付けた。それで、急いで小屋暮らしからキャンプ場に生活拠点を移して、これからの来客を迎える準備である。
 先ずは、キャンプ場にテントを張り、小屋からはガソリンコンロやクーラー、大鍋、調理道具や食器類、椅子、テーブルと様々なガラクタの荷下ろしをした。それから街に出て買物、宅配便と駆け回り、ようやくホッとして息をついた時には日も暮れかけていた。

 し〜んと静まり返った誰も居ないキャンプ場だったが、それでも随分下界に下りて来た感じで、何やら落ちつかない第一日目のキャンプ泊だった。 
2012年5月3〜7日(月)天気荒れ模様
おやじ山の春2012(家族と友人達の来訪)
 3日に、カミさんと息子の家族が朝早く一緒の車で到着し、次いで娘と友人のSAさん、Tさんの3人が車で来て、そのすぐ後で、カミさんのテニス仲間(と言っても週一の練習日は、殆どの時間をメンバー達でファミレスの井戸端会議に興じていると睨んでいる)のSさん夫婦が愛犬のブラッキーとテリーを伴ってやって来た。さらに信州からやって来た友人のOさんも加わって、一気にテント場が賑やかになった。

 孫の承太郎が山に来たのは昨年の春以来だが、昨年は着いた途端に地元の病院に最終日まで入院するはめになって、全く気の毒なことをした。それで今年はおやじ山で存分に遊ばせてやりたかったが、翌日は激しい雨になって、娘の友人たちやSさん夫婦共々、県立長岡歴史博物館で仕方なく過ごした。 それでも承太郎には短い滞在期間中におやじ山に連れて行き、一昨年おやじ小屋の柱にマジックインキで印した背丈と、この日に測った背丈を再びマジックで引き比べて、2年間の伸長を喜び合ったりした。(俺だけだったりして?)
 娘の友人のSAさんやSさん夫婦と愛犬たちは、既におやじ山のリピーターで、ブラッキーもテリーも山道の隅々まではっきり記憶している様子には驚いてしまった。Tさんは今回初めてのおやじ山訪問だったが、どうかこれからも機会があれば何回でも山に遊びに来て欲しいと願っている。

 5月5日の朝にSさん夫婦とブラッキー、テリーがキャンプ場を発ち、昼に娘達一行がキャンプ場を離れ、そして夜には、息子家族と一緒に街に下りて、回転寿司屋で夕食を共にした後、この店の駐車場で息子達の車を見送った。やっぱり、凄く寂しかった。Oさんがまだ居てくれるのが本当に救いだった。

 そのOさんも7日の朝には信州に戻るというので、前日の6日にはOさん、カミさんの3人で水穴に山菜採りに入った。朝には晴れていた天気が午前11時頃から突然雷と雨の大荒れとなり、全身びしょ濡れになってキャンプ場に辿り着いた。
 
 7日早朝にOさんがテントを畳んで引き上げてしまった後だったが、地元のSさんがOさんの分を含めた朝食のおにぎりを持ってテント場を訪ねてくれた。「そうですか、もうお友達は帰りなさったがですか。いや〜もちっと早くお届け出来ればいかったがですのお」と詫びるのである。こんな底抜けに親切な人が、我が郷里、長岡には居られるのである。
2012年5月8日〜17日(木)
おやじ山の春2012(ありがたき故郷の山と神奈川の友人たち)
 孫達が去った後の寂しさも束の間、8日から17日までの間、多くの遠方からの友人達がキャンプ場とおやじ山を訪ねて来てくれた。指折り数えてみると、総勢12人である。皆おやじ山が取持つ縁で、こうしてわざわざ遠く伊豆や神奈川県から足を運んでくれる素晴らしい仲間達。つくづく「俺は幸せ者だあ〜!」と天国のおやじと仲間の皆さんに手を合わせたくなる。
まさに《朋あり遠方より来る 亦楽しからずや》の心境である。

 先ず8日の正午少し前に、実家が越後の伊豆のKさん夫婦が、法事の帰りだと言ってキャンプ場に立ち寄ってくれた。いつもの事ながら、小熊キッチンの弁当やら伊豆産オレンジ(確かニューサマーとか言った)やら自宅の菜園で作ったという玉葱やらの嬉しい差し入れ品を重そうに抱えてキャンプ場の坂を登ってきた。

 それから1時間程して、何度かおやじ山に来て山仕事を手伝ってくれている森林インストラクター神奈川会のSさんがニコニコとやって来た。今回は初めてのTさん夫婦と、Tさんのご近所に住むというOさん夫婦をお連れしての来訪である。Tさん、Oさんのご夫婦は、これから佐渡に渡って旅行を楽しみ、3日後からはここに合流してテント泊の予定。勿論Sさんはここに残って、8日から13日までの6日間を、「おやじ山で樵の修行をする」と張り切っていた。
 Sさんには、山道を塞いでいた太いコナラの伐倒木やホオノキを、チェーンソーでブンブン玉伐って片付けてもらったり、道に覆い被さっているマンサクを間伐してもらったりと、まさに八面六臂の樵仕事をやってもらい、大助かりだった。 しかしSさんと一緒にいると、不思議なことに何となくお祭り気分がふつふつと込み上げてきて、夕餉の宴会モードに意識が行ってしまうのである。Sさんのたぐい稀な人徳なのだが案の定、期間中の愚図ついた天候にも拘わらず、連夜の楽しい宴が続いた。

 5月10日の夕方、佐渡帰りのTさん夫婦とOさん夫婦がキャンプに加わり、この晩は佐渡土産の生干しイカや珍品の河豚の肝の味噌漬けなどが添えられた豪華な山菜天ぷらパーティーになった。
 そして翌11日の日中は、生憎の前夜からの雨で山には入れなかったが、夜には雨も上がって、すぐ下のキャンプファイアーサイトでテレビドラマのロケがあった。長岡藩の名家老「河井継之助」が北越戊辰戦争で官軍に敗れ、八十里越から友軍会津藩に敗走する途中で死亡し荼毘に付されるという場面である。立会いのW場長さんと一緒に、真っ赤に燃え上がる荼毘の火を前に落語家の立川○○が講釈するシーンを皆で見学させてもらったが、「なる程、こんな風に撮影するのか」と珍しくも面白い経験をした。


 12日朝、TさんOさん二組の帰りを見送ってから、長岡駅にKさんを迎えに行った。Kさんも森林インストラクター神奈川会のメンバーで、この2月には同じ会のTさん達と一緒におやじ山の雪掘りに来てくれた女性である。そしてこの日は肌寒い曇り空の天気だったが、おやじ山では時期が終わったスプリング・エフェメラルの花々を観に鋸山に登った。
 生憎の天候でカタクリやキクザキイチゲの群落は皆寒そうに花を閉じていたが、時折パ〜ッと陽が差すと、何輪かがこれに呼応していくらか花開くのである。SさんKさんは地面に伏して盛んにカメラを向けていたが、こちらはそんな二人の姿を面白くデジカメに収めていた。

 5月13日、SさんKさんが帰る当日になって、ようやく晴れた。そしてこの日は朝からおやじ山に行って、Sさんには杉林の間伐、Kさんには倒れた間伐材の枝落としをやってもらった。Kさんは女ながら鉈使いの名手で、愛称(?)(樵名?)は「ナタ(鉈)ーシャ(者)」である。なる程、見ていると猛烈な速さでバッサバッサと枝を伐り落として、全く見事な鉈さばきだった。


 そしてSさんKさんの二人と長岡駅ビルのへぎ蕎麦の店で〆張鶴の冷酒で別れの杯を交わした翌々日の15日、同じ長岡駅で森林インストラクター神奈川会会長Uさんを出迎えた。Uさんもおやじ山は今回2度目のリピーターで、現役の勤務やあれこれの役職で超多忙な中、よくぞ時間をとって訪ねて下さったと本当にありがたかった。
 Uさんの着いたこの日は、自然観察林の谷川沿いの植物などをゆっくり観察しながらおやじ小屋に入り、囲炉裏端に腰を下ろして「菊水」で喉の渇きを癒してから(ますます渇いたりして・・・)キャンプ場に戻った。
 雨が降り始めて、Uさんの歓迎会をテントの中でやろうと思っていた矢先、地元のSさんが長岡名物、車麩の煮物やワラビの和物、みがき鰊料理などの嬉しい差し入れ品をテントに届けに来て下さって、思わぬ郷土料理の宴会となった。

 翌5月16日、Uさんと同じ勤務先のT先生が9時7分着の新幹線で長岡駅に着いた。それまで薄暗く曇っていた空が途端に晴れて、「私、みんなから言われるんですけど『晴れ女』なんです」とT先生は爽やかに笑った。
 キャンプ場に着いて一休みしてから、カミさんも一緒に全員でおやじ山に行き、ウド、フキ、ミズとおやじ山の嬉しい収穫物を手にして正午にテントに戻った。
 午後はUさん、T先生と3人でやはり花の鋸山に登り、雪解け直後のお花畑に案内した。そしてカタクリの群落地に辿り着いて腰を下ろしたT先生が、「こんなカタクリの中で休めるなんて、何て贅沢なんでしょう」と笑顔で呟いたが、自分が誉められたようで嬉しかった。


 UさんとT先生が新幹線で帰った翌17日、山形の旅さきから車を駆って日本海側を下ってきたという、やはり神奈川の森林インストラクターNさんが、友人のTさんと一緒にキャンプ場に着いた。NさんもTさんも、おやじ山のリピーターである。
 植物に詳しいのは勿論だが、昆虫好きでもあるお二人の今回の目的は、ギフチョウを観ることである。キャンプ場に着くやいなや、Nさんが「ギフチョウ観られますか?もし観られるというなら、私今日は藤沢に帰らずに(Nさんは俺と同じ藤沢在住である)長岡に泊ります」と決然とした調子で言う。この日も雨がパラつき、明日の予報も雨である。「見込みはない」と答えるとNさんはガックリと肩を落として、神奈川県でただ1ヶ所のギフチョウの生息地「石砂山」で撮ったというギフチョウの写真帳を開いて、「ワタシがどんなにギフチョウに思い入れをしてるか、関さんに知ってもらいたくて・・・」と、まるで少女のように顔を紅潮させて縷々説明するのである。失礼ながらNさんは既に70過ぎの老女の年齢である。しかしいつも女学生のような好奇心と探究心、それにバイタリティーには心から敬服している。


 この間のおやじ山の様子を、若干記しておこうと思う。
 ズバリ、今年は昆虫と鳥が少ない。つまりブトも蚊も少なく野外生活は楽だが、ギフチョウをはじめ生き物が少なく野鳥の囀りもあまり聞こえないということは、寂しいし何やら不安な気持ちである。オオルリと並んで美声のキビタキの鳴き声は、この春耳にしてない。こんな年は初めてで、県内のあちこちで野鳥の写真を撮り続けているHさんなども、「今年はキビタキを観ないんですよ」と首を傾げていた。
 おやじ山に毎年渡ってくるサンコウチョウの初鳴きを聞いたのは5月17日、この独特な鳴き声の持ち主も、今年は例年の賑やかさがない。
 そして今までおやじ池では殆ど見掛けなかったアズマヒキガエルが、今年は何十匹も集まってきて集団産卵した。まさかとは思うが、例年産卵する自然観察林の「瞑想の池」が土砂で埋まって、アズマヒキガエルがここまでやってきたのかも知れない。

 植物では白い花の咲く花木の花付きが、今年は極端に悪い。大好きなマルバアオダモはついぞ花を見なかったし、木全体が真っ白になるほど咲いていたヤマボウシの花は、今年は「はて、どこに?」とヤマボウシの木の下で探すほどの貧弱さだった。
 反対に赤い花の花木は賑やかである。(といっても春の赤い花はユキツバキくらいだけど)奥越後、松代に住む博物家、高橋八十八翁によれば、「白い花がいっぱい咲く年は困窮(こんきょ)の年で、赤い花の年は良い年になる」と言っておられるので、少なくとも今年の越後は、大きな災害などはなさそうである。

 
2012年5月19日(土)晴れ
おやじ山の春2012(棚田の田植え)
 郷里の朝日酒造が年一回、約半年にわたって開催する「あさひ日本酒塾」を卒塾すると、「千楽の会」という卒塾者のOB会に入会できる。勿論朝日酒造がしっかりバックアップして、年何回かの千楽の会のイベントが実施される。
 その千楽の会が催す棚田での田植え(勿論、その後で宴会があるのだが・・・気分的にはこっちが目当てである)があった。

 当初の予定は一週間前の土曜日開催だったが、越後では例年よりは雪解けが大分遅れて、ラジオでも頻りに田植え時期を間違わないようにと警告したりしていた。
 夜は宴会になるのでカミさんに車で会場の「勝保の棚田」まで送ってもらったのだが、途中、母校長岡高校の門前で待ち受けていたA君(同級生で、俺をこの会に誘った張本人である)を拾い、A君推奨の天ぷら食堂で昼飯を食って(渋海川沿いの田舎道に建つ一軒食堂だが、実に美味かった)、会場に着いた。
 会員の参加者は23名。東京からのSさんがいて、神奈川のHさんがいて、同期の富山から参加のTさん夫婦もいた。
 会長のKさんが冒頭挨拶で「例年のジンクスで今年も絶好の田植え日和になって・・・」と喋ったが、事実ずっと降り続いていた昨日の雨も嘘のように晴れ上がった一日だった。

 田植えが終わって、宴会場の「中盛館」という鉱泉旅館に着いた。
 そして一風呂浴びたあとに、K会長が議長をつとめる総会が始まり、次いで会員で利き酒士の資格を持つH女史講師の利き酒勉強会、さらに写真家のS女史による会員フォトコンテストの論評と授賞式と、まあじりじりする時間が過ぎて、晴れの宴会開始となった。

 隣の席はA君である。俺を遥かに上回る酒豪である。最初は二人で「俺たちもただガバガバ酒を浴びるんじゃなくて、H女史が言うように、しっかり利き酒しながら品良く飲まないとなあ〜」と同意見でやり始めたが、朝日酒造の銘酒が次々並んで、呑んで、差されて、呑んで、差して、また呑んで、また差されて・・・呑んで、呑んで、呑んで・・・・・・と相成ってしまった。
 カミさんが車で迎えに来てくれたけど、よくこれでキャンプ場まで帰ったものだと我ながら不思議である。
 
2012年5月20日(日)快晴
おやじ山の春2012(水穴の初ワラビ)
 やはり性質(たち)の悪い酒と違って、銘酒を飲んだ翌朝は目覚めもスッキリ爽やかである。(身体は重かったけど・・・)
 それで午前4時半に目が覚めて、カミさんを連れて(一緒に?連れられて・・・?)三ノ峠山を越えて再び「水穴」に入った。そろそろ奥山にもワラビが生え出る時期と睨んだのである。昨日と同様、今日も爽やかな五月晴れで、こんな日は何が何でも早く目が覚めてしまうのは、野宿生活とともに身体が野生化してきた証拠かも知れない。

 奥山といえるここ水穴も、3、4年ほど前からワラビシーズンになるとすっかり場荒れするようになった。悲しいかな、遠くからやってくるプロの業者と思しき連中が、コゴミ畑の中に生える太いワラビをコゴミを踏み倒しながらのぼったくり様で、後先を考えずの採り方をするからである。
 しかし今日はそんな形跡は微塵も無い処女畑の様子で、多分俺たちがワラビ採りでも今季最初の入山者である。山菜で摘む幼児コゴミの時期からまださほど経ってなくて、膝ほどにしか伸びてないコゴミ畑では軟らかな瑞々しいワラビとともに、おやじ山では既に終わったカタクリの花が咲き誇っていた。

 カミさんと二人占めのワラビ採りで山菜リュックを膨らませてから、コゴミ畑の中に腰を下ろしてコンビニで買った弁当を開いて朝食を摂った。時間は、まだ午前8時半である。初物のワラビ採りにしては大収穫で、ゆっくりと朝飯を食い、谷筋に白い雪が残る鋸山を写真に写したり、水穴の上空を舞うサシバをカメラで追ったりと、すっかり満足した朝のひと時だった。
 

 おやじ小屋に戻る帰りの山道では、春の女神ギフチョウがしきりに飛び交い、コシノカンアオイの葉にじっと止って産卵している蝶も見かけた。今年は春が遅くギフチョウの産卵時期には天候も不順で、遅ればせながらも今が最後と卵を産み付けているようだった。

(実際、ギフチョウを見たのはこの日が最後だった。今年は例年になく見かけたギフチョウの頭数が少ない。春が遅れた今年だけの現象なのか?今後のギフチョウ保護について真剣に考えはじめている。)
2012年5月21日(月)晴れ
おやじ山の春2012(レジシールの金環食)
 朝早く所用で実家に寄った。実家の朝のテレビニュースが「金環食、金環食」と騒いでいる。何しろ太平洋側を中心とした日本の広いエリアで金環食が見られるのは、1080年以来932年ぶりの出来事なのだという。ここ新潟県でも金環食に近いまあまあの日食が観察出来るという。
 確か中学生頃だったと思うが、校庭に立ってセルロイドの下敷きで日食を観察した記憶がある。実家の兄嫁がすでにそれに近い物を買って準備していたが、聞けばコンビニでは金環食の専用メガネを売り出しているという。「へえ〜コンビニでそんな物を!」と驚いたが、金環食の始まる時間は午前7時半頃である。急いで実家を飛び出してコンビニに走った。

 先ず実家近くのコンビニに行ったが既に売り切れ、2軒目は信濃川の橋を渡って越路のコンビニに入ったが、ここも売り切れ、殆ど諦めかけてキャンプ場に帰る途中、セブンイレブンの店が目についてダメ元で「・・・ありますか?」と訊いてみた。「もう売り切れましたが、専用メガネのお客さんが何人も来るので、こんなので良かったら。タダですけど・・・」と、何と小さく切ったセブンイレブンのレジシールに透明のセロハンテープを貼ったものを差し出した。「え?こんなもので?」と訝りながらも駐車場に出て太陽を覗いてみると、見えるのである!思わず吹き出してしまったが、巷の大発明に感謝感服してしまった。

 日が翳りはじめた田圃道を走ってキャンプ場に戻り、小さなセブンイレブンのレジシールで日食を観察したが、これからはあの店まで行って買うことに決めた。

 9時半、スキーロッジ前で地元の森林インストラクターMさん、Uさんと落ち合って、来週開催の市民向けのイベント「森林インストラクターと新緑を歩こう!」の下見で三ノ峠山まで登った。昨年と違って、今年のコースはスキー場のゲレンデが起点で、珍しいキハダの木なども見つけて観察メニューが加わった。ゲレンデトップから見下ろした長岡の街も、なかなか良い眺めだった。

2012年5月23日(水)曇り〜晴れ
おやじ山の春2012(おやじ山の同窓会)
 年をとるにつれて、友人達と同じ時間を過ごす喜びをしみじみと噛み締めている。それも気のおけない昔の同級生たちとの交流は、何と楽しく気持ちを和ませてくれるものかと思う。そんな仲間達が今日おやじ山を訪ねてきてくれた。昭和39年新潟県立長岡高等学校を一緒に卒業した我が誇るべき友人達である

 昨晩は静岡、東京、神奈川の各地からやってきた友人らと長岡在住の同じ同級生達が、カミさんまでも一緒に招いてくれて、この4月にオープンしたばかりの長岡市民センター「アオーレ」の一室でおやじ山入りの前夜祭(?)を催してくれた。
 地元のO君が会場の手配をしてくれたのだが、近くでお酒とキッチンの店を営む彼が持ち込んだものは、お手製の立派な料理弁当や地酒の数々、造りたての豪勢な刺身と、夜の10時過ぎまでの賑やかな交歓会となった。 聞けば、T君などは引き続き深夜の1時過ぎまでA君(そう、千楽の会の日記で書いた地元の同級生である)と呑み続けていたというから、大したバイタリティーである。

 そのT君がしっかり(?)ハンドルを握る車に乗って、朝の7時半、遠来組がキャンプ場に降り立った。KさんFさんのマドンナ二人と、T君、N君、T君ら男性陣の合計5人の同級生仲間である。春の山菜、秋のキノコ狩りと何度かおやじ山に来ているKさんとFさんはすっかり堂に入った山スタイルになって、うちのカミさんも含めて、何故か女の人には収穫に対する本能的な執念といったようなものが備わっているのかも知れない。

 早速全員でおやじ山に向かい、小屋に着いてKさんとFさんは勝手知った杉林の最上段のコゴミ畑にワラビを採りに行き、残った男連中は囲炉裏に火を焚いて小屋の中で酒を呑み始めた。先ずはおっとりと、昨夜の迎酒でコンデションを整えるためである。
 
 マドンナ達が小屋に戻って来てからは皆で山桜の斜面を下り、KさんFさんは谷川の上流部でワラビ採り、そしてN君とT君の二人を谷川越えの山菜山に案内した。数日前に見つけておいたウド場に誘ったのだが、いくらか旬が過ぎたとはいえ、二人とも喜んで掘り取ってくれた。

 11時に小屋を閉めて下山。キャンプ場に着くとA君とやはり同級生のW君が待ち構えていて、昨夜のO君も小熊キッチンのお手製おにぎりをどっさり持って馳せ参じてくれた。
 そしてテント場に敷いたブルーシートの上では、フキノトウ、タラの芽、ウド、コゴミの山菜天ぷら、シドケ、ウルイ、木の芽(ミツバアケビの新芽)、コゴミなどのお浸し、ウドの酢味噌和え、アンニンゴ(ウワミズザクラの蕾)の塩漬け、そして地元のSさんからの差し入れ、絶品のワラビ汁とゼンマイ・筍・みがき鰊の煮物と、有り難いおやじ山の幸を並べた楽しい同窓会となった。

 朝からの曇り空が、幸いこの時間になって青空に変わった。「アハハ、アハハ!」と大声で笑い合いながら、春の日射しを受けての仲間達との語らいは、甘酸っぱくも胸が締め付けられるような遠い昔の懐かしい青春時代を、彷彿として甦らせてくれるのである。

 午後2時、O君の車に乗ってA君、W君の3人が、そしてT君の車でKさん、Fさん、T君、N君ら5人が、車を連ねてキャンプ場の坂を下って行った。
 キャンプ場下の駐車場でカミさんと二人で2台の車を見送ってから、急いでキャンプ場の階段を駆け上がって、今度は高台から県道を遠ざかって行く友人らに白いタオルを振って見送った。そんな俺たちに気付いたのか、O君の車が道脇に停まり、続いてT君の車もしばらく停まったが、再び走り出して風景の中から消えた。
 途端に淋しくなって、体から力が抜けてぼんやりしてしまった。

2012年5月26日(土)晴れ
おやじ山の春2012(Tさん)
 4時半にテントを這い出て、自然観察林の谷川沿いを歩いておやじ小屋までの早朝散歩をした。観察林入口の広場には、既にテントが10張ほど張ってあって、今日、明日とアウトドアショップとキャンプメーカー共催の市民対象のキャンプ大会が開催されるようだ。
 散歩の帰り、また広場まで戻ると、次々とキャンパーの車が到着して色とりどりのテントが設営されている。すっかり顔馴染みになったアウトドアショップ「パーマーク」のYさんの姿が見えたので声を掛けると、「お蔭様で年々参加者が増えます。今日明日とうるさくなると思いますが、よろしくお願いします」と、まるでこちらが管理人であるかのような挨拶をされてしまった。

 今日はまた、市内のあちこちの学校で運動会もあるらしく、朝6時と7時には開催通知の花火がポンポンと上がっていた。長岡まつりの大花火は全国的に有名だが、昔から長岡は事あるごとに花火を打ち上げる習慣があって、まだガキの頃、今日のような運動会開催を告げる学校の打ち上げ花火をハラハラドキドキと待ち望んでいた頃を思い出してしまった。

 10時にかねて連絡のあったTさんがキャンプ場に訪ねてきてくれた。Tさんは3年ほど前までこのキャンプ場の管理人をしておられた方で、本当にお世話になった人である。毎年の春や秋のキャンプ開始時には「お帰りなさい」と満面の笑みで迎えてくれて、撤収の時には涙を浮かべて見送って下さった。
 しばらくテントサイトのデッキテーブルでお茶を飲みながら思い出話に耽ったが、退職後はもう何年もここには訪れていなかった様子で、「これから動物広場に行ってポニーにも会ってくる」と、Tさんは懐かしい笑顔を残してキャンプ場の階段を下りて行った。
 
2012年5月27日(日)快晴
おやじ山の春2012(「森林インストラクターと新緑を歩こう」イベント)
 今日は長岡市民を対象にした「森林インストラクターと新緑を歩こう」が開催された。地元の森林インストラクターMさんが昨年度から企画した、<自然観察しながらゆっくり三ノ峠山登山を楽しみましょう>というイベントである。Mさんのサポーター役は、同じ森林インストラクターの三条のUさんと我輩である。

 午前9時半、集合場所のスキー場A駐車場に集まった参加者は、何と総勢40名!昨年参加の実家の兄嫁は、引き続いて今年も近所のお友達二人を誘ってやって来た。そして嬉しいことに、ここのW場長さんもリュックサックを背負っての参加である。
 
 Mさんの開会挨拶のあと、3班に分かれて市営スキー場のゲレンデを登り始めた。さすが上級者コースのゲレンデに差し掛かると参加者の吐息も荒くなって、「みなさ〜ん、ゆっくりゆっくり、水をこまめに飲んでくださ〜い」と大声を掛ける。そしてゲレンデのトップまで登り切って、眼下に広がる長岡の街並みを見下ろしながらの小休止。中にはこの時間にもウドやワラビをせっせと採っている元気な参加者もいた。

 ここからは尾根伝いに三ノ峠山の頂上を目指す。途中、ウラジロヨウラクとガクウラジロヨウラクの違いを話したり、ヒロハテンナンショウの性転換と受粉のしくみを説明したりして千本ブナに着いた。そしてここでは、足元に落ちている大量のブナの実の殻斗を見せながら、5〜8年に一度という昨年のブナの大量結実についての説明をした。

 午後1時、頂上から少し下った友遊小屋で昼食。そして昼休み時間にはMさんが得意のコカリナ演奏を披露してくれた。三ノ峠の山並みに春のそよ風にのったコカリナのメロディが響き渡って、実にいいものだった。

 下山は南蛮山を見ながら赤道を下り、午後4時に解散して今日のイベントが終わった。

 キャンプ場に帰って高台に椅子を出して座り、真っ赤な夕日を見ながら酒を飲む。そろそろ初夏を迎える季節である。
 
2012年5月30日(水)快晴
おやじ山の春2012(生き物談義と信濃川の流れ)
 朝、地元のSさんが「家で作り過ぎて余ったがども、食べてくんねかねえ。残りもんで悪りいてえ」と、まだほかほかの混ぜご飯とキャラブキ煮、それにゴウヤ料理を持ってキャンプ場に上がってきた。そんな事はない、Sさんが俺たちのために心を込めて作ってくださった料理の数々である。押し頂きながら、有り難くて涙が出そうである。 

 そのSさんを誘って高台に出て、折畳み椅子を並べて四方山話に耽る。全く午前の爽やかな風が高台を吹き抜けて、心身ともに洗われるような心地良さである。
 「今年は燕の数が少ないがてえ」とSさんが言う。毎年Sさん家には燕が巣を作り、朝な夕な、燕の出退勤に合わせて駐車場のシャッターを開け閉めするのがSさんの日課だという。「逆に夕方になると、コウモリがバタバタバタバタと、今年はまあいっぱい飛ぶがらえ」とも言った。ブトや蚊の発生が極端に少ない今年は、キャンプ生活や山仕事には実に好都合だったが、燕やコウモリの出現数と何か関連があるのだろうか?燕のみならず、オオルリやキビタキ、それにクロツグミなどの山で見る夏鳥の飛来も、今年は何故か少なかった。

 一方、植物ではヤマツツジの花が今年は例年になく豪華である。それに咲き初めからの花色が随分濃い。ずっと今までヤマツツジを見てきたが、比較的花期の長いヤマツツジのシーズン初期の花色は淡いオレンジ色。それが次第に日射しが強くなるに従って花色は濃くなってくる。そして6月に入りヤマツツジ終盤期になると、花に強い赤味が差してやはり夏花の様相を呈してくるのである。
 それが今年はシーズン初期から何やら猛々しい花色で、こんな年は今までなかった。まさか放射能の影響では・・・?と心配してしまう。

 今日の午後は、久々にゆっくりと川口温泉の湯に浸りに行った。
 高台にある大きな露天風呂からは、越後三山から流れ出る魚野川と、遠く信州北アルプスから流れ下ってきた信濃川の合流点が見下ろされる。つい一月前にここで目にした、雪解け水を満々に湛えた荒々しい流れもすっかり影を潜め、今や身を細らせたスマートな清流となって、中洲の砂利が白く見える程になっている。
 越後では今が水田の盛期。田植え直後の越後平野の広大な田圃に水を吸い取られて、さすがの大河もすっかり大人しくなって見える。そんな河畔には柳の木が煙るような新緑を靡かせ、奥に広がる田圃の水面には対岸の山本山の影が逆さに投射されていた。
 ああ雪国の春、俺の大好きな風景である。
2012年5月31日(木)晴れ
おやじ山の春2012(春の終わり)
 28日から仙台の甥っ子S君が遊びに来ていたが、今日の昼帰って行った。ずっと心の病いを抱えていて、普段は家に閉じ籠っているらしいが、毎年この時期におやじ山に来ると、ニコニコと笑顔になってカミさんの手伝いもせっせとやってくれる。 昨晩の夕食時には「一億円の宝くじが当たったら」という話題になって、甥っ子は「先ずお父さん、お母さんに00000000円、それから弟のMに00000000円、親戚のR叔父さん、K叔父さん、それから孝雄ちゃん(俺のことをいつもこう呼ぶのである)、M子ちゃん(カミさんの名前)にもそれぞれ000000000円・・・」と皆に配ってやるのだという。「そしたらS君の手元に何も残らないじゃないか」と口を挟むと、「俺の病気で、いつもお父さん、お母さんに心配かけてるし、皆にもいっぱい迷惑掛けているから、俺はいらないんだ」と、何やら決然と言い放つのである。俺一人、酒を呑んでいたが、途端にぐしゃぐしゃと鼻水が出てきて仕方がなかった。

 そのS君を長岡駅で見送ってから、午後は一人でおやじ山に入った。そして湧き水を溜めている酒樽を洗い、谷川の上流まで行って受水バケツの泥出しをし、それからドラム缶風呂の中を磨いたりと、夏に向けての水回りの仕事に精出した。


 午後5時、テントに戻って高台に椅子を持ち出し、眼下に広がる水田を見ながら缶ビールを呑む。つい先日まで一面銀色に輝いていた水田が、もう早苗が伸びた緑色の田圃に変わっていた。

 明日からは、夏の暦である。