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おやじ山の春 2012(「3月日記」より続く)
2012年4月1日(日)曇り〜みぞれ
おやじ山の春2012(ウグイスの初鳴き)
 街へ買出しに行くため8時過ぎに山を下った。既にシーズンを終えて閉場した長岡市営スキー場の斜面で、一組の親子が歓声を上げながらソリ遊びをしていた。そうか、今日は日曜日である。
 誰もいない真っ白なゲレンデに、スノボーで滑った軌跡が面白く描かれていて、「ほほう〜」と見とれていたら、突然「ホ〜〜〜〜ホケキョ!」と ウグイスの鳴き声が山にこだました。今年初めて耳にするウグイスの初鳴きである。

 実家に行ってコンセントを借りて、先ずは携帯電話やデジカメの充電、それから風呂に入れてもらって、街に出て買物と、大忙しであれこれやって、「さて山に戻るか」と思いきや、冷たいミゾレが降ってきた。
 実家に泊る。
2012年4月2日(月)晴れ
おやじ山の春2012(サシバ)
 実家の兄嫁から車でスキー場まで送ってもらい、ここからおやじ小屋までの雪山を、大形リュックと昨日買った背負子を代わる代わる担いで、行ったり来たりのピストン輸送で買出し品の荷揚げ作業をやった。米、食料品、味噌、醤油、炭、ホカロン、山仕事用ランヤード、それに酒、発泡酒と(この水ものが実に重いのである)荷揚げに正午までかかってしまった。
 荷揚げ途中、雪解けで木の根元に開いた穴の中で一息入れていたら、ブナ平の上空でサシバが悠然と舞っていた。(左の写真で画面の左上ギリギリの位置に写っている小さい点がサシバです) 「おやじ山のサシバが、今年も渡って来てくれた!」と思わず顔がほころんでしまった。

 夜は久々に耐乏生活から解放されて、すっかり気持ちが大きくなって、七輪にがんがん炭を熾し、酒、発泡酒もぐいぐいやって・・・ (これだから、またすぐにケチケチ生活に追い込まれるのである)
2012年4月3日(火)曇り
おやじ山の春2012(伐倒中止)
 今日は雑木の森に生えている大径のコナラの老木を、森に光を入れるために伐倒する予定だった。倒す方向を決めて梯子を木に掛け、誘引ロープを幹に巻きつけていると、風でぐらぐらと大きく揺れるのである。ラジオの天気予報は、今日は大嵐になると報じていたので、こんな日に木から落ちて動けなくなったら誰も助けに来てくれないだろうと、中止することにした。 

 生温かい南寄りの風で、気温は7度まで上がった。それでまた雪解けが進み、おやじ小屋の床の水位も上がってビショビショの水上生活である。

 夕方のラジオが、全国各地で強風による被害が出て、死者3人、怪我をした人379人と伝えていた。
2012年4月4日(水)雪、晴れ
おやじ山の春2012(冬に戻る)
 昨夜は、一晩中吹き荒れた強風がおやじ小屋のドアを何百回となくノックした。「ドンドン・ドンドン・ドンドンドン・・・」と全く絶え間なくて、その度に「はいはいはい、わかりました。入ってますよ。はいはいはい・・・」と夢見心地で応えていた。

 そして朝になって、幾分風は弱まったものの、「パタパタ・・・パタパタ・・・」とドアが鳴り続けている。ベッドから身を起こして、頭の上のサッシ窓を開けると、ボタン雪が小屋の中に舞い込んできた。おやじ山が再び冬の季節に戻ってしまった。

 午前中の殆どを、ベッドの上で寝袋を被って本を読んで過ごす。「ソローの博物誌」<秋の色>の章に目を落としながら、耳では山菜山の尾根の杉の木が「ザーザー」と唸り声を上げて騒いでいる風音を聞いていた。時折、ガラス窓にぱっと日が差して、急いで窓を開けて外の景色を見る。その瞬間、今まで舞っていた白いボタン雪が、山菜山の杉林の黒い翳の中に吸い込まれるように消えて、眩い光線に景色の主役が入れ替わるのである。全く今日の天気はネコの目天気である。

 午後3時、体がなまってしまいそうで、ベッドから降りて仕事に出た。おやじ池を覗くと、強風で落ちた杉っ葉で一面に覆われて、クロサンショウウオの白い卵も見えなくなっていた。
 午後5時までかかって、小屋の東斜面に生えている百年杉4本の太い下枝を落とす。空が幾分開けて、気持ちがいい。

 夕飯を食いながら、奥歯が頻りに痛む。困った。
 
2012年4月5日(木)雨
おやじ山の春2011(鉄瓶の湯気と感性について)
 今朝はベッドに寝たまま雨の音を耳にしながら、なかなか寝袋を這い出る気になれなかった。午前8時にようやく起き上がったが、歯の痛みが取れないでいる。さらに風邪をひいたようで、喉の調子もおかしい。
 昨晩はフクロウが鳴かなかった。一昨日の大嵐で卵2個置いてどこかに行っちまったんだろうか?

 午前10時の気温はまだ1℃。今日は一日中七輪に炭を焚いて、鉄瓶の口から白い湯気の立ち上るのを眺めていた。不思議にこの湯気を見ているだけで体が温まって、幸せな気分になる。

 今日のラジオで、元首相で政界を引退してからは茶人、陶芸家として活動している細川護煕氏が、人の感性について次ぎのように話していた。
 『感性は立派な絵を見たり、素晴らしい工芸品を見たりして養われる部分はごくわずかです。その人が子どもの時にいかに自然に触れたか、それで決まるのだと思っています。人間の感性は、自然の中で森に囲まれながら、色とりどりの草木や花を見、風を感じ、音を聞き、匂いを嗅いで得られるものだと思います。だから、自然こそが人間を育てる教師だと・・・。』
 細川氏のインタビューを聞きながら、俺がガキの時に、おやじが教えてくれた大切なことに再び深く気づかされて胸が詰まってしまった。
2012年4月6日(金)雪
おやじ山の春2012(山菜山の夕暮れ)
 昨夜はアノラックとスキー用のオーバーパンツも履いてシュラフに潜り込み、まるで蓑虫みたいになって寝た。久しぶりに暖かく良く眠れた。

 午前4時頃だっただろうか、フクロウが山桜の斜面と巣箱とで頻りに鳴き交わして、どっと安心する。父ちゃんフクロウが夜中の狩りを終えて、母ちゃんに「ただいま〜」と言っているのだと思う。雨の音もなくシ〜ンと静まり返った未明の朝で、「ゴロスケ・ホッホ」と低くこだまするフクロウの鳴き声を嬉しく聞きながら、寝袋の中で今日一日の仕事の事を考えていた。

 ところがぼんやりと外が明らんで、ベッドから身を起こしてサッシ窓を開けると、雪である。向かいの山菜山が霞むほどの降り様で、大きなボタン雪がまさにしんしんと降っている。何やら「ほ〜〜」と溜め息が出るような感じで、しばらくは雪景色に見とれていた。空から真っ直ぐ落ちてくる真綿のような雪片は、窓のすぐ近くでは随分忙しく落ちて来るのに、山菜山の方に目をやると、まるで空気に浮いているほどの遅さである。目の錯覚とはいえ、そんな降り方の対比を面白く眺めたりした。先日の嵐で、落ちた杉っ葉できたなく汚れた積雪の大地が、みるみる純白の真綿で化粧直しされていくようだった。

 雪が降ったり止んだりの一日で、小屋の中で本を読んだり、作業ノートにこれからの山仕事をあれこれ想像して書きつけたりして過ごす。
 そして、午後5時、雪が降り止んだ山菜山にぱ〜と夕日が当たって、見事なオレンジ色に染まった。
 
2012年4月7日(土)雪
おやじ山の春2012(街で眠る)
 朝6時、外に出ると一面の銀世界である。更に新雪が20cmほども積もって、全くの冬景色に戻った。
 今日は長岡きのこ同好会のSさん宅に招待されていて、その前に風呂に入って体の煤を洗い落とすことにした。

 それで、午前8時過ぎに小屋を閉め、溜まったゴミを背負って雪山を下った。
 新雪の朝の景色は何とも爽やかで、裸だった森の木々が真っ白な雪衣を纏って佇んでいる姿は、何度目にしても見飽きない。
 9時半にスキー場まで下り、そこからは風谷山を背負った栖吉の村の雪景色を横目に見ながら田圃の中を歩いて、11時に乙吉にある「麻生の湯」に着いた。温泉に浸かって長々と手足を伸ばすと、どんどん体がほぐれていくのが分かる。

 それから、長岡駅前の市民プラザ「長岡アオーレ」のオープン祭りの会場に寄り、Sさん宅へのちょっとしたお土産を買って、Sさん家に向った。

 まるで盆と正月を一緒に迎えたようなご馳走が出て、ふかふかの蒲団に入った時の幸せな気分たらなかった。Sさん、本当にありがとう!
2012年4月8日(日)晴れ
おやじ山の春2012(小屋に帰る)
 Sさん宅で目を覚ます。やっぱり寝心地が良すぎたせいか、午前2時頃からうとうとを繰り返した。
 奥さん心尽くしの豪華な朝食が用意されて、何やら懐かしい思いで、NHKの「さわやか自然百景」と「小さな旅」を観ながら食事した。

 食事が終わって、Sさんに案内されて近所を散歩した。太子堂を見、信濃川の堤防に上がって、満々の雪解け水を湛えた豪快な流れに息を呑む思いだった。日本一の大河は、今冬の大雪で例年になく水嵩が多いのだという。そんな猛々しい流れの淀みに、川鵜と鴨が遊んでいた。
 そしてSさんが案内してくれたのが、堤防の上に建っている作家海音寺潮五郎の文を刻んだ石碑である。氏もまた、この信濃川の風景に感動し讃を残してくれたのだと、嬉しかった。

 午前10時過ぎ、Sさん宅を辞す。奥さんから昼食用と夕飯用のたくさんの差し入れ品を頂戴し、涙が出そうである。Sさんに車で市営スキー場のロッジ前まで送っていただき、そこで別れた。

 登り始めたキャンプ場下の斜面で、若者3人がスノボーの練習をしていた。「これから山登りですか?」と尋ねられて、「いや、この奥にある俺の小屋に・・・」と答えると、途端に目を輝かして、「エッ?小屋どこにあるんですか?カッコイイなあ〜」と言われてしまった。

 小屋に帰って寝袋の天日干し、午後からは若杉の森の枝打ちを8本片付けた。
2012年4月9日(月)曇り
おやじ山の春2012(電気が来た)
 暖かい朝である。今朝はおやじ山のウグイスの初鳴きを聞いた。そしていつものように、クロツグミが西の黄土沢の森で朗らかに囀っていた。

 今日はSさん発明の「ソーラー発電機」をおやじ小屋に運び上げる日である。再び今日、Sさんが車でソーラー発電機をスキーロッジ前まで運んできてくれて、そこからは背負子に括り付けて担ぎ上げた。25キロほどはあるだろうか?雪に何度かどふりながらも、途中途中で休憩をとり、2時間近くかかってようやく小屋に辿り着いた。

 そしていよいよ40ワットの電球をコンセントに差してスイッチを入れると・・・
 「点いた!わ〜明るい!嬉しい!」
 とりあえず発泡酒で乾杯!(俺一人しか居ないけど)足りずに日本酒で、も一度乾杯!そのまま夜まで呑み続けてしまった。仙人(千人)が百人に戻った日である。
2012年4月10日(火)晴れ
おやじ山の春2011(三ノ峠山の昼寝)
 明け方、背中がゾクゾクと寒く、首回りから肩にかけて凝るような痛みで眠れなくなった。頭も、痛い。二日酔のせいか、荷揚げの疲労か、風邪を引いたのか、良く分からない。

 5時過ぎにベッドから下りて外に出ると、全くの上天気で、ウグイスや他の野鳥たちが競うように鳴いている。それで今日予定していたコナラとカタクリの丘の杉の伐倒を急遽変更して、三ノ峠山までトレッキングに出ることにした。(いつもこの調子で、なかなか施業が捗らないのである)

 しかし、頂上下の「友遊小屋」に着くまでは、実に苦しかった。身体を押し上げるようにして喘ぎ喘ぎ登った。
 友遊小屋ではMさんが一人でストーブを焚いていて40分ほど四方山話をしてから、山頂に向った。
 やはり体調が悪くすっかりへたばってしまい、三ノ峠山の頂上に着いた途端、仰向けになって昼寝である。春の眩く暖かい、昼寝には絶好の陽ざしだった。

 「やあ〜日向ぼっこですね」と登ってきた登山者に声を掛けられて目を覚ました。それから千本ブナ、ホオの木平を経由して北尾根を下り、おやじ小屋に戻った。
2012年4月11日(水)曇り〜雨
おやじ山の春2012(コナラの伐倒)
 昨日、ソーラー発電機の充電のために、ソーラーパネルを窓の外に掛けていたら、いつの間にか被覆線のコードが剥き出しになってショートしていた。おやじ小屋のヒメネズミの仕業である。うちのネズミはカミさんと同じで、ピカピカ光るものは大好きだが、まさかソーラーパネルのビニールコードまで齧るとは思わなかった。

 それでSさんに電話したら、早速今日の朝、スキーロッジまでパネルを受け取りに来てくれた。自宅に持ち帰って修理してくれるという。パネルを渡すと、Sさんは交換に「これ、ウチの女房から・・・」と手提げ袋を差し出すのである。中を覗くと、ラップに包んだ温かいご飯、手づくりのフキミソ、それに「魚沼のかぐら辛っ子」と「新潟加島屋の山海漬」が入っている。思わず手を合わせてしまった。

 小屋に帰る途中の雪山の斜面はすっかり春らしくなった。イカルが「ピピピ、ピ〜!」と甲高く鳴き、オクチョウジザクラとショウジョウバカマの初咲きを見つけ、オオカメノキも花の蕾が膨らんできている。

 午後からは雨の予報で、午前中は急いでコナラの伐倒作業をした。何しろ幹の太さは40cmを超える大径木で、梯子を掛けて幹に誘引ロープを巻きつけ、木の重心を移すために西側の太枝も伐り落とした。
 先ずチェーンソーで受け口を△に伐ってから、追い口を少しづつ伐ってはウインチでロープを引き、それを何度か繰り返しながら慎重に作業した。そしてバリバリバリ!と倒れ始めたが、残念、もう少しの所でコナラの梢が隣のホオノキの枝に掛ってしまった。ここで無理して処理すると、大怪我の元である。今日は諦めて作業を終えた。

 12時、小屋に入ってSさんから頂戴した包みを開く。本当に、有難くて涙が出てしまった。

 午後は予報どおり、雨になった。暖かい春雨である。いくらかウキウキした気分で小屋の中を整理した。
2012年4月12日(木)晴れ
おやじ山の春2012(一時下山の日、春呼ぶサシバ、カタクリ、フクロウ)
 今日、一時下山することにした。14日(土)が母校の同窓会(長岡高校東京支部総会)で、実は明日下山する積もりだったが、数日前から奥歯が痛んでせっかくの友人達との嬉しい再会であり、その前に自宅近くの行きつけの歯科医院で診てもらおうと思ったからである。

 昨夜も痛む歯の頬っぺたに手を当てながら寝袋のなかでウトウトを繰り返していた。23時台のCWニコル氏の話から、0時を回って全国の天気、NHKのど自慢大会で当時司会をしていた宮川アンカーが全国を行脚した際の紀行談、そして午前3時からの懐かしのメロデーと頭の中でラジオの音声はずっと続いていたが、耳は一晩中降っていた雨音を聞いていた。雪解けを呼ぶ大粒の雨が、おやじ小屋の屋根を打ち続けていた。

 その雨が止んで、午前5時50分に寝袋を抜け出た。ラジオの天気予報は「今日は気温も上がって快晴の一日」と告げていた。先月の入山からようやく4度目の貴重な晴れ間である。

 ドアを開けて外に出たら、いきなり向かいの山菜山でけたたましくウグイスの鳴き声がした。しかしどうも鳴き方が変で「はてな?」と首を傾げていたらやっぱり・・・本来のクロツグミの鳴き声に戻った。この鳥は天性のエンタテナーで他の野鳥の鳴き声を真似る癖がある。本物のウグイスの囀りも山菜山の斜面に高々とこだましていた。今朝の気温は4℃、いつもよりは随分暖かい朝で、野鳥達にとっても春の到来を知らせる嬉しい一日の始まりなのだろう。

 8時過ぎにヘルメットを被って小屋を出、先日伐倒作業をした太いコナラの木がホオノキに掛ってしまったので、その処理に向った。おやじ山の上空の雲も切れて青空が見え始め、何と!そのスカイブルーをバックにサシバが3羽、黒く濃いシルエットで悠然と旋回しているではないか!おやじ山にサシバが帰ってきてくれたのである。胸をワクワクさせながらしばらく見惚れていた。

 雪の上に二連梯子を突き差してホオノキに立て掛ける。そして梯子を登り切った所で安全帯の命綱を太い枝に巻きつけてから掛かり木になったホオノキの枝にチェーンソーを入れた。ホオの枝と一緒にコナラの大木が「ドサ〜ッ!」と雪の上に倒れた。樹齢50年以上は経っているだろう、直径40cm程もあるコナラの伐り口に日本酒を注いで供養させてもらった。そして、一件落着だがもうこんな危険な作業はすべきではないなあ〜と・・・・・・
 時計を見ると10時を回っていた。倒れたコナラの幹に腰掛けてしばらく休憩する。天空が大きく空いて今日の陽ざしが眩いほどである。ここの雪が解けたら、春の陽ざしを一杯に浴びてどんな草花や若木が育つのか、想像するだけで何と楽しいことか・・・。

 さらに午前中、小屋の東側に植栽された樹齢は可なり長い筈だが日蔭でひねた杉の立木を2本伐倒した。おやじ池や小屋に倒れない様、ロープを掛け方向を定めて丁寧に伐り倒した。

 昼飯は白菜一杯のキムチ鍋を作って餅を入れて食う。そして食後の日向ぼっこで小屋の南側に出てみると、雪解けの地面にカタクリがにょきにょき顔を出して、そのうちの一輪が可憐な花をつけていた。今年のカタクリの初見である。

 さて、山に入った翌3月23日に、ムササビの巣箱を掃除してやろうと梯子を掛けて登ったら、大きな目をしたフクロウと目と目が合った。待望のフクロウがようやく巣箱に棲みついてくれたのは嬉しかったが、この時はお互いにビックリ仰天して、フクロウは「バタバタバタ!」と巣箱から飛び出してしまった。しかし巣箱の中には綺麗な卵が2個あった。抱卵していたのである。その後、親鳥は巣箱に戻って抱卵を続けていたようだったが、今まで2回も巣箱の近くで驚かして親鳥を飛び立たせてしまった。
 それで、今日はまだフクロウが居てくれているだろうか?ひょっとして卵がみよけて子フクロウが・・・?などと気になって、やっぱり梯子を掛けて巣箱を覗いてみることにした。
 そ〜と梯子を掛け、そ〜と登り・・・そ〜と、「バタバタバタ!!」「居た!嬉しい!」 そのまま梯子から下りてしまったが、卵も子フクロウも確認せず仕舞いだった。残念!

 午後は下山の準備だった。湿った寝袋を日干しし、溜まったゴミを整理し、チェーンソーを整備して片付け、あっと言う間に4時を回った。それから干し物を仕舞い、山盛りの洗濯物とゴミをリュックに詰めて5時におやじ小屋を後にした。

 今おやじ山は、<惨淡として睡(ねむ)るが如し>冬山から、いよいよ<淡治にして笑うが如く>春山へのちょうど端境の時期である。
2012年4月18日(水)晴れ
おやじ山の春2012(再び山へ)
 今朝の4時半に藤沢の自宅を車で出発して、再びおやじ山に向った。
 関越道の上越国境が近づくにつれて、青空に屹立する谷川岳の白さが眩いばかりである。谷川PAで車に積んできたポリタンクに谷川岳の大清水を詰めて一休みする。
 
 関越トンネルを抜け、一変した雪景色の中を走って小千谷インターで高速道路を下りた。そしてホームセンターで炭やチェーンソーオイルを仕入れてから、Sさん宅に寄り、修理を頼んだソーラーパネルを受取った。

 市営スキー場の事務所に顔を出してKさんにご挨拶し、職員の方が使っている駐車場に車を停めさせてもらう。それから大形リュックを背負ってまだ雪で埋まっている車道を歩き始めた。キャンプ場の前を通ると、炊事場下の作業道路を職員の方がシャベルで除雪している。例年なら4月第2週からのオープンだが、今年はゴールデンウィークにも間に合うかどうかの積雪量である。「お疲れさまで〜す!」と声をかけると、「は〜い!」と笑顔が返ってきた。

 自然観察林の直登の尾根を登って、午後3時におやじ小屋に着いた。小屋の周りは雪解けが大分進んで、ブナの幼木を植えた広場はすっかり水浸しである。昨年秋の下山前に、良かれと思って雪囲いしたブナが、今冬の雪に潰されて、荒縄で縛った所から折れそうに大きく曲がっている。早く支柱を外して解放してやらないと・・・と大反省である。

 夜、フクロウの鳴き声と、小屋の中では、チョロチョロ、チョロチョロとヒメネズミの何度ものご挨拶である。
 
2012年4月19日(木)快晴
おやじ山の春2012(フクロウ時計)
 上天気である。今日はエンジンフル回転で働いた。
 8時半に仕事を開始。先ずは大きな雪穴を掘って小屋の周りに散乱している杉の枯れ枝を集めて焚き火。それから湧き水を溜める酒樽の清掃。中の濾過材(玉砂利、竹炭、砂、グラスファイバーウール)を全て取り出して洗浄し、竹炭は新品に交換。さらに今冬の雪で傾いたトイレの上部を全て分解して取り去り、危ない床板を張り替えた。(しばらくは青天井のトイレになるが、覗くのはフクロウくらいである)

 昼飯の後は、折畳み椅子を山桜の斜面の縁に出して、春の陽ざしを浴びながらゆっくりコーヒーを啜った。実に気持ちが、いい!向かいの山菜山の斜面は、残雪5割、雪解けで現れた地肌が5割と、ちょうど5分5分のまだら模様である。
 足元にはカタクリの新芽がいっぱい出て、ピンクの花もチラホラ咲き始めた。そしてすぐ目の前のオクチョウジザクラの枝にも、淡いピンク色の花が何輪か控え目に付き始めていた。

 夜7時、フクロウ鳴く。昨夜も同じ時刻に鳴いた。明け方に鳴く時間も、4時15分と殆ど同じ時間である。昔の柱時計にフクロウのデザインがあり、確か「フクロウ時計」といったような記憶があるが、「なるほど!」と合点がいった。
 
2012年4月20日(金)曇り
おやじ山の春2012(助っ人Nさんの来訪)
 やはり4時15分に鳴いた「ゴロスケ・ホッホ!」で目を覚まして、4時半にベッドを降りる。

 それにしても昨晩はウチのヒメネズミがうるさかった。ヘッドランプの明りで追ってみると、先ず西側の梁を右端から左にチョロチョロと伝って来て、壁に立て掛けた枯木(枝打ち鎌などを入れる籠をぶら下げてある)に移り、そこをツツーと下りて、チェーンソーなどを仕舞っておく木箱(長押)にトンと降りる。今度は木箱の上を右に走って、姿を消す。(多分、トンと床に下りるのだろう)するとまたすぐ、消えた所から姿を現して、今度は逆方向に梁の右端まで戻って、ここでまた姿を消す。するとまたすぐ、梁の上を左にチョロチョロと伝って・・・と際限のない行ったり来たりの繰り返しである。巣作りか?子育てか?いったい何をやっているのだろう?何度かは途中でピタリと止って、俺の方に顔を向けて、実に可愛い目で見たりするのである。悪びれた様子もなくて、ここは自分の家だとすっかり安心し切った態度なのである。
 ヘッドランプを消してまた横になっていたら、今度は枕元まで来てゴソゴソやるものだから、思わず「コラーッ」と怒鳴ってしまった。

 今日は、神奈川からNさんが山仕事の手伝いに来てくれた。
 朝7時半、車に嬉しい差し入れ品を一杯積んでNさんが麓のスキー場に着いて、二人でそれらを担いでおやじ小屋に入った。Nさんは「ここに来ると、何だか落ち着きますねえ」と、2月の雪掘り以来の訪問を喜んでくれた。
 そして早速、おやじ山からブナ平分岐までの山道の整備をやってくれて、大助かりである。
 
 夕飯は、谷川に下りて摘んだ今年のフキノトウとコゴミの初物料理、そして雑煮を作って二人宴会である。Nさんは小屋に、俺は外にテントを張って寝た。

 
2012年4月21日(土)快晴
おやじ山の春2012(春、生まれる)
 ♪ど〜こ〜かで 春が 生まれ〜てる〜♪
 ♪ど〜こ〜かで 芽の出る 音が〜する〜♪
 ♪おやじ・山ァ〜の 四月ぁつ〜 ・・・♪
 と、思わず唄いたくなるような快晴の一日だった。

 向かいの山菜山のまだら模様の地肌も、黒々と湿った厳しい色合いから、温もりのある柔らかな黄土色に変わった。下の谷川に下りると、真っ黄色のフキノトウや萌え出たばかりのコゴミが迸る清流のしぶきを浴びて、見ているだけで美味そうである。さっそく摘み取って、フキノトウは鮮烈な香りのフキ味噌、コゴミは野趣たっぷりのお浸しにして晩飯のおかずにする。
 たっぷりの日射しを浴びて雪解け後の地面からは、あっちにもこっちにも、まるで競うようにカタクリの赤い新芽が伸びだして、次々とピンクの花を咲かせ始めている。そして何と言っても、今年のユキツバキの花は素晴らしい。鮮やかな臙脂色の花弁が眩い残雪の白に映えて、見事な自己主張である。

 昨晩は動物たちも命の躍動を抑え切れなったようだ。
 夜中の2時半頃だっただろうか。フクロウの巣箱の下で、テンが「フーッ!フーッ!」と唸り声を上げて威嚇し、上の巣箱からは親フクロウが、「ココココッ!ココココッ!」とニワトリそっくりの鳴き声で反撃していた。多分、テンがフクロウの卵か、みよけたヒナを狙っていたのだと思う。
 午前3時半、「ゴトゴト、ゴトゴト」と巣箱が音立てて、そのまま静かになったが、果たしてこの攻防はどうなったのだろうか?

 今日はNさんに、若杉の森の枝打ちを15本もやってもらった。お蔭様で一気に見通しがよくなって、気持ちのよい杉林になった。
 そして夜は、Nさん差し入れの日本酒やビール、それにウイスキーのボトルまで狭い小屋に林立して、俺はもう、「フーッ!フーッ!」と昨夜のテンみたいな息をして、ようやく寝床のテントに潜り込んだ。
2012年4月22日(日)曇り、夕方から雨
おやじ山の春2012(Nさんの下山とオオヤマザクラ)
 今日はNさんが帰る日である。
 それで居るうちにと思い、Nさんに手伝ってもらって、小屋の中のストーブを移動したり、外の物置に片付けてあったドラム缶風呂を火焚き場に設置したりした。重くてとても一人ではできない仕事である。

 11時にNさんを送って山を下った。途中の山道ではカスミザクラが綺麗に咲いていたり、何よりも、自然観察林の作業道路脇のオオヤマザクラ(別名:ベニヤマザクラ)が素晴らしかった。
 山道を下って来て、「おお〜」と二人して思わず感嘆の声を上げて、そのまま地べたに座り込んで即席のお花見をした。枝一杯にピンクに染まった満開の桜と、ようやく若草の萌え出た冬枯れの大地、そして所々に冬の名残り雪が白く残ってと、全くシチュエーションも見事ですっかり感激してしまった。
「俺たちだけの花見で、贅沢だなあ」と言ったり、「こんな景色を、二人だけで見るのはもったいないなあ」と話してようやく腰を上げた。

 歩き出してしばらく下ると、折畳み椅子を抱えた夫婦が坂を登ってきた。「こんにちわ〜」と挨拶すると、これから俺たちの見た桜を見に行くのだという。Nさんがすかさず、「いいですよ〜すごくいいです。ちょうど見頃で最高です」と息を弾ませて説明した。

 麓のそば処「千花」に寄って昼食を摂り、ゆっくり食後のコーヒーを飲んでから、店の前でNさんの車を見送った。

 小屋に戻り、ちょうどフクロウが鳴きだした時刻に、Nさんから「無事、自宅に着きました」の携帯メールが入った。Nさんへの返信には、「今、おやじ山のフクロウが鳴きました。こちらも無事のようです」と書いて送った。
 
2012年4月23日(月)曇り
おやじ山の春2012(トキとフクロウのヒナ誕生?)
 昨日は、佐渡で放鳥したトキのカップルから待望のヒナが誕生した、とラジオニュースが報じていた。今日も今朝からラジオが、「佐渡市役所ではお祝いの垂れ幕が下がり・・・」「佐渡汽船では祝賀会が・・・」「泉田新潟県知事も談話を発表し・・・」と、トキのヒナ誕生の話題で大騒ぎである。トキやフクロウなどの大形野鳥は、抱卵から約1ヵ月でヒナがみよけると聞いているので、ひょっとして、うちのフクロウもヒナが誕生したかも知れない。
 というのは、昨夜は頻りにフクロウが鳴いた。いつものように午前4時15分の最後の「ゴロスケホッホ!」まで、こんなに続けて鳴いたのも珍しい。多分、フクロウのカップルもヒナ誕生で嬉しくて仕方がなかったんだと思う。

 午前中は小屋周りの溝堀をした。以前の床上浸水で応急処置の仮溝は掘ったが、やはりしっかり工事はしておいた方が良さそうである。
 そして午後、今年初めて、向かいの山菜山に入った。まだ誰も踏み込んでない処女斜面のあちこちに、みずみずしいフキノトウやコゴミが頭を出して、うきうきと胸弾む初物収穫だった。

 夕方は、雪解けの大地に白い霧のベールがかかって、おやじ小屋の周りは幻想の世界になった。
2012年4月24日(火)曇り、昼の気温18℃
おやじ山の春2012(春の女神ギフチョウ初見)
 昨晩も頻りにフクロウが鳴いた。嬉しい!
 午前中は、小屋周りに掘った溝の土留め用の杭打ち。マンサクの丸太を4、50cmに切り、手斧で先を尖らせて何本も杭を作った。

 午後は、昨日の山菜山の収穫物を友人に送るため、山を下りた。そして山道の途中で今年初めてのギフチョウを見た。まさに春の女神で、この蝶を見ると「ああ、おやじ山に春が来たなあ〜」とふつふつとした歓びが湧き上がってくる。

 街で宅急便を出して、午後4時、自然観察林の作業道を歩いて小屋に向う。今日も沿道のオオヤマザクラが実に見事である。そして見晴らし広場まで登ると、春霞に煙る長岡の街を雲間からのぞいた夕日が薄いオレンジ色に染めていた。街中を、満々の雪解け水を湛えた信濃川が走る。その銀色に光る太く堂々とした揺ぎのない流れに、全く惚れ惚れと魅入ってしまった。



2012年4月25日(水)晴れ
おやじ山の春2012(スプリング・エフェメラル)
 この春一番の晴天になった。朝6時半、やはり地元の山菜採り名人のAさんがやってきた。「そろそろAさんが山に来る頃だなあ」と思ってた矢先の来訪で、勘がピタリと的中した。お茶をお出ししてしばらく四方山話をする。最近の山菜ブームであちこちの山が入山禁止になり、締め出されたプロの業者がこちらの山に入って来て、やらずぶったくりで荒らすので困る、というような話もする。いつまでも地元の人たちが山の恵みを大事にしながら分かち合えるような、昔からのマナーやルールを守ってもらいたいものである。

 Aさんが向かいの山菜山に入るのを見送って、山を一回りする。日当たりの斜面一杯にカタクリの花が咲き、蕾んでいたタラノキの新芽が弾けるように伸び出しているのが分かる。谷川に下りると、水音がさらに大きく轟いて、その響きでキクザキイチゲの白い花びらがピリピリと震えているようだった。なるほど、キクザキイチゲの学名は<Anemone altaica>、ギリシャ語の<anemos=風の娘>から来ているという。
 そして日本海側の多雪地帯に咲く花、スミレサイシンやオオバキスミレ、ユキツバキと、まさに百花繚乱の趣だった。
 ギフチョウの姿も、今日はいっぱい目にした。山笑う春の到来である。
2012年4月26日(木)27日(金)曇り
おやじ山の春2012(故郷の春)




2012年4月28日(土)晴れ、日中の気温25℃
おやじ山の春2012(ギフチョウ採集会)
 いよいよ巷では春のゴールデンウィークに突入したようである。それで大型連休初日の今日は、市民対象の長岡科学博物館主催「ギフチョウの採集会(!)」が開催されるというので、デジカメだけを手にして参加することにした。全国各地で天然記念物に指定され、絶滅又は準絶滅危惧種(環境省:絶滅危惧U類)でもあるギフチョウが、この長岡では堂々と網で捕獲してセロファンの三角紙に包んで持ち帰れるという、何ともおおらかというか凄いイベントである。場所はおやじ山の麓の自然観察林内である。

 朝、山菜山に入ってコゴミとゼンマイをいくらか採ってから、おやじ山を下りて集合時間の10時少し前に自然観察林の入口広場に行った。参加者は20名ほどで、虫好きの子どもたちが半分超、付き添いの親御さんたちと素性の分からない俺のような大人が残り約半分という按配である。子どもも付き添いの親たちも毎年の常連参加者と見えて、立派な捕虫網を手にして互いに親しげに話している。

 講師は長岡科学博物館の館長さん御自らで、開会の挨拶と冒頭説明で、ギフチョウのオス・メスの習性や一匹の蛹が夏眠と冬眠を同時にするという特異性、県内にはギフチョウとヒメギフチョウの2種が生息し、その各々の見分け方など、大いに勉強になった。

 今日も気温がぐんぐん上がり、絶好のギフチョウ日和で、「あっちだ、こっちだ!」と、ヒラヒラと舞うギフチョウを見つけては何人もが一斉に網を振りかざして突進するものだから、いささか凄まじい光景だった。一人で4,5頭も採集した子もいて、多分正午の終了時間までには全部で30頭は捕獲されたと思う。

 俺自身もそうだったが、採集することでどんどん昆虫好きになっていったが、全国的な希少種のこの蝶を、こんなやり方で親しませるのは如何なものか?とやはり疑問は感じてしまう。

 今日からいよいよキャンプ場もオープンしたようだ。まだ誰も居ないテントサイトまで様子を見に行き、ベンチに座って今朝Sさんから頂いたおにぎりを食べた。そしてここでW場長さんにも久々にお会いし、おやじ山のフクロウの話や、近年東山で出没しているというカモシカの話しなどをした。

 小屋に帰ると、山桜の斜面でカスミザクラが咲き出していた。例年よりは遅い開花だったが、この陽気では一気に満開になるかも知れない。
 
2012年4月29日(日)晴れ、夏日
おやじ山の春2012(森の賢者)
 夜中に2度フクロウが鳴いたので、今日こそはフクロウが狩りを終えて巣箱に戻るのを見届けようと、テントの中で見張っていた。午前4時を回って、「そろそろだなあ・・・」と思っていた矢先に、「ゴトン!」と巣箱に入る音がして、慌ててテントから首を出したが、またしても見逃してしまった。
 昔の日本では、フクロウをみかけることは不吉なこととされていたようだが、現在ではその逆で、「不苦労」「福郎」のゴロ合わせで、福を呼ぶと言われている。

 それが今日の午後6時10分、巣箱からフクロウが飛び立つのを目撃した。フクロウは音をたてずに飛ぶ。巣箱から若杉の森へ飛んで一度杉の木に止まり、そこからコナラの森を西方向に下って行った。そのフクロウの飛んでいる姿を見ただけで、「何と賢い鳥だろう!」と思った。「フクロウは人の気持ちが分かる鳥だ」とも思った。何の脈絡もなく咄嗟にこんな思いを持つとは、我ながら不思議で仕方が無い。
 古代ギリシャではフクロウは女神アテナの従者であり、やはり「森の賢者」と称されて知恵の象徴とされていた。遥か遠く離れた国の大昔の人たちも、この鳥を見て俺と同じ感慨を持ったのだと思う。

 そして今日は、もう一人の森の賢者、麓の栖吉町に住む88歳になるFさんが、山菜採りに山に来てくれた。「耳が遠なって、へえ駄目んがらてえ〜」と笑いながらも、差し出したお茶を片手に1時間ほど昔語りをしたが、その記憶の確かさにはいつも舌を巻いてしまう。 そしていつも、「いやいや、ごっつぉさんでしたのお〜」と曲がった腰を上げ、更に深く丁寧なお辞儀をして山菜山に入って行くのである。このFさんと相対している時の限りなく穏やかな懐かしさは、一体何なんだろうかと、いつも思うのである。

 やはり、昨日開花したばかりのカスミザクラが、今日一日で満開になった。
 しかし、このおやじ小屋の前から独り占めで観るサクラの、何と贅沢なことか。サクラを観るのは、今日のような晴れた朝が最高だと思う。山の峰から顔を出した朝日の光が、まだ陰っている谷間の斜面で淡墨色に沈んでいるサクラの花群を、天辺から徐々にスポットを当てながらゆっくりと下へと降りてくる。その朝日で明るく照らし出されたサクラの花が、まるで今眠りから覚めたかのように、一瞬にしてぴかぴかと光り輝くのである。朝日のスポットで飛び起きたような明るい上部と、今だ淡墨色に眠っている暗い下部との際立った対比も、全く見事な自然の演出だと感心させられてしまう。

 そして、ようやく今日気付いた発見。おやじ山のフクロウは夕方6時10分出勤、明け方の4時15分帰宅。きっちり10時間勤務(+5分残業)である。
2012年4月30日(月)曇り
おやじ山の春2012(名残雪)
 今日もラジオが、長岡地方の最高気温が27℃まで上がると報じていた。異常気象である。

 それでそろそろガチャポンプの据付で、谷川の上流部で取水する所まで水道ホースを繋いだ。しかしまだこの辺は雪崩れの雪がうず高く残っていて、とても取水バケツを取り付けることはできそうになかった。この辺の雪が解けるのは、多分もう半月後である。

 昼休みに向かいの山菜山に入って、太いゼンマイを可なり採った。早速銅鍋を棚から下ろしてゼンマイを茹で上げ、笊に天日干しである。

 午後からは先日伐倒したコナラとホオノキの片付け。シャツ一枚で汗をかきながらの仕事で、まだ4月だというのに全く夏仕事である。この分ではそろそろ小屋周りの雪も解けてしまいそうなので、(この冬の記念に?)名残り雪をデジカメに収めた。そして明日からは風薫る5月、春本番である。