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4ページ目よりおやじ山の早春 2012をアップしました。
最後のページは<3月31日>です。

2012年3月3日(土)曇り
渋沢丘陵・頭高山を歩く
 2月24日に高尾山の森林調査の仕事から帰って以来、殆ど運動らしいこともせずに自宅でゴロゴロしていた。身体をいくらか動かしたのは、先月29日に降ったぼたん雪を部屋の窓から懐かしく眺めていて、咄嗟に思いついて玄関前とお隣さんまでのごく短い通路の雪かきをしたくらいである。それも庭の隅に放っておいた小さいシャベルを持ち出して、ビショビショに湿った雪を4,5回掬ったら柄がポキンと折れてしまい、ままごとのような雪かきで終わってしまった。おやじ小屋の豪快な雪掘りと比べると、溜め息が出るような儚さである。
 そんなことですっかり身体もなまってしまって、今日は久しぶりの森林インストラクター神奈川会(JFIK)の野外研修会に参加して、渋沢丘陵と頭高山(303.4m)を歩いてリハビリに励むことにした。

 午前10時、集合場所の小田急渋沢駅に集まったのは19名、何度かおやじ山に来てくれたNさん、Kさん、NAさんの顔も見える。それに今日の講師は大ベテラン、神奈川会会長の内野さんである。

 渋沢駅から一列縦隊で民家の小路を抜けて田圃道に出る。今の時期の野草は殆どがロゼット状かルーペで覗くほどの小花で、タネツケバナやコハコベ、キツネアザミ、オニノゲシなどをゆっくり観察しながら渋沢丘陵の山道に入った。
 途中の竹林ではモウソウチクとマダケの違いを、節が1本か2本かの他に、枝の第1節から中空ならマダケ、第2節から中空ならモウソウチクとの会員からの面白い解説もあって、皆で枝を折って調べてみたりした。

 頭高山で昼食を摂ってからの下り、薄っすらと雪がついた丹沢山塊が丘陵に広がる野菜畑の向うに望まれた。ネギ畑があり大根畑があり、白菜畑、カリフラワー畑、そして黄色く色付いた菜花畑の中では、摘み取りに精出す農婦の姿があった。全くのどかな里山の風景である。

 講師の内野さんが説明する。
 「野菜を食べる部分で分類すると、果実や花を利用する果菜類、葉や茎を食べる葉茎菜類、地下茎や根を利用する根菜類とあります。さて大根はどの部分を食べているのでしょう?」「・・・根?」「半分正解ですが、これは大根の白い部分。上部の緑色の部分は胚軸です」「それではジャガイモ(ナス科)とサツマイモ(ヒルガオ科)は?」「ジャガイモは地下茎の先端が太った塊茎と言われるもの。サツマイモは根が肥大したもの。つまり塊根です」「それではイチゴは?」「ブロッコリーとカリフラワーの違いは?」「そこに植わってるネギの葉っぱは表か裏か?」と、どんどん話しが進んで、「ああ、俺は森林インストラクターでありながら、何〜にも知らなかった!」ということを思い知らされて、ガックリしてしまった。

 そんな萎えた気持ちを回復させてくれたのが、いつも自然観察会が終わったあとに行う恒例の「反省しない反省会」である。渋沢駅前の居酒屋チェーン店に大挙押し寄せて、誰も反省しない賑やかな反省会が始まったのである。
2012年3月11日(日)晴れ〜夕方から吹雪
デポ品の荷揚げ
 昨日(3月10日)、新潟で結婚式に出席した。新潟古町の創業160年余という老舗料亭で開かれたが、落ち着いた実にいい披露宴だった。
 そしてその帰り、折りしも東日本大震災から1年目の今日、長岡に立ち寄っておやじ小屋にデポ品を担ぎ揚げた。そろそろ山入りするための前準備である。日本酒(朝日山)1升、缶ビール(発泡酒だけど)1ダース、ウイスキー(富士山麓50°)1本、その他当面の生活用品etc・・・を大型リュックに詰め込んで(結婚式前に準備して車に積んでおいた)、スノーシューで雪山を1時間以上も歩いた。凄く重かった!

 いつも何でこんなに水気の多いものを、喘ぎ苦しんで運び上げるのかと、自分でも呆れてしまう。そしておやじ小屋に辿り着いて、汗拭く間もなくこれらの品々を一つひとつリュックから取り出して小屋の中に並べていくと、やっぱり思わず笑みがこぼれてくる。「これで、よし!」と何やら勇気凛々と漲ってきて、あとは矢でも鉄砲でも・・・という気分になってくる。(実に単純なのである)

 今日が今季最後の営業日だという長岡市営スキー場のゲレンデの脇から登り始めた。幸い今日の日中は春の日射しで、尾根から振り返ると眼下にはまだ真っ白な越後平野が眩しく広がっていた。そして雪の上には春を待ちわびているかのような番いのノウサギの足跡があり、おやじ山の入口まで来ると、1本の杉の木の幹にはムササビ君が巣作りに剥ぎ取った真新しい杉皮の痕が残っていた。
 2月にTさん達と雪堀に来た時に作った「かまくら」も健在で、これは春までの食料貯蔵庫として使うことができる。


 午後4時過ぎに、空になったリュックを背負って雪山を下った。スキー場の上まで来ると、スピーカーからは「蛍の光」が流れ、盛況だった今冬のスキーシーズンの終わりを告げていた。

 雪国の春は、もうすぐである。
2012年3月14日(水)快晴
ガーラ湯沢の絶景を滑る
 こんな素晴らしい天気に恵まれるとは・・・!まさか今日の日が天下一品の快晴になるとは予想もしなかった。いつものことだが、FさんとKさんの晴れ女二人の神通力には恐れ入ってしまう。

 毎年恒例となった高校時代の同級生仲間とのガーラ湯沢でのスキーに行ってきた。還暦を迎えた年に誘われたのが始まりで、以来毎年1回きりだが何年が続けているうちに「昔取った杵柄」で、勘を取り戻してそこそこ滑れるようになった。しかし何よりも、昔の同級生仲間と雪のゲレンデに出て、リフトに揺られながら思い出話しに花を咲かせて大笑いしたり、周りに拡がる大パノラマの雪山を眺めたりと、一気に半世紀前の高校時代に戻ったような気持ちになれるのが、実にいいのである。そしてつくづく、「ああ、これが50年前の現実であったら・・・」と、4人並んで座ったリフトの上で、遥かな上越国境の山々の更にずっと遠くを眺めやりながら、弱々しく悔やんでみたりするのである。

 「私たち、足腰弱ってリフトから下りられなくなったら、もう終りね」とKさんが言う。(そりゃそうだろうけど、まだまだ・・・)と思いながらも、リフトが頂上に着いて「やれ、どっこいしょ」と思わず声が漏れ出てうな垂れてしまうのである。
 そのKさんですら今回は珍しく「あれッ?」となった。めいめい身支度を整えてこれからゴンドラに乗って出発するという段になって、Kさんが1日リフト券を入れたポシェットを落としたという。受付で紛失届けをして、仕方なしにKさんはまた新たにリフト券を買うはめになってしまった。ところが、午前中の滑走を終えてスキーロッジのレストランに入り、いざ上着を1枚脱いで食事をという時になって、何と落としたというポシェットがKさんの(太?)腕にゴムバンドでしっかり留められているではないか。
 T君も今朝は小銭入れをどこかで失くしてしまったと言っていたし、「オレ、オレならぬ、俺たちもアレ?アレ?が増えてきたなあ〜」とみんなで苦笑いである。

 それでも全員怪我もなくガーラ湯沢でのスキーを無事終えて、湯沢駅近くのホテルの日帰り入浴で汗を流し、T君お勧めの店で実に美味い蕎麦を食べた。

 viva GALA!
 viva 素晴らしい仲間たちよ! である。

おやじ山の早春 2012
2012年3月22日(木)曇り
おやじ山の早春2012(山に入る)
 いよいよ春のおやじ山暮らしのスタートである。

 長岡の実家の義姉から車で市営スキー場のロッジ前まで送ってもらい、車を降りてパンパンに膨らんだ75リットルのリュックを担ぎ上げた。午前11時半、スノーシューを履いてキャンプ場からの尾根を登り始める。この辺りの積雪はおよそ7、80cmくらいだろうか。

 約1時間で見晴らし広場に着く。昨年に引き続いて降雪量の多かった今冬は、また低温で雪解けが進まず、眼下に望む長岡の町並みは今だ白一色の世界である。
 おやじ山へのルートに入ると途端に積雪が深くなった。途中枯れたミズナラの木にヒラタケが生えていて、山暮らしのオカズにむしり取る。

 13時15分、おやじ小屋に着いた。小屋周りの積雪は2月に行った雪堀り(屋根の雪下ろし)のせいもあってたっぷり2mはある。リュックを小屋に下ろしてからおやじ池を雪の上から覗き込むと、クロサンショウウオの産みたての真っ白な卵塊があった。この深い雪の中を、この生き物がどうして季節を感じて産卵に来るのか、全く不思議である。

 ホオノキに掛けたムササビ君の棲家となったフクロウ巣箱の入口が濡れていた。掛けた巣箱がおやじ山の生き物達にしっかり利用されていることが嬉しい。
2012年3月23日(金)曇り〜夜雨
おやじ山の早春2012(巣箱にフクロウが!)
 朝起きておやじ池を覗き込むと、クロサンショウウオの卵塊が増えていた。2度目の産卵である。
 午前中は水場の雪を掘って湧き水を溜める酒樽を掘り出す。何しろこの場所は雪の吹き溜まり箇所で、積雪は170〜180cmもあって大汗をかいた。

 水場の雪堀を終えて、今度はムササビ君の巣箱を掃除してやろうとホオノキに梯子を掛けて登った。巣箱の穴から中を覗くと、大きな目玉の目と目が合った。と同時に、ガタガタと巣箱の中が騒いで大きな鳥が穴から飛び立った。待望のフクロウである!危うく梯子から落っこちそうになったが、相手もさぞ青天の霹靂だったに違いない。「あっ、しまった!」とフクロウの飛んでいった方を見ると、近くの山桜の斜面の木に止ってから、今度は若杉の森に入った。
 「帰ってきてくれるだろうか?」と不安に思いながら巣箱の中を覗き込むと、何と、鶏卵大の卵が2個あった。抱卵真っ最中のフクロウだったのである。

 午後は、おやじ山の巡回をした。若杉の森を見回りながら「フクロウや〜い・・・!」と心の中で呼びかけてみたが、今更こんなところに居るはずもない。すっかり落ち込んでしまったが、卵が残っているかぎりきっと巣箱に戻ってくると信じたい。

 何はともあれ、積雪のあるうちに杉の枝打ち、間伐をやってしまわなければならない。
 しかし、「フクロウや〜い・・・」
2012年3月24日(土)雨
おやじ山の早春(笛の音と雨音)
 気温1℃。冷たい雨が昨夜からずっとおやじ小屋を打ち続けている。
 朝4時過ぎに寒くて目が覚めてしまったが、7時まで寝袋に包まっていた。

 七輪に炭を熾して朝のコーヒーを啜る。NHKラジオが「ラジオ文芸館」で芥川龍之介の短編、「蜘蛛の糸」と「犬と笛」の朗読をやっていた。赤く熾る炭火を見つめながらラジオに耳を傾けていたが、主人公の若い樵<髪長彦>の吹く美しい笛の音が、小屋を打つ氷雨の音と相俟って、心がしんとしてしまった。

 雨合羽を着て外に出た。今日は小屋を出入りする度にフクロウの巣箱に目をやってしまう。向かいの山菜山はまだまだ雪深く、谷間には雪崩れた雪がどっさりと積もっている。

 見晴らし広場にも行ってみたが、2月の雪堀で神奈川の森林インストラクターの仲間達と来た時に目印用に結んだピンクテープが、この冬の豪雪を物語るかのように、木枝の随分上の方に残されたままあった。ノウサギが目の前を走り抜けてビックリする。真っ白な雪ウサギだった。
 昨年は枝一杯に咲いてまさに豊年満作だったマルバマンサクの花は、今年は貧弱極まる花つきである。
2012年3月25日(日)雨〜曇り〜晴れ〜雪、気温−2℃
おやじ山の早春(「冬の散歩」)
 深夜0時少し前、フクロウが鳴き交わす声で目を覚ます。巣箱付近で1羽、もう1羽はそれほど離れていない山桜の斜面からで、一方が「ゴロスケ、ホッホ・・・」と呼ぶと、もう1羽が「ホッホ!ゴロスケホッホ!」と、嬉しそうに(・・・と思うんだけど?)応えるのである。多分父ちゃんフクロウが、「愛する妻よ!餌とったぞ〜!ホッホ!」と伝えると、抱卵中の母ちゃんフクロウが巣箱から出てきて、「ホッホ!父ちゃんありがとサン!」と言っているのだと思う。巣箱にフクロウが戻ってきていることが分かって、こちらも嬉しくなって寝袋の中で「ホッホ、ゴロスケホッホ!」と小さく叫んでしまった。
 
 しかし、一晩中雨が降り続いていた。その雨で小屋の周りの雪解けが進む音なのだろうか、小屋の壁板が「ドスン、ドスン!・・・トン、トン・・」と頻りに音立てて、誰かが訪ねて来てノックしているように思えるのである。「まさか?」と思いながらも思わず目を開けて暗闇の中を見回してしまう。

 今朝も明け方の寒さで目を覚ましてしまい、そのまま寝袋の中で震えていたが、ようやく午前7時に這い出た。 気温マイナス2℃、ストーブに火を入れて外に出てみると、薄っすらと新雪が積もっていた。

 朝日が差して来て、ブナ平までスノーシューを履いて散歩することにした。キリリと澄んだ透明な山の空気とキラキラと朝日に輝く新雪、この風景の中に今俺が居られることこそが何物にも代えがたい至福の時間なのだと、つくづくおやじ山に感謝である。

 途中、枯木に生えたヒラタケを今日のオカズに採り、これからの子育てに野鳥が突いて掘った真新しい枯木の巣穴を見つけたりしてブナ平の頂上に着くと、どこまでも真っ白な越後平野が眼下に広がって見えた。




 午前10時頃から一転して雪が降り出した。気温もどんどん下がって、小屋の煙出しを閉じて七輪に炭を熾す。そしてまた寝袋に包まってリュックに入れてきたヘンリー・ソローの著作「博物誌」(山口晃 訳)を開いた。たまたま開いた「冬の散歩」の章には次のように書いてあった。

私たちは一軒の田舎家の軒をくぐり敷居をまたぐときのように、森の隠れ場所へとはいる。天井も雪、そしてまわりもすべて雪が積み上げられている。森は喜びをたたえており、暖かい。(中略)
ちらちらと格子模様の光の中、マツの木々の間に立つとき、町は森の純真な物語をこれまで聞いたことがあったのだろうかと思う。どのような旅人もこれまで森とじかに触れてこなかったように思える。
(中略)
枯れたそれぞれの葉や枝に銀色の塵がつき、色の不足を償うほどの無尽蔵で華麗な形で、本当に様々に残されている。それぞれの低木の周りにあるネズミの小さな足跡、ウサギの三角形をした足跡を観察していただきたい。
澄んだ軽快な天空が、すべてのものの上にある。夏の空の混じり物が清浄な冬の寒さによって不純物をのぞかれたり減らされたりし、空から大地へふるいがかけられたかのようである。


 薄暗い小屋の中で本を読んでいると、時折ガラス窓からパッと陽が差し込み、その金色の光が合図でもしたかのように、百年杉の枝に積もった新雪がおやじ小屋の屋根に「ドスン、バラバラバラ!」と落ちてくる。その度に文字を追う目を休めたり、本から目を離して煤で真っ黒になった天井を見上げたりするが、読書の邪魔にはならなかった。俺の読書は、本の中身を読み解くのではなく、ただ活字を見ながら他のもろもろの考えに耽っているだけだからである。

 午後4時前、部屋の中が暗くなって読書を止める。夕食は七輪で餅を焼いて食う。
 
2012年3月26日(月)朝雪、新雪15cm
おやじ山の早春(再び「フクロウや〜い!」)
 昨晩10時と午前2時半、やはり山桜の斜面と巣箱近くで父ちゃんフクロウと母ちゃんフクロウが鳴き交わしていて、もうこれでしっかり居つくと大安心していた。それが・・・

 今朝の気温はマイナス3℃。6時半に寝袋から這い出しドアを開けて外に出ると、真っ白い雪が15cmほども積もっていた。ストーブに薪を入れて火を焚き、更に七輪で炭を熾す。そのうち幾分朝日が差してきたので新雪風景を写真に撮ろうとデジカメを掴んで外に出た。

 フクロウの巣箱近くで山菜斜面の景色に夢中でシャッターを切っていると、突然頭の上で巣箱がガタガタ騒いでフクロウが飛び立った。カメラのシャッター音に怯えたのか、はてまた俺の気配を嫌ったのか・・・?またしてもガックリ気落ちしてしまった。昨日からNHKニュースで盛んに佐渡の放鳥トキがつがいで抱卵し始めたとビッグニュース扱いで伝えていたが、俺にとっては佐渡のトキなんかよりおやじ山のフクロウの方がまさに死活問題である。

 朝飯を食べ終えて再びフクロウの巣箱の下に行き、「帰ってないだろうなあ〜」と泣きたい気持ちで見上げてから、フクロウが飛び去った下の杉林まで探しに行ってみた。まるで青い鳥を探すチルチルミチルの心境である。杉の大木に積もった新雪が、まるで俺をなぶるかのようにドサリドサリ落ちてきて、全身雪だるまになってすすり泣きたい気分だった。

 昼、日赤町のSさんからご自宅へお誘いのメールが届いた。午後に下山してご自宅に伺うと、素晴らしいSさん自作のソーラー発電機が出来上がっていて、おやじ小屋へプレゼントして下さるという。Sさんは水道のガチャポンプといいこのソーラー発電機といいなんでも作ってしまう発明家で、本当に恐縮してしまう。そしてご自宅の風呂に入れていただき、酒やらおにぎりやらホッケの焼き魚、タクアンと野沢菜の漬物やらどっさり差し入れ品をいただいて、車で市営スキー場のロッジ前まで送っていただいた。全くSさんの至れり尽くせりのご親切には涙が出てしまう。

 Sさんと別れて、再び雪が降り始めたキャンプ場からの尾根を登り、降り頻る雪の中を歩いて午後5時に小屋に戻った。

 夕食はSさんから頂戴した「菊水」と焼き魚などの豪華版で、町で買い足したホカロンも体中に惜しみなく張り付けた夜だった。こんなことが、つくづく幸せに思えるのである。
2012年3月27日(火)晴れ
おやじ山の早春(テンとノウサギの駆けっこ)
 何という荘厳な夜明けだろうか!朝6時に寝袋を這い出て外に出てみると、昨夜からの新雪が20cmほども積もっていた。まだ朝日は昇らないが、真っ白な処女雪で着飾った山桜の斜面の木々の奥に、今日一日の晴天を予感させるオレンジ色を微かに滲ませた灰青色の薄明の空が見える。

 小屋の脇では黒く聳え立つ百年杉が群緑色の枝々に純白の綿帽子の塊を載せ、オニグルミの大木は、その太い幹から梢の先まで、地肌の墨色とそこに付着した新雪の白色とでくっきりとストライプを描いて、見事な雪化粧をほどこしている。ピンと張った夜明けの冷気はピタリと息を止めて、おやじ山の風景は微動だにせず、巨大キャンバスに描かれた一枚の絵画となった。荘厳な夜明けの風景が、時間を止めている。

 一瞬、静寂が破れて時間が動いた。百年杉の遥かな頂点から、新雪が途中枝の綿帽子を道連れにして、まるで紙吹雪が舞うようにキラキラと落ちてくる。おやじ山の雪の妖精たちが見せる華麗なホップステップである。

 そして黄土沢の突端から赤々とした朝日が昇り始めると、鈍い銀色に眠っていた山菜山の斜面が金色の光をを吸い込んで生き生きと輝き出す。
 そして山桜の斜面の木々たちも、処女雪で着飾った雪衣を朝日のスポットを浴びて脱ぎ始め、眩い金色の砂嵐となって黄土沢に舞い落ちていく。









 絶好の晴天になった。朝飯の支度も止めてブナ平の尾根から三ノ峠のホオノキ平までスノーシューを履いて散歩に出かけることにした。
 ホオノキ平直下の取っ付きの広場で一息入れる。眼下に新雪で雪化粧した長岡の街並みと、遠く地平線の彼方には弥彦山が白く煙って見えた。

 腰を上げて広場の先端まで行き、尾根の直下を抉る谷を覗き込んでみる。まだ深い雪が谷を覆い、緩く窪んだ谷の両側の斜面はまるですべすべに磨かれた大理石の肌である。その緩く起伏するつややかな雪原の何と艶かしい輝きだろうか。

 「おっ!」と目を凝らすと、その雪原を見事な金色の毛皮を纏ったテンが、新雪よりも更に白いノウサギを追いかけていた。その米粒ほどに見える二匹の小動物の駆けっこの何と遅く見えることか。遠く離れたこの高台から観戦していると、じれったいほどの悠長さである。ノウサギはどんどん雪原を駆け上がって、テンは途中で諦めたのか木の根元の穴に消えてしまった。

 小屋に戻って、寝袋を干す。そして今日、ようやく窓の雪囲いをバールで取り外した。小屋がすっきりとして、こんなことで春を迎える嬉しさが沸き立ってくる。

 午後3時、早々と夕食の準備に取り掛かる。新雪の上にまな板を敷いて、白菜、セリ、鶏肉、そして今朝の散歩で収穫したヒラタケを刻む。今夜の献立は越後風雑煮。貴重な晴れ日の贅沢な夕飯の支度である。

2012年3月28日(水)雨、みぞれ
おやじ山の早春2011(小屋の中の楽しみ)
 今朝、午前2時、フクロウの鳴き声を聞いて嬉しくなってしまった。というのは・・・昨日、また不用意に巣箱の近くでデジカメのシャッターを切っていて、真昼間にフクロウを巣箱から飛び立たせてしまった。何やらフクロウはデジカメのシャッター音が大嫌いなようで(天敵(テン?)の声と勘違いするのだろうか?)、これで同じ失敗を2度も繰り返してしまった。またしても「フクロウや〜い・・・」の心境だったので、ホッと一安心である。

 面白いことに、ノウサギにしろフクロウにせよ、危険が迫ったときの逃げ方は同じパターンである。
 穴の中や巣箱に潜んでいて、彼らが危険を予知したとする。しかし他の大形動物や人間のように、その時点で逃げたり、後ずさったりして危険を回避するのではなく、「あわよくば見つからずに済むように・・・」と、そのままじっと身を潜めている。見方を変えれば、横着なのである。そして更に危険が近づくとする。彼らは息を詰めたまま微動だにせず(と想像される)、「あわよくば・・・」と「のるか反るか」の大脱走の生死を分ける判断に神経を尖らせている(筈だと、想像される)。そしていよいよ、「もう、ダメだ!」というギリギリの瞬間になって、まさに「脱兎の如く」巣を飛び出すのである。
 人間がこんな瞬間を度々経験するとしたら・・・と考えるとぞっとしてしまうが、近くは昭和の時代に、おやじやお袋たちが忌まわしい戦争によって体感した恐怖とは、まさにこの生き物たちの心境だったのではないかと想像できるのである。

 今日一日、みぞれ混じりの冷たい雨だった。朝、米を磨いだ時の水の冷たさといったら・・・手が切れるようだった。

 それで今日は殆ど小屋の中に居て、「ソローの博物誌」を読んだり、小判のノートにこれからの山仕事の作業メモを書き付けたりして過ごした。おやじ山のあちこちをイメージの中で歩き回りながら、「ここは、この作業」「あそこは、こう手入れして・・・」と囲炉裏の煙で煤けた天井を何度も仰ぎながらメモをするのは、何とも楽しいものである。

 やる事も無くなって、午後3時過ぎから夕飯の支度に取り掛かった。今日のメニューも雑煮。ゼンマイ、ヒラタケ、白菜、セリ、ネギ、鶏肉と、あっという間に鍋の具の準備が出来上がって、早々と酒を呑み始めた。
 まあ、想像も楽しいが、こうした実体も、やっぱり楽しいのである。
 
2012年3月29日(木)晴れ
おやじ山の早春2011(晴遊雨呑)
 晴れた!嬉しい!今日こそは山仕事が目一杯やれると、朝目覚めた時にはファイト満々だった。しかし、小屋の外に出ると、余りにも向かいの山菜山が綺麗だし、またしても三ノ峠山まで散歩してみたくなった。本当は今日のような絶好の仕事日和に、杉の枝打ちをしっかりやっておかないといけないんだけど・・・
「晴耕雨読」という言葉があるけど、俺の行動派はさしずめ「晴遊雨呑(セイユウウドン)」だなあ〜

 9時半、スノーシューを履いて小屋を出発し、ブナ平の尾根を登ってホオノキ平に出る。途中、尾根の取っ付き広場で、「今日もテンとノウサギのおっ駆けっこが見られないかなあ〜」と谷を覗き込んで見たりはしたが(居なかった)、千本ブナまで殆ど一気に歩いた。

 この千本ブナは次兄が名付けた名前で、何本ものブナの大木が一箇所から株立ちになった勇壮な姿は、まさに威風堂々として千本の名も大げさとは思えない。そしてここから望む今日の鋸山の姿も、素晴らしかった。更に、鋸山の前山の斜面や谷間も、緩く起伏した艶かしいほどのつるつるの雪肌の各所に、雪解けが始まった黒い窪みや雪解け水を溜めた池を作って、見事な風景を見せていた。長岡の街中からは、鋸山はもちろん、この千本ブナも望むことができる。

 三ノ峠山の頂上に着くと、直下の「友遊小屋」の山小屋のあたりから賑やかな笑い声が聞こえていた。俺でなくとも、今日は絶好の雪山登山日和である。

 正午におやじ小屋に戻って、午後からは山仕事用のヘルメットを綺麗に水洗いし、カタクリの丘にある杉の枝打ちをした。ようやく本命の山仕事着手である。こんな晴れの日は一日が長く使えて、得をした気分になる。
2012年3月30日(金)曇り
おやじ山の早春(東風吹かば・・・)
 昨晩は聞こえてこなかったフクロウの鳴き声が、明け方聞こえてきた。「嬉しい、今何時かな?」と枕元のケイタイをパチンと開けて時間を確認すると、【5:05】と画面に表示されて、まるでフクロウの大きな目玉みたいな数字だなあ〜と思ってしまった。

 小屋の外に出て寒暖計を見ると4度。暖かい東風が吹く朝である。杉林の梢がゆらゆらと気持ち良さそうに揺れている。小屋の周りには冬の間に落ちた杉の枯れ枝が、雪解けとともにめっきり目だってきた。向かいの山菜山では、木立ちの根元の雪穴が途端に大きくなったようである。

 8時過ぎから杉の枝打ちを始める。杉の木に立て掛ける2連梯子が、緩んだ雪にズボズボと刺さり込んで気持ち良く作業が捗る。午前中はカタクリの丘、午後からは若杉の森の1段目の何本かを打った。
 明日は雨だとラジオの予報が告げていたので、午後4時までエンジン全開で働いた。

 「ああ、草臥れた〜」と小屋に入ると、な・な・何と!床が水浸しである。雪解け水が小屋に侵入してきたのである。<東風(こち)吹かば 思いおこせよ 床上浸水・・・>である。困った・・・!
2012年3月31日(土)雨
おやじ山の早春(水上生活)
 今日から水上生活である。雪解け水が床上5cmにもなって、朝から降り出した雨の音を聞きながら、殆ど一日中簡易ベッドの上で過ごした。携帯電話や時計、ヘッドランプ、ラジオなど、うっかり床に落としでもしたら大変だと、狭いベッドの上で身を動かすのも気が気じゃなかった。

 しかし昨夜は0時過ぎから目が冴えてしまってよく眠れなかった。身体を使いすぎたせいかも知れない。仕方なくラジオのスイッチを入れてNHKの「ラジオ深夜便」を聞いていたが、NHKアナウンサーの松平定知氏がラジオで9年間朗読を続けていたという「藤沢周平をよむ」について、インタビューに答えて次のように語っていた。
『藤沢作品はよく癒しの文学と言われていますが、決してそうではありません。市井の人で真面目に一生懸命頑張っている人、苦労したり弱い立場の人に対しては限りなく優しいですが、よこしまな人、卑怯な人間には決然と対抗しています。例えば、もう先が殆どないような老人が、一生かけてこつこつと耕してきた田圃がある。それが災害で一気にダメになる。それでもその老人は天を恨まず、諦めもせずに、また一からやり直すんですね。そういうところに、この小説家は実に優しい目を注いでいるのです。その反対に、天を恨み・・・』

 そうである。たかが床上浸水でなんだ!今日は日本中が大荒れの天気だそうで、午後からは気温がぐんぐん下がってきた。寝袋に包まっていても寒くて仕方がなく、体中にホカロンを貼り付けて水浸しの床を恨めしく(ではいけないんだけど・・・)眺めていた。