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2012年2月12日(日)晴れ
しばし休息

 一昨日(10日)、2月1日にスタートした千葉県の森林調査を終えて自宅に戻った。そして昨日は、森林インストラクター神奈川会の総会が鎌倉で開催されて、もちろん懇親会目当てに出席した。

 久々に仲間の皆さんと顔を合わせて「やあやあ」と挨拶を交わし、おやじ山に毎年来てくれるTさん、Sさんはじめ、「森の食文化研究会」の面々とも嬉しい再会を果たして、一緒に
懇親会場へとなだれ込んだ。
 そして少し遅れて懇親会場に着いたNさんを交え、Tさん、Kさん、Oさんと酔いが回らないうちにと、17日から2泊3日の予定でおやじ小屋の雪掘りに行く下打ち合わせである。

 何しろおやじ山の麓にある長岡市営スキー場のW場長さんに電話を入れて確認したところ、今年は凄い積雪で「お蔭様で来場者も4万人を越えました」とのことである。また週末には寒波襲来で「十分な準備で入山下さい」との丁寧なご注意もいただいた。全くその通りで、今回は余程心しておやじ山に入るつもりである。

 千葉県での調査期間中は、珍しくケイタイの電波もインターネットも通じない大多喜町の山の中の宿に連泊した。それで仕事を終えて宿に帰れば、寝転んで持参した本を読むかテレビを点けるかで過ごしたが、テレビニュースで長岡の豪雪風景が映される度に、「あ〜あ、もう俺のおやじ小屋は雪で潰れているかも知れないなあ〜・・・」と悲しくなってしまった。
 それから千葉の宿では、先月の山口出張の折、長州仙崎で出会った童謡詩人金子みすゞにすっかり惚れ込んでしまい、手帳に書き写してきた詩の何編かを繰り返して読みながら、まあ、みすゞの世界を漂ったりしたわけである。
(「森のパンセ−その53」<わたしの「不思議」−金子みすゞの世界>をアップしました)
 いずれにせよ17日のおやじ山行きまでは、しばし休息である。


2012年2月20日(月)晴れ
厳冬おやじ小屋の雪掘の記
 朝、寝床から這い出てカーテンを開けると、眩い冬晴れの朝の日射しである。
 昨夜、今年も豪雪に見舞われたおやじ小屋の屋根の雪掘(郷里では、昔は雪降ろしではなく「雪堀」と言ってた記憶がある)から帰って来た。
 深い雪に閉ざされた白一色のおやじ山と比べると、ここ関東の穏やかな冬の景色でさえ強い彩色の風景で、寝起きたばかりの目にはその落差の大きさにしばらくはボ〜としてしまった。

 毎年、今頃の時期にはおやじ小屋の雪掘に出掛けていたが、今冬は連日テレビニュースで新潟県(それも郷里長岡市)の大雪ニュースの映像が流れて、全く気が気でなかった。地元に電話をして聞いても「毎日もっさもっさ降って、凄い雪んがですてえ〜。」と溜め息混じりの返答だった。

 そしていよいよ17日に雪掘を手伝ってくれるという森林インストラクター仲間4人と出かけることにしたが、天気予報は・・・週末からは生憎の寒波襲来だという。
以下はその17日からの日記である。
 
2012年2月17日(金)曇り時々雪
厳冬おやじ小屋雪掘の記(第1日目)
 朝4時きっかりに、Nさんが藤沢の自宅に車で迎えに来てくれた。嬉しいことにNさんの車はスノータイヤを履いたワゴンタイプの4WD車である。
 そして厚木でTさん、Oさん、Kさんの3人を、予定時間より大分早くピックアップして、いざおやじ山への出発である。みんな何やら鼻息荒く、歳に似合わず(?)ハイテンションである。窓の外は今だ漆黒の眠りの刻であるが、5人を乗せた車内は、明るく弾けた真昼の雰囲気だった。

 関越道をひた走って長い国境のトンネルを潜り抜けた途端に、吹雪きだった。しかし長岡に近づくにつれて時折小雪の曇り空に変わって、ちょっとホッとする。「今日の長岡地方の天気予報では『暴風雪』とあったけど、このまま持つといいね」などと言葉を交わしながら、皆な道路脇にうず高く積まれた除雪の雪壁に目を瞠っていた。

 長岡南越路インターで関越道を下りて、宮内のコメリの駐車場に車を乗り入れた。ここでシャベル一丁を購入。おやじ山に入って、先ずは物置小屋にしまってある雪堀用のスコップを掘り出すためである。そしていよいよおやじ山の麓の長岡市営スキー場へと車を走らせた。

 途中、そば処「千花」に寄って主人のHさんにお会いし、それからスキー場の事務所に立ち寄って、W場長さんとKさんにおやじ山入山の報告とご挨拶をした。有難いことに、W場長さんは今日の中越地方の詳細な積雪情報を取り寄せてくれていて、その資料をいただいたり、明日実施予定の雪中花火大会のイベント情報をお聞きしたりした。

 正午、スノーシューをつけてキャンプ場下からの雪中行軍開始である。今日は安全第一に、水、酒、テントの必要最小限の荷物だけを背負って小屋にデポし、一旦下山して長岡市内のホテルに泊まることにした。 トップはNさん、途中の見晴らし広場脇で小休止して、午後1時半に無事おやじ小屋に到着した。


 そして「小屋の様子は・・・?」 潰れてない!嬉しい〜ッ!無事だった〜!
屋根の上に今年降り積もった巨大な雪の塊を載せてはいたが、何やらじっとその重さに耐えて踏ん張ってくれているようだった。おやじ小屋よありがとう!全く、大安心である。

 早速新しく購入したシャベルで物置小屋を掘り出し、雪堀スコップ3本を取り出しておやじ小屋のドアの雪かき開始である。Nさんは早々と屋根に上がって「煙出し」を掘り始めた。
そしてストーブに赤々と火がつき、皆で小屋に入って缶ビールで笑顔の乾杯である。実に、美味かった!

 さすが人海戦術である。明日の作業予定だったが、この日のうちにNさん、Tさん、Kさん、Oさんら4人の大奮闘で、おやじ小屋の屋根の雪堀の大方が片付いてしまった。

 宿は長岡グランドホテルをとった。ホテルに入って明日各自背負っていく荷物の振り分けを済ませてから、すぐ近くの料理店「割烹 たなか」に皆で繰り出した。そして明日の厳冬おやじ山泊りを控えて、賑やかな宴会が始まったのである。

(厳冬おやじ小屋雪堀の記(第2日目)に続く)
 
2012年2月18日(土)雪
厳冬おやじ小屋雪掘の記(第2日目:Tさんのサプライズ誕生会)
 朝からもっさもっさと雪が降っている。長岡地方に大雪雪崩れ注意報が出ていた。ホテルをチェックアウトしおやじ山に向う途中の道路は、ぼたん雪の舞う白一色の世界である。
 それなのに、ああ、それなのに・・・車内の熟年(老年?)連中等は、今日のおやじ山入り山泊の期待に胸膨らませて、まるで若者のはしゃぎ様である。

 9時30分、昨日と同じキャンプ場下からの雪中行軍開始である。昨日のトレールは、昨晩からの積雪で殆ど消えていたが、微かな雪の窪みを頼りにラッセルである。
 見晴らし広場脇までの登りのラッセルを俺がやってからトップを交代し、後半のルートを仲間の4人に順番にやってもらった。新たな積雪が膝まであって、昨日木の枝に結んだピンクテープを頼りにおやじ小屋を目指した。

 11時過ぎにおやじ小屋着。再び雪囲いした小屋のドアを開けて中に入り、缶ビールで乾杯してから(毎度このセレモニーだけは何故か欠かさないのだ)昨日に引き続いての屋根の雪堀作業に入った。

 仲間の3人が屋根に上がっている間、Oさんに手伝って貰って「かまくら」造りをした。まだガキの頃、一冬中自分専用のかまくらを掘って遊んでいた。家の前には屋根の雪掘で放られたうず高い雪山があって、その片づけを母ちゃんから言いつけられての余興で、せっせと雪穴を掘って遊んでいたのである。
 しかし、今日のおやじ山での「かまくら」造りは、Tさん、Kさんが今晩ここでテント泊するためのシェルター代わりの雪洞のつもりだった。


 「わ〜凄い!」Tさん達の歓声が上がった。そして直にかまくらの中にテントを設置してしまうのはもったいないと、この中でTさんの誕生パーティーを開くことにした。そうなのだ!今日は奇しくも、Tさんの36回目(とても信じられないが、本人はガンとしてこう言い張るのである)の誕生日だった。
 かまくらの中での乾杯と、弾ける笑い声と、賑やかや歓声とが、白一色のおやじ山にこだましていた。こんな厳冬期の山奥で、いったい誰がこんな愉快なパーティーに興じていると想像できるだろうか?

 そのうち、いつの間にか居なくなったNさんが戻って来て、「皆さん、かまくらの外に出て下さい」という。「はて、この寒いのに何だろう?」と既に夕闇となった外にふらふら出てみると・・・・・・「な・な・なんと!」雪の上には点々とテーブルキャンドルの灯が揺れて、その明りに導かれたキャンドルロードの先には雪で作った大きなバースディーケーキがあるではないか!
「まあ〜!」Tさんは一声叫んで絶句してしまった。暗くて見えなかったけど、感激のあまり涙ぐんだのかも知れない。 
 そして、雪ケーキに立てられた36本の(Tさんが昨日からしつこく36歳、36歳というものだから・・・)ロウソクに灯が点った。真冬のおやじ山に、息をのむ幻想の世界が出現した瞬間だった。


 ♪ハピバースディー、ツーユー♪
 ♪ハピバースディー、ツーユー♪

 ♪ハピバースディー、ディア眞〜さん・・・♪
 ♪ハピバースディー、ツーユー♪

 深い、深い雪のおやじ山に、幾年月を逞しく生き抜いてきた熟年と老年達の歌声が高らかに響き渡った。
 小屋に入ってからも5人のパーティーは深夜まで続いた。何曲か大声で合唱もしたはずだが、どんな歌を唄ったのかさっぱり憶えていない。さぞかし小屋脇の朴の大木の巣箱に棲んでるムササビ君はうるさかっただろう。

(心配してくれてた友人達へのお詫び:今年の豪雪で、俺の冬山入りを心から心配してくれてた友よ。その心配をよそに、のうのうと俺が山で楽しんでいたとはと、さぞ腹がたったことと思う。ゴメン!でも、ありがとう)
(厳冬おやじ小屋雪堀の記(第3日目)に続く)
2012年2月19日(日)雪〜晴れ
厳冬おやじ小屋雪掘の記(第3日目:さらばおやじ小屋)
 午前6時半、ストーブに火をつける。みんな、まだ起きて来ない。おやじ小屋に寝たのはOさんと俺の二人で(申し訳ない)、TさんとKさんは「かまくら」の中のテントで二人抱き合って、Nさんは雪に竪穴は掘ったもののサラの雪上での孤独なテント泊である。

 そして三々五々小屋に入ってきた皆が言うには、「ゆうべはぐっすりと寝ましたあ〜」とマイナス6度以下の雪山で一夜を明かした驚くべきタフな感想だった。小屋の中とはいえ俺は明け方には寒くて仕方がなかったが、Oさんもぐっすり眠れたという。皆ないつの間に雪山に馴染んでしまったのだろう?

 朝飯は昨晩のキムチ鍋の残り汁に、さらに有りったけの野菜を放り込み、そして玉うどんを入れての煮込み鍋である。Tさんと俺はさらに餅を入れて食ったが、体がポッポと温まってこれからの下山が億劫になる程だった。

 朝食が済んでいよいよ下山準備である。屋根の上の「煙出し」に再びブルーシートを被せ、最後におやじ小屋のドアを閉めて雪囲いの戸板にロープを回して縛り上げた。3日間賑やかに過ごしたおやじ小屋が、一気に黙りこくってしまったような寂しさである。


 「ありがとう、ございましたあ〜!」皆でおやじ小屋に向かって頭を下げて、再びもさもさと降り積もった雪をラッセルしての下山だった。途中、「綺麗ですねえ〜。まさに白銀の世界ですねえ〜。来年の冬も、またきっとおやじ山に寄せてくださいね」と皆な口々におやじ山を誉めてくれて、本当に嬉しかった。

 長岡市営スキー場が見下ろせる尾根まで下ると、一杯のスキー客である。その最後の斜面をTさんがソリで滑って、全員無事におやじ山からの帰還を果たしたのである。

 帰りの関越道から望んだ越後三山や上越国境の山々は、素晴らしい!の一語に尽きた。純白の山肌が午後の日射しを浴びて、ピカピカと神々しいまでの輝きだった。


(厳冬おやじ小屋雪掘の記 おわり)
2012年2月25日(土)雨
ヤマアカガエル
 今週日曜日(19日)におやじ小屋の雪掘から帰って、中2日おいて22日から昨24日まで森林調査の仕事で高尾の森を歩き回った。いわゆる高尾山自然休養林内の何箇所かに踏み入った訳だが、ここにある大平国有林や梅ノ木平国有林は林業関係者の聖地とも言える場所なのである。
 今回もご一緒させていただいた主任調査員のHさんは、ずっと昔、合宿の林業研修でここに来た事があったと懐かしそうに話しておられた。

 その高尾山自然休養林は452ヘクタールの面積をもち、暖地性植物と寒地性植物の群落地として約1300種類が繁茂し、原標本植物も数十種を数えている。昆虫類は5000種、首都圏では貴重種のギフチョウやムカシトンボ、ガロアムシなどが生息している。
 鳥類は渡り鳥を含め約100種、獣類はニホンリス、ムササビ、タヌキ、ヒメネズミなど約10種が棲んでいるという。
 
 そして一昨日の氷雨が上がって、一転春の陽気になった昨日、調査地に向かう途中で、水溜りに産み付けられた夥しい数のヤマアカガエルの卵を発見した。このカエルはまだ冬といっていいようなこの時期に集団産卵し、産卵後は再び春が来るまで冬眠するという面白い性格の個体である。卵の孵化は2週間後、ちょうど3月5日の啓蟄を迎える頃である。

 春が、待ち遠しい。