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2ページ目より<おやじ山の初夏2012>(6月3日〜17日)をアップしました

2012年6月21日(木)曇り
ホタルの宿
 昨夜遅く、藤沢の自宅に帰り着いた。まだ雪深かった3月下旬におやじ山に入って、今回は85日間の山暮らしだった。
 大型の台風4号が本土に上陸して、新潟県に最も接近するのが19日深夜から20日の未明頃だとラジオが報じて、追い立てられるようにしてテントの撤収をした。18日にはおやじ小屋にデポするキャンプ道具をネコ(一輪車)で3往復もして運び上げ、19日には未明の雨音に飛び起きてテントの撤収に取り掛かった。何しろ3ヶ月分のガラクタが山ほどあって、汗だくで車に積み込んだら鋼鉄の車体ですらはち切れんばかりになった。

 19日にも最後のデポ品を山に運び上げて、おやじ小屋に鍵をかけた。『山に居ます。ご用の方は ヤッホーと呼んで下さい』の掛札を裏返して、『里に下ります。ご用の方は またお出で下さい』に変えた。そして大声で「ありがとう・・・ございましたあ〜!」と小屋に頭を下げてから山を後にしたのが午前10時だった。

 117号線を信濃川沿いに走って上信越道経由で帰宅することにしたが、途中の十日町の民宿で一泊して台風をやり過ごすことにした。先日、長岡では本当にお世話になったSさんに連れて行っていただいた千手温泉と長福禅寺にもう一度足を運びたかったからでもある。そして目論見どおり、お寺の境内では素晴らしい山野草を観ることができた。

 
 民宿では八海山の清流で育ったという実に美味しい岩魚を頬張りながら、久々の熱燗をたっぷり3合呑んだ。山では熱燗は手間がかかるのでずっと冷酒で済ましていた。熱燗を呑むと「ああ、里に下りたなあ」と不思議な実感が沸いてくるのである。

 宿の部屋に戻って窓を開けた。すぐ目の下に水を張った田圃が広がり、その向うの土手はJR飯山線の線路である。その田圃に宿の明りが反射していると思ったら、ホタルだった。田圃の奥の暗がりに目を凝らすと、ふわり、ふわりと何頭ものホタルが舞っていた。

 まるで入山当時の深い雪山暮らしが嘘に思える帰還の日の夜だった。
 
おやじ山の初夏2012
2012年6月3日(日)朝小雨〜曇り
おやじ山の初夏2012(菌類が植物を育てる?)
 午前中は、ヤマユリ広場の池のミズバショウを4株ほど掘り取って、下の池に移植した。ヤマユリの池では、春先には雪解け水がどんどん流れ込んで池から溢れ出るほどだったが、今ではすっかり儚くなって、池底が乾き始めたからである。
 それから下の池に隣接している湿地帯に昨年と今年植えたカツラとトチの木も見回りながら、それぞれの幹に目印のピンクリボンを結び付ける。何年か後にはここ一帯が見事なカツラ林となって、早春の雪解け直後にはミズバショウが一面に咲く様子をウットリと夢想したりしたが、本当にそうなるかなあ〜・・・

 昼飯時になってキャンプ場に戻ると、実家の兄嫁と姪の鈴子が、二人の子ども、岬子と渚子を連れてテントに遊びに来ていた。新潟に住む鈴子の夫は大の釣りキチで、ついに自分の子どもにまで航平、岬、渚と、自宅で寝転びながらも大海原を夢想して釣り気分に浸れる名前を付けてしまった。
 しばらくしてもう一人の姪のボンちゃんもやってきて、賑やかな昼食会となった。それにしてもカミさんの出した塩ワラビを、兄嫁や姪っ子達が喜んで食べるのはともかく、まだ3歳にもならない渚子までが「オイチイ、オイチイ」と口に入れるのを見て、さすが俺の血筋だと嬉しくなってしまった。

 午後は地元のSさんが来て再び一緒におやじ山に入り、谷川からの引き水をヤマユリ池に流し込む分岐ホースを設置してくれた。常々Sさんの奥さんは「ウチの父ちゃんは、ほんにマグロなんだてえ。いっつもグルグル泳いでいねえと窒息して死んじまうがてえ」と言っているが、、昨日ちょっとSさんに池の話をしたら、もうすぐ今日はマグロになってすっ飛んで来てくれた。

 あれよあれよと仕事が捗って(Sさんの仕事はいつもそうである)、二人でキャンプ場に引き上げて来ると、長岡きのこ同好会の会長Hさんが、テント場でうろうろときのこの検分をしていた。俺などはきのこは秋のものだとの先入観があるが、Hさんにとっては既にきのこシーズンが始まっている様子である。
 そしてキッチンテントの中にHさんも呼び入れて、Sさんと3人できのこ談義が始まった。あと一週間ほどで咲き出すおやじ山のトケンランに話しが及んで、Hさんは、「自分はそのランを未だ検分してないが、光合成のほか何か特定の菌類からも栄養を摂取して生きているのではないかと思う」と、絶滅危惧種なる必然性をこう説明した。(という事は、移植しても育たず、盗掘されてもその株は育たない) 思わず「な〜る程!」と膝を打ったが、さすが長岡一のきのこ博士である。

 午後4時、SさんHさんが帰り、今日一日賑やかだったテント場が寂しくなった。そして、西の空に沈む夕日の、何と美しいことか!
2012年6月5日(火)晴れ
おやじ山の初夏2012(MさんTさんの来訪)
 実はあまり公表したくない話だが、一昨日きのこ博士のHさん達と話題にした、おやじ山のトケンランが咲いた。可憐で実に美しい花である。(ああ、言いたくない!)Hさんが言う通り「特定の菌類との共生植物でおやじ山でしか生きられない植物」なので、仮に盗掘して持ち帰っても育ちません。どうか、優しく見守ってやって下さい。お願いします!
 
 今日の正午近く、「OO歩こう会」のメンバーだというMさん、Tさんと名乗るお二人が、おやじ小屋を訪ねて来て下さった。聞けば、パソコンのインターネットで「おやじ小屋から」を見つけて、「はて、どんな処だろかねえ?」と探しながら歩こうかいして来たのだと言う。何やら恥ずかしいような有り難いような気持ちでお茶を差し出して、30分ほどお話しした。突然のことで何もお構い出来ませんでしたが、どうかこれからも気楽に遊びに来て下さい。

 午後は、土砂崩れで埋まった炭の伏せ焼き窯の穴掘りをした。そしていくらかの杉の枯れっ葉を穴の中に放り込んで、試しに燃やしてみる。まあ、これ位の深さで良しとする。
 それから下の池に行って、腕組みしながら縁にじっと佇み、池を見、その奥の湿地帯を見、また池を見、また湿地帯を見、そしてまた・・・、・・・、を際限なく繰り返しながら、将来のエデンの園を夢想し続ける。マグロのSさんなら、とっくに窒息死である。
2012年6月6日(水)曇り
おやじ山の初夏2012(ムササビとモリアオガエルにゴメン!)
 6時半のラジオ体操が終わって、すぐおやじ小屋に出勤した。今日は風もなく、今までフクロウの子育てで控えていた今冬の杉落葉の始末(焚き火)を、一気にやってしまう段取りである。今日の天気予報は「「午後からは雨」。焚き火で山火事を起こさないためにはグッド・タイミング、の条件だった。

 ところが、おやじ山に来て見ると、山の入口にある杉の木の皮がガリガリに剥がされて、毎年この杉の木の皮で巣作りをするムササビ君の仕業である。フクロウの子育てに入れ替わって、早速巣箱ではムササビ君が棲み始めた様子なのである。
 さらにおやじ池を覗いてみると、今年は遅い、遅いと心配していたモリアオガエルの卵塊が池縁に生えているゼンマイの葉の上にあった。待望の今年の初産卵である。しかしこんな地上近くのゼンマイなどではなく、モリアオガエルらしく背の高い木に産んで欲しいのだが、いつものアスナロの木が今冬の雪で半枯れ状態になり、全くカエル君には気の毒なことだった。

 しばらく思案していたが、やはり小屋周りの整備は今日ぐらいしかなく、枯れた杉っ葉を集めてはボンボン燃やし始めた。ムササビ君、ゴメン!モリアオガエル君、ゴメン! これでビックリしておやじ山から逃げ出さないでね。
2012年6月7日(木)晴れ
おやじ山の初夏2012(今年もありがとう、さらば水穴よ!)
 先日、管理人のJさんから連絡があって、今日は早朝からアメシロ退治の薬剤散布をする日である。それで朝4時半に起きて、テントの外に出してあるキャンプ道具を中にしまってから、せっかくのチャンスだと水穴に行くことにした。

 コンビニでおにぎりを仕入れてから、午前6時にはおやじ小屋に入り、テゴと鎌の山菜道具を持って赤道の尾根を登った。そして友遊小屋経由で三ノ峠山の頂上を越え、今年最後の水穴に向った。

 広大なコゴミ畑の中に踏み入ると、まるでジャングルの様相である。その腰ほどまでに繁ったコゴミをかき分けながらポツポツ拾うようにしてワラビを摘み採った。もう山菜時期はとっくに過ぎてライバルなど居る筈もなく、楽しませてもらったシーズンを懐かしみながらの全くのんびりとした山菜採りだった。
 汗を拭き拭き背高く伸びたコゴメ畑の中に腰を下ろして、朝飯のおにぎりを頬張る。目の前に連なる東山連峰の最高峰鋸山と花立峠、そしてその前峰の風谷山の姿をもしっかりと目に焼きつける。毎年毎年、もう何十回となくこの風景を見ていながら、限りない懐かしさと愛おしさが更に募ってくる。そして最近は、この風景と対峙する度に、一期一会という何やら愛着を超えた凛とした感情すら抱くようになった。
 水穴のコゴミ畑で鮮やかなピンク色に咲き誇っていたタニウツギも今では白く色褪せて、山菜時期のフィナーレを告げていた。
 また来年まで、さらば水穴よ!今年もありがとう!

 
2012年6月8日(金)晴れ
おやじ山の初夏2012(川西町ハイキング)
 昨日、水穴から帰ってくると、テント場にOさんのテントが設営されていた。長岡に嫁いだ娘さんの初孫の顔をまた見たくなって、信州からやってきたのだ。
 そのOさんを誘って、今日Sさん夫婦が案内してくれるという十日町市の川西という町にハイキングに出掛けた。

 先ずは「鉢の石仏」という山中の石仏群を見学。それから長福禅寺という田圃道のどん詰まりに建つお寺の山門をくぐり、「二六公園のブナ林」をハイキングした。お寺の裏山という感じのごく低い里山だが、こんな所に立派なブナの自然林が残っていたとは驚きだった。ここでも林内の散策路脇には何体かの石仏が祀ってあって、中でも法隆寺の百済観音像に顔立ちが似たエキゾチックな仏様もおられて、興味が尽きなかった。

 長福禅寺の境内まで戻って皆で敷物に座り、Sさんの奥さんがすっかり用意して下さった手作り弁当で昼食を摂った。境内の池には珍しいリュウキンカの花、そして境内の植え込みには、キンランやヒメシャガ、ヤグルマソウ、花はつけていなかったが、ハッカクレン、シラネアオイの株と素晴らしい山野草園があった。

 帰りは近くの千手温泉で汗を流してキャンプ場に戻ったが、Sさん夫婦のお蔭で本当に貴重な楽しい一日だった。
2012年6月10日(日)雨、夕方曇り
おやじ山の初夏(巷の偉人)
 地元の森林インストラクターMさんが主催する、「瞑想の池」の植生回復作業に参加した。生憎の雨だったが、午前9時半の集合時間には市民有志の会のメンバー9人が集まって作業に精を出した。昨日来の雨で、池端のトチの木にはモリアオガエルの卵塊が随分増えていた。

 夕方、雨が上がって、テント場に麓の村に住むNさんがふらりとやって来た。Nさんは植物や生き物には実に詳しくて、この人と話していると面白くて大層勉強にもなるのである。
 そして今日の話は、先ずマムシの焼酎漬けの方法、それから新潟県がタイプ標本地である動植物の話題。コシノカンアオイ(村上市勝木)、コシジシモツケソウ(松之山)、コシノホンモンジスゲと出て、何と、あの絶滅危惧種のホトケドジョウのタイプ標本地が、このキャンプ場の下を流れる栖吉川なのだと教えてくれた。
 「この辺の人はホトケドジョウのことを<ぐず(愚図?)>って言うね。動きが鈍いし、食っても(絶滅危惧種を食う!)美味くはないからだろね。」と平然と宣(のたま)うのである。「Nさんは何でも知ってるけど、一番の得意は何なの?」と水を向けると、「シダ類。奥が深いやね。コガネシダって知ってる?俺が最初に見つけたんだいね」(!)と事もなげに言った。森林インストラクター仲間でも、普通の植物はもう知り尽くした人が、最後にこのオタク的なシダ植物に入り込むのだが、まさしくNさんはこの仲間である。

(植物図鑑には発見者Nさんの名前がある)
 やおらNさんが、リュックサックの中から野点の道具を取り出して、一緒に話を聞いてたOさんとカミさんにもお抹茶をたててくれた。この立派な抹茶碗も、Nさんが40年来励んでいるという陶芸教室で作った自作の茶碗だという。
 Nさんの仕事は、コンビニの食品工場で何かの揚げ物の皮を捏ねたり伸ばしたりして働いている普通のサラリーマンらしいが、一皮剥けばこの大学者であり偉大なる趣味人である。巷にはこんな凄い人物が眠っているのである。
2012年6月12日(火)晴れ
おやじ山の初夏2012(来訪者)
 地元のきのこ同好会のAさんが、植物学専門のNさん、Sさんと一緒におやじ山に来て下さった。ある植物を観るためだったが、皆さんの観察の仕方をこちらから観察していて、「なる程!」と思わしめるものがあって参考になった。対象だけを観るのではない、周囲にも広く目配りするのである。人生も、かくの如しか・・・

 それにしても今日はNさんから、二つの不思議な料理法を教わった。一つは、サンショウの薄皮煮。コンタクトレンズ程の1片を口にしただけで、30分は口の中が痺れ続けるのだという。もう一つは、サイハイランの根の煮物。食べると口の中がネバネバ、グチュギュチュと凄く気持ち悪いのだという。ちょっと試してみる価値はありそうである。
2012年6月13日(水)晴れ
おやじ山の初夏2012(天空のブナ林)
 午前中は、昨日Nさんから教わった<サンショウの薄皮煮>なるものを早速作ってみた。サンショウの幹のイボイボの荒皮を剥いで、今度は薄皮の維管束のような部分を爪か小刀で更に薄く剥ぐ。この薄皮を熱湯に入れて煮込み、さらに醤油、みりん、出汁で味付けして甘辛く仕上げる、といった手順である。
 食ってみた。ビリビリビリビリ口の中に痺れが走り、「オセジヒモ、フガフガ・・ウマヒトヒウ、フガフガ、ヒロモノデハ、フガフガ・・アヒマセンデヒタ」

 午後は、市役所の担当部署の方々と一緒に、猿倉岳の「天空のブナ林」を見学に行った。麓の蓬平町に着くと、地元のボランティア団体、「猿倉緑の森の会」のN代表他10名ほどのメンバーの皆さんが出迎えてくれて、猿倉岳頂上に群生するブナの天然林まで案内して下さった。

 全く素晴らしいブナ林だった!Nさん達が整備した遊歩道を歩きながら、是非ともこの美林を後世にしっかり残したい、とのふつふつとした気持ちも沸き上がってきた。
 復路の林道からは、遠く越後三山が望まれ、眼下には山古志の集落が小さく点在していた。そして伝説の池「笹池」の神秘さにも触れて、「おやじ山のすぐ近くにこんな素晴らしい森が!」と今更ながら認識を新たにした。

 見学後のメンバーの人たちとの意見交換会では、マップ作りや市民を巻き込んだ森林施業の必要性などを提言させていただいたが、俺自身も、是非一緒に参加させて頂きたいものだと思った。
2012年6月14日(木)晴れ
おやじ山の初夏2012(Sさん家の庭園パーティ)
 そろそろおやじ山を去る日も近づいて来た。
 ずっとテントを張っていたOさんが、今朝早く信州に帰って行った。
 9時に、先日おやじ山に来てくれたきのこ同好会のAさんと、植物学専門員のSさんがキャンプ場に来た。Sさんがおやじ山の植物観察に来た時に、傍らに倒れていたサンショウの木の太い幹を見て、博物館に展示したいと言われたので、輪切りにして伐り取っておいたのである。
 そして今日の午後には、巷の偉人Nさんが奥さんと一緒に差し入れのエノキダケの佃煮を持ってキャンプ場に遊びに来てくれた。嬉しかったなあ〜。Nさん、いつでも奥さんと一緒に遊びに来て下さ〜い!

 そして夜は、随分お世話になったSさん夫婦が、俺たちがそろそろ引き上げるというので、ご自宅の庭で送別パーティを開いてくれた。マメで発明家でマグロのSさんらしく、庭にも様々な音色が出る小型スピーカーらしきものが仕掛けてあった。スイッチを入れると虫の音が聞こえ、渓流の瀬音が聞こえ、野鳥の鳴き声が出て、何と、海辺の波の音まで聞こえてきた。「寺泊の海までここから何十キロもあるてがんね、これはちょっとやり過ぎだったかいねえ」と、Sさんは頭を掻いて笑っていた。
 それにしても嬉しくて楽しい一夜だった。Sさん夫婦のいつも変わらない底抜けの親切には、心の中で手を合わせているのである。
2012年6月15日(金)晴れ
おやじ山の初夏2012(花火とホタル)
 大林宣彦監督の長岡映画「あの空の花」を観に行く。長岡花火と戦争犠牲者への鎮魂。文明の進歩に従って人類のますますの退歩。照明の無い暗闇の中のかえって心地良い感覚。

 夜8時半頃、瞑想の池まで真っ暗闇の中を散歩する。ホタルが2頭、強い光を瞬かせながら夜空を「流れて」いた。今夜はおやじ山でもホタルがこんな風に「流れて」いるだろうか?
2012年6月17日(日)雨
おやじ山の初夏2012(おやじ山のエピローグ)
 今年は6月9日に関東甲信地方と北陸地方とが梅雨入りした。それから一週間が過ぎて、ようやく本格的な梅雨のシーズンに入った。
 昨日は神奈川の森林インストラクターTさんが、春に続いて再びおやじ山を訪ねてくれて、今日の11時に帰って行った。
 そのTさんをキャンプ場下の駐車場で見送ってから、カミさんと二人で大湯温泉に出掛けた。もう何度も足を運んでいる馴染みの旅館の日帰り入浴である。
 
 まるでプールのような大きな内風呂があり、浴室内のドアを開けると、大石で囲った露天風呂がある。日曜日の午後、もう泊り客も皆帰ってしまったと見えて、しばらくは全く独り占めの大名風呂だった。

 小雨がしょぼ降る露天風呂に浸かってじっと目を閉じていると、女の子の声が聞こえた。目を開けると真っ白な肌の丸々と太った少女が父親に手を引かれて縁の大石の上に立っている。体の大きさからして小学校5、6年か、ひょっとして中学生になっているかも知れない。遠慮して湯から出ようかと思ったが、雨の外の雰囲気にまだ未練が残って、そのまま身体を露天風呂の隅に寄せて親子から少し離れて湯に浸かっていた。

 女の子と父親の会話が耳に届いた。見るともなしに少女の顔を窺うと、ダウン症の気配が感じ取れた。

「パパ・・・」と女の子が喋っている。
「絵、どうもありがとう」と父親。
「はい!」と、すかさず女の子が父親に返事をする。
「O子ちゃんの絵、パパのお仕事する部屋に飾ってるよ」とまた父親。
「はい!」と少女の返事。
「・・・・・・・」とまた父親が話し掛ける。
「はい!」と少女。
「・・・・・・・」
「はい!」
「・・・・・・・」
「はい!」
と、しばらく親子の会話が続いてから、はっきりと女の子の声が聞こえた。
「パパ・・・」
「・・」
「パパ、大好き」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
俺は思わず両手で湯を掬って顔をごしごし拭った。父親と娘の、まさに裸の付き合いの、これ程濃密な会話を今まで耳にしたことがあっただろうか。
 そっと露天風呂を抜け出て、内風呂へのドアを開けた。そして止まれずに振り返って露天風呂の方を見ると、少女の輝くような真っ白な背中が、細い銀色の雨に打たれていた。

 長いような、短かかったようなおやじ山での暮らしも、明日からは撤収作業である。

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