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おやじ山の春 2011
2011年4月1日(金)快晴
おやじ山の春2011(万物目覚める)
 絶好の天気となった。
 冬の長い雪国の人々にとって、まさに今日のような、「春が来た!」と胸躍るような感覚を味わう一瞬がある。暗く重苦しい季節から、突然、ポッと目くるめくような陽ざしの中に抜け出た時の、得も言われぬ高揚感である。雪国の人たちが永くその土地に暮らし、そして己がふるさとをこよなく愛し続けるのは、今日のような一瞬があるからだと思う。

 朝、デジカメを片手に凍み渡り(放射冷却で固くなった雪の上を歩くこと)でおやじ山を存分に歩き回った。山桜の斜面を谷川に下りて、眩しく朝陽に輝く山菜斜面を、息を呑むようにして何度もシャッターを押した。朝陽が虹色の光線となって、真っ白な雪の斜面を踊るように流れ下りている。その雪の上に長く続く獣の足跡は、トウホクノウサギとホンドキツネである。

 見晴らし広場までも足を延ばした。入山の時には20キロ以上の荷物を背負って難儀したルートも、凍み渡りができる今日は、全く自由に歩ける。金糸卵のような花びらのマルバマンサクが、まさに今が盛りと咲き誇っていた。今年はかつて見たことが無いほどの花の付き方で、狂い咲きの感さえある。
 雪から突き出た木々の冬芽が、心なしか少し膨らんで来たようにも見える。コシアブラ、ホオノキ、コナラ、ミズナラ、ヤマモミジ、みんな今日のこの陽ざしで、深い深い冬の眠りから覚めたはずである。

 10時過ぎに小屋に戻ると、N君が新しく掘った下の池の100年杉の枝打ちをやってくれていた。まるで山猿である。15m位は登っているだろうか。太い幹にロープを回して抱きつくようにして枝に鋸を入れている。
「お〜い、落ちるなよ〜!」と下から叫ぶと、「来るのが遅い!早く俺の雄姿を写真に撮れ!」と怒鳴り返されてしまった。(まあ、これがN君のキャラである)
結局N君は100年杉3本の枝打ちをやってくれて、全く大助かりだった。

 夜は、茶箱の中を探って出てきた少量の焼酎と舐めるくらいの量のブランデーを、N君と二人で分け合って呑んだ。そしてN君がストーブに薪を燃やしながら語り始めた奥さんとの馴れ初めや結婚に至るまでのいきさつは、腹を抱えて大笑いしながらも、まさに壮大な千夜一夜物語りだった。(ここに書けないのは、実に残念である)
 それにしても、N君は奥さんとのいきさつを語りながら次第の興奮して来たのか、大量に薪をくべてボンボン火を燃やすものだから、もう熱くて熱くて仕方なかった。実に、愛すべき男である。

(「山の風景」<2011おやじ山早春賦>にスライドショウをアップしました)
2011年4月2日(土)曇り
おやじ山の春2011(友去り、フクロウ鳴く)

 昨夜のN君の千夜一夜物語を聞いたお蔭で、良く眠れなかった。やたらおかしな夢を何本も見て、うなされてしまった。

 その張本人が「おお、サブイ、サブイ!」と言いながら、外のテントから小屋に入って来るなり、ストーブをガチャガチャ音たてて火を焚きはじめた。小屋の中も0度近くまで冷えていたので、温かくなるまで寝袋に頭を突っ込んで空寝を決め込んだ。
 「今朝は、サシバの鳴声を聞いたよう」とN君が語りかけてくる。返事をしないまま、(そうかあ〜、そろそろサシバが渡ってくる時期か・・・。それに昨夜はフクロウが「ゴロスケ、ホッホ」と鳴いていたし、その前の晩はホオノキに掛けた巣箱の中で「コココココ・・・」と頻りにムササビが騒いでいたなあ)とぼんやり思い出していた。 

 とろろ昆布のおかずで朝飯。今日で山を下りるN君は、今朝だけはやおらおとなしく、「もっと美味いものが食いたい」とは言わなかった。

 10時、N君と一緒に下山。途中の山道では、雪の中から枝を出したオオカメノキが、すでにウサギの顔形の冬芽を開いて、ポツポツとした集合花の蕾をつけていた。

 市営スキー場のロッジまで歩いてタクシーを呼んだ。そして長岡駅の駅ビルの中で「小嶋屋」のへぎそばを食って別れの小宴である。

 改札口でN君を見送り、「さて、これからどうしたものか?」と思案していたら、全く運良くOさんから電話が入った。車を駆って信州経由で長岡に来たという。それで、俺はこれからスーパーでまた山籠りの食料やらを買い込むので、迎えに来てスキー場のロッジまで送ってもらいたい、と頼んだ。
 酒、ビール、ついでに安物のウイスキー、米、玉うどん、醤油、etc・・・をリュックに詰め込んで待っていると、ニコニコとOさんが車で迎えに来てくれた。まさに地獄で仏に出会ったようである。おまけにスーパーには置いてなかった単一電池までOさんから頂戴して、大助かりである。

 およそ15キロほどの荷物を背負って雪道を歩き、おやじ小屋に着いたのは暗くなりはじめた午後5時頃である。

2011年4月3日(日)曇り時々晴れ
おやじ山の春2011(クロサンショウウオ産卵)
 朝起きて池を覗くと、クロサンショウウオが一杯群がって産卵の真っ最中だった。入山した時には既に最初の卵塊があったので、今日で2回目の産卵である。クロサンショウウオの産卵は水温が9℃以下まで下がった時に行われると何かで読んだ記憶がある。池の水に手を入れると、なる程、切れるような冷たさである。

 朝は当面使う量の薪割りを終えてから、NHKラジオの「音楽の泉」を聴きながらゆっくりコーヒーをすすって過ごした。この番組はクラシック専門の番組だが、第一回放送が1949年というから超ロング番組である。
 1988年からの解説者は皆川達夫氏だが、まだ会社にいた現役の頃、社員教育でこの先生から講義を受けたことがある。忘れもしない、教材はスメタナの「モルダウ」だった。大音響が鳴り響く教室で、この音楽の意味を、曲の流れに従って黒板に速記し続けて教えて下さった皆川氏の姿に、すっかり感激してしまった。

 N君が帰ったので、午前中は小屋の整理やテントの片付け、寝袋を干したりした。
 そして午後からは下の池周りの杉をチェーンソーを使って3本伐倒した。池に光を入れるためである。
 かかり木にならないように予めロープを掛け、クサビを打ちながら慎重に作業したが、やはり2本をかかり木にしてしまった。さほど太くない杉木だったが、びっしり詰った年輪を数えると、何と70年を越える老木だった。

 時々射す陽ざしに、向かいの山菜斜面が実に美しく輝くのだった。
2011年4月4日(月)晴れ
おやじ山の春2011(サシバ杉の枝打ち)
 確か、4年前だったと思うが、池の上の杉林の1本にサシバが巣作りをして雛を育てた。これは実に貴重なことで、生態系の豊かさがおやじ山にはある、というれっきとした証拠である。

 ところが、この年は中越地震で壊れたおやじ小屋の修復に取り掛かっていて、連日ドンドンガラガラと大カナヅチを振り回していた。さらに小屋修理の廃材などを焚き火で燃やして、その煙がサシバの巣まで立ち昇ったりしていた。
 しかしこの年のサシバは、しっかり子育てを終えて巣を去ったが、翌年、その翌年とサシバの飛来を首を長くして待ったが、残念、おやじ山には巣を作ってくれなかった。
 サシバが巣を作ってくれた杉は、杉林の中でも縁に植えたとりわけ成長の良い木である。サシバの飛来以来、枝打ちを周りの木とともに控えていたが、今日意を決してそれらの杉6本の枝打ちをした。また是非来て欲しいと祈りつつ・・・
2011年4月5日(火)晴れ、気温上がる
おやじ山の春2011(黄金色の風景)
 夜中に寒くて何度も目を覚ます。その度にホカロンを取り出しては1枚、また1枚と、背中、腰、尻と貼り付ける。それでも堪らなくなって起きてストーブを焚いたのが午前3時である。気温は0度だった。

 ムササビの巣が「コココココ・・・ガガガガガ・・・」と随分騒がしいので小屋の外に出て様子を見たが、暗くて分かるものではない。冬枯れたコナラの梢のずっと向うに、チラチラと長岡の街の灯が見えた。

 今日は雪で傾いたトイレの修理。
 午後5時に仕事を終えて山菜斜面に目をやると、雪に覆われた斜面が夕陽を浴びて黄金色に染まっていた。
2011年4月6日(水)晴れ
おやじ山の春2011(カタクリの一番咲き)
 昨夜同様、寒くて夜中に何度も目を覚ます。
 寝不足で8時にようやく寝袋から這い出たが、外に出てみると実に気持ちの良い晴天である。

 今日は一日中ウインチを使って雪で傾いた物置小屋の修理をする。
 午前10時頃、ドラム缶風呂にバケツで水を汲み入れていたら、三ノ峠山に登る「赤道コース」を大声で話しながら歩く登山者の姿が小さく見えた。頂上近くに地元同好会の人たちが「遊友小屋」を建ててから、こうして雪の季節にも山歩きする人が増えているようだ。

 日中は気温が上がった。雪が解けた南側の山桜の斜面に、カタクリが咲き出した。この春の一番咲きである。
 午後5時、夕陽で赤く染まった山菜斜面を見ながらドラム缶風呂に浸る。
2011年4月7日(木)
おやじ山の春2011(ウグイス鳴く)
 午前2時、どうにも寒くて起きてしまった。そしてしばらく思案したが、今日一旦下山することにした。
 10日の統一地方選挙には藤沢で投票することにしていたし、これからの長期の山籠り態勢もしっかり整える必要があった。それでどうせ今夜は寒くて眠れないので、寝袋に包まったままヘッドランプを点けて、下山時に用意するあれこれをメモしてみた。

 ガソリンランタンのマントル、電池(単一、単三)、ホカロン、缶切り、エアマット、バンドエイド、塩漬きのこ、佃煮昆布・・・それから、酒は・・・
 本当に、こんなに持って来れるかなあ〜?

 5時半、小屋の外に出る。ウグイスの初鳴きを聞いた。おやじ山に春が来た!

(この後、麓の栖吉からバスに乗って長岡駅に出て、新幹線で藤沢に帰った。藤沢はソメイヨシノが満開だった。そして選挙の投票を終えた4月10日、午後8時過ぎに再びおやじ山に入った)
2011年4月12日(火)晴れ
おやじ山の春2011(ムササビ君の出迎え)
 昨11日は、自宅から車に積んできた潤沢な(?)酒、燃料(炭9kg)、食料などの荷揚げに大汗をかいた。大型リュックに荷物をぎゅうぎゅうに詰め込んで、さらに両手にはレジ袋をぶらさげ、雪の山道を2時間近く歩いて小屋に運び入れた。
 ドサッと荷物を置いて腰を下ろすと、「これで瞬間的ブルジョア気分が味わえるぞ〜」と思わず笑みがこぼれてきた。(実に、単純なのである)

 そして、昨夜もホオノキの巣箱でムササビが頻りに「コココココ・・・・ゴゴゴゴゴ・・・」と騒いでいたが、今朝5時に外に出てみると、何と!ムササビ君が丸い窓から顔を覗かせていた。「おはよう!」と声をかけて木の下まで近づいたが、クリクリした真っ黒な大きい目が、俺の方をじっと見ていて、何とも可愛いのである。

(ケイタイカメラで写したムササビ君を、巣箱提供者(本当はフクロウの巣箱のつもりだったんだけど)のK女史と、真冬に雪掘りに来てくれたNさんに写メールしたら、各々次ぎのような反応が届いた。K女史:「ムササビの子ども、生まれたりしないかしらねえ」 Nさん:「可愛い隣人によろしく!」 これは、男女の種の違いを象徴的に表わしていると思われる)

 今日は東北大地震の余震が頻発した。ここおやじ山でも午後3時頃には相当大きい余震があって、その度に巣箱のムササビが、「はて?世の中、どうなったものか?」と丸窓から顔を覗かせて思案をしている風である。

 小屋の中ではヒメネズミがちょろちょろ動くし、おやじ池ではクロサンショウウオが3回目の産卵をし、そして今だ真っ白な向かいの山菜山から、清明なウグイスの囀りが高らかに響き渡ってきた。

 万物胎動し始めた感のおやじ山の一日だった。
2011年4月13日(水)快晴
おやじ山の春2011(大雪庇の山、守門岳登山)

 今日は次兄と守門岳(1537m)に登った。東洋一の大雪庇が見られるという、山マニアの間では知る人ぞ知る郷里の名山である。

 4時半に起き、ようやく山の端が明らみ始めたおやじ山を下りて、待合せの市営スキー場のロッジに向う。途中大きな蹄の雪跡があったが、これは噂に聞いていたカモシカかも知れない。おやじ山までカモシカが下りて来るとは、驚きである。

 迎えに来た次兄の車で、見事な絵画を見るような素晴らしい棚田風景の栃尾の山道を抜けて、守門の登山口近くに着いた。まだ夏場の正式登山口まではかなりの距離があるが、ブルトーザーで開いた道はここまでで、それでも道の両脇の雪壁は2m以上はある。既に県外車を含めて数台の車が停めてあって、この時期の守門岳の人気の高さが窺われる。


 先行者の踏み跡を辿って大雪庇の大岳を目指す。主峰守門は朝日を受けて、純白の山肌がピカピカと輝いて神々しいばかりである。
 ヤドリギが盛んに付いているブナ林を抜け出ると、そこはもう森林限界で、まさに白一色の銀世界である。息を整えながら振り返ると、眼下には鋸山を頂点とする長岡東山連峰、その左には須原のスキー場、その奥に見えるのは、八海山、越後駒ヶ岳、中ノ岳の越後三山で、更にその奥には尾瀬の山々が煙って見えた。

 見事なシュプールを描いて大岳の頂上から滑り降りてくるスキーヤーの姿が見える。何とも羨ましくて仕方がない。

 11時半、大岳の頂上に着いた。快晴だが吹き飛ばされそうな猛烈な寒風である。幸い誰かが掘った雪洞を見つけて、次兄と二人で先ずは避難である。そしてリュックからシャツやヤッケを取り出して着込んでから、雪洞を這い出て、かじかんだ手で大雪庇の撮影をした。ごうごうと切れるような冷たい風が吹きすさぶ大岳の頂上に震え立ちながら、素晴らしい雪山風景にすっかり目も心も奪われてしまった。

 車を停めた登山口に下り着いた時には、既に他の車は無く、ポツンと次兄の車だけが残っていた。
 帰りは、守門温泉に入って疲れを癒し、栃尾にある道の駅で名物油揚げの夕食を摂ってから、またスキー場のロッジまで次兄に送ってもらった。
 そしてここで次兄と別れて、既に赤い夕陽が沈みかけている雪道をおやじ小屋へと急いだ。小屋に着いたのは午後7時過ぎだった。

 酒を呑んだら一気に効いて、ぶっ倒れるように寝込んでしまった。
 

2011年4月14日(木)晴れ
おやじ山の春2011(春を呼ぶ早春の花々)
 確か、わずか3日前に大汗かいてどっさり酒や食料を背負ってきた筈なのに、もう手持ちが僅かになって一気にプロレタリアートの心細さである。いつもの事で、相変わらず線香花火のような瞬間的ブルジョア気分だった。

 それで朝起きて谷川沿いを食料探しに出かけた。「あったあ!」フキノトウとコゴミである。今年の山菜初物で嬉しい限りである。
 さらに雪解け直後の斜面には、キクザキイチゲやカタクリのスプリングエフェメラル(早春の儚い命)の花々が一斉に咲き始めている。

 しかし初物の山菜料理には、『やはり心置きなく呑める量のアルコールは必要ではないだろうか?』と、何やら己の胸に疑問を呈する声が聞こえてきて、仕方なく買出しに山を下りることにした。

 日中の気温も随分上がった。途中の山道では、暑い日差しを受けた雪の山肌が一気に融け出して、そんな雪の間からはマルバマンサクのチリチリ花がこの時とばかりに咲き誇り、オクチョウジザクラやタムシバの蕾も俄かにほころび、ヤマモミジやハウチワカエデの新芽からは、真っ赤な可憐な花が顔を覗かせていた。

 こうして一斉に咲き出した花々を目にすると、春の季節が花々を呼ぶのではなくて、花々が春の季節を呼び寄せるのだとつくづく感じてしまう。
2011年4月15日(金)晴れ
おやじ山の春2011(山菜一番採りした奴は?)
 昨日買出しに山を下りて、再び瞬間的ブルジョア気分で、今朝の朝飯は珍しくパンである。それから買出し品の貯蔵庫としてカマクラを掘って、先ずは缶ビール(発泡酒だけど)を収納した。やたら財産(?)を持つといろいろ気苦労が多いのである。(しかしこうして今、改めて写真を見てみると、何とも慎ましやかで涙が出そうである)

 朝食を終えて、昨日見つけたフキノトウを採りに谷川に下りると・・・な・な・何と!かなりの数のフキノトウが誰かに盗られている。それも随分荒っぽい採り方で、これはプロの仕業というより素人の間引き採りである。
 「しかし・・・?」と考え込んでしまった。雪の上に靴の足跡が見当たらないのである。昨日は気温が上がって雪が緩んだ筈だし(足跡がしっかりと付く)、今朝は5時前には起きていて、いくら何でも人の気配があれば分かった筈である。
 そしてよくよく顔を近づけると、盗られたと見られるフキノトウの茎がスパッと切れて、人の手でむしり取った跡とは違う。これは前歯の鋭い獣の仕業で、犯人はトウホクノウサギである。ウサギがこんなアクの強い山菜を食うとは思いもよらなかったが、これで山菜採りのライバルがまた増えたことになる。
 「相手がウサギなら、まあしょうがないか」と、残りもののフキノトウを丁寧に摘んで、カマクラの収納庫に収めた。

 今日は、天気も良くて、我ながらよく働いた。

 午前中は朝摘み取ったフキノトウでフキ味噌作り。刻んだフキノトウを油が回る程度に炒めてから、味噌、砂糖を酒で溶いた汁をかけて、クツクツと弱火で汁気を飛ばして、はい出来上がり、である。
 それから薪割りと洗濯、ドラム缶風呂の水汲みと仮焚きなど・・・。
 午後は、枝打ちした杉っ葉のあと片付け。さらにブナ苗の植林地に、水抜き用の池を掘った。

 そして午後5時前には沸き上がったドラム缶風呂に入る。今日一日、精一杯体を動かしたせいで、実に気持ちがいい。それから夕陽に染まり始めた雪の斜面を見ながらの晩酌。風呂上りの酒こそ、まさに至福の一献である。
2011年4月16日(土)曇り〜雨
おやじ山の春2011(カサブランカ=嵩ばらんか?)
 5時起床。今朝も「ホォォォォォ〜、ホケキョ!!」と盛んにウグイス鳴く。しかし他の鳥の囀りは今だ耳にしない。

 午前9時過ぎから雨になる。それで、ほとんど一日中、ラジオを聞きながら小屋の中で過ごす。

 今日は東京で「長岡中学/長岡高校、東京支部同窓会」が開催されている筈である。今年創立140周年を迎える母校の大先輩、山本五十六元帥の命日、4月18日前後の土曜日に、50歳になった卒業年次が幹事役となって毎年盛大に開催されるイベントである。今年は東北大震災が起こり、果たして実施するか否かで論議があったらしいが、例年通りの開催となったようだ。
 夕方、2次会の席からKさんが電話をくれた。随分盛り上がっている様子で、今年の春は何人かの同級生仲間と一緒におやじ山に来てくれる、と言う。そんな気の置けない同級生達とおやじ山で会えるとは、全く嬉しい限りである。

 午後8時過ぎ、寝袋に包まってNHKラジオを聞いていたら、噺家が出演する「真打ち競演」という番組になった。漫談の牧伸二だっただろうか?話の内容は、名優ハンフリー・ボガードと名女優イングリッド・バーグマンが共演した名画「カサブランカ」である。

『ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンがナチス占領下のモロッコ脱出を試みてカサブランカの空港で荷物を運んでいた。重そうに荷物を運ぶイングリッド・バーグマンを見て、ハンフリー・ボガードが声を掛けた。「君、その荷物、嵩ばらんか?」』

 余りのくだらなさにゲラゲラ笑ってしまったが、喋った噺家自身も「クダラナイ!ああ、クダラナイ!」と言って恥じている始末である。
 世の中、誠に平和である。そして、夜も更けていく。
 
2011年4月17日(日)晴れ
おやじ山の春2011(絶景萱峠)
 朝7時半頃、新潟の次兄がおやじ小屋にやって来た。これから「水穴」まで行って山菜(コゴミ)の様子見をするという。それで一緒について行くことにした。

 おやじ山の尾根からホオノキ平に登り、先ずは三ノ峠山を目指す。途中、鋸山が正面に見える千本ブナまで来て一息入れた。今年はブナの花が枝々にびっしりと付いて、この堂々とした大木が夥しい雄花の花色で茶色に染まりきっていた。(他のブナの木も同様で、今年は間違いなく5〜7年周期と言われるブナ実年=大量結実の当たり年、である)

 三ノ峠山の頂上に着いた。友遊会の人たちが設置してくれたのだろうか、頂上の標識に積雪計が立ててあって、80cmの積雪を示していた。

 予想されたことだが、山菜の宝庫「水穴」は一面の雪景色である。山菜の時期までにはまだまだ相当の日にちがかかりそうである。しかし嬉しいことに、水穴の上空高くサシバが旋回していた。いよいよ南の国からこの鳥が渡ってきたのである。そしてあのサシバは、きっとおやじ山に飛んできてくれたサシバではなかろうかと胸が高鳴る思いだった。

 時間はまだ10時、それに今日は絶好の山日和である。水穴まで来たからにはと、足を伸ばして「萱峠」まで行ってみることにした。東山連峰の最奥地、夏の登山なら一級の健脚コースになる。

 優に2mは積雪があると思われる稜線を、まさに息を呑む思いで足を運ぶ。全く素晴らしい雪山風景だった。今だぶ厚く積もった雪の斜面からタムシバの木が1本、その純白な花びらが春の日射しに更に輝きを増して、孤高に咲き誇っていた。

 もう熊も冬眠から覚めたのだろうか?帰りに熊の足跡を見つけ、先日おやじ山でも見たカモシカの蹄の跡もあった。

 今日は水穴の様子見で、思わぬ収穫をした一日だった。

(「森のパンセ」に<萱峠>をアップしました。<守門>と合わせてご覧下さい)
2011年4月18日(月)晴れ
おやじ山の春2011(初客人)
 今日も良い天気で、何となくそろそろ山菜採りがおやじ山の様子見に入って来そうな予感がする。
 それで、明日は遙々伊豆からKさん夫婦が山菜採りに来られるので、そっくり残しておこうと思った谷川沿いのフキノトウを、安全をみていくらか今のうちに採って、おみやげに確保しておこうと思った。自分の持ち山なのに、おちおち気が抜けないのである。

 谷川に下りると、雪解け直後の爽やかな大地からは、キクザキイチゲやスミレサイシン、オオバキスミレなどが咲き出し、雪に頭を押さえつけられていた真っ黄色のフキノトウやコゴミもあちこちに顔を出していた。

 一抱えほどフキノトウを採って小屋に戻ってくると、「ピックィ〜!!」とすぐ真上で鳥の鳴声が大きく響いて、小屋脇の大杉にタカがとまった。待望のサシバである。嬉しかった!

 午前中、何食分かのフキ味噌を作る。俺もだんだんトウホクノウサギのような食生活になってきた。

 昼近く、やはりこの春最初の客人がおやじ山に来た。地元のHさんで、2時間ほど話し込んでいったが、この人は山菜採りではなくて、この辺りの山を歩き回っては自作の地図上に古老から聞き出した地名を書き込んでいる人である。
 曰く「ここの水場は、昔親子でこの水を飲んで『親は酒々、子は清水』と別々の事を言ったがんで<コワ清水>と名付けたこって」。「昔この村にドロボーが入って、この沢に逃げ込んだがあと。それで<盗人沢>」
 「な〜るほど・・・」、勉強しました。
 
2011年4月19日(火)冷たい雨
おやじ山の春2011(雨ニモマケズKさん夫婦)
 今日は伊豆からKさん夫婦が山菜採りに来る日である。
 せっかく遠くから来られるというのに、昨晩からシトシトと冷たい雨が降り続いていた。

 5時に起きて折畳みベッドを片付け、小屋中散らかしたガラクタ整理と土間も掃き掃除をして、一応お迎え準備をした。そして6時半過ぎにおやじ小屋を出て、麓の市営スキー場の駐車場にKさん夫婦を出迎えに行った。

 例によってどっさりお土産を持ってKさん達がやってきた。いつものお酒、自分の農園で作った玉葱、甘夏、おにぎりと、山暮らしには何とも有難い品々である。そして雨のしょぼ降る中、雨合羽に傘差しという山菜採り姿で麓から雪道を歩いておやじ小屋に向かった。

 小屋で一休みして、いざ雨ニモマケズの出陣である。それでもお二人は谷川まで下りて、出始めたばかりのフキノトウやコゴミを丁寧に摘み取って、初物にしてはそこそこの収穫である。

 小屋に戻ってKさん持参のおにぎりで昼食をとりながら楽しい談笑の時間を過ごしてから、またKさん夫婦と一緒に山を下りた。そしてお二人を迎えたスキー場の入口でご夫婦を見送った。久々に賑やかに話しながらの楽しい時間だっただけに、こうした氷雨の中での見送りはいっそう寂しさがつのってしまう。

 小屋に戻って、酒を呑み始める。夜からはミゾレに変わりそうな冷たい雨の夕暮れだった。

 
2011年4月20日(水)曇り
おやじ山の春2011
 寒い。朝起きて小屋の外に出ると、一面真っ白な霧である。おやじ池を覗いて見ると、案の定、クロサンショウウオの新しい卵塊がある。今年4度目の産卵である。

 午前中は雨になったが、今年新しく掘った池に更にシャベルを入れて深堀りする。
 午後は、下の池にバカ長を履いて入り、冬の間に枯れ落ちた杉っ葉拾い。

 午後4時、気温がどんどん下がって仕事を止し、小屋に入って酒を呑み始める。こうして、たまには明るいうちから酒呑めるシアワセをつくづく感じてしまう。(ん?昨日もそうだったかな・・・)
2011年4月21日(木)晴れ
おやじ山の春2011
 今日は気持ちよく晴れた。

 そろそろ地元の山菜採りがおやじ小屋に訪ねて来てくれたりするので、ドアの脇に看板を出すことにした。それで木の板の裏表に筆で次ぎのように書いて釘で打ちつけた。

<おやじ山で仕事をしている時>(看板の表)
  山に居ます
  ご用の方は
  ヤッホー!と呼んで下さい


<街に買出しに出かけた時>(看板の裏)

  里に下ります
  ご用の方は
  またお出で下さい


 それから、チェーンソーで丸太の先を鉛筆形にカットして杭造りをした。その丸太の1本に釘が打ってあって、知らずに回転刃をキーン!と当ててしまった。「やれやれ・・・」と午前中一杯こぼれた刃をヤスリで研いで修理に費やした。

 午後からは、春の陽気に誘われて見晴らし広場までのんびり散歩した。ユキツバキの花が真っ赤に咲いて、今年はこの木も花付きがいいようである。オクチョウジザクラは今が満開、春の貴婦人オオカメノキの真っ白な花もほころび始めた。

 小屋に帰ってドラム缶風呂を焚く。ゆっくりと湯に体を沈めて、いままでの最高のお風呂だった。
2011年4月22日(金)晴れ〜曇り、夕方雨
おやじ山の春2011(ヒメネズミ決死の子探し)
 今日はヒメネズミにすっかり感動してしまった。

 午前中は冬の間に折れたり倒れたりしたおやじ小屋までの山道の枯木の整備をし、午後からは再びこの春掘った池の深堀り作業をした。
 この池に雪解け水がどんどん流れ込んでいて、池周りに積んだ土も崩れてしまう箇所があって、物置から土嚢袋を取り出して土詰め作業を始めた時だった。

 土嚢用の麻袋の一枚を取って袋の口を下にした時、「あれあれ」、物置に置いていた袋の中で子育てをしていたのか、全長5センチ程のヒメネズミの親と、小指の先ほどの赤ちゃんネズミがポトリと地面に落ちた。赤ちゃんネズミは合計4匹で、まだ目も開かず、肌色の体をブルブル震わせて転がっている。動転した親ネズミは最初はまさに右往左往と走り回っていたが、そのうち赤ちゃんネズミを一匹ずつ口に咥えて近くの木株の穴に運び始めた。一匹を運び終えると急いで穴から出てきて、また一匹を運ぶ。
 「ほほう〜」としゃがみこんで見ていたが、親ネズミは真近で見下ろしている俺の姿を何度も見上げて警戒している様子だったが、それでも怯むことなく最後の4匹目まで木株の穴の中に入れた。

 ところが、直ぐにまた穴から親ネズミが出てきた。そしてしゃがんでいる俺の周りを忙しく動き回って、まだ何やら探している様子である。それで思わずネズミに向って、「はい、もうこれで全部運んで、あんたの子どもはいないよ」と声をかけてやった。それでも親ネズミはあっちを探し、こっちを探しと、俺の姿をものともせずの決死の様子である。

 いつまでも這いずり回っているヒメネズミが何やら憐れだったが、いつまでも付き合っているわけにも行かず、立ち上がって先ほどの麻袋を手にとった。そして袋の中を覗き込んで「あッ」と思わず声をあげた。もう一匹赤ちゃんネズミが残っていたのである。赤ちゃんネズミは合計5匹。親ネズミは5匹の子どもを憶えていて、最後のこの子を探し回っていたのである。

 「いやあ、ゴメン、ゴメン」と赤ちゃんネズミを手に取って、地面の親ネズミを探したが、もうその姿は消えていた。
 「さて、どうしたものか?」と赤ちゃんネズミを手の平に乗せたまま思案したが、木株の穴の入口に置いておくことにした。匂いを嗅ぎ付けて穴の奥から親ネズミが出てくると思ったからである。
 しかし、いつまで経っても出て来ない。そのうちブルブル震えていた赤ちゃんネズミの動きも微かになって、そっと指で摘まんで穴の奥に押し込めてやった。

 ポツポツと雨が降り出した午後5時、仕事を止めて小屋に戻った。多分木株の穴はこの雨で水浸しになるだろう。はッとして、急いで物置からブルーシートを取り出して木株に走った。丁寧にシートを掛けてやったが、果たしてヒメネズミの親子はまだあそこに留まっていたのだろうか?

 今日は、おやじ池でクロサンショウウオ5度目の産卵。そして午前中の山道整備の時、ギフチョウを見た。今年のギフチョウ初見である。
 
2011年4月24日(日)晴れ〜曇り
おやじ山の春2011(オオルリの囀り)

 昨夜は一晩中シトシト雨の様子だったが、目を覚ますと眩い朝陽の青空である。
 向かいの山菜斜面からは、けたたましい程の高音でウグイスとオオルリの囀りの競演である。

 谷川に下りて、その山菜斜面に登ってみた。今年初めての山菜山の様子見である。まだ大分積雪があるが、斜面からはアカイタヤが新芽を付けて、萌黄色の花を枝一杯に咲かせていた。アカイタヤの花付きも、今年はどの木を見ても見事である。

 昼近く、山菜採り名人のAさんが小屋にやってきた。コーヒーを出して1時間ほどよもやま話に耽る。
 午後はブナの幼木の雪起こし作業。

 夕方6時を回り、真っ赤な夕陽が山菜斜面を美しく染めている。こんな日暮れ時の全く静かな山の中で、一人(?)オオルリだけが盛んに囀り続けていた。その鳴声は、まるでもう明日の日は無いと言わんばかりの激しさで、ちょっと胸を突かれる思いだった。ウグイス、コマドリ、オオルリ三鳴鳥の中でも筆頭格の美声を、このように聞くのは初めての経験である。

 振り返った巣箱にムササビ君が顔を出していた。そろそろムササビ君の出勤時間らしい。
 

2011年4月25日(月)晴れ〜氷雨
おやじ山の春2011(Nさん夫婦来る)
 今日は神奈川から森林インストラクターのNさんご夫婦が来られて、明日からの佐渡旅行のために新潟で宿をとることになっていた。佐渡検定の資格を持つ次兄の案内で、島内花紀行の計画である。

 それで、今までの小屋暮らしで大分囲炉裏の煙で身体が燻されているはずなので、Nさん夫婦に会う前に麓の温泉で身体を磨いておくことにした。麓の町はソメイヨシノがちょうど見頃で、まさに春爛漫である。

 ドラム缶風呂もいいが、やっぱり温泉の大風呂でゆっくり身体を伸ばすと心身ともにすっかりリラックスしてしまった。

 午後1時半頃、予定より早くNさん達がおやじ山の麓に着いたという携帯電話が入り、風呂ついでにコインランドリーに寄っていたが、急いでNさん夫婦のもとに向った。

 まだ新潟に向うのは早いというので、ご夫婦を東山ファミリーランドの自然観察林の中を案内することにした。この季節の雪の多さにビックリした様子だったが、氷雨の降る中、谷川沿いに咲いているカタクリやキクザキイチゲ、ユキツバキ、トキワイカリソウ、ホクリクネコノメソウと、お二人は声を上げながら熱心にカメラに写し撮っていた。

 ご夫婦が泊まる佐渡汽船の桟橋近くのホテルで待っていた次兄と落ち合い、ホテル最上階にある展望台に昇って次兄の観光案内を受けた。会社を定年退職した後、市内でボランテァガイドをやっているという次兄の説明は、さすが堂に入ったものだった。
 夕食は次兄の案内で新潟駅近くの居酒屋に行った。そして皆で越後銘酒を酌み交わしながらの楽しい前夜祭だった。
2011年4月27日(水)曇り
おやじ山の春2011(佐渡ヶ島花紀行)
 昨4月26日と今日、神奈川から来られた森林インストラクターのNさん夫婦と一緒に佐渡に渡り、新潟に住む次兄の案内で素晴らしい花の旅を満喫した。

 第1日目はアオネバ渓谷から、今だ雪の残るドンデン山頂まで歩き、渓谷沿いに咲き乱れる見事な花々を、我々4人だけで独り占めした贅沢極まる花旅だった。
 そしてドンデン山荘で呼んだタクシーで一旦両津港まで引き返し、ここからレンタカーで小木に取ったこの日の宿「かもめ荘」でゆっくりとくつろいだ。
 
 今日2日目は、佐渡でも古い歴史を持つ小木地区の歴史探訪と、Nさんたってのある草花(貴重種ゆえ名前はちょっと・・・)を見つけることである。
 次兄の案内で、先ず「矢島・経島」の穏やかな湾内を眺め、宿根木では古い町並みをそぞろ歩き、国重要文化財の妙宣寺の五重塔や枝垂桜を観て、午後のジェットフォイルで佐渡ヶ島を離れた。

 果たしてその念願の貴重種を見る事ができたか否かは・・・? 「森のパンセ」<佐渡ヶ島・早春花紀行>でご覧下さい。

(「森のパンセ−その48−」<佐渡ヶ島・はる花紀行>をアップしました)
2011年4月28日(木)曇り、風強し
おやじ山の春2011(テント設営)
 雪が多かった今年は、例年より2週間ほど遅れて、ようやく麓のキャンプ場がオープンした。大雪の除雪はもちろんのこと、今年は雪で倒れたり折れたりした木がそこら中にあって、そんな片付けで連日大忙しの管理人の皆さんには本当に感謝、感謝である。

 それで早速、俺もおやじ小屋からキャンプ場に拠点を移すことにした。明日から森林インストラクター神奈川会のTさん一行が2泊3日の予定でおやじ山に来てくれるからである。その後のゴールデンウィークにはNさん家族や孫の承太郎も遊びに来るので、キャンプ場も一気に賑やかになる。

 そっくり車に積んでおいたキャンプ道具をテント場に運び上げ、強風の中でドームテントは何とか張り終えたが、背の高いキッチンテントはとても一人で張れず、明日の客人達に手伝ってもらうことにした。
 おやじ小屋にデポしておいた他のキャンプ道具も、山道の途中にまだ雪が残っていて、これも明日皆さんにボッカしてもらうことにして、午後3時にはおやじ小屋を閉めて下山した。

 ちょうど小屋を閉めてひょいとムササビの巣箱を見ると、何と、ムササビ君が悲しげに?(大きな黒目が潤んでいたようだったので)顔を出して俺の方を見ていた。(たまたま余震が起きてビックリして顔を出しただけかも知れない。気付かなかったけど・・・)

 テント泊の初日である。
2011年4月29日(金)晴れ一時曇り
おやじ山の春2011(Tさん一行来る)
 午前10時、関越道「長岡南越路インター」側のスーパーの駐車場で今か今かと待っていると、Oさん運転の車が入って来て、ニコニコ顔の皆さんが降りてきた。森林インストラクター仲間のTさん、Uさん、Oさんと、Tさんのご親戚のS子さんである。

 当面の買物をスーパーでしてから、キャンプ場へ。そしてバタバタとテントを設営し終えてから早速皆でおやじ小屋に向かった。

 さすが植物のプロ連中で、おやじ小屋までの山道を歩きながら、カタクリ、キクザキイチゲ、ナガハシスミレ、ユキツバキ、トキワイカリソウ、オオイワカガミと、目ざとく見つけては走り寄って仔細に観察しつつ何度もカメラを向ける熱心さで、『はて?この調子だと、いったいいつ小屋に着けるんだろう?』と密かに心配してしまった。

 無事小屋に着いてストーブを焚き、それぞれスーパーで買った昼食の弁当を開いた。そして帰りにはおやじ小屋デポのテーブルや椅子、七輪などを手分けして皆さんに運んで貰った。

 西山に落ちる夕陽を見ながらの夕食は全く豪華だった。
 再びスーパーに買出しに行って仕入れた惣菜の他に、S子さん手作りの煮菜、小魚の唐揚げ、チクワと揚げ入り昆布煮、蛸パスタなど、それにもちろんUさんOさん差し入れの銘酒やワインがところ狭しとテーブルに並んで、実に贅沢で愉快な宴会となった。
2011年4月30日(土)晴れ〜雨、曇り
おやじ山の春2011(カタクリの花畑と山菜採り)
 頻りに鳴くウグイスの囀りで目が覚めた。少し離れた所で、負けじとばかりにクロツグミも鳴いている。この鳥は鳥界のエンターテナー的存在で、決して同じ旋律を繰り返して鳴いたりはしない。おまけに他の鳥の鳴声も真似るほどの芸達者である。

 Tさん達が豪華な朝食を作ってくれて、さらに今日の昼飯用のおにぎりまで握ってくれた。
そのおにぎりを持って、午前8時にはおやじ小屋に向った。

 今がちょうどおやじ小屋裏のカタクリの丘と、上に広がる斜面のカタクリが満開で、残念ながら昨日は日射しが無くて花が開ききっていなかった。それで再度、カタクリの丘に見に行くことにした。
 踏みつけずには歩けない一面ピンクのカタクリの絨毯で、皆すっかり感動した様子で「歩けない、歩けない」を連発しながら写真に撮っている。俺にとってもこのおやじ山のカタクリ群落は誇るべき自慢の場所で、まさに自分が誉められているようで、ありがたくも嬉しかった。

 Tさん達を向かいの山菜山に案内してから小屋に戻り、Oさんと二人で囲炉裏で火を焚きながらビールを飲み始める。しばらくしてコゴミやゼンマイを収穫してTさん達がニコニコ顔で帰ってきた。聞けばS子さんは長岡の出身で、子どもの頃に山菜採りをした懐かしい思い出が忘れられなかった、というだけあって、やはり大した収量である。

 小屋でおにぎりの昼食を摂って、降り始めた雨の中をキャンプ場に急いだ。テントに着くと、今日神奈川からお客さんが来ることを知っていた長岡きのこ同好会のSさんからの差入れが置いてあった。お酒、ギンナン、菜花のお浸し、甘口タラ、etc・・・と、全くいつものSさんの心温まるご好意である。

 驚いたことに、夕方雨が上がって、「みんなどこに行ったんだろう?」と思っていたら、コシアブラをどっさり採って帰ってきた。先ほど、雨に降られながらおやじ小屋から赤道尾根を逃げ帰って来たが、その帰り道でS子さんは目ざとくコシアブラを見つけていたようで、それを皆で採ってきたのだという。さすが越後長岡の出身者である。

 今日の夕食は、昨年秋に採って塩漬けしておいたきのこを戻して、たっぷり具入りの田舎雑煮を作った。大いに呑んで、食べて、あっという間に夜が更けてしまった。