明け方4時に目が覚めてしまった。もうひと眠りしようかどうしようかと床の中で迷っているうちに、もう40年以上前の僅か半年余りの出来事を思い出した。
それは辛く惨めな一時期を過ごしてから、伝手を頼って勤めたある会社の人達のことだった。
配属された部署には後見人の立場になってくれたYさんがいて、部長のyaさん、課長のFさん、そしてニコニコとこまめに世話を焼いてくれたMさんがいて、周りの人達の心温まる親切を一身に受けて何不自由なく仕事ができた。まさに一文無しの自分にとっては実に有り難いことに、この会社には社員寮があって、ここの寮母さんにも本当に親切にしていただいた。
そしてここで、人生の恩師というべき今は亡きHさんと出会い、一生忘れることができないTさんに出会った。
この年、70年安保を直前にまさに世は騒然としていた。1月の東大安田講堂攻防戦を皮切りに、日大闘争、京都大学の入試粉砕闘争と大学紛争が一段と激しさを増し、沖縄の2・4ゼネスト、新宿西口7000人反戦フォーク集会、そして日米安保継続交渉でニクソン会談に望む佐藤首相訪米阻止の羽田闘争と、身近で起こる市民や学生と機動隊との激しい衝突を目くるめく思いで見続けていた。
街には藤圭子がしゃがれ声で歌う怨歌<♪十五、十六、十七と〜私の人生暗かった〜♪>のヒット曲が流れ、強大な圧力でグイグイ押さえ込まれいく大学紛争に、次第に敗北感を募らせていく全共闘時代の若者たちがこの歌声に共鳴したのである。
しかし一方で、この年アポロ11号が人類史上初めての月面着陸を果たし、アームストロング船長の第一声、
「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な躍進だ」
が、どれほどテレビ中継を見ていた世界中の人達に感動を与えたことだろう。
俺も会社近くの電気店の前に立って固唾を飲んでテレビでこの瞬間を見つめた。自分の限りない未来が月面着陸と重なって大きく大きく膨らんで来るのを感じたのだった。
そしてHさんの影響で再び和辻哲郎の「古寺巡礼」を読み、亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」のページを捲った。そしてこの会社を去ることを決めた秋、Hさんに誘われて奈良の旅に発った。
新薬師寺傍の小宿に泊り、Hさんに教えられながら寺々を巡って多くの仏像を観、そして奈良から三輪へと通じる山辺の道を、穏やかな大和平野を右に見渡しながらHさんと共に歩いた。
思えば、騒然とした東京を離れ、この奈良で過ごした一時の旅ほど、静に心に染みた旅は無かった。
この会社を辞めてから、また困難で苦しい生活が始まった。昔の友人や知人の部屋を泊まり歩くような悲惨な時代がしばらく続いたが、この僅か7ヵ月を過ごした時期こそ、俺にとっては人生の中で眩い虹色の光彩を放った輝きの時期だったと断言できる。
親切で優しい人たちばかりの、まるで温かい巣のような場所から再び荒々しい世界へと飛び出したが、当時の自分の気持ちを思い起こすと、涙ぐむような感慨である。
そして歴史と人生には「タラレバ」などありはしないが、「もし、あの会社に留まっていたら・・・」と、人生行路の遥かな運命の軌跡に思いを馳せるのである。そして当時の、まさに一生忘れがたき思いを刻印した出会いの人々を、心底懐かしく思い出すのである。
隣の部屋から相棒のMさんのいびきが聞こえていた。ぐっすりと寝込んで羨ましいほどのいびき声で、俺もあと一眠りしたい気持ちになったが、時計を見るともう5時近い。「エイッ」と床を抜けて起き上がった。
今日も3ヶ所調査。いずれも登山道脇の急峻な場所で、崖の崩落が激しくて現地未到達の場所も1ヶ所あった。
夕方、久しぶりに小雨降る。
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