1月11日から20日までの10日間、千葉県での森林調査のアルバイトに出かけて一昨日の夕方自宅に戻った。さすが疲れが溜まっていたせいか、昨晩は爆睡して正午近くになってようやく床から起き上がった。
日本列島は寒波が押し寄せ1月一杯は寒さが続くとの天気予報だったが、黒潮洗う房総半島のこと、いくらかは暖かいだろうと高を括って出かけたが、寒いの何のって九十九里の浜に雪まで降った日があって、岐阜県調査のあの猛暑の日々が何やら恋しくさえあった。
今回の調査地は佐倉市を皮切りに、房総半島を北から南に下りつつ佐倉市内、匝瑳市野栄、富津岬と泊り渡って合計20箇所ほどの森林を調査した。
従来の山岳地帯の奥山の調査と異なり、比較的都市部に近い里山風情の場所が多かったが、林業に見切りをつけたか担い手がいなくなったのか、やはり手付かずのまま放置された森も何箇所かあった。そんな森には竹が蔓延り藪化した無惨な姿になっていたが、里山のこんな森にこそ近くの都市住民がボランティアとして森の再生に汗を流して欲しいと願わずにはおられなかった。
以下は、期間中に綴った日記の一部の抜粋である。
1月14日(金)晴
佐倉旧城下町を早朝散歩。松山神社大杉を観る。のさか望洋荘泊
5時起床。佐倉滞在は今日が最後なので朝食前に市内の旧城下町を散歩することにした。しかし6時になっても外は真っ暗である。それでもホテルを出て旧屋敷の残る佐倉新町へと向かった。
夜明け前の町にはまだ街灯が灯ってその電柱に佐倉城主9家20大名の名前が書かれたのぼり旗が掲げられている。まだ薄暗い「おはやし館」の入口を覗き込んだら防犯用のスポットライトがいきなり点灯してビックリしてしまった。佐倉順天堂に因んだ「蘭学通り」という道もあってすっかり時間を費やし、ホテルには走って帰った。
今日の調査林は3箇所。最後の調査地の近くに松山神社があり、その境内に「八日市場市指定有形文化財大杉」があった。昨年の三重県調査で立ち寄った伊勢神宮の大杉に匹敵するまさに威風堂々とした巨木である。相棒のMさんに記念写真を撮ってもらった。
今日から3日間は太平洋を目の前にした「のさか望洋荘」という国民宿舎に泊る。いささか古いが落ち着いた和室の部屋でほっと安心する。
1月16日(日)晴
夢の創作力。九十九里浜雪景色
夢を見て明け方3時に目が覚めた。不思議な夢だった。
学校の国語の時間で先生に当てられて本を読まされたのである。変な話だけど、この国語の先生が、何と!同級生のKさんだった。(勝手に夢に出てきたりして、困るんだけど・・・)自分より先に当てられた生徒がスラスラ読んで、次が俺の番である。子どもの頃はひどく吃る癖があって本読みは今でも大の苦手である。
しかしこの本の中の文章は実に素晴らしく、「」付きの会話文も挿入されている。夢の中でどうしてこんな見事な創作ができたのか不思議でしかたがない。
ところが読んでいるうちに文字がゆらゆら踊り出して、案の定上手く読めない。立たされて読んでいるが、酔ったように足元もふらついて来た。焦れば焦るほどおかしくなって、ようやくK先生が怒ったように「もういい」と許されて椅子に座ったところで、目が覚めた。(ああ、よかった!)
「しかし、立派な文章だったなあ~」と目覚めてから感心したが、「それにしても夢に出てきたKさんは意地悪だったなあ」と苦笑いしてしまった。
5時起床。窓から暗い外を見ると、大海原の上に明けの明星が周りに小さな星たちを従えて一段と明るく瞬いていた。
持参した足田輝一著「雑木林の博物誌」を布団の中で外が明るくなるまで読む。
宿の食堂で朝飯を食っていたら雪が降ってきた。まさに九十九里浜雪景色である。(夜のニュースで全国的に今日は雪降りだったようだ。ますますおやじ小屋の積雪が心配である)
今日の調査地は山武杉の産地で、さすがしっかりした森である。そして昼飯は長嶋茂雄の出身地山武市成東町の駅前食堂で摂った。タヌキ蕎麦を頼んだが安くて(450円)いい味がでて、さらに食後にはサービスでコーヒーが出た。
そして今日は調査元から連絡がはいり、引き続き2月1日からの森林調査を依頼された。既に予定が入っていたが、せっかくの機会でありお引き受けすることにした。
1月17日(月)晴
朝日と夕陽の一日
5時に目覚めて床の中で読書。ようやく明るくなり始めて部屋のカーテンを開けると、水平線から素晴らしい朝日が昇る。思わず手を合わせてしまう。
<太平洋から昇る朝日>と
自転車で全国行脚中のMさんは、宮崎県を飛ばして(ここが実家なので)九州各県を回り鹿児島に着いたと先日メールが届いた。「いよいよ最後の宮崎入りですね」と返事を打つと「全国制覇を目指してこれから沖縄です」とのことである。今日あたり、沖縄に渡ったかな?
今日は2箇所調査。
そして今日から富津岬荘に宿替え。県立富津公園の展望台に登り、今度は素晴らしい夕陽を拝む。薄い紅色に染まる夕間暮れの冬の富士も良かった。
<伊豆半島に沈む夕陽>
1月19日(水)晴
泉靖一著「フィールド・ノート」。最後の晩餐
5時起床。夜が明けるまで泉靖一著「フィールド・ノート」ー文化人類学・思索の旅ーを読む。
『民族博物館は、世界のかく民族の伝統的な生活の実態を、物質文化を手がかりに、研究し、教育する制度である。(中略)日本文化を、その周辺との比較において、あるいは世界の文化のなかで位置づけることによって、新しく認識しないかぎり、このめまぐるしい近代文明の嵐のなかで、生活水準があがればあがるほど、日本の文化にたいする国民の意識は荒廃してゆくであろう。日本文化の正しい認識のために、私たちはどうしても、日本に民族学博物館をつくらねばならない・・・・・・とウィーンの芝生のうえで、いまさらながら考えざるをえなかったのである。』(著者が1964年に旅した時の記述である。それから13年後の1977年に大阪千里万博公園に「民博」国立民族学博物館が開館し、先日滞在した千葉県佐倉市に1983年「歴博」国立歴史民族博物館が開館した)
民俗学に対する認識を新たにし、これらの博物館をいつか訪ねてみたいと思った。
今日の調査地は大多喜の養老渓谷近辺だった。ようやく山岳地帯のFMらしい調査地だったが、傾斜50度という凄い痩せ尾根の森林だった。
夜7時過ぎにMさんからメールが届いて沖縄入りしたとあった。これで全国制覇が達成である。とにかくおめでとう!と返信する。
今夜は、宿の夕飯にアワビの踊り焼きが出た。1日目の料理にはガッカリしたが、2日目にはちょっと良くなり、今日3日目はアワビの踊り焼き、刺身、煮魚、アサリご飯と見違えるほどのグレードアップである。これでもし明日も連泊したらタイのお頭付でも出るのでは?と相棒のMさんと笑い合った。
お互いに「お疲れさま!お世話になりました~」と乾杯して、ゆっくり酒を呑む。
明日の木更津の調査地を最後に、今回の仕事は終わりである。
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