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「おやじ山の秋2010」を「10月2日」よりアップしました

2010年10月1日(金)曇り
おやじ山に行きます
 今日長岡きのこ同好会のSさんに電話を入れて、「明日の朝発って、長岡の山に行きます」と連絡すると、「2日前に女房とお宅の山に入らせてもらったらキンロク(ニンギョウタケの方言)が出ていて一株だけ頂戴しました。昨年より1週間以上遅れたけどこれからがきのこの旬ですてえ」と電話口で声を弾ませている。Sさんによるとおやじ山のキンロクは数株顔を出していて、そろそろ私が来そうな予感がするものだから残しておいたのだと、全く涙が出そうなことを言う。Sさんとはいつもこういう人なのである。

 昼過ぎ、カミさんと藤沢まで買物に出て山でお世話になっている方々へのちょっとした手土産なども買った。そして買物から帰って、早速荷造りしていた山暮らしの所帯道具一式を車に積み込んだ。いつもの通り車内から後方が見えない程のぎゅうぎゅう詰で、長い道中慎重に運転しないといけない。

 昨日はエリック・ホッファーの「波止場日記」を読了。続いてヘンリー・D・ソローの「森の生活」を再び読み出した。「波止場日記」はホッファーの思想がアフォリズムの形で表現された書物で、最後の方になってようやく読み慣れて内容が理解できてきた。長年の深酒が祟って脳がかなり破壊されている証拠である。
 エリック・ホッファーで難渋したお蔭で、ソローの「森の生活」はスムースに読めている。おやじ山でもこんな調子で脳が回転してくれることを祈る。
  
 おやじ山の秋 2010
2010年10月2日(土)晴
おやじ山の秋2010(旅立ち)

 いよいよおやじ山に出発する日である。

 朝5時過ぎに飛び起き、いつもの寝起きに飲むコーヒーも省略して、6時前には所帯道具一式+カミさんを車に積んで快調に長岡に向けて出発した。これからおやじ山で過ごせると思うと、もうルンルン気分である。

 ところが3,40分も走ったところで、助手席でウトウト舟を漕いでいたカミさんが突然目を覚まして「あ!忘れた」と叫んだ。肝心の飯炊き用の厚鍋を車に積み忘れたという。炊事道具はカミさんの担当である。
「もう、スタートからこれだからなあ〜。他にも忘れたのあるんじゃないの?」と途端に互いに機嫌も悪くなって家に引き返した。
 家に着いても何となくファイトが失せて「やっぱりコーヒーでも飲んで、それから出掛けることにするかあ〜」とドンと尻を落ち着けてしまった。
結局、再度出発したのは道路が一番混むような朝の時間帯である。

 長岡の実家とHさん宅に寄って挨拶し、それから今日がおまつりだと聞いて醸造の町摂田屋をぶらついたりした。それで東山キャンプ場でのテント設営が随分遅くなって日が暮れてしまった。
 仕方なく夕食は町に降りて摂ったが、キャンプ場に帰ると綺麗な星空だった。

2010年10月3日(日)晴
おやじ山の秋2010(秋の山開け、キンロクの出迎え)

 朝食も何やらそそくさと摂って、急くようにしておやじ小屋に向かう。

 先日Sさんからの電話で「いつもの場所にキンロクがたくさん出ましたよ」と教えていただいた山道途中の松林に入ると、なる程、見事な株があちこちに顔を出している。「キンロク」は昔おやじがこう呼んでいたニンギョウタケの地方名で、きれいな松林に生える一級の食菌である。大きな株を10株ほど採って、残りの株は9日に遠くから来る客人のために残して置くことにした。こんな立派なキノコを目にしたら客人たちもさぞビックリすることだろう。


 おやじ小屋を開けていつものように早速囲炉裏に火を焚く。煙に目を細めながらパチパチと燃える赤い炎を見ていると「ああ、おやじ山に戻って来たなあ〜」と喜びと安堵の気持ちがふつふつと込み上げて来る。
 「あれ、カミさんは?」と外に出て見ると、こちらは喜びや安堵などはそっちのけでミョウガ畑に這いつくばって血相変えてのミョウガ採りである。

 しばらく放置していた清水を溜める酒樽を洗っているとSさん夫婦が小屋に訪ねて来た。嬉しかったなあ〜 いつものように手作り料理と缶ビールを持ってきて下さって小屋前のデッキで楽しいひと時を過ごした。

 ご夫婦を見晴らし広場までお送りしたが、ここで山菜名人の
Aさんに会った。
「あれ〜Aさんきのこ採りもやるの?」と言うと、ニヤニヤしながら「家に居ても暇らし、誰かがアマンダレが出たと言うがで来てみたこてえ」と答えて、それから30分ほども立ち話を止めなくてさっぱり山に入る気配が無かった。

 午後は山登りの男性が小屋を訪ねて来た。初めての人である。ここに小屋があると誰かから聞いて探しに来たという。

 午後3時に下山。Oさんが信州からやって来てテントを張っていた。例によってホワイトガソリン、炭、電池などキャンプの消耗品の嬉しい差し入れを置いて、今夜は長岡にいる初孫に会うと言って山を下りて行った。。

 夕食は今日採ったキンロクをワサビ醤油で食べた。これはもう、絶品である。

2010年10月4日(月)曇り〜雨
おやじ山の秋2010(アミタケ出る)

 午前3時、パラパラとテントを打つ雨音で目を覚ます。そのままウトウトとして5時半に起きてテントを出る。雨は上がってひんやりとした朝である。

 アミタケが出始めた。朝Oさんがキャンプ場の坂道でアミタケの幼菌を見つけて人に採られないように枯葉を被せていた。キノコといえどもちょうど食べ頃の時期までキープしておくのは大変な苦労である。
 アミタケはシーズン最初に発生するキノコで、例年なら9月の半ば頃には出るきのこである。今年の夏の猛暑が何か影響しているのかも知れない。

 日中はシトシトと雨が降って長岡のホームセンターに出掛けて清水を溜める酒樽に敷く浄水用綿、囲炉裏に積む耐火レンガ、セメントなどを購入。

 夕方、仕事を終えた管理人さんからアミタケを頂戴し、夕食はキノコ汁とOさん持参のマツタケを使っての炊込みご飯と豪華メニューである。

2010年10月5日(火)晴〜曇り
おやじ山の秋2010(キノコシーズン到来)

 キャンプ場の周りにアミタケが一斉に出た。もの凄い数である。Oさんとカミさんは朝飯そっちのけでキノコ採りと枯葉作戦。(枯葉作戦:昔のベトナム戦争の作戦ではなく、まだ幼いキノコを人に採られないように枯葉で隠す。しかる後、美味しそうに育った頃「やれやれ」と採取する。全く山暮らしも世知辛くなったものである)

 カミさんの採ったキノコを塩漬けしておやじ小屋に出勤する。(ウチではカミさんが嬉々として採ったキノコを俺が「やれやれ・・・」と処理する。いつからこうなってしまったのだろう?)
出勤途中の山道で「さて、例のキンロクはいくらか大きく育ったかな?」と手もみするような気持ちで松林に入った。
「無い!!エ〜ッ!」何と遙々神奈川から来る客人に喜んで採ってもらおうと残しておいたキンロクの株がすっかり誰かに採られて、ガックリうな垂れてしまった。1本1本に指に唾つけてしっかり触っておけば良かったかなあ〜

 キノコが大いに出始めて今日一日はきのこ採りがいっぱい山に入って来た。こうなると気が休まらないが、さすが長岡の人たちで、キノコがいつ出るかを皆良く知っている。大したものである。

 午前は耐火レンガとセメントをネコで小屋に運び、それからブナ平の分れ道から小屋までの山道を草刈りした。腕がすっかり痛くなったが、キノコシーズン到来で地元の人たちに気持ちよくおやじ山に入ってもらおうと思っている。
小屋の周りにもアマンダレが随分出ている。珍しいことである。

 赤道の尾根を下ってキャンプ場に帰った。今年はダメだと思っていたガマズミの実が少し木に付いていて、明日は「いこいの森」まで行って様子を見てこようと思う。

 麻生の湯に行き実にさっぱりする。夕飯は今晩もきのこ汁で酒は少し控え目にした。

2010年10月6日(水)雨
おやじ山の秋2010(丸太ベンチにもアマンダレ)

 午前中、東山八方台の「いこいの森」に行ってみた。ガマズミ(正式にはミヤマガマズミ)の実生り具合の偵察である。
今年は全くダメだと思っていた赤い実がいくらかは付いていて、これなら数日後に神奈川から来てくれるTさんたちをご案内できると安心する。Tさん達はきのこ狩りもそうだが、果実酒にするガマズミ採取もとても楽しみにしているからである。
 広い園内をぐるっと一回りしてから東屋の休憩所でおにぎり弁当の昼食を摂った。それから八方台を下り蓬平温泉和泉屋の風呂に浸かってからキャンプ場に戻った。

 午後2時過ぎ、おやじ小屋へ。囲炉裏の縁を一段高くするレンガ積み作業をする。水を吸わせてあった耐火レンガを小屋に運びモルタルを練って慎重に作業をする。午後4時終了。

 外の焚き火場のコナラの丸太で作ったベンチにも立派なアマンダレがたくさん生えていた。こんな光景は今年初めてである。
アマンダレは正式名ナラタケの方言で、長岡の「五十の市」では店先に必ず並ぶ地元の人気食材である。しかし「市」で売られてもスーパーなどの一般店舗で売られていないのは「ナラタケ菌」が生木などに取り付く殺生菌(さっせいきん)で、ホダ木で栽培が禁じられているのも生木や他の食菌を攻撃するという理由からである。

 小屋からの帰りの山道で投げ捨ててあった空のペットボトル拾う。以前はおやじ山にはゴミ一つ落ちてはいなかったが、と気が滅入ってしまう。途中カワリハツを5,6本採ってテントに持ち帰る。
 西の空が赤く染まって明日は晴天の兆しである。

2010年10月7日(木)晴
おやじ山の秋2010(無い無いは有る)

 午前4時半起床。5時過ぎ、外が白々と明けかかった頃、キャンプ場下の駐車場にバタンと車が停って2人連れのきのこ採りが山に入って行った。「おはようございます!」と上から声を掛けたが、耳にも入らない程の気合の入れようである。こんな朝早くからの突進を目にすると全くタジタジとなってしまう。

 今日は7時半から山に入り丸1日山仕事。大いに草臥れる。

 おやじ小屋に出勤して早速熊手とフォークを使って先日刈った山道の刈草集め。
 例のキンロク山の前の山道を熊手で掻いていると、二人の中年女性がやって来て、何と松林の中に入ってガサゴソやっている。ビックリして(それでも何とか気を落ち着けながら)「もうそこはキノコありませんよ」と最初は優しく声を掛けた。「え?でもこの白いキノコ、食べられるよねえ〜」と採り残してあったキンロクを見つけて呟いている。「もう、人に採られてありません」第2声を発したが、二人はまだゴソゴソやっている。「Tさんたちの分がすっかり無くなってしまう・・・」ともう気が気でなくて「もう、ありませんてばッ!!」と思わず3度目は大声が出てしまった。言い終わって俺自身も可笑しかったけど、二人はさぞビックリしたことだろう。ここまで「無い無い」としつこく言われたら、つまり「有るよ。でも採らないでね」という意味だとようやく理解してくれたようで、逃げるように帰ってしまった。

 山道の片付けが終わって、下の池道、杉林の周り、小屋から谷川まで下る階段道を刈払い機を使って草刈。今まで知らなかったが、杉林の上の萱場などにもアマンダレが大発生していた。おやじ山でこんなにアマンダレが生えたのは初めてである。まさに今年はキノコの異常発生年である。

 新潟の次兄と職場が一緒だったというYさんが小屋に訪ねて来てくれた。品のいい実に温厚な老人である。

 5時テントに戻ると、お昼に再びSさんが訪ねて来て「もやしもん」3巻(キノコの漫画本、しかし内容は菌類の専門書である)、栖吉の名水、お酒、その他、といっぱい置いて行ったという。Sさんはいつもこうである。長岡人特有の底なしの親切で、本当に有難い。

2010年10月8日(金)晴
おやじ山の秋2010(Oさん苦闘)

 5時起床。外はまだ暗いが今日も晴れて温かい朝である。

 朝食を摂ってすぐにOさんと一緒におやじ小屋に「出勤」する。何しろOさんにアマンダレ大発生の情報を伝えた途端Oさんの鼻息が荒くなって、歯磨きも終わっていないうちから「いつ山に入ります?いつ?いつ?」とせっつくのである。

 今日も山道の草刈り後の整理。Oさんは向かいの山菜山にアマンダレを採りに行って、「いや〜葛が蔓延っていて危うく遭難しそうでした」と、どろどろの姿で帰ってきた。
しばらくしてカミさんが、今朝Sさんが届けに来たという昼飯用の新米おにぎりを持って登って来た。明日は遙々神奈川からTさん一行がおやじ山に来ると聞いて、Sさん夫婦は自分たちが採り溜めていたキノコやギンナンや枝豆なども持参したのだという。全くSさんには頭が下がってしまう。

 今日は早めに下山。Tさんのテント場にターフ代りのブルーシートを張ってから麻生の湯に行った。何しろ囲炉裏の煙で大分身体が燻されているので、客人たちに会った途端鼻をつままれると困るからである。

2010年10月9日(土)雨時々曇り
おやじ山の秋2010(神奈川からの客人)

 昨晩から何度か目を覚まして耳をそばだてていたが、明け方5時になって雨がテントを打ち始めた。
今日は全国森林インストラクター神奈川会のTさんたち一行がおやじ山を訪ねて来るのに、全く残念な空模様である。

 朝食を摂ってからおやじ小屋に行き、中を暖かくしておこうと囲炉裏に炭を熾してからデポしてあった大鍋とブルーシートを持ち帰る。雨になったのでテント場のテーブルの上に張るつもりである。
 そして10時過ぎに関越道のインターを降りて早速近くのスーパーで買物中の皆さんと落ち会った。「やあ、やあ、やあ」と声を交わして嬉しくて仕方がない。もう何度か来て下さったTさん、SAさん、SEさん、KOさん、そして今回初めてのOさんとKUさんの合計6名である。

 スーパーで仕入れた弁当を持って皆でキャンプ場から赤道を登っておやじ小屋へ向かった。カミさんはせっせと枯葉で隠していたアミタケやキンロクの場所を皆さんに教えて採らせている。そんなカミさんの隠し場所があちこちにあるらしく、時々「あれ〜?何処だったかしらねえ?」とウロウロする始末である。まるでリスのドングリ隠しと同じで笑ってしまった。

 のんびりきのこ狩りをしながらおやじ小屋に着いて、焚き火場の丸太ベンチに生えたアマンダレを見せると、案の定皆さん目を丸くしていた。このアマンダレ丸太を入れて先ずは記念撮影。そして小屋の中に入って楽しいミニ宴会が始まった。

 キャンプ場に戻ってから皆で夜の野外宴会の準備である。SAさんとSEさんは七輪に炭を熾して長岡名物「栃尾の油揚」とギンナンを焼き、Tさんたち女性陣は大鍋でキノコ汁を作り、酒は地酒の朝日山と吉野川、そしてOさんTさん提供のワインがあり、更に見事な包丁さばきで今日採ったキンロクをKUさんが刻むと、すかさずSAさんが七輪でフライパンを炙ってオリーブオイル炒めを作った。絶品である! 冷たい雨降るキャンプ場のブルーシートの下は、熱気溢れる愉快な大宴会となった。

 夜も更けて皆でキッチンテントの中に移動した。SEさんが歌詞の書いてあるプリントを皆に配ってハーモニカ伴奏による合唱が始まった。
先ず「山小舎の灯」2曲目が「ふじの山」、そして3曲目に「故郷(ふるさと)」を合唱した。

 ♪うさぎ追〜いし かの山〜

    小鮒つ〜りし かの川〜♪
    ・・・ ・・・ ・・・

果たしてこのみんなの歌声とハーモニカの音色はおやじ山まで届いているだろうか? 
そして山にいるおやじは、この俺達の歌声を聴いてくれているだろうか?

 ♪こころざ〜しを 果たして〜
   いつの日〜にか 帰らん〜
   山はあお〜き ふる〜ぅさ〜と〜
   水はき〜よき ふるさと〜♪

 何やら落涙しそうである。 更に夜は更け、歌声は続いた。

2010年10月10日(日)曇り〜雨
おやじ山の秋2010(いこいの森へ)

 ムカゴ飯とキノコ汁で朝食を摂ったあと、皆さんを高台に誘った。
この高台は自慢の場所で、眼下には稲刈りの終えた越後平野が広がり、その中に点在する村々とその向こうに蒼く弥彦山が望まれる。東山の裾野から広い田圃の中に靄が流れて刻々と風景が変わる。Oさんが素晴らしい風景だと褒めくれてとても嬉しかった。

 悠久山のコンビニで弁当を仕入れてみんなで八方台「いこいの森」へガマズミ採取に行った。以前にもTさんたちをここへ案内して、その年はどっさり果実を収穫して後日各々造った果実酒の品評会を開いたこともある。広大な「いこいの森」には今日は我々だけしか訪れていないようで、チェーンソーを使って仕事をしていた作業員から「せっかく静かなところでうるさくしてスミマセンねえ」と謝られてしまった。

 森を一回りしてそこそこガマズミを採取したところで、東屋に寄って休憩である。やはりTさんが何と言っても一番のガマズミハンターである。KOさんが「Tさんの後ついて行ったら収穫は望めないね」と苦笑いしていた。
いつの間に買い求めたのか4合瓶の地酒も出てきて、皆さん気持ちが良さそうである。

 八方台から下りてキャンプ場に戻ると、下のスキーロッジの中で「きのこ鑑定会」が開催されていた。皆さんを案内して中に入ると、テーブルの上に地元で採れたキノコがずらり並べられて長岡きのこ同好会のSさん夫婦やAさんなどが参加者にいろいろと説明していた。たまたまSEさんが,明日は神奈川県の「四季の森」でAさんのご友人で神奈川県在住の森林インストラクターWさんと「キノコの会」を共催するというので、Aさんとも親しくお話をした。

 越後川口の道の駅「あぐりの里」まで皆さんをお送りし、ここの駐車場でTさん一行と別れた。

 テントに戻って、寂しくて酒を飲む。朝皆さんを案内した高台に出てみると、物凄い夕方の空の雲である。遠く三条辺りの上に掛かっている雲からドシャ降りの雨が落ちているのがはっきりと見えた。

 そして夜は、キャンプ場も猛烈な雨になった。

2010年10月11日(月)雨時々曇り
おやじ山の秋2010(赤とんぼ激減)
 今日はおやじ小屋にSさん夫婦が来てくれた。奥様お手製のサマツ(モミタケ)の混ぜご飯おにぎりと差入れの缶ビールで賑やかな昼食を摂ってから、ミョウガ畑の下の斜面でアマンダレ(ナラタケ)を籠一杯採った。長岡きのこ同好会の中でもベテランのお二人も、これ程のアマンダレ収穫は初めてだと喜んでおられた。ご夫婦への良いお土産が出来て嬉しかった。

 それから小屋の中で雨の音を聞きながら楽しく談笑する。気のおけないご夫婦との実に良い時間を過ごすことができた。

 夕食はSさんから頂戴したサマツのオリーブオイル炒めと「いこいの森」の(KOさんが見つけたのを頂いてしまった)ハナビラニカワタケの酢醤油料理で酒を飲む。

 西の空が真っ赤に染まって見事な夕焼けになった。

 今日のラジオで名古屋で開催されているCOP10にちなんだ生物多様性についての放送があった。ゲストは俺も一応会員になっている(殆ど幽霊会員だけど)樹木・環境ネットワーク協会でグリーンセイバー検定委員長を務める東大名誉教授の岩槻邦夫氏である。
 その放送の中で、石川県では田圃に撒かれた新たな農薬のせいで赤とんぼの数が10年前の100分の
1に激減したとの報告があった。ここ長岡でも数年前から赤とんぼが極端に少なくなったという実感がある。一方、天敵の赤とんぼがいなくなってブト(ブヨ)が大量発生している。アウトドアー生活ではこのブトに悩まされ通しである。

2010年10月12日(火)曇り時々雨
おやじ山の秋2010
 今日はおやじ小屋に出勤したがほとんど何もせず、囲炉裏の前に座って、焚き火をしながらボ〜と過ごす。「無」である。「悟りの境地」と言うと聞こえはいいが、それより相当レベルが低くて、謂わば思考停止状態に近い。
 このまま囲炉裏の前に座って居ると煙に燻されてミイラになるか地蔵さんみたいに身体が固まってしまいそうで、昼間の一時、山桜の斜面を下りてシラユキナガハシスミレ(森林インストラクターのNさんに希少種だと教えられた)とサイハイランの生育場所の草を刈り、来年もまた蛍の群舞を期待して谷川沿いの草を少し刈った。谷川沿いは後日本格的に草刈りをすることにした。

 夕方カミさんと川口温泉に行く。露天風呂に浸かりながら赤い夕陽が眼下の信濃川と魚野川の流れをキラキラと金色に染めて沈んでいく景色を眺めていた。

2010年10月13日(水)曇り
おやじ山の秋2010(キノコの同定は難しい)
 朝食を摂っているいる最中に、突然昨年Sさんから教えられたカラマツ林のハナイグチの事を思い出して、朝食の後片付けもしないでカミさんと確認に行く。やっぱり先行者が既に採っていて、くずれ気味のハナイグチ2本のみの採取だった。
 しかし近くのコナラ林に入ると通称ムラサキシメジが一面に出ていて籠一杯採取した。このキノコをこんなにたくさん採ったのは初めてである。

 似たようなキノコも何種類か採ったので、偶然にもキャンプ場下で長岡きのこ同好会会長のH氏が写真撮影中で、本日採ったキノコの同定をお願いする。教えられた名前は以下の通りである。

モリノフジイロタケ(食:カワムラフウセンタケに似て石づきがソロバン型ではない)

イロガワリムラサキシメジモドキ(不食:全体に濃紫)

シラガツバフウセンタケ(不食:全体に乾いて茶色)

ウスキハツ(不食:白色で茎が太い)

イロガワリフウセンタケ(不食:茎を裂くと黄色〜赤に変色)

キアブラシメジモドキ(不食:舐めると酷く苦い)

 H氏に同定をお願いする前に苦労して山渓カラー名鑑「日本のきのこ」で調べたキノコ名と全部外れていた。キノコは、難しい。

 





2010年10月14日(木)曇り
おやじ山の秋2010(本命キノコの初物)

 朝、実家に寄って昨日採ったキノコを届ける。そして午後になってようやくおやじ小屋に出勤した。
 途中の山道でウラべニホテイシメジを見つけた。この秋初めての本命キノコで、例年よりはおおよそ2週間程遅れて顔を見せた。どっしりとした風格のあるキノコで、味は多少苦味のある通好みのキノコである。

 夏にまたホタルがたくさん飛び交いますようにと、午後いっぱい谷川沿いの草刈りをする。

 小屋を閉めての帰り道、コナラの雑木林の中まで入ってウラべニホテイシメジを採っていたらマムシがいて「ワ〜ッ!」と大声を上げて止めてしまった。マムシは他のヘビが出ないような寒い日も雨で地面が濡れていても出てくるヘビで、全く気が抜けない。今年は何匹か目にしたが、マムシの当たり年のようである。(困った・・・)

2010年10月15日(金)朝雨、後曇り〜晴
おやじ山の秋2010(萱峠への道)
 この秋山に来て、密かに思っていたことがある。それはまだおやじが生きていた頃(特養ホームに入院していたけど)兄弟家族で萱峠の山まで遊びに行って、そこで偶然大黒シメジ(ホンシメジの長岡方言)の大株を見つけてそれこそどっさり採ったことがあった。早速寝たきりのおやじに大黒シメジを見せに行ったが、「おお、おお、よお採った、よお採ったのお〜」と全く吾が事のように喜んでくれた。その大黒シメジの場所におよそ20年ぶりに行ってみようと思った。キノコが異常発生している今年なら、ひょっとして大黒シメジが採れるかもと・・・

 今日はその萱峠への決行の日である。
 5時頃雨がパラついて早朝の出発をとり止め、先ずは街に下りて「五十の市」で里芋、丸ナス、筋子などを買って帰る。キノコの収穫を見越して、先にキノコ汁の具の調達である。

 次第に晴れて来て勇躍カミさんと萱峠へ向けて出発した。蓬平温泉からの山道を車を駆って登って行ったが、次兄から聞いたルートも結局は分からず、残念、本命の場所には到達できなかった。
 しかし探しあぐねた末にアマンダレ(ナラタケ)や大量のアケビとサルナシを収穫し、珍しい野生のホップなども見つけて下山した。今年は実生り年にはならず、おやじ山でもサルナシの実は全く見られなかったが、ある所には有るものである。

 尾根沿いの山道から望んだ「竹之高地」の村落や刈り終えた稲を干す「はさ場」の風景も美しく郷愁を誘うものだった。

 帰りは蓬平温泉の「角八ラーメン」を食べて帰る。これもガキの頃に食った中華そばそのままの味で、懐かしかった。

2010年10月16日(土)雨〜曇り
おやじ山の秋2010(マツタケづくし)
 朝、「ドッドッドッドッドッ!」とBMWの大きなバイクに乗って神奈川からNさんがやって来た。Nさんは第11期の「あさひ日本酒塾」に入塾して、今日がその第一回目の講座である。雨が激しくなり会場の旧越路町にある朝日酒造まで車でお送りする。朝日酒造の玄関前にはニコニコと塾生を出迎えている社員のKさんなどがおられて、久々に話しを交わす。

 日中はカタクリの丘の草刈りをする。来春には、また見事なカタクリがこの丘一面をピンク色に染めることを期待しつつ・・・。そして将来は、おやじ山を長岡一のカタクリの花園にしたいと思っている。(一昨年おやじ山に迷い込んで来た山登りのおばさんグループが「あちこち見たけど、ここのカタクリが最高ですてえ」と誉めてくれて、俄然ファイトが沸いた)

 夕方下山したらキャンプ場にOさんが来ていて、地元信州で採ったマツタケとコウタケを山ほど頂戴する。信州でも今年はキノコの大当たり年で、何とマツタケを30本!も採ったという。
 早速七輪に炭を熾して焼き松茸とコウタケのおろし和え、さらに松茸をたっぷり入れたご飯を炊いて「日本酒塾」帰りのNさん交えて宴会になった。
(酔っ払って、この夏Oさんガイドで一緒に信州の山に登ったFさんに「今、マツタケづくしの宴会中です」とケイタイ掛けたけど、きっと悔しくて気分害したと思う・・・)

2010年10月17日(日)晴
おやじ山の秋2010(Mさんの植樹会)

 朝早くOさんがテントの外から挨拶して信州に帰って行った。

 そして今日10時からは地元の森林インストラクターMさん主催の植樹会があるので、先ずはNさんと一緒におやじ小屋に行き、今日一日小屋で過ごすというNさんにアマンダレの生えている場所などを教えて急いで山を下って植樹会の人たちと合流した。

 午前中で70本ほどの苗木を植え終わり、森の中に広げたブルーシートに座って用意されたキノコ汁で昼食を摂った。
 食事後のアトラクションは樹木医のS先生の講話とSさんが準備してくれた木工遊びだった。自然観察林内に落ちていた枯木を利用してのペン立やフォトフレームを作ったり、輪切りの木片にドングリやブナの実を貼り付けたクラフトを作って童心にかえって楽しく遊んだ。
 そしていつも感心していることだが、Mさんの準備の周到さと、この人の底抜けの親切さには只々頭が下がる思いである。Mさんのお蔭で、この自然観察林は後世にも誇れる素晴らしい森になると、俺は確信している。

 まだ一人残って後片付けをするというMさんと別れて小屋へ戻る途中、初老の男性が山を下りて来て採ったキノコを鑑定して欲しいと言う。「どれどれ?」とキノコの入った袋を覗くと立派なウラべニホテイシメジである。ついでに塩蔵の方法なども教えて山小屋に戻った。

 途中で時間を喰ってすっかり帰りが遅くなり、Nさんが幾らか心配そうな顔つきで小屋の前に出て俺の帰りを待っていた。見ると小屋前のデッキの上に整備を終えたチェーンソーが出ていて、Nさんはニコニコと「杉林の雪害木を6本伐倒しておきました」と言ったので「え〜っ!」と驚いてしまった。Nさんが入った杉林はまだ林齢が若いとはいえ立木の胸高直径は30cm近くあって、素人がたった一人で伐倒するなど危険極まりない施業である。幸い怪我も無くてホット胸を撫で下ろしたが、帰りの山道を二人で歩きながら山仕事についての注意もお話しした。

 今夜も存分に美味しいキノコ汁を堪能した。おやじ山の恵みに心から感謝である。

2010年10月18日(月)晴
おやじ山の秋2010(カタクリの丘)
 明け方、「ピーッ!ピーッ!ピーッ!ピーッ!」とテントの真上で笛の音が聞こえてビックリして目を覚ました。こんな早朝に誰かが木に登っていたずらしている筈もなく首を捻っていたが、後日Sさんから「それフクロウの子どもですてえ。家の近くの神社の樹にもフクロウが棲んでて、子どもが親フクロウを呼ぶ時に笛そっくりの鳴き声を出すがですてえ」と教えて下さった。

 午前中、今日神奈川に帰るというNさんとカタクリの丘の残りの草刈りや刈り草整理をする。Nさんは熊手とフォークでせっせと刈り草を片付けてくれて、お蔭様で見違えるように綺麗になった。来春のカタクリの花の時期が楽しみである。

 昼食は二人で囲炉裏の熾きで餅を焼いて食べながらゆっくりと摂り、それから小屋を閉めて下山した。Nさんはおやじ小屋を出てから再びくるりと小屋に向き直って「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げてくれた。嬉しかった。

 そして午後3時、愛用のBMWをブルブルと吹かしてキャンプ場の坂を下って行ったNさんを見送ってから、急いで高台に登って、遠く村のバス通りを走り去るバイクに向って大きく両手を振った。

 夕方高校時代の同級生T君から、11月3日にKさん達と一緒におやじ山に来ると連絡があった。T君の訪問は初めてで、大歓迎である。

2010年10月19日(火)晴
おやじ山の秋2010(コスモス満開)

 5時半起床。めっきり朝が冷えるようになってだんだん起き辛くなった。

 二人分の昼飯を持ってカミさんとおやじ小屋に出勤。キノコの発生も一段落して、山が急に静かになった。今日一日、山で誰とも会わなかった。

 午前中、カミさんは谷川に下りて塩漬け用のミズ採り、自分は小屋の中で、オリーブオイルを使ってしばらく手入れをしなかったダッチオーブンのシーズニングをやる。

 午後はカミさんと二人で裏山からブナ平まで攀じながらウラベニホテイシメジを探す。期待に反して4、5本しか採れなかった。

 それにしても可なり後ろからついて来るカミさんに、いちいち「このきのこ・・何?」「これ、食べられるキノコ?」と呼びつけられて、その度に藪の中でスイッチバックを繰り返すものだから全く草臥れてしまった。途中何度も「お前先に歩け。俺は後からついて行くから」と言ってカミさんを先行させても、毒キノコばかり見つけてぐずぐずと遅れてしまうので、又俺がスイッチバックを繰り返すことになる。

 キノコ採りから帰って時計をみると、予定していた草刈りの時間が無くなって午後4時に下山した。

 キャンプ場に戻る前にファミリーランドのコスモス広場を見に行く。ラジオでは、今年の夏の猛暑で開花が大分遅れてちょうど今が満開時だと報じていた。
 その通りで、広場では夕陽を受けた赤やピンクのコスモスの花が揺れ、夕空にウロコ雲が浮かんですっかり秋の風景である。

 夜は冷えて七輪の炭火に当たりながらの夕食だった。

2010年10月20日(水)薄曇り
おやじ山の秋2010(懐かしの萱峠)

 朝Sさん夫婦が、新米おにぎり、日本酒、自家製ドブロク(!)、沖縄の元気になる黒砂糖と例によってあれこれの差し入れを持ってテントを訪ねてくれた。
 キッチンテントの中でご夫婦とお茶を飲みながら楽しく談笑したが、6年前に起きた新潟県中越地震の経験談を興味深く聞いた。大変な惨事で笑ってはいけないが、話を聞きながら思わず「アハハ!」と声を出してしまった。

 地震直後にテーブルの下に身を隠してしっかりと対応したのは当時90才のSさんのお母様で、Sさんは何故か食事中の箸だけ手に持って外に飛び出したという。また身内の結婚式で長岡に向って車を走らせていた親戚の人の話しでは、地震の瞬間は車の4輪が同時にパンクしたと思ったという。そして町内のアパートでは、管理人の大家さんが何度かの大きな揺れが収まってからようやくガス漏れの点検を終えて、「ああ、やれやれ」と一服しようとタバコに火をつけた途端に「ボ〜ン!」と爆発が起きて、アパートが全焼してしまったのだという。

 Sさん夫婦を駐車場で見送り、下の広場が賑やかなので手をかざして見ると、ビニール袋を手に持った幼稚園児たちのどんぐり拾いの様である。果たして今年はどんぐりが見つかるかなあ〜?

 11時過ぎにおやじ小屋に出勤して、今日はキクザキイチゲの丘の草刈りをした。
 昼を過ぎた頃にひょっこり新潟の次兄がやって来て、これから萱峠の大黒シメジを採った場所に案内すると言う。

 今日は車ではなく、おやじ小屋から尾根を上って三ノ峠山に登り、山菜の宝庫「水穴」の道を経由して萱峠を目指した。
 昼を回っていて大急ぎの山行だったが、おやじ小屋から1時間ほどで懐かしの大黒シメジの場所に着いた。
 20年前に兄弟3人でキノコを両手に抱えては何往復もして車に運んだその場所を、次兄と二人で丹念に探したが、大黒シメジの姿は無かった。

 シメジはなかったが、帰りの山道でアマンダレの大株を見つけて大収穫だった。こんなにアマンダレを採ったのも初めてである。次兄は携帯電話が通じる「見晴らし広場」まで下りて来ると早速自宅に電話を入れて、「夕飯の味噌汁はアマンダレにするので作るのを待っているように」と家族に指示していたが、まあ、今日収穫のアマンダレはそれほど見事で美味そうな一級品だった。

2010年10月21日(木)雨
おやじ山の秋2010(反省だけなら猿でもできる)
 未明から雨。久しぶりにテントを打つ雨音を聞く。

 午前中、昨日収穫したアマンダレを実家に届け、ついでにホームセンターに行き、チェーンソーの修理を頼み、足場組番線を買って帰る。残ったキノコを大鍋で一煮立ちさせてから大量の塩でしっかりと漬け込む。お正月の雑煮餅の具にはナメコとこのアマンダレは必須アイテムである。

11時、キャンプ場からのんびり歩いておやじ小屋に行く。雨雲が被った暗い山中は全く人気なし。

 小屋に着いてから早速囲炉裏に火をくべて、パチパチ燃える炎を見ているうちに何となく躯がとろけてきて仕事をする気も無くなってしまった。
 不思議にこういう時の決断は素早くて、持参した缶ビールと小屋キープのウイスキーをいそいそと取り出して飲み始めた。(いつもこれだからなあ〜)4時までウトウトと小屋の中で過ごして下山した。明日からは気合いを入れて仕事しよう。

 

2010年10月22日(金)晴時々曇り
おやじ山の秋2010(名月や ああ名月や・・・)

実に爽やかな朝。今日は目一杯仕事ができそうである。

9時、山に入る。
 今日から第二薪小屋を作るため先ずはこの場所に並べてあるシイタケのホダ木10本程を湧き水場の脇に移動する。そして薪小屋の柱材を杉林からチェーンソーで伐り出し、梁は2.7メートルとしてこれも杉林に入ってチェーンソーで玉伐りした。杉の径が太くなっていて担いで運び出すのが重くて大変だった。

 おやじ池の脇に並べたナメコのホダ木に実に美味そうにナメコが育っている。この夏の猛暑続きでホダ木が乾いて全滅だと諦めていたが、15本中2本の発生である。収穫が楽しみである。

 午後4時下山。

 西の空は見事な夕焼けになり、暮れなずんでいく東山の上には真ん丸い大きなお月様が昇った。いいなあ〜このお月様と山の景色。そしてひっそりと山麓に佇む夕暮れ時の邑の灯りがちょっと涙ぐむ情景である。

 夕方、伊豆のKさんからの電話でカタヒラ(スギヒラタケ)を採って置いて欲しいと連絡が入った。数年前中毒死した事件があって以来カタヒラは今や毒キノコの分類で、このキノコをリクエストとは・・・。明日朝採って早速宅急便で送ってやることにした。

2010年10月23日(土)晴
おやじ山の秋2010(第二薪小屋完成 新潟県中越地震6周年)
5時起床。秋晴れの素晴らしい朝。西の空には大きな満月がまだ落ちずに浮かんでいた。

 朝早くテント場で花を摘んでる人がいた。葉が赤く色づいたナツハゼ、ミヤマガマズミの赤い実、黄色のアキノキリンソウなどを摘んでは水缶に入れて採っている。聞くと今日開かれる茶会の茶花にするのだと言う。次兄と萱峠に行った時に摘んで瓶に飾っていたリンドウの花を「これ、どうぞ」と差し出したら、「う〜ん、ちょっと花が賑やか過ぎて使えないなあ〜」と言われてしまった。な〜るほど、そういう見方もあるのか・・・勉強した。

 朝食前にKさんに送るカタヒラを採りに行く。随分たくさん採れて早速宅急便で送った。

 今日もテント場からぶらぶらと山道を歩いておやじ小屋に出勤しチェーンソーを使って薪小屋造りを開始した。
午後3時、第二薪小屋が完成した。まあまあの出来具合である。

 仕事をしている最中に、クマ除けの為か随分高くラジオを鳴らしたキノコ採りが入って来た。チェーンソーを吹かして梁のホゾ切を始めると、びっくりしたようにラジオを切って山を出て行った。こんな場所に人が居るとは思ってもいなかった様子だった。

 朝、池の水を掛けてやったホダ木のナメコが急に大きくなった。こうして日々の成長を見ているのは実に楽しいものである。

夕日に染まった山肌が一段と秋らしくなって、そんな風景を楽しみながら山を下った。

 実家のボンちゃんから、「来週日曜にお友達と一緒におやじ小屋に行きたいが、いいですか?」というメールが入った。勿論大歓迎である。その時までおやじ山のナメコが崩れないで生えているといいのだが・・・

2010年10月24日(日)曇り
おやじ山の秋2010(ナメコドロボー)

ナメコドロボーに告ぐ

あなたは俺が育てて来たおやじ山のナメコのホダ木から、ナメコを全部盗っていってしまった。この夏の猛暑で15本のホダ木の内たった2本が生き抜いたが、その2本に見事に生えた立派なナメコを、あなたは今日の朝採って行ってしまった。

この2本のナメコの成長が俺はどんなに嬉しかったことだろう。昨日の朝もこのホダ木に池の水をかけて、今週末におやじ山に来てくれる友人達や実家のボンちゃんやその友達にこのナメコを採らせて皆んなできのこ汁をして喜んでもらおうと思っていた。ニコニコ笑顔で頂くナメコはどんなにか美味しいだろう。それに反し人目を盗んであなたが採っていったナメコはどんなにか苦い味がすることだろう。

あなたにはっきり言おう。このナメコを盗られてなんぼの損失かと聞かれたら、俺は即座に0円と答える。俺の悔しさはそういうことではない。俺の喜びを奪っただけではなく、おやじ山に訪ねて来てくれる友人達やボンちゃん達の喜びも奪ったのだ。さらに今日一日の労働意欲を俺から奪い、何やら希望も夢も喪失させてしまった。

あなたには断固おやじ山への入山を拒否する。おやじ山の生きとし生けるもの全てがあなたに敵意を抱いていると知ってもらいたい。

以上


 そんな訳で見事に育ったナメコの大半が誰かに盗られてしまった。悔しくて写真のような看板をホダ木の前に建てたが、名乗り出るとはゆめゆめ思ってはいない。俺自身への気休めである。

 仕事をする気もすっかり失せて、庭で焚き火をした。ついでに先日ドラム缶風呂の焚口に逃げ込んだ蛇のことを思い出して、ここにも火をつけて腹いせに「焼き蛇」にしてやった。(果たして本当に中で蒸し焼きになったか「アチチ!」と逃げたかは見るのが怖くて確認してない)

 夜雨になった。何やら涙雨である。

2010年10月25日(月)雨
おやじ山の秋2010(おやじ小屋の読書)

 しとしとと冷たい雨である。傘を差してキャンプ場から歩いておやじ小屋に向う。途中のキンロクの松林で大きな株を2株採った。このキノコがまだ生えていたとは、昨日のナメコの仇をいくらかとった気がした。さらに道脇のコナラの立枯木でハナビラニカワタケも2株採った。

 小屋に着いて囲炉裏に火を焚き、ビールとウイスキーを飲みながら自宅から持って来たソローの「森の生活」を読み始めた。数ページで酔いが回ってウトウト、さらに目を覚まして数ページを読む。実にいい事が書いてあって改めて素晴らしい本だと感嘆してしまう。

 雨が小降りになって小屋を出て杉林をゆっくり見回る。そしてここをこうして、あそこをこうして、と将来の山づくりを構想する。果たして自分の体が動く間に構想が完成出来るだろうか?とも思う。歩いては立ち止まり、そして森を見回して山づくりをあれこれ思い描くのは実に楽しいことである。

 午後4時前に下山。雨模様の空は既に薄暗く夜の様相である。下山途中、こんな遅い時間なのに雨カッパを着た一人のキノコ採りに会った。俺が手にしたキンロクを見て実に羨ましそうにいろいろ料理方法を講釈してくれた。

 夜は雨足が強くなって更に冷え、テントの中でランタンを灯して暖を取りながらの夕食だった。

2010年10月26日(火)雨
おやじ山の秋2010(氷雨の露天風呂)

 夜中に激しい風雨がテントを揺らしながら叩いて、雨合羽を着て張り綱を点検しペグを打ち直したりする。そして今朝もテントの中でガソリンランタンを灯して暖を取りながら朝食。

 街に下りてちょっとした買物をしてから川口温泉に温まりに行く。一度入って休憩室で本を読んでいたら、また身体が冷えて2度も入浴した。雨の飛沫がポチャポチャ上がる露天風呂に口元までどっぷりと沈んでいたが、露天風呂を照らすオレンジ色の電気がボ〜と雨の中で丸い光彩を放って実に寂しい感じだった。

 川口温泉の食堂で夕食。奮発して晩酌セット2000円を頼む。俺とカミさんの他に誰も客無し。

2010年10月27日(水)雨
おやじ山の秋2010(アマンダレ大収穫)

 朝の気温6度と今日も冬日である。そして日中の気温も同じ6度と上がらず、一日中冷たいシトシト雨が降り続いた。関越道の国境付近には雪が降ったようで、今年の冬は例年以上の積雪になりそうである。

 小屋に出勤してから今年の春掘った下の池に行き、周囲の環境を生かした将来構想を練る。これも実に楽しい時間で何時までも池の畔に佇んで空想を巡らせていた。

 そして谷川へ下る階段のすぐ脇で4年前に倒したミズキの根元にびっしりとアマンダレが生えていた。幾分傘が開き過ぎてはいたが立派な成菌である。小屋から大鍋を抱えて来てどんどん採ったが、この鍋にたっぷりの大収穫である。

 それから、先日盗られたナメコのホダ木とは別のホダ木1本にナメコの赤ちゃん菌が着いた。嬉しい。伊豆のKさん達が来る頃にはそこそこ成長しそうである。

 夕方4時前には大鍋を抱えて山を下り、テントでアマンダレの塩漬け処理をする。アマンダレは別名「クズレ」(崩れ)「ポリポリ」(ポロポロが訛った?)とも呼ばれて崩れ易いキノコで、熱い風呂の温度で洗うと崩れないとSさんから聞いたのでその通りにやってみたら、なるほど上手くいった。いろいろな知恵があるものである。

 夕食に村上産の鮭を七輪で焼いて食った。実に美味かった。

2010年10月28日(木)冷たい雨、日中の気温8度
おやじ山の秋2010(焼酎=小宇宙)

 6時過ぎにテントを出て、朝の味噌汁用のキノコ探しに行った。カラマツ林に入ってハナイグチを探したが無くて、ジカボウ(ヌメリイグチの方言)を少し採ってテントに戻った。まあ、究極の自給自足というか採取生活で、おやじ山の恵みに感謝々々である。
 山で雨合羽を着た夫婦のきのこ採りに会ったが、こんな冷たい雨の日の早朝に山に来るとは、やっぱり俺達と同じ究極の・・・まさか?

 雨合羽を着て小屋に出勤、杉林4段目の伐倒木の片付けで先ずは丸太杭でウマ作りをする。4段目の林床でフユノハナワラビが何株か見つかって、保護のために作業を中止した。
 雨も強く降り始めたので小屋に入り、水のペットボトルに入れて持って来た焼酎を飲み始めた。そのうち実にいい気分になって、ウトウト眠って体が横にガクンと傾いて目が覚めた。午後4時でもう薄暗くなり始めている。
 残った焼酎のペットボトルに水と間違わないようにマジックインキで「小宇宙」(しょうちゅう)と書いて小屋にキープし、急いで小屋を閉めて薄暗い山道を大声で歌を唄いながら下山した。

2010年10月29日(金)晴
おやじ山の秋2010(自転車で日本一周!Mさん現る)

 霧の朝。ようやく秋らしく晴れた。
 明日から神奈川のNさん達が来るので(と思っていたら、残念、<関東地方に台風接近で中止>とのメールが入った)ホームセンターに修理を頼んでいたチェーンソーを受取りに行き、山仕事用の杭と熊手を買って帰った。

 そして今日は、実に不思議な人物がキャンプ場に泊った。

 山仕事を終えてキャンプ場に戻ると、宮崎のMさんと言う人
が下の炊事場の傍でテントを張っていた。既にカミさんとは随分親しくなっているようで、「あの男、何者かいな?」とカミさんに尋ねると、7月に出身地の宮崎から飛行機で北海道に渡り、それからずっと折畳み自転車をこぎながら北から1県1県下って宮崎に帰るという。なるほど炊事場の柱にその自転車が立て掛けられていて、「へ〜、これで宮崎まで帰れるのかなあ?」と危ぶまれる程の小さな自転車である。

「酒飲める?」と声を掛けると、「はい、人並みには・・・」と答える。「ンなら、俺のテントで一緒に飲もうか」と誘うと、「はい、いただきます」と実に素直である。
 人並みの筈が、Mさんの飲みっぷりは人並みを遥かに上回って俺の方が先に沈没したが、今まで橋の下に野宿しながら走り続けて来た旅行談は誠に面白かった。
(Mさんはこの日から一週間、まあ、居候のような感じで俺達と一緒にこのキャンプ場で過ごした)


2010年10月30日(土)雨
おやじ山の秋2010(酒盛り、果てしなく)

 台風の影響か、今日は一転雨となってMさんは出発を見合わせた。それでMさんをおやじ小屋に誘うことにした。

 おやじ小屋に着いて囲炉裏に火をくべると、Mさんはすかさず外に出て蒔割りを始めたり、今度は俺がキクザキイチゲの丘の草刈りを始めると物置から熊手とブルーシートを取り出して刈り草集めをしたりと、全く堂に入った手際の良さである。「Mさん、山仕事やったことあるの?」と訊くと、「ないです。でもワタシ、一応のことはやれるんです」とさすがサバイバル人間である。

 昼前に雨が本降りとなり、仕事を止めて小屋に入って持参したウイスキーを二人で飲み始めた。Mさんは「昨晩は大分飲んじゃって、反省ですね」と言いながらウイスキーをどんどん飲んで半分位になってしまった。雨は一時止んだがもう仕事ができる筈もなくそのまま小屋で飲み続けたが、何やらMさんとここに居ると際限がなさそうなので、一度山を下って麻生の湯に浸かりアルコールを抜くことにした。

 麻生の湯からテントに戻って、何やら調子が出てきてまたMさんと飲み出した。
 そして今夜は、先日Sさんに頂戴した
1017日仕込みの自家製ドブロクを初飲みした。このドブロクがすっかり利いて、さすがのMさんも酔っ払って椅子から転げ落ちてしまった。

2010年10月31日(日)曇り
おやじ山の秋2010(ボンちゃん達の訪問)

 今日は実家の姪のボンちゃんが、長岡市内で一緒にサークル活動をしている友達を誘っておやじ小屋に遊びに来てくれた。この春にもおやじ山の自然観察会に参加してくれたボンちゃんの山好き仲間である。

 ボンちゃん達は昼前には麓から山道を登っておやじ小屋に来るというので、おやじ山名物のキノコ汁を振舞うことにした。事前にキャンプ場でキノコ汁の具を準備して、カミさんと、それにMさんにも手伝って貰って小屋に運んだ。

 11時過ぎ、ニコニコとみんながやって来た。Wさん、Sさん、Iさんと姪のボンちゃんの4人である。ちょうど今頃はキノコの発生が一段落して見つけるのが難しい時期なのに、きのこ好きのSさんが途中の山道で見つけたいろいろなキノコを手に提げて来たのには感心してしまった。

 先ずは皆さんをおやじ山に案内してから早速小屋の中でキノコ汁パーティである。カミさんとMさんも含めて総勢7人が狭い小屋の中に入って、ボンちゃんが実家で作って持って来てくれた長岡名物「醤油の五目おこわ飯」を頬張りながら賑やかに過ごした。

 見晴らし広場でボンちゃん達と別れて、待望の蒔ストーブを買いに行った。何しろストーブの重量が55Kgもあり、Mさんが滞在している間に手伝って運んで貰おうと急遽決断したのである。

 一輪車でMさん、カミさんの3人がかりで蒔ストーブを小屋に運び、ランタンを灯しながらの作業で囲炉裏にストーブを設置した。囲炉裏にピッタリとストーブが納まって思わず万歳をしてしまった。素晴らしい!

 雨が降り始め、暗くなった山道をランタンを灯しながら3人で駆けるようにして下った。