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最後のページは<11月12日>です。おやじ山の秋 2010(「10月日記」から続く)は3番下の日記からです。

2010年11月15日(月)曇り
「無言館」再び
 一昨日(11月13日土曜)、約1ヶ月半過ごしたおやじ山でのテントを畳んで帰途についた。

 しかしこのまま一気に藤沢の自宅に帰るのが惜しくて、千曲川沿いの国道を信州に向けて車を走らせ、昨14日(日曜)の午後、4年前(平成18年)の春に訪れた上田盆地を望む「無言館」の丘に来た。以前と同様、打ちっ放しのコンクリート造りの小さな美術館は、それ自体が戦没画学生を祀る墓標でもあるかのように晩秋の薄日を受けてひっそりと雑木林の中に佇んでいた。

 「無言館」は平成9年5月に開館した太平洋戦争で戦死した若い画学生たちの絵を集めた戦没画学生慰霊美術館である。館長は窪島誠一郎氏、今は亡き作家水上勉の実子である。
 4年前には、この前年にNHKのテレビ番組「新日曜美術館」で窪島氏が紹介した中村萬平の「霜子」、井沢洋の「道」(館内表示は「風景」)、太田章の「妹」(館内表示は「和子の像」)に強く惹かれて、この3点の絵だけは実物をしっかり観ておきたいと思って来たが、今回もやはりこの思いは変らなかった。

 小さな木製のドアを開けて薄暗い館内に入ると、左側のコンクリート壁の一番手前に「霜子」の絵がある。裸婦が椅子に腰掛けて右足をクロスに乗せて膝を立て、やや俯き加減で幾分傾げた顔が真っ直ぐ正面を見つめている。これから戦地に赴く描き手の夫の顔を、まるで自身の目の中に焼き付けるかのように直視して離さないその顔と目に湛えられた何と言う光の強さだろう!息を詰める様にキャンバスの前に立ってじっと見入ると、窪島氏が評した「画家とモデルとの間の濃密な関係」が手に取るように分かるのである。
 霜子は作者中村萬平の東京美術学校時代のモデルだった女性で、中村の妻となった。夫が出征してまもなく萬平の一粒種を生んで病死したが、祖国からの手紙で訃報を知った萬平は戦地にのぼる満月をあおいで慟哭したと書かれている。その萬平も出征先の野戦病院で26歳で若き命を終えた。

 中村萬平の「自画像」の隣に井沢洋の「家族」と「道」(館内の表示は「風景」)の絵が掛けられている。貧乏な家で育った井沢は人一倍家族への思いが深く、家族全員揃った肖像画のような絵を描いたが、召集令状を受取り出征直前に実家に帰って描いた絵は、懐かしい故郷の一本の「道」の絵である。栃木の生家の庭には、洋を美術学校に入れるために売った欅の木の切株が今も残っているというが、26歳の若き画家をニューギニアの戦地で喪った井沢家族の悲しみと恨みとが今だ消えずに残っているのかも知れない。
 「家族の絵を描いていた一人の画学生が、出征を前にして最後に向き合ったのは、自分自身だった」と窪島氏はこの絵について語っていた。

 太田章の「妹」(館内の表示は「和子の像」)は奥左手の壁の中程に掲げられてある。白地に藍色の花菖蒲のデザインを染め抜いた浴衣にピンク色の帯を締めて佇む妹「和子」を描いた絵である。
 窪島氏は「出征を前にした画学生たちの絵は、自分にとって一番大切なものを描いているのです」と言ったが、太田にとって4つ違いの18歳の妹こそが、死を覚悟して戦争に行く自分にとって「一番大切なもの」だったのだろう。

 今回新たに気付いたことがある。若き画学生たちが遺した「自画像」の絵である。「無言館」に5点、そして新たにできた別館「傷ついた画布のドーム」に12点もの自画像が掛けられてあった。その1点、1点の画学生たちの顔の何と言うナイーブさだろう! そしてその清々とした眼の奥に宿る何と言う幼い不安や脅えの翳だろう! 果たして戦争という歴史が人の顔をも造り変えてしまうものなのだろうか?
 「傷ついた画布のドーム」に33歳でフィリピン・ルソン島で戦死した五十嵐弘の「自画像」が掛けられてある。そしてその下のプレートには次のように書かれてあった。
 
 弘がルソン島で戦死したという報がとどかぬうちに
 帰りを待ちわびていた妻栄子も病死した。
 臨終の床で「弘さんは死んだようだ」とつぶやいた
 という。栄子が戦地に毎日のように送った葉書を、
 弘は何冊ものノートに貼って保存し、そこに返事
 の言葉を書きつけていた。
 栄子は妹の手でとどけられたそのノートを
 抱きしめて死んだ。

 「無言館」一番奥のコンクリート壁に、1997年5月2日の無言館開館の日に表した窪島誠一郎館主の「あなたを知らない」と題したメーセージ文が掲げられてある。

    あなたを知らない

 遠い見知らぬ異国(くに)で死んだ 画学生よ
 私はあなたを知らない
 知っているのは あなたが遺(のこ)したたった一枚の絵だ

 あなたの絵は 朱い血の色にそまっているが
 それは人の身体を流れる血ではなく
 あなたが別れた祖国の あのふるさとの夕灼(や)け色
 あなたの胸をそめている 父や母の愛の色だ

 どうか恨まないでほしい
 どうか咽(な)かないでほしい
 愚かな私たちが あなたがあれほど私たちに告げたかった言葉に
 今ようやく 五十年も経ってたどりついたことを

 どうか許してほしい
 五十年を生きた私たちのだれもが
 これまで一度として
 あなたの絵のせつない叫びに耳を傾けなかったことを

 遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ
 私はあなたを知らない
 知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ
 その絵に刻まれた かけがえのないあなたの生命の時間だけだ


 午後4時を回って、「無言館」を出た。丘の雑木林の間からは、幾分靄った上田の町並みとその奥に連なる信濃の山々が冬の夕陽に淡いオレンジ色に染まって見えた。
 坂道を下ってもう一度「無言館」の丘を振り返ると、既に峰の向こうに夕陽が落ちて錦繍の山肌が夕闇色に装いを変えていた。

 
(「森のパンセ−その42−」に同文をアップしました)
2010年11月23日(火)雨
おやじ小屋の雪囲い
 20日(土)の早朝、藤沢の自宅を発って再びおやじ山に来た。小屋の雪囲いをするためである。

 地元の人達は「今年の冬は大雪になりそうだ」とうわさしている。カマキリの卵嚢の位置は確認していないが(秋に産み付けられたカマキリの卵嚢の位置が高いと積雪が多い、と越後では昔から言い伝えられている)、10、11月の猛烈な雨の降り方から推測すると、ひょっとして豪雪の冬になるかも知れない、という気がする。

 今回の滞在はせいぜい4日間なので、小屋で寝る寝袋と米、味噌、塩辛、梅干程度の食料しか持って行かなかった。何しろ先週日曜日に43日間のキャンプを引き払って下山した時には、小屋脇のナメコのホダ木に新しい幼菌がびっしりと付いて、今回の訪問時にはちょうど食べ頃に育っている筈だった。初期の出始めの2本のホダ木をそっくり誰かに盗られてしまっただけに、まさにそれを挽回するかの様に生えてきた今回のナメコの収穫も大きな楽しみだった。

 ところが小屋に着いて「どれどれ・・・」と池の縁に立てておいたホダ木に目を遣ると、無い!ホダ木には毟り取られた柄の滓が無惨に残っているだけである。最初に盗られた時にあまりに悔しくて立て札を立てたが、それを尻目に再びごっそり持って行ってしまうとは・・・ガックリして初日は仕事も手につかなくて焚き火ばかりしていた。

 翌21日(日)は、地元の森林インストラクターMさんのお手伝いをした。Mさんはおやじ山の麓にある自然観察林内の湿生植物園と「瞑想の池」の修復作業に熱心に取り組んでいて、この日はMさんが23日に市民有志と一緒に作業する植物の植え付けの下準備だった。
 そしてこの日には、「あさひ日本酒塾」の2回目の受講を終えた神奈川のNさんが日本酒とビールを携えて小屋にやって来た。有難い差し入れ品である。

 ようやく本命の小屋の雪囲いに手を付けたのは昨22日である。サッシのガラス窓に板や戸板を打ちつけ、小屋を離れる直前に作業する屋根の煙出しの覆いやドアーのブロック戸板を準備した。
 それから昨日はSさんに教えて頂いたコガネタケの生えている場所に行って10本ばかり収穫した。まさに金粉をまとっているような大型のキノコで、食べられると教えられなければちょっと手出しを躊躇するような不思議なキノコである。
 この秋はヤマブシタケ、ヌメリスギタケ、そしてこのコガネタケと、いままでおやじ山では見かけなかった食菌が発生して「はて?」と首を捻らざるを得なかった。

 そして今日は今年最後の戸締りをして、いつものように大声でおやじ小屋に向かって「ありがとうございましたあ!」と頭を下げた。
 帰りの山道は、もうすっかり初冬の景色である。その山道にびっしり敷き詰められた落葉を踏んで山を下った。湿生植物園ではMさん達が雨の中、植え付けの作業に精を出していた。「お疲れ様で〜す!」と大声を掛ける。

 それから実家近くの托念寺に寄って墓参りをした。今日はおやじの命日、そして今月30日はおふくろが亡くなった日である。雨のしょぼ降るひっそりとした墓地で、一人おやじとおふくろが眠る墓に花を供えて、実に長い間手を合わせた。これからもおやじとおふくろにお願いする事が山ほどあったからである。

 夜10時過ぎ、自宅に戻る。
 
おやじ山の秋 2010(「10月日記」から続く)
2010年11月1日(月)雨 大雨雷注意報
おやじ山の秋2010(薪ストーブ火入れ式)
 昨夜から一晩中強い雨が降り続いていた。Mさんのテント、大丈夫だろうか?
 それでも朝はグズグズと寝袋に包まって、NHKのラジオ体操の音楽を聞きながら頭の中だけで体を動かしていた。

 炊事場に下りて行くと、果たしてMさんが「夜中に雨が流れ込んで、床上浸水してしまいましたあ〜アハハハ・・・」と朗らかに雑巾を絞りながらテントを拭いていた。

 3人で朝食を終えてから(いつの間にかMさんが家族の一員になってしまった)Mさんと二人でおやじ小屋に出勤し、先ずは4段目の杉林の伐倒木を片付けるためのウマ作りである。
 大きくカケヤを振り回して丸太杭を打ち込むやり方や足場組番線の絡げ方など、Mさんは実に良く知っていて「ほほう〜」と驚いてしまった。「Mさんは何でもよく出来るんだねえ」と感心してみせると「いやあ、それ程のこと、ないです・・・」と黒ピカに日焼けした顔に似合わず、照れるのである。
 そして、杉林のあちこちに転がっている伐倒木を一間づつに玉切りし、二人で持ち抱えてはウマに運び上げた。

 午前の作業を終えて小屋に戻り、いよいよ薪ストーブの火入れ式である。お神酒代わりのウイスキーの瓶をストーブの前に供え、ついでに二人で少し飲んで、ストーブに火を点けた。チロチロ燃えるストーブの火は美しいが、やはり囲炉裏の勢いのある炎と比べると何か物足りない。しかし火を焚いても煙たくないのが実に嬉しい。

 昼過ぎからは本降りの雨になり、午後の仕事は止して薪ストーブの火をゆっくり楽しんでから下山した。

 カミさんは街に下りて新築したHさん宅の台所を借りて自家製コンニャクを作って来た。コンニャク薯をおろし金で擂って炭酸ナトリウムを混ぜて作るらしいが、こんな化学実験のような食品をよくも昔の人はあみ出したものである。前回よりは上手く出来たと喜んでいたが、果たして味の方は・・・

2010年11月2日(火)雨
おやじ山の秋2010(前夜祭)
 一晩中暴風雨が吹き荒れた。未明には凄い雷が鳴って、ついに心配になって明け方4時過ぎに雨合羽を着てテントを見回った。

 ラジオが明日も似たような天気だと報じているので、今日の午後長岡入りして明日おやじ山にきのこ狩りに来る予定の伊豆と神奈川の友人らに「無理せず、おやじ山訪問は天候を見て判断するように」とメールを打った。(ところが既に伊豆のKさんは長岡入りしていると返信が来て、神奈川のFさんからは、せっかく悪天候に備えて準備万端整えているのに、と恨みがましい返事が来た)結局予定通りKさんご夫婦、Fさん、それに今回初めての同じ高校時代の同級生T君も含めて皆さんおやじ山に来てくれることになった。(どうも直前にお騒がせしてスミマセンでした)

 今日もMさんと一緒におやじ小屋に行く。
小屋に着いて早速薪ストーブに火を点け、何となくMさんと顔を見合わせて「いいね、いいね」と頷き合う。しかしストーブの前でいつまでも子どもじみて遊び耽っているわけにも行かず、明日来る友人達のためにおやじ山のキノコの出具合の下見に出掛けた。尾根筋にクリタケがいくらか出ていたが、毎年同じ場所に生えるヒラタケは時期がまだ早いようだった。

 それからMさんと一緒に杉林に入って、昨日に引き続いて伐倒丸太の片づけをする。今日は3尺の寸法に玉切りした丸太を2人で抱えながら薪小屋に運んだが、濡れて湿気を含んだ材は滑るし重いしと実に重労働だった。

 午後3時に下山。
夜はカミさんと街に出てKさん達と会食なので、ちょっと身奇麗にと麻生の湯に行く。そして長岡駅前でKさんご夫婦やFさんと合流して、「まるこ」という料理屋で会食した。いつもの通り全く楽しい一時だった。

 これも例の如く、べろべろになって山に戻った。
キャンプ場の駐車場に着いて「はて、Mさんはどうしているかな?」と助手席から手を伸ばしてクラクションを鳴らすと、何とテントサイトから黒い影が猛然と駆け下りて来て「お帰りなさいませ!留守中テントをお守りしていましたが、特に異常はありませんでした!」とMさんが叫んだのには、俺もカミさんもビックリ仰天してしまった。

2010年11月3日(水)雨〜午後曇り
おやじ山の秋2010(山の同窓会)
 昨夜も一晩中雨が降り続いた。

 今日は遠くからの気のおけない友人達がおやじ山に来てくれるので、5時過ぎにテントを出て迎える準備をする。まさに論語にある「有朋自遠方来 不亦楽」の心境である。
 早朝に24時間営業のスーパーに買い出しに行ったが、途中でパラパラと霰が降り始め、そのうちフロントガラスの前が見えなくなる程の大粒の雹がバラバラと車に当たって、屋根が凹むかと思った。

 こんな嵐の日は自慢の薪ストーブで歓待しようと、友人達が来る前に小屋に行ってストーブに火を点けてキャンプ場に戻った。しかし帰りの山道はビショビショの水溜りや流れになっていて、客人達はさぞ閉口するだろうと大いに気が揉めた。
テントに着くと既に友人達が到着していて賑やかな笑い声である。きのこ狩りデビューのT君も雨具でしっかりと身支度を調え臨戦態勢で待ち構えていた。

 8時半過ぎ、いよいよきのこ狩りに出掛けようとみんなが車に乗り込んだ時に、ここ東山ファミリーランドの職員として勤めている同級生のガンちゃんが黄色い雨合羽を着て出勤してきた。「あ、Yさんだ!」とFさんがドアを開けて声を掛け、ガンちゃんも車の中を覗き込んで久々に顔を合わせた同級生達に会ってビックリして笑っていた。この秋でガンちゃんは定年退職になるが、いつもニコニコ顔のガンちゃんには本当にお世話になった。

 見晴らし広場でジカボウ、山道の松林の中でキンロクをいくらか採りながらおやじ小屋へ向った。11月に入ってやはり秋の色が一気に深まった山の景色である。
そしてストーブで暖まった小屋に入り込んで、T君からのプレゼントのアンテークランプに火を灯した。T君は「このランプ、納まる所に収まったなあ」と言ってくれたけど、本当にオレンジ色の美しい炎はおやじ小屋にピッタリだった。

 地元に住んでいる同級生のA君がそろそろキャンプ場にやって来る時間が近づいて小屋を後にした。寄せ木細工で作ったプロ顔負けの爪楊枝入れをお土産に持って来てくれたKさんのご主人は、下山途中で高級爪楊枝の材になるオオバクロモジの木を伐りとっていたが、このようにどんどん山の材を利用することで、昔通りの美しい里山が生き返るのではないかと思った。

 今や毒きのこ扱いでも屁とも思わないKさん達がカタヒラ(正式名:スギヒラタケ)を採っている間に、一足先に下山した。
下の広場では「長岡きのこ同好会」の人達が鑑定会と豚汁パーテーを開いていた。(何とカミさんやMさんも一緒に混じって豚汁を啜っている)Sさんご夫婦に「是非お友達の皆さんもここに来て一緒にどうぞ」と誘われたが、既にテントでキノコ汁が出来上がっているとカミさんが言うのでご好意を断ってテントに戻った。

 A君も雨の中を歩いて来て合流しキッチンテントで楽しいキノコ汁パーテーが始まった。Kさんは「あさひ日本酒塾」OBのA君と俺に向って「二人とも朝日酒造に操を立てなくていいの?」と冗談を言いながら六日町の銘酒「鶴齢」(かくれい)をみやげに持って来てくれた。「おいおい、二人で朝日山を裏切って、隠れい(鶴齢)て飲もうぜ」とA君が上手い事を言うので、直ぐに同調してこれから車を運転して帰るKさんのご主人やT君を尻目に昼の茶碗酒を楽しんだ。

 新幹線で帰るFさんを車で送ってT君も帰り、Kさんご夫婦も市内で降ろすA君を乗せて帰って行った。カミさんと一緒に駐車場で手を振ってKさんの車を見送り、それが見えなくなると高台に登って、今度はバス通りを走り去る車に向かって大きく両手を振った。
「帰ったね・・・」
「ああ、楽しかった・・・」とカミさんも小さく呟いた。

2010年11月4日(木)晴、夜は再び雨
おやじ山の秋2010(巣立ちの日)
 久しぶりに朝日を見た。Mさんがテントの整理をしていた。Mさんがこのキャンプ場に来てからずっと雨模様で、今日は久々に晴れて、いよいよMさんの巣立ちである。何とも寂しい気がする。

 Mさんは外したテントを干したり自転車のタイヤに空気を入れたりと忙しく立ち回っていたが、10時半、ついに別れる時が来た。

 俺のテントまで来て「長く居候させていただき、大変お世話になりました」と頭を下げた。「下の駐車場で送るよ」とカミさんと一緒に下りて行くと、Mさんは今まで見たこともなかった小奇麗なTシャツを身に着けている。何と、Mさんの実年齢とはいささかちぐはぐな「青春満開」と大きく染め抜いたT
シャツで思わず笑ってしまったが、思い出写真としてデジカメに収めた。Mさんも「お二人の写真を記念に撮らさせてください」と俺とカミさんのツーショットをケイタイで撮った。

 これから国道
117号線を信濃川沿いに走って長野県に入るのだと言う。小さい折畳み自転車には所帯道具一式が両ハンドルにまでびっしり括りつけられて、これで運転は大丈夫なのかと心配になるほどである。
 そんな心配をよそにMさんの自転車が快調に滑り出して、そしてキャンプ場の坂を下って行った。手を振って別れてから、またいつものようにテント場の高台に出て遠くのバス通りを走って行く小さなMさんの姿に向かって大きく手を振り続けた。
Mさんの姿が消えてから、「今日はどこまで行くんでしょうね」とカミさんがポツリと言った。

 晴れ間の出ているうちにと、午前中はキッチンテント1張りと客用に使ったドームテントを撤去して泥を洗い落としたりした。キノコ汁用の大鍋もおやじ小屋に運んでこちらもいよいよ帰り支度の準備である。

 午後5時過ぎに早速Mさんから携帯メールが入った。<滞在中はお二人に大変お世話になりました。今夜は小千谷にキャンプです。(何と!まだ隣町ではないか!)洗濯、買い物と自転車のパンク修理などで予定より進めなかったです。-END->とあって「ああ、Mさんは本当に青春満開の人だなあ〜」と笑ってしまった。

 夜はまた雨になった。Mさん、大丈夫かなあ・・・


 

2010年11月5日(金)雨
おやじ山の秋2010(今森光彦写真展)
 昨夜は雲間から星空が見えたと思ったら、「ザーッ」と雨が来たり、明け方はゴロゴロと雷が鳴ったりした。その度に「Mさん、どうしているかなあ?」と心配になる。

 朝は激しい雨になってとてもテント場で朝飯を炊く気になれず、長岡駅構内のパン屋さんに行って朝食を摂った。
 キャンプ場への帰りに中央図書館に寄ったら「今森光彦写真展(昆虫4億年の旅)」の開催中で、ゆっくりパネルを観て回った。今回の写真展は自然写真家(昆虫写真家)の今森氏が30年以上に渡って取材・撮影した約200点の展示で、第28回土門拳賞を受賞した作品だという。図書館での展示はここ長岡中央図書館が全国初だそうで(それに入場料はタダである)、今日の会場で俺とカミさんの二人しか観ていないのは何とももったいない気がした。

 雨の中おやじ小屋に出勤。こんな雨では仕事もできず、小屋でストーブを焚いて過ごした。

 新しいホダ木のナメコが随分大きくなった。嬉しい。4時過ぎ下山。山がすっかり色付いて来た。

 夜、Mさんにメールするが返事なし。生きてるかしら?

2010年11月6日(土)曇り〜晴
おやじ山の秋2010(急ピッチの山仕事)
 昨日からずっと雨が降り続き、午前3時頃になってようやく止んで静かになった。夜中に目が覚めてから眠れなくなって、雨音を聞きながらラジオ深夜便を点けていたが、懐かしや、浜村美智子の大ヒット曲「バナナ・ボート」が流れて来た。

「♪ディーオ! デェェオ〜!」といきなり大声で叫ぶように歌い出して、続いて、
「♪デライコマンデワンゴホーム〜」来るのである。それから音楽好きの長兄は外国の歌詞をカタカナに直して次のように真似て歌っていた。

「♪コンゲツァ(今月)タリナイ(足りない)カリネバナーナ(借りねばならない)」「♪デ!(イテッ!)イデデ(痛てて)、イデデ(痛てて)、イデデェェ〜ヨ(痛てぇぇ〜よ)」

 貧乏だった我家は、いつも国鉄の物資部で帳面買いしていたが、こんな兄貴の歌を聞いておやじもお袋もさぞ辛い思いをしたことだろう。

 今日の午後からは晴の予報で、5時半に起きて炊事の支度を手早くして7時過ぎには山に入った。山はすっかり秋の紅葉である。

 おやじ山に着いて楽しみなナメコの成長具合を確認して、小屋の薪ストーブを焚く。ここで気を抜くとまたいつものノンビリパターンになるので意を決して外に出た。

 先ずは尾根に登って先日見つけておいたクリタケを採る。30本ほどの収穫。それからブナ苗の縄切り(22本)をしてから1段目の杉林に新たにブナ苗6本植える。これからの成長が楽しみである。

 午後は山林鎌を持って谷川沿いに敷設した水道管の撤去作業をした。何しろゴム管、塩ビ管、銅管と合わせて約150メートルもあり、なかなかの重労働だった。
そして3時前にはこの作業も終わり小屋に入ってコーヒータイムをとった。
ここまでの作業は順調だったが、囲炉裏の前に座って窓の外を眺めると、冬の陽は既に傾いてもう夕暮れの感じである。

 腰を上げて今日最後の仕事はミョウガ畑の整備である。ここは毎年春早くキクザキイチゲの花が美しく咲く場所で、蔓延ったマタタビの蔓を鉈で断ち切ってはひっこ抜いた。

 午後4時半、小屋を閉めて下山。真っ赤な夕日が西山に沈んで、テントに着いた時にはすっかり暗くなっていた。

 テントに帰ると柏崎のナベさんが下の広場で火を焚きながらキャンプしていた。焚き火大好き人間でもうここには何回か来ている人だが、この秋は初めての顔合わせである。

夜は例によってテントに遊びに来て、いつもの宴会が始まった。

2010年11月7日(日)晴 立冬
おやじ山の秋2010(山仕事全開、遅すぎたけど・・・)
 昨夜トイレに起きて夜空を見上げると、満天の星空である。オリオンがあり「冬の大三角形」が瞬いていた。もはや冬の星座で、今日は立冬である。
 

 5時半起床。好天に恵まれた絶好の仕事日で、寒いけど気合を入れてテントを出る。

 毎回おやじ山に来るたびに反省していることだが、山を去る直前になって「あ、あれがあった。これもやっておかないと・・・」とあれこれ予定の仕事を思い出して慌てふためくのである。
 そして今回もやっぱりこのパターンで、7時過ぎには焚き火のナベさんを誘ってせかせかと山仕事に向かった。

 途中、先日の植樹会で余った敷ワラを主催したMさんの了解を得て何束か車に積み込んでおやじ山に運び上げた。小屋へ向う山道ではナラ枯れ病にやられたコナラの木が倒れて道を塞いでいて、小屋からチェーンソーを持ち出して片付ける。

 先ずは今日も引き続いて杉林4段目の倒木整理である。そして4段目が何とか片付いて、いよいよ懸案の5段目の倒木整理に取り掛かった。
 最初に杉の梢部分をチェーンソーで切断して丸太杭を作り、ウマを仕上げてから玉伐りした丸太をナベさんと二人で担いではウマに運び上げた。
 午前、午後とナベさんと一緒に夢中になって働き、こんなに体を動かしたのは近年稀である。汗だくで手伝ってくれたナベさんには感謝、感謝である。

 3時半、夕日で真っ赤に染まった紅葉に感嘆の声をあげながら山道を下った。

 作業道路を下りて来るとトイレ脇の水道で森林インストラクターのMさんが泥の付いたスコップを洗っていた。来週から始まる湿生植物園再生事業の下準備をしていたといい衣服も泥だらけだった。全くMさんには頭が下がってしまう。

 そして5時過ぎ、愛用のバイクにキャンプ道具をくくり付けてナベさんが帰って行った。「また来年会いましょう!」と手を振って別れる。

 夕食を終えてテントに入ると青春満開のMさんからメールが入った。今日はこちらも捗って信州中野まで進んだと言う。カミさんは頻りに「今どの辺かしらね?」と気にしていて、グッドタイミングの着信メールだった。






2010年11月8日(月)晴〜雨
おやじ山の秋2010
 昨夜も満天の星空だった。夜中に起きてオリオン座の三ツ星や冬の大三角形をしばらく眺めていた。

 今日も絶好の仕事日和である。もう最終コーナーのラストスパートで気合を入れて山仕事の仕上げに掛かるつもりである。
「気合だ!気合だ!oh!」と(心の中で叫んで)8時過ぎに朝日に映える紅葉を写真に撮りながら山道を出勤する。キノコシーズンも終わって、さすがにもう誰にも会わないひっそりと静かな晩秋の山である。









 いつものようにナメコのホダ木に挨拶してから小屋に入る。日ごと大きく成長して目にするのが楽しみである。

 ストーブに火をつけて、尻に根が生えないうちにチェーンソーを持ってコナラの木の伐倒に向う。1本はヤマユリの広場に枝を広げている30cm程の径の樹木で、広場に光を入れて立派なヤマユリの花を咲かせる目的である。更にもう1本を雑木林に入って倒した。これは来春の雪解け後に植菌するホダ木用である。クサビとフェーリングレバーを使って丁寧に伐り倒した。

 午前中にはキクザキイチゲの丘の落葉掻きもした。そしてここに植えてあったイチョウとサンショウの木、さらにカタクリの丘近くの2メートルほどに育ったブナの移植もした。

 午後1時半まで夢中で働いて、ようやくストーブの前に腰を下ろしてホッと一息ついた。昼食はカップ麺にストーブで焼いた越後のこがね餅を入れて食った。

 小屋で休んでいると雨がパラついて来た。仕方なく小屋の中でチェーンソーの手入れをしながら雨が上がるのを待ったが、すっかり止む気配は無かった。

 午後4時、遠くでゴロゴロと鳴る雷を聞きながら急ぎ足で山を下った。途中でザーと大雨になって逃げるようにしてテントに走り込んだ。

2010年11月9日(火)雨
おやじ山の秋2010(エ〜!テントがない!)
 暖かな朝だが、新潟県に暴風波浪警報が出ている。こんな日はきっぱり仕事を止めて温泉に行く事にした。向った先は湯之谷温泉郷の大湯温泉である。

 馴染みのホテルの風呂がお湯の入れ替え中とかで断られ、村上屋旅館という老舗旅館に頼んで入れていただいた。最上階の展望風呂からは紅葉した山肌が望まれて、全く独り占めの大浴場でゆったりと温泉に浸かった。

 風呂帰りにいつもの「囲炉裏じねん」に寄って先ずは熱燗と天ぷらを頼んで呑み始めた。ここは大湯温泉の入口にある山野草料理の鄙びた食堂で、何といってもご夫婦の温かいもてなしが嬉しい。最後に温かい蕎麦で食事が終わると、ご主人が厨房から出て来られて親しくお話しした。そして「今年の紅葉は黄色が多くて赤が殆ど有りません。気温が高いからでしょうか?天ぷらの材料で赤い紅葉が今年は殆ど採れなかったです」と言われた。そう言われてみれば今年のおやじ山の紅葉も赤が殆ど無いなあ〜と気付いた。それから「カタクリ酒」も教えて頂いた。酒にカタクリを浮かべると紫色に染まって色酒が楽しめると言う。いくらか癖があるが葛の花でも良いという。今度時期になったら試してみようと思う。

 「囲炉裏じねん」ですっかり長居をして暗くなってキャンプ場に戻った。
 テント場に着くと、な、な、何と!いつも寝ている大型のドームテントが無い!「あれ〜?」と全く狐につままれているようだった。ライトで探すと高台との境の藪にひっくり返って引っ掛かっていた。テントの中にはカミさんの折畳みベッド(ずっしり重い)やあれこれの大きな荷物が入っていたのに、それらが丸ごとひっくり返るとは余程の強風が吹いたに違いない。真っ暗な中でライトを照らしながらテントを起こし設営し直したが実に大変だった。

 ⇒ 
   (コレが)            (コウなりました)

 暴風の時にここに居なくて良かったのか悪かったのか分からないが、修復し終わってテントの中に入り、ホッとしながら思わずカミさんと笑ってしまった。こんな経験は初めてだった。
 タイミング良く伊豆のKさんから「新潟地方は大風だそうだけど、大丈夫?」とメールが来たが、大丈夫といえば大丈夫には違いないけれど、まさかテントが飛ぶとは・・・

2010年11月10日(水)雨
おやじ山の秋2010(大雨洪水注意報)
 一晩中猛烈な雨が降り続いた。長岡市が水浸しになるかと思われるほどだった。午前中も雨足が衰えず、もの凄い降りである。長岡市に大雨洪水注意報が出た。

 強い雨がテントをバラバラと打ち続けて外に出ることもできず、カミさんと会話しても大声を出さないと互いに良く聞こえないし、そのうち草臥れてきて「フンフン・・」といい加減に返事をしていたらカミさんが怒って蒲団を被って寝てしまった。
 午前中一杯、テントの中に寝転がって読書。先日Sさんからお借りしたマンガの「もやしもん」で、しかしこの本はれっきとした菌類やキノコの専門書である。実に勉強になった。

 午後、さすがのカミさんも寝ているのが飽きたらしく、川口の道の駅「あぐりの里」に行って買物をしてから、帰りに麻生の湯に寄った。

 露天風呂に浸かっていると痩せた老人が「ポチャン・・・」と入って来て、「トシとるとやっぱし風呂がこっていいがてぇ〜」と話しかけてきた。思わず「そいがてぇ〜。さぶい時は風呂が一番だこてぇ」と応えて、それから老人と会話がはずんでしまった。つくづく俺も年寄りの会話にスムーズに
入って行ける年齢になったかと何やら複雑な感慨を覚えてしまった。

 風呂から上がって休憩室でソローの「森の生活」を読み継ぐ。以前は何の気なしに読み飛ばしてたであろう文章が各所で胸を打って、一気に読み進むのがもったいない感じさえした。

 テントに帰って道の駅で買ってきたおにぎりで夕食を摂った。さすが米の本場のおにぎりで実に美味しかった。

2010年11月11日(木)雨
おやじ山の秋2010(山と郷里の人たちからの恵み)
 昨夜も一晩中雨が降り続いた。朝のラジオが、長岡地方の11月の降雨量では記録的な大雨になったと報じている。麓の栖吉の村で田圃の見回りに出た老人が川に流されて死んだという悲しいニュースも流れた。

 3日ぶりにおやじ小屋に行った。途中の山道は大風で折れた木々の枝が散乱し、小屋前のデッキの上には梯子が飛ばされて倒れていた。しかし池の脇のホダ木には立派に育ったナメコがビッシリとついて、今夜お呼ばれするSさん宅への良いお土産ができた。
 3、
40分かけてホダ木4本分のナメコを採取したが、優に5Kgを超える収量である。これもおやじ山からの有り難い恵みだと思って丁寧に採取した。

 

 今日も終日雨が降り続き、小屋の中で山道具の刃物を研いだ。ナタ1本、手斧1本、草刈り鎌3本、山林鎌1本、山刀1丁。この刃物研も毎回山を去る時に行う儀式のようなもので、道具へのお礼を込めて丁寧に研いだ。そして午後3時過ぎに重いナメコの袋を持って下山した。

 夜はSさん宅に呼ばれてすっかりご馳走になった。長岡名物「のっぺ汁」、「ゼンマイと車麩の煮付け」、天然鮎の塩焼き、刺身、鶏のカラ揚げ、酒は何と「越の寒梅」である。全くどの料理から箸をつけてよいか分からず、手に持ったままうろうろするばかりだった。しかし久々にゆったりと家庭の畳の上での食事は落ち着いていいものだった。

 たくさんの料理や新米ご飯などとても食べきれるものではなく残してしまったが、帰りには奥様が大きなタッパに入れて全て持たせて下さった。全く底抜けのご親切に涙がでそうだった。
 そしてSさんご夫婦ともいよいよ今日でお別れである。

 9時過ぎ、テントに戻った。

2010年11月12日(金)雨
おやじ山の秋2010(エピローグ)
 朝食は昨日Sさんから頂いた「のっぺ汁」や新米ご飯で摂って、すぐにおやじ小屋に出勤する。

 生憎の雨模様だが、いよいよ今シーズンの山仕事も今日で終わりである。

 午前中は外に出してあったドラム缶風呂を小屋脇のトタン屋根の中に入れ、ブルーシートでしっかりと覆いをする。それから昨日採り残した育ちナメコをホダ木から採取したが、まだまだ数本のホダ木には小さな幼菌がびっしりと付いていて、これは再び小屋の雪囲いに来る時の楽しみに残しておくことにした。

 午後からは、先日ナベさんに手伝ってもらった杉林5段目の残りの倒木整理である。3尺に玉伐った太さ30センチ程の丸太20本程で、ネコで運んでは坂を転がして薪小屋まで運んだが、その重い事といったら・・・とことん体力を消耗した。

 最後の作業は、Mさんから頂いたワラで20本程植えてあるブナの苗床と先日杉林に植えたブナの幼苗6本のマルチングをした。

 これで、この秋予定していた山仕事をほぼ終えた。やはりホッとする。
まだまだ本来やるべき仕事ややりたいと思っていることはそれこそ山程あるが、焦らずに毎年少しずつ少しずつと思えるようになった。俺の山仕事はこれからも続く人生の宿題のようなものだと思っている。

 午後4時、小屋を閉め、そしておやじ小屋に向かって大声で「ありがとうございましたあ〜!」と頭を下げて山を下った。

 山道は木々の葉も随分落ちてすっかり初冬の景色である。その風景の中に本格的な越後の冬が1歩1歩近づいて来ているのが見てとれた。

おやじ山の秋2010 おわり)