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「おやじ山の夏2009」は下から3段目(8月12日日記)から順次上に続きます。
どうか下からお読み下さい。

2009年8月31日(月)雨
さまざまなこと

 8月最終日、政権交代の是非をかけた衆院選も大差で決着して、台風接近による嵐の前のシトシト雨が朝から続いている。

<さまざまなこと思い出す 桜かな>という芭蕉の春の句があるが、さしずめ8月は、私にとって<さまざまなこと思い出す 葉月かな>と思い入れの深い特別な月である。学校の夏休みで真っ黒になるまで遊んだガキの頃の楽しい思い出があり、長岡まつりやお盆を家族と一緒に過ごした懐かしい記憶や、それに自分の誕生日も終戦の年の8月である。この年になっても、いまだに胸がしめつけられるような郷愁やわくわく感を8月という月が運んでくれるのは、全く不思議でしかたがない。
 
 そして8月という月が来ると、過去の戦争に関するさまざまな行事などがあり、やはり静に考えさせられる。 
 おやじ山から帰途についた今月22日、運転しながらラジオを聞いていると8月16日かに放送されたという秋山ちえ子氏出演の再放送番組が流れてきた。それはラジオパーソナリティの女史が「もう二度と戦争を起こしてはならない」というメッセージを込めて40年以上も毎年8月15日に朗読を続けているという「かわいそうなぞう」という童話の朗読だった。5分30秒という短い朗読だったが、戦争という行為が、見物の子ども達や動物園の飼育係の人達にとても可愛がられていた3頭の像をも殺させてしまうという実話を題材とした物語で、思わず車を道脇停めて涙を拭いた。

 そんな刺激があったせいか、おやじ山から帰って「NHKオンデマンド」で過去に放映された3つの番組を視聴した。
 1つはやはり「かわいそうなぞう」と同じ題材の1982年放送、NHK特集「そしてトンキーもしんだ」(太平洋戦争の昭和18年8月〜9月、「空襲激化で飼育動物が遁走することから住民を保護するため」として上野動物園でジョン、ワンリー、トンキーの3頭の像が絶食で処分された物語)、2本目が、やはりNHK特集で1996年放送の「赤紙が来た村」(旧富山県東砺波郡庄下村という人口1200人の小さな農村で、246枚の赤紙で召集された村人の運命と、当時の陸軍の軍人動員システムを紹介し日本が戦争へと突き進んで行った歴史のドキュメンタリー)、そして今日の午前中、3本目の1998年放送の「原爆投下 10秒の衝撃」を視聴した。(インドとパキスタンが核実験を強行した1998年、日米の科学者が広島に集まり、昭和20年8月6日に広島に投下された原子爆弾の恐るべき破壊力を検証したドキュメンタリー。僅か10秒で広島全市が壊滅したが、原爆炸裂前0〜100万分の1秒の間に飛散した多量の放射線の脅威、次いで100万分の1秒〜3秒の間の原爆炸裂による太陽の表面温度の70倍近い40万度という火球の威力、そして最後の3〜10秒までの間の物凄いスピードと圧力の衝撃波の威力を、3段階のプロセスで検証)

 さて、台風11号はどこまで接近したのだろう?そして台風一過はすっきりとした秋晴れが訪れるのだろうか・・・さらば8月である。

2009年8月22日(土)曇り〜晴れ
おやじ山の夏2009(祭礼と帰還)
 5時半に起きてテントを畳む。天気予報が外れて雨も降らず、キャンプの撤収には好都合である。そして8時半には全てのキャンプ道具を車に積み終わって、出勤して来た管理人のTさんに引き上げの挨拶をした。

 別に急ぐ旅でもないので信濃川〜千曲川沿いに国道117号線を走って帰ることにした。途中、栄村の「道の駅」に寄ってこの春買ったテゴ(藁で作った手籠)の修理をお願いするつもりである。実はおやじ小屋の中にテゴを掛けておいたら、ヒメネズミがこの中に巣を作って棲みついてしまった。そしてこともにあろうにテゴの藁を齧って巣作りに使っていたのである。それもテゴの底に穴が開くほどは齧らず、集めた枯葉と齧り取った藁とを上手くミックスして巣を作るという知能犯である。
 
 小千谷市街に入る手前で、お祭りの山車の行列に出会った。山車の上にはハッピ姿の子ども達が乗ってニコニコと太鼓を打ち鳴らしている。すると今夜は、信濃川の河原で小千谷の花火大会である。
 いつも自宅からおやじ山への行き来で気になっていた「当間高原」にも初めて足を延ばした。国道から少し入った所に芝生の広がる立派なリゾート施設があって、夏休みの家族連れで賑わっていた。ここでも広場にしつらえた櫓の周りに赤白の提灯が飾られて、今夜はお祭りのようである。

 そしてやはり、いつもの竜ヶ窪温泉に寄った。ここの露天風呂に浸り、すっ裸で敷板に寝転んで空を見上げるのが堪らなくいいのである。前回来た時には目を細めて真っ白な夏雲を見たが、今日の空には秋の鰯雲が浮かんでいた。
 温泉の前庭には地元野菜の直売所がある。「フムフム・・・」と見て回ると随分安い。重い大きなスイカ1個(こんなの買って帰ってもとても食べきれないと思うけど)、昔懐かしいマクワウリ、それに完熟トマト一袋買って、1000円でお釣りが来た。

 テゴを「道の駅」に預けて、Uターンした。十日町まで戻り、353号線で清津峡を抜けて越後湯沢に出ようと思った。昨年の春、神奈川の森林インストラクターの皆さんを松之山の美人林に案内してから新幹線の越後湯沢駅までお送りしたルートである。
 353号線に乗り入れてすぐ、祭りの準備をしている神社が目に入って車を停めた。「今日がお祭りですか?」と声を掛けると、「いや〜、今日は前夜祭で夜踊りですてえ。明日が神輿を担いで神ん様(かんさま)に奉納して、それから村のカラオケ大会やるがだね」との答えである。

 明日はもう「処暑」。お盆後に訪れたつかの間の夏の暑さも峠を越える日である。

<おやじ山の夏2009>おわり
 






2009年8月21日(金)曇り
おやじ山の夏2009(最後の夜)
 明け方、下の駐車場から「バタン!バタン!」と車のドアーの開け閉めの音が聞こえて、起き上がった。時計を見ると午前4時半である。何日か前、やはりこんな時間に若者のグループが車でやって来て、ワイワイ騒ぎながら炊事場とカマドを随分散らかして帰って行ったことがあった。それでテントを出て偵察に行った。
 まだ夜が明けきらない暗がりの中で何本かの懐中電灯の光が天に伸びて闇を探っている。腰を屈めて目を凝らすと、何と大人に引率された子ども達の虫捕りである。
 今年はカブトムシもクワガタも殆ど見かけない。例年と違ってコナラの幹がすっかり乾いて好物の樹液が無いのである。毎夏、夜になるとこのテント場にやって来る常連の虫捕り親子も、今年はいつも空ぶりでガッカリと引揚げて行く。やはり木に勢いが無くなっているのだろうか?

 新潟県の各地に大雨洪水警報が出た。
 それでこのまま起きて、雨が来る前に大型テントだけを残してキッチンテントの撤収である。それからおやじ小屋にデポするキャンプ道具を車に積んで見晴らし広場まで荷揚げした。
 一通りの作業を終えて山道を下る途中、アオハダの木に赤い実がたくさん生っていた。長く横に伸びた枝から短枝が等間隔に立ち上って、その先端に飾り物のような可愛い実が付く。枝の外皮が爪で簡単に剥けて青い内皮が見えるので「青膚(あおはだ)」である。

 ゴロゴロと雷が鳴って、そのうち雨が来るだろうと長岡中央図書館に行った。ここで夜6時まで過ごし、夕食はスーパーで3割引になった寿司弁当を買ってテントに帰った。
 遠雷はあれどついに雨は降らず、今夏の最後の夜はテントの中でビールと酒と寿司弁当である。いつしかゴロゴロが耳から消えて、そのままテントで沈没した。
 
2009年8月19日(水)晴れ
おやじ山の夏2009(夏の夕間暮れ)

 明け方、小さく「リリリリリ・・・」と虫の音が聞こえた。起き上がらずに横になったままじっと耳を澄ます。「本格的な夏が来る前に秋になっちゃったなあ〜」とぼんやり思う。それからふっと、「もう今週の土曜か日曜日に、一度藤沢の自宅に戻るかなあ」と思った。ちょっと気持ちを立て直して、秋に再びおやじ山に来ようと思った。

 朝食前に谷川沿いの道を散歩する。見上げると鱗雲が浮かぶ朝の空である。ちょうど朝日が当たった山の端の斜面が汚く褐色に枯れている。カシノナガキクイムシによるナラ枯れ病である。この辺りの山も、昨年より一段とナラ枯れ被害が進んだ。あと何年かするとコナラもミズナラも全滅の憂き目に会うかも知れない。

 帰る日が早まったので、昼は小屋に行ってブナ平の分れ道からおやじ山の入口までの山道の草刈りをした。秋に村の人や友人達がきのこ狩りに訪ねてくれた時、少しでも気持ちよく歩ける山道にしておきたかったからである。

 夕方5時10分、夏の陽が西の空15度ほどの高さに見える。そして6時10分にはおよそ5度の高さに陽が沈むが、この間の1時間が山が一番静かになる時である。風はそよとも吹かず、昼間のちょっとしたざわめきや人の気配が消え、油蝉の鳴き声もピタリと止んで、いまだ虫の鳴き出す時間でもない。まさに静寂そのものといった夕暮れ時である。
 こんな時間帯に例によって折り畳み椅子を出して缶ビールを飲むと、「ゴクッ」とやけに大きな音がする。そして枝豆を口に放り込むと、一口噛むたびにコメカミのあたりから軋むような音が聞こえて、「俺も随分下品になったなあ」と嘆息するのである。

 やっぱり、もう帰ろう・・・
 




2009年8月18日(火)晴れ
おやじ山の夏2009(夏の沈黙)

 テントから這い出ると、珍しく濃い霧の朝である。(霧を見ると、寺山修司の<マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや>が口を突いて出る。そしてこの意味は何だろう?といつも考え込んでしまう)

 つい先日まで、お盆休みの家族連れや虫捕りの子ども達で賑わっていたこのキャンプ場も
、俺一人だけになった。風もなく、山も木も草もし〜んと静まりかえって、夏が重く沈黙してしまった感じである。

 そして今日も、テントサイトに折り畳み椅子を二つ向かい合わせに並べて、その上に足を伸ばして座り宮本輝の「骸骨ビルの庭」を読み始めた。終戦直後、戦災孤児や親に棄てられた棄迷児たちが「骸骨ビル」と呼ばれるこの館の中で二人の青年の献身的な努力によって育てられるのだが、成人してもなおこのビルに住み続けるかつての子ども達と老いた育ての親の生き様を、著者独特の澄んだ奥行きのあるタッチで描き出している。著書の帯には「現代人が失った純粋な生き方が、鮮やかに甦る。」とコピーしてある。

 11時過ぎ、突然マイクの大声が響いた。本から顔を上げると、田んぼの中の道を選挙カーが走っている。そうか、今日は衆院選の公示日である。
 天気予報は今日の日中の気温は31℃まで上がるという。正午を過ぎると、なる程「ガシャガシャ」と蝉が鳴き出した。

 昼飯はソーメンを茹でて食べた。それから谷川沿いを「瞑想の池」まで散歩する。道端にはケハギ(毛萩)とオトコエシ(男郎花)が咲き始め、季節は夏から秋へと移っているようである。





2009年8月17日(月)晴れ
おやじ山の夏2009(月の砂漠)

 深夜、点けっ放しの枕元のラジオから歌声が流れてきて、目が覚めた。

 ♪月の〜砂漠を〜は〜る〜ばると〜 旅の〜らくだが〜
ゆき〜ました・・・
  先の〜くらには〜王子さま〜 あとの〜くらには〜お姫さま〜・・・
  ひろい〜砂漠を〜ひと〜すじに〜 二人はどこへ〜行く〜のでしょ〜
  おぼろ〜にけぶる〜月の夜を〜・・・だまっ〜て越えて〜行き〜ました〜♪
  
 何と寂しい歌なんだろう!
 時計を見ると午前3時過ぎ、NHKラジオ深夜便で森繁久弥が歌っている。じっと聴いているうちに胸がし〜んとなって、思わず身を起こしてしまった。モリシゲの歌が続いた。次が「知床旅情」、そして「銀座の雀」(この時遠くからコトコトと夜汽車の音が聞こえてきた。寝台特急「北陸」かも知れない)、「ゴンドラの歌」「かごの鳥」と続いて、ここですっかり謹聴して寝袋を抜け出て正座してしまった。更に「青春が花ならば」(<恋に命をかけてみよ!>の歌詞に・・・)、そして最後の曲が<♪雨が〜降るふう〜る〜♪>の「城ヶ島の雨」だった・・・深夜3時過ぎにこんな寂しい曲を流すなんて、NHKもちょっと考えてもらいたいなあ〜。ましてやあの「森繁節」で歌われると・・・

 今日はテントサイトの木陰で「骸骨ビルの庭」をずっと読み続ける。疲れて本から目を上げると、眼下に広がる田んぼがうっすらと黄色く色付いてきたのが分かった。

2009年8月16日(日)晴れ
おやじ山の夏2009(花火)
 朝8時、溜まった洗濯物を持って街のコインランドリーに向う途中で息子から電話あった。疲れて眠たそうな声だったが、無事に自宅に着いた旨を短い御礼の言葉を添えて電話が切れた。
 息子達が採ったミョウガを少し分けてもらったので、老母の世話で実家に帰っているカミさんに宅配便で送る。
 キャンプ場に戻ってから自分が使っていた小型テントを畳み、息子達に用意した新しい大型テントに引越しする。それから缶ビールを飲みながら持参した宮本輝の小説「骸骨ビルの庭」を読み始めた。この小説は著者の最新作で、本当は予定していたアルバイト先への長い道中で読もうと思って購入していた本である。テントサイトは爽やかな風が吹き抜けて、本に目を落としながらようやくゆったりとした気分になった。

 夜は、長岡の街中から1箇所、そして新潟方面の遠い町から1箇所、夏祭りの花火が上がっていた。長岡の花火は大きな音が聞こえていたが、生憎キャンプ場の林の陰になって観ることができなかった。遠い花火は音も無く暗い田んぼの際にポッ・・・ポッ・・・と丸い火だけが浮き上がって、こんな花火も何やら郷愁を感じて、いいものだと思った。
 


2009年8月15日(土)晴れ
おやじ山の夏2009(こども達との夏終わる)

 朝食の支度を整えてから散歩に出る。今日は終戦記念日、高く朝の空に鰯雲が浮いて何やら秋の気配が漂っている。

 9時半、みんなで谷川沿いを歩いておやじ小屋に向かった。行く先をオニヤンマが頻りに飛行して、虫好きの嫁のA子がその度に大声を上げる。Mちゃんも驚くほどの物知りで、鳥や昆虫の名前がスラスラと出て来る。瞑想の池ではカワセミを見た。こんな所にカワセミが棲んでいるとは、不覚にも今まで知らなかった。

 おやじ小屋に着いてドアを開けると、向かいの壁をアオダイショウが登っていた。思わず「ワ〜ッ!」と大声を上げてしまった。やっぱりおやじ小屋には「金神様」が居たのである。息子に囲炉裏で火を焚いてもらって追い払ったが、遅れて小屋に着いたA子に「小屋にアオダイショウが居た!」と告げると、「エ〜ホント!ワタシ見たかったなあ〜」と残念がった。
 息子達におみやげのミョウガを採らせ、私はヘビですっかりファイトを無くして上の空で承太郎の相手をやっていた。

 午後は守門まで車を走らせて川遊びをやり、守門温泉に浸かってからキャンプ場に戻った。
 そして最後の夕食を宮内の食堂で摂り、再びキャンプ場に戻ってからいよいよ息子達とのお別れである。Mちゃんが「おじさん、またここに遊びに来てもいい?」と私を見上げながら聞く。「もちろん、いいよ。いつでもいらっしゃい」と答える。Mちゃんがまた、「私と遠い親戚の関係だけど、山から帰ったらうちにも遊びに来てね」とませた事を言う。「はい、どうもありがとう」とちょっと胸を詰らせて答えた。

 暗いアスファルトの道を下って息子達が帰って行った。そのテールランプを見送ってからテントサイトへの階段を登ると、下の方から和太鼓の音が響き渡って来た。そして小さくマイクを通した盆踊りの歌声・・・今日は麓の栖吉の村祭りのようである。
 高台に折り畳み椅子を持ち出して座り、懐かしい太鼓の音に耳を傾けながら酒を飲み続けた。











2009年8月14日(金)小雨〜快晴
おやじ山の夏2009(海水浴)

 5時半に起きてテントを出る。幸い雨は小降りになっていて、予報は午後から快晴だという。
 朝食の準備を整えて息子達が起きてくるのを待っていたが、8時半を過ぎても誰一人テントを出て来ない。それで車で当面の買物に行った。米5s、納豆、子ども達用のふりかけ、冷麦、ダシの素、etc・・・

 遅い朝食を済ませてからみんなで石地海岸に海水浴に行った。カ〜ン!と晴れ上がって絶好の海水浴日和になった。海の家で大きなパラソルを借りて砂浜に差し立て、私は荷物番をしながら浜辺で昼寝である。息子は潜水してサザエやシッタカ採り、承太郎も浮き輪に入ってなかなか海から上がって来なかった。

 キャンプ場に帰り、夕食は七厘に炭を熾して息子の採ったサザエの壷焼き、イカの鉄砲焼き、サンマの塩焼き、そして朝食のご飯の残りに野沢菜とソーセージを刻んで入れて炒飯を作ってやった。どれも大好評だった。



2009年8月13日(木)曇り、午後から雨
おやじ山の夏2009(息子家族来る)

 今日は息子夫婦が孫と小6の親戚の女の子を連れておやじ山にやって来た。
 午前8時頃、24時間営業のスーパーマーケットで息子達の朝食と盆の墓参りの花などを買ってキャンプ場に戻ると、既に息子達が着いていて
、承太郎が「おじいちゃ〜ん!」(俺もこんな風に呼ばれる年になったか)と抱きついて来た。孫は何回かこのキャンプ場に来ているのでもうすっかり慣れて、小6のMちゃんを引っ張って高台に出て遊んだりキャンプ場を走り回ったりしている。
 
 一息ついてから息子の車に全員乗って実家近くの菩提寺に墓参りに行った。多分、孫がここに来るのは初めてである。墓石に水をかけ、盆花を生けてから皆に灯明と線香を渡してお墓に供えさせた。
 お参りが済んで、墓地の裏手から外に出た。青く広がる田んぼの向こうに信濃川の堤防が長く延びて、その先に信越線の赤いトラス鉄橋が望まれる。承太郎やMちゃんに「あれが日本一長〜い信濃川という川の堤防だよ」と説明してやったが、自分にとってはこの風景こそ幼いガキの頃にしっかり刻み込まれたふるさとの原風景なのである。

 菩提寺を後にしてから長岡市内のアウトドアーショップに寄った。予め注文していた今回息子達に提供するテントを受取るためである。今まで使っていた大型テントは5、6年前に買ったものだが、何しろ年間100日を超える酷使でようやくリプレースすることにした。
 キャンプ場に帰り、みんなで新しいテントを張った。承太郎やMちゃんも木槌やペグを持って賑やかな作業だった。
 午後から雨になったが、新しいテントに入って騒いでいた息子達の声が途絶えた。そっと覗き込むと深夜のドライブ疲れからか、皆がバラバラの向きで寝入っていた。
 

2009年8月12日(水)晴れ、気温上がる
おやじ山の夏2009(小屋の訪問者)

 昨夜藤沢の自宅を発って関越道の谷川PAで仮眠、今朝6時半におやじ山の麓のキャンプ場に着いた。車に積み込んだ荷物をテントサイトに運び上げて、キッチンテントと自分用の小型テントを張り終えた頃、管理人のTさんが出勤してきたので、「またしばらくお世話になります」と挨拶した。

 それからおやじ小屋に向かい、デポしてあるキャンプ道具を取りに行った。おやじ小屋のドアを開けて中に入り、サッシ窓を開けながらひょいと上を見ると、何と、脱皮したヘビの皮が丸太の梁に張り付いているではないか!思わず後ずさって息を殺して本物の気配を探ったが、居ないようである。何はともあれ、早速杉っ葉を囲炉裏に入れてモウモウと火を焚いた。ヘビの尻尾が梁から下に下がっている程の長さで、多分アオダイショウである。
 ヘビは年1回、だいたい6月頃に脱皮するというが、この抜け皮は「蛇の衣(きぬ)」とも「蛻(もぬけ)」とも呼ばれている。潜んでいた犯人が逃げ去ったあとの「蛻の殻」の蛻である。蛇の衣を財布に入れておくと金が貯まるとか魔除けになるとか言われるが、蛇嫌いの自分には触るのさえ気味悪いのでそのままにしておいた。

 夏草が大分茂っていて、おやじ山の入口から小屋までとトイレまでの山道の草刈りを済ませ、デポ品も一輪車に積み終わって「さて、そろそろ帰ろうか」と小屋から出ると、男の人が小屋の前に立っていた。ビックリすると同時に、男性が「蝶太郎です!」と挨拶されたので、「あっ」と思って嬉しくなった。蝶太郎さんが熱心に自然活動をやっていることは東山ファミリーランドのYさんからお聞きしていたし、このホームページの掲示板にもメールを寄せて下さり、是非お会いしたいと思っていたからである。
 わざわざおやじ小屋まで訪ねて来て下さったのに、何もお構いしないまま二人でデッキに座ってすっかり話し込んでしまった。そして小屋の中にも蝶太郎さんを招き入れて、囲炉裏や造作した小屋のあれこれなどを説明してから、「こんなものに入られてしまって・・・」と梁の上の「蛇の衣」を見せた。確か蝶太郎さんは、「へえ〜、いいものに住んでもらってますねえ」と真面目に感心したように言われた。昔の農家などには鼠を狙って家の中に侵入したアオダイショウを「金神様(かながみさま)」と言って縁起がよく歓迎されたというが、蝶太郎さんは全くそんな素振りで、私には羨ましくて仕方がなかった。

 またの来訪をお願いして小屋の前で蝶太郎さんと別れ、しばらくしてから一輪車を押して山を下った。夜になっても気温が下がらず、おまけにひどく蒸し暑い。おやじ山に来た嬉しさも加わって缶ビールも酒もグイグイ進んでしまったが、それがそのまま虹色の汗になって吹き出す様だった。

2009年8月11日(火)雨
おやじ山へ
 朝5時7分に大きな地震が来た。慌てて飛び起きてテレビを点けると、静岡県(震度6弱)を中心としたマグニチュード6.5の揺れだという。台風9号の接近で各地に大雨の被害が出ているというのに、またこの地震の追い討ちで、伊豆のKさん家などは大丈夫だろうか?

 実は今日から19日間、アルバイトで可なりの遠地に出かける予定だった。やはり植生に関する仕事で実に楽しみにしていたが、事情で中止になってしまった。
 それで今日のこれからの雨の様子を見て、今夜車で発っておやじ山に向うことにした。途中選挙の投票で一度戻ろうとは思うが、またしばらくの山籠りである。

 しばらく「日記-仙人のつぶやき-」を休みます。いつも読んで下さっている皆さんに感謝しつつご容赦をお願いします。(8月11日 11時20分 記)
2009年8月5日(水)曇り
子どもたちとのキャンプ生活

 昨日、1泊2日のキャンプから帰って来た。今回のキャンプはおやじ山ではなく、神奈川県「丸太の森」キャンプ場での子ども達との生活だった。主催は第61回全国植樹祭神奈川県実行委員会と森林インストラクター神奈川会で、おやじ山には何回か来てくれた森林インストラクターのTさんからの誘いで参加させてもらった。
 総勢100人の子どもキャンパーがA,B,C,Dの4グループに分かれ、TさんはDグループのリーダー、私は一応サブリーダーでキャンプ2日目の午後からの途中参加である。


 指定された丸太の森<うぐいす会館>という作業場に着くと、Dグループの小学生低学年中心の子ども達13名が班付きリーダーの<シナジーさん><ちゃきさん>そしてもちろんリーダーのTさんこと<まーさん>やアシスタントの大学生のサポートで竹のランタン作りの最中だった。私を認めたTさんが、「みなさ〜ん、ヒャクニンサンが来ました〜」と大声を出して、みんなの拍手で迎えられてしまった。「そうか、俺のキャンプネームは百人だった」と思い出して、「コンニチワ〜百人で〜す!日頃は山に籠って仙人生活してるけど、あっ!仙人ってどういう人だかみんな知ってる?」、一人が手を挙げて「エライひと・・・」、「そう、仙人は髯を伸ばして偉い人だけど、俺はまだそこまで行かなくてせいぜい千人の10分の1くらいだから百人で〜す!よろしくね〜!」と咄嗟の挨拶をした。

 ここから2日間の子ども達との生活が始まったが、みんなと杉林の中に入って林業体験をしたり、夕食のバーベキューを一緒に作ったり、夜は昼間作った竹のランタンにローソクを灯して子ども達が二人一組で暗い山道を歩くランタンウォークをサポートしたりした。
 そして最終日の昨日、子ども達にとっては2泊3日の野外キャンプ体験の感想発表会である。Dグループ13人の子ども達は2つの班毎にまとめる大きな画用紙を持って河原のベンチに集まり、先ずは楽しかったことや面白かったこと、怖かったことなどをワイワイ出し合ってから、アシスタントの大学生の指導で画用紙にまとめて行く。そして誰が発表するかも決めて、いよいよキャンパー全員の前での発表会である。

 プログラムリーダーの<ヒデさん>がAグループ1班から順次指名して、いよいよDグループの発表になった。何となくこちらもドキドキして固唾を飲み込む感じである。可愛い発表が終わった。素晴らしい!!発表中握り締めていた汗ばんだ手を開いて、夢中で拍手を贈った。率直でリーダー達にとっては実に嬉しい感想発表だった。感動した!じんわり涙まで滲んで来てしまった。(老人性何とかかも知れない)
 
 そしてもう一つ、もらい泣きしてしまった事があった。小学一年か二年か?Mちゃんが河原のベンチで画用紙に感想を書いてから、持っていたボールペンをどこかに落としてしまった。Tさんも一緒に探し回ったが見つからない。炊事場のベンチでMちゃんが目を擦って泣いている。Tさんがその小さな背中に手を当てながら、「そう、お母さんがこのキャンプのためにMちゃんに買って下さったの・・・Mちゃん、そのボールペンを大事に大事にしてたの・・・うん、うん、そうなの〜・・・でもね、Mちゃんもう泣かなくていいよ・・・きっとね・・・」こんな声が耳に届いて、俺はなんだか無性に切なくて、涙がこぼれて仕方がなかった。(やっぱり老人性何とかかも知れない)

 そして、私の初体験の2日間が終わった。南足柄市役所の庭で子ども達を迎えに来た保護者に渡して、やっぱり最後はリーダー達の「反省会」である。子ども達の手前、アルコールを絶って半ば禁断症状を呈していた身体に、真夏の生ビールが滲みること滲みること・・・