<<前のページ|次のページ>>
【最新の更新日は12月20日】<11月15日 日記>
おやじ山の秋2009 ー10月日記から続くーは日記の2段目(11月17日日記の次)から続きます。

2009年11月17日(火)曇り
おやじ山の秋2009(プロローグ)

 一昨日の夜、藤沢に帰ってきた。45日ぶりの自宅である。
 13日にはおやじ小屋の雪囲いを済ませたが、15日の午前中、小屋に別れを告げるために再度山に入った。ぼうぼうと山に強風が吹き荒れて、朱や黄色に色付いた木々の葉っぱが空に千切れ舞っていた。まるでおやじ山が秋の季節のフィナーレを精一杯演じてくれているような、そんな気分にもさせてくれた。そしておやじ山は、冬の季節へとバトンタッチである。
 
 今回もおやじ山ではいろいろな事があり、おっと目を見張る新たな発見もあった。そんな事どもを少しずつ書いてアップしていきたいと思っています。

「10月日記」に<おやじ山の秋2009>(10月2日〜10月31日))を掲載してます。

 

おやじ山の秋2009 ー10月日記から続くー

2009年11月1日(日)曇り
おやじ山の秋2009(Oさん達の来訪と薪割り)

 今朝、東京と神奈川からOさん、Tさんがやってきた。Oさんの車が下の駐車場に着いたのは、午前2時半である。深夜に車の気配がして、懐中電灯を持って駐車場に降りて行くとやっぱりOさん達で、着いた途端にシートを倒して寝入ったらしく、「コンコン」と窓ガラスを叩いてもすっかり反応が無くなっていた。

 午前5時過ぎのまだ夜明け前の暗闇の中で、Wさんがパチパチと焚き火をしていた。それから間もなくOさんとTさんが「おはようございま〜す」と元気にテント場に上がって来た。「車を出たら、あそこで焚き火をしている人が走ってきて俺達に挨拶するんで、ビックリしたなあ〜」と笑っている。昨晩Wさんに今日着くOさん達のことを話していて、早速Wさんの歓迎の挨拶を受けたらしい。

 朝食を摂ってから、Oさん達も一緒に焚き木を積み込むというWさんの車に乗っておやじ小屋に向かった。小屋に着いて早速チェーンソーで杉丸太の何本かを玉伐りしてOさんに斧で薪割してもらった。Oさんの薪割の腕は一級品で、ポンポンと小気味良く割れていく。傍で見ていたWさんが、薪が割れるたびに「スバラシイ!」「オ〜ッ、スバラシイ!」といちいち声を上げるので笑ってしまった。(Wさん、昨日は一日中「シビレ」ていたけど、この人は一度口を突いて出た言葉を無限に繰り返す癖があるようである)

 見晴らし広場に停めたWさんの車にネコ車で2往復して10束ほどの薪を積み込み、11時過ぎに山を下りた。
 そして昼食を摂ってから皆で近くの天然温泉「麻生の湯」に浸かりに行った。「政権交代したからには、ここの温泉も<鳩山の湯>に名称変更しないとダメだなあ」とTさんが駄洒落を言っている。

 何やら不穏な天気になって昼の生温かい風が急に寒くなった。0さん達が運んで来たクーラーの中には立派なマグロ刺しやウニ、甘エビと高級食材が入っていて、天候を気にしながらも早めの豪華な夕食となった。
 夜になって、激しい風雨となった。

2009年11月2日(月)雨
おやじ山の秋2009(冬の到来)

 一晩中、雨が降り続いていた。今日の長岡の最高気温は10℃の予報で、北海道と東北地方では12月の気温だとラジオが報じていた。

 朝、テントを這い出ると、キャンプ場は雨に濡れた紅葉が一面に敷き詰められている。11月に入った途端、一気に冬の季節の到来である。

 今日は山に入っても仕方がないので、Oさん達と寺泊の魚市場でも見てくることにした。途中高野町で木工房を営むNさんのお店に寄って、マルバマンサクの丸太2本の輪切りを依頼した。この夏、山道の整備で切り倒したマンサクの木で何か有効利用する手立てはないものかと考えついたのが、コースター作りである。幸いNさんは店に居て、相談がてら頼んでみると、「割れない工夫をしないといけないけど、試しにやってみましょう」と引き受けて下さった。

 魚市場で夕食用の刺身を買ってテントに戻り、皆でドームテントに潜り込んだ。外は氷雨が降りしきって、Oさんが買ってきたホカロンを体中に貼り付けての宴会だった。

2009年11月3日(火)
おやじ山の秋2009(初雪)

 テントを這い出るとミゾレが降った跡である。スキー場の奥山に目をやると三ノ峠山の峰が真っ白だった。気温は2℃、手をかじかませながら朝食の支度をした。

 昨晩の食べ残しのご飯を熱々のきのこ雑炊にして朝食を摂ってから、みんなで大湯温泉に行った。国道17号線から湯之谷温泉郷に入ると道路にも10cmほどの雪が積もっている。そしてはらはらとボタン雪が落ちてくるホテル「湯元」の露天風呂に浸かって思わぬ「雪見風呂」である。

 帰りはすっかり馴染みになってしまった「いろり じねん」に寄り、蕎麦を食いながらアケビジュースやマタタビの塩漬けなどの珍味をいただいて奥様といろいろ話をしていると、奥只見は30pの積雪だと聞かされた。

 長岡に戻り、明日からまた仕事だというTさんを長岡駅で見送った。そしてその足で長岡中央図書館に寄り、机を借りて「第一回あさひ日本酒塾レポート」をようやく書いた。何しろこのレポートを提出しないと第二回目の講義が受けられないのである。(因みにレポートは、<おやじ山で多くの時間を過ごすようになって地元長岡の人達とはもちろんのこと、神奈川や近県などに住む友人など、いろいろな人達との嬉しい交流が故郷の山でできるようになった。そしてこの日本酒塾に入塾したことでまた故郷で新たな人達との繋がりができ、さらに先日は神奈川からの友人達を御社の「そば処 越州」にご案内する気にもなった。実に嬉しいことである>と大よそこんな事を書いて朝日酒造に送ったが、こんな内容で二回目もまた「課題酒」が貰えるだろうか?)

2009年11月4日(水)晴れ
おやじ山の秋2009(冬の準備)
 明け方、西の空にまん丸の大きな白い月が出ていた。<月は東に、陽は西に・・・>の反対で、気温5度のキリッとした冬晴れの朝である。
 11月に入ったら途端に気忙しくなって、朝起きるとあれこれやるべきことが頭をめぐって、今までののんびりぶりとは雲泥の差である。

 昨日木工房のNさんから「マンサクの輪切りができました」と電話があって、早速朝受け取りに行った。持ち込んだ丸太2本から9mm幅で96枚カットできたという。びっくりするほど安い労賃とおやじ山のシイタケをお渡しし、マンサクの輪切りを車に積んで工房を後にした。いつものことであるが、Nさんは店の玄関から道路にまで出てきてニコニコと敬礼して見送ってくれた。
 帰りはホームセンターに寄って、屋根材を打ち付けるシングル釘一袋、追加の水切り板4枚、植林したブナ苗の雪対策用支柱30本を購入して見晴らし広場まで運んだ。

 おやじ小屋に行って早速屋根に登り、覆いのブルーシートを外した。しかし先日のミゾレ雨で、コンパネの隙間からの雨水で随分小屋の中が濡れていた。

 今日は一日中屋根の上で作業した。コンパネのデコボコ調整をしたり、煙出しを屋根に上げてコンパネをカットする当たりをとったり、煙出しの屋根を張ったりと、休む暇もなかった。低い小屋の屋根作業だが、こんな所から落ちて動けなくなったら大変だと、結構神経を使うのである。

 夜はまたOさんと酒盛りをして、昼の心身疲労もあってか作業着を着たまま昏睡してしまった。
2009年11月5日(木)晴れ〜曇り
おやじ山の秋2009(煙出しから煙が!)

 朝食後、Oさんと一緒に山に入る。二人で歩きながら、
 「昨晩はけっこう呑んだね〜」「うん、呑んだ・・・」。「まだ抜けなくて、頭ふらふらするね〜」「俺、ぐらぐらする・・・」。「
これからは反省して少し控えましょうか」「うん、反省しよう・・・」 決まったパターンのいつもの会話である。

 Oさんには下で丸太を載せたり作業台としても使う「馬」の修理をしてもらい、私は今日も屋根の上での作業である。
 先ずは屋根に張ったコンパネの隙間をコーキング材で目張りをした後、煙出し穴のカットである。当たりを取ってマークしたコンパネを屋根の上でギコギコ鋸で挽くのである。上手く囲炉裏の真上で挽けているかどうかOさんに小屋に入って確認して貰う。ところがOさんも焚き火大好き人間で、早速囲炉裏で焚き火を始めてしまった。
 コンパネの穴が開いて「イテッ!」と下で声がした。切り落とされた板がOさんの頭に当たったらしい。それと同時に煙が穴からどっと吹き出して煙いやら、嬉しいやらで目から涙が出た。煙出しをカットした穴の上に置いてみると、ちゃんと煙出しから煙が出るではないか!(もちろん当然だけど・・・万が一、変な所から吹き出てきたらどうしょうかと思っていた) 先ずは成功である。
 
 囲炉裏で餅を焼いて昼食を摂った後、Oさんは長岡に嫁いだ娘さん夫婦と夕食をご一緒するのだと言って、「その前に風呂に入って身奇麗にしておかないと」と山を下りて行った。
 午後は屋根に防水シートを張って、午後4時に山を下りた。

 午前0時過ぎ、下の駐車場にタクシーの停まる音がしてOさんが娑婆から帰ってきたようである。それにしてもタクシーの運転手さんは、こんな深夜にシーンと静まり返った山の中まで運転させられて、さぞ怖かっただろうに・・・

2009年11月7日(土)晴れ
おやじ山の秋2009(立冬、二組の訪問者)

 昨日はOさんが信州に帰って行き、今日は既に立冬である。そろそろおやじ小屋も雪囲いをする時期が迫って来た。
 昨日から小屋の屋根にアスファルトシングルを張り始めた。最後の工程でこれを張り終えれば屋根の葺き替えの完了だが、あと数日はかかりそうである。

 朝、明日で勤めが最後だという管理人のIさんがボンちゃんからの手紙を届けてくれた。手紙には先日お友達とおやじ山に来た時のお礼が綺麗な文字で丁寧に認められてあった。


 もうこれからはテントへの訪問客もないので、キノコ汁を作っていた大きな銅鍋を山小屋に持って帰ることにした。銅鍋をぶら下げておやじ小屋への山道を歩いていると、途中で老夫婦とお孫さんらしい3人組みに会った。「きのこ採りですか?」と声をかけると、「アハハハ、たった1本見つけただけらいの」と老人が笑っている。ちょっと体が不自由らしいお孫さんを老夫婦が山歩きに連れ出した感じだった。そして手に提げた銅鍋に目をやって「おめさん、あそこの小屋の人かね?」と老人が言う。「そうです」と答えて、よければ小屋までどうぞとお誘いして3人と別れた。
 
 おやじ小屋に着いて囲炉裏で焚き火をしていると途中で会った老夫婦とお孫さんがやって来た。3人にお茶を出して、デッキに座って老夫婦といろいろお話しをした。体の不自由なお孫さんは黙って陽だまりの中で座っていたが、清冽な山の空気と小春日を浴びて気持ち良さそうだった。
 しばらくすると一人の女性が山に入って来た。「初めてですね」と声を掛けると、「あら、忘れちゃったの!昨年4人でここに来たじゃない!」と切り返された。先日採ったキノコの鑑定をしてもらおうと私のテントを訪ねたら、カミさんから山に行ったと聞かされてわざわざここまで登って来たのだと言う。見せられたのはハイイロシメジだったが、全く元気な女性である。

 万が一落ちても大丈夫なようにヘルメットを被って屋根に上がった。そしてやっぱり老眼鏡をかけると手元がはっきりして作業が捗る気がする。しかし何しろ屋根の上で、おまけにヘルメットや老眼鏡まで掛けての作業はやたら神経が草臥れてしまう。

 4時半まで作業し山を下った。
 

2009年11月8日(日)曇り
おやじ山の秋2009(長岡きのこ同好会とIさんとのお別れ)

 今年から長岡きのこ同好会に入会させていただいたが、今までタイミングが合わず今日になってようやく初参加である。

 開会の11時半に集合場所の自然観察林入口前広場に行くと、幟旗が立っていて、既に会員の皆さん方が持ち寄ったキノコをブルーシートの上に並べている。顔なじみのSさん夫婦やAさんがニコニコと迎えてくれて、会長のHさんに「よろしくお願いします」と挨拶した。
 この日集まったキノコは45種ほどで、SさんとHさんが食キノコは黒、毒キノコは赤マジックでそれぞれのキノコの場所に名前を書いた紙を置いていく。アミタケ、ヌメリイグチ、ニンギョウタケ、クギタケ、ハツタケ、ナラタケ、コレラタケ・・・珍しいキノコではウスタビガの繭にとまったハナアブに生えた冬虫夏草(正式名はハナアブタケ)などもあって興味が尽きなかった。
 そして会員の皆さんと話していて、驚いたことに、今年のキノコの発生は例年に比べ2週間も早かった、と言うのである。(私はシーズン初期のアミタケやジカボウの出方から、随分キノコの時期が遅れていると思い込んでいた)地元長岡では「キンモクセイの花が咲くとキノコが出る」と言い伝えられていて、例年より2週間も早く、9月中旬にキンモクセイが咲いたという。そして伝承通りにシーズン初期のキノコが発生し、その2週間後に再度キンモクセイが二度咲きして、再び同じキノコが発生したという。「こんげな年は全く珍しいがてえ」と皆一様に不思議がっていた。
 それにしても皆さんのキノコに対する思い入れの深さとその博識さには驚嘆してしまった。お蔭であれこれと随分勉強させていただいた。

 そして今日は、長い間このキャンプ場で一番お世話になった管理人のIさんとのお別れの日だった。正式には今日が今シーズンのキャンプ場の店仕舞で、これを機にIさんは定年で辞めるという。それでささやかながらお礼の気持ちで小さな花束を贈った。
 午後5時、東山ファミリーランドの営業終了のアナウンスがスピーカーから流れ、それからしばらく経ってIさんが薄暗くなった坂道をテント場にやってきた。
「これで帰ります。どうかお達者で・・・」「長い間親切にしていただきありがとうございました」
 ゆっくりと坂を降りて行くIさんの黒い影をカミさんと二人で見送った。

2009年11月9日(月)曇り
おやじ山の秋2009(フクロウの家にムササビ!屋根の葺き替え完了)
 午後から天気が崩れるとの予報で、朝5時に起き(真っ暗!)急いで朝食を摂っておやじ小屋に向かった。雨が降る前にアスファルトシングルを張り終えて屋根の葺き替えを完了させる算段である。
 
 おやじ山の入口の坂を降りて小屋に近づき、何の気なしにホオノキに掛けた「フクロウの家」に目をやると、巣箱の穴に何かが詰っている。「変なものが引っ掛ってるなあ〜」と小屋の前のデッキにリュックサックを下してから、振り返ってもう一度巣箱に目をやると、何と毛の生えた動物である! 相手もじっとこちらを見ている風である。いつも持ち歩いている双眼鏡を急いで取り出して覗くと、目だと思っていたのが耳で、実際の小さな目がその下に2つ(当然だけど)黒々と光っている。その真ん中に押し潰されたような低い鼻があって、顔の両脇からやけにハッキリと白いモミアゲのような髯(斑紋だった)が生えている。「これはムササビだ!」と直感した。
 山の入口にある太い杉の幹がいつもささくれ立って樹皮が剥がれていて、山に来た友人が「これは熊の仕業だ」と言っていたけど、(本当ならこんな嬉しいことはない)おやじ山に熊など居るわけないので果たして何だろう?と思っていた。その正体がようやく分かった。ホオノキの真下に近づいても逃げない。夜行性の動物だから明るくなると目が良く見えないのだろうか?デジカメで写真を撮ってそっと小屋に戻ったが、これから屋根の登ってシングル屋根材の釘打ちなどしたら、ビックリして巣箱から逃げてしまうと思い、しばらくの時間「さて、どうしたものか?」と思案していた。
 それにしてもフクロウに入ってもらいたくて春先にこの巣箱を取り付けたが、最初はカルガモが入り、それからアオダイショウが入り、そして今度はムササビである。巣箱の表に「フクロウの家」と墨書したが、動物たちは家主の気持ちも分からず勝手に移り住んで、全く困ったものである。
 「そうだ!友人達にケイタイカメラで写してメールしてやろう!」と小屋に入って携帯電話を持って外に出ると、居なくなっていた。飛び出たのか、巣の中に入ったのか?飛び出たとしたら、グライダーみたいに飛翔する姿を見たかったなあ〜

 しばらくボンヤリ巣箱を眺めていたけど、ハッと気を取り直して屋根に登り作業を始めた。「ドンドン」とシングル釘を屋根材に叩きつけて、正午過ぎには全て張り終えた。葺き替えの完成である。
 午後にはカミさんも小屋にやって来て、「予想していたよりは、立派にできましたね」と見くびっているのか誉めているのかよく分からない評価である。
 そのカミさんがおやじ池の畔でヘビを見つけて大声で私を呼んだ。珍しくマムシである。普通のヘビはもう今の時期は穴に入って出て来ないが、マムシだけはこの寒さでも出ることがある。「早く!早く!、鎌で殺したら!」とせっつくのである。冗談じゃない。怖くて近づくのさえ嫌である。そのうち見えなくなって「あ〜あ・・・」とカミさんは溜め息をついて、「また出るわよ。早く殺せば良かったのに・・・」と俺に向って恐ろしい事を言うのである。屋根の葺き替えの評価も、マムシの一件ですっかり帳消しになってしまった。まあ、こんなものである・・・

 夜は、雨になった。
 
2009年11月10日(火)晴れ
おやじ山の秋2009(三ノ峠山の別れ)

 昨夜の雨が上がり、今日も6時過ぎにおやじ小屋へ向かった。そ〜と小屋に近づいてムササビの巣箱に目をやったが、今日は姿が見えない。昨日のドンドン・ガラガラの屋根仕事で逃げてしまったのではないかと心配である。

 それでムササビの観察は諦めて、いよいよおやじ山ともお別れなので尾根伝いに三ノ峠山まで早朝登山を試みることにした。いつもの稜線の休憩場所に着き、綺麗に色付いた千本ブナに向って「そろそろ山を下りますよ。いつも見守ってくれてありがとう」と心の中でお別れの挨拶をした。
 ゆっくりと尾根道を下っておやじ小屋へ戻ったが、途中、眼下に目覚めたばかりの長岡の街並みが望まれ、登山道脇のオオバクロモジの黄葉は、目にも鮮やかなレモンイエローだった。独特の透明感で色付くコシアブラの大きな葉も、晩秋の朝日を透かして微風に揺れていた。

 午前中に山を下りて街に出た。今日は「5・10の市」が開かれる日で、刃物研ぎをやってるお店で普段山で使っている鉈の鞘を新しく作ってもらうことにしていた。その愛用の鉈を店に預けてから、長岡きのこ同好会のSさん宅に御呼ばれして伺った。先日Sさんがテントに訪ねて来た時に塩ワラビを差し上げたのだが、それで今日はこんな料理を作ったので、と招かれたのである。ワラビとみがきニシンの入った熱々の味噌汁と新米を炊いたご飯で、何と美味しかったことか!Sさん家ではワラビはずっと昔からこの料理でしか食べたことがなかったと言っていたが、おひたしや塩漬けでしか食べない我家とは大違いで感心してしまった。

 帰りはホームセンターに寄って炭焼き用に使う煙突とブロックを買って山に戻った。そして再びおやじ小屋に行ってこれらをネコ車で運び上げ、炭焼きに使うマンサクの丸太を集めて炭焼き場所に運んだ。

 夜6時過ぎにHさん夫婦がテントに訪ねて来て下さった。「おめさん達、そろそろ藤沢に帰りなさるが、これ食べてもらおうと思って持って来たがて」と奥さん手作りのコンニャクである。そしてお酒やビールも頂いて美味しい刺身コンニャクを肴にご夫婦と一緒に夜遅くまで楽しい時間を過ごした。

 下の駐車場でお二人を見送ったと同時に、ポツポツと雨が降り出した。

2009年11月11日(水)雨
おやじ山の秋2009(雨の音)
 大雨が一晩中続いた。そして今日は雨の中、朝早くから下の管理事務所の撤去作業が始まった。大きなクレーン車が来て、小屋ごと吊り上げて荷台に運び上げてしまうのである。
 私も雨合羽を着て傘を差しておやじ小屋に向った。途中の山道は雨に打たれて落ちた紅葉が一面に敷き詰められていた。

 小屋の中に入ると水滴がポタポタと囲炉裏に落ちている。ランプをかざして煙出しを調べてみると、やはり網を張った所からの雨水で、ここの工夫が一番の課題である。屋根に登ってゴミ袋用のビニールで覆って取りあえずの処置をする。
 それから囲炉裏に炭を熾して小屋に置いてあるとっておきのウイスキー<オールドパー>を飲む。しんと静まり返った小屋の中で、外の雨音を聞きながら、小さなキャップに注いだ強い酒をチビリチビリやるのも、実にいいものである。
 時折、人の話し声が外から聞こえて来る気がして思わず立ち上がって窓を開けてみる。こんな雨の日に訪ねて来る人などいるはずないのだが、森に降る雨音が人の声に擬音化されてそんな風に聞こえてくるのである。

 午後は、刃物研ぎをした。この一年使った鉈や山刀、斧、鎌などの最後の研ぎである。ゆっくりと心を込めて、切れ味を確かめながら研いでいると、シーンと心までも澄んでくるようである。

 午後3時過ぎ、山が深いガスで煙っている中を下山した。
2009年11月12日(木)曇り
おやじ山の秋2009(炭焼き)

 朝の気温は9℃。今日はいよいよ炭焼きに挑戦である。
 カミさんに車で見晴らし広場まで送ってもらって、急いでおやじ小屋に向かう。何しろ炭窯に点火してから8時間は焼き続けなければならない作業で、一刻を争うのである。

 それでもモタモタしていて炭窯の穴掘りを開始したのは9時半である。窯の位置まで杉の根が入っていて、マサカリで根っこを叩き切りながらの作業だった。
 おおよそ畳1枚半程の広さ、深さ30cmの穴を掘って、ブロックで焚口を造り、さらに山側に煙突を立てる。それから穴の中に炭材のマルバマンサク(この夏の山道整備で伐採したもの)を積み並べて、その上に枯葉や柴、おが屑などの燃材を載せ、トタン板で覆った上に土饅頭型に土を被せて「伏せ焼き窯」の完成である。
 そしていよいよ正午ジャストに点火。ブロックの焚口を必死で扇いで風を送る。12時半、中の炭材にまで火が回ったようで煙突からは白い煙がもうもうと噴出した。感激の一瞬である。そしてその40分後、通風口のみを残して焚口を土で覆った。

 薄暗くなった午後5時、一度山を下ってテントに戻った。そしてカミさんに「これからまた山に戻るが、帰りは多分夜10時過ぎになる」と告げた。そしたらカミさんが「一人でこんなキャンプ場に居るのは怖い」と言う。珍しくしおらしい事も言うものだ、と仕方なしに山に一緒に連れて行くことにした。
(後日談:実はこれが失敗の元だった)
 懐中電灯を持って山に戻り、最初は炭窯の脇で二人であれこれ話しながら火の番をしていたが、夜が更けるにつれてどんどん気温が下がってきた。小屋の中に入って囲炉裏に火を焚き、互いに会話も無くなって押し黙って二人で火に手をかざしているだけだった。
夜9時を回って、案の定(やっぱり!と言うか)カミさんが「もう帰ろう」と言い出した。それで何度か小屋を出て炭窯の煙突の煙を確認したが、依然白い煙がもうもうと吹き出ていて炭化の気配がない。カミさんは「帰ろう、帰ろう」とせっつくし窯の煙は白いままだし(青い透明な煙にならないと炭窯を閉じることはできない)、全く腹が立って仕方がない。
 それで終に情にほだされて、10時前に煙突を抜き取って炭窯を閉めた。

 真っ暗な山道を懐中電灯で照らしながら下ったが、後ろに付いてくるカミさんが何やら後ろから獣にでも襲われたら大変だと思うのか、俺の真後ろにピッタリくっついて、更には狭い山道なのに横に並んで歩こうとするものだから、足が絡まりそうで歩きづらいったらなかった。

 夜は、この季節一番の冷えだった。








2009年11月13日(金)晴れ
おやじ山の秋2009(小屋を閉める)

 幸い晴れた。いよいよ今日から撤収作業である。
 朝からドームテントだけを残してキッチンテントを解体する。 そしておやじ小屋にデポする荷物を車に積み込んで見晴らし広場まで運んだ。ネコ車に荷物を積み替えていると、週に何日かはブナ平までの早朝登山を続けているNさんが元気に歩いて来て、「いよいよ山を下りなさるかね」と声をかけられた。


 荷物を小屋まで運んで、先ずは昨日焼いた炭窯の掘り出し作業に取り掛かった。シャベルで被せた土を丁寧に除けて、ドキドキしながらトタン板を外すと、焚口から半分程は炭になっているが、煙突側はやっぱり生焼けである。「あ〜あ」とガッカリしてしまったが、再度埋め戻して焼き直すことにした。やはり炭焼きはカミさんなどに煩わされず男一人でじっくり腰を据えてやる仕事だと、大いに反省する。

 そしていよいよおやじ小屋の雪囲いである。先ず屋根に登りブルーシートで煙出しをグルグル巻きにし、下の降りてサッシ窓に板を当てて釘打ちした。
 最後はドアーの雪囲いである。小屋の中に入って囲炉裏の灰を丁寧に均し、立ち上がって小屋の中をもう一度見回してから外に出た。そして以前の小屋で明り取りに使っていた戸板をドアーの前に立て掛けてロープでしっかりと留めた。
 終わった。
 午後4時、焼き直しの炭窯に土を被せて閉め、それからおやじ小屋に向かって大声で「ありがとうございました!」と頭を下げて山を下った。

 途中の山道からすっかり晩秋の気配に包まれた長岡の街並みが望まれた。

2009年11月14日(土)激しい雨
おやじ山の秋2009(酒造り体験1日目)

 朝5時起きして、雨の降る暗闇の中でドームテントの撤去作業をした。何とテントの底で出るに出られなかった千本シメジが2株、ひねくれたように押し潰されていた。
 7時半に撤去完了。45日間のテント生活が終わった。ガランとしたテントサイトに「ありがとうございました」と頭を下げて、車の中でコンビニから買ってきた朝食を摂った。

 そして今日から2日間、「あさひ日本酒塾」の第2回講座「酒造り体験」である。
 午前9時半、カミさんに車で送ってもらって旧越路町にある朝日酒造の蔵元に着いた。そして早速10時から朝日蔵副杜氏山賀氏の指導のもとで銘酒「久保田万寿」の酒麹造りが始まった。
 蒸した酒米を暑いムロの中に運び入れて種麹のもやしを振り掛け、シャツ1枚になって素手で揉み、広げの繰り返し作業である。
いわゆる「箱麹法」と言われる製麹で、室温35度ほどのムロで麹米を混ぜたりあおったり、布をかけたりして麹菌が増殖しやすい適温に保つ作業である。

 昼食後は元新潟県農業試験場の場長を務められた国武正彦氏の講演があった。国武氏は全国的に有名になったブランド米「コシヒカリ」の命名者である。講演する国武先生の背後の窓は横殴りの雨で、そんな風景を眺めていたらすっかり眠ってしまった。しかし講演が終わった時にちょうど目が覚めて、司会者が「何か質問は?」の声にいの一番に手を上げて質問したから、まあいくらかはちゃんと聴いていたことになる。
 講演が終わってから、先日提出したレポート発表だった。予め発表者には事務局から郵送した案内状で依頼してあるという。私にも藤沢の自宅に届いていたのだが、ずっとおやじ山に居て知る由もなかった。「それではトップバッターは関さんから」と司会者に名指しされてビックリしてしまった。

 夕食も朝日蔵の中で食べ(この時はお酒は出なかった)、さらに夜8時まで麹造りの作業をし、その後は朝日酒造のプロの人達に任せてマイクロバスで宿に向った。

 中盛館という鉱泉宿の湯に浸かり、いよいよ待ちに待った宴会である。朝日蔵での豪華弁当の後での宴会だったが、更にまたたくさんの料理と、もちろんずらりと銘酒の瓶が並んでいる。
 この秋おやじ山で過ごした最後の夜でもあり、日頃カミさんに小言を言われている酒の量も、今夜だけは浴びる程の量があり、深夜まで心おきなく愉快に飲み続けた。朝日酒造のM塾長さん、Kさんありがとうございました。

2009年11月15日(日)曇り、風強し
おやじ山の秋2009(酒造り体験2日目、さらばおやじ山)

 今日は酒造り体験2日目。7時過ぎには宿を出て、朝日蔵の杜氏の皆さん方の朝礼に参加する。そして作業開始前に、蔵の中に祀られた大きな神棚の前で朝日蔵安全スローガンの唱和である。「一つッ、○○は・・・!」キリッとした大声が蔵の中に響き渡って身が引き締まる思いだった。

 作業は昨日に引き続いての酒麹造りの仕上げ段階である。布を被せておいた箱の中の麹米を適温になるよう更に撹拌し広げ均し、麹米に差し込んだ温度計で確認する。そして出来上がった麹米をムロから出して蔵の中に並べ置いて一通りの作業が終了した。

 今回の講座の最後は、酒の仕込みの見学だった。二人の杜氏がステンレスの大樽に入った酒米を長い竿棒で撹拌する作業である。酒樽を撹拌しながら二人の杜氏が掛け合いで歌う仕込み歌が朗々と響き渡った。高い調子の歌声と、ある節では低く、またある節では高くと合いの手を入れる歌声にすっかり感動してしまった。
 その昔、まだ小さいガキの頃、線路工夫だった父が、信越線の線路で何人かの男達と一緒に、真っ黒になって歌を歌いながらツルハシを振り上げ振り下ろしていた光景がふっと頭をよぎった。何かとても恐ろしくて近くに寄って見る事は出来なかったが、その歌は真夏の陽炎が立つ線路からゆらゆらと湧き立つように低い調子で響き渡って、一斉にツルハシが頭上高く振り上げられた時に、ピタリと歌声も止んで、瞬間息が整えられる感じだった。
 しかし、今日聞かせていただいた酒の仕込み歌は、昔のおやじ達が歌ってた労働歌とは正反対の実に楽しい響きで、美味しい酒が出来上がること請け合いである。

 今回の「課題酒」は、「越のかぎろひ」と「久保田千寿」の二本である。手渡されてニコニコしているだけではダメで、しっかりと味わって又レポートを提出しなければならない。

 約束の時間にカミさんが車で迎えに来て、再び今年最後のおやじ山に入った。小屋は雪囲いで閉めてしまったので、炭の掘り出しをして袋に詰め、それを物置に片付けるだけで山を下った。おやじ池の脇に並べてあるナメコのホダ木には再び小さな子ナメコが出ていたが、それはそのまま雪の下で朽ちてしまう筈である。
 おやじ山にはぼうぼうと強い風が吹き荒れていた。さらば、おやじ山である。

                                   おやじ山の秋2009   おわり