2009年12月24日(木)晴れ |
サンタクロースが来る日 |
今日はクリスマス・イブ。多くの家庭で子ども達が夜、枕元に靴下をぶら下げてサンタクロースがプレゼントを持ってやってくるのをドキドキ待ちながら眠りにつく日である。
職業軍人だった私のおやじは、終戦後ようやく線路工夫の臨時雇いとして国鉄に勤め、何回もクビになってはお袋をガッカリさせていたが、貧しいながらも正月のハレの行事や節分の豆まきなどにはそれなりの趣向を凝らして子ども達を喜ばせてくれた。そして今日のクリスマス・イブの日も俺達兄弟に必ずプレゼントが届いた。それはキャラメル1箱だったり、こども雑誌1冊だったり、丹下左膳の刀だったりしたが、何と嬉しかったことか。
今月19日の朝日新聞に、ニューヨーク支局長の立野純二が<「サンタはいる」答えた新聞>と題してこんな内容の文章を載せていた。
19世紀末、ニューヨークに住む8歳の少女が地元の新聞社に1通の手紙を送った。その内容は「サンタクロースはいるのか本当のことを教えてください」というものだった。
それを受取った「ニューヨーク・サン」紙は本物の社説でこう答えた。「サンタさんはいるよ。愛や思いやりがあるようにちゃんといる」、何故なら「サンタがいなかったら、子どもらしい心も、人を好きになる心もなくなってしまう」「真実は子どもにも大人の目にも見えないものなんだよ」と・・・
手紙を出した少女の名前は、バージニア・オハンロン。後に学校の校長先生となって恵まれない子どもたちの救済に尽くした。そしてバージニアがかつて住み手紙をしたためたれんが造りの家は、いま110人の貧しい家庭の児童が、彼女の名を冠した奨学金を受けて学ぶ私立学校となっている。
米ジャーナリズム史上最も有名な社説と呼ばれる、このバージニアへの返信を掲載した「ニューヨーク・サン」紙は、半世紀前に消えた。しかしニューヨーク・サンが掲載したこの社説は、少女の心の扉を開き、百年の時を超えて人々の想像力のともしびを燃やし続けている。立野氏はこう結んでいる。
「サンタはいる。そう書ける新聞でありたい、と思う」
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