<<前のページ|次のページ>>
【最新の更新日は12月7日】<10月29日、30日、31日 日記>

2009年10月1日(木)
暫時休掲

 昨日(9月30日)の夕刻、アルバイトで出張していた静岡県下の都市から帰って来た。県東部の幾つかのポイントでのある植生に関する調査の仕事で、体力は使うもののいろいろな風景が見られたり勉強になることも多く、有難い仕事だと思っている。

 そしていよいよ秋のおやじ山行きである。
 今朝、朝食をとってから何となく出張の疲れが残っている感じがして(昨晩の深酒のせいだったりして・・・)、だらしなくまた一眠りして、起きたのは何と午後1時である。そしておやじ山に持って行く道具を家のあちこちから引っ張り出してまとめ、今日の暗くなる前に車に積み込む予定である。

 この秋も何人かの友人達がおやじ小屋とおやじ山とを訪ねて来てくれる予定で、カミさんと二人で友人達との再会を楽しみにしている。そして、きのこ狩りを楽しみにしている友人達のために、この秋のおやじ山のきのこが豊作でありますように・・・

 明日からしばらくの期間、このホームページの「日記」を休みます。山から帰ったら、またこの秋のおやじ山の自然と暮らしの一端を綴ってみたいと思います。



おやじ山の秋2009
2009年10月2日(金)夜雨
おやじ山の秋2009(出発)

 未明の午前3時に藤沢の自宅を出発しておやじ山に向った。環八から関越道に乗り入れて上越国境手前の月夜野インターで下りた。この夏Fさん達と平標山に登った帰り、猿ヶ京の「満天の湯」で汗(雨?当日はドシャ降りの大雨だった)を流したが、ここで傘を忘れて帰ってしまい受付で預かってもらっていた。
 ところが「満天の湯」の玄関はピシャリと閉まって「本日閉館」の看板が掛けてある。「まあ、おやじ山の帰りにまた寄ろう」と国道をそのまま走って三国トンネルを越え、越後湯沢から353号線に入って清津峡経由で117号線に出た。ここから長野方面にしばらく走ると道の駅「信越さかえ」がある。 実はこの夏、以前ここで買った「テゴ」(藁で編んだ手籠)の修理をお願いしていて、その受取りである。(おやじ小屋のヒメネズミに底を齧られて修理に出したが、受取りが随分遅くなってしまった)
 店のレジ場にちょうど店長の藤木さんがいて、「はい、出来上がっています」とニコニコと差し出されたテゴを手に取ると、何とテゴの底には前には無かった型崩れ防止用の細木が渡してあったり、背負い紐も太いのに付け替えられていた。「随分立派になりましたねえ」と感心して礼を言うと、「これを作った斉藤さん(確かこの名前だった?)が、大事に使っていただいて嬉しがっていましたよ」と藤木店長の返事である。「それでおいくらですか?」と修理代を聞くと、「代金はいらないそうです」と藤木店長。「!!」 早速車に戻って名刺を取り出し、その裏に斉藤さん宛の礼状をしたためて店に戻った。「はいはい、分かりました。確かにお渡ししておきます」と藤木店長は名刺を預かってくれた。
 道の駅でアマンダレ(ナラタケのこと)、ナメコ、マイタケ、アケビを買って、正午におやじ山の麓のキャンプ場に着いた。早速テントを設営しようとすると、テント場にいつもの千本シメジが生えていた。何やら幸先が良さそうな予感である。

 雨が降り出した。コンビニ弁当を買って、テントの中での夕食である。

2009年10月3日(土)
おやじ山の秋2009(第一回あさひ日本酒塾)
 いつもならおやじ山に着いて早速ウキウキと山に入るところだが、今日は「あさひ日本酒塾」の入塾日である。それでカミさんに車で送ってもらって、ウキウキと旧越路町にある朝日酒造の社屋に向った。 以前長岡在住の同級生のA君から「お前にピッタリの会がある」と入塾を勧められて参加することにしたのである。開塾は今日を初回として来年3月までの4回シリーズで、泊りがけの酒造り体験もある。そしてA君が、「毎回終わった後にね、ウフフ・・・懇親会があってね、ゲヘヘヘ・・・サケ、呑み放題だぞ〜」と耳元に口を寄せて呟いたので、いっぺんに乗ってしまった。

 今回の参加者は22名で内女性は10名、新潟県外からの参加者は自分を入れて7名である。
 10時からの入塾式が済んで、最初の講義は松井塾長の「酒類の現状・朝日酒造の取組み」という内容である。まだ会社の現役の頃に何度となく聞かされていたプレゼンテーションの雰囲気を久しぶりに味わって、何となく懐かしい思いがした。酒の出荷量は1位が兵庫、2位が京都、3位が新潟県だが、県内90数社の酒蔵全部合わせても京都の大手某1社の出荷量と同量だという。そして成人1人当たりの年間の清酒消費量の1位は新潟県、2位は秋田県だと知らされた。(因みに俺は秋田で生まれて新潟で育った。これ、誇ってもいいのだろうか?)
 それから酒蔵の見学や、「日本酒ができるまで」の講義があって、最後は長岡造形大学の平山教授の講義だった。大分疲れが溜まっていて、それに早く「懇親会」にならないかと最初は上の空で聞いていたが、この先生は突然参加者名簿を見ながら「はい○○さん」と当てるのである。それで俄然目がパッチリ開いて謹聴するハメになってしまった。

 待望の「懇親会」は、良かった!A君の言う通りだった。 たくさんの美味しい酒と越後の山海の豪華料理だった。そして帰りには、「これ次回までの課題酒です」と2本の酒瓶が手渡された。(「おみやげ」などと言わないところが憎いのであるが、しっかり呑んで次回までにレポートしなければならない)

すっかりいい気分になって、夜遅くキャンプ場に戻った。
 
2009年10月4日(日)晴れ
おやじ山の秋2009(カシナガの猛威)

 昨10月3日が仲秋の名月、そして今日が満月の夜である。
 おやじ山の麓に来て、ようやく3日目に山に入った。ガキの頃、自分の大好物を一番最後まで残しておいて、他を全部食べ終わってからおもむろに口に入れて幸福感を味わう、という気持ちに似ている。(昔、こんな食事の仕方をしていると、「それ嫌いみたいだからオレが食ってやる」と意地悪な兄達に箸を出されて、「ワーッ!」と慌てて飲み込んだものである)

 山は、ナラ枯れ病の被害が急速に進んでいた。多分5、60年生以上のコナラやミズナラは殆どカシナガ(正式にはカシノナガキクイムシ。体長4、5ミリの昆虫で、樹の幹に穴を開けて侵入し木を枯死させる)にやられてしまったかも知れない。さらに充分成長せずにシイナで落果したドングリが、株の根元一面に敷き詰められていた。

 おやじ山に着いて持ち山の入口にある2本のコナラの大木に目をやると、「やっぱり、やられた!」 樹の幹に無数の穴が開いて、そこから木屑がこぼれ落ちて株の根元に白く溜まっていた。この幹周りが一抱えもある2本のコナラの大木は、まさにおやじ山の象徴木であるだけに残念至極である。
 一緒に来たカミさんは、早速ミョウガ畑に飛び込んで血相変えてのミョウガ採りである。そして「もう1週間早いとちょうど採り頃だったのにねえ〜」と、こちらは随分のんびりした長嘆息である。

 午後4時過ぎに下山し、実家近くのHさん宅に出掛けた。私達が山に来たことを知って早速ご招待の携帯電話が鳴った。大いに飲んでH邸の庭に出ると、まさに煌々とした満月が墨色に広がる田んぼの上に出ていた。

  名月に麓の霧や田の曇り  芭蕉




2009年10月5日(月)曇り
おやじ山の秋2009(谷川沿いの植物観察)

 午前3時半過ぎ、トイレのためテントを這い出る。西の空に赤味のさした濃い卵黄色の大きな満月が出ていて、しばらく佇んだまま独り観月会と洒落た。
 その後ぐっすり寝て2日間続いた越後銘酒の飲み疲れを癒し、午前11時にようやく朝食を摂った。

 自然観察林の中の谷川沿いを散歩する。タイリンヤマハッカ(カメバヒキオコシの変種)の群落が満開で、アキノキリンソウ、ツリフネソウや黄ツリフネ、サワフタギのルビー色の実(ルリミノウシコロシの別名がある)など面白く観察した。この沿道にサルナシの蔓があったが、残念、今年は既に誰かに採られていた。
 空が暗くなってブト(ブヨの長岡方言)にあちこち刺されてキャンプ場に退散する。
 夕食を作るのが面倒になって、スーパーで弁当を買ってきてテントの中で食べる。あ〜あ、今からこんなだらけた生活だと先が思いやられるなあ〜
      

2009年10月6日(火)曇り
おやじ山の秋2009(今年のキノコ事情)
 夜明けが随分遅くなった。5時半に起きてテントを出たが、今だ薄暗くて半分夜である。

 雨の予報が外れて、朝飯を食って直ぐ山に入った。途中の山道で毎年この頃に出るキンロク(正式名はニンギョウタケ)がないかと目を凝らしたが、小さな株を1つ見つけただけで例年とは全く山の様子が違っている。毎年収穫を楽しみにしているウラベニホテイシメジも姿が見えなくて、それにテント場の高台に今時分に出るアミタケやジカボウもさっぱりである。この夏の天気が異常だったせいか「今年のキノコは期待できないなあ」とガックリである。
(後日談:11月に長岡きのこ同好会のSさんご夫婦にお会いした。そしたら9月13日に同じ場所でキンロクを山ほど採ったというのである。ウラベニホテイシメジもこの時期にたくさん生えて、通年よりは2週間早い発生だったと言われた。郷里では「キンモクセイの花が咲いたらキノコ狩りに行く」という伝承があって、やはり普段の年より2週間早くキンモクセイが咲いたという。さらに9月下旬に、もう一度キンモクセイが咲いて、この時にもたくさんキノコが発生したという。Sさんは「キンモクセイが二度も咲いて、同じキノコが2週間おいてまた出るなんて、今年は変な年だてえ」と溜め息混じりに語っていた。)

 
おやじ山の入口に着いてナラ枯れ病に獲りつかれたコナラの大木を見ると、カシナガが侵入した穴から樹液も滲み出て何とも痛々しい。今年はまだ青く葉を繁らせているが、枯れるのは、来年か再来年か?何か救う手立てはないのだろうか?
 
 今日は池の脇に置いてある湧き水を溜めている酒樽の清掃をし、中に入れている炭を全て新しい炭に入れ替えた。

 夕食は七輪で「あけびの皮のクルミ味噌焼き」を作ってみた。ガキの頃、親戚の農家の囲炉裏で焼いて食った遠い昔の記憶があったからである。道の駅「信越さかえ」で買ったあけびの皮に、クルミと鶏肉を油で味噌炒めした具を詰め、カンピョウの紐で縛って七輪で焼くのである。グジュグジュと具が湯気を出して熱々のアケビを丸ごと齧るのであるが、ちょっとしょっぱ過ぎた。みりんと砂糖の加減がイマイチである。
2009年10月7日(水)曇り〜雨
おやじ山の秋2009(台風前の訪問者)
 肌寒い朝だった。一度テントを這い出て慌てて戻ってジャンパーを着込む。最大級の台風18号が日本列島に上陸するとラジオが報じている。
 下の道路脇の杉の木のてっぺんでイカルが「ピピピピョ〜」とほがらかな声で鳴いていた。春にはこの鳴き声はよく耳にするが、この季節にイカルの鳴き声を聞くのはちょっと珍しい。
 
 朝飯を食って8時過ぎには山に入った。昨日作業した酒樽(水樽)の中の炭を並べ直して一番上に水槽で使うグラスウールと杉っ葉をを敷いて濾過槽を完成させた。そして10時過ぎに仕事を止めて山を下ったが、途中で山菜採り名人のMさんに出会った。「え?Mさん、キノコ採りもやるの?」と聞くと、「な〜ん、下のキャンプ場でおめさんのカアチャンに会って、おめさんが山に行ったって聞いたすけ来たがあてえ」と歯が殆ど抜けた口を大きく開けて笑った。Mさんは80近い歳で耳にピアスなんかして、長い髪がもじゃもじゃ逆立って、初めて会った人はギョッとするらしい。しかし歯の無い口を開けて笑うと愛嬌があって、思わずこちらも「アハハッ」と引き込まれてしまう。しばらく山道で立ち話をして、これからキノコ探しに行くというMさんと別れた。
 
 テントサイトに戻ると、カミさんが「凄い台風が来るからテント畳んだほうがいいって、さっきキノコ採りの人が言ってました」とキッチンテントの中を片付け始めていた。しかし取りあえず八方台の「いこいの森」に行って木の実の生り具合を二人で見に行くことにした。今年も神奈川の森林インストラクターの人達がおやじ山に来てくれるが、お目当ての果実酒作りのミヤマガマズミやナツハゼ、それにサルナシの実付きがおやじ山ではさっぱりで、昨年大収穫した八方台ではどうなのか、の下調べである。
 やはり実生りは昨年とは大違いで、「Tさん達はさぞガッカリだろうなあ」と溜め息が出てしまった。

 キャンプ場に戻ると管理人さん達が台風に備えて忙しく立ち働いている。看板を外したりガラス窓に雪囲い用の板を張ったりと急ピッチの作業である。こちらもそんな光景に触発されて慌ててキッチンテントだけは撤収した。

 ちょうど撤収が終わった3時半頃だっただろうか、蝶太郎さんがひょっこりテント場に現れた。忙しくあちこちのフィールドで子ども達と一緒に野外活動をやっている蝶太郎さんの顔は、日焼けして真っ黒である。確か稲の脱穀か何かをやってきた帰りだと言っていたが、キャンプ場のベンチに座って蝶太郎さんのフィールドの話や、以前から調べているというホトケドジョウの話、昆虫の話など、つかの間の実に嬉しく楽しい時間だった。

 夜は悠久山の湯元館にお風呂を貰いに行った。風呂上りに宿の奥様と台風の話をしたが、今回の18号は長岡にも大きな被害が出た室戸台風と同じ進路だと言って頻りに怖がっていた。それで18号が列島上陸する明日はここに泊めてもらうことにした。
 テント場に帰ると、ポツポツと雨が降り出した。
 
2009年10月8日(木)雨、台風18号列島上陸
おやじ山の秋2009(台風日のキノコ狩り)

 風の音で目を覚ましてトイレのためテントを這い出た。それでまたテントに戻って寝袋に潜り込もうとすると、カミさんが起きて身支度を始めている。「あれ、どうしたの?まだ午前4時だよ」と言うと、「あなた最大級の台風が来たというのに、よく平気で寝ていられるわね」と口を尖らせて言うのである。「こんな真っ暗闇で・・・」と思ったけど、隣でガサゴソとうるさくやられて仕方なしに起きてしまった。
 暗闇のなかでテントを撤収して車の中に入り台風情報を聴いていると、午前5時過ぎに愛知県知多半島に上陸したと報じている。

 空が明るくなって車の外に出ると、台風が上陸した割には雨も降らず、風も微風である。それでキャンプ場の中をぶらぶら散歩した。炊事場脇のコナラの根元に立派アマンダレ(ナラタケ)が育って、向かいのキャンプ場には千本シメジ(シャカシメジ)が4株も生えていた。車に仕舞いこんだ笊を取り出して早速収穫する。こんな日はライバルがいないのでゆっくり安心してキノコ狩りができる。



 湯元館に入るには早すぎるので長岡中央図書館に行った。そして「越後新津丘陵に生きる里山の植物」(発行:新潟県都市緑化センター)を興味深く読んだ。

 正午に台風の中心が新潟県に来たが、雨も少なく風もそよそよ程度で、大騒ぎした分、何となくがっかりしてしまった。(しかし県内では糸魚川地方と佐渡では大雨と大風が吹き荒れたようである)
 午後2時半に湯元館に入りゆっくり夕食前の風呂に浸かった。

 台風は何となく東北地方に抜けてしまったが、夜秋田に住むいとこから、今月開催の「いとこ会」の件で電話が入った。そして「え!なに?今長岡の山でキャンプしてるの!この台風のさ中に!アハハ、アハハ・・・」と大笑いされてしまった。

2009年10月10日(土)晴れ〜時々雨
おやじ山の秋2009(竜胆-リンドウの花)
 台風一過の昨日は、10時前にキャンプ場に戻って早速テントを張り直した。管理人さん達も「騒いだ割には大した事無くて、良かったねえ」と言いながらも、何やらガッカリした風情で後片付けをしていた。

 そして今日の未明、テントの外に出ると濃紺の空がすっきりと澄んで、右弦の月が明るく輝いていた。月のすぐ近くの星もきらきらと瞬いている。
 珍しく山の方からフクロウの鳴き声も聞こえて来て、しばらくの間高台に佇んでフクロウの声と星空を楽しんでいた。

 朝、下の駐車場で山芋掘り名人のMUさんに会った。「もう山芋掘りですか?」と訊くと、「いや、山芋は今月下旬から来月初めで、ちょっとキノコの様子見ですてえ」とバイクを走らせて行った。

 正午頃に餅を持って山に入った。少し雨がパラつき出したが、おやじ小屋に着いて囲炉裏に火を焚き餅を焼いて昼食を摂った。
 それから昨年植えた30本ほどのブナの幼木の周りの草刈りをした。藪を伐り払った広場はリンドウの花があちこちに咲いて、この草花まで刈らないようにと山林鎌は使わずにボサ刈り鎌で慎重に作業したが、やっぱり何株かをザックリやってしまった。なにしろエゾリンドウのように直立せず、茎が細いので斜めに寝てしまう草花で、この当たりなら大丈夫と見当をつけて鎌を入れても、やっぱり伐ってしまうのである。リンドウの和名は「竜胆」で根を噛むと竜の胆のように苦い、という意味である。漢方では健胃剤として利用している。

 4時過ぎに下山した。山道の途中で長岡在住の森林インストラクターのMAさんに会った。今週の土曜日に開催される自然観察会の下見だと言って、私への招待状も下のテントに置いて来ました、と言われた。Mさんは地元の方達を集めて自然観察会や植樹会、それに自然再生事業など熱心にやられていて、本当に頭が下がる。

 夜はグ〜ンと気温が下がった。七輪に炭を熾して暖をとる。
2009年10月12日(月)晴れ
おやじ山の秋2009(銀山温泉)

 「体育の日」は10月10日だという強い思い込みがあるので、「今年は今日です」と言われてもピンと来ない。おかしな法律ができて国民の記念日が年によって変わってしまうようになったが、また元に戻してもらいたいと強く思っている。全てが経済活動優先で安易に仕切られてしまうと、いつの間にか人にとって本当に大切なものが失われていくようで、残念である。

 それはともかく、今日1泊2日の温泉旅行から帰って来た。 年1回、母方のいとこ同士で「いとこ会」なるものを開催していて、東北地方の温泉地に泊って互いの元気な様子を祝し合っている。毎回宿代の安い山奥の秘湯の宿で行われていたが、今回はカミさん連中の希望で豪華山形尾花沢の「銀山温泉」だった。参加者は11人で、東北地方で何店舗かのスーパーを営む秋田のTさんだけが、残念ながら今回は欠席だった。
温泉地の奥まったところに建つ大正ロマン溢れる大きな宿に泊り、今日は皆で渓流沿いを散策しながら、独特の焼き掘りという工法で掘られていたというかつての銀山鉱道に入ってみたりした。鉱道の脇の広場に当時の銀山温泉の写真パネルが張ってあって、よくよく眺めるとねんねこを着て幼児を背負った娘さんの姿や、その後ろの橋の上にはオチンチン丸出しの素っ裸の子どもが写っていて、何とも郷愁を憶えてしまった。今やこのような子ども達は絶滅種になってしまったが、寂しい限りである。

 帰路は美しい稲田に目を奪われながら磐越道に乗り入れ、暗いキャンプ場に戻った。ひっそりと静まり返ったテントに潜り込んで、まさに「歓楽極まって哀情深し」の感である。

2009年10月15日(木)晴れ
おやじ山の秋2009(屋根の煙出し)
 リスの鳴き声で目を覚ます。毎朝きっちり5時半にテント脇のコナラの木の上で鳴くので、まるで目覚まし時計代りである。すっきりとした素晴らしい天気で、今回おやじ山に来て以来の絶好の秋晴れである。

 カミさんと車で見晴らし広場まで行って、昨日ホームセンターで買った屋根の煙出しの材料(コンパネ、2×4材、網など)をおやじ小屋まで荷上げした。
 この秋の最大の目標はおやじ小屋の屋根の葺き替えで、今までのトタン屋根を専用のシングル屋根材に替えるのである。トタン屋根では雨が降るとバラバラと物凄い音がして、いかに慣れたとはいえ小屋に泊っていると必ず目が覚めた。それにこの夏はアオダイショウがトタン屋根と壁の隙間から勝手に小屋に侵入して、ギャーッと肝を冷やしてしまったからである。
 それで先ずは屋根の上に乗せる煙出し(昔の農家の屋根に乗っていた百葉箱のような小屋)作りから始めることにした。 カミさんは来る時に見晴らし広場で今秋初めて見つけたアミタケが気になって早々と山を下ってしまったが、お蔭でポカポカ陽気の中で煙出し作りに専念できた。まさに<玉の如き小春日和を授かりし>(松本たかし)である。

 そして今日は、物置小屋の脇に真新しい直径20cmほどの穴を発見した。「あれ?」と近寄って見ると、穴の傍らには掘り出されたハチの巣が散らかって、何かの動物に襲われて蜂蜜を盗られた様子である。壊れた巣にたくさんのクロスズメバチが群がっていたが、こんな所に巣を作っていたとは気が付かなかった。

 午後4時下山。陽が落ちるのがすっかり早くなった。キャンプ場に続く尾根道を下ると、毎年アミタケやジカボウが生える松林の中で今だカミさんがキノコ採りの最中だった。もう周りは薄暗いというのに(それにこっちは疲れて腹も減ったというのに)、これ、どういうことだろう?

 夜は満天の星空だった。
2009年10月16日(金)晴れ
おやじ山の秋2009(焚き火)
 朝食後、谷川沿いの道をぶらぶら植物観察しながらおやじ山に向った。明日は森林インストラクターのMAさんが講師を務める自然観察会があって、私も参加するので一応下見のつもりもあった。
 おやじ小屋に着いて早速囲炉裏に火を熾したが、風もないポカポカ陽気で、外でも焚き火をする事にした。春先に作ったシイタケやナメコのホダ木の残りを燃やしたり、煙出し作りの切れっ端をくべたりしながら、「♪山〜のけえむうり〜は ほおの〜おぼ〜のおと〜♪」と昔懐かしい歌を口ずさんでみたりした。(この1小節しか思い出せなくて、ここだけ何回も繰り返しただけだったけど) 全く静かな山の秋で、ホオの葉が「カサッ」と落ちる音で思わず振り返るほどだった。

 こんなことでグズグズしていて、昨日の続きの煙出し作りに取り掛かったのは午後2時過ぎで、あっという間に4時を回ってしまった。
 今日は山で携帯電話が鳴って、姪のボンチャンからだった。「お友達とおじさんの山に遊びに行きたいが、いいですか?」という連絡である。もちろん大歓迎で嬉しかったなあ。ボンチャンがおやじ山に来るのは何年ぶりだろう?

 真っ赤な夕陽が見る見る西山に沈んで、紫紺に暮れなずむ山道を急ぎ足で下った。
2009年10月17日(土)晴れ〜雨
おやじ山の秋2009(イベント「東山の秋を満喫しよう!」)

 午前10時から長岡市のO建設主催の「東山の秋を満喫しよう!」というイベントが開催された。春の自然観察会に続いて2回目で、O建設が市民に呼びかけて自然の素晴らしさや大切さを体験してもらおうという企業メセナである。
 講師は森林インストラクターのMAさんで、私も春に続いて2度目の参加である。

 東山ファミリーランド自然観察林入口の駐車場に今日の参加者17名が集合し(何と新潟市から参加した若いご夫婦もいた)、主催者のA社長から挨拶があった後、早速MAさんの案内で野鳥の森からアカマツの小径を通って見晴らし広場に向った。途中、急速に広がった東山のナラ枯れ病について、実際の被害木の前で私も参加の皆さん方に説明させていただいた。

 そして展望台に着いて一休み。ここでMAインストラクターがサウンドマップの小さな記入用紙を皆に配った。各々があちこちの休憩場所に座って耳を澄まし、自分を中心にして360度から聞こえて来るいろいろな音を、絵文字で用紙の上に描く、というゲームである。もちろん私も参加したが、用紙を手にして道端に座ってじっと耳を澄ましていると、向こうから顔見知りのNさんが歩いて来た。Nさんの御歳は80前後で、雨さえ降らなければ毎日でも麓からブナ平まで健康づくりのために山歩きをしているという人である。おやじ小屋には何回も訪ねて来て下さっている。
 「あれ〜!ここで何してるが〜?」とNさんが大声を出した。最近Nさんの耳が遠くなって、以前からの大声が益々大きく響くようになった。周りの参加者がじっと耳を澄ましている様子なので、小さな声で「いま、自然観察会やってるの・・・」と答えると、「へえ〜!」とまた感心したように大声を出して、なかなか会話が止らなくなってしまった。
 ようやくNさんと別れてから参加者が展望台の下に集まり、サウンドマップの発表会があった。「鳥の声」「風の音」「虫の鳴き声」の他に、やっぱり「人が喋っている声」があって「スミマセン。俺です」と思わず謝ってしまった。

 見晴らし広場では熱々のトン汁とおにぎりが用意されていて、秋の陽だまりの中での楽しい昼食である。MAさんが参加者の前に立ってコカリナ演奏を披露してくれた。<♪秋の夕日〜に・・・♪>の「紅葉」に始まり、途中「故郷」があり、最後の曲は<蛍の光>だった。何とも心に沁みるコカリナの音色が穏やかに澄んだ秋空に響いて、思わず落涙しそうになった。
 そして昼食が終わってから「木の実の勲章作り」をした。MAさんが用意してくれたマルバマンサクの小さなコースターに接着剤でドングリを飾り付け、裏に安全ピンを付ければ野趣溢れる勲章の出来上がりである。こんな可愛い工作に、参加した子ども達ばかりでなく大人も夢中になって取り組んでしまうのである。

 イベントが終わってからおやじ小屋に行き、「煙出し作り」の仕上げに入った。煙出しの左右にアオダイショウが侵入しないように網を張ったが、これが以外と難しかった。

 仕事を終えて暗くなった山道を下ってキャンプ場に帰ると、春にもやって来た会津からの若い4人家族のキャンパーが隣のテントサイトに、そして駐車場脇のファイアーサイトには常連の焚き火好きのWさんがテントを張っていた。
 雨が降ってきたのでキッチンテントの中で夕食を摂っていると、傘を差してWさんが「こんばんわ〜」とやって来た。テントに招き入れてきのこ汁をふるまって、やっぱり一緒に酒を飲み始めた。
 こんなに遠慮しないで食べたり飲んだりする人も珍しくて、俺とカミさんの二人前のきのこ汁も、それに俺がゆっくり楽しむつもりの日本酒もグイグイと急ピッチで呑んでしまって、見ている方が何やら爽快な気分になってしまうから不思議である。世の中には奇特な人もいるものである。きのこ汁も酒も「はい!いただきます!」と遠慮なくやっていたのに、「ご飯は?」とカミさんが勧めると、「いや、結構です」とWさんは断って帰って行った。
 しばらくして下のファイアーサイトでWさんの焚火が始まったのでカミさんと一緒に見学に行くと、「あの〜、ご飯まだありますか?」と聞かれて思わず大声で笑ってしまった。
(後日談:数日してWさんからはがきが届いた。<キャンプ場 管理棟上がる ○○様>とあって、こんな所ではがきを貰ったのは初めてである。丁寧な御礼の言葉が綴られていて、後日また参上したいとあった。そして再びWさんにお会いした時には、Wさんの住む柏崎の素晴らしい銘酒を頂戴した。Wさん、ありがとう)

2009年10月18日(日)朝雨〜晴れ
おやじ山の秋2009(「錦繍」、植樹会、「ブト」の話)

 昨日に引き続いて午前10時からのMAさん主催の「森となかよくする植樹会」に参加した。この内容を記す前に、今日の深夜、NHKラジオから聴こえて来た「ドラマアーカイブス」の話を書いておきます。

 点けっ放しの枕元のラジオから流れる朗読の声で夜中に目を覚ました。何やら記憶にある文章である。ぼんやり聴いていたら、「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれない」というくだりで、はっと気付いた。宮本輝の小説「錦繍」だった。
 私がこの小説を読んだのは25年も前である。かつて夫婦だった男女が偶然蔵王のゴンドラリフトの中で出会ってからの手紙のやりとりで、離婚後食いっぱぐれて女のヒモのやうな生活を送っているかつての夫と、再婚した夫との間に障害を持つ子どもを産み育てているかつての妻が、互いにその後を生きてきた葛藤の様子を往復書簡で炙り出したストーリーである。
 何回かの往復書簡もそろそろ終わりに近づいた女からの手紙には、障害のわが子が習っているひらがなの練習帳に「みらい」という字が並んでいるのを見つけ、こどもにどうして先生が「みらい」と書かせたかと訊くと、「これは大事な言葉だから黒板の字を写しなさい」と命じたことが綴られてある。そしてこれまでの何通かの自分の手紙は、過去のことばかりに触れていたと気付くのである。
 男の最後の手紙は、かつての妻から届いた手紙の全てを同棲している女に見せて勝手に読ませたことが書いてある。手紙の束を受け取って、女は丸い目から涙を流しながら読み続けるのだが、長い時間をかけて読み終わると「うち、あんたの奥さんやった人を好きや」と言うのである。25年前もそうだったが、やっぱり泣いてしまった。
 午前2時に「ドラマアーカイブス」が終わりラジオのスイッチを切ったが、テントのすぐ脇で「リリリリリ・・・」と低い声で虫が1匹鳴き続けて、なかなか寝つかれなかった。

 植樹会には15人ほどの人達が集まった。MAさんがここで主催する植樹会は3年目で、今回も谷川の護岸工事で裸地となった220uの植林地に、ブナ、ミズナラ、コブシ、ヤマハンノキ、ヤマボウシ、ガマズミ、ナツハゼの7種類130本を植樹した。段取りよく捗って正午には全ての作業が終わり、参加者全員でラクウショウの森の中でキノコ汁の昼食を摂った。そして昨日同様、MAさんのコカリナ演奏を楽しんで散会した。

 キャンプ場に戻ってくると、管理人のIさんが、「今年のブト(ブヨの長岡方言)は大発生して、顔に向って真っ直ぐ飛んで来て凶暴になったがだね」とこぼしていた。そして「今年は赤トンボが少なくて、ブトを食わんからだそうですてえ」とも言った。なるほど今日の植樹会の参加者達もブトにたかられて「かゆいかゆい」と閉口していた。更にIさんに訊いてみると、トンボのヤゴが農薬で死んだのと、最近は稲を刈った後の田んぼに水を張らなくなって、トンボが産卵に来なくなったせいだと新聞に書いてあったと言う。自然の営みの変化が、こんなことにも現れて来るのかと、ちょっとした驚きである。

 今にも雨が降りそうで、これからおやじ山に行こうかどうか迷っていたが、結局はグズグズしているうちに薄暗くなって「夜にはちょっと早いけど、まっ、いいかあ」と自分自身に納得させて、手が酒瓶に伸びてしまった。

2009年10月19日(月)晴れ
おやじ山の秋2009(Kさん)

 朝起きて高台に出てみると、アミタケがにょきにょきと出てきている。一昨日の夜のまとまった雨のせいで、タイミングが良かった。実は明日、伊豆のKさん夫婦とFさんがおやじ山に来てきのこ狩りをすることになっていて、今まではさっぱりでガックリしていたところだった。カミさんを呼んで高台に生えてるキノコを見せると、「あら大変だ!」と急いで枯葉を集めてアミタケの上に被せ始めた。Kさん達が来る前に他の人に採られないための目隠しである。キノコ狩りも何やらせちがらくなってきた。

 朝食後、毎年カタヒラ(スギヒラタケの長岡方言)が出る杉の植林地の山道を通っておやじ小屋に向った。数年前の中毒事件以来カタヒラは毒キノコ扱いだが、私のそうだがKさん達も平気で食べる。キノコ汁に入れるといいダシが出て歯ごたえもシャキシャキとしてなかなかである。杉林の中に入って調べてみると、まあまあの生え具合で安心した。

 見晴らし広場で袋一杯キノコを採っているKさんという人に会った。アミタケやジカボウが入った袋の他にもう一つ袋を持っていたので中を見せて貰うと、何と「ヤマブシタケ」である。このキノコはずっと以前に山形県境の山で見つけたきりで、「いや〜珍しいなあ!」と声を上げると、「毎年この山に出ますよ」とKさんは事もなげに言った。私が今年はダメだと思っていたウラベニホテイシメジも2週間前にかなり採ったというし、毎年秋の終わり頃にはヒラタケの他にムキタケもこの山で採るというから、やはり名人になると違うものだと感心してしまった。
 Kさんとは地べたに座って1時間近くも話し込んでしまったが、キノコの他にも山菜料理に実に詳しくて、コシアブラの混ぜご飯、アイコ(ミヤマイラクサ)料理、ウドの佃煮、その他と覚えきれない程のレシピを教えられて全く達人の技に仰天してしまった。
 Kさんの話に触発されて、おやじ小屋の昼休みに下の谷川を越えて向かいの斜面をあちこち騒いでみたが、全く毒キノコの姿すら見えなかった。

 夜は、明日おやじ山に来るKさん夫婦とFさんが泊っている長岡の街に下りて、夕食をご一緒させていただいた。そしてすっかりご馳走になって山に戻った。
 どうか明日はキノコがたくさん採れますように・・・

2009年10月20日(火)曇り〜雨
おやじ山の秋2009(きのこ山のミニ同窓会)
 厚い雲のかかる降り出しそうな空模様だったが、幸い風もなく暖かな朝である。いつもの杉の木のてっぺんで今日はイカルが4羽も留っていて、頻りに「ピピピピ〜!」と高い声で鳴いていた。

 午前8時過ぎに下の駐車場に沼津ナンバーの車が停まって、「バタン!バタン!」とKさん達が降りて来た。ドアの音さえ何やら気魄がこもっていて、今日のキノコ狩りの意気込みが伝わって来るようである。テント場から下の駐車場に向って「おはようございま〜す!」と声を掛けたが、既に後ろのトランクを開けて長靴を履いたりカッパを着込んだり竹籠を腰に結んだりと身支度に忙しく、返ってくる挨拶もそぞろの感じだった。そして生憎の雨が降り出したが、3人が元気にテント場に上がって来た。

 「お茶でも飲んでから・・」と言ってみたが、Kさん達は「いや、ホテルで充分飲んできました」とすっかり戦闘態勢に入っている様子なので、早速皆で高台に降りた。カミさんが昨日落葉で目隠しをしたあちこちを指し示して3人に採らせていたが、そんな場所が何箇所もあって、「あれ?どこだったかしら?」とまるで宝探しか大盤の上で神経衰弱ゲームをやっているようだった。
 本降りの雨になったが、Kさんのご主人は「私はゴルフで雨降りはしょっちゅうだから」と怯む様子もなく、Fさんも山登りで雨には慣れている様子なので、そのまま赤道の尾根を登ってキノコ採りを続けた。
 こんな雨では他のライバルも現れず、ちょうどタイミング良くアミタケやジカボウが育っていて、目隠し場所以外にも次々と立派なキノコの収穫ができた。
 雨の中をおやじ小屋まで行って、早速囲炉裏に焚き火をしながら休んだ。そして雨の音が止んで、10時半には皆で山を下ってキャンプ場に戻った。

 地元に住むA君はKさんやFさんとも高校時代の同級生だったので、今日みんなが山に来る事を伝えて、お昼のきのこ汁に誘っていた。キノコ採りの最中にそのA君から電話が入って、「こんな雨じゃあ、今日は中止でしょう?」と言う。「皆な夢中でやってるよ」と答えると、「え〜ッ!」と驚いていたが、11時過ぎにはキャンプ場にやって来てドームテントの中でキノコ汁パーティーが始まった。かつての同級生4人が郷里の山に集って、さながらミニ同窓会のようだった。

 午後1時半、Kさん夫婦、Fさん、そしてA 君も、Kさんの車で送られて帰って行った。下の駐車場に立って見送りながら、やっぱり寂しかった。
2009年10月21日(水)晴れ〜夜雨
おやじ山の秋2009(オリオン座流星群<その1>と熊)

 深夜、1時過ぎに起きてテントを出ると、おやじ山の峰の上が一面の星空である。連日ラジオでオリオン座流星群云々、と報じられているのでしばらく観察することにした。20分ほど佇んで夜空を見上げていたら、三ノ峠の峰の上で3個流れ星が走った。じっとしていると寒いのでキャンプ場の中をしばらく歩き回ったが、コナラ林の黒いシルエットの枝先で幾つもの星がキラキラと瞬いて、まるで電飾のクリスマスツリーを見ているようだった。
 首が痛くなってテントに戻ったが、眠るのが惜しくなってラジオを点けた。そしてNHKラジオ深夜便「ロマンチックコンサート」にしばし耳を傾けていた。

 毎朝炊事場で歯を磨いていると、決まって何羽かのヤマガラがすぐ脇のエゴノキに飛んで来て実を啄ばむ。最近は私の姿にも慣れたようで、近寄っても逃げない。エゴの実はエゴサポニンという毒素を含み「えぐい」のでその名があるが、ヤマガラは食べても平気なのだろうか?それにしても1羽また1羽と次々と交代で枝に留りながら、忙しくエゴの実を啄ばむ姿が誠に可愛らしいのである。

 今日は薪小屋の修理を始めた。支柱が腐って小屋が傾いてしまい、中の薪も零れ落ちそうなのでようやく手をつけた。薪小屋の隣にシイタケのホダ木を15本ほど並べているが、シイタケが出ていた。秋のこの時期にシイタケが生えるとは思ってもみなかった。薪小屋は2、3日はかかりそうである。

 夕方5時まで仕事をして、既に暗くなった山道を下った。赤道の途中で確かナナカマド(暗くてシルエットしか分からないので)の何本かが幹の生え際から折られていたので、テントに戻ってカミさんに「熊が出たらしくて、ナナカマドの木が倒されていた」と冗談半分に言ったら、「ワタシ、帰る!」と言い出してなだめるのに一苦労だった。(俺はここで熊に出会えるとしたら、実にラッキーだと思っているけど・・・)

 夜は雨になった。幾分激しい雨で、これでキノコが期待できる。

2009年10月22日(木)曇り〜晴れ
おやじ山の秋2009(ドラム缶風呂)

 雨上がりの朝靄たなびく夜明けだった。随分早い時間からすぐ前の高台に若いきのこ採りが入ってガサゴソやっている。見るとレジ袋一杯のキノコである。何とも穏やかならざる気持ちで「おはよう」と声を掛けると、「ああ・・・」と低く返事をして、「だいぶキノコの傘が開いてきたなあ〜」と独り言のように呟くのである。もう3日後にははるばる神奈川から森林インストラクターの皆さんがキノコ採りに来るというのに、全く気が気でない。生えてるキノコに指でツバを付けも、やっぱりダメだろうし・・・

 おやじ山では昨日に続いて薪小屋の修理をした。池の脇に並べてあるナメコのホダ木にもキノコが出ていて、これで神奈川からの客人にもいくらかのお土産ができそうである。

 昼の休みにドラム缶風呂に入るつもりで火を焚いていたが、薪小屋修理に夢中になって夕方近くなってようやく風呂に浸かった。湯がすっかり冷えて、夕闇迫る中での水風呂である。体の芯まで冷えて(本当は「温まって」と書きたかった!)しまった。

2009年10月23日(金)晴れ
おやじ山の秋2009(5年目の復興記念日)

 キリッと冷えた快晴の朝である。
 忘れもしない5年前の今日、新潟県中越地方を震源とする震度7の大地震が起きた。午後5時56分に第一波の本震が来たが、たまたまこの時間にカミさんと新潟県と群馬県の県境を旅行中で、車が山の中でスタックして
タイヤの下に木の枝を敷いたりチェーンを巻いたりと大汗をかいている時に、グラグラッと地面が揺れた。地に足が着かない感じで、最初は余りの力仕事で自分の体がおかしくなったのかな?と思った。
 道路規制が厳しかったが、1週間後に日本海側から長岡に入った。先ず実家に駆けつけ藤沢で買い集めたこもごもの物資を届け、それからおやじ小屋に向かった。長岡市営スキー場の駐車場は、地震で孤立した山古志村への救援物資を運ぶヘリコプターの基地になっていて、ブンブンと上空をヘリが飛び廻っていた。
 山の入口には入山禁止の立て看板があったが、(そして山に入る準備をしていたら見回りのパトカーが来て一度は止められたが)ズタズタの作業道路を歩いておやじ小屋に辿り着いた。小屋は幾分傾いたりしたものの潰れはしなかった。そして持ち山の何箇所かに大きな亀裂が走っていたが、途中の自然観察林内の被害に比べたら軽微で胸を撫で下ろした。

 今日はおやじ小屋に着いて、草刈りをした。杉の植林地から谷側の尾根筋を刈り、下の便所から谷川までの山道も刈払い機できれいにした。そして午後2時過ぎから薪小屋の屋根を新しいトタンで張って完成させた。

 仕事が終わって見事な秋の夕焼けの中を山を下った。そしてキッチンテントの中でウダウダと酒を飲んでいたら、いきなり長岡の中心街からボンボンと花火が上がった。時計を見ると19時20分、恐らく地震5年目の復興記念の打上げ花火と見た。
 

2009年10月24日(土)晴れ
おやじ山の秋2009(ヤマイモ掘り)
 おやじ山には質の良い山の芋(自然薯)がたくさん生えている。しかし掘り出すのが大変で、最近では麓の村のMさん以外、「山芋掘り」を見た事がない。それで久々に(全く何年ぶりだろう!)ヤマイモ掘りに挑戦することにした。明日、神奈川からおやじ山を訪ねてくれる皆さん方を、自慢の山の芋で歓待しようという算段である。

 そのヤマイモ掘りに出かける前の早朝、キャンプ場から見晴らし広場までキノコ採りをした。明日やって来る客人達に採らせたいことはやまやまだが、土曜日の今日あたりにはドッとキノコ採りが山に入って、一網打尽に採られてしまうと思ったからである。全くこの山もせちがらくなったものである。きのこ名人のSさんから教えていただいた秘密の場所にも足を伸ばすと、きれいなハナイグチが3本採れた。これで明日の芋煮用のキノコも確保できて、ちょっと一安心である。

 昼近くにおやじ小屋に着いて、ナメコのホダ木を見ると具合良く成長している。バケツでホダ木にザブザブと池の水をかけてやってから、シャベルとピッケルと鉈を持って小屋脇の斜面を下って、いよいよヤマイモ掘りである。
 先ず1本目は、掘り出すのに2時間かかった。 鉈で邪魔になる木の根っこを叩き伐りながらシャベルで穴を掘り続けて、1mほどの深さでようやく掘り取った山の芋は、ガッカリするほど小さかった。
 そして敢然、2本目に挑戦した。1本目のノウハウで、掘り出しやすい急斜面で慎重に蔓を探し、ピンクテープを蔓に巻いて作業開始である。40分かかって掘り出した2本目の山の芋は、随分平べったかった。まあ、最初はこんなものである。

 午後4時過ぎに赤道を下ってキャンプ場に戻ったが、今日の夕焼けも何と美しかったことか!西の空のすじ雲が、燃えるようなオレンジ色から次第にピンク色に変わり、そして周りの空から紫色に暮れなずんで、秋の陽がトンと西山に落ちた。
2009年10月25日(日)晴れ
おやじ山の秋2009(おやじ山の集い)

 午前2時にテントを這い出てオリオン座流星群を観察した。東の空が良く見えるキャンプ場の上まで行って星空を見上げていると、15分程の間に4個も流れて、中の2つはとりわけ明るい流れ星だった。一度テントの戻ってカミさんを起こし、今度は二人で見上げていると、なかなか流れない。それでも40分ほどブルブル震えながら我慢して、微かな流れ星を4つ確認してテントに引揚げた。どうも二人で見ると、上手く行かない様である。

 6時に起きた。霧の朝である。そして今日は神奈川からTさん達がやってくる日で嬉しくて仕方がない。
 一行6人が走っている関越道の途中から電話が入って、降り口の「長岡南越路IC」の出口にあるスーパーの広い駐車場で待ち受けていた。朝のTさんからの携帯メールでは、今日の東京は雨模様だとあったが、幸い長岡の天気は晴れで汗ばむほどの気温である。

 午前10時半、スーパーの駐車場に運転手役のNさん、今回の連絡係で同郷のTさんと、Tさんの山友達のKさん、昨年もおやじ山に来て下さったSAさんSEさん、そして今回初めてのKOさんがニコニコと車を降りて来た。
 挨拶もそこそこに皆でぞろぞろとスーパーに入って食材の買出しをしてから、近くの朝日酒造まで行って、敷地内にある「そば処 越州」で昼食を摂った。店の庭には夏には蛍が飛び交うという小川が流れていて、食後はこの庭をしばらく散歩してからキャンプ場に向った。

 キャンプ場に着いて、車から荷物を下してテントに運び入れたりTさん達のテントを張ったりと忙しく動き回って一段落し、早速カミさんの案内でキノコを探しながら赤道尾根を登っておやじ小屋まで歩いた。
 「今年はキノコも木の実も不作で期待できません」と皆さんに予め伝えていたが、やっぱりカミさんは高台や松林に生えてたアミタケやジカボウの何箇所かに枯葉を被せて隠しておいたようで、幸いそんなキノコも含めて幾らかの量が収穫ができた。
 途中の尾根ではTさんKさんがお目当てのガマズミやナツハゼの実も少ないながら収穫できた。大豊作だった昨年とは比較にならないほどの実の付き方だったが、袋の中には何とかガマズミ酒やナツハゼ酒が作れるほどの量が溜まったようである。

 尾根の途中に珍しく実生りのいいヤマナシ(アズキナシの越後の方言)の木があって、この木にはSAさんやKOさんも取り付いて木の実採集である。さらに作業道路に出る手前にコリンゴ(ズミ)の木があって、Tさん達はこの実も摘んで果実酒を試してみると言っていた。ヤマナシ酒やズミ酒など聞いた事がないが、果たしてどんな味になるのだろう?

 今回初めてのNさんやKOさんは小さな掘立小屋の風景に興味津々で、クロサンショウウオの池を覗き込んだり、囲炉裏の火で煙った小屋の中を目をしょぼつかせながら見回したりしていた。
 そしておやじ小屋の前でみんなで記念撮影をして山を下った。

 テントサイトでの夕食作りは賑やかだった。早速SAさんが炭を熾した七輪に山のホダ木で採取したシイタケを載せて焼き終わると、今度はKさん差し入れの高座豚の味噌漬をSEさんがジュウジュウと焼き上げ、KOさんとKさんはすり鉢で山の芋をすり、Tさんは下の炊事場とキノコ汁用の大きな銅鍋をかけたガソリンコンロの間を忙しく何度も往復しと、(その間にビールが注がれて乾杯があり、酒の一升瓶がテーブルを回って)そのキノコ汁の大鍋も底を突いてしまったから驚きである。
 外が冷えて来て、皆でドームテントに入って車座でまた呑み続け、山の芋のトロロをムカゴ飯にかけて食べたりと、全く愉快な晩餐会だった。そしてNさんが突然「私、これからおやじ小屋に行きます!」と言い出したのにはビックリして「まあ、まあ、こんな夜遅くでなくても・・・」と押し止めたが、こんな夜のおやじ山が好きなNさんの気持ちも分かって、嬉しかった。

 足を取られて何回も転びながら(と後でカミさんが言った)、わがテントに帰った。残念ながらオリオン座流星群は見られなかったが、今夜の様子では仮に星が見えたにしても、夜空がグルグル回ったりして・・・とても、とても・・・

2009年10月26日(月)雨
おやじ山の秋2009(遠方よりの友、山を去る)

 昨夜、「おやじ小屋に行く」と言ったNさんが、何と午前4時起きして真っ暗な中をおやじ小屋に出掛けたと聞いて、SEさん、KOさんと一緒に「捜索」に行くことにした。
 車で作業道路の終点「見晴らし広場」まで乗り付け、そこからおやじ小屋までは歩いて10分ほどである。
 
おやじ山の入口で「おお〜い!」と大声を出すと、Nさんはドラム缶風呂に火を焚いている最中だった。(後でNさんに聞いたら、この時「しまった!邪魔が入った!」と咄嗟に思ったというから、「一人で楽しみたかったNさんのこの気持ち、分かるなあ〜」と思わず吹き出しながらも申し訳なく思った)
 そして風呂が沸いてNさんはドラム缶の朝風呂に浸かり、頻りに「いや〜いいなあ〜!」と感激している。自分の子どもにも是非体験させたいと何度も言って、「人生最高の至福の時間だあ〜!」と何とも大げさである。あまり嬉しそうだったので、記念にNさんの入浴シーンを写真に撮ってやった。
 SEさんは小屋に置いてある山道具の刃物類を並べて写真を撮ったり、KOさんは薪割りやホダ木に生えているナメコを採ったりしていると、「メシだから早く山から下りて来い」とSAさんからの携帯電話である。

 雨が降り始めた山道を下ってテントに戻ると、今まで見たこともない豪勢な朝食が待っていた。テントを打つ雨音を聴きながら、ムカゴ飯の焼きおにぎりや温かいナメコと豆腐の味噌汁を啜りながらの賑やかな朝食は、全く楽しいものだった。
 
 朝食後はいよいよTさん達の帰り支度である。そして一段落した午前10時に、皆でドームテントに集まり、お茶と果物でささやかなお別れ会をした。

 Tさん達の帰り道、湯之谷温泉郷の大湯温泉まで案内して一緒に行き、皆で「ホテル湯元」の大浴場に浸かってから、近くの「いろり じねん」で昼食を食べた。ご亭主お得意の野草料理「ほおば焼き定食」とヒラタケやモミジが色良く揚げられた「山の幸天ぷら定食」を皆で分け合って食べ、いよいよ最後のお別れである。
 雨がしょぼ降る店の前の坂を、Nさんの車が降りて行った。その車にいつまでも手を振りながら、遠方より来た友との別れを惜しんだ。皆さん、楽しい2日間、ありがとうございました〜

2009年10月27日(火)雨〜曇り
おやじ山の秋2009(山の恵み)

 一晩中雨が降り続いた。台風20号の影響で時折強い風がテントを揺らして、夜中にテントを這い出て外の道具類をキッチンテントの中に片付けたり、テントロープを強く絞ったり、ペグをしっかり打ち直したりした。

 午前中に雨が止み、赤道の尾根を登っておやじ小屋に向った。たっぷりの雨で道端のあちこちでアミタケが顔を出し、見晴らし広場に行ってみると、雨露で傘が美味しそうにぬめっているジカボウがにょきにょきと出ていた。Tさん達が帰った途端のキノコの大発生で、「全く、Tさん達の置き土産だなあ〜」と何となく申し訳ないような気持ちで一人できのこ採りをした。

 すっかりきのこ採りに夢中になって、小屋に着いたのは正午過ぎである。早速囲炉裏に火を焚いて餅を焼いて食べてから、三ノ峠の峰の千本ブナまで登った。ここからは鋸山が一望できて、山肌が秋の色に染まっていた。
 千本ブナの下で休んでいると、こんな日に珍しく一人の登山者がやってきた。年齢は70代後半だろうか?今朝まで雨が降っていたので遠くの山には出掛けずこの山に登ったのだと言って、もう何度も登っているという鋸山や守門岳のことを話していた。そして、テレビで日光男体山が紅葉の見頃だと報じていたが、今の時期はこの山に登れるだろうか?と私に訊くのである。この好奇心とファイトがこの人の元気の源と見た。

 再び小屋に戻って、午後4時には山を下った。
 夜はぐっと気温が下がった。七輪に炭を熾し、手を炙りながら夕食を摂った。






2009年10月28日(水)曇り
おやじ山の秋2009(おやじ山が「オウド!」)

 朝食前に昨日採ったきのこを実家とHさん宅に届ける。

 10時前、テント前のデッキでジカボウの傘の皮むきをしていたら、ひょっこりKさんがお土産の柿を下げてやってきた。麓の村に住む70過ぎの方で洒落たベストとソフト帽が良く似合っている。
 ジカボウの手を休めて、カミさんが入れてくれたインスタントコーヒーを二人で飲みながら40分ほど話をしたが、昔の山の様子が分かって実に面白かった。以下、Kさんの話しである。

 現在の市営スキー場の辺りは「由原?(ヨシハラ)」と呼んでいた。そしておやじ山の辺りは「横道(オウドウ)」と呼んで(!!・・・おやじが「黄土(オウド)」と呼んでいた場所は三ノ峠山直下の山菜の宝庫で、この場所こそが俺の原風景とも言える懐かしい場所だが、実はおやじ山そのものが「オウド」だったとは!)、よく子どもの頃はこの山で炭焼きの手伝いをさせられた。「横道」にはきのこがいっぱい生えていて、早く炭焼きの手伝いを済ませてキノコを採りたくてしかたがなかった。おやじ小屋の辺りではコウタケ(第一級の食菌!)も採れた。(今はこの山では絶滅種である)
(もう1箇所の山菜宝庫「水穴は?」と尋ねると、そこは昔からやはり「ミズアナ」と呼んでいたと言う)
 炭焼きはコナラの木だけでなくマンサクや他の雑木の何もかも全て伐り倒して焼いた。生木で焼かないと芯が残らなくて固い炭にはならない。古い木は消し炭のようになって上手く仕上がらない。炭焼きの方法は、朝火入れをして夜には土を被せて、1週間後に取りに行って掘り出した。
<いや〜、実に興味深いKさんの話しだった。「おやじ山」が「黄土」そのものだったと知って、何やら運命的な結びつきさえ感じてしまった。>

 11時、おやじ小屋に行く途中で、Sさん夫婦から教えていただいた秘密の場所に入り、ハナイグチを15本ほど採った。そして小屋に入るとダッチオーブンを入れてあるダンボールの箱の中で頻りにゴソゴソと音がしている。今度はヒメネズミがこんな所に巣を作ったようで、可哀想なので今日はそのままにしておいた。
 

2009年10月29日(木)晴れ
おやじ山の秋2009(屋根材の購入)

 今日は絶好の秋晴れだった。朝起きて高台に降りてみると、きのこ採り名人のKさんから教えていただいたオウギタケ(このキノコが食えるとは不覚にも知らなかった。だって色が毒キノコみたいに赤いんだもの)がたくさん出ている。そして向かいのキャンプ場に行ってみると、ちょうど食べ頃の千本シメジも生えていて、あっと言う間に思わぬ収穫である。

 今年の秋のメインエベントはおやじ小屋の屋根の葺き替えだというのに、煙出しを作ったきりでそろそろ11月に入ってしまう。それで俄かに気忙しくなって、M工業に行って軽トラックを借りた。ホームセンターで必要な屋根材を購入して一気におやじ小屋に運び上げる算段である。
 そして買った材料は以下の通りである。
 コンパネ(900×1800):8枚
 シングル屋根材:84枚
 防水シート:100×15m
 シングルセメント:2本
 水切り板:1800×2枚

 軽トラに積んで見晴らし広場に材料を下し、今度はネコ車でおやじ小屋までのピストン運搬である。何といってもシングル屋根材が重いこと重いこと・・・ゼーゼーと息が上がって3往復して何とかおやじ小屋まで運び上げた。
 午後5時、クタクタの身体でテントに辿り着く。




2009年10月30日(金)晴れ
おやじ山の秋2009(屋根の葺き替え工事スタート)

 今年の秋、おやじ山に来た最大の目的は、おやじ小屋の屋根の葺き替え工事である。既に山に来てひと月が経とうとしているのに、考えてみれば(別に考えなくても)煙出し一つ作っただけである。
 
昨日、突然、雷に打たれたようにその重大使命を思い出し、大いに慌てふためいてしまった。それで今朝は食パン1枚を大急ぎで食べて(今更寸陰を惜しんでバタついても、大勢には全く影響しないのだけど)、いつもの赤道の尾根を脱兎の如く駆け登っておやじ小屋に向った。
 尾根の途中に「憩いの広場」という所があるが、見るとそこの地面にドングリが敷き詰められたように落ちていて、ちょっとクラフトの材料にでも、と拾い始めた。そのうち面白くなって、ミズナラやクリやアズキナシの赤い実やヤブコウジなどの秋の実を集め出して、小屋に着くのがすっかり遅くなってしまった。

 「やれやれ、遅れてしまったなあ〜」と、着いたら直ぐ葺き替え工事に取り掛かればいいものを、「ちょっとその前に・・・」と拾ったドングリを杉林の空き地に撒くことにした。(例の癖で、本命前の寄り道で、昔、机に向って勉強する前に長々とやっていたいわゆる「鉛筆削り」である)

 そしてまた「やれやれ・・・」と己が性癖を呪いながら、ようやく本命の仕事に取り掛かった。先ずコンパネ8枚を屋根に運び上げ、これを足場にして釘抜きでトタン屋根を剥がし始めた。
 12時に全てのトタンを外し終わり、一度屋根を降りて囲炉裏で餅を焼いて昼食を摂った。

 腹に力(リキ)が入ったので、午後は猛然とダッシュした。コンパネを並べ敷いて壁板との隙間にモルタルを煉って詰めたり、グラスウールの断熱材をホチキス止めしたり、午後4時にはコンパネの釘止め前までの作業を完遂させた。
 それでも後片付けをして山を下ったのは、殆ど暗くなった午後5時過ぎだった。

2009年10月31日(土)晴れ
おやじ山の秋2009(ボンちゃんの来訪)

 6時前に起きてテントを出ると、何とも幻想的な深い霧の朝である。
 今日は実家にいる姪のボンちゃんが、お友達と一緒におやじ山
を訪ねて来てくれる日である。全くボンちゃんの来訪は何年ぶりだろう?お友達はキノコ採りが大好きで、それに私のこのホームページも覗いたことがあるらしく、おやじ小屋にも是非行ってみたいという。大歓迎である。

 9時、ボンちゃんとお友達のSさんがテント場にやって来た。最初はどこにテントを張っているのか分からずキャンプ場の上まで探しに行って携帯電話が鳴った。二人が坂を下りて来るのを見つけて大声で「ここ、ここ!」と呼ぶと、「な〜んだ、おじさん達ここでテント生活やってるんだ」とニコニコと珍しそうに周りを見回している。
 そして早速みんなで赤道を登りながらキノコ採りをした。さすがSさんはキノコ採りに慣れている様子でアミタケやジカボウ、それにオウギタケなども目ざとく見つけて収穫していた。
 おやじ小屋に着いて、二人に小屋の中を見せてから、ホダ木に出ているナメコとシイタケをおみやげに採ってもらった。私はその間に屋根に登ってコンパネの釘打ちを済ませ、雨に備えてブルーシートですっぽり屋根を覆った。
 山を下ってテント場に戻り、ボンちゃんが家で握って持ってきてくれた新米のおにぎりとキノコ汁で昼食である。食事が済んでSさんの姿が消えたと思ったら、何とシモフリシメジとニセアブラシメジ(クリフウセンタケ)を見つけて採ってきた。Sさんは実にキノコを良く知っていて感心してしまった。

 しばらくして二人を下の駐車場で見送ってから、今度は焚き火好きの常連、柏崎のWさんがテント場にやってきた。「この前はご馳走になりました」と手土産に持ってこられたのは、先の中越沖地震で被災した柏崎の名蔵元「原酒造」の特別本醸造「銀の翼」である。
 冬の期間の焚き木が欲しいというWさんに、今日は取りあえずおやじ小屋まで案内することにした。再びWさんと一緒におやじ小屋に行き、囲炉裏を見せたり外の焚き木場を見せたりした。焚き火大好き人間のWさんは、囲炉裏を見ては「いや〜シビレました!」と目を丸くし、外の焚き火場を見てはまた「・・・!シビレました!」と言い、薪小屋に積んだ薪を見ては、やっぱり「いや〜、シビレますねえ」と呻いて、全く良くシビレる人である。

 そして夜は、やっぱりキッチンテントの中でWさんと「銀の翼」を酌み交わして、俺もすっかりシビレてしまった。