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2008年5月1日(木)晴れ(フェーン現象)
おやじ山の春2008(息子家族来る)

 木工房のNさんは70歳を過ぎているが、現役の仕事の他に老人会の役員やら町内会の世話役やら地域のボランティア活動やらで超多忙人である。それで今日も午前中からいくつかスケジュールが入っているので朝5時半(!)にスギの背板30枚を運んで来るという。まあ、こちらもテント生活では野鳥の鳴き声で5時前には目が覚めてしまうので朝早くても別に苦にはならない。
 きっちり時間通りに下の駐車場で「プ・プー」と軽トラックのフォーンが鳴ってNさんが来た。朝の挨拶もそこそこに助手席に飛び乗ってそのまま見晴らし広場まで行き、二人で荷台から背板を下ろした。ものの15分程の作業である。それからテント場に戻ってNさんとお茶を飲みながら四方山話しをしたが、とてもためになる話しをいくつか聞いた。
その1.おやじ小屋のドア(戸板)の蝶番は皮ベルトかタイヤを切ってトタン用の傘の広い釘で止めて作る。ドアを開けると自然に戻って戸が閉まる。(後日、皮ベルトもタイヤも無かったので工事用の耐震ゴムを応用して蝶番を作った。バッチリだった)
(今日は息子夫婦が孫を連れて山に遊びに来ると話したら)
その2.畑の風除けに使う防風ネットと丸太2本で簡単にハンモックが作れる。子どもは勿論、大人も乗って喜ぶ。(その通りだった。今回いろんな人達が山に来てくれたが大人が乗って面白がっていた)さらにタイヤとロープで大きなブランコを作って遊ぶ。(これはまだ作っていない)
(まだいろいろあったがきりが無いので省略します)
 午前7時から(朝食抜きで)見晴らし広場まで上げた背板を一輪車でおやじ小屋へ運んだ。途中、山道でマムシがいるは(見た途端「ギャー!」と叫んで体が固まってしまった)一輪車のタイヤの空気が抜けてしまうわで大変だったが、6往復して全て小屋に運んだ。
 12時に下山すると息子家族が着いていた。午前3時に藤沢市の自宅を出て夜中じゅう車を走らせて午前10時前にはキャンプ場に着いたという。昨年に続いて2度目の来訪になる孫の承太郎も大声を上げながら元気にキャンプ場を走り回っている。
「眠くないか?」と息子達に聞くと「ゼ〜ン然」とこちらも元気である。
 午後2時過ぎに再びNさんの工場に行った。朝お茶を飲みながらの四方山話で、ちょっとした悩みをNさんに話したら「丸太か角材を使ってでやったら」と一発で名回答をくれた。「そんな所に使う角材ならウチにいっぱいあるよ」とも言ってくれた。それでその角材を貰いに行ったのである。全くNさんと話していると目からウロコの数々で「凄いなあ〜」と感心してしまう。同時にまた柱材や板材を貰い、それからNさんが防風ネットで作ったハンモックまで頂戴してきた。
 キャンプ場に帰って早速ハンモックをテント脇のアカマツとコナラの木に吊った。それからまた角材を見晴らし広場まで運び上げて今日の労働を終えた。今日はフェーン現象の暑い日でビッショリと汗をかいた。誠に忙しい一日で夜はみんなで麻生の湯に入りに行った。

2008年5月2日(金)晴れ
おやじ山の春2008(息子達との小屋づくり)

 4時20分起床、テントを出ていつものように高台に行って長岡の街を望む。東山の峰がようやく明らみ出して周りの風景も眠りから覚めようとしている。昨日花開いたばかりの高台のミヤマガマズミが、乳白色の朝の薄闇の中で白く霞んで見える。
 今日は再び鋸山に登ってみることにした。明日と明後日から神奈川の森林インストラクターの皆さんが訪ねて来てくれるが、例年になく春が先に進んで(およそ20日は季節が進んでいる)折角のスプリングエフェメラルの花々がおやじ山では既に終わってしまっていた。それで鋸山にご案内したらどうだろうかと思ったからである。今咲いている花々を再度確認しながらおおよその所要時間もチェックしておこうとの考えである。
 6時半過ぎに登山口に車を置いて歩き始める。車道脇ではシャガが目についたが、歩き出してからは、オオタチツボスミレ、ツボスミレ、オオバキスミレ、ニリンソウ、ホクリクネコノメソウ、ミズバショウ、キクザキイチリンソウ、エンレイソウ、カタクリ、トキワイカリソウ、ショウジョウバカマ、スミレサイシン、エゾエンゴサク、オクチョウジザクラ、ウゴツクバネウツギ、ユキツバキなどが花立峠までの登山道で見られ、そこから鋸山頂までのブナ林ではイワウチワやタムシバ、ナガハシスミレなどが咲いていた。春の女神ギフチョウもヒラヒラと足元に舞ってきて早春の里の風情が残っている。誰も居ない鋸山頂から朝の長岡の街並みをしばらく眺めてから山を下った。下山途中二組の登山パーティーに出会って「ヘェ〜たまげた!もう下りる人がいるてぇ」と驚かれながら午前9時に車に戻った。
 昼からは息子家族とおやじ小屋に行った。先ずは私と息子で見晴らし広場に置いていた木材を一輪車で小屋まで運ぶ。息子は「俺いま筋トレやっているから俺一人でいいよ」と言うので私は1回目は息子の後を手ぶらでついて行き、2回目からは息子にすっかり任せて小屋の修理に取りかかった。カミさんは息子の嫁さんと承太郎を連れて谷川に下りてミズ採りである。そして「承太郎も一人でミズを採った。よく覚えたねえ」と感心してみせていた。
 息子は木材運びを終わってから山菜袋を持ってカミさんと二人で谷向こうの山に入り、私は小屋修理を続けていたが、4歳の孫はトンカチを持って背板張りを手伝いたくて仕方がないのである。ぶかぶかに軍手をはめて、それでも3寸釘を持ってトントンやっている。息子の嫁は頻りに「あっ危ない!邪魔になるから止めなさい!」と声を上げていたが私は、「いいよ、いいよ。好きなようにやらせておけ」と放っておいた。
 そして、今日もドラム缶風呂を炊いた。風呂好きの承太郎はここでもさっさと一人で服を脱いで、息子と二人でニコニコと湯に浸っていた。
 午後6時に下山。夕食はテントの中で焼きウドンである。
 






2008年5月3日(土)晴れ
おやじ山の春2008(Tさんの来訪)
 明日おやじ山に集合する森林インストラクター神奈川会の先発で、今日Tさんが新幹線でやって来る。森林インストラクターの皆さんにおやじ山のツアーを呼びかけたのはTさんで、彼女の郷里も、実は長岡である。Tさんは私のこのホームページを見て、昔懐かしいふるさとの山を数十年ぶりに訪ねてみたくなったのだと言った。私にとっては本当にありがたいことで、まさに大歓迎である。
 度々森林インストラクター仲間の自然観察会でご一緒していたTさんが同郷であると知ったのは全くの偶然だった。ある時Tさんが「エ〜ッ!実は私も長岡出身です!」と私がある時の観察会欠席の理由を「郷里長岡の持ち山の手入れで・・・」とメールか何かで送ったのを見て、打ち明けたのである。私も「エエ〜ッッ!」とビックリ仰天してしまった。後で聞くと私の実家とは信濃川を挟んで目と鼻の先で、「銘酒朝日山」や「久保田万寿・千寿」などで名高い朝日酒造のすぐ近くに住んでいたという。どうりで数年前の神奈川会総会の打ち上げで偶然隣り合わせてお酒をご馳走になり、女性ながらグイグイいける呑みっぷりに「このお方の出自はいったいどちらの・・・」と密かに感服したが、大きな蔵元の軒先で幼少の頃から酒精を嗅ぎながら育ったことが分かってスッキリ謎が解けた。
 Tさんは長岡着9時28分「とき307号」で大きなリュックを背負って改札口を出てきた。今日は私達と一緒に山でキャンプである。早速テント場に案内して改めてカミさんや息子家族を紹介した。
 Tさんが自分のテントを張り終えたのを見計らっておやじ山に案内した。瞑想の池から「オオド沢」に入って少し歩き、それから見晴らし広場まで登っておやじ小屋まで案内した。さすがTさんである、もうメモ帳を開いて途中で目にした植物を丹念に書きとめていた。
 午後2時過ぎに今度は娘が新幹線でやってきた。わが娘も毎年春にはおやじ山に遊びに来る。家族全員が揃い明日はお客様も増えるので、明日の昼は「おこわご飯」を作って食べていただく算段でカミさんは私の実家の台所を使いに行くという。私も一緒について行くことにして、Tさんにはキャンプ場で今夜の夕飯作りの総指揮を頼んだ。
 実家から戻ると指揮官よろしきを得て豪華な夕餉の支度が出来上っていた。Tさん手作りのウドのキンピラ、息子のミズタタキ、嫁のA子の山菜天ぷら、それにTさん持参の差し入れの品々で全く豪華な夕食となった。楽しく賑やかな晩餐の後は、また皆で近くの温泉「麻生の湯」に行った。今夜は満天の星空である。
 
2008年5月4日(日)晴れ
おやじ山の春2008(おやじ山から山古志へ)

 4時40分に起きてテントを出る。キリッとした朝の空気だが、ラジオの天気予報では今日の最高気温は31度まで上って真夏日になると言う。全くおやじ山の春がどんどん進んで気が気ではない。
 今日は新潟から次兄も車で駆けつけて、遥々神奈川県から来る森林インストラクターの皆さんをお迎えする日である。
 昨日のTさんと同じ新幹線で着くというので、Tさんと一緒に長岡駅に出迎え
に行った。次兄もその時間には構内で待っているという。列車が着いて、ニコニコと笑みを浮かべながらも何やらのオーラを秘めた面々が一人、また一人と改札口を出てきた。Tさんはその度に高く手を振って招きながら一人ひとりと挨拶を交わしている。今回のメンバーは、SEさん、女性のNさん、SAさん、男性のNさん、そして男性のTさんと迎えに出た女性のTさんの合計6名である。
「今日は真夏日だそうです。春の山がもう夏の感じです」「そうですか」「雪国ならではの春先の草花をお見せしたかったのですが・・・」「やっぱり地球温暖化の影響でしょうか」などと駅のコンコースをSEさんと話しながら次兄の待っている駐車場に行く。ここで次兄の紹介と皆さんからの自己紹介があって早速車2台に分乗してキャンプ場に向った。
 キャンプ場に着いて先ずは関一家を紹介する。(息子は居なくて既に一人でワラビ採りに出かけていた)ここでも家族に向けての皆さんからの丁寧な自己紹介があって、早速次兄と一緒におやじ山に案内することにした。
 山道はギラギラ太陽が照りつけてまるで夏の日の自然観察会のようである。山肌もここ数日ですっかり緑が濃くなりつい先日まで咲き残っていたカタクリやキクザキイチゲも消えてしまっている。期待していた雪国の植物が見られなくて皆さんガッカリされるのではないかと内心ヒヤヒヤしながらの案内である。幸い瞑想の池周りにはオオバキスミレの群生やヒロハテンナンショウがあり、見晴らし広場からおやじ小屋までの道筋にはチゴユリの群落やトキワイカリソウ、シュンランなどが見られていささか胸を撫で下ろした。
 3年前の新潟県中越地震で壊れてから今だ修理途中のおやじ小屋に恥ずかしながらご案内し、(後日の日記に名誉挽回のためスギ背板を張って修理した小屋の写真を載せます。どうか見て下さい)小屋脇のおやじ池に産みつけられたクロサンショウウオの卵なども見てもらった。そして帰り道はおこわ飯を盛る食器代わりのホオ葉を摘みながら山を下った。
 キャンプ場に戻ったのは午後1時半、テントサイトに大きなブルーシートを敷いてその上での遅い昼食である。家族が昨日作ったおこわご飯と山菜料理を用意してくれて賑やかな昼の宴会となった。
 昼食が済んでから家族も一緒に旧、山古志村に出かけた。山古志は美しい棚田の山村だったが中越地震で全村避難する大打撃を受けた。そして今、復旧も進んで住民は村に帰り棚田も戻りつつある。そんな姿を神奈川から来た皆さんに見て貰いたいと思ったからである。車の中でSEさんが携帯電話で山古志のVIPと話している。「これから山古志に向うが残念ながらそちらにはお寄りできない。ここまで来たので・・・」とあまたの人脈を持つSEさんらしい律儀で礼を尽くした電話内容を漏れ聞いてしまった。まだ水に浸かっている山古志竹沢地区の災害現場からブナ林の中にある闘牛場の牛を見て、道路脇に車を停めてみんなで夕陽に染まった棚田を見下ろした。
 そして午後5時過ぎ、森林インストラクターの皆さんを宿泊先の悠久山湯元館までお送りしてキャンプ場に帰った。















2008年5月5日(月)曇〜夜雨
おやじ山の春2008(喜びと、そして寂しさと)

 今日の夜、娘と息子家族が藤沢の自宅に帰るというので、午前4時に起きて息子と二人で栖吉川に釣に行った。ここでの川釣は息子のかねてからの希望だった。息子と二人で最後に釣りに行ったのはもう遥か昔の出来事である。
 キャンプ場から車で下るとすぐ栖吉川の橋がある。目指す釣り場は鋸登山口に近いもっと上流だが、ここで餌の川虫を捕ることにした。二人で川に入り川床の石を浮かせながら川虫を探すが小虫ばかりで埒があかない。「牧場に行ってミミズを掘ろう」と息子に言って、今度は市営牧場の堆肥場に行った。棒で堆肥を掘り返しながら何匹か確保していよいよ目指す釣り場に向った。
 「水穴」へ入る沢口の橋から河原に下り、早速息子は竿を出して小さな滝壷やトロ場を探っている。私は瀬に入って川虫探しである。一発でイワナが喰いつきそうなトビゲラを捕まえて息子に渡したが、今年の魚はついに姿を見せてはくれなかった。「残念だったなあ」と私。「でも面白かった。今度来た時には釣ってみせる」と息子は笑いながら力んでみせた。
 時計を見ると予想外に時間が経っている。急いでキャンプ場に戻り、今度は息子の車と2台で森林インストラクターの皆さんが泊まっている悠久山湯元館に向った。男性のTさんはこれから谷川岳に行って後日開催予定の雪上訓練場所の下見だという。息子にはTさんを長岡駅までお送りさせて私は他の皆さんを鋸山へ案内する予定である。
 鋸山登山口に8時半に車をつけて早速草花を観察しながらの山歩きである。時間はたっぷりあるし午前中いっぱいは天気も持ちそうである。「まあ、こんなペースで」と皆さんの植物観察や写真撮影の時間を考慮しながらゆっくり先頭を歩いたが、しばらく経って振り返ると「なっなっ何と!」誰もついて来ていない。皆さんは登山道の遥か下に固まって熱心に1つ1つの植物を吟味している様子である。しばらく待って合流し、さらに遅いペースで先頭を歩く。そして再び振り返ると「??・・・!」集団は豆粒ほどである。
 登山道の途中でSEさんがしゃがみ込んで苦笑いしているので「どうしました?」と近寄ってみると、何とSEさんの靴の底がパックリ口を開けている。何とも可笑しかったが気の毒で声を出して笑うわけにも行かない。「よりによってこんな所でねえ〜」と仲間の皆さんも集まって来て顔だけは困惑げな表情である。「取敢えずは紐か何かで縛ったら?」と差し出された紐で縛りあげてSEさんの靴騒動が落着した。
 登るにつれて何種もの雪国の花々が出迎えてくれたのは、私にとっても嬉しい限りだった。雪が消えたばかりの花立峠のすぐ下の斜面ではカタクリの花が一面に咲き誇って、この花園の中で記念撮影もした。祠のある花立峠の広場に着いて、眼下に広がる長岡の街を望みながら休憩した。そしてここでも全員で記念撮影をして再びゆっくりと山を下った。女性のNさんからはいろいろなスミレの細かな説明を聞き、SAさんとSEさんからは下山途中の沢向こうの断層についての解説をしていただいた。こんなスローペースの登山は生まれて初めての経験だったが、こんな楽しかった登山もおそらく生まれて初めてである。
 12時にキャンプ場に帰り、再びブルーシートを広げての「お昼」である。今日も家族みんなでみそ汁や山菜料理を作ってくれたようである。新潟の次兄もキャンプ場に着いて、自分が山歩きで撮ったパネル写真を見せながら昼の宴会を盛り上げてくれた。孫の承太郎は大声で「ミズ採ったの!ミズ採ったの!」と覚えたばかりの山菜を鷲掴んで皆に自慢したくて仕方がない風だった。
 愉快だったのは今まで山菜など食べなかったというNさんが、メモ帳を取り出して山菜料理の1品1品を口に運んではペンを走らせ、そしてついには「シドケ」(モミジガサ)のオヒタシを手に取ってやおら開きながら元のモミジ葉形状をまじまじと確認したことである。「さすがNさんだなあ〜!」とあっけに取られた仲間をしり目に「この(キド)味はお酒呑みに合いますわねえ」とズバリ論評して頷いていた。そして私にとっては、Nさんがこのおやじ山で山菜好きになってくれたことがとても嬉しかったのである。 
 ポツポツと雨が降ってきた。本降りになる前に再びおやじ山に行って山菜採りをすることにしたが、残念ながら今日帰ってしまうSAさんと男性のNさんには
もうしばらく銘酒「お福」をテントの中で楽しんでもらうことにした。
 山菜場所の先導役は次兄である。そしてSEさん、Nさん、Tさんらを案内して谷向こうの「山菜の斜面」に入った。今日が最後のおやじ山である息子もついて来て、一人で谷川に下りて自分の好物のミズを採っていた。雨が心配で先におやじ小屋に戻って待っていると皆さんが帰って来た。Tさんなどは最近目にしたことが無いような立派なウドを掘り採ってニコニコ顔である。Nさんも「珍しい経験をしました」と喜んでくれて嬉しかった。そして雨が降る午後5時前にはテントに戻った。
 湯元館に皆さんをお送りしたのを見届けるように雨になった。そして娘と息子家族との最後の夜を、再び「麻生の湯」に浸かり、それから宮内の回転寿司に入って食事をした。店を出るとザーザーの雨である。走って店の駐車場に停めてあるそれぞれの車に乗り込む。新幹線で来た娘も息子の車に乗って一緒の帰宅である。
 息子が運転席の窓を開けて「お父さん、お母さんありがとう。楽しかった。お世話になりました」と雨に顔をしかめながら言った。こちらも窓を開けて「うん良かった。気をつけて帰りなさい」と言葉を返し息子たちの車を見送った。何とも寂しくて思わず涙が出てしまった。
 暗い雨のテントに戻って谷川岳に行ったTさんから頂いたワインを開けた。激しくテントを打つ雨の音に混じって別れたばかりの承太郎の元気な声が聞こえてきたように思った。

「おやじ山の植物図鑑」に<鋸山賛花>をアップしました。鋸山の花々をお楽しみ下さい。
 

2008年5月6日(火)晴れ
おやじ山の春2008(松之山美人林逍遥記)

 予定の午前8時半にカミさんと一緒に悠久山湯元館に泊っているSEさん、Nさん、Tさんの3人を迎えに行く。昨夜の雨もすっきりと上って晴天の朝である。新潟から来た次兄も既に着いていて、ここから皆で十日町市松之山町にあるブナの森「美人林」を見に行くことになっていた。次兄は何度も松之山を訪ねたことがあり、今回の案内役をお願いした。
 宿泊の3人が宿のご夫婦とお手伝いのお孫さん等に見送られながらニコニコと玄関から出てきた。「おはようございます!」と元気に挨拶を交わして、早速次兄と私の車2台を連ねて松之山へと向った。
 信濃川沿いの国道117号線をひた走って国道353号線に折れると山肌の緑が浅くもやって今だ早春の気配である。この辺りはまさに越後の豪雪地帯で半年近くは雪が残っている。おやじ山の春が随分先に進んでいるだけに運転しながら山菜が出そうな斜面に思わず目が行ってしまう。「関さん、山菜の匂いがしますか?」とSEさん。「はい、匂います。この辺はどっさり山菜が採れる筈です」と私。そしていよいよ350号線に入ってまだ除雪の雪が残る「美人林」の駐車場に着いた。
 美人林の入口で美女達と一緒に記念撮影をしてブナの森に入った。春の日差しを柔らかく透き通らせて木漏れ陽の中でそよぐ若葉の緑と、スラリと天に伸びて林立するブナの白い木肌のコントラストが誠に見事で、皆感嘆の声をあげながらふかふかの落ち葉の絨毯を歩き回った。
 残雪の山で芽吹き始めたばかりのブナの幹に耳をつけると「ゴーゴー」と水を吸い上げる音が聞こえるという。既にその時期は過ぎていたが1本の木に耳をつけてみた。音は?全く聞こえない。ちょうど歩いて来たNさんを呼び止めて「Nさん、耳つけてごらん。・・・ね?聞こえるでしょう」と冗談にちょっとからかってみた。Nさんは耳をつけたままじっと神経を澄ましている。それを見たSEさんが幹の反対側に回り靴を脱いでパンパンと幹を叩く真似をした。全くSEさんのひょうきんさには大笑いしたが、「ああ、成〜る程!」と昨日鋸山で靴底が破れてしまったSEさんの多様な靴利用法を発見して合点(ガッテン)ができた。
 美人林の散歩を終えて、すぐ近くにある「森の学校」(十日町市立里山科学館)にも入ってみた。見学はしなかったが館内では「志賀夘助追悼展」の開催中で、渋谷で「志賀昆虫普及社」を設立し日本の昆虫採集の父と言われて昨年104歳で亡くなった氏が集めた蝶の標本を展示していた。志賀氏が松之山町の出身者であり十日町市の名誉市民だったとは、不覚にも知らなかった。ずっと昔、息子がまだ小学校に通っていた頃、東京から富山に転勤で移り住んで自然豊かな北陸の地で息子に昆虫採集の楽しさを教えようと、上京の折に志賀昆虫普及社に足を運んで捕虫網や展翅板などを買い求めたことがあった。この時店頭に立っていたのは志賀夘助さんであり、2年前、今度は私が自然観察会で使うレンズ蓋のついた小さな捕虫ビンをここで買った時も、志賀さんは店先でニコニコと客対応をしていた。
 国道沿いの「道の駅」の食堂で昼食を摂ってから、一路353号線を走って3人が新幹線に乗る越後湯沢駅へと向った。途中の峠からは真っ白に雪を被った上越の連山が美しく輝いて見えた。午後2時半、越後湯沢駅に着く。そしていよいよお別れである。3人からは先に帰られた皆さんからの気持ちも含めてと立派なおみやげまで頂戴して全く恐縮してしまった。こちらこそ本当に楽しい数日間を過ごさせて貰ったからである。
 次兄とも車の警笛を小さく鳴らし合ってここで別れた。そして午後の陽に眩しく光る上越の山並みを見ながら国道17号線を下ってテントに戻った。
 夜、携帯電話のメールに、15時の越後湯沢始発の新幹線に全員座れた旨とご丁寧なお礼の言葉が送られてきた。素晴らしい人達と家族全員がお会いできたことを心から喜んでいる。

2008年5月7日(水)晴れ
おやじ山の春2008(黄土と水穴)

 今日も好天の1日だった。麓では日中の気温が22度まで上ったという。
 朝6時、朝食をリュックに詰めて「黄土」に向った。考えてみるとおやじ山に来てから何と最初の黄土行きである。おやじ山に来て既に2週間になるが、黄土に来るのを敢えて延ばしていた感もある。自分にとって大事なものを温めながらとっておいたような気持ちかも知れないし、只単純にバタバタと時間を過ごし来ることができなかっただけなのかも知れない。
 市営牧場を通って三ノ峠山へ向う赤道コースの入口まで車で行って、そこからの山道歩きである。何十回と通い慣れた道なのに余程気が急いていたのか、登山道から黄土に下る場所を通り過ぎてしまった。引き返してカミさんから黄土への入口を教えられる始末で全く面目もない。
 ここはずっと昔、私がまだガキの頃におやじとお袋に連れられて何度も何度も来た山菜の宝庫である。そしてリュックいっぱいの山菜を採り終えるとこの斜面に腰を下ろし、眼下に拡がる長岡の町を見ながら
おにぎりを頬張ったものである。
 黄土の斜面を下りながらポツリポツリ出ているワラビを採って「オオド沢」を跨ぎ、今度は伸びたコゴミ畑の中を探しながら高台まで登る。ワラビの時期がまだ早いのか遅いのか、何とも期待外れの収穫である。カミさんは例によって、親の仇とばかりに夢中になってワラビ採りを続けていたが、私はリュックを置いて高台に腰を下ろした。そして「今年もまた来たよ」とおやじとお袋に挨拶した。ウグイスの鳴き声が今年も黄土にこだまして澄んだ青空に響き渡っていた。
 山菜の収量も少ないし時間もまだ早いので三ノ峠の頂上を越えて「水穴」まで足を伸ばすことにした。この場所も山菜の宝庫で、奥山だけに山菜採りのプロ以外は人も入らない場所である。途中の山道からは長岡の街並みが見え、そんな風景写真を撮りながら水穴へ向った。
 やはり例年よりは春の季節がずっと進んでいて、水穴のコゴミ畑は猛々しいほどに茂っている。いつもはこのコゴミを丹念に掻き分け探しながら、中に生えている太くて柔らかい良質のワラビを摘み採るのだが、あまりの茂みに早々に切り上げた。カミさんは、相変わらず「親の仇」とばかりの奮闘ぶりである。ここからは2日前、神奈川から訪ねてきてくれた森林インストラクターの皆さんと一緒に登った花立峠と鋸山が真正面に見える。「楽しかったなあ〜」とまた思い出してしまった。
 暑い日差しにたっぷり汗をかいて下山し、そのまま宮内のA食堂に車を走らせて生ビールとラーメンの昼食を摂った。そしてテント場に戻って早速山菜の仕分けとワラビの灰汁だしをする。こうして山菜をゴザに広げてみるといかに欲目とはいえ随分採ったものである。(脱帽!)
 (A食堂からの帰り、テント場に上る階段脇のコシノカンアオイにギフチョウがとまって卵を産んでいた。飛び去ってからそっと葉を裏返して見ると、まるで真珠の輝きである)

2008年5月8日(木)曇〜雨
おやじ山の春2008(下界の夜)

 一転してぶるぶると寒い朝だった。今日の天気予報は昼過ぎから雨である。そして夜は長岡の街に下りて、伊豆から来るK夫婦と一緒に食事をする予定である。それに木工作ではプロ級の腕を持つご主人のKさんが伊豆の自宅工房で作ってくれたおやじ小屋のサッシ窓の木枠を持って来てくれる日である。少し時間が遅くなりそうだが東京からFさんも新幹線でやって来る。
 せっかくのKさんのご好意におやじ小屋の修理がさっぱりではと、朝の早い時間にカミさんと二人でおやじ小屋に行った。途中でここ自然観察林の常連である女性バードウォチャーに出会って「ノジコ」の美声を教えてもらった。小屋に着いて、私はサッシ窓を取り付ける柱にせっせとスギ背板を張り付け(実は後で、窓の木枠をしっかり合わせてから背板張りをやるべきだったと反省したのだが)、山菜採りをしたくてうずうずしているカミさんを何とか拝み倒して、先日運んだスギ背板の皮むきをやってもらった。(この実績が功を奏して今後カミさんは皮むき専門要員となった)
 ポツリポツリと雨が降って来て午後3時に山を下った。そして文明人が住む街に出るのに汗臭い山男(と女)の格好では、と麻生の湯に浸かってからKさんとの待合わせ場所に向った。Kさんが車で運んで来てくれた窓枠はまさに山小屋にはもったいないしろ物である。雨が長く当たっても腐らないようにと4辺とも上質の赤味の材を使って仕上げてあった。有難く受取って私の車に積み替え、昨年もご夫婦にご馳走になったお店に行った。ここは地元の同級生O君馴染みの店で、Kさんと差しつ差されつ地酒を味わっていると連絡を受けたO夫婦がやって来た。酒店も営んでいるO君は酒がめっぽう強い上に既に出来上がっている私とはハンデキャップがある。O君が次から次と矢継ぎ早に頼んでは空にした銚子は20本は下らなかった(と翌朝カミさんが教えてくれた)。仕事を済ませて東京から駆けつけたFさんも加わって更に座が盛り上り、実に楽しく賑やかな宴会となった。久々に味わう下界の夜の刺激に山の初心さもすっかり擦り切れて鼻息荒く舞い上がってしまった。
 よく無事に(翌朝脛のアザを見つけたけど・・・)暗いテント場に戻ったものである。
 

2008年5月9日(金)晴れ
おやじ山の春2008(形状記憶)

 昨日の雨が上った! 今日はKさん夫婦とFさんが山菜採りに来る日だが、いつも「晴れ女」のkさんの威力をまざまざと感じてしまう。
 8時過ぎに車が下の駐車場に着いて3人がテント場に上って来た。今回も朝早くO君が握ったという「お昼」のおにぎりを袋いっぱい持って来てくれた。(O君は地元で「こだわりおにぎり屋」もやっている)
そして昼前にはテント場に戻ることにしてみんなでおやじ小屋に向かった。
 小屋に着いて早速ご主人に作っていただいたサッシ窓の取り付け木枠を新しく立てた2本の柱の間に当てはめてみる。合わない!木枠はサッシ窓にはドンピシャなのに柱の間隔が狭すぎたのである。今日Kさん達が山にいる間に「ほら!立派な小屋の窓が出来たよ!」と自慢しながらお披露目するのを楽しみにしていたが、世の中そうそう思うように行かないものである。(後日、Kさんのアドバイスに従って柱の手直しをし、立派な窓が完成した)
 カミさんの提案で尾根伝いに登った沢の上流部の山菜場所(通称「次兄の穴場」)まで行くことにした。でも急な藪の山道歩きでKさんやFさんは大丈夫だろうか?途中でご主人がFさん用に鉈で木の枝を伐って杖を作ってやったりしながら20分ほどで「穴場」に着いた。
 成るほどカミさんの目論み通り太いワラビやウド、立派なミズやヤマブキなども斜面の至る所に生えている。雨上がりの露に濡れながらの奮闘も終わって10時半頃おやじ小屋に戻った。そして3人が持って来てくれたクッキーや夏みかんを食べながら、採りたての山菜をデッキの上に拡げての賑やかな仕分け作業となった。
 12時にテントに戻ると炊事場はキャンプに来た地元の中学生達でテンヤワンヤの賑わいである。どうやら各班に別れてのトン汁作りのようである。(後で私達のテントまで「これ食べてくれませんか?」とトン汁を持って来てくれた班があった。私達のおにぎりが山ほどあったがさすが元教師のKさんである。「いいよ。ありがとう」とこちらの鍋に移して「これ、切り方が大きいから煮えなくてあなたの班遅くなったでしょう」などと的確な評価をしていた)
 ブルーシートの上での昼食後、KさんFさんもやはり傍に吊ってある防風ネットのハンモックが気になるらしい。ご主人が山から帰って来て早速乗って気持ち良さそうに揺れていたのを目にしていたせいかも知れない。そしてハンモックから女性3人の大きな笑い声が聞こえてきた。何やら「形状記憶・・・云々」という昔懐かしい言葉が耳に届いて思わず吹き出してしまった。きっと立派な体格のKさんが「私でも大丈夫かしら?」などとハンモックに乗って、いざ下りてみたら防風ネットにすっかり体型が残ってしまったのだろう。防風ネットが形状記憶素材だったとは知らなかったなあ〜。果たして拡がった網の目は元に戻るのだろうか?
 午後3時過ぎにK夫婦が伊豆に帰って行った。そして残った3人で川口温泉まで車を走らせ、汗を流しての帰り、長岡駅でFさんを見送った。
 夕方から気温がどんどん下がった。しかしこれが本来の今頃の春の気候である。
 午後8時半、「無事伊豆に着きました」とKさんからのメールが届いた。一体時速何キロで走ったのだろう?

2008年5月10日(土)曇
おやじ山の春2008(二人のプロの嘆き)

 一気に冷えた。(最高気温12度) 朝はぶるぶると寒さで体が震えたほどである。ラジオは雪が降った地方もあると報じている。このように短期間で真夏日と雪が降るほどの寒さがあるなどの気象の大幅なブレこそ地球温暖化の確たる証拠だと睨んでいる。
 いつものように山菜リュックに昼食用のインスタントラーメン1袋とTさん達から頂いたドリップコーヒーを入れておやじ小屋へ仕事に向う。キャンプ場から見晴らし広場までの尾根道はヤマツツジが満開で、そこからおやじ小屋への道筋はタニウツギが枝いっぱいに咲き誇っている。ブナ平との分れ道で「ピョピ・ピョ〜ピピ!」と野鳥の高い笛の鳴き声が聞こえて「はて?何の鳥か・・・?」と立ち止まって聞いていたが判別できなかった。オオルリの声も聞こえてきて、これは判別できた。
 小屋に着いて早速窓枠を取り付けるための手直しに掛かる。池側の背板をハンマーとバールで叩き外してサッシ窓を取り付けるために立てた柱を3cmほどホゾ穴を切り直して移動した。「よし!これで上手くいく」と目算が立ったところでインスタントラーメンを沸かして昼食タイム。食べながらもこれからの作業が気になって何回も振り返って作業途中の小屋に目をやった。(どうやらこの作業途中でもどっしりと腰を落ち着けて休憩が取れるか取れないかが玄人と素人の違いだなあ、と悟り始めた)
 (それで素人なもので)まだ胃のなかでラーメンが泳いでいる感じのうちに腰を上げて、午後の作業に入った。果たして出来上がりが嬉しいのか不安なためか、何やら判然としない精神状態のままやたら気が急くのである。そしてKさんに作っていただいた窓の木枠を柱に打ちつけ、そこにアルミサッシの窓枠を木ネジで止めた。最後にガラス窓を嵌めて、バッチリ完成した!
 昼の休憩中に山菜プロのAさんが一声かけて山に入って行ったが、ちょうど戻って来た。「さっぱりダメだあ〜」とぼやきながら「いっつも太っといワラビがあるとこだっけがなあ?」と首を捻っている。Aさんが入った場所を聞くと、何と昨日Kさん達と行った「次兄の穴場」である。そこへ今度は2人目の山菜プロのMさんが峰を下りてきた。「カンカン音がするっけオメ(お前)さんが居ると思って来たて」と言ってから「今日は採れんかったなあ〜」とMさんも浮かぬ顔つきである。聞けばやっぱり「次兄の穴場」に行ったという。いや〜助かった。このプロ連中に先に入られていたら昨日の収穫は間違いなく絶望的だった。
 湯呑み茶碗に湧き水を注いで二人に出しながら3人で山菜採りの話しをした。Aさんはかって銀山平までウドとゼンマイを採りに行ってあまりの太さにたまげてしまった、という話や、Mさんが今もカナヅチをピッケル代わりに持って崖を攀じ登っているという話など(Mさんは78歳である)、二人の得意話はなかなか尽きないのである。
 曇空で日暮れが早く、二人が帰った時刻には辺りが薄暗くなっていた。急いで後片付けをして山を下った。

2008年5月11日(日)雨〜晴れ
おやじ山の春2008(山道具の手入れ)

 昨晩は11時頃からポツポツとテントに雨が当たり、ぼんやりと「ああ雨だなあ・・・」と思いながらそのまま寝続けていた。そしてハッと目を覚まして起き上って時計を見ると、午前1時半である。慌ててテントを出て、雨に打たれながら外に置いてあるガソリンコンロやテーブルをキッチンテントの中に入れ、開けたままだったキッチンテントの庇を閉めた。既に道具類はビショビショである。(翌朝起きたカミさんが「あれ〜、いつ仕舞ってくれたんですかあ?」とあんな大きな物音を出して深夜の片付けをしてたのに気付かなかった風である。羨ましいなあ〜、何も心配事なく脳天気で熟睡できて・・・。起きるのが面倒臭くてタヌキ寝入りだったかも知れないけど・・・)
 5時半に起きた。昨日よりは幾分気温が高いようだが今日も寒い朝である。午前中は雨なので街に出てホームセンターで小屋の壁断熱用のシート(屋根の防水に使うアスファルトシングル)、シートを止める工業用ホチキス、炭6s、そして前から欲しかった底にスパイクがついた長靴が安く売っていたので(1,980円)奮発して買った。(これで冬に森林調査のアルバイトが入っても安心である)
 午後になって雨が上りカミさんとおやじ小屋に行った。外に出していた背板が雨で濡れてしまい、小屋修理は止めて山道具の手入れをすることにした。愛用のチェーンソーを分解してきれいにゴミを取り、終わってから鉈と斧、山林鎌の刃物研ぎをした。刃物研ぎも心が落ち着いてきていいものである。 一人で尾根を下って山菜採りに行ってしまったカミさんは、この春一番の太いワラビを採ったといってニコニコ帰ってきた。 雲が切れて空がどんどん明るくなったので、午後6時まで仕事をして山を下った。

 夕食はカミさんが採った太いワラビでミソタタキを初めて作った。(私が) ホロ苦味のある粘った食感が酒の肴やご飯にはもって来いである。そしてワラビのお浸し、Kさんからおみやげに貰ったカブのサラダでテントに潜り込んでの食事である。こんな菜食生活を続けているとやっぱり肉が食べたくなる。セルロース分だけでは体も温まらずガスランタンを灯しながら暖房兼用とした。
 テントの外に出てみると、満天の星空に半月の凛とした青光りである。

2008年5月12日(月)晴れ、朝の気温6度
おやじ山の春2008(エンピツ削り)

 朝、テントを出て高台に立ってみると長岡の街と水の入った田んぼの上は一面の靄である。午前6時の気温は6℃、分厚い朝靄が朝日に照らされて真っ白である。ここに来て急ぎ足の春がようやく停まった感じである。
 7時過ぎにはリュックを背負っておやじ小屋に向かった。こんな晴天の日は山に行くことが嬉しくて仕方がない。そしていつもの事だが、おやじ小屋に着いてリュックを下ろし、「さて今日の作業を・・・」という前にどうでもいいような仕事から手をつける。今日は先日取り付けたサッシ窓の周りの背板張りの予定だが直ぐには取り掛からず、先ずはぶらぶらと山歩きである。あちこちから顔を出したヤマユリの新芽を確認し、2m程に育った4,5本のブナの若木の雪起しをし、コナラの森に入ってタムシバとヤマツツジを下刈りで刈り取らないようにピンクテープを結んで印をつけた。こんな仕事はどうでもいいのにこれで2時間以上も時間を費やしてしまった。まだ学生の頃、自宅の机に向って試験勉強をする時、どうした訳か先ずはぐずぐずと鉛筆を削って肝心な勉強までに随分時間を費やしていたが、おやじ山で作業に入る前も全く同じである。こういう癖はいくつになっても治らないもので、私はこの事前の一種の儀式のようでもあるムダ時間を「エンピツ削り」と名付けた。
 鉛筆削りの時間が終わると、もう昼近い時刻である。それから浪費した時間をいくらか悔やみながら背板張りを始めた。それでも今日は柱の左側を全て張り終え、トタン屋根の勾配に沿って縦に背板を貼る作業に取り掛かった。この細工がまた苦労なのである。私は概してこういう細かい作業が苦手で、やたら腹が立つタイプである。
 それからドラム缶風呂に入る前のかけ湯の時必要だと言われて(山の風呂でこんなのはいらないと思ったんだけど、まあ、仕方なく・・・)目皿というかスノコを作った。途中で電動ドライバーの電池切れで作業を止め、山を下りた。
 夕食は、以前息子達と回転寿司に行った時貰ったサービス券を持ってその店まで行った。動物性タンパク質の補給である。そして帰りにホームセンターに寄って釘を3s買ってテントに帰った。
(午後3時半、中国四川省でマグニチュード7.8の大地震発生。死者は8,500人以上と報じられる)

2008年5月13日(火)晴れ
おやじ山の春2008(S君の来訪)
 台風2号が伊豆諸島に接近しその影響か一晩中強い風が吹いた。このキャンプ場に来たばかりの頃はまだ春も浅く、風の音は枝を切る高い音色だったが、昨晩吹き荒れた風は展開した木々の葉を攪乱する潮騒の音である。夜中に目を覚ましラジオを点けて耳元に寄せると、ちょうどNHKのラジオ深夜便でフルートアンサンブルの演奏中だった。ビオラの弦の音がテントの上の風の打ち寄せる波の音と重なり、フルートの高音がその風の引き潮のざわめきと重なり、そしてビオラとフルートとチェロの三重奏が渦巻く潮の轟きと重なって、小さな演奏が巨大なエコーとなって響き渡っていた。
 3時にトイレで外に出ると、コナラの枝を通して西の空は星空である。しかし重く纏まった風は木々の枝を大きく揺れ動かして大きなボール状の風の形が目に見えるようである。
 5時半起床。意外や、快晴である。そして8時過ぎに雲一つ無い青空の下をおやじ小屋へ向かう。やっぱり嬉しくて仕方がない。小屋に着いてからの山回りで、昨年の秋の除伐で伐った太い木がヤマボウシだと分かってガッカリする。そして谷川に下りて川縁の雑草を刈る。(こんな事はどうでも良くて早く小屋修理にかかれば良いのに、やっぱり「鉛筆削り」をやってしまう)
 今日の昼飯はちょっと贅沢に缶ビール1本とインスタントラーメン。そしてアルコールでふらついたせいか池側の壁の背板は3枚しか張れなかった。大音をたてての作業中に若杉の森のスギの木の天辺で頻りにサシバが鳴いて本当に気の毒だった。そしてオス、メスのペアーの鷹がこのスギの木から飛び立つのを現認した。
 午後5時半下山。テントに戻ると仙台から来たS君が夕食のご飯炊きをしていた。そして「今日からお世話になります。○○オバちゃんから言われてお手伝いしてます」とニコニコと挨拶した。真っ赤な夕陽を見ながら3人揃っての夕食だった。
2008年5月14日(水)曇〜雨
おやじ山の春2008(皮剥き)
(四川大地震の死者が1万2千人超とのニュース、大惨事となった。)
 低気圧が接近し新潟県に低温注意報が出た。そして夜中にパラパラと雨の音がして、昨日の小屋作業で外に放置したままの板が気になりながらウトウトと雨音に耳をそばだてていた。。夜が明けるのを待って車で見晴らし広場まで行き、おやじ小屋の前の濡れた木材を整理してブルーシートをかける。
 小屋から戻って外で朝食を摂っていると再び雨が降ってきた。それで午前中は実家にワラビを届けに行き、ついでにホームセンターに寄って空気の抜けたネコ(一輪車)の車輪を買ったり(790円)小屋修理の素材の下調べで店内をぶらついた。
 午後はS君とカミさんと3人でおやじ小屋に行き、S君には背板の皮むきを手伝ってもらった。カミさんの指導で必死にやっていたが「あっ、それじゃあとてもダメね。こうするのよ、ほらね!」とカミさんの手厳しい評価にS君は萎れていた。(お蔭でカミさんの皮むきの地位がこれでしっかりと固まり、本当にヤレヤレである)雨になったので小屋に逃げ込み、囲炉裏に火を焚いて暖をとった。こんな寒い日の小屋の中での焚き火は、赤い炎を見詰めているだけで心まで温かくなって、実にいいものである。
 夜は皆で「麻生の湯」に行った。
2008年5月15日(木)晴れ
おやじ山の春2008(北外壁の完成)

 4時半、野鳥の鳴き声で目を覚ます。今日の天気予報は「新潟地方は全般的に快晴」で、野鳥達も嬉しいのか普段よりは賑やかである。
 今日は近くの国立長岡高専の生徒1,000人がディキャンプでこのキャンプ場に来る日で、昨日の雨も上って本当に良かった。それで炊事場に干してある鍋やまな板をテントに引き上げ、生徒達が来る前に3人でおやじ小屋に行った。いつも思う事だけど、晴天の日のまるまる1日、山で過ごすことが出来ると思うと本当に嬉しくて仕方がない。
 小屋に着いてからの例の「鉛筆削り」は、おやじ山の入口に架けてある「ヤマユリ○○・・・」看板のヒモ替え、そして新たに山に来た人が帰りに見えるように「また、いつでもお寄り下さい」の看板作り。板切れに筆で字を書いているのをS君がじっと見ていたので、「あまりいい字が書けなかったなあ〜」と正直にS君に自己評価を伝えると「あ、おじさん!大丈夫。誰もこんな看板見ないから」と相手も小憎らしいほど率直な意見を言う。「それなら、ま、いいかあ〜」とようやく本業の小屋修理にかかった。カミさんとS君は今日も背板の皮むきである。
 昼飯が終わるや否やカミさんは「ちょっとワタシ・・・」と職場放棄して谷を下ってワラビ採りに行ってしまった。そしていつもの事だが、「ちょっと」などと生半可な時間ではなくそろそろ下山する時間になってようやく小屋に戻って来るのである。
 取り残されたS君に手伝って貰って、今日は晴れて北側外壁が完成した。(最後のせり出しのカットだけは残ったが)そして頃合いを見計らったようにカミさんが戻ってきたので、皆で夕焼け空の山道を下った。
 S君最後の夜なのでキッチンテントはいつもより少し贅沢な惣菜が並んだ。私は昼の肉体労働と夜のアルコールで身体が崩れてテントに引揚げたが、カミさんとS君のお喋りが夜遅くまで続いていたのは知っていた。

2008年5月17日(土)晴れ、気温高し
おやじ山の春2008(山で会う人々)

 今日はおやじ山でたくさんの人達と出会った。内二人はいつものAさんとMさんだが、他の方は初めて会った人達である。
 昨日S君が仙台に帰り、今日はカミさんの慰労(?)も兼ねて早朝から「黄土」に入って山菜採りをした。5時半にキャンプ場を出発し、三ノ峠山に登る赤道コースを歩いて黄土に着いたのは6時半頃である。「あまり出てないなあ〜」と思いながらも
ポツポツと拾うようにしてワラビを採りながらいつもの高台まで登って行った。カミさんはしつこく下の方でコゴミ畑の中を探っている。7時頃だろうか、谷向こうの赤道コースの峰の上に男が立ってこちらを窺っている。しばらくして斜面を下りてきたこの男とカミさんが下で話しをしている。な〜んだAさんである。そしてこちらに向って「ここは俺が昨日採ったとこで、なんもないてえ〜!あとまた3、4日後だなあ。今日下で採ったワラビとウド、奥さんに渡しておくからな〜!」と大声で叫んで行ってしまった。道理でプロの歩いた直後では、いかに黄土とは言え採れる訳がない。
 のんびり山歩きのつもりで黄土を出て三ノ峠山まで登って行った。以前Aさんから山好きの有志の連中が三ノ峠に小屋を建てるという話しを聞いていたのでその確認のつもりもあった。なるほど登山道はきれいに整備されている。千本ブナまで足を延ばすと、ここも大木の周りが綺麗に刈ってあって眺望が利くようになっていた。
 キャンプ場に戻ることにして再び赤道コースを下ると、今度はMさんとバッタリ出会った。「どこまで?」と今日の予定を聞くと「俺あね、ここからあっちに行って、あっちからそっちに行って、そっちからもっとあっちに行って・・・」と78歳の本日の壮大な歩行ルートが唾とともに連射されて、全く呆れてしまった。
 Mさんを見送ってさらに下ると、今度は背負子を担いだTさんという人に出会った。そんな姿格好から予想した通り、この登山道を整備して三ノ峠山に小屋を建てるという有志の方である。そしてTさんはこれからの構想をニコニコと話して下さった。「小屋が出来た暁には、どうぞいつでもご利用下さい」とも言ってくれて嬉しい思いをした。別れ際に「下で仲間の連中が作業してます。一声かけて下さいませんか」というので下まで下ると、成るほど男性2人、女性3人のグループが崩れた登山道の整備をしていた。そしてこの人達ともしばらく話してキャンプ場に戻った。
 陽が高くなったキャンプ場は気温も上って春ゼミがやかましく鳴いている。恐らくこの春一番の騒がしさでまるでアブラゼミの鳴く真夏の昼時である。
 三ノ峠でブナの苗を何本が掘り採ったが、枯れないうちにと昼食を持っておやじ小屋に向かった。ブナ苗は数えると14本あって若杉の森の下の段に植えつけた。将来この森を針葉樹のスギとブナなどの広葉樹の混交林に仕立てることが夢である。黒サンショウウオのこども達が元気に泳いでいるおやじ池の水をバケツで何度も運んで植えつけたブナの苗に丁寧に水やりをした。
 黄土の欲求不満を解消するためかカミさんは飽きもせず(それにこういう収穫する時には不思議に疲れも見せず)「次兄の穴場」にワラビ採りに行った。そこであっちこっちを歩き回っていたMさんに出会ったという。ほどなくそのMさんが峰を下りてきた。全くあっちこっちの奮闘で体中汗と泥でぐちょぐちょに汚れて、おまけに白髪が逆立ち、口を開けると1、2本しか見えない歯も何やら不気味である。知らない人がこんなMさんに山で出くわしニコリと2本歯で笑われでもしたら「ギャーッ!」と腰を抜かすに違いない。デッキに腰を下ろしたMさんに水を出して話をしていると、今度は今まで見たこともない男の人が小屋に向かって来た。「初めてですね?」というと以前1度ここに来たことがあり今回は2度目だという。そしてこれから下の谷を越えて赤道コースまで行くのだという。既に午後4時である。こんな時間に山菜採りでもなく苦しい藪漕ぎをしながら山歩きをするという人も珍しい。(しかしこの人は1時間ほどしてミズをどっさり背負って戻って来た。途中で立派なミズがいっぱい生えていたのでこっちを優先したのだという)
 テント場に戻ると珍しく家族連れが泊りのキャンプを張っていた。今日は土曜日だがもっともっと長岡の人に(特に若い家族に)このキャンプ場を楽しんでもらいたいと思っている。
 

2008年5月18日(日)晴れ
おやじ山の春2008(入口ドア作り)

 テントの上で野鳥がうるさく鳴いて、5時半に起きて外に出る。そして瞑想の池まで野鳥の声を聞いたり植物観察をしながら散歩した。ヤマツツジがちょうど満開でウラジロヨウラクも見頃である。テント場に戻ってコシノカンアオイの葉っぱをめくりビフチョウの卵の無事を確認した。
 今日は一人で尾根道を登っておやじ小屋に行った。途中キビタキが松の木の天辺で綺麗な声で囀っていた。珍しく美しい鳥の姿もゆっくり見ることができた。小屋に着いて早速先日植えたブナに水遣りをしそれから何をやったか忘れたけど、時計を見るともう10時である。今日からは小屋の西側の壁作りで、手始めは入口(玄関)ドア作りである。木工房のNさんから頂いた板や角材を長い時間あれこれ吟味してから、下げ振り(紐の先に分胴が縛りつけてある垂直測定道具)を持って垂らしてみたり、水を飲んだり、座ったりり立ったりして、5分作業しては30分間首を捻りながらの思案の繰り返しで、全く自分でも呆れる程のスローペースである。それでもドアを打ち付ける2本の柱というか矩形の型枠を作り終えて午後5時に山を下りた。
 小屋では携帯電話の電波が届かず、途中まで下ると伝言メールが確認できる。電話を開くと「筍料理を作ったから一緒に食べよってえ」というM工業の奥さんからのお誘いである。それでキャンプ場で夕飯の支度をしていたカミさんに「そのおかず全部持ってこれからM工業に行こう」と告げて二人で町に下りた。
 やっぱりベロンベロンになってテントに戻ったそうである。(今日はおやじ山で無い知恵をやたら絞ってそこにアルコールがどっと浸透したせいだと思う)



2008年5月19日(月)朝晴れ〜曇
おやじ山の春(脳を守ること)

 ハルゼミが頻りに鳴いて、こんなに春のセミがうるさく鳴く年も珍しい。昨夜の深酒で体がだるくて仕方がないが10時過ぎにおやじ小屋に「出勤」した。強い風がゴーゴーと吹いて森の葉っぱをバタバタと裏返している。ブナの水遣りをして、今日の作業は入口ドアの型枠の上辺にスギ丸太を渡すことである。チェーンソーで丸太を切っていると風で折れたスギの枯れ枝がバサリと落ちてビックリする。慌ててヘルメットの紐を締めて頭を防護する。自慢じゃないが私は外の作業では怪我をしないように防御対策には充分気を遣う。しかしその割には脳を内部からアルコールで破壊されないように防御する対策は・・・やっぱり極めて不充分だなあ。午後5時に下山する。

2008年5月20日(火)雨
おやじ山の春(モリアオガエルの初産卵)
 午前0時過ぎからテントに当たる雨音が大きくなった。おやじ山に来て今日で何日目になるだろうか?と指を折って数えてみる。山の中に居ると季節が日一日と動いているのがよく分かる。それは外の風景の視覚的な移り変わりというよりは(勿論それもあるが)体全体で感じ取れる空気の流れと時間の遷移の体感である。この山の中での空気と時間を包んだ季節が自身の体内を通り過ぎて行くのか、自分が森の中の季節に同化して動いているのか、その辺は私自身もよく分からない。
 午前9時半に傘を差して瞑想の池にモリアオガエルの観察に行く。予想通り今年初めての卵塊が池ぶちのトチノキの枝にぶら下がっていた。2個あった。
 ヤマボウシの花(正式にはガク片である)が薄緑色から日を追うごとに白くなって、緑の森の中で存在感を発揮し出してきた。雨の中でぼんやり煙ったようなヤマボウシの白もなかなか風情があっていいものである。
 雨が激しくなっておやじ小屋への「出勤」は止して長岡中央図書館に行った。奥越後の松代に住む高橋八十八氏の名著書「森の手紙」を楽しく読んだ。
2008年5月21日(水)晴れ
おやじ山の春2008(野鳥の氷川きよし)
 「ホ〜ォォ〜〜ホケキョ!!」とビックリするようのウグイスの大声と「グジュグジュグジュ・・・・」とくすぐったいようなエナガの鳴き声で起きてしまった。朝の散歩に出かける。ウグイス、ホトトギス、キクイタダキ、アトリなどの鳴き声を耳にし、そしてキジバトの「ポッポッ・・・ポッポッ・・・」と野太い低音が山に重くこだまして思わず「ほほう〜」と見直してしまった。こんなキジバトの鳴き声を街中で聞いても「ウルサイ!」と鳥に向って悪態をつくのがせきの山だが、こうして静かな山で聞いてみると何やら心が澄んでくる。
 午前中おやじ小屋で仕事をしていると近くのスギの木の天辺でクロツグミが朗らかな大声で鳴き出した。白い腹に黒のごま塩の斑模様の姿も見えて、手を休めてしばらく鳴き声を聞いていた。全く天性のエンターテナーである。その囀り方はバラエティに富んで他の鳥たちのように同じ節を繰り返したりはしない。その上物まね上手で、ウグイスの「ホーホケキョ」やオオルリやキビタキの震えるような鳴き方も真似て、私は「野鳥の氷川きよし」と名付けたくらいである。
 入口のドア取り付け用型枠と柱の隙間を埋める作業を終えて、いよいよドアの戸板作りにかかった。板材を寸法に合わせて何枚も切っていく。そして型枠に合わせながらカンナで削ったりノコギリを引き直したりと面白い作業ではない。午後5時には仕事を止めて山を下りた。テントに帰ると何処の山に一人で行って来たのか、カミさんはどっさりワラビを採ってきていた。
2008年5月22日(木)晴れ
おやじ山の春2008(ウラジロヨウラクの恥じらい)

 早朝の散歩で瞑想の池まで行くと、モリアオガエルがトチノキに産卵中で、メスの背に抱接したオスが後ろ足で卵を撹拌して泡立てながら白い大きな卵塊を作っている。のめしをして木には登らず池ぶちで卵塊を作っているペア(普通は1匹のメスに何匹ものオスが重なり乗って卵塊を作る)もいる。そしてトチノキの幹に大きなお腹を抱えたメスとその上に抱接したオスが乗ってこれから産卵に上の枝まで登って行く途中のペアもいた。時々上に乗ったオスが動かないメスに焦れて「ゲゲッ」と鳴きながら自身の腹でメスの背中を打つのだが、その度によろよろ登り始めるメスが可哀想になってくる。「バカ!もっと女に優しくしろ!だいたいお前がピョンと降りてメスの尻を押してやれ!」と下品にも(心の中で)怒鳴ってしまった。
 この時期の山は花が少なくなって、例えれば夏の賑わいが終わった後の海辺の寂しい風景の感じがする。そんな中で緑の山肌にヤマボウシのモダンな白と尾根に咲くヤマツツジの朱色の華やぎ、蒼く葉が茂って暗くなった沢にはケナシヤブデマリのシックな白、そして山道の法面にはウラジロヨウラクの恥らうようが淡いピンクの花などが目を楽しませてくれる。このウラジロヨウラクの花を見ていると、まるで色白の新潟美人がポッと頬を染めたようにも思えて何とも可憐な色っぽさがある。
 1日中山で仕事をしていて、夕方になって初めて「ピッキーッ、ピッキーッ」とサシバの鳴き声を聞いた。「ちゃんと巣に居てくれたね」と安心する。6時半まで仕事をして薄暗くなった山道を急ぎ足で下った。



2008年5月23日(金)晴れ
おやじ山の春2008(ドラム缶風呂)
 朝一番のウグイスの鳴き声は決まって朝4時半少し前である。この声でだいたい目が覚めてしまう。おやじ小屋の修理で毎日重いゲンノウを振り回しているせいか(あるいは長いテント生活で硬い地べたに寝ているせいもあるかも知れない)朝起きると肩と首周りの筋肉がコリコリと痛い。寝たまま手を伸ばして犬や猫みたいに「ウ〜ン」と伸びをすると気持ちがいいのでやってみると、足の腿の筋肉が攣って「イテテテテッ!」となって跳ね起きてしまった。
 いつものように午前におやじ小屋に出勤し、戸板のクギ打ちを丁寧にやって立派な(自分で言うのも何だが)ドアを完成させた。カミさんにはスギ背板の皮むきをやって貰ったが、やっぱりいつの間にか姿が消えてワラビ採りに行ってしまった。
 午後4時に作業を終えてドラム缶風呂を焚いた。ラジオは今日の日中の気温は26度と伝えていたが、ここは幾らか涼しいとは言えビッショリ汗をかいた。ドラム缶風呂は入っている時は勿論、出てからの清々しい気分もまた最高である。薪の湯のせいか山の涼風のせいか・・・









2008年5月26日(月)曇〜雨
おやじ山の春2008(おやじ池のモリアオガエル)

 ここ2、3日雨が続いた。その雨の晴れ間を縫って昨日ホームセンターで買ったアルミサッシの窓を小屋に運んだ。南側の壁に取り付けるもので既に取り付けた北側の窓より一回り大きい窓枠である。運んでいる途中、ブナ平までハイキングするという70歳くらいの男性に会った。ネコに積んだサッシ窓を見て「え〜ッ!この山の奥に家があるんですかあ〜!」とビックリされてしまった。
 おやじ小屋に着いて山を歩き回る。おやじ池には今年初めてのモリアオガエルの卵が池縁のアスナロの木に産み付けられていた。瞑想の池より産卵が1週間遅れたが、今年も無事産んでくれて本当に良かった。そして今日は小屋の修理はせずに、斧、鉋、皮むきの刃物研ぎをした。
 昼に下山。カミさんがコインランドリーに洗濯に行くというので、確かその近所にあった床屋に行くことにした。店の前の看板には随分安い料金表示がある。あまり安過ぎてちょっと店内に入るのが不安になる程だった。頭を刈って、座っている椅子の前の洗面台で乱暴なシャンプーをして貰って、それが済んでも洗面台の蛇口からジャージャーお湯が流れ出ている。何時までたっても頭を拭いてもらえず前屈みの姿勢のままで椅子に起こしてももらえない。「・・・?」と思いながらじっと待っていると、「・・・早く自分で顔を洗って、頭を拭いて!」と床屋さんに叱られてしまった。床屋はただじっと椅子に座っているだけで「はい、お疲れさんでした!」と終わるのが常識だと思っていたが、なるほど世の中にはいろいろなシステムがあるものだ感心してしまった。
 夕方は久々に悠久山湯元館に行って風呂に入れてもらった。行くと女将さんが「お手紙が届いてますよ」という。何と5月の初めにおやじ山に来てくれた森林インストラクターのNさんからのご丁寧な礼状で消印は5月8日になっていた。(Nさんは、私がこの旅館で風呂に入れてもらっていることを聞いていたので、いつか来た時に渡してもらおうとこの旅館宛に手紙を出したのだ)早速グループのまとめ役のTさんに「Nさんからの手紙、確かに受取りました。ありがとうとお伝え下さい」と連絡した。お手紙にはおやじ山で採った山菜のことなどが楽しく書かれていて実に微笑ましいものであった。
 


モリアオガエルの卵と

クロサンショウウオのこども
2008年5月27日(火)晴れ
おやじ山の春(エゴの花とマルバマンサクとキツネ)

 晴れた!嬉しい!居ても立ってもいられず、朝飯を食ってすぐ一人で山に入った。エゴの花が咲き始めていた。この花が咲くと、季節はもう初夏である。
 実は山道を歩いていてとても気になることがある。それは「マルバマンサクの葉枯れ」である。緑の葉っぱの周りから次第に中心部に向って枯れ込んできて、最初は一部の枝の青葉の枯れ込みが、最後は立ち木全体が茶色になる。遠目にもこのマンサクの枯木は目立ち、緑の山肌のあちこちで茶色いモザイク模様となって目に映る。(後日藤沢に帰り、森林インストラクターの自然観察会で横浜の森林公園を訪れた時、やはりマンサクの木が同じ枯れ方をしていた)
 今日はおやじ小屋の玄関ドアの取り付けをやった。ドアの蝶番は木工房のNさんから教えられた応用で、ホームセンターで買って来た耐震用ゴムをトタン用の大きな傘の釘で留めて作ることである。さて?やってみると・・・大成功だった。
 近くのスギの木で今日もサシバが鳴いていた。そしてモリアオガエルのちょっと寂しい鳴き声が「カララララ・・・カララララ・・・」と聞こえていた。
 午後5時には下山し、テントに着いてから高台に椅子を持ち出して缶ビールを呑んだ。水の張った田んぼの緑が次第に濃くなって早苗がどんどん伸びている様子が分かる。そしてすぐ下で動物が歩いているなあ〜と思ってよくよく見ると、何とキツネ(正式にはホンドキツネ)である。初めはトントントンと遅い小走りほどだったが、一瞬立ち止まって私と目が合い、何やらの殺気を感じてか(私はたっぷりの親愛の情を注いだつもりだが)見事な疾走で林に消えた。雪のある季節以外でこの山でキツネを見たのは初めてである。 




2008年5月29日(木)雨
おやじ山の春2008(二人の先輩)

 一晩中パラパラと雨がテントに当たっていた。午前2時半に目が覚めてそんな雨の音を聞きながら酒を呑み始める。こんな雨の夜中なのにホトトギスが「トッキョキョカキョク!トッキョキョカキョク!」と、せっつくような慌しさで喚き鳴いている。それから1時間ほど経ってからだろうか。今度は突然テントの真上で「ゴロスケホッホ!」とフクロウの大きな鳴き声がしてビックリ仰天した。急いでテントの外に出て木立ちに目を凝らしたが、残念、暗くて鳥の確認は出来なかった。
 午前4時、眠れぬままに耳元で小さくラジオを点けていると、「NHKラジオ深夜便・心の時代」という番組で母校長岡中学(現在の長岡高校)の大先輩、後藤文雄氏のインタビューが流れて来た。氏は1929年(昭和4年)長岡生まれで現在カトリック吉祥寺教会の司祭をやっておられる。番組の題名は確か「学問からの希望・希望から平和へ」だったと思うが、氏が昭和20年8月1日の長岡大空襲で母や妹達を亡くし、その5日後に女学校の校舎の中で包帯だらけで泣いていた弟の看病と終にはこの弟を死なせてしまった無念の思い、そして僧侶だった父親への強い反発とある女性から長岡の教会に誘われて通い(実は私も中学時代、ある女性に誘われてこの教会に何度か行ったことがある)、同じ宗教者としても父とは別の道を歩んで神父となり、そして14人のカンボジア難民を引き取って里子として育て上げ、難民救済も子ども達の教育から始めることが大切だとして「学校づくりは希望づくり」と、現在はカンボジアで14校目の学校を建設中であることなどの話しが続いた。後藤神父はこうも言った。「カンボジア難民の子どもを世話することで、実は自分もこの子ども達から助けられていたのです」「子ども達は学問することで自分自身で判断できる知識と知恵が備わり、それが相手を許すことや対話へと繋がり、そして未来に希望が持てたり希望が見えたりする世界へと繋がっていくのです」 
 長岡では誰もが小林虎三郎の「食すれば1日、教育に充てれば生涯」の米百俵の精神を知っているが、こうして世界の舞台で実践している郷土の出身者を知って限りない誇りと勇気を持たせてくれるのである。
 雨が間断なく降り続き、今日の山作業は止めて体のあちこちが痛み出して疲労の溜まった体をゆっくり休めることにした。それで湯之谷温泉の大湯まで車で行って日帰り湯に入ることにした。誰一人いない大きな湯船に長い時間体を沈めてゆっくり筋肉を揉み解した。
 大湯からの帰りに堀之内町にある「宮柊二記念館」に立ち寄ってみた。歌人宮柊二も長岡高校(旧制長岡中学)の大先輩である。ちょうど「コスモス創刊55周年記念<宮柊二青春の歌展>」というのをやっていた。その中の一首、長岡中学校時代16歳の時の歌、「もやごもる佐渡の岬を望みつつ 我が舟は急ぎぬ青海原を」 いいなあ〜青春!若者よ、今を大事に精一杯生きよ〜!ワ〜ッ!ダ〜ッ!チキショーッ!(何やらムラムラと興奮してきて吼えたくなってくるなあ〜)
 夕方、テントに戻って高台に椅子を持ち出して缶ビールを呑む。すっきり晴れて遠くに佐渡の山影が望まれた。そして青い田と綺麗な夕陽・・・

2008年5月30日(金)晴れ
おやじ山の春2008(サンコウチョウの初鳴き)

 午前0時過ぎにトイレに起きると満天の星空だった。そして今日はすっきり晴れ上がって絶好の仕事日和である。
 一人で山に入り、いよいよおやじ小屋の南側の壁作りに着手する。先ずはサッシ窓を取り付ける柱のホゾ穴をノミとカナヅチで丁寧に刻んで土台の上に立てる作業である。そして2本の柱を立て終わってこの上にスギ丸太を乗せて梁を作る。倒したスギの木の中から適当な丸太を選び、チェーンソーで節を削いでから皮を剥いて梁材に仕上げるが、これもなかなかの重労働である。仕事をしているとサシバが「ピックィー!ピックィー!」
と頻りに悲しそうな声で鳴くし、それに今日は「ピヨロピ、ホイホイホイ!」とサンコウチョウが初めて鳴いた。この「ピヨロピ・・・」が「月日星(ツキヒホシ)・・・」と聞こえて3つの光なので「三光鳥」という名前がついたというが、せっかくこれらの野鳥たちが囀ってくれている中で「ドンドンガラガラ」と大音をたてて大工仕事をしているのが全く鳥たちに申し訳ない。
 昼の休憩は小屋の裏の木にハンモックを吊るして休んだ。ゆらゆらと小さく揺らしながら目を瞑っていると、体の疲れが抜けて行くようである。
 今日は窓枠の仮付けまで終わって山を下りた。テント場に戻ると越後三山に花の写真を撮りに行った次兄が寄ったらしく、テーブルの上に次兄が写した森林インストラクターの皆さんの記念写真が置いてあった。

2008年5月31日(土)雨
おやじ山の春2008(草もちづくり)

 夜中から雨が降り出し、朝には本降りになった。それで東山ファミリーランドの中にある「農の駅(ふるさと体験館)」で「草もちの作りかた」という料理教室をやっているというので、飛び入り参加した。参加料は300円で作った草もちは6個持ち帰れると言う。30人ほどの参加者の中で男性は僅か二人。私ともう一人は70歳前後のバンダナと前掛け持参の常連さんである。ご婦人達に混じって、こねたり、ちぎったり、あんこを詰めたりとなかなか面白かった。同じグループの一人のご婦人が「いついつの料理教室ではどうの、いつのはこうの」と私に頻りに話しかけて自分では手を動かさないものだから、当グループの生産性は一番悪くて後片付けも最後になってしまった。
 夕食はテントに入って自作の草もちを食った。美味かったが酒を呑みながら草もちというのも何か変な感じだったなあ。
 今日で5月が終わった。季節はすでに夏に移っていた。