2008年5月1日(木)晴れ(フェーン現象) |
おやじ山の春2008(息子家族来る) |
木工房のNさんは70歳を過ぎているが、現役の仕事の他に老人会の役員やら町内会の世話役やら地域のボランティア活動やらで超多忙人である。それで今日も午前中からいくつかスケジュールが入っているので朝5時半(!)にスギの背板30枚を運んで来るという。まあ、こちらもテント生活では野鳥の鳴き声で5時前には目が覚めてしまうので朝早くても別に苦にはならない。
きっちり時間通りに下の駐車場で「プ・プー」と軽トラックのフォーンが鳴ってNさんが来た。朝の挨拶もそこそこに助手席に飛び乗ってそのまま見晴らし広場まで行き、二人で荷台から背板を下ろした。ものの15分程の作業である。それからテント場に戻ってNさんとお茶を飲みながら四方山話しをしたが、とてもためになる話しをいくつか聞いた。
その1.おやじ小屋のドア(戸板)の蝶番は皮ベルトかタイヤを切ってトタン用の傘の広い釘で止めて作る。ドアを開けると自然に戻って戸が閉まる。(後日、皮ベルトもタイヤも無かったので工事用の耐震ゴムを応用して蝶番を作った。バッチリだった)
(今日は息子夫婦が孫を連れて山に遊びに来ると話したら)
その2.畑の風除けに使う防風ネットと丸太2本で簡単にハンモックが作れる。子どもは勿論、大人も乗って喜ぶ。(その通りだった。今回いろんな人達が山に来てくれたが大人が乗って面白がっていた)さらにタイヤとロープで大きなブランコを作って遊ぶ。(これはまだ作っていない)
(まだいろいろあったがきりが無いので省略します)
午前7時から(朝食抜きで)見晴らし広場まで上げた背板を一輪車でおやじ小屋へ運んだ。途中、山道でマムシがいるは(見た途端「ギャー!」と叫んで体が固まってしまった)一輪車のタイヤの空気が抜けてしまうわで大変だったが、6往復して全て小屋に運んだ。
12時に下山すると息子家族が着いていた。午前3時に藤沢市の自宅を出て夜中じゅう車を走らせて午前10時前にはキャンプ場に着いたという。昨年に続いて2度目の来訪になる孫の承太郎も大声を上げながら元気にキャンプ場を走り回っている。「眠くないか?」と息子達に聞くと「ゼ〜ン然」とこちらも元気である。
午後2時過ぎに再びNさんの工場に行った。朝お茶を飲みながらの四方山話で、ちょっとした悩みをNさんに話したら「丸太か角材を使ってでやったら」と一発で名回答をくれた。「そんな所に使う角材ならウチにいっぱいあるよ」とも言ってくれた。それでその角材を貰いに行ったのである。全くNさんと話していると目からウロコの数々で「凄いなあ〜」と感心してしまう。同時にまた柱材や板材を貰い、それからNさんが防風ネットで作ったハンモックまで頂戴してきた。
キャンプ場に帰って早速ハンモックをテント脇のアカマツとコナラの木に吊った。それからまた角材を見晴らし広場まで運び上げて今日の労働を終えた。今日はフェーン現象の暑い日でビッショリと汗をかいた。誠に忙しい一日で夜はみんなで麻生の湯に入りに行った。
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2008年5月2日(金)晴れ |
おやじ山の春2008(息子達との小屋づくり) |
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2008年5月3日(土)晴れ |
おやじ山の春2008(Tさんの来訪)
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明日おやじ山に集合する森林インストラクター神奈川会の先発で、今日Tさんが新幹線でやって来る。森林インストラクターの皆さんにおやじ山のツアーを呼びかけたのはTさんで、彼女の郷里も、実は長岡である。Tさんは私のこのホームページを見て、昔懐かしいふるさとの山を数十年ぶりに訪ねてみたくなったのだと言った。私にとっては本当にありがたいことで、まさに大歓迎である。
度々森林インストラクター仲間の自然観察会でご一緒していたTさんが同郷であると知ったのは全くの偶然だった。ある時Tさんが「エ〜ッ!実は私も長岡出身です!」と私がある時の観察会欠席の理由を「郷里長岡の持ち山の手入れで・・・」とメールか何かで送ったのを見て、打ち明けたのである。私も「エエ〜ッッ!」とビックリ仰天してしまった。後で聞くと私の実家とは信濃川を挟んで目と鼻の先で、「銘酒朝日山」や「久保田万寿・千寿」などで名高い朝日酒造のすぐ近くに住んでいたという。どうりで数年前の神奈川会総会の打ち上げで偶然隣り合わせてお酒をご馳走になり、女性ながらグイグイいける呑みっぷりに「このお方の出自はいったいどちらの・・・」と密かに感服したが、大きな蔵元の軒先で幼少の頃から酒精を嗅ぎながら育ったことが分かってスッキリ謎が解けた。
Tさんは長岡着9時28分「とき307号」で大きなリュックを背負って改札口を出てきた。今日は私達と一緒に山でキャンプである。早速テント場に案内して改めてカミさんや息子家族を紹介した。
Tさんが自分のテントを張り終えたのを見計らっておやじ山に案内した。瞑想の池から「オオド沢」に入って少し歩き、それから見晴らし広場まで登っておやじ小屋まで案内した。さすがTさんである、もうメモ帳を開いて途中で目にした植物を丹念に書きとめていた。
午後2時過ぎに今度は娘が新幹線でやってきた。わが娘も毎年春にはおやじ山に遊びに来る。家族全員が揃い明日はお客様も増えるので、明日の昼は「おこわご飯」を作って食べていただく算段でカミさんは私の実家の台所を使いに行くという。私も一緒について行くことにして、Tさんにはキャンプ場で今夜の夕飯作りの総指揮を頼んだ。
実家から戻ると指揮官よろしきを得て豪華な夕餉の支度が出来上っていた。Tさん手作りのウドのキンピラ、息子のミズタタキ、嫁のA子の山菜天ぷら、それにTさん持参の差し入れの品々で全く豪華な夕食となった。楽しく賑やかな晩餐の後は、また皆で近くの温泉「麻生の湯」に行った。今夜は満天の星空である。
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2008年5月4日(日)晴れ |
おやじ山の春2008(おやじ山から山古志へ) |
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2008年5月5日(月)曇〜夜雨 |
おやじ山の春2008(喜びと、そして寂しさと) |
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2008年5月6日(火)晴れ |
おやじ山の春2008(松之山美人林逍遥記) |
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2008年5月7日(水)晴れ |
おやじ山の春2008(黄土と水穴) |
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2008年5月8日(木)曇〜雨 |
おやじ山の春2008(下界の夜) |
一転してぶるぶると寒い朝だった。今日の天気予報は昼過ぎから雨である。そして夜は長岡の街に下りて、伊豆から来るK夫婦と一緒に食事をする予定である。それに木工作ではプロ級の腕を持つご主人のKさんが伊豆の自宅工房で作ってくれたおやじ小屋のサッシ窓の木枠を持って来てくれる日である。少し時間が遅くなりそうだが東京からFさんも新幹線でやって来る。
せっかくのKさんのご好意におやじ小屋の修理がさっぱりではと、朝の早い時間にカミさんと二人でおやじ小屋に行った。途中でここ自然観察林の常連である女性バードウォチャーに出会って「ノジコ」の美声を教えてもらった。小屋に着いて、私はサッシ窓を取り付ける柱にせっせとスギ背板を張り付け(実は後で、窓の木枠をしっかり合わせてから背板張りをやるべきだったと反省したのだが)、山菜採りをしたくてうずうずしているカミさんを何とか拝み倒して、先日運んだスギ背板の皮むきをやってもらった。(この実績が功を奏して今後カミさんは皮むき専門要員となった)
ポツリポツリと雨が降って来て午後3時に山を下った。そして文明人が住む街に出るのに汗臭い山男(と女)の格好では、と麻生の湯に浸かってからKさんとの待合わせ場所に向った。Kさんが車で運んで来てくれた窓枠はまさに山小屋にはもったいないしろ物である。雨が長く当たっても腐らないようにと4辺とも上質の赤味の材を使って仕上げてあった。有難く受取って私の車に積み替え、昨年もご夫婦にご馳走になったお店に行った。ここは地元の同級生O君馴染みの店で、Kさんと差しつ差されつ地酒を味わっていると連絡を受けたO夫婦がやって来た。酒店も営んでいるO君は酒がめっぽう強い上に既に出来上がっている私とはハンデキャップがある。O君が次から次と矢継ぎ早に頼んでは空にした銚子は20本は下らなかった(と翌朝カミさんが教えてくれた)。仕事を済ませて東京から駆けつけたFさんも加わって更に座が盛り上り、実に楽しく賑やかな宴会となった。久々に味わう下界の夜の刺激に山の初心さもすっかり擦り切れて鼻息荒く舞い上がってしまった。
よく無事に(翌朝脛のアザを見つけたけど・・・)暗いテント場に戻ったものである。
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2008年5月9日(金)晴れ |
おやじ山の春2008(形状記憶) |
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2008年5月10日(土)曇 |
おやじ山の春2008(二人のプロの嘆き) |
一気に冷えた。(最高気温12度) 朝はぶるぶると寒さで体が震えたほどである。ラジオは雪が降った地方もあると報じている。このように短期間で真夏日と雪が降るほどの寒さがあるなどの気象の大幅なブレこそ地球温暖化の確たる証拠だと睨んでいる。
いつものように山菜リュックに昼食用のインスタントラーメン1袋とTさん達から頂いたドリップコーヒーを入れておやじ小屋へ仕事に向う。キャンプ場から見晴らし広場までの尾根道はヤマツツジが満開で、そこからおやじ小屋への道筋はタニウツギが枝いっぱいに咲き誇っている。ブナ平との分れ道で「ピョピ・ピョ〜ピピ!」と野鳥の高い笛の鳴き声が聞こえて「はて?何の鳥か・・・?」と立ち止まって聞いていたが判別できなかった。オオルリの声も聞こえてきて、これは判別できた。
小屋に着いて早速窓枠を取り付けるための手直しに掛かる。池側の背板をハンマーとバールで叩き外してサッシ窓を取り付けるために立てた柱を3cmほどホゾ穴を切り直して移動した。「よし!これで上手くいく」と目算が立ったところでインスタントラーメンを沸かして昼食タイム。食べながらもこれからの作業が気になって何回も振り返って作業途中の小屋に目をやった。(どうやらこの作業途中でもどっしりと腰を落ち着けて休憩が取れるか取れないかが玄人と素人の違いだなあ、と悟り始めた)
(それで素人なもので)まだ胃のなかでラーメンが泳いでいる感じのうちに腰を上げて、午後の作業に入った。果たして出来上がりが嬉しいのか不安なためか、何やら判然としない精神状態のままやたら気が急くのである。そしてKさんに作っていただいた窓の木枠を柱に打ちつけ、そこにアルミサッシの窓枠を木ネジで止めた。最後にガラス窓を嵌めて、バッチリ完成した!
昼の休憩中に山菜プロのAさんが一声かけて山に入って行ったが、ちょうど戻って来た。「さっぱりダメだあ〜」とぼやきながら「いっつも太っといワラビがあるとこだっけがなあ?」と首を捻っている。Aさんが入った場所を聞くと、何と昨日Kさん達と行った「次兄の穴場」である。そこへ今度は2人目の山菜プロのMさんが峰を下りてきた。「カンカン音がするっけオメ(お前)さんが居ると思って来たて」と言ってから「今日は採れんかったなあ〜」とMさんも浮かぬ顔つきである。聞けばやっぱり「次兄の穴場」に行ったという。いや〜助かった。このプロ連中に先に入られていたら昨日の収穫は間違いなく絶望的だった。
湯呑み茶碗に湧き水を注いで二人に出しながら3人で山菜採りの話しをした。Aさんはかって銀山平までウドとゼンマイを採りに行ってあまりの太さにたまげてしまった、という話や、Mさんが今もカナヅチをピッケル代わりに持って崖を攀じ登っているという話など(Mさんは78歳である)、二人の得意話はなかなか尽きないのである。
曇空で日暮れが早く、二人が帰った時刻には辺りが薄暗くなっていた。急いで後片付けをして山を下った。
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2008年5月11日(日)雨〜晴れ |
おやじ山の春2008(山道具の手入れ) |
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2008年5月12日(月)晴れ、朝の気温6度 |
おやじ山の春2008(エンピツ削り) |
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2008年5月13日(火)晴れ |
おやじ山の春2008(S君の来訪) |
台風2号が伊豆諸島に接近しその影響か一晩中強い風が吹いた。このキャンプ場に来たばかりの頃はまだ春も浅く、風の音は枝を切る高い音色だったが、昨晩吹き荒れた風は展開した木々の葉を攪乱する潮騒の音である。夜中に目を覚ましラジオを点けて耳元に寄せると、ちょうどNHKのラジオ深夜便でフルートアンサンブルの演奏中だった。ビオラの弦の音がテントの上の風の打ち寄せる波の音と重なり、フルートの高音がその風の引き潮のざわめきと重なり、そしてビオラとフルートとチェロの三重奏が渦巻く潮の轟きと重なって、小さな演奏が巨大なエコーとなって響き渡っていた。
3時にトイレで外に出ると、コナラの枝を通して西の空は星空である。しかし重く纏まった風は木々の枝を大きく揺れ動かして大きなボール状の風の形が目に見えるようである。
5時半起床。意外や、快晴である。そして8時過ぎに雲一つ無い青空の下をおやじ小屋へ向かう。やっぱり嬉しくて仕方がない。小屋に着いてからの山回りで、昨年の秋の除伐で伐った太い木がヤマボウシだと分かってガッカリする。そして谷川に下りて川縁の雑草を刈る。(こんな事はどうでも良くて早く小屋修理にかかれば良いのに、やっぱり「鉛筆削り」をやってしまう)
今日の昼飯はちょっと贅沢に缶ビール1本とインスタントラーメン。そしてアルコールでふらついたせいか池側の壁の背板は3枚しか張れなかった。大音をたてての作業中に若杉の森のスギの木の天辺で頻りにサシバが鳴いて本当に気の毒だった。そしてオス、メスのペアーの鷹がこのスギの木から飛び立つのを現認した。
午後5時半下山。テントに戻ると仙台から来たS君が夕食のご飯炊きをしていた。そして「今日からお世話になります。○○オバちゃんから言われてお手伝いしてます」とニコニコと挨拶した。真っ赤な夕陽を見ながら3人揃っての夕食だった。 |
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2008年5月14日(水)曇〜雨 |
おやじ山の春2008(皮剥き) |
(四川大地震の死者が1万2千人超とのニュース、大惨事となった。)
低気圧が接近し新潟県に低温注意報が出た。そして夜中にパラパラと雨の音がして、昨日の小屋作業で外に放置したままの板が気になりながらウトウトと雨音に耳をそばだてていた。。夜が明けるのを待って車で見晴らし広場まで行き、おやじ小屋の前の濡れた木材を整理してブルーシートをかける。
小屋から戻って外で朝食を摂っていると再び雨が降ってきた。それで午前中は実家にワラビを届けに行き、ついでにホームセンターに寄って空気の抜けたネコ(一輪車)の車輪を買ったり(790円)小屋修理の素材の下調べで店内をぶらついた。
午後はS君とカミさんと3人でおやじ小屋に行き、S君には背板の皮むきを手伝ってもらった。カミさんの指導で必死にやっていたが「あっ、それじゃあとてもダメね。こうするのよ、ほらね!」とカミさんの手厳しい評価にS君は萎れていた。(お蔭でカミさんの皮むきの地位がこれでしっかりと固まり、本当にヤレヤレである)雨になったので小屋に逃げ込み、囲炉裏に火を焚いて暖をとった。こんな寒い日の小屋の中での焚き火は、赤い炎を見詰めているだけで心まで温かくなって、実にいいものである。
夜は皆で「麻生の湯」に行った。 |
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2008年5月15日(木)晴れ |
おやじ山の春2008(北外壁の完成) |
4時半、野鳥の鳴き声で目を覚ます。今日の天気予報は「新潟地方は全般的に快晴」で、野鳥達も嬉しいのか普段よりは賑やかである。
今日は近くの国立長岡高専の生徒1,000人がディキャンプでこのキャンプ場に来る日で、昨日の雨も上って本当に良かった。それで炊事場に干してある鍋やまな板をテントに引き上げ、生徒達が来る前に3人でおやじ小屋に行った。いつも思う事だけど、晴天の日のまるまる1日、山で過ごすことが出来ると思うと本当に嬉しくて仕方がない。
小屋に着いてからの例の「鉛筆削り」は、おやじ山の入口に架けてある「ヤマユリ○○・・・」看板のヒモ替え、そして新たに山に来た人が帰りに見えるように「また、いつでもお寄り下さい」の看板作り。板切れに筆で字を書いているのをS君がじっと見ていたので、「あまりいい字が書けなかったなあ〜」と正直にS君に自己評価を伝えると「あ、おじさん!大丈夫。誰もこんな看板見ないから」と相手も小憎らしいほど率直な意見を言う。「それなら、ま、いいかあ〜」とようやく本業の小屋修理にかかった。カミさんとS君は今日も背板の皮むきである。
昼飯が終わるや否やカミさんは「ちょっとワタシ・・・」と職場放棄して谷を下ってワラビ採りに行ってしまった。そしていつもの事だが、「ちょっと」などと生半可な時間ではなくそろそろ下山する時間になってようやく小屋に戻って来るのである。
取り残されたS君に手伝って貰って、今日は晴れて北側外壁が完成した。(最後のせり出しのカットだけは残ったが)そして頃合いを見計らったようにカミさんが戻ってきたので、皆で夕焼け空の山道を下った。
S君最後の夜なのでキッチンテントはいつもより少し贅沢な惣菜が並んだ。私は昼の肉体労働と夜のアルコールで身体が崩れてテントに引揚げたが、カミさんとS君のお喋りが夜遅くまで続いていたのは知っていた。
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2008年5月17日(土)晴れ、気温高し |
おやじ山の春2008(山で会う人々) |
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2008年5月18日(日)晴れ |
おやじ山の春2008(入口ドア作り) |
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2008年5月19日(月)朝晴れ〜曇 |
おやじ山の春(脳を守ること) |
ハルゼミが頻りに鳴いて、こんなに春のセミがうるさく鳴く年も珍しい。昨夜の深酒で体がだるくて仕方がないが10時過ぎにおやじ小屋に「出勤」した。強い風がゴーゴーと吹いて森の葉っぱをバタバタと裏返している。ブナの水遣りをして、今日の作業は入口ドアの型枠の上辺にスギ丸太を渡すことである。チェーンソーで丸太を切っていると風で折れたスギの枯れ枝がバサリと落ちてビックリする。慌ててヘルメットの紐を締めて頭を防護する。自慢じゃないが私は外の作業では怪我をしないように防御対策には充分気を遣う。しかしその割には脳を内部からアルコールで破壊されないように防御する対策は・・・やっぱり極めて不充分だなあ。午後5時に下山する。
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2008年5月20日(火)雨 |
おやじ山の春(モリアオガエルの初産卵) |
午前0時過ぎからテントに当たる雨音が大きくなった。おやじ山に来て今日で何日目になるだろうか?と指を折って数えてみる。山の中に居ると季節が日一日と動いているのがよく分かる。それは外の風景の視覚的な移り変わりというよりは(勿論それもあるが)体全体で感じ取れる空気の流れと時間の遷移の体感である。この山の中での空気と時間を包んだ季節が自身の体内を通り過ぎて行くのか、自分が森の中の季節に同化して動いているのか、その辺は私自身もよく分からない。
午前9時半に傘を差して瞑想の池にモリアオガエルの観察に行く。予想通り今年初めての卵塊が池ぶちのトチノキの枝にぶら下がっていた。2個あった。
ヤマボウシの花(正式にはガク片である)が薄緑色から日を追うごとに白くなって、緑の森の中で存在感を発揮し出してきた。雨の中でぼんやり煙ったようなヤマボウシの白もなかなか風情があっていいものである。
雨が激しくなっておやじ小屋への「出勤」は止して長岡中央図書館に行った。奥越後の松代に住む高橋八十八氏の名著書「森の手紙」を楽しく読んだ。 |
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2008年5月21日(水)晴れ |
おやじ山の春2008(野鳥の氷川きよし) |
「ホ〜ォォ〜〜ホケキョ!!」とビックリするようのウグイスの大声と「グジュグジュグジュ・・・・」とくすぐったいようなエナガの鳴き声で起きてしまった。朝の散歩に出かける。ウグイス、ホトトギス、キクイタダキ、アトリなどの鳴き声を耳にし、そしてキジバトの「ポッポッ・・・ポッポッ・・・」と野太い低音が山に重くこだまして思わず「ほほう〜」と見直してしまった。こんなキジバトの鳴き声を街中で聞いても「ウルサイ!」と鳥に向って悪態をつくのがせきの山だが、こうして静かな山で聞いてみると何やら心が澄んでくる。
午前中おやじ小屋で仕事をしていると近くのスギの木の天辺でクロツグミが朗らかな大声で鳴き出した。白い腹に黒のごま塩の斑模様の姿も見えて、手を休めてしばらく鳴き声を聞いていた。全く天性のエンターテナーである。その囀り方はバラエティに富んで他の鳥たちのように同じ節を繰り返したりはしない。その上物まね上手で、ウグイスの「ホーホケキョ」やオオルリやキビタキの震えるような鳴き方も真似て、私は「野鳥の氷川きよし」と名付けたくらいである。
入口のドア取り付け用型枠と柱の隙間を埋める作業を終えて、いよいよドアの戸板作りにかかった。板材を寸法に合わせて何枚も切っていく。そして型枠に合わせながらカンナで削ったりノコギリを引き直したりと面白い作業ではない。午後5時には仕事を止めて山を下りた。テントに帰ると何処の山に一人で行って来たのか、カミさんはどっさりワラビを採ってきていた。 |
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2008年5月22日(木)晴れ |
おやじ山の春2008(ウラジロヨウラクの恥じらい) |
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2008年5月23日(金)晴れ |
おやじ山の春2008(ドラム缶風呂) |
朝一番のウグイスの鳴き声は決まって朝4時半少し前である。この声でだいたい目が覚めてしまう。おやじ小屋の修理で毎日重いゲンノウを振り回しているせいか(あるいは長いテント生活で硬い地べたに寝ているせいもあるかも知れない)朝起きると肩と首周りの筋肉がコリコリと痛い。寝たまま手を伸ばして犬や猫みたいに「ウ〜ン」と伸びをすると気持ちがいいのでやってみると、足の腿の筋肉が攣って「イテテテテッ!」となって跳ね起きてしまった。
いつものように午前におやじ小屋に出勤し、戸板のクギ打ちを丁寧にやって立派な(自分で言うのも何だが)ドアを完成させた。カミさんにはスギ背板の皮むきをやって貰ったが、やっぱりいつの間にか姿が消えてワラビ採りに行ってしまった。
午後4時に作業を終えてドラム缶風呂を焚いた。ラジオは今日の日中の気温は26度と伝えていたが、ここは幾らか涼しいとは言えビッショリ汗をかいた。ドラム缶風呂は入っている時は勿論、出てからの清々しい気分もまた最高である。薪の湯のせいか山の涼風のせいか・・・ |
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2008年5月26日(月)曇〜雨 |
おやじ山の春2008(おやじ池のモリアオガエル) |
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2008年5月27日(火)晴れ |
おやじ山の春(エゴの花とマルバマンサクとキツネ) |
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2008年5月29日(木)雨 |
おやじ山の春2008(二人の先輩) |
一晩中パラパラと雨がテントに当たっていた。午前2時半に目が覚めてそんな雨の音を聞きながら酒を呑み始める。こんな雨の夜中なのにホトトギスが「トッキョキョカキョク!トッキョキョカキョク!」と、せっつくような慌しさで喚き鳴いている。それから1時間ほど経ってからだろうか。今度は突然テントの真上で「ゴロスケホッホ!」とフクロウの大きな鳴き声がしてビックリ仰天した。急いでテントの外に出て木立ちに目を凝らしたが、残念、暗くて鳥の確認は出来なかった。
午前4時、眠れぬままに耳元で小さくラジオを点けていると、「NHKラジオ深夜便・心の時代」という番組で母校長岡中学(現在の長岡高校)の大先輩、後藤文雄氏のインタビューが流れて来た。氏は1929年(昭和4年)長岡生まれで現在カトリック吉祥寺教会の司祭をやっておられる。番組の題名は確か「学問からの希望・希望から平和へ」だったと思うが、氏が昭和20年8月1日の長岡大空襲で母や妹達を亡くし、その5日後に女学校の校舎の中で包帯だらけで泣いていた弟の看病と終にはこの弟を死なせてしまった無念の思い、そして僧侶だった父親への強い反発とある女性から長岡の教会に誘われて通い(実は私も中学時代、ある女性に誘われてこの教会に何度か行ったことがある)、同じ宗教者としても父とは別の道を歩んで神父となり、そして14人のカンボジア難民を引き取って里子として育て上げ、難民救済も子ども達の教育から始めることが大切だとして「学校づくりは希望づくり」と、現在はカンボジアで14校目の学校を建設中であることなどの話しが続いた。後藤神父はこうも言った。「カンボジア難民の子どもを世話することで、実は自分もこの子ども達から助けられていたのです」「子ども達は学問することで自分自身で判断できる知識と知恵が備わり、それが相手を許すことや対話へと繋がり、そして未来に希望が持てたり希望が見えたりする世界へと繋がっていくのです」
長岡では誰もが小林虎三郎の「食すれば1日、教育に充てれば生涯」の米百俵の精神を知っているが、こうして世界の舞台で実践している郷土の出身者を知って限りない誇りと勇気を持たせてくれるのである。
雨が間断なく降り続き、今日の山作業は止めて体のあちこちが痛み出して疲労の溜まった体をゆっくり休めることにした。それで湯之谷温泉の大湯まで車で行って日帰り湯に入ることにした。誰一人いない大きな湯船に長い時間体を沈めてゆっくり筋肉を揉み解した。
大湯からの帰りに堀之内町にある「宮柊二記念館」に立ち寄ってみた。歌人宮柊二も長岡高校(旧制長岡中学)の大先輩である。ちょうど「コスモス創刊55周年記念<宮柊二青春の歌展>」というのをやっていた。その中の一首、長岡中学校時代16歳の時の歌、「もやごもる佐渡の岬を望みつつ 我が舟は急ぎぬ青海原を」 いいなあ〜青春!若者よ、今を大事に精一杯生きよ〜!ワ〜ッ!ダ〜ッ!チキショーッ!(何やらムラムラと興奮してきて吼えたくなってくるなあ〜)
夕方、テントに戻って高台に椅子を持ち出して缶ビールを呑む。すっきり晴れて遠くに佐渡の山影が望まれた。そして青い田と綺麗な夕陽・・・
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2008年5月30日(金)晴れ |
おやじ山の春2008(サンコウチョウの初鳴き) |
午前0時過ぎにトイレに起きると満天の星空だった。そして今日はすっきり晴れ上がって絶好の仕事日和である。
一人で山に入り、いよいよおやじ小屋の南側の壁作りに着手する。先ずはサッシ窓を取り付ける柱のホゾ穴をノミとカナヅチで丁寧に刻んで土台の上に立てる作業である。そして2本の柱を立て終わってこの上にスギ丸太を乗せて梁を作る。倒したスギの木の中から適当な丸太を選び、チェーンソーで節を削いでから皮を剥いて梁材に仕上げるが、これもなかなかの重労働である。仕事をしているとサシバが「ピックィー!ピックィー!」と頻りに悲しそうな声で鳴くし、それに今日は「ピヨロピ、ホイホイホイ!」とサンコウチョウが初めて鳴いた。この「ピヨロピ・・・」が「月日星(ツキヒホシ)・・・」と聞こえて3つの光なので「三光鳥」という名前がついたというが、せっかくこれらの野鳥たちが囀ってくれている中で「ドンドンガラガラ」と大音をたてて大工仕事をしているのが全く鳥たちに申し訳ない。
昼の休憩は小屋の裏の木にハンモックを吊るして休んだ。ゆらゆらと小さく揺らしながら目を瞑っていると、体の疲れが抜けて行くようである。
今日は窓枠の仮付けまで終わって山を下りた。テント場に戻ると越後三山に花の写真を撮りに行った次兄が寄ったらしく、テーブルの上に次兄が写した森林インストラクターの皆さんの記念写真が置いてあった。
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2008年5月31日(土)雨 |
おやじ山の春2008(草もちづくり) |
夜中から雨が降り出し、朝には本降りになった。それで東山ファミリーランドの中にある「農の駅(ふるさと体験館)」で「草もちの作りかた」という料理教室をやっているというので、飛び入り参加した。参加料は300円で作った草もちは6個持ち帰れると言う。30人ほどの参加者の中で男性は僅か二人。私ともう一人は70歳前後のバンダナと前掛け持参の常連さんである。ご婦人達に混じって、こねたり、ちぎったり、あんこを詰めたりとなかなか面白かった。同じグループの一人のご婦人が「いついつの料理教室ではどうの、いつのはこうの」と私に頻りに話しかけて自分では手を動かさないものだから、当グループの生産性は一番悪くて後片付けも最後になってしまった。
夕食はテントに入って自作の草もちを食った。美味かったが酒を呑みながら草もちというのも何か変な感じだったなあ。
今日で5月が終わった。季節はすでに夏に移っていた。
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