最後のページは4月30日(「おやじ山の春2008」を4月22日からアップしました)

2008年4月3日(木)晴れ
さまざまのこと思い出す・・・
 連日の深酒のせいで最近何やら記憶が薄れてきたようである。それで桜を見に行くことにした。松尾芭蕉の<さまざまのこと思い出す桜かな>の句がテレビコマーシャルで流れたのを思い出して「そうかあ〜俺も桜でも観てさまざまな記憶を呼び戻してみるか」と腰を上げた次第である。
 近くの大庭城址公園に行ったらちょうどソメイヨシノが満開(10分咲き)だった。公園の奥に太くて大きなヤマザクラの木が1本あるが、これも絢爛として咲き誇っている。ここ藤沢ではまさに今日が桜のピークの感じで、欲張って午後からは自転車で慶応大学湘南キャンパスまで走ってグランドの桜を見(これは大したこと無かった)、それから帰りに宝泉寺の境内の桜を観た。
 私の桜の思い出というと、ガキの頃、郷里長岡の桜の名所「悠久山」に両親に連れられて行った夜桜見物である。雪国の春の夜はやっぱり冷え込んで、おやじは家から七輪をぶら下げて「お山」(悠久山のことを長岡の人は「お山」と呼んでいた)に持ち込み炭火を熾して暖まりながらの花見だった。しかしずう〜っと昔、小さなゴザの上で家族で七輪を囲んでスルメなどを焼いて食っていたかと思うと、ちょっと涙ぐんでしまう。そしてまた思い出したけど、川柳に<昔とは父母がいませし頃を云い>(麻生路郎)というのがあった。

大庭城址のソメイヨシノ

大庭城址のヤマザクラ

宝泉寺の桜
2008年4月4日(金)晴れ
井上ひさし氏「九条を生きる」

 今日の日中はまるで初夏の陽気だった。朝10時に鎌倉駅で森林インストラクター神奈川会の人達と待ち合わせをし、鎌倉風致保存会の活動フィールドである十二所果樹園に行った。5月末にこの場所で「子ども樹木博士」の検定試験のイベントをやるというのでお手伝い(というか、久々の観察会)をするためである。参加した7名の仲間と一緒にのんびり樹木や草花の観察をしながら子ども博士検定試験の樹木を選んだ。選択した樹種はアオキ、アカマツ、イヌビワ、ウグイスカグラ 、ウメ、エゴノキ、エノキ、オオシマザクラ、ガクアジサイ、 クスノキ、コナラ、サルトリイバラ、スギ、スダジイ、タブノ キ、ネムノキ、ヒサカキ、ヒノキ、ミズキ、ムラサキシキブ、 ヤツデ、ユズの22種だった、と後でリーダーのTさんから知らされた。私は勝手に観察を楽しんでいただけで何のお役にも立てず誠にスミマセンでした。
 夕方鎌倉から自宅に戻り、大急ぎで夕食を摂って今度は藤沢市民会館に向かった。作家の井上ひさし氏の講演「九条を生きる」(ふじさわ・九条の会主催)を聴くためである。
 講演の内容は概ね次のようだった。国際社会は1899年開催の「第1回ハーグ国際平和会議」、その8年後の「第2回ハーグ国際平和会議」で史上初めて真正面から平和についての論議を始め、紛争の平和的解決のための国際法の創出や国際人道法の基礎を築いた。国際社会は20世紀の悲惨な戦争の歴史を辿りながらも一方ではこの平和を希求するハーグ会議の精神を堅持し続けてきた。そして1999年開催のハーグ世界平和市民会議(実質的な第3回ハーグ国際平和会議)では「各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」というハーグアジェンダを採択したのである。これほどまでに世界が日本の憲法第9条を評価し戦争放棄の方向に向かおうとしているのに、当の日本で9条を変えようとしている人達がいる。我々の手でしっかり憲法9条を守りましょう。ザックリこんな内容だったと思う。そして井上ひさし氏は「国が戦争を始めた場合、もはや一般市民には戦争への選択権が無くなってしまう」として次のような数字を挙げた。各戦争における軍人と一般市民の戦死者の数である。
 第1次世界大戦時の軍人と市民の死者の比率<軍人95%:市民5%>
 第2次世界大戦時の比率<軍人52%:市民48%>
 ベトナム戦争時の比率<軍人5%:市民95%>
 イラク戦争の戦死者数<米軍4,000人、イラク人65万5千人(2006年10月11日、イギリスの医学誌ランセットの発表)さらに戦争によるイラク人難民400万人>
「平和とは戦争状態にないということだけではなく、未来に希望がある、ということである」と氏は講演を結んだ。

2008年4月16日(水)晴れ
農園アルバイトの再開

 今日、何日かぶりでN農園のアルバイトに行った。もう辞めた(クビになった?)筈だったが先月3日間だけ勤めたお給料を貰いに(ここは昔ながらの現金封筒で渡される)N農園に行ったら、「今度はいつから出勤できますか?」と言われてしまった。それで「あれ?」と思ったけど咄嗟に「はい、取敢えず16日からまたお世話になります」と答えてしまった。何しろ4月に入ったら、やれ○○会の年会費だ、やれ○○会の総会だ(これだけで済めばいいけど決まって会の終了後に懇親会があって、まあこれが楽しみで会議に出席するするようなもので・・・)と出費が嵩んで思わずスケベ根性が出てしまったのである。
 春の今頃は野菜の苗の出荷の最盛期で農園は大忙しである。久々の出勤で朝礼の時には「関さん、まだ生きてた?」などとニヤニヤ笑ってた社員も、いざ仕事に入ったらまるで鬼の形相で「ほらほらもっとスピード上げて!こんな調子じゃ今日の出荷に間に合わないよ〜!」とハッパを掛け続けるのである。私の作業はポット苗のラベル(名札)差しで、午前中のキュウリから始まって、ナス、青じそ、トマト、カボチャと今日1日で4千枚ほど差し続けた。出荷
トレイの中に4列に並んだポット苗に、頭の中で「1,2,3,4、ハイ!」「1,2,3,4、ハイ」「1,2,3,4、ハイ」「・・・・」と差し忘れがないように無限にカウントを繰り返していたので、ヘトヘトになって家に辿りついても頭の中で「1,2,3,4」がグルグル回ってこびりついてしまった。それで晩酌の酒を呑む時も「1,2,3,4、クイッ」「1,2,3,4、クイッ」「1,2,3,4、クイッ」「・・・・」「・・・・?」 「もう無い!」。 労災認定してもらわなくちゃあ・・・・

2008年4月19日(土)晴れ
同窓会、そしておやじ山へ

 N農園のアルバイトは取敢えず昨日で終わった。昨日は大荒れの天候でアルバイトの数も少なくメチャクチャ忙しかった。1日中変な格好で種播き作業をやっていたので脇腹の辺りが筋肉痛になった。枝豆、ピーマン、シシトウ、コーンなどの種をポットに3粒づつ転がし入れては土を被せ続ける作業だったが、品種毎に種を埋める深度が違うので指が覚えるまでちょっと神経を使う。それで品種が切り替わる時に身体のある部分に力が入ってしまうのかも知れない。
 そして今日はこれから高校時代の東京同窓会に出席する。実は、この会に出るためにおやじ山行きを今まで延ばしていたのである。私の母校は新潟県立長岡高等学校、新潟県では一番歴史の古い「米百俵」ゆかりの名門校(あえてこう呼ばさせていただきます)である。校歌は高等学校なのに「わが中学の〜・・・♪」で始まる。東京同窓会は毎年母校の先輩山本五十六の命日(4月18日)前後に開催され、戦前からの卒業生を含め500人以上が出席している大イベントである。私の同級生には以前テレビの「今日の出来事」にアンカー出演していた国際ジャーナリストのSさんがいて、「あ〜ら関クン、元気だった?」とにこにこ会えるので楽しみである。
 今日の同窓会が済んで明日、おやじやおふくろが待っているおやじ山に向かう。

2008年4月22日(火)晴れ
おやじ山の春2008(山入りの日)

 午前0時過ぎにパンパンのキャンプ道具を車に詰め込んで藤沢の自宅を出発した。予定では20日の出発だったが古い友人から突然電話が来て、旧交を温めるために真昼間からお神酒で身体の方まですっかり温めてしまった。それで1、2日出発が遅れたが今年もこれからおやじ山に行けると思うと嬉しくて仕方がない。
 午前5時に関越道の越後湯沢インターを下りて、夜明けの国道17号線をスピードを落としてゆっくり走った。まだ真っ白い雪を被った越後三山をバックに手前の農家の庭先で絢爛と咲いている桜の花とのコントラストが実に見事で、車を停めてこの風景を眺めながら大きく伸びをする。
 おやじ山の麓のキャンプ場には午前6時半に着いた。長岡東山ファミリーランドのベースキャンプ地で毎回私とカミさんが大変お世話になっている場所である。テントを張り終えてから出勤して来た管理人のIさんに「またお世話になります」と挨拶すると「はい、お帰りなさい。今年は少し遅かったですね」と言われてしまった。
 早速コンビニで買ったおにぎりを持っておやじ小屋に向かった。カミさんは早速1人で山菜採りに行ってしまい、私は1人で小屋の冬囲いの板やトタンを外し、清水を溜めている酒樽の泥を洗い流し、尾根の下にあるトイレの壊れた屋根を取り除いたりした。(これらの作業が終わるのを見計らったようにカミさんは山菜採りから戻って来た。さすがと言うか、何というか・・・)そしてようやく小屋の囲炉裏に火を焚いた。すると「ピックイー・ピックイー!」とサシバの鳴き声が聞こえてきておやじ池のすぐ向こうのスギの木に止まった。嬉しい、おやじ山にサシバが来た!(後日確認するとこのスギの木でサシバが巣作りをしていた)
 キャンプ場に帰ると管理人のIさんが「あれ〜!たった今関さんを訪ねて来た方が帰られましたよ。まだその辺に居るかも知れません。沼津ナンバーの車でした」と言うので「Kさんだ!」と分かった。すぐ車で追っかけたけど見当たらない。「あ!携帯電話だ!」と電話をかける。Kさん夫婦は長岡市内でこれから人に会う約束があると言っていたが、何とテント場に戻って来た。伊豆の筍、菜の花、ミカンと早速の有難い差し入れである。
 夜は久々の「麻生の湯」で長いドライブの疲れを癒した。
 

2008年4月23日(水)晴れ
おやじ山の春2008(せっかちな春)

 頻りに鳴くウグイスの声で目を覚ました。地元のラジオが「今日の中越地方の最高気温は26度、7月中旬頃の陽気でしょう」と言っている。
 朝早く信州からOさんが「おはようございます!」と元気な声でテント場にやってきた。急いで朝食を済ませOさんと一緒におやじ小屋に向かう。小屋の周りは雪で折れたスギの枯葉が敷き詰めたように
重なり落ちて、先ずはこれの整理である。Oさんは態勢を整えてから山菜採りに山に入った。枯っ葉を熊手で集めてはおやじ池の脇の焚き火場でどんどん燃やしたが、近くのスギの木でサシバが「ピックイー・ピックイー!」と鳴き出して困ってしまった。風の具合によっては焚き火の煙が巣まで届いてしまうのである。それで気温も上ってきたし山火事でも起こしたら大変と11時頃には焚き火を消した。
 例年は今頃満開となって息を呑むほどのおやじ山のカタクリやキクザキイチゲが、残念今年は終期に近く、変ってイカリソウが満開である。そしてオオイワカガミがたくさん蕾をつけているが「はて?春の花の順序はどうだったかなあ?」と地球の温暖化異変で私の頭も狂ってしまった。既にタムシバの白い花は茶色く染み汚れて地面に落ち、枝からは新葉が吹き出している。ムシカリも花の盛期は過ぎて和紙を揉んだような皺々の大きな葉っぱが展開中である。
 さて肝心の山菜であるが、コゴミは完全に葉が開き山菜としての時期は終わっていた。ゼンマイは今がまさに盛期、そしていつもの年より可なり早く、ワラビもそろそろ採り頃である。おやじ山の春の草花も山菜も、まるで早送りの映像のようにせかせかと季節を凝縮してしまっている。何とも今年の春はせっかちに思えるのである。
 「太いヘビ、2匹見た」と言いながらもどっさり山菜を担いでOさんがおやじ小屋に戻ってきた。そして昼には二人で山を下りてキャンプ場に戻った。Oさんはこれからすぐ信州に帰るという。今日採ったゼンマイをすぐ処理して海外に住んでいる親戚に届けてやるのだという。来たばかりだというのに、全くOさんもせっかちな人である。
 夕方は悠久山湯元館に行って「また来ました」と宿主ご夫婦に挨拶した。そしてゆっくりお風呂をご馳走になってからテントに戻った。

2008年4月24日(木)雨
おやじ山の春2008(サシバの鳴き声)

 パラパラとテントを叩く雨の音で起き、外に出た。小雨である。昨日はおやじ小屋の周りのスギっ葉を山ほど集めたが、サシバが頻りに鳴くので焚き火を途中で止してしまった。気温が上って危なかったせいもある。今日の天候は昼前からまとまった雨との予報で幸い風もない。それで朝早くインスタントラーメンの袋とウーロン茶と伊豆のKさんから貰った夏ミカンをリュックに詰めておやじ小屋に行った。
 やっぱり炊き火を始めると小屋のすぐ上で「キッスミー!キッスミー!」
と尻上がりの誠に悲しげな声でサシバが鳴いて、谷向こうのスギの天辺まで飛んで行ってしまった。(サシバは周囲1kmほどの場所をナワバリにして鳴きながら飛び回ってナワバリ宣言をする。カラスなどが近くの木に止まると、やっぱり「キッスミー、キッスミー」である)「ゴメン、急いで終わりにするから・・・」とどんどん枯れ枝を燃やし続けて11時頃終わると同時に、「ザー!!」と大雨になった。何とタイミングが良いことか。小屋に逃げ込んで囲炉裏に火を熾しインスタントラーメンを作って食べた。おやじ小屋の中でじっと焚き火を見詰めながら雨音を聞いているのも、なかなかいいものである。
 12時過ぎに傘を差してテントに戻ると、何とカミさんが頭からすっぽりフトンを被ってまだ寝ている。「どうした!具合悪い?!」と慌てて聞くと「ワタシ、眠くて眠くて・・」と15時間以上も寝ていてまだ寝足りない様子である。あ〜あ、先が思いやられるなあ〜。
 それでも午後はキッチンテントの中でカミさんはゼンマイの煮物を作り、私はフキミソを作って当面の保存食とした。
 夜、テントを叩きつける激しい雨音を聞きながら眠りに就く。
 

2008年4月25日(金)曇り
おやじ山の春2008(Kさんの来訪)

 今日は郷里での用件を終えた伊豆のKさん夫婦がおやじ山に山菜採りに来る日である。幸い雨は上ったが気温は一気に下った。まあ、例年の春の気温に戻った、と言ったほうがいいかもしれない。
 kさんの来訪は午前10時なのでそれまで散歩することにした。見晴らし広場までぶらぶら歩いて行ったらバイクに乗ったAさんにバッタリ出会った。Aさんは山菜採りの大ベテランで山主の私よりはおやじ山の山菜場所を知り尽くしている。「いや〜久しぶりだなあ。ようやく山に来なしたかね。さっきまでおめさん(お前さん)の山で少しばっかり山菜採らさして貰ったてえ」とニコニコ笑いながら懐かしがっている。「ええ、どうぞどうぞ」とバイクを見ると、前と後ろの席にパンパンに膨らんだ山菜袋が重そうにくくりつけられている。何本かの立派なウドを貰ってAさんと別れたが「ああ、あの人が入った直後なら今日のおやじ山は丸坊主だなあ」とKさん達に気の毒な気がした。
 予想通り、予定の時間より早くKさん夫婦がキャンプ場に着いた。もう鼻息も荒くなっている筈である。何しろKさん達は下の駐車場に着くやいなや、まるで自衛隊か消防士の出動よろしく手早く身支度をして既に臨戦体勢である。ちょっと熱を冷ますために「朝早くおやじ山に山菜採りのプロが入って、もう無いよ。何〜んにもない!」と意地悪を言う。「ウソ!ホント〜?」とKさんは怪訝気である。早速おやじ小屋に行って谷向こうの山菜の斜面に入った。「どうです?ありますかあ〜!」とどんどん斜面を登るKさんに下から大声で聞くと、「あるある。いいウドがいっぱいあります!」との答えである。Aさんが入った後とは言えさすがおやじ山の山菜である。
 ウド、ウルイ、ゼンマイ、ワラビ、シドケ、ヤマアスパラ(シオデ)などを採って山を下りキャンプ場に戻った。すぐに仕分けをしてからキッチンテントの中で打ち上げをした。Kさん夫婦は今回も銘酒朝日山と市内でお店をやっている同級生のO君手作りのおにぎりの差し入れを持ってきてくれた。そして午後二時過ぎに「ありがとう、また来ます!」とKさん達は元気に伊豆に帰って行った。
 今日は木工房のNさんに小屋修理のための杉の背板を更に30枚頼んだ。今年の春こそ本格的に小屋を直すつもりでいる。

2008年4月26日(土)晴れ〜雨
おやじ山の春2008(鋸山に登る)

 今日は郷里の名峰「鋸山」に登った。里山の春が例年になくどんどん進んで、カタクリやキクザキイチゲのスプリングエフェメラルの花々がまさにはかなく消えそうになっているので、「さて、鋸山ならどうだろう?」と様子を見てくることにした。
 キャンプ場から車で15分ほどで登山口に着く。のんびり10時頃に登山口に乗りつけてみると道路脇には列になって車が停めてある。今日は土曜日とはいえこの山の登山客も随分増えたものである。私がガキの頃はこの山に来るのは、ネマガリダケ狙いの山菜採りの猛者か年1回の小学校の遠足の生徒ぐらいのものだった。地元のボランティア団体の熱心な登山道整備のお蔭でよほど登りやすくなったためだろう。

 ゆっくり写真を撮りながら登り始めて30分でミズバショウの自生地に着く。途中の登山道ではおやじ山のスギ同様、3月の大風で折れた無残な倒木があちこちに見られたが、きれいに玉伐りして道脇に除けてあった。そして次第にニリンソウやオオバキスミレ、キクザキイチゲのお花畑になり、1時間後には登山道が見事なカタクリのプロムナードとなった。花立峠の直下はまだ雪が残っている。これが消えるとまた雪の下で眠っていたカタクリやショウジョウバカマが一斉に咲き乱れる筈である。
 祠のある花立峠の展望台から鋸山頂までは新緑のブナ林を縫って15分である。途中薄いピンクのイワウチワが慎ましやかに咲いていたが、花が大きいだけに登山客には目立ってしまう。
 山頂に立つと銀色に延びた信濃川を中心に長岡の街並みが広がっている。懐かしい「水穴」のコゴメ畑も随分緑が濃くなって見える。後ろを振り返ると真っ白に雪を被った守門と浅草岳、長岡藩の名家老河井継之助が会津に向った六十里越えの峠の右には、これも銀白の越後三山が望まれた。
 降り始めた小雨の中を下山し、午後1時半にキャンプ場に戻った。これから雨をおしておやじ小屋に行く気にもなれず川口温泉に行って湯に浸かることにした。









2008年4月27日(日)曇り
おやじ山の春2008(山仕事のスタート)

 今日からようやく山仕事のスタートである。いつも山入りの当初はぐずぐずとこんな調子で、下山間際になってから「あれ?何にもやってない!」と慌てる始末である。(結局、今回もまた小屋修理に追われてそうなってしまった) おやじ小屋の物置を開けてチェーンソーを取り出しエンジンをかける。嬉しいことに愛機ハスクバーナのエンジン音は快調である。
 まず尾根沿いの地元の山菜採りの踏み道に倒れたスギの片付けから始めた。今年の冬は何とスギの被害が大きかったことか。こんな年は初めてである。同じ山持ちのAさんの話しでは、どこの山も同じで、冬の雪で折れたのではなく能登で高潮被害があった3月の大風で倒されたのだという。数日前にミゾレが降ってそれが木々の枝に氷付いたところに風が吹き荒れたためだと解説してくれた。昨年の秋の終わりに柱材用に倒したスギも、掛かり木になっていたのが運よく冬の間に外れて処理しやすくなっている。玉伐りして小屋の脇に作った「ウマ」に運んだ。
 それにしても上空でサシバが頻りに鳴いて、本当に可哀想だった。チェーンソーのエンジン音がうるさいのだろうが、こちらも作業を止めるわけにもいかず困ってしまった。

 夕方、木工房のNさんの所に行って大きな木の家を建てた人から貰ってきたという端材を見に行った。「欲しいだけ持って行きなさい」という。端材といっても立派な柱や角材や板で私にとっては宝の山である。遠慮なく車に積めるだけ積んで持ち帰った。それに木工房の囲炉裏の縁に竹で作ったトンボのヤジロベエがあった。一言誉めたらこれも「持って行きなさい」である。こんなに気前が良い人も珍しい。

2008年4月28日(月)晴れ
おやじ山の春2008(今春の初風呂)

 今日は木工房のNさんの所から積んできた木材をおやじ小屋まで運び上げなくてはならない。朝食を済ませて直ぐに車で見晴らし広場まで運び、ここでおやじ小屋から持ってきたネコ(一輪車)に小分けしながら積み替えて何回か往復した。乾いた材なので軽くて意外と運びやすかった。
 そして今日もまたおやじ小屋の周りに落ちたスギの枯れ枝を集めて焚き火を焚いて片付けていると、午後4時近くなってから麓の村に住んでいるFさんが山から下りてきた。84歳のFさんは大の山好きだがこんなに遅い下山は珍しい。「あれ〜!随分遅くまで山に居たなあ」と驚いて声をかけると、「3時間も山菜袋を探し回ったっけ、やっぱし見つからんかったなあ」と残念そうに言う。いっぱいになった山菜袋を一度山に置いて、また別の袋で採ってるうちに前の袋をどこに置いたか忘れてしまったのだと言う。
「誰か見つけてここに届けてくれるこって」と慰めながらも、長話を始めてなかなか腰を上げないFさんの家族が家で心配しているのではないかと気が気ではなかった。
 そしてFさんが腰を屈めて帰ってからドラム缶風呂を焚いた。おやじ山での今年の初風呂である。やっぱり、凄く気持ちいい!湯から上った後も何とも爽やかである。 
 午後6時過ぎに山を下る。日が長くなり真っ赤な夕陽が西の空を美しく染めていた。

2008年4月29日(火)晴れ
おやじ山の春2008(小屋修理のスタート)
 午前3時、トイレに起きてテントの外に出る。満天の星空である。半弦のお月様も星空を邪魔することなく凛として輝いている。夜空を見上げながら少しキャンプ場を歩き回ってテントに戻った。
 ウトウトとして目が覚めたのは4時半である。しばらく寝袋に入ったままこれからの小屋の修理のことを考えていた。先日頼んだ30枚のスギの背板はまだ届かないが昨年の秋の残りが何枚かある。それに昨日運び上げた木材の中にサッシ窓の取り付けに好都合な柱材があって、作業方法をあれこれと考え続けていた。
 テントの外に出ると風もなくキリッと締まった晴天の朝である。谷川沿いの道を見晴らし広場まで散歩に出かけ帰りは作業道を歩いて来ると、自転車を押した山菜採りが上って来た。「早い人が居るなあ〜」と時計を見るとまだ午前6時である。すれ違い際に「おはようございます!」と声をかけると、顔を上げた相手はMさんだった。77歳(78になったか?)のこの人も毎年何度か山菜採りの帰りにおやじ小屋に寄ってくれる猛者である。まるで獣の足で山を歩き回って食事は山で火を炊いて飯盒飯を食う。ツルツルの崖でもピッケル代わりに何十年も使っているという柄の長い釘抜きトンカチを使って登ってしまう。「最近はそんげに使わなくなったてえ」と言いながらも絶壁の谷に下りるロープも携えているのである。しばらく立ち話ししてからMさんは「おめさん(お前さん)が居るなら帰りに小屋に寄るこて」とまた自転車を押して上っていった。
 今日からようやくおやじ小屋修理の再スタートである。昨年秋に東面の壁を背板で仕上げたが、今回の滞在中に残りの三面の外壁を何とか仕上げたいと思っている。先ずは北側の壁作りで、午前中から窓を取り付けるための柱の加工に取り掛かる。ノミとカナヅチで土台の台木にホゾ穴を掘って柱を立てるのだが所詮素人仕事でオス・メスがなかなか噛み合わなくて苦労した。
 それでも午前中に1本目を仕上げ、昼からは2本目のホゾ切りに入った。途中Mさんがどっさり山菜を背負って山から下りて来たので私も一緒に休んで山の様子を聞いた。
 2本目の柱を立て背板を3枚貼って午後6時20分に仕事を終えた。好天で日が長くなって嬉しい限りである。そして薄暗くなった山道を真っ赤な夕陽を見ながら急ぎ足で下った。
2008年4月30日(水)晴れ
おやじ山の春2008(東京からの客人)

 今日は次兄の客人がおやじ山に来る日である。何年か前から毎年山菜採りに山を訪ねてくれる東京からの3人の若い美人女性達である。
 朝の8時半に次兄と一緒に客人達がキャンプ場にやってきた。早速カミさんも伴ってみんなでおやじ山に向かった。おやじ小屋に着いてすぐ山菜採りに山に入るかと思ったら、次兄は「今飲んでおかないと帰りの運転までに酒が冷めないからなあ」と言い訳をしながらリュックから缶ビールを取り出した。そして「山に来たらこれが楽しみで〜」と紙コップに注いでみんなで「カンパ〜イ!」である。「アルコールが入るとやっぱり足が重くなるなあ」と言いながら次兄は客人達を連れて峰を登っていった。私は昨日からの小屋作りの続行である。
 次兄達は昼食後も再び山に入って山菜採りをしていたが、客人達は持ちきれない程の山菜みやげで皆ニコニコと満足そうである。そして午後3時にはみんなで山を下りてキャンプ場で次兄と客人を見送った。
 今日の日中は気温が25度まで上った。そしておやじ山のウワミズザクラのアンニンゴ(花の蕾、越後では塩漬けにして酒の肴にする)が午後には花開いた。