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最後の更新は4月30日

2007年4月1日(日)曇り、午後から晴れる
早春の山(ウグイスの初鳴き)

 向かいの山菜山の雪が全部融けた。木々の芽が一斉に芽吹いてきたようである。その山の斜面から谷を越えてウグイスの鳴き声が聞こえてきた。今年おやじ山で聞くウグイスの初鳴きである。その鳴き方が実にへたくそで思わず笑ってしまった。おやじ小屋の周りではようやくカタクリがピンクの花を咲かせはじめた。
 午前中に大型リュックを背負って三ノ峠山に登った。峰にある千本ブナの周りの稚樹を何本か掘ってナラの森に植えるためである。千本ブナの辺りはまだまだ雪が残っていたが、融けたところからはカタクリが一斉に芽を出し蕾をつけていた。ブナの幼木を7本掘り取ってリュックに入れる。ここから望まれる鋸山は3月に降った雪で薄く覆われて春の靄に青くかすんでいた。
 午後は掘り取ってきたブナをナラの森に
植え付け、それから山桜の斜面の低木伐採をやった。小屋の脇から下の谷川までの斜面をきれいにしたいと思っての念願の作業である。少しもったいないと思ったが、直径15cmほどのエゴノキを何本か伐り倒した。別名ロクロギの如く切り口は赤身のない真っ白なきれいな材である。
 夕食は三ノ峠の帰りに採ってきたフキノトウと鮭の切り身の焼き魚である。夜はフクロウの声。ノイローゼになると困るのでもう間をカウントするのは止すことにした。






2007年4月2日(月)曇り
早春の山(頭に春が・・・)

 山で携帯ラジオをつけていると、今の時期はとりわけ春の喜びの歌や別れ・旅立ちの曲が多く流れる。昨夜もラジオをつけたまま寝てしまい、深夜3時に可愛い歌声で目を覚ました。東京児童合唱団が歌う「どこかで春が」の合唱である。「どこかで春が生まれてるぅ〜♪どこかで芽の出る音がするぅ〜♪山の三月ぅ〜東風(こち)吹いてぇ〜♪どこかで春が生まれてるぅ〜♪」そしてもう一曲、歌詞は忘れてしまったが確か「故郷を離れる歌」である。聴きながら涙が出てきてしまった。
 今日は昨日の続きで山桜の斜面の整備を一日中やった。深夜に聴いた可愛い歌声が耳に残っていて、山仕事をしながら「どこぉか〜ではぁるうがうまれ〜てるぅ〜♪」と何十回口をついて出て来たことだろう。知らない人が聞いていたら「ああ!あの人の頭にも春が・・・!」ときっと嘆息されたことと思う。

2007年4月3日(火)雨
早春の山(早春に目立つ花木の花と葉の展開)

 今日は冷たい雨で手がかじかむ寒さである。作業は出来ず里まで下りて実家でメールのチェックをする。いくつかの連絡を読んで返事を送る。昨日は上越の高田でサクラの開花(5輪咲いた)と言っていたが、おやじ山ではまだまだ先の話しである。
おやじ山に入ってから目立つ花木の花と葉の展開を備忘的に記すと以下のようになる。
<花の展開時期>先ずマンサクの花〜3月下旬オクチョウジザクラ〜4月2日キブシ、クロモジ、ユキツバキの花
<葉の展開時期>3月下旬から4月上旬にかけて、先ずムシカリの皺々の新葉〜オクチョウジザクラの花が枯れ始めて新葉が展開し、そしてクロモジの鮮やかなグリーンの葉と花、ヤマモミジの赤く染まった新葉
、の順に推移する。

2007年4月4日(水)午前晴れ〜午後曇り〜夕方から雪
早春の山(初めての客)

 今日一日は目まぐるしく変わる天気で夕方には雪になった。
 朝は気持ちの良い晴天で起きてすぐ寝袋と洗濯物を三脚やロープに吊るす。朝食が済んで池の水が流れ出る樋で歯を磨いていると「はい、おはようさんです」とAさんがひょっこり現れた。今年初めての訪問者である。Aさんは三ノ峠山のすぐ下の山林を1.6ha持っている山主で、この辺の山を獣のように歩き回っている山菜採りの名人である。20〜30分立ち話をしてAさんが
森に消えて行ったと思ったら今度はNさんという人が入って来た。73歳だといい自分の健康のために週何回かはブナ平まで歩いているが、この道は何処に行くのかと途中からおやじ山に入って来たという。「ここに住んでいるがだけぇ?」と驚いたように伸び上がって私の肩越しに小屋とテントを見比べている。今までひとっこ一人来なかったのに続けて二人も訪ねて来るとは珍しい日である。
 午前中は伐倒したコナラの玉切り。シイタケのほだ木用に10本ほど作ったが時期的にはかなり邪道である。本来は秋の終わりに切り倒して水分を抜き、切り口に細かいひび割れが入る2、3月頃に玉切りをして植菌するのである。まあ試しにやってみよう、というくらいの気持ちである。
 午後は杉丸太で薪小屋を作り始めた。雨が降り始めパラパラとアラレに変わり、そのうち何と雪になった。温度計を見ると1度。作業に夢中になって寒さが分からなかった。向かいの山菜山の斜面が真っ白になって実に美しい。
 4時半、仕事を止めてテントの中で酒を呑み始める。そのまま眠って真夜中にトイレに起きると外は煌々とした満月で星も出ている。気温はちょうど0度、ホカロンを背中に2枚貼り付けて寝袋に潜り込んだ。









2007年4月5日(木)朝晴れ〜小雨〜アラレ〜晴れ
早春の山(おめでとう)

 今日は知り合いの息子さんの中学入学式なので、ここからおめでとう!今日の天候もクルクルと変わった。ラジオをつけていると時々天気予報が流れるが、まあ正確に当たったためしがない。
 午前中は山を下って中央図書館へ。お昼に山に戻る途中アラレが降る。遅い昼食後少し晴れたので薪小屋作りを続行。やはり夢中になって遅い夕食となった。餌が残り少なくなってきた。明日はフキノトウを採って来よう。
 

2007年4月6日(金)晴れ
早春の山(山火事?騒動)

 今回の入山以来初めてと言っていい晴天の1日だった。風も殆ど無い。絶好の焚き火日和で小屋周りに落ちている厖大な量の杉枯葉を集めて燃やすことにした。それで山火事騒動が起きてしまった。事の顛末はこうである。
 午前10時ころ新潟から次兄が山の様子を見にやってきた。次兄は1人で三の峠山から水穴と呼ぶまさに山菜の宝庫まで足を延ばして、フキノトウや出始めのコゴミを採って昼に帰って来た。二人で春の陽を浴びながら次兄差し入れのビールとおにぎりで昼食を済ませ、私は次兄の採ってきたフキノトウで蕗味噌作り、次兄は熊手とフォークで杉枯葉を集めて焚き火をしてくれた。何しろ悪天続きで杉っ葉も湿っていて、新たな杉枯葉を焚き火に加えるたびにもうもうと煙が立ち上る。これが夕方まで続いた。晴天の日の夕方は気温が一気に下がる。それで上空に上っていた煙が冷えた空気に押されてたなびくように下がってくるのである。多分、里で見ていた消防署が山を覆い始めたこの煙に山火事ではないか?と疑ったのだと思う。焚き火も終わりかけた午後5時頃、毎年キャンプ場でお世話になっている企業公社のKさん、Hさんと消防署員2人がおやじ山に入ってきた。「はて?こんな時間にどうしたのだろう」と思っていると、「やっぱりここだ。山火事かと思って確認に来た」と言って早速Kさんが携帯電話で「関さんの焚き火でした」と事務所に連絡した。「いやあ、迷惑を掛けちゃったなあ」と次兄、「あの〜、始末書はいいですか?」と私。4人は笑いながら帰って行った。これからは大々的な焚き火の時には麓の事務所に事前通知することにした。
 この日、薪小屋完成。我ながら上出来である。(後日、この小屋を物置に改造した)







2007年4月7日(土)晴れ
早春の山(初蝶と夜の散歩)

 今日も1日良い天気だった。山仕事も随分はかどって、午前中はナラの森で伐採したコナラの玉切りと枝の整理、新たな伐採木の周りの下刈り、午後になって南斜面の杉の枝打ち、百年杉の森の湧き水周りの下刈り、そして道下斜面のクルミの木と30年ほどの杉の木2本を倒した。クルミを伐った後の切り口の樹液が凄く「痛いよう〜痛いよう〜」と言っているようでちょっと可哀想な気持ちになる。クルミの幹も固くてチェーンソーの歯の刺さり方が他の木とは違う。
 午前中、ナラの森の整備中に「ピーピー」と上空でタカの鳴き声がする。何日か前にも見た3羽である。そのうちの1羽がまるで弾丸のように垂直に降りて森の陰に消えた。サシバの猟である。
そして今日は、この春初めてのギフチョウを見た。何匹も足元をひらひらと飛んで「ああ、春になったなあ」と感じさせる光景なのである。
 夜も暖かい日で、夕食を済ませ7時半過ぎにヘッドライトを点けておやじ山を散歩した。凄い星空である。ブナ平の上を北斗七星の大きなヒシャクが覆い、ぐるりと身体を回すと南の空はオリオンの3ツ星、西は長岡の街の灯がキラキラと眩しく光っている。その上空にひと際明るい金星が瞬いていた。暖かく風もなく空気も澄んでいい夜の散歩だった。
 今日はボランティアグループの総会日で「さて、無事に終了しただろうか?」と無責任ながら思いだけは馳せた。





2007年4月8日(日)晴れ〜曇り
早春の山(明本京静と安西愛子)

 深夜のNHKラジオで実に懐かしい人の歌声に出会った。安西愛子である。そしてこの歌手に関連して作詞・作曲家の明本京静を思い出さずにはおられないのである。
 寝袋に潜ってNHKの「ラジオ深夜便」を聴いていたら昭和27年1月7日に放送したという「三つの歌」という当時の人気番組が流れてきた。その冒頭で「三つの歌の歌」を当時NHK歌のおばさんとして人気を博していた安西愛子が
歌った。司会は宮田輝、ピアノ伴奏は天池真佐雄である。NHKアーカイブとして放送された「三つの歌」は昔懐かしくとても面白かったが、私には高校を卒業し越後から東京に出た途端に出会った明本京静の強烈な印象が蘇って来た。昭和39年の春のことである。
 この年、私は上京して東京国分寺にある中央鉄道学園大学課程(旧国鉄の大学校)に入った。ここで週一回の音楽の授業があり、講師として明本京静と安西愛子が私たちを教えていたのである。「武田節」「父よあなたは強かった」「あゝ紅の血は燃える」などの作詞・作曲家として知られていた明本は当時多分60歳、東大工学部を中退してN響の前身である新交響楽団でベートーベンの第九のテナー独唱者となり、そして数々の作詞・作曲活動をしながら私の入学した学園で音楽を教えていた。明本の助手のような立場で一緒に来ていた安西は終戦1年前に歌った「お山の杉の子」が大ヒットして一躍有名になり、昭和24年から十数年間NHKの歌のおばさんとして童謡を中心に歌い続けていて、当時としては国民的なアイドル歌手だった。当時の安西の年齢は45,6歳だっただろうと思う。
 学園の広大な敷地に植えてある桜の花がまだ散るか散らないかの第一回目の音楽授業で、私は明本の話しに強い衝撃を受け、そして心酔した。細部は忘れてしまったが60歳の明本が若い新入生達に向かってまさに吼えるように人生を語ったのである。田舎出の私は「東京にはこんなド偉い人が居るんだ!」と2時間の授業中震えが止まらなかったことを憶えている。そして授業が終わり明本と安西が外で待っていた迎えの車まで歩いていくのを追いかけて、私は精一杯の自分の感動を明本に伝え「名刺を下さい」と頭を下げた。今はその名刺を無くしてしまったが長い間私の大切な宝物だった。
 授業は原語で歌う第九の合唱曲「歓びの歌」や題名は忘れたが「山川は嘆きに満ちて〜叫ぶ声あり闘いは〜げに民族の恥辱ぞと〜」とヒロシマ原爆をテーマにした重厚な調子の歌などを、明本と安西が代わる代わる弾くピアノと一方が歌う生の歌声を追いかけながら習った。しかし授業の合間に語る明本の話しで私はベートーベンに惹かれ、彼の生涯をモチーフに書いたロマンローランの小説「ジャンクリフトフ」や「魅せられた魂」などを寮の部屋で読み耽った。私の精神(人格)形成は勿論両親からの影響が一番だと思うが、小学校時代の担任教師中町満枝先生とこの明本京静である。安西愛子がある時からぷっつり授業に来なくなり、その後のある日の授業で明本が激しく安西を批判したことがあった。それは明本が唾棄する政治の世界に愛弟子の安西が入り込んでいくことに対する激烈な非難だった。この時私は初めて安西のご子息が重い障害者であることを明本の言葉から知ったのである。
 こんな遠い過去のことを、おやじ山でラジオを聴きながら思い出していた。
 今日は朝食前に三ノ峠直下の谷川の源流部まで登りコゴミの初物を採ってきた。友達に送るためである。午前に麓に下りてコゴミを宅急便で送ってから一度小屋に戻りシイタケのほだ木の穴あけ、午後に再び山を下りて実家で洗濯とシャワー、そして携帯電話の充電やパソコンのメールチェックをする。実家を出るのが遅くなって暗い山道を懐中電灯を頼りにおやじ小屋に戻った。

2007年4月9日(月)氷雨
早春の山(再び寒の戻り)

 朝6時過ぎに起きミズバショウをおやじ池の上にある湧き水の溜まり場に移植する。水芭蕉の根は意外に深く株も大きいので掘り取りや植え付けに難渋する。午前9時過ぎからまた春の霰が降り、そのうち冷たい雨に変わった。気温は5度まで下がった。夜、友人と白い息を吐きながら電話。
 

2007年4月10日(火)晴れ
早春の山(イカリソウ咲く)

 晴れた。日中は気温が上って気持ちが良い1日だった。朝洗濯物を干して、午前中はおやじ池の周りの雑木整理。一昨年の大雪で傾いたままになっていた太いサンショウの木の枝を落としたり池周りを暗くしている杉を切り倒したりした。午後はナラの森の尾根の雑木を整理する。杉2本、30年生のコナラ1本伐倒。
今日はこの春初めてのイカリソウの花を見た。



2007年4月11日(水)雨
早春の山(コゴミ採りとゼンマイの初見)

 5時半、パラパラとテントに当たる雨の音で目を覚ます。全く変わりやすい天気で、このところ晴天が二日続いたためしがない。
 朝雨合羽を着て山菜山でコゴミを採り、麓に下りて宅配便で伊豆のkさんに送った。
 今日、いよいよゼンマイが出た。これからが本格的な山菜の時期である。

2007年4月12日(木)晴れ
早春の山(大先輩の来訪)

 朝7時、新潟にいる次兄がNさんという山仲間をお連れして小屋に来た。「随分早いなあ!」と言うと「ちょっと山の様子を見に来た」と言って下の谷川に下りて行った。
朝飯を食べてから山桜の斜面をチェーンソーを使って低木や小木を伐り倒して整理する。急な斜面でなかなかの重労働である。一段落して小屋の前に椅子を出して日向ぼっこをする。目を閉じてウトウトしていると、突然頭の上から「こんにちわ!」と声がしてビックリして目を開けた。長岡市内に住むEさんといういう人でお年を訪ねると77歳だという。私が居ない時におやじ小屋まで何回か来たといい、健康のために麓からここまで歩いて小屋前のデッキで休んで引き返しているのだと言った。いろいろ話しているうちにEさんが私が出た高校の大先輩だと分かった。
私が卒年を言って今も大活躍のジャーナリストのSさんと同級生だったというと、自分は昭和23年卒の前身の旧制中学卒で作家の半藤一利氏と机を並べていたと言った。全く楽しいひと時だった。
 午後、遠くの山でちょっと気になる樹木があったので確認に行った。まだ緑の薄い山肌の中で、ひと際濃い黄緑色の葉を茂らせている目立つ大きな木がある。チクチクと茨の藪を掻き分けて斜面を登り詰めると何とブナの大木である。ブナの幼木は他の木より芽だしが遅いが、老木になると他の木に先駆け、いの一番に葉を展開することが分かった。新しい発見である。





2007年4月13日(金)曇り
早春の山(私の休日)

 朝6時半、NHKラジオのピアノに合わせてラジオ体操をする。ラジオ体操などやったのは何十年ぶりだろう。第一体操と第二体操の間に首を回す運動が入るが、首筋と肩の筋肉が張っていて上手く回らない。コリコリと不気味な音さえする。まだ借金がたくさん残っているのかも知れない。後でカミさんに電話で確認してみよう。
 今日は麓に下りて実家で洗濯とパソコンのメールチェック。そしてシャワーを浴びていくらかすっきりする。体重計に乗ったら3キロ減っていた。ホームセンターにも行って切れたチェーンソーのスターターの紐を買う。それからスーパーに寄って焼肉用の肉を買って4時過ぎにおやじ小屋に戻った。久々の肉で豪華な?夕食。これが全部筋肉に変わると何グラムか目方が回復するのだが・・・

2007年4月14日(土)北西の風強し、夜遅く雨
早春の山(シイタケ植菌)

 朝から冷たい北西の風が吹き荒れた。日中でも気温は10度しかない。玉伐りしたコナラにシイタケのコマを500個ほど打ち込んで、11本のほだ木を作った。
冷たい強風で仕事にならず、午後にはテントに引きこもって昼から酒を呑み始める。風が唸りを上げてテントのアームをしならせている。そのまま寝込んで午後8時に目が覚めテントの中で煮込みうどんを作って食べた。

2007年4月15日(日)曇り〜晴れ
早春の山(オオルリの囀り)

午前6時、昨夜の風は止み静かな朝である。谷川に下りて洗顔と歯磨き。
「ピヨピヨピヨ・チョルリーチョルリー、ピヨピヨピヨ・チョルリーチョルリー・・・」とこの春初めて聞くオオルリ(多分?)の囀りである。少し震えるような実にきれいな鳴き声である。
朝食前に谷川を遡行してコゴミ採り。三ノ峠山の頂上直下まで登り詰めて太い良質のコゴミを随分採った。麓に下りてカミさんの実家に送る。
午後は薪小屋のつもりで作った小屋を物置に作り変えた。今日は晴れて作業も捗った。



2007年4月16日(月)曇り〜雨
早春の山(坂本和子/目一杯の肉体労働)

 昨夜半からラジオを点けっ放しにしていて、目を覚ますと午前1時半である。そのままラジオに耳を傾けていると宇田川清江アンカーのNHKラジオ深夜便で、「語り続けて来た60年」と題してゲストに声優・ナレーター・女優の坂本和子が出演していた。坂本は1926年(昭和元年)生まれの80歳の現役である。しばらくの会話の後で宇田川の求めに応じて坂本が3篇の短い文を朗読した。最初が万葉集の一句、最後が坂口安吾の「桜の木の下で・・・」だったが、2番目に読んだ石川啄木の詩の朗読で思わず涙が溢れ出た。ベテランアンカーの宇田川清江も、不覚にも自分の涙声を電波に乗せた。有名な石川啄木の詩を坂本和子はこのように朗読したのである。「〜たわむれに、母を背負いてそのあまり・・・・・・・(強く)軽き!に泣きて三歩あゆまず」 何と深い声の響きだろうと思った。まさに人生そのものをえぐり出すような深遠な肉声に、圧倒された。・・・・・・・・部の沈黙で「そのあまり・・・・そしてどうしたんだろう?」と聞き手に?を与えて「軽き!」と強く吐き出した悲しい回答が「ああ!」と涙を誘うのかも知れない。
 今日は目一杯働いた。肉体をこんなに使ったことも無かったように思う。5時に起きて谷川で洗顔、そして朝食後はすぐ下山してドライコンクリート4袋(100`)と2×4材を3本買って小屋まで一輪車で運び上げ、残っていた小屋の基礎のコンクリート打ちを完成させた。くたくたに疲れ果てた。

2007年4月17日(火)雨
早春の山

 雨で外の作業ができないので、小屋の中で刃物を研ぐ。マタギの山刀・ナガサを気を静めてゆっくりと研ぎ上げた。気温も6度で寒い1日である。そろそろ食料も無くなってきたので小屋裏のシイタケのほだ木からいくつかむしり取ってきて醤油煮を作った。山椒の新芽を少し入れてみたが味はどうだろうか?
昼食はインスタントラーメンだけで済ます。副食も底を突いたが、雨でも鳴くウグイスの「ホーホケキョ」がおかずである。

2007年6月18日(月)曇り
早春の山(クロツグミの囀り)

 今日は夜明けの午前5時前と昼、向かいの山菜山の杉の木の天辺から大きな声で朗らかに囀る鳥の声を聞いた。バリエーションが豊富で「ピキョピキョ、キョロロキョロロ」と鳴いたり「ピッピピョー、ピッピピョー」と震え声で鳴いたりする。双眼鏡で覗いてみるとムクドリ程の大きさで腹が白い。背は逆光で良く判別できないが、何やら黒っぽい感じである。鳴き方、体型からクロツグミと踏んだ。さてどうだろうか?
 新しく作った物置に荷物を移す。

2007年4月19日(木)
早春の山(F老人/山を下りる日)

 4時過ぎには鳴き出すウグイスの声と昨日のクロツグミに起こされる。
 今日はおやじ山を引き上げる日である。家への土産に持ち山の境界の天然杉の下と山菜山の斜面でコゴミを採る。8時過ぎに麓の村のF老人が90度に曲がった腰に杖を突いておやじ山に入って来た。82歳で顔はつやつやと血色が良い。山の様子を見に来たといって30分ほど話し込んでから、杖を捨てて急な斜面をスタスタと谷川に下りて行った。F老人から若杉の成長を誉められたことが嬉しかった。

 午後、おやじ山を下りて一路藤沢の自宅に向かった。約1ヶ月間の山生活だった。

2007年4月20日(金)
早春の山(帰宅)

 昨深夜、おやじ山から1ヶ月ぶりに自宅に戻った。家の者が使って既にぬるくなった風呂に早速浸かる。湯船に入るのもおよそ1ヶ月ぶりである。山にいる間何度か里に下りて実家に寄り、洗濯機を使わせてもらいながらシャワーで身体を洗ったが、ついぞ風呂には入らずおやじ小屋に引き上げた。久々の風呂にじっと身体を沈めているとぬるい湯に身体の芯まで冷えて(本当は芯まで温まって・・・と書きたかったが)鼻水が出てきた。それでも気持ちも身体もさっぱりして、上ってから深夜の祝杯を1人で挙げた。
 いくらか寝て目を覚ますと、庭はビックリするほどの緑である。おやじ山とは雲泥の差の春の装いに眩しい程である。山に居る時からずっと続いていたが、腕の筋肉が固まったようにコリコリと痛い。28日間のおやじ山でのチェーンソーと鉈と山林鎌の酷使で、まさに腕の筋肉のスジが太くこり固まった感じなのである。 車に行っていくつかのゴミ袋と大型ゴミ袋一杯の洗濯物と昨日の朝おやじ小屋の近くで採ったみやげのコゴミとを下ろしてカミさんに渡す。昨日に続いて今日も新潟県は晴れだとラジオが告げている。この1ヵ月間山の悪天候に閉口していただけに、戻ってからの二日連続の晴れ間は悔しい限りである。またおやじ山に帰りたくなった。
 おやじ山に入った時には30cmの雪があったが、昨夕去る時には冬枯れた茶色の山肌に緑の霧を吹きかけたように淡い春が息づいていた。もう少しでおやじ山のあちこちで山菜採りの弾んだ声がこだまする筈である。

(この後4月27日に再びおやじ山に戻りました。山菜の時期に入ったことと、小屋の修理や山の整理が残っていたからです。4月27日からのおやじ山での日記を以下の欄から続けます)

 


入山時のおやじ小屋
(3/23)

昨日のおやじ山(4/19)

2007年4月27日(金)晴れ
春の山<越後三山冬景色>

 午前9時、藤沢の自宅を出発しておやじ山へ向かう。関越道湯沢インターで降り、まだ真っ白い雪を被った越後三山を見ながら17号線を下った。水田の向こうの農家の庭に鯉のぼりが風に泳いでいて、バックの白い越後三山とのコントラストが実にいい感じである。そんな写真を撮ったりして道草を食い、おやじ山の麓のキャンプ場に着いてテントを張り始めた頃には夜になってしまった。しかし今夜は満月で明るい月灯りで張り終えることができた。

 

2007年4月28日(土)雨
春の山<恨めしい雨>
 午前4時半、テントに雨が当たる音がして「あ〜あ、今日はKさん夫婦が来る日なのに・・・」とガッカリ。雨合羽を着ておやじ山に向かう。小屋前の斜面に生えている山桜が満開で「晴れていたらKさんに見せて自慢できるのになあ」と悔しい思いである。おやじ小屋の脇に張り残したままのテントの中からランタン、ガスバーナ、エアマットを取り出して一輪車に載せ、それからKさん夫婦へのお土産用にと山菜山に入って、ウルイやウド、ヤマアスパラ(シオデ)などを少し採った。
 9時少し前、雨の中をおにぎりと銘酒「越の鶴」の差し入れを持ってKさん夫婦がテントに来た。気温も冷えてきたのでバケツに熾した炭火をキッチンテントの中に持ち込んで、昨年のきのこの時期以来の半年ぶりのご夫婦との談笑である。生憎の雨で山菜採りにはお連れできなかったが楽しいテントでのひと時だった。
 今日は一日中強い雨が降り続いた。Kさんは晴れ女のはずなのに一体どうしたことだろう?
 
2007年4月29日(日)晴れ
春の山<絶滅危惧種>

 晴れた。雨上がりの快晴である。大急ぎで朝食、湿った寝袋をコナラと松に渡して張った紐に干しカミさんとおやじ小屋に向かう。9時ごろ小屋に着くと作業小屋の中で立ったまま朝から缶ビールを飲んでる二人連れがいる。「こんにちわ!」と話しかけても返事もしない。「どうぞ」と折りたたみ椅子を進めても座らない。随分無愛想な人達である。60歳と278歳くらいの親子と思われる男達で、若い男は丸顔メガネ、年増の男も幾分丸顔で背丈は低い。構わず私は先日整備した山桜の斜面をカミさんに見せながら谷川に下って行った。下から小屋の方を振り返り見上げると、男達は挨拶もせずにそそくさと立ち去って行くのが見えた。(こんな事は書きたくないが、ちょっと胡散臭い感じの二人だった)
 山菜山にカミさんと入った。ウド・ワラビには早いし、コゴメはもう時期遅れである。ぜんまいの盛期だがみんな既に取られて折られた茎跡だけが残っている。

 小屋に戻って休んでいると今度は大きな捕虫網を持った40くらいの男がおやじ山に入ってきた。プロのギフチョウ捕りだとピンときた。東京あたりでは高く取引されていると聞いている。近づいていくと早足で逃げていく。追いついていろいろ質問してみると、インターネットに長岡の西山や東山にギフチョウがたくさんいると載っていて、何とこの男は神奈川県から来たのだという。春になってここに何度か来ている様子で「オスの羽はぼろぼろで駄目だ。メスはまだきれいで使えるけど・・・」などとおずおずと話す。やはり標本にするのだという。「ギフチョウも昔に比べたらうんと減ったので大事にしてほしい」と言って帰ってもらったが、しばらくして私が前日途中に置いておいた一輪車を取りに山道を下ったら、再びおやじ山に向かって歩いてくる先程の男とばったり出会った。さすがに腹が立って入山禁止を強い口調で言い渡した。ハイキングコースの山道には大きな網を持った親子連れや学生もいたが、近年極端に数を減らした春の女神が実に心配である。
執念のカミさんは再び山に入ってゼンマイ採りに精を出し、大鍋に3度茹でる量を確保した。ゼンマイもカミさんの手にかかるとギフチョウの運命になるかも知れないと、こちらも実に心配である。


 

2007年4月30日(月)晴れ
春の山<災難の一日>

 午前中は一人で山仕事。日中は気温が24度まで上って夏の暑さになった。午前中は市内のYさんという山菜採りといつものF老人が山菜を採り終えて小屋に来た。二人ともパンパンのリュックとずた袋である。見るとFさんの袋がいつもと違う。尋ねると3日前に山で山菜の入った袋(中におにぎりと水も入っていたという)を盗られたという。こんな穏やかな越後の山で他人の山菜袋を盗るような悪いやつがいるのかと無性に腹が立った。持参の伊豆の甘夏を3人で分け合って食べて互いの腹の虫をなだめた。
 午前の作業はギョウジャニンニクと水芭蕉の移植、ちょっと時期は遅かったが細ねぎの種まき、コナラの伐倒木でのベンチ作りをする。そして昼食にしようとバケツの水で手を洗おうと屈み込んだ時、胸ポケットの携帯電話がポチャンとバケツの中に落ちた。慌てて取り上げて画面を見ると点いているので安心した。(これが大間違いで、ケイタイは一度水に浸かると何処やらが腐食して駄目になると後でドコモの店員に教えられた) 午後、カミさんがキャンプ場からおやじ小屋に来て一人でオオド沢のドン詰りまで入って山菜取り、私はチェーンソーを使って松の木を半割りしてコナラの土台を敷いて簡易ベンチを作る。そして「さて何時かな?」と携帯電話を開けると、おかしい?画面が真っ暗である。山を下ってドコモショップ長岡店で調べるとメモリーも全部消えているという。そして仕方なく店員に勧められた新機種F882Iesを購入せざるを得ないはめになってしまった。
 

 
  

<<5月の日記に続く>>