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(3月23日~3月31日)最後の更新は3月31日

2007年3月1日(木)晴れ
春の鳶

 「逃げる2月」が過ぎて「去る3月」になった。まさに光陰矢の如しである。そして今日は「春眠暁を覚えず・・・」などとのん気に惰眠をむさぼっている訳にはいかず、藤沢の同じグループでボランティア活動をしているTさんと午前中に落ち合う約束である。お渡しする資料を持って約束の時間に大庭市民図書館に行く。午前中から随分多くの人たちが利用しているものだと感心しながらぐるりと見渡しても、Tさんがいない。昨夕Tさんから貰ったメールには、緊急の追加資料の添付とともに、「追加の仕事が出来てしまって明日は遅れないようにね」などと自分のことはさて置き私の夜なべ仕事(ちょっと懐かしい言葉ですね。今の人は「夜鍋ってどんな鍋?」と聞くらしいです)をいくらか気遣うような文面だったが・・・
 自転車で大庭の長い坂道をこいで来たというTさんが、息を弾ませて駆け込んできた。何も10分や20分遅れたところで今の自分にはどうってこと無いのに、と思いながら作成した資料の内容を見てもらって無事お渡しした。
 Tさんはこれから引地川沿いのボランティアグループの作業場所を見に行くという。4月の新年度から我々グループが行う市から委託された整備緑地である。今日はポカポカ陽気の気持ちよい春の日和で、一緒に行くことにした。
最初の1箇所はかなり広い湿地である。「まだヘビは出ないよなあ?」などと言いながら少し埃っぽいような冬枯れのアシ原に入り込んで様子を見て回る。広さはおよそ1haはあるだろうか?かなりの本数の柳の木が自生していて、まばゆい日の光に目を細めてその枝先を見上げると、既にぽつぽつと並んだ小さな緑色の新芽が青空に溶け込んで見えた。
 コンビニで買ってきたおにぎりを芝生の公園広場に行ってTさんと並んで食べた。まるで二人でピクニックをしているようである。もうすぐ川向こうの冬枯れた丘陵地も燃えるような新緑に彩られることだろう。
  おにぎりを食べ終わって、今度はもう一箇所の丘陵地に行った。小さな杉と檜の植林地が暗く放置されて、林縁の雑木に葛の蔓がしぶとく絡みついている。広さは1ha未満だと思うがここを整備するにはしっかりした指導者とかなりの人手が必要だなあ、という印象である。しかし道端の斜面にはいっぱいの日差しにヨモギの若い芽が柔らかく生えて、年配の夫婦が丁寧に摘んではビニール袋の中に入れていた。
 見晴らしのきく高台でTさんと並んで腰を下ろした。眼下に引地川が光り、その向こうに大庭城址の小高い森、更に奥にライフタウンの街並みが広がり、そのずっと遠くに丹沢山塊が青く煙って見えている。ここからはドンと見えるはずの富士山は、今日の春霞にまぶされて消えてしまったようだ。投げ出した足元を白い蝶がよぎった。今年見るモンシロチョウの初蝶である。Tさんと丘の上でこうしていると青春時代に戻ったような気分である。まどろみそうな目で遠くを見やると、丸山谷戸の上空をトンビが二羽ゆっくりと滑空していた。
<春の鳶寄りわかれては高みつつ> (飯田龍太)

2007年3月2日(金)薄曇
フードマイレージ

 昨夜NHKテレビを観ていたらフードマイルのニュースが流れた。イギリスロンドンでのスーパーの食品売り場の光景が映しだされて、その棚に並んだ商品には価格表示ともう1つ、ある数値が大きく書いてある。フードマイルの表示で、この食品が生産地からどれくらいの距離を経てここに着いたかを表したものである。市民がその食品を買うか買わないかの判断材料として価格以外のもう1つの基準を表示しているのである。つまりその食品がいかに安くても、産地から遠い距離を運ばれて来た品物ならば運搬や保温・保冷などに係わる多くのエネルギーがその商品のために消費された訳で環境に悪影響をもたらしている、という考え方である。「さすが環境取り組み先進国だけあるわ!」と感心してしまった。ロンドンのリビングストンという市長が声を大にしてこの取り組みの意味を訴え、いわゆる地産地消を呼びかけていた。東京都の石原さんなども声を大にして息子をかばってばかりいなくてこういう取り組みを大声で訴えてもらいたい・・・
 実は、日本のフードマイレージは世界のワースト・ワンである。日本の人口は世界人口のわずか2%、しかし日本の農産物輸入額を見ると全世界の10.2%を占めている。ただ安く手に入ればという理由で日常のあらゆる食料を多大なCO2を放出しつつ遠い地球上の国々から買い集めている。とても地産地消とは程遠い日本の現状なのである。日本人が捨てる食べ物の量も膨大である。台所から捨てる食物の量は年間900万トン、スーパーやコンビニからは年間700万トン、これらの合計は諸外国からの食料輸入の3分の1にも相当する。
 ガキのころ、茶碗に米粒1つ残しても「こらあ!お百姓さんに悪いと思わないのか!」と両親に怒鳴られた。そんな社会の根っこのところを無くしてしまって、果たして美しい国など再生できるのだろうか?
 今日はとっておいた昨日の夕刊をにがにがしく切り抜いた。「この冬(昨年12月~2月)の東日本の平均気温は平年の1.6度高、西日本は平年の1.5度高、北陸の積雪は平年の約8%、東北の積雪は平年の21%、東京都心では初めて雪のない冬」と、気温は観測開始以来最高、積雪も観測史上最低と全てのデータが記録更新である。
 「もう、俺はおやじ山の山菜で地産地消だ!」と吼えたくなったが、先日の次兄からのメールを思い出した。~今日おやじ山の様子を見てきたら、向かいの山菜山には少ししか雪が残っていません。この時期に雪が少ないと今年の山菜は全く期待出来ません~。「あ~あ、世の中どうなちゃったんだろう?」

2007年3月23日(金)晴れ
早春の山(おやじ小屋入りとキツネの歓迎)

 3月19日に藤沢の自宅を立ち、東北道を走って一度仙台に寄り、それから福島~土湯峠経由で途中の温泉に浸かりながら新潟の次兄の家に投宿した。そして23日になってようやくおやじ小屋に着いた。随分道草を喰ったが一応気持ち的には途中の名湯・秘湯でしっかり身を清めて(本当かなあ?)満を持してのおやじ小屋入りである。何しろ今年の冬は雪が少なくて小屋の雪降ろしにも行く必要が無かった。そして道中立ち寄った温泉は秋保温泉、岳温泉、中ノ沢温泉の東北地方屈指の名湯と秘湯である。
 まだ閉鎖中のおやじ山の麓のキャンプ場の駐車場に車を置いて75リットルの大型リュックにぎゅうぎゅうの所帯道具を詰め込んで小屋への山道を2往復した。道にはまだ雪が残っていたがせいぜい30cm程度で、あと何日かすれば消えそうである。ウンウン喘ぎながら2往復目の荷物の担ぎ上げで最初の長靴の足跡を見ると、まるで私の足跡をなぞるように並行したキツネの真新しい足跡が付いていた。早速の動物の歓迎に嬉しくなってしまった。初日のおやじ山の夜は、素晴らしい満天の星である。









2007年3月24日(土)夕方から大嵐
早春の山(春の嵐)

 昼近くに山を下りて実家に寄った。電話回線を借りて持参したノートパソコンで何日かぶりのメールチェックをする。TさんとAさん宛てに返信のメールを送る。
 ガランとした麓の駐車場に戻って車に積んできたチェーンソーを持って小屋に戻る。ようやく山仕事の準備である。
 午後4時ころから降り始めた雨が6時ころになって荒れ出した。猛烈な南風がテントのアームをギュンギュンとしなわせる。グシャグシャ雪でテントのペグをしっかり打ってないターフがバタバタと暴れて怖いくらいである。まるで遠浅の浜に大波が打ち寄せるように、向かいの山菜山の尾根の杉林がザーッと吼えてから大風が斜面を下って来てドッス~ンとテントにぶち当たる感じである。この大風でまた雪解けが進みそうである。

2007年3月25日(日)雨
早春の山(能登半島沖地震)

 バラバラと強い雨音で目が覚めた。寝袋に入ったままテントのチャックを開けると、昨夜の嵐は止んでまるでビーズ玉のすだれのような大粒の雨が垂直に落ちてきていた。山菜山の峰は靄で煙っている。
 雨具を着てテントの外に這い出す。向かいの山肌の雪が黒いまだらの模様を大きく広げてもうすぐ解けそうである。小屋の周りも一気に雪解けが進んでいる。
 地震が来た。小屋は?大丈夫である。携帯ラジオが9時42分石川県能登半島沖で震度6強の地震が発生したと告げている。長岡は震度4である。
 近くで見つけたフキノトウと小屋裏で育てているシイタケを採ってきてちょっと贅沢な昼食を作る。
 午後は雨足が弱くなったのでおやじ山を回ってみる。「ここの木を倒して、ここの藪をきれいにして、ここの水場を少し深く掘って・・・」と止めども無く次から次へといろいろな考えが浮かんで来る。これがまた楽しくて仕方が無い。
 午後5時夕食(というよりは、その前のいわゆる晩酌)。小さなヤカンに酒を直接注いでコンロにかける。「もう燗がついたかな?いや未だだなあ・・・もういいかな?まだぬるいなあ・・・」などどせっかちに試飲しているうちに、燗前にかなり酔っ払ってしまった。
 暖かくて夜は助かる。酒のせいばかりではなく外気は7度で暖かい。





2007年3月26日(月)小雨~曇り
早春の山(ナラの森の整備)

 ナラの森の整備を始める。午前中にコナラの老木を2本伐倒。伐り倒した直後のコナラの断面は芯が赤味を帯び、つやつやとした精油成分があってオーク特有のいい香りがする。年輪を丁寧に数えてみると樹齢48年である。(昭和33年生まれの木ということになる。この頃から日本の燃料革命が始まり全国の里山が省みられなくなってしまった)
 午後はホオノキ1本を伐倒。その他低木を伐り払う。今日の天気予報は確か晴れのはずだったが終日陽は 射さなかった。



  

2007年3月27日(火)曇~夜雨
早春の山(ナラの森の整備-続き)

 低気圧が近づいているので雨が降り出す前にテントの中の荷物を全部外に出して床を乾かすことにする。気温は午前9時現在10度、実に暖かい。今日雨になれば小屋周りの名残雪も全て解けてしまいそうである。
 9時から昨日の続きのナラの森の整備。峰の低木をチェーンソーで切り倒して行く。クロモジ、マンサク、ユキツバキ、ムシカリなどだが、クロモジを伐るといい香りがする。クロモジは和菓子などを食べる時に使う高級爪楊枝の材料である。チェーンソーの調子も良くて作業がはかどる。ガソリンが切れたところで午前の作業を終えて早めの昼食とする。荷物を再びテントの中に仕舞い込んでターフの張り綱をしっかりと締め直し、ようやく本格的な長期戦の構えになった。
 午後は麓に下りて買出しと携帯電話の充電をした。スーパーで缶ビール2パック、日本酒、ミネラルウォーター、鮭の切り身、伊予カン8個とチェーンソーガソリン2?を買い、中央図書館に寄ってパソコンコーナーのコンセントでこっそり携帯電話の充電をした。
 何の因果かやたら水物が多いので買物をリュックに詰めての担ぎ上げは苦しかった。午後5時、曇天で山道は既に薄暗かった。
 今夜だけは酒もたっぷりあって網で鮭を焼いての夕食は豪華な気分だった。そのままとろけるように寝てしまってパラパラとした雨音で目を覚ますと午前0時である。喉が渇いて雨音を聞きながらまたビールを飲み始めた。





2007年3月28日(水)小雨~夕方から晴れる
早春の山(雪解け)
~春眠暁を覚えず~ではないが、5時過ぎに一度目覚め、ぼんやり雨の音を聞いているうちに再び寝入り、6時半頃に多分自分のいびきがうるさくて目を覚まし(どうした訳か明け方にいびきをかくらしい)、また雨の音を聞いて「これじゃあ今日の山仕事は・・・?」と思いつつ再び寝入って7時半頃ようやく寝袋から這い出した。
 小屋の周りの雪は昨夜からの雨で完全に融けた。向かいの山菜山の山肌の雪も残り少なくなって名残惜しい感じである。この分では昨日はまだ残っていたおやじ小屋へ向かう山道の雪も明日頃までにはすっかり無くなって、いよいよおやじ山の春到来である。
 昨日買っておいたコッペパンとコーヒーで朝食を摂った後小雨の中をブナ平まで散歩する。帰りはブナ平からの南斜面を直接小屋に下ったが、途中カタクリが一斉に芽吹いて全く歩くのに困る程である。おやじ池にはクロサンショウウオが再び姿を見せて三日月形の卵を産んだ。その周りには何匹もが群がって産卵を助けているのか、産んだ卵を守っているのか?しかし以前の産卵後姿が消えていたのに一体どこから現れ出てきたのだろう?
 今日は山仕事を止めてチェーンソーの刃のヤスリがけや谷川の水源の確認、その途中で採ったフキノトウで蕗味噌を作ったりした。
 日中の天候は小雨模様だったが今日は何かしら心弾んだ1日で6時過ぎから酒を飲み始める。夜10時頃長岡の灯が見える所まで行った。天候が回復して気温も4度まで下がり吐く息も白い。月はおぼろの月、そして今夜はしきりにフクロウが鳴く。春の記念日である。




2007年3月29日曇(嵐)
早春の山(ナラの森の作業-続き)

 午前中は西と北からの暖かな強風が吹き荒れた。春の大嵐である。テントの中でじっと嵐の音を聞いている。時折バラバラと雨が降ったと思うとパッと日が射してテントの中が一瞬明るくなったりする。間歇的な風で、ワ~ッと狂ったようにテントを揺さぶり外に置いてあるヒシャクや折りたたみ椅子を転がしたりする音が聞こえて、一瞬ふっと止む。テントのチャックを少し開けて外を見ると、山菜山の峰の杉林が巨大な生き物のように揺れ動いている。その上空をまっ黒い雲が猛烈なスピードで走る抜ける。
 ちょうど正午頃から風がおさまる。ナラの森のコナラを2本伐倒。直径20cm、30年生の成木である。上手く萌芽更新してくれることを祈る。地図を持ってナラの森を2時間ほど歩き回って将来の森の姿をあれこれと思い描く。春の草花や秋のきのこがいっぱい生えて明るく気持ちよい森にしたいと思っている。
 おやじ山で現在咲いている花は次の通りである。マンサクの枯れ花、オクチョウジザクラ、ショウジョウバカマ、ユキツバキの蕾、スミレサイシン(又はナガハシスミレかオオタチツボスミレ)そしてキクザキイチゲはまだ白い玉のような蕾である。
 夜9時半、一眠りしてトイレに外に出ると明るいラグビーボール形の月が出ていた。向かいの山肌がその月明かりに照らされ、数えるほどになったまだら雪が闇の中で白く光っていた。







2007年3月30日(雨)
早春の山(フクロウの声)

 テントを打つ雨の音で目を覚ます。これでは作業にならないので実家に行って溜まった洗濯物を洗ったりシャワーを借りたり電話線を借りてパソコンメールのチェックをしたりと時間を使うことにした。
 パソコンを開くといろいろな人からメールが届いていた。随分ご無沙汰の森林インストラクターのTさんからは、年度初めの総会で会えなくて残念だったことと(私も同郷のTさんに会いたかった)その後の懇親会で「おやじ小屋から」のホームページを宣伝してくれたことが書いてあった。遅ればせながら御礼の返信。Kさんからは「また山菜採りに主人と行くね」と書いてある。「私が居なくてもいつでもどうぞ」と返信する。所属するボランティアグループからの何人かにもメールの返事が遅れてスミマセン、と謝りながらキーを叩いた。
 昼間中降っていた雨が山に戻った午後5時頃に上った。見晴らし広場に着くと西山がきれいな夕焼けに染まっている。
 夜中に寒くて目を覚ました。放射冷却で気温は3度である。今夜もしきりにフクロウが鳴いている。「ホッホッ」と低く鳴いて1拍、そして「ヨッホヨッホ!」と普通はリズム良く続くのであるが、今日のフクロウは「ホッホッ」と鳴いてから「・・・ン?どうしたんだろう?」と思わせるくらい間が空いてから「ヨッホヨッホ!」と来るのである。このタイミングのズレが妙に気になって、寝袋の中で「1,2,3・・・」と間を数え始めたら、いつまでも寝れなくなってしまった。

2007年3月31日(夜中晴れ~午前曇り~午後風雨)
早春の山(春雷と暴風雨)
 午前2時半にトイレで外に出る。ひょいと東の尾根を見上げると30mほど先あるホオノキの幹が明るく光って見える。まるでスポットライトに照らされたようである。「おかしいなあ?」と思いながら歩いて行ってみると、そこからは杉林に隠れていた満月が西の空に煌々と照っていた。身体を震わせながらしばしの月見である。
 朝起きてみると冷たい曇り空である。それでも昨日実家の洗濯機を借りて洗った洗濯物を干す。10時になってようやくナラの森の整備に取り掛かる。 
 午後は雨になった。うっかりテントのチャックを開けたままにしておいたので中の入り口付近がビショビショである。「まったくドジだなあ~」と自分自身に腹をたてながら拭き終わって、やけのやんぱちの酒にする。外は雨、もう今日は呑んで寝るだけの態勢である。
 夕方から大嵐になった。多分、この山に入って最大級の暴風雨である。山がゴォーゴォーと唸り声を上げ雷が鳴り響き、作業小屋に置いてあるコッヘルやヒシャクや鍋がガラガラと吹っ飛ぶ音が聞こえたが構わないでいた。春を呼ぶ雷にしては何とも激しすぎるのである。

<<4月日記に続く>>