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最後の更新は2月20日

2007年2月3日(土)晴れ
節分

 今日は節分、やっぱり子どもの頃、家族みんなで「おにわぁ〜外!ふくわぁ〜内!」と大声で播いた豆まきの事を思い出す。住んでいた国鉄官舎の玄関の戸も勝手口の戸もいっぱいに開けて、うず高く積もった雪の壁に向かって豆を放り投げるのである。外に投げる豆はもったいないので少ししか播かない。それでも翌朝は早起きして外に播いた豆を雪からほじくり出して食べたものである。貧しい家庭だったが、両親はこういうささやかなハレ(晴)の行事を必ずやって、苦しいケ(褻)の生活の中で育てている子どもたちを楽しませていた。
  2月に入っても相変わらず春の陽気が続いている。今日も朝食を食べてから家に閉じこもっているのがもったいなくて引地川に散歩に出た。さすが土曜休日で公園も川べりの散歩道も人が多い。川面の冬鳥たちも忙しく泳ぎ廻りながら餌をついばんでいた。  



2007年2月4日(日)晴れ
湖の伝説

 立春。「春立ちぬ山に菫を摘みもせで」(乙二)だが、地球温暖化のせいでここ藤沢では冬の感じがついぞしないまま春が立ってしまった。
 
今朝は随分早く起きた。日曜日で嬉しくて、と言うのではなくて、未明にトイレに起きてからまた布団に潜り込んだが、いろいろと頭を巡って眠れなくなってしまったからだ。その一つがカミさんからのいじめである。1週間ほど前、カミさんが「新聞、読んだ?」とやぶから棒に切り出した。「どんな記事?」と聞くと、「老後に一緒に居ると妻のほうが早死にするんだって。新聞とっておいたからしっかり読んでてね」というのである。「何をふざけたことを・・・」とそのまま放っぽっておいたのだが、その後何日も続けて「やれ読んだか、早く読め」とじくじくと言い続けるのである。そして先日、仕方なく顔の前に差し出された新聞を読んだ。白抜き文字の見出しは「老後に夫と同居→妻死亡リスク2倍」とある。記事の内容は愛媛県総合保健協会の藤本医長が高齢者3100人を調査した内容で、配偶者の有無が死亡に与えた影響を年齢ゾーン毎に分析したものだった。75歳〜84歳では女性は夫が居る方が居ない場合に比べて死亡リスクが2.02倍高く、逆に男性は妻が居る方が死亡リスクは半分以下に減るというデータである。そして藤本医長がこうコメントしているのである。(多分ここがカミさんが私に読ませたかった核心部分である) 「夫の依存が妻に負担をかけている一方で、妻に先立たれると夫は身の回りのことを助けてくれる存在を失い、逆に死ぬ危険性が高まる。夫が家事などを覚えて自立することが大切だ」と。「ふ〜ん・・・」と新聞から目を離して顔を上げると、「・・・ね!」と何やら鬼の首でも捕ったように薄気味悪く笑うのである。さて、俺は一体どうしたらいいんだろう?
 とはいうものの、午前9時からのNHKの「新日曜美術館」を観る。大津氏にある三橋節子美術館での絵の紹介だった。彼女は1975年2人の幼児を残して35歳で死んだ日本画家である。病名は鎖骨腫瘍で右手を失った後のガンの肺移転。私がこの画家を知ったのは今から30年前、昭和52年に出版された梅原猛の著書「湖の伝説」を読んでからである。梅原の著書は今は亡き恩人Hさんの影響で昭和47年の「隠された十字架(法隆寺論)」を手始めに何冊かを愛読し、そしてこの「湖の伝説-三橋節子の愛と死」に行き着いたのである。番組にはやはり画家である夫の鈴木靖将氏も出演し「ガンという病気によって、画家・三橋節子(の絵)が生まれ、彼女が死んだことによって(絵が)完結した」と、節子の人生(絵)を総括していた。
「三井の晩鐘」「田鶴来」「羽衣伝説」そして死の5ヶ月前に左手で描いた渾身の傑作「花折峠」の紹介があり、最後に病院で描いた遺作「余呉の天女」が紹介された。この絵は琵琶湖にまつわる羽衣伝説をモチーフにしているが、余呉湖は節子の死の3ヶ月前に家族で最後の旅をした所である。
 天に去る母親をキャンバス右下の童子がまるでピカソの顔の絵のように真上に見上げている。そしてこの絵の童子の表情が、今まで数多く描いてきた節子のどの子どもの表情とも明らかに違うのである。突然起こった離別の事実を確認できないままの怪訝な表情、「一体何が?」というような戸惑いの表情が、そのあどけない瞳と口元に見事に活写されて、思わず涙を誘うのである。
いつか本物のこの絵を、見てみたいと思った。

2007年2月5日(月)晴れ
カワセミ

 朝起きてすぐに、野鳥観察と散歩を兼ねて自転車で茅ヶ崎里山公園に行く。冬の時期にこんなに早くここに来たのは初めてである。最近の日中のふやけた陽気と違って、早い朝の時間は霜柱も立って吐く息も白い。空気がキリッと絞まっている。
 園内は、さすがひとっこ一人居ない。双眼鏡でまだ朝日の当たらない林の中を探るが、何やら小さいものが動いてはいるものの暗くて判別できない。芹沢の池まで来て対岸の岸辺に目を凝らしていると、すぐ手前の水辺でパシャンと音がして青い影が水面を走った。カワセミである。水面にようやく朝日が当たりはじめて、たった一人の贅沢なカワセミウォッチングとなった。

 午後は日大藤沢校に行った。この大学の図書館を利用できる登録をしていて、気分転換に他の勉強机に向かって見ようかと思ったからである。図書館のゲートでバーコードの登録証をかざすと、「ピピピピッ」とリジェクトされてしまった。「おかしいなあ?」と2、3度試しても同じである。係官の女性が小走りに寄って来て「大学は今日まで試験で、市民の方のご利用は明日からになります」と言われてしまった。
 仕方なしに構内の喫茶店でコーヒー1杯を実にゆっくりと呑んで家に帰った。(「あら、もう帰ってきたの!」と言われないためである。苦労するなあ〜)<カワセミ写真集>←クリック

2007年2月7日(水)曇
ちょっと祝盃でも・・・

 今日は昨年12月3日に受験した資格試験の合否の通知日である。郵送で結果が届くようになっている。やはり朝から何となく落ち着かないので日大藤沢校の図書館に行くことにした。出かける直前にMさんから電話がかかって来て「出てこない?」という誘いである。それでこっちに行くことにした。昼食は挟んで大分長話しをして、Mさんがつい最近買ったという新車に乗っけてもらって午後2時過ぎに自宅に帰ってきた。郵便受けを覗くと茶色い封筒が入っている。封筒が厚かったら合格証書や他の案内が入っているので「合格」、薄かったら通知書1枚で「不合格」だろうと思っていたので取り出す前にちょっとドキドキした。厚いような?厚みが少し足りないような・・・?
 それで居間に入ってから封筒を少し押し頂くようにしてから封を開けた。<「○○検定試験」合格のお知らせ><拝啓 向春の候・・・・ここに、○○検定試験に合格されましたことをご報告致しますと共に、お祝い申し上げます。云々・・・> 「やったあ!」
 通知書には合計10名が合格したこと(しかし受験者数は予想外に少なかった)、そして検定委員長(東大名誉教授)の試験の総評と各出題者が自分の出した設問の趣旨と採点結果の講評を丁寧に述べたペーパーも同封されていた。
 カミさんは出掛けたまま帰って来ていないが、1人でちょっと祝杯でも・・・(何でも1人でやらないとね)

2007年2月10日(土)薄曇り
暖かい冬の植樹祭

 昨夜久々に少し雨が降ったが、今朝は止んでいる。こちらはカラカラ天気続きでまとまった雨が欲しいところだが、今日だけは所属しているボランティア団体主催の植樹祭があるので、雨が上って良かった。庭に出てみると随分気温が高い。靄というか春霞がかかったような空気で、雨の湿りで勢いづいた紅千鳥や白加賀の梅の花がいつもよりは強く匂っている。
 朝刊をとって最近気になっている記事を探す。地球温暖化に関する記事である。やはり今日もあった。「地球の1月の平均気温が過去最高。昨年12月に続き2ヶ月連続の最高気温の更新」とある。温暖化現象は北半球の高緯度地域が顕著で、何とモスクワは平年よりプラス5.9度、ベルリンの平年差もプラス5.1度、日本の1月の平年差はプラス1.44度で過去4番目の高さ、と書いてあった。
 2月2日の夕刊にはIPCC(気候変動に関する政府間パネル)第4次評価報告書の記事が載っていた。「地球温暖化は確実に進み、このまま化石燃料に依存した場合100年後には約4度の上昇となり、海面上昇は最高59pに達すると予測」。さらにIPCCと並行してイギリス政府の諮問でまとめられた「スターン報告」なるものでは、「1度上昇で5千万人に水不足が生じ、3度上昇でアマゾンの熱帯林の消滅が始まり1億7千万人に洪水の危険性が迫る。4度上昇した場合はオーストラリアの一部で農業放棄、南ヨーロッパとアフリカの広い地域で水不足となり北極圏のツンドラの半分が消滅、3億人が洪水の危機にさらされる」と具体的な危機のシナリオが書いてあった。
 これに対して翌2月3日の朝刊には、環境省や国立環境研究所が発表した「地球温暖化での日本への影響」として実に脳天気な内容が載っていた。いわく「3度上昇でスキー客が30%減少する。その他気温上昇で心配されることとして、養殖トラフグが今の産地で適さなくなる。火力・原子力発電所の冷却水温が上昇し、効率が落ちる。コメの苗の移植を4〜10日前倒しにしなければならない。云々」と・・・。そりゃフグの食通達もコメ農家も大変だろうけれど、この日本政府の人類の危機に対する諸外国との感度の違いは何なんだ!と言いたい。
 朝から腹を立てていてもしょうがないので、ボランティアの植樹祭に行った。藤沢市の子どもたちの参加を得て、活動フィールドに30本のクヌギ、コナラ、ヤマザクラを植えるのである。先ずボランティアメンバーだけで山の神への神事を行い(随分大げさな事をやるなあ、とビックリしたが)、子どもたちが集まってきてから賑やかな植樹祭となった。都会の子どもたちにとっては又とない経験で、地球環境を思いやるきっかけになればと願っている。









2007年2月19日(月)晴れ
自分が信じるもの

 珍しく、昨日は映画を見に行った。少し遅いが話題のクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」である。雨も降っていたし映画館で過ごすにはもってこいの天候だった。出発の直前、念のために行く予定の藤沢の映画館に確認すると、もう上映期間が終わって別の映画になっている。仕方なしにインターネットで上映館を探す。つきみ野サティのワーナーマイカルで午後6時20分開始。ここに行った。
 映画は太平洋戦争終盤、1944年の硫黄島における日米決戦での日本兵達を描いたものだった。お国のため、天皇陛下万歳といって戦っている軍隊の中で、二宮和也演ずる一兵卒西郷の「俺は家族のために生きて帰る」という体制へのすねたようなふてぶてしい自己発現のキャラクターに、ストーリーが進むにつれて「そうだ、そうだ」と強い思いが重なって行った。印象的だったシーンは、日本軍の捕虜になった米兵が持っていた母親からの手紙のくだりである。それを英語の分かる副指揮官(名前は忘れた)が声を出して訳すのである。黙って聞いていた兵士たちがその内容に心打たれて、思わず1人またひとりと立ち上がりはじめる。その息子に贈る言葉の中に「自分が信じるものが、正義なのです」と書いてあった。読み終わった直後の玉砕戦でこの副指揮官が洞窟から飛び出す直前、兵士達に向かって叫ぶ。「ここからは1人だ。自分の信じるものに従って進め!」(セリフ通りではないと思うが、まあ感じとしてこんなだった) 思うに、ここがこの映画の一番のテーマではなかったか? 集団主義(全体主義)に対する個人主義の大切さ、様々な個性や考え方に対し統一した体制に従わせようとする卑劣さと愚劣さ。一緒に行ったカミさんにこの部分を問うと「わたしもう眠くてねむくて・・・」という立派な答えが返ってきた。これも1つの正義には違いないが・・・
 今日、夕方からある会合があった。話し合いながら米兵の母親からの手紙が頭をよぎった。
 (写真:庭の梅に来たメジロ。本文には全く関係ない)

2007年2月20日(火)新潟地方晴れ
ガーラからおやじ山を想う

 ほぼ1年ぶりのガーラスキーである。昨年同様、高校時代の同級生のFさんKさんたちとご一緒である。朝8時に東京駅で待合わせをし、もう10時過ぎには湯沢ガーラスキー場のリフトの頂上に立っていた。私の1年間の行いが良かったせいで(昨年のスキーは悪天候でKさんから私のせいだといじめられた)今日は絶好の晴天、上越国境や越後の山々が一望に見渡せた。すぐ目の前には大源太山や朝日岳、右に体を回すと谷川岳、万太郎山、さらには苗場の峰々が真っ白い肌を美しく輝かせている。左の長岡方面は南魚沼の山々、金城山、巻機山、その奥が越後の名峰魚沼三山である。一番端のリフトの頂上から日本海の方向に目を遣ると、春の霞のようにたなびく薄いねずみ色の雲の上に、遠く東頚城の山々が望まれた。
 ひと滑りして、疲れた体をリフトに預けるようにして座っている時の感じが何ともいい。風もなく眩い春の日を浴びながらコトコトと登っていくリフトの上で3人でいろんな話題を出しては笑い合った。足下の雪原に目を落とすと何種かの獣の足跡がついている。トントンパーのケンケン型が野ウサギ、一直線の実直歩きがキツネ、2足ワンセットで左右斜めについている足跡がテン、そしてタヌキやもっと大きな野獣ヒトのまぎれた足跡など・・・。そんな足跡をリフトの上から面白く追っていくと、黒い土の現れた小さな谷川で音をたてて雪解け水が走っている。ここでも、もう春である。途端におやじ山に想いを馳せる。「そろそろ小屋に行く時期が来たなあ」と・・・。
 ゴンドラ終点のレストランで昼食を摂る。昨年のシルバーシートは一杯だったので(子ども連れの人達で)大きな展望のきく窓側の席に座った。周りのお客は殆どが若者達である。その中にどうした訳かポツリと1人で来ているシルバー年代の男性がいる。見るともう1人向こうにも・・・。このジェネレーションの独り者の男性はこの人混みの中でもやけに目立つのである。「凄いわねえ」「あの人あんな年でスノボーやってた人よ」とFさんとKさんは囁き合っている。「きっとカミさんから目の前に新聞突きつけられた人たちじゃないか」と私。このページの2月4日の日記の内容を知っていた二人は「あはは!」と笑っていた。
 帰りの新幹線ではKさんが持参したカブ漬けに特製味噌を塗りつけて頬張りながら、さながらちょっとした宴会気分の愉快な時間を過ごした。やはり共通の話題は10代の青い春の頃の懐かしい思い出である。英語のT先生の話が出、国語のN先生が出、Sさんの話題が出て、関連して○○君が出、△△さんが出て、あっという間に東京駅に着いてしまった。何となく、寂しい。「ああ、早くおやじ小屋に行かなくちゃあ」