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2007年11月17日(土)
秋の山

 4日前(11月13日)におやじ山から帰ってきた。10月1日に出かけたので43日ぶりに自宅に戻ったことになる。
 12日に大雨のキャンプ場で最後のテントを撤収し、大雨洪水警報が出た長岡の町を脱出した。信濃川沿いの117号線を走りながら越後の山並みに目をやると、遠くの高い山には白く初雪が積もっていた。
 10月の初めはまだ青々とした夏山の様相だったが、ここ数日前から一気に晩秋の山に変わった。
 藤沢の自宅に帰って何となくぼんやり過ごしているうちに3、4日が経ってしまった。気を取り直してこれからおやじ山の秋を紹介します。

(以下11月1日からの日記に続きます)




2007年11月1日(木)曇り〜晴れ〜雨
山の秋<森林インストラクターと市民の植樹>

 最近は夜中に目が覚めてしまって困る。晩酌で飲み過ぎるせいかも知れない。ちょっと自重しょう、と一応は反省する。(昔<反省だけなら猿でもできる>というテレビコマーシャルが確かあったなあ・・・)
 今朝も午前2時過ぎに目が覚め、おやじ小屋の修理のことをあれこれ考えていたら目が冴えてしまった。悩んで眠れないのではなく、考えるのが楽しくて眠れなくなるのである。5時20分にテントを這い出る。まだ薄暗く弱い秋の風が吹いていた。
 朝食後に木工房のNさんに電話をし杉背板を30枚追加注文した。山を去るまでに東側の壁を全て張り終え、できれば背板で東側の内装も仕上げてしまいたい。電話の向こうでNさんが「作業、はかどっているようですね」と笑っていた。
 作業道路を歩いておやじ山に向かう途中、真新しい白い杭が目に留まった。近寄って見ると「森林インストラクターと市民有志」「森となかよくする植樹会」「平成19年10月28日」と書いてある。なるほど道路脇の整地した所にユキツバキやヤマグワなどの苗木が丁寧に名札を付けて植えられている。私も全国森林インストラクター会に所属していて、郷里の森林インストラクターの同士の皆さんがこうして活躍されているのかと嬉しくなってしまった。
 今日は背板を8段目まで張ったところで雨になった。急いで道具を片付けて傘を差して下山したが夜中には長岡地方に大雨洪水警報が出た。昼間はぱっと日が差していたのに全く秋の空は女心と同じである。(こんなことを書くといろんな人から非難が来そうだなあ・・・)

2007年11月2日(金)雨
山の秋<長岡秋まつり>

 昨夜の大雨洪水警報も解除されて小降りになったので、テントの外に出てラジオ体操をやった。第二体操の最後の深呼吸でザーザー雨になり、両手を高く挙げて大きく息を吸い込んだままテントに逃げ帰った。
 こんな雨では仕事もできないので長岡中央図書館に行った。久々に新聞に目を通し、きのこ図鑑を見たり設置してあるパソコンで自分のホームページを見たりした。しばらく更新もしていないのに私の「おやじ小屋から」に訪問して下さる方がいて本当に有難い。「さて山に帰ろう」と中央図書館のロビーに出ると「長岡秋まつり 於:千秋が原」のポスターが目に留まった。3日間の会期で今日が初日である。それで、行ってみることにした。
 錦鯉や模擬店のある会場に着いてみると全く閑散として、寒い雨模様の空の下でスタッフが手を擦りながら身を縮めている。誰も客がいない「JA○○」のテントの前を通りかかると、何とも寒そうな震え声で「・・・いかがですかぁ〜」と弱々しく声が掛かり、とても素通りできずに何故かこちらもうな垂れながら600円の餅を一袋買ってしまった。後で考えたら、年金生活の自分が何もここでボランティアすることも無かったのになあ、と思ったけど・・・
 菊花展の会場にも行ってみたがここも閑散としていて、昔の長岡厚生会館で開催されていた賑やかな秋祭りとは随分違ったように思えた。

2007年11月3日(土)晴れ
山の秋<晴れの特異日>

 昨夜はテントを打つ雨音もなくぐっすり眠れた。一番鶏の鳴き声を一度耳にしたが再び眠って6時の山寺の鐘の音で起きた。携帯ラジオの電池が切れたので駐車場まで行ってカーラジオを点けて体操した。この時間になるといろんな人が散歩やジョギングやキノコ採りで下の道路を通るので、「オイチニー、サンシー!・・・」と着膨れた格好で体操などしているとちょっと恥ずかしい。
 さすが今日の文化の日は晴れの特異日で、朝食を済ますと早々に昼食をリュックに詰めておやじ小屋に向かった。小屋で背板張りの仕事をしていると、昼頃老夫婦が100年杉の森の尾根から上って来た。親しく挨拶されるので「はて?」と思い返すと、2年ほど前にやはりお二人でこの小屋に訪ねて来られた方である。早速折り畳み椅子を勧めて休んでもらったが、立派なカワムラフウセンタケとナメコを籠から出して「これ、食べられますか?」と聞くので、「よく見つけられましたねえ」と太鼓判を押してやった。昼の気持ち良い日射しの中で30分ほど楽しいお喋りをして老夫婦は山を下って行った。
 天気も良く仕事もはかどって東壁の柱の一方を全部張り終え、もう一方は9段目まで張った。
 夕方次兄から電話があって来週末に近くの国民宿舎に夫婦で泊りに来るという。ちょうどその頃には仕事も一段落するので一緒に過ごすことにした。それが終われば、いよいよ帰り支度である。夜は、再び雨になった。

2007年11月4日(日)曇り
山の秋<山芋掘り名人>

 5時半に起きた。一晩中雨の音を聞いていたが、幸い止んだ。外はまだ真っ暗である。今日は6時半に木工房のNさんが杉の背板を30枚運んで来てくれることになっていた。随分早い時間だなあと思ったけど、何しろNさんは地元の顔役で、今日もここが終わったら地域の文化祭に出品する作品の搬入があるのだと言う。それで時間通りにやってきたNさんと30枚の背板を見晴らし広場まで運び上げ、Nさんはとんぼ返りで帰って行った。
 午前中はこの30枚の背板をおやじ小屋まで運んだ。10枚づつ一輪車に結わい付けて山道を押して行くのだが、3往復目には馬力が無くなって途中の坂が登れなくなった。幸い若いキノコ採りの夫婦が通りかかって前を引いてくれたが、全く面目無かった。
 午後からは東側の残りの壁作りをし、最後の2枚を張り終えて外壁を完成させた。
 今日は谷向こうの山から時々「コ〜ン・・・コ〜ン」と音が響いて来ていた。誰かが山に入って何かやっているらしい。暗くなり始めたので作業を止めて後片付けをしていると、谷の方から誰かが上って来た。背に大きな萱のツトを背負って重たそうである。「いや〜今年は今日が初めてで、ちいっとばかし頑張り過ぎたなあ〜」という笑顔を見ると、ここ栖吉町の山芋掘りの名人Mさんである。手にはもう30年以上も使っているという山芋掘りのクワと山芋掘りの合間に採ったというレジ袋一杯のナラタケを下げている。向かい山から聞こえていた音は、このクワが木の根に当たった時の音だったのである。
 暗くなった山道をMさんと一緒に大声で話しながら下った。72歳のMさんはとても誉め上手で、私の山小屋造りを「そうそうそう、大したものだ、いや、誰でもできることじゃねえてえ」と漫才師の昭和こいるのように何回も元気に繰り返してくれて、やっぱり嬉しがらせるのである。
 山が急に冷えてきた。冷酒はやめて熱燗が飲みたくなった。

2007年11月5日(月)晴れ・曇り
山の秋<アマンダレの群生>

 朝の気温が8度まで下がった。立冬まで後3日、そろそろ雪が来そうな気配である。
 今日は珍しく見晴らし広場まで車で行った。間もなく藤沢の自宅に帰らなくてはならないので山仕事のピッチを上げなくてはならない。テントからの行き帰りの時間がもったいないし、それにカミさんに小屋の修理を手伝ってもらうためにはせめてここまでは車に乗せないと、という機嫌取りというかまあ一種のゴマすりの意味もある。
 8時には車で見晴らし広場まで行き、おやじ小屋に着いて早速カミさんには昨日運んだ背板の皮むきをやってもらった。私は東壁の内装である。背板を外壁と同じように内側から手の平を合わせるような格好で張っていくのである。
 昼食はインスタントラーメンで済ませ、午後もそのまま内装作業
に没頭した。カミさんは昨日のM名人のナラタケの方の話が気になるらしく、職場放棄して谷向こうの山に1人で行ってしまった。午後3時頃だろうか、谷向こうから「あったあ〜!」という叫び声が響いてきた。そして「ハアハア」小屋に戻って来た手に立派なアマンダレ(ナラタケを長岡ではアマンダレ又はクズレと呼ぶ)を持っている。とても1人では採り切れない程の群生だという。そうと聞けばこちらも職場放棄して助っ人に行かなければならない。
 多分3年前の地震で崩れたであろう赤土の崖にナラの倒木が懸かり、そこにビッシリとアマンダレが生えていた。早速写真を撮ってから採り始めたが、私は暗くなる前に小屋の後片付けをしなければならず、途中で止めて小屋に戻った。今年は全般的にキノコが不作なのに何故かアマンダレだけは豊作のようである。
  

2007年11月7日(水)晴れ
山の秋<嬉しい戴き物>

 ぐずついた天気が続いていたがようやく晴れた。一雨毎に木の葉が大量に落ちるようになった。 今日も1人でおやじ小屋に行き、今年の山仕事のまとめのような作業をいくつかこなした。池の底の浚渫も再度丁寧にやった。来春になってクロサンショウウオやモリアオガエルがリニューアルされた棲家にちょっと戸惑うかも知れない。もちろんメインの作業は背板の内装張りである。
 今日も谷向こうの山から時折「コ〜ン・・・コ〜ン」とクワの音が響いてくる。きっと山芋掘りのM名人である。朝の早い時間からこの音が休み無く続いていて、まるでこちらの背板張りのハンマーの音と競っている感じである。文化の日も過ぎて、もうこの時期のおやじ山には私とMさんくらいしか居ない筈で、寂しくなった山の中で互いに音を出して励まし合っているようでもある。
 カップ麺で昼食をとった後、散歩がてらに尾根を登って上の森の中に入った。コナラの倒木にクリタケを見つけ、そのまた少し奥でナメコをいくらか見つけた。いずれも晩秋に出るキノコでもうキノコシーズンも終わりである。
 午後4時、東壁の内装を全て張り終えた。後片付けが終わり周りも急に暗くなって来て「さてMさんはどうしたかな?」と思っていると、下の尾根道から黒い影が上って来た。「いや〜今日も頑張り過ぎたなあ〜家の者も俺が山に入ると心配するし、今年は今日で終わりにすっかなあ」とMさんはススキのツトにどっさり背負ったヤマノイモを丁寧に小屋の前のデッキに下ろした。そしてツトの両端を縛った紐をくるくると解くと、中に立派なヤマノイモ(自然薯)が30本程も並べられていた。Mさんはそのうちの10本程を選り取って「これ、おめさん(お前様)食べてくれてえ」と私の方へ押し出すのである。こんな貴重なヤマノイモを街で買ったらビックリするほどの値段である。嬉しかったなあ〜! 
 今日も2人で大声で話しながら暗い山道を下った。昭和こいるの朗らかな相づちが薄暮れた峰にこだましていた。(下の写真は山芋掘り名人Mさん)






2007年11月8日(木)晴れ
山の秋<立冬>

 立冬になった。朝の気温は8度、高台に出て下を見ると刈田に低く霧がなびいていた。テントの周りは一面の落葉である。山々はアオハダの黄が濃くなり、ウリハダカエデは鮮黄色の葉に朱が混じり、コシアブラの薄緑は抜けるような透明感のある黄色に変った。コナラもようやく色付きはじめた。 今日からおやじ小屋の冬囲いの予定である。
朝日が差した山を惜しむような気持ちで写真に撮りながらおやじ小屋に向かった。小屋に着いても日射しがもったいなくて、仕事に取り掛かってもすぐ腰を伸ばして太陽に向かって目を細める。小屋の外寸を測り来春からの修理の算段を考えたり、窓の造りや玄関の戸の造りをあれこれ考えたりした。しかしちょっと仕事に手を付けてはすぐ日射しの方へとぶらぶら散歩するので全く捗が行かなかった。
 昼飯後は、チェーンソーを持って柱材用の杉の木を2本倒した。100年杉の間に細く伸びた通直な杉だが樹高は8m以上ある。1本を上手く倒したが、2本目を架かり木にしてしまった。無理に落として怪我をしてしまってもつまらないので、この冬の雪頼みで来春を待つことにした。
 午後4時を回り、急に日が陰って暗くなり始めた。藤沢の自宅まで持ち帰るため、修理で出した不燃ごみを持って山を下りた。夕飯時のトロロご飯が何と美味しかったことか・・・!





2007年11月9日(金)雨〜晴れ
山の秋<畳と布団>

 午前3時に点けっ放しのラジオの音で目が覚めた。NHKラジオ深夜便で昭和35年のヒット曲を流していた。美空ひばりが思い入れたっぷりの語りを入れて「哀愁波止場」を歌い、三橋美智也が「♪ワ〜ラニマミレテヨ〜・・」(この最初の出だしの言葉が「藁」だとは今の今まで分からなかった。一体何にまみれたのだろうとずっと思っていた)と「達者でなあ」を歌い、坂本九がダニー飯田とパラダイスキングと一緒に「♪ア、テカテカテカ・・・」と「素敵なタイミング」を歌っていた。こんなのは昼の明るい時に聴いたら「な〜んだ」で終わってしまうのだろうが、深夜だと何となく当時のこもごもと重ね合わせるように聴いてしまって、思わず枕元の酒瓶に手が伸びてしまう。(当時を思い起こすといいことばかりでなく、「アチチッ!」とあまりの恥ずかしさに「ワ〜ッ!」と絶叫したくなるようなこともありましたです。ハイ・・・)
  朝から雨になり長岡地方に大雨洪水注意報が出た。それで雨合羽を着ておやじ小屋に行き、小屋の南側から雪囲い用のトタンを打ち始めた。昼飯を食べ終わってからは北側の雪囲いである。そして外に出してあった背板を全て小屋の中に運び入れた。
 今日は新潟にいる次兄夫婦が近くの国民宿舎に泊りに来るので我々も合流することになっていた。それで午後2時過ぎには作業を止めて山を下った。この頃にはちょうど天候も回復して午後の日射しが晩秋の山を美しく照らしていた。午後4時に次兄夫婦がテントに着いて、一緒に悠久山の国民宿舎に行った。ゆっくり宿の風呂に入り、久しぶりに畳の上の布団で手足を伸ばした。

2007年11月10日(土)曇り〜晴れ
山の秋<小屋閉め>

 国民宿舎でゆっくり朝食をとり、宿を出る時にはおみやげにたくさんの柿を頂戴した。午前中は次兄夫婦と一緒に越路町にある「もみじ園」まで行った。この園は銘酒「朝日山」や「久保田」で有名な朝日酒造が町に寄付し管理している庭園でちょうど紅葉の真盛りだった。そのもみじ園の裏山にある公園をぐるりと一周して駐車場に戻り、来迎寺まで走って小さなレストランで昼食をとった。そして次兄夫婦とは互いにクラクションを鳴らしてここで別れ、キャンプ場に戻った。
 午後2時過ぎにおやじ小屋に行った。そして雪囲いの最後の仕事で、おやじ小屋の入口の戸板を太い釘で打って閉めた。午後4時を回ってそろそろ山を下ろうかと思っていたら、突然谷の上流の東の峰が真っ赤な夕陽に染まった。「ああ、おやじのみやげだなあ〜」とちょっと目頭が熱くなるような感じでじっと見上げていた。
 そしていつものように帽子をとって、大声で「ありがとうございました!」と小屋に向かって挨拶し歩き出した。少し歩いてまた小屋を振り返り、もう一度「長い間、ありがとうございました!」と大声で挨拶した。帰りの山道で今日の夕陽が黄葉したマンサクの葉を一瞬燃え立たせて、西山に沈んだ。

2007年11月11日(日)雨、曇り
山の秋<テント撤収>

 一晩中雨が降り続いていた。明方「ド〜ン!」と物凄い雷が鳴って、時計を見ると5時50分過ぎだった。そのまま寝袋の中でじっとしていたがラジオ体操の時間には雨が止んだ。そして体操が終わる頃には少し薄日が差してきて、高台をぶらついてから、晴れた休日には子ども達で賑わうポニー牧場の方まで散歩に行った。この東山ファミリーランドも今日が今シーズンの最後の営業日だと言う。いつもテントサイトから牧場の方を眺めていたが、今日初めて反対側から自分のテントを見ると、雨に濡れて佇んでいるテント場の風景が何とも侘しい感じである。
 午前中は雨が降ったり止んだりの天候だったが、今晩寝るだけの道具を残してキッチンテントやテント内のキャンプ道具を全て片付けて車に積んだ。そして出勤してきた管理事務所の皆さんやロッジ内の事務所におられたYさんに長い間お世話になったお礼の挨拶をした。
 昼食はこのキャンプ中に何回か行ったことがある宮内のA食堂で定番のラーメンを食べた。今日は長岡市長選の投票日で、近くに投票所があるのか凄い混みようだった。そして久々に川口温泉まで車を走らせて大きな露天風呂に身体を沈めた。40日間の山仕事とキャンプ生活でコリコリと固まった筋肉がお湯の中に溶けてゆくようだった。
 夕食は温泉からの帰りに「道の駅」で買った弁当をテントの中で食べた。再び雨足が強くなってテントのターフを激しく叩いていたが、キャンプ打上げの酒が風呂上りの身体にぐっと滲みて、いつの間にか雨音は朧に遠のいていった。





2007年11月12日(月)雨
山の秋<エピローグ>

 少し寝過ごして6時半に起きた。幸い雨は止んでいたが風が吹いて木枯らしのようである。急いでテントの撤収作業をする。途中雨が降ってきて、追われるように全ての道具を車に積み込んだ途端に「ザ〜ッ!」と大雨が来た。長岡地方に今日も大雨洪水警報が出た。
 今日も管理事務所に出勤してきたTさんに最後の挨拶をしていると坂道の下の方から山芋掘り名人のMさんが
歩いてきた。Mさんは雨合羽を着込んでビショビショの雨の中で笑って小さく手を上げた。迎えるように近寄って傘を差し伸べてやると、「おめさん(お前様)遠くから小屋の雪下ろしに来んでも(来なくても)、雪が降ったら俺が山に入って雪下ろししてやっから来んでもいいてえ」と、Mさんはわざわざこれを伝えに麓の村から歩いて来たのだ。「全くMさんという人は〜・・・」と感激して「ありがとねえ、ありがとねえ」と言って、俺の実家もこっちにあるし自分は冬のおやじ山に入るのも好きなんだ、とMさんに伝えた。午前9時に小さくクラクションを鳴らしてテント場を離れた。見送ってくれたMさんはビショビショの雨の中で帽子を取って丁寧に頭を下げてくれた。
 ふるさと長岡の皆さんありがとう!お蔭様で郷里の山でまた懐かしいおやじやおふくろと楽しく過ごすことができましたあ!本当にありがとう!
 信濃川沿いの国道117号線に入ると、川の上流のずっと向こうの越後の山には既に白い雪が被っていた。
<山の秋>おわり