<<前のページ|次のページ>>

最後のページは10月31日

2007年10月1日(月)
山の秋<出発の日>

 「そろそろキノコのシーズンだなあ」と思いながら出発が延びていた。先月は「火州」と呼ばれている中国のトルパンを旅してきたが、帰国したらトルパンより厳しい残暑の日本だった。そんな事もあってグズグズしていたが、中秋の名月を過ぎた頃から朝晩が幾分涼しくなった。ようやく山行きの気分が乗ってきた。
 朝8時過ぎ、春にもおやじ山に来てくださった近くに住む農家のK奥さんを車で拾って渋滞の町を走り、
関越道に入ったのは昼近くである。別に急ぐ旅でもなし、例によって途中から一般道に下りて猿ヶ京の「満天の湯」に浸った。この温泉は町営の施設だが同じ敷地内に立派な芝居小屋がある。たまたまこの日は上演中で駐車場にはたくさんの車が並んでいた。意外やK奥さんはこの男が女形を演じる芝居が大好きで、何とかという役者が神奈川や東京で公演するときにはキャーキャー(と実際叫ぶかどうかは訊かなかったが)追っかけをするのだと言う。「満天の湯」の玄関に今日の公演のポスターが貼ってあったが、K奥さんは湯上りの顔をさらに上気させてうっとりと役者の顔を見詰めているのである。
 麓の東山ファミリーランドのキャンプ場に着いたのは午後6時だった。ランタンを点け小雨の中でとりあえず寝るだけのテントを2張り張った。

2007年10月2日(火)曇り〜晴れ
山の秋<期待外れ>

 朝5時半に起きて車からキャンプ道具をテントサイトに運び上げる。カミさんとK奥さんがなかなか起きてこないのでキャンプ場を一回りした。昨年のこの時期にはシャカシメジやハエトリシメジなどがあったはずなのに、今年は1本も無い。たまたま中年女性のキノコ採りに会って「今年のキノコはどうです?」と尋ねると「イグチがちょっとあるけど、まあ殆どだめだて・・・」と溜め息混じりの答えだった。
 午前中はどんよりとした曇り空だったので再びテントに潜り込んで一眠りし、昼近くに外が明るくなったのでおにぎり持参でおやじ小屋に向かった。途中の山道でようやくキンロク(ニンギョウダケ)の幼菌を見つけていくらか胸を撫で下ろしたが、他のキノコは全くない。毎年必ず出ていたウラベニホテイシメジの姿が1本も見えないのにはガッカリしてしまった。昨晩いくらかの雨が降ったとはいえ山全体がカラカラに乾いている感じである。いつもは感じるキノコの匂いが全くしないのである。
 小屋に着いてカミさんとK奥さんはミョウガ採りに精を出していたが(何とポリバケツ1杯採った。こんなにどうするんだろう?これだけ食べたら物忘れがいっそう・・・)私は山道具の刃物研ぎをした。こうして静かに刃物を研いでいるとじわ〜とおやじ山に来た喜びが湧き上ってくる。
 夕食はキンロクをバター炒めにして食べた。夜、伊豆のKさんから電話が入り「どう?キノコ」と聞かれたが、「ダメ」とつれない返事しかできなかった。しかし、満天の星空である。






2007年10月3日(水)快晴
山の秋<ヤマナラシの尾根>

 昨夜はちょっと(というよりはかなりの量)お神酒が入りすぎて、今朝起きたら「オエ〜ッ!」と気持ちが悪い。朝食がちっとも進まなかったがもったいない程の天気なので、頑張って三ノ峠山まで登ることにした。いつもの赤道コースをゆっくり歩きながら秋の草花の写真を撮ったり、キノコがないかと腰を屈めて林内に目を凝らしたりした。途中でツリフネソウやキツリフネの群落に出会ったり、この辺の山では珍しいツルニンジンやアブラチャンの木を見つけたりしたがキノコはさっぱりで、山道で出会ったキノコ採りもウラベニホテイシメジ1本とわずかなチチタケを籠に収めているだけだった。
 登山道を登りつめて三ノ峠山の尾根に出ると長岡の街が一望である。いつものヤマナラシの木の下で腰を下ろし、爽やかな風に吹かれがら眼下に広がる街並みを眺めていた。頭上ではまさに「山鳴らし」の葉がサワサワと鳴って眠くなりそうなひと時だった。頂上の三角点まで行ってみたが周りの草が綺麗に刈ってある。そこで二三本のカヤタケとカワリハツを見つけたが食べるほどの量ではなかった。
 この赤道コース脇に大きなエノキがあることに初めて気付いた。越後の山でエノキも珍しいが直径が2m程もあるエノキの大木は実に珍しい。夏には国蝶オオムラサキがこの木の周りで飛び交うのかも知れない。 







2007年10月13日(土)晴れ
山の秋<友人達の来訪>

 10月4日から今日までに遠方から3組の友人達(と2匹のラブラドール犬)がおやじ山を訪ねて下さって、このキャンプ場で楽しい夜を共に過ごしてくれた。
 10月4日に神奈川県の綾瀬からKご主人が奥さんに遅れて合流し、着いたその日におやじ小屋に行って水源の整備に奮闘してくれた。6日の朝2人揃って帰ったが、入れ替わるようにその日の午後、Sさん夫婦がテリーとブラッキーの兄弟犬を連れて辻堂からやってきた。もう何度かこの山に来てしっかり土地感が残っている様で、テリーとブラッキーのはしゃぎようったらなかった。Sさん夫婦が8日に帰って「寂しくなったなあ・・・」と思っていたら、翌9日に信州の松本からOさんがやってきた。勝手知ったOさんは、いつものようにキャンプの必需品をどっさり差し入れてくれて本当に有難かった。こうした友人達がわざわざ遠くから山に来てくれることが、私にとっては山生活のアクセントになったり森の整備やおやじ小屋をせっせと修理する励みになっている。
 しかしおやじ山でのキノコ採りを例年楽しみにしているOさんにとって、今年は全くの期待外れだっただろう。目当てのウラベニホテイシメジやキンロクは1株も採れず、2日前の11日にキャンプ場でようやく生えたアミタケやジカボウ(ヌメリイグチ)の幼菌をいくらか収穫しただけだった。
信州からドライブしてきたOさんは「途中の山も全く紅葉などしていませんでしたねえ。これじゃあキノコもまだ早いのかなあ」と言っていたが、ようやく今日になって山は何となく秋らしい雰囲気になった。緑の山肌にいくらか赤味が差してきた。
 午前10時にOさんが山を去り、寂しさを紛らわすようなつもりでおやじ小屋に行って薪割りをした。カミさんはヤマザクラの斜面に降りてムカゴ(自然薯の蔓に生えた子ども)採りである。
 採りたてのムカゴを新米に入れちょっと塩味をきかせて炊いた夕飯の美味かったこと美味かったこと・・・
 


2007年10月14日(日)晴れ
山の秋<秋の訪れ>

 5時半に目を覚ましたが、寒い。枕元の携帯ラジオを点けると、天気予報が「ようやく例年並みの朝の気温」だと言っている。まだ外も暗い様子なのでそのまま寝袋に入って、おやじ小屋の池の上にある湧き水から酒樽の濾過装置まで塩ビ管で水を通す方法をあれこれ考え続けていた。
 6時にいつもの山寺の鐘が「ゴォ〜ン・・・ゴォ〜ン・・・」と6つ鳴ってから「エイッ!」と気合いを入れて起き、テントを出た。そして6時半からのラジオ体操を今日初めてやった。第一体操と第二体操の間の首の運動で借金のせいかなかなか首が回らなかったが、最後の深呼吸が終わるとやっぱり気持ちいい。
 今日はおやじ小屋に行く途中で枯木に生えたベッコウタケを見つけた。サルノコシカケに準ずる薬用キノコで傘が鼈甲色の綺麗なキノコである。
 そしておやじ小屋に着いてから、湧き水をどう溜めて塩ビ管に流し込むかで一日中首を捻り続けた。朝のラジオ体操で首を鍛えていて助かったが殆ど作業が捗らないまま午後4時になり、急いで道具を片付けて山道を下った。ウロコ雲が夕暮れの高い空いっぱいに浮かんでいた。おやじ山はようやく秋の季節の到来である。
鰯雲吾に未完の貌一つ>(宮本悠三 朝日俳壇、金子兜太選
 

2007年10月15日(月)雨〜曇り
山の秋<テントの中のシャカシメジ>

 明方、パラパラとテントを打つ雨の音を聞きながらうとうとしていて、「さて何時頃だろう?」とラジオのスイッチを入れると「♪アタ〜ラシ〜イ朝ガキタ、キボォ〜オノ朝ァ〜ダ!・・・」とラジオ体操の歌が始まっていた。昨日、これから毎日朝のラジオ体操を続けようと誓ったばかりなのに翌日に断念では余りに情けないので、ラジオを持って外に飛び出た。外は、晴れていた。気持ちの良い雨後の湿り気があったがキノコの発生にはまだ不足のようである。体操が終わってテントに戻ると「あれ!」、何とテントの床の下からシャカシメジが顔を出している。余程気の毒に思って出てきてくれた様でとても採る気にはならない。
 午前中に強い雨が来た。それで町に下ってホームセンターで4mの塩ビ管と20kgの砂利3袋を買い、小降りになった午後から一輪車でおやじ小屋まで運び上げた。

 夕方も今までとは違い、大分冷えてきた。こんな日は炊事も億劫になってしまって、町に下りた時に買ってきたパック寿司を開いてテントの中で夕食を摂った。

2007年10月17日(水)曇り〜晴れ
山の秋<水路の完成>

 深夜に地震があった。7月16日に起きた新潟県中越沖地震の余震かと思ったら、小千谷で震度4、長岡震度3で、震源地は中越沖地震の柏崎ではなかった。3年前の中越地震の余震が今だに続いているのだろうか?すっかりこの辺が地震で有名になってしまったが、先日越後川口の道の駅に行ったら「震央」という名前のみやげ品を売っていて、全く嫌なものを考え出すものだと溜め息をついてしまった。
 昨日の朝の気温は12度まで下がって山が大分色づいてきた。しかし今朝は温かく薄く靄が立ち込めていた。
 午前中再びホームセンターに行って土嚢袋20袋を買った。早速おやじ小屋に行って土嚢作りをし、今までの水路を土嚢で塞ぎ、昨日泥だらけになりながら埋め込んだ新しい塩ビ管の周りを土嚢で固めた。そしたら、塩ビ管から水が出て来た!成功である。
 夕食はおやじ池のすぐ脇に生えていたアマンダレのキノコ汁とムカゴ飯を作って食べた。それから3日ぶりの麻生の湯に行くと、露天風呂からは南西の空に絵本に描いてあるような三日月が見え長岡の街の灯りが田んぼの向こうにキラキラと瞬いて見えた。秋の空気がキリッと澄んできたようである。



2007年10月18日(木)絶好の秋晴れ
山の秋<水路の杭打ち>

 午前3時過ぎにトイレに起きた。放熱でブルブル体を震わせながら寝ぼけまなこで空を見ると、満天の星である。まるで金砂をぶちまけた程の物凄い星の数で、放熱が済んだのも忘れてしばらく見入っていた。
 朝はやはり冷えた。トントンとラジオ体操が終わって高台に出ると、弥彦の上にきれいなスジ雲がたなびいて手前の邑は田んぼに広がる霧の中で今だ眠っているようである。長岡の市街地
は、ちょうど朝日の眩しいスポットがビルに当たってむっくり起き上ってきた感じである。今日は絶好の秋晴れとの予報だ。
 午前中、用があって実家に行きキャンプ場に戻って来ると長岡市のKさんとSさんが訪ねて来られた。おやじ山に行く作業道路(正式には自然観察林管理道というらしい)の車両通行について打合せをしながら今年のドングリやブナの実生り状況や、この山に棲むギフチョウやモリアオガエル、クロサンショウウオなどの貴重な生き物の保護に関することや、将来に向けての市民と自然との関わり方などについていくらか話しをした。市民と行政がいかに手を組んで里山の自然を守っていくかはこれからの重要課題である。
 午後は気持ちよい秋の陽ざしの中をのんびり写真を撮りながらおやじ小屋に行って、塩ビ管の水を溜めた酒樽から流れ出る水路の杭打ちをした。庭園職人になったような気分で凝り出すときりがないので途中で止めたが、まあまあの出来栄えである。後は酒樽に濾過材の砂利や竹炭などを入れれば、立派な水場の完成である。





2007年10月19日(金)晴れ〜雨
山の秋<Nさんからの宝物>

 明方、クマに追いかけられた夢を見た。今秋、鋸山でクマ1頭の目撃情報はあるが昨年のようなクマ騒動はついぞ耳にしていない。1年前の大量捕殺で個体数が減り過ぎたのではないかと心配している。一度おやじ山でクマに出会ってみたいと思っていた。ところが今朝の夢は実に怖かった。高いドームの天井で(変な話だが夢だから)何頭かのクマが遊んでいてあんぐり見上げていたら、そのクマが上から降ってきた。ド〜ンと落ちたので「あれれ!」と思って見ていたらむっくり起き上がって自分を追いかけて来たのだ。びっくりして逃げたの何のって・・・。それで「わあ〜ッ」と目が覚めて、助かった。
 今日は信濃川の向こうの町で木の工房をやっているNさんの所に行った。この春偶然スキー場のロッジで知り合った人で、間伐材や木片を使っていろいろの作品を作っているというので、おやじ小屋の修理で知恵を借りようと思ったからである。
 実にためになった。Nさんは早速近くにある自分の山小屋に案内してくれて、杉の背板で壁を張る方法を教えて下さった。そしてこれから私のおやじ小屋まで行ってどんな小屋なのか見てくれると言う。そろそろ雨が降ってきたがNさんは軽トラを駆ってキャンプ場に来た。見晴らし広場まで一緒に上がり山道をおやじ小屋まで案内したが、雨の中を歩きながらNさんは頻りに「ここはいい森ですねえ。これから楽しみがいっぱいありますねえ」と誉めて下さった。まだ土台と屋根だけで周りをトタンで囲っただけのおやじ小屋を見ても、「実にいい小屋です。これから楽しみがいっぱいありますねえ」と
感心してくれて本当に嬉しかった。
 Nさんは帰りに何と6千年前の埋没林の木片を私にプレゼントしてくれた。この中越沖地震で出雲崎沖の海底から浮かび上った埋没林の木片を乾燥させちょっと細工したずっしりと重い置物である。これはきっと凄い宝物である。
 夜は雨と風が強くなった。

2007年10月20日(土)雨
山の秋<長岡の市(いち)>

 6時の山寺の鐘で目が覚めたが、まだテントに当たる光が薄暗くて寝袋の中でグズグズしていた。そして6時半の鐘が「ゴ〜ン・・・」と1つ鳴り響いて慌ててラジオを持って外に出た。
 ラジオ体操が終わって、今朝もテント脇に生えた千本しめじ(シャカシメジ)の成長ぶりを観察する。もう何日も見続けているがなかなか大きくならないものだ。シメジは一度人に見られると成長を止めるという言い伝えがあるが、本当かも知れない。テントに戻ると雨が降ってきた。
 午前中長岡の街に行って「5・10の市(ごとうのいち)」をぶらついた。毎月5日、10日、15日、20日、25日、30日と昔から続いている市で、まだガキ時分お袋やおやじに手を引かれてよく来たものである。その当時はいつも大賑わいで、威勢のいい声が朗らかに飛び交ってまるでお祭りのようだった。今は、櫛の歯が欠けたように出店の数も減って昔の面影はさっぱりである。それでも山と積まれている野菜や果物などを見て歩くのは楽しく、ナメコと丸ナス、里芋、ネギ、みかんなどを買い込んでテントに戻った。
 市から帰っておやじ小屋に行く。酒樽に入れる濾過材の砂利や砂を水洗いしたが雨で寒くて仕方がない。小屋の囲炉裏に炭を熾して暖をとったが早々に下山した。

2007年10月21日(日)雨〜曇り
山の秋<山古志ありがとうまつり>

 ラジオが西高東低の気圧配置になったと報じている。太平洋側は行楽日和だそうだがここは朝から冷たい雨が降り続いている。
 今日でキャンプ生活が3週間経ったので気分転換に「山古志ありがとうまつり」に出掛けることにした。あの新潟県中越地震からこの10月23日でちょうど3年経ち、今日は全村避難した旧山古志村でイベントが行われることになっていた。
 蓬平温泉に通じる県道を走って先ずメイン会場の山古志支所に行った。雨は上ったが寒い。早速温かい豚汁の接待を受け、渡されたパンフレットを読むと「・・・中越大地震から3年。多くのみなさまから温かい励ましの言葉やご支援により、来年の正月にはほとんどの住民が帰村できるまで生活基盤や住宅が再建しました。・・・そこで全国のみなさまの温かい支援に感謝し「ありがとうまつり」を開催することといたしました」とある。良かった良かった・・・。虫亀会場にも行ってみた。この会場でも豚汁とおこわご飯のサービスを受け、何と新米2合とピーマン4個(2人で米4合とピーマン8個)が入った手土産まで貰った。昼食をたらふくご馳走になった上にキャンプ難民の生活基盤までご支援頂いて、こちらが全く「ありがとう」だった。
 今日の夕陽はこの秋一番だった。午後4時50分、ほんの一瞬だったが薄紫の山の端とその上にたなびく墨色の雲の中間にすっぽりと真っ赤な夕陽が納まって、思わず「あっ!」と息を呑む美しさだった。







2007年10月22日(月)晴れ
山の秋<酒樽の濾過装置>

 今日の天気予報は晴れだというので5時20分に飛び起きた。外はまだ薄暗かったが、遠くで一番鶏が「コケコッコォ〜」と鳴いている。風が少しあって朝日に染まり始めた綿雲がゆっくりと流れていた。
 4日ぶりの晴天で今日は山でやる仕事がいっぱいある。早々に朝食をとっておやじ小屋に
向かった。先ず水場の酒樽に濾過材を詰めた。砂利40sを底に敷き、その上に藤沢のボランティア団体で焼いている竹炭を15〜20cm程の厚さに詰め、一番上に砂20sを敷いて、出来た!最初は多少濁った水が出るが、何回か溜めては流すうちに綺麗に澄んでくるはずである。
 それから長い間懸案だったおやじ池の掃除(底さらい)をやった。春から夏まではクロサンショウウオやモリアオガエルの棲家となるのでそっとして置かざるを得ないし、秋には水が冷たくなって・・・と思案していた。それで枯れ落ちた杉っ葉などを掻き集める熊手を物置から出してきてこれで池の底をぐりぐり引っ掻いてみると、実に上手く浚渫できた。底に溜まった杉枝や落葉が山のように岸に積まれた。今時分に池に棲むアカハライモリが「一体何事が起きたか?」と右往左往してちょっと可哀想だった。
 昼食は早速酒樽の濾過装置の水でインスタントラーメンを作って食べた。食べ終えて小屋の周りを散歩すると、秋の真昼の陽ざしの中で珍しくリンドウが蕾をいっぱいに開いていた。
 午後からはおやじ小屋の土台作りを始めた。春に完成したブロック基礎のアンカーボルトに角材を固定する作業である。これには難渋した。電動ドリルで角材に穴を開けてアンカーボルトに叩き込むのだが、穴の径が合わない、位置が合わない、で今日は1本も出来なかった。
 しかし天気が良いと暮れる時間が遅く、午後4時まではゆっくり作業ができて嬉しい。夕陽を見ながら山を下りて、夕飯は昨日頂いた山古志の新米を炊いて食べた。さすがハサ掛けの米でうまかった。夜はまた雨になった。

2007年10月23日(火)曇り〜晴れ
山の秋<花火と十三夜の月>

 一晩中強い雨が降って、午前7時半過ぎにやうやく止んだ。そこでテントから這い出ると、外は霧だった。ちょっと遅い朝食をとってから街に下りてホームセンターに行き、径の大きいドリルビットとアンカーボルトのワッシャーを1袋買ってから、おやじ小屋の作業に向かった。土台作りがなかなか上手く行かず、何度も現場合わせを繰り返しながら作業をし、午後4時半になって薄暗くなった山道を逃げるようにして下った。見晴らし広場まで戻って展望台に登ると、見事な夕焼け空である。
 このキャンプ生活で殆ど毎日食べているキノコ汁は、カミさんがその辺の山に入って採ってくるキノコなのだが、今日はウサギタケ(カノシタ)と何やらマイタケ(の破片)のようなキノコを採ってきた。昔からマイタケの出る場所は親兄弟にも秘密にするというが、正真正銘のマイタケならカミさんに賄賂を使ってでも採った場所を教えてもらわなければならない。夕飯で食ったそのマイタケ汁は、破片が固くて木の皮をしゃぶっているようだった。
 今日は新潟県中越地震からちょうど3年経った日である。午後6時10分に長岡の中心街から突然「ド〜ン!」と花火が上った。震災復興記念の催しでもやっているのかも知れない。
 それにしても今夜の月は十三夜の見事なお月様である。震災復興の素晴らしいお祝いのようだった。 

2007年10月24日(水)晴れ
山の秋<続十三夜の月>
午前1時頃の月。実に、良かった。










そして今日の夕陽に染まった秋の山も・・・
 
2007年10月25日(木)晴れ
 山の秋<もみじ競演のスタート>

 昨日と今日の朝の気温は9度まで下がり、この秋一番の冷え込みとなった。2日間続けて気持ち良い秋晴れで、出遅れていたもみじもようやく色鮮やかになってきた。それで今時点のおやじ山のもみじを記録すると次のようになる。
紅葉している木:ヤマザクラ(殆どが落葉)、ヤマウルシ、ナツハゼ 
黄葉している木:カツラ、ウワミズザクラ、ヤマノイモ
部分的に紅葉している木
:ヤマモミジ、ミヤマガマズミ、オオカメノキ
部分的に黄葉している木:マルバマンサク、クロモジ、コシアブラ
となりコナラ、ミズナラをはじめ他は青々とした夏葉で、ヤマウルシの紅とヤマノイモの黄色が緑の森の中でひと際目立っている。
 小屋の土台作りは昨日と今日で東と北側が終わり、残りは西側と南である。今日も薄暗くなるまで作業に熱中してしまい、闇に追われるように下山した。おやじ山の上に満月である。
赤に凝る木の葉黄に凝る木の葉かな(加藤あや 朝日俳壇 稲畑汀子選)







2007年10月26日(金)曇り〜雨
山の秋<明方の赤い月>

 「コケコッコォ〜・・・」の一番鶏の鳴き声で起こされ、テントの外に寝ぼけ眼で出ると、「…ん?」 朝の午前5時20分だというのに西の空に「夕陽!」が沈もうとしている。「そんな馬鹿な!」と瞼を擦ってよくよく見ると、真っ赤なお月様である。慌ててカメラを取りに走ってシャッターを切る。直後に月は西山に消えたが、こんな色のお月様は初めてである。
 6時少し前に東の空がようやく明るくなって朝食の支度を始めた。ラジオは昼前に雨になるとの予報で、雨の来る前に小屋の前に放っぽったままの角材や竹炭の残りを整理しなければならない。
 山で予定の作業を終えてホッと一息ついた途端に、雨が落ちて来た。12時5分前、まさに天気予報通りである。テントに戻ると木工房のNさんから電話が入り「杉の背板が20枚揃ったよ」と連絡が来た。後日Nさんの軽トラで見晴らし広場まで運んで貰うことにした。いよいよおやじ小屋の壁作りができると思うと嬉しくてしかたがない。
 

2007年10月27日(土)大雨
山の秋<ナラタケの初見>

 昨夜は一晩中テントを叩きつける雨音を聞きながら寝ていた。長岡に大雨洪水警報が出て太平洋側には台風が来ているという。しかしこの時期にしては実に暖かな夜だった。
 6時にテントを這い出ると、まだ朝の明けきらない薄闇の地面は一面の落葉である。まるで枯葉の絨毯のようでびしょびしょと雨に打たれている。
紅葉した秋の葉はドシャ降りの雨足で一気に枝から落とされるようである。雨の中でコーヒーを沸かし、テントに入って買い置きしておいたパンで朝食をとった。
 朝、炊事場のすぐ脇のコナラの大木の根元で立派なナラタケの群生を見つけた。そして傘を差しての朝のキャンプ場の散歩で、もう1本、コナラの幹の洞の中にびっしりと生えたナラタケを見つけた。ナラタケは味、歯ざわりとも第一級の食茸で長岡ではアマンダレと呼んで誰でもが知っている人気のキノコである。おやじは「クズレ」と呼んでいた。成菌になると傘がもろくなってボロボロと崩れることからの名前かも知れない。見つけたナラタケはまだ幼菌で今採るには可哀想な大きさだが、30日には伊豆からKさん夫婦がキノコ狩りに来るのでその頃にはちょうど良いおみやげができそうである。(それまで誰かに採られなければの話しだけど・・・)
 今日は雨の中を新潟までドライブして次兄夫婦に会ってきた。そして楽しい時間を過ごして夕方またテントに戻ったが、強い雨はいつまでも止まなかった。

2007年10月28日(日)曇り〜晴れ
山の秋<スギ背板の荷揚げとおやじ小屋の土台完成>

 夜中、雨の音でなかなか眠れなかった。今日は木工房のNさんがスギの背板を運んで来てくれる日で、雨音よりは天気の事が心配で目が冴えてしまった。
 5時過ぎに起きてテントを出ると、雨が止んでいた。作業道路の車止めの鍵を確認に行き、泥が跳ねた鍵を丁寧に水洗いする。鍵穴に砂が入ると厄介なのである。車止め手前の駐車場にはこんなに早くから雨合羽で身を固めた男女のキノコ採りが3人、空を見ながら少し明るくなるのを待っている
風情である。
 午前7時にNさんが軽トラで背板を持ってきた。早速2人で見晴らし広場まで運び上げて、帰りにキッチンテントの中でお茶を飲んでもらった。Nさんは昭和11年生まれの71歳、地域の世話役や老人クラブの役員になっているようで、「今日はこれから帰って○○があり××があり・・・」と八面六臂の仕事内容をニコニコと楽しそうに話されて全く恐れ入ってしまった。
 午前中に20枚の背板を一輪車でおやじ小屋まで運んだ。10枚づつ一輪車に積んで1人で運んだが、実に苦しかった。ちょうど運び終わったのを見計らったようにカミさんがおやじ小屋に着いて「あら、もう終わり?」と涼しい顔付きで言う。それで背板の皮剥きをカミさんに頼んで、私は最後に残っていた南と西側の土台作りを完成させた。今日はとことん体力を消耗した。夜、酒を呑んだら回りが速いの何のって・・・物凄く効いた。

2007年10月29日(月)晴れ
山の秋<おやじ小屋の壁板張り>

 霧の朝だった。テントを出てキャンプ場を散歩しながら、例によって見つけておいたナラタケやシャカシメジの成長ぶりを確認する。ちょうど食べごろの大きさに育って明日山に来るKさん夫婦に見せるのが楽しみである。しかしちょっと思案の末、「今日の天気で育ち過ぎてもいけないなあ」とシャカシメジ1株とナラタケを半分ほど採ってしまうことにした。まだテントの脇には立派なシャカシメジが2株残っているし、今朝は新たにテントの裏手でウサギタケ(カノシタ)とクリフウセンタケも見つけた。これらもKさん達に採らせてあげたらきっと喜んでくれそうである。
 今日からいよいよおやじ小屋の壁板張りである。先ず東側の外壁から造ることにした。皮を剥いた背板を柱間隔の寸法に切断して釘とカスガイを打ちつけていく。今日の初日は下2段目まで造って作業を終えた。自分で言うのも何だが、想像以上の出来栄えである。
 実は今夜の夕食にKさん夫婦から招待を受けていた。夕方長岡に着いて市内のホテルに泊まるので街に下りて来ないか、というのである。それで喜んでカミさんと2人で山を下りてホテルのロビーで落ち合った。早速長岡在住のO君から教えられたという料理店に連れて行ってもらい、刺身、牛タン、グラタン、ヤキトリと、山中での健気な菌根草食生活から一気に血の滴る肉食にありついて、お蔭様で何やらモリモリとリキ(力)がみなぎってきた。楽しい酒席からホテルの駐車場までワイワイ戻ると、Kさんの車のトランクから次々と伊豆の自家菜園で採れたお土産がこちらの車に移し変えられて、全く恐縮してしまった。










2007年10月30日(火)曇り
山の秋<痛恨の2株>

 いつもの一番鶏の鳴き声をウトウトと聞き、いつもの山寺の6つの鐘の音をウトウト聞き、いつものラジオ体操の歌が始まって、ようやく起きた。「♪アタ〜ラシィイ朝ガキタ、キボ〜ォノ朝〜ダ♪喜コ〜ビニ胸ヲヒ〜ラキ♪・・・」と満ち溢れる希望を胸にテントの外に這い出て、例によってテント脇のシャカシメジの成長ぶりを確認しようと・・・???「キノコが・・・ない! 2株とも誰かに採(盗)られた!」何という事だろう!このテントから僅か1m脇に出た大株のシャカシメジで、今日キノコ採りに山に来てくれるKさんへのお土産にしようと、何日も前から泥除けのマルチングまでしてとって置いたキノコである。もちろん自然の恵みは先に採ったが勝ちだが、何も俺たちが生活しているこのテントのすぐ脇で、それもコシアブラの葉っぱで丁寧にマルチングしてある姿は誰が見ても・・・と悔やんでみても、それはこちらの勝手な思い込みなのかも知れない。しかし全く痛恨の極みで、とてものん気にラジオ体操を続ける程こちらの人格は磨かれていない。
 午前8時にKさん夫婦が朗らかにやってきた。早速2人をナラタケとテント裏のウサギタケの場所に案内したが、やっぱり盗られたシャカシメジの怨み節が口を突いて出てしまう。まだまだ人間ができていない証拠である。
 Kさんが持参してくれたおにぎりとお茶を持って皆でおやじ小屋に向かった。途中、キャンプ場内でアミタケやジカボウ(ヌメリイグチ)、ハツタケなどを採って山道をゆっくり探しながら歩いた。しかしKさんが見つけるのは毒キノコや旬を越した崩れたキノコばかりで「あ〜あ、何で私のは毒とオバンきのこばかりなの・・・」と溜め息をつくので、「ほらほら、類は・・・」と冗談が出かかって慌てて口を噤んだ。実際Kさんの心は清く澄んで微塵の毒素も無く、それにいつまでも若々しい姿(仕草?言動?動を抜いた言だけ?雰囲気か?空気か? だんだん言い方が霞んで来たけど・・・)は全く羨むほどである。
 おやじ小屋に着いてデッキでお茶を飲みながら談笑していると、地元のYさんと言う方が小屋にやってきた。もう40年もこの山でキノコ採りをしているというベテランで、私がKさんのご主人に採らせた何本かのキノコを「捨てたほうがいい」と鑑定してくれた。Yさんからは後で「ヤギタケ」というキノコも教えていただいた。
 昼前にテントに戻り、皆で山に持って行ったおにぎりを開きキノコ汁を作って食べた。久々に賑やかな山での楽しいひと時だった。そしてKさん夫婦は午後3時過ぎにキャンプ場を発って伊豆に帰って行った。
 夜になってパラパラと雨が落ちてきた。冷たい本格的な秋の冷え込みである。

2007年10月31日(水)晴れ
山の秋<鼓弓の音>

 昨夜は小さくラジオをつけたままパラパラとテントを打つ雨の音の方を聞いていた。そのまま寝入ったようで、深夜に懐かしい鼓弓の音で目を覚ました。その鼓弓の音に乗ってNHKラジオ深夜便で高橋治の小説「風の盆恋歌」が朗読されていた。昔富山に3年間住んだことがあって、毎年必ず八尾に行って風の盆の祭りを見ていた。苦しい3年間だったが、この哀調を帯びた鼓弓の音と語りかけるような歌声に合わせて揺れ踊るおわらの町流しを見られたことは大きな収穫だった。午前2時少し前に朗読が終わりラジオのスイッチを切ったが、変に目が冴えてしまって冷酒を飲み始めた。
 ラジオ体操で外に出るとキリリとした雨上がりの朝である。既に若い夫婦が道路下の林に入ってきのこ採りをしている。そのうちテント傍に来たので「お早うございます」と声をかけると「先日2人してきのこ品評会に参加したら面白くてすっかりはまってねえ・・・」と笑っていた。
 昼飯持参で1人でおやじ小屋に行く。途中綺麗に色付いたヤマウルシやアオハダ、マルバマンサクやムラサキシキブの実を写真に収めた。早速板壁作りに取り掛かって夕方までに東壁を5段まで仕上げる。
 午後4時になって帰り支度をしていると中年夫婦が山に入って来た。ご主人の方は以前この小屋に訪ねてきたことがある。「こんな時間に何だろう?」と思って聞くと、「赤道コースをハイキングしてしてきたけど女房が一度この小屋を見てみたいというものだから」と言うのである。有難かったが、疲れた身体でわざわざ来て下さって、こんなボロ小屋を見てさぞガッカリしたことだろう。
 支度を終え既に暗くなった山道をテントに戻った。