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最後の更新は8月18日

2006年8月1日(火)曇、晴れ
おやじ山の夏(ヒグラシの鳴き声)

 大好きな8月になった。今日は長岡の街が戦災にあった日、そして今日から3日間、長岡祭りが行われる。
 朝4時20分、テントの真上で鳴くヒグラシの「・・!ィクィクィクィク・・・・・・」の声で目が覚めた。「カナカナカナカナ・・・」とは聞こえないなあ、と思いながら又寝入ってしまった。

 5時20分になって起きる。もうヒグラシの鳴き声は聞こえず、代わりにアブラゼミの「ジ〜ッ」というけだるい鳴き声だけが響いていた。ヒグラシは日暮れだけに鳴く蝉だと思っている人もいるが、その人は早起きをしない人である。明け方、日の出前の短い時間帯に、私の観察ではおおよそ20分間けたたましく鳴く。その声は夕方の染み入るような鳴き方とは違って、何か喧(かまびす)しく切羽詰ったような鳴き方である。
 そして夕方のヒグラシの声は実に良かった。弥彦の見えるテント脇の高台に椅子を出して一人で缶ビールを飲んで長岡祭りを祝っていると、すぐ傍の木でヒグラシが高く「カナカナカナ・・・」と鳴き、この声が止むと今度は奥の方の木から小さく「・・・カナカナカナ・・・」とそよぐような声が響き渡って来る。この声が止んで直ぐに、今度は右の木から「カナカナカナ・・・」、これが止んで左の木が「カナカナカナ・・・」と、まるでカナカナのオーケストラである。遠くの奥の森からは鈴を振ったようなヒグラシの鳴き声が響いて来てオーケストラのベース音のようでもあった。
 西の空が茜色になり、そして墨染め色に変わるとピタリとヒグラシのオーケストラは演奏を終えた。

2006年8月2日(水)晴れ
おやじ山の夏(北アルプスヘ)

 4時20分、いつものようにヒグラシの鳴き声で目を覚ます。 いよいよ次兄と北アルプス朝日岳〜雪倉岳〜白馬岳縦走登山の日である。梅雨明けが遅れて予定より8日も遅れてしまった。起きて炊事場に顔を洗いに行き、戻って東の空に明るさが増した頃、ヒグラシの鳴き声が止んだ。時計を見ると4時40分、わずか20分のヒグラシの朝の狂騒である。
 15時過ぎに新潟から来た次兄を実家で迎えて、次兄の車に乗って19時に蓮華温泉の駐車場に到着。煌々とした半月が雪倉岳の上に出る。北の空に大熊座とカシオペアと北極星。天空に天の川の物凄い流れが二列、覆い被さるように走っていた。車の中で寝る。

<<北アルプス登山記>>を後日「森のパンセ」に掲載します。
 

2006年8月3日(木)晴れ
おやじ山の夏(朝日岳へ)

 午前6時15分、蓮華温泉の駐車場を出発。写真を撮りながらゆっくりとしたペースで今日の目的地朝日岳山頂を目指す。シナノキやブナ、コメツガの樹林帯を抜けると兵馬ノ平湿原に出る。オオバギボウシやオニシモツケ、ヒオウギアヤメやオタカラコウ、それにおやじ小屋の脇にもいっぱい生えたシモツケソウが朝露を被って見事なピンク色を見せている。
 鉄パイプで作った瀬戸川を渡り五輪尾根に取り付く。今年は雪が多く大きな雪渓があちこちに残っている。その雪渓脇のちょっとしたデッキ作りの休憩所で昼食を作っていると、登山道の上と下から男の登山者が一人ずつ
休憩所に上がって来た。上からの登山者は「いやぁ〜今年は百年ぶりの大雪だぁ!」とまるでその時も生きていたような口ぶりで言う。「春先のミズバショウからアキノキリンソウまで一処(どころ)に咲いてらぁ!」とも言った。これは本当である。雪渓直下の早春の花からいち早く融けた所のマツムシソウやアキノキリンソウまで全季節の高山植物が競うように咲いていた。
 午後4時、朝日岳の頂上に立った。途中で会った登山パトロールの青年も頂上に戻って来たので次兄とのツーショットを撮って貰う。頂上からは明日のコースの雪倉岳と白馬岳が見え、その右手のずっと奥の方に立山連峰の剣岳が望まれた。「ああ!剣岳」と思わずサラリーマン時代3年間を過ごした富山での生活が胸をよぎった。
 4時半、頂上から朝日平に下り、5時半無事朝日小屋に着いた。
 








2006年8月4日(金)晴れ
おやじ山の夏(雪倉岳から白馬へ)

 北アルプス登山2日目。今日のコースは雪倉岳を経て白馬岳山頂を目指すロングコースである。
 午前6時朝日小屋を出発。天候は快晴。ジリジリと照りつける強い日差しの中を
ゆっくりとしたペースで、やはり高山植物を写真に収めながらの山歩きである。大きな雪渓が行く先々にあり、これらを渡るごとに強烈な紫外線の照り返しが顔面を直撃する。
 しかし何と言う花の多さだろう!小屋を出てから間もなく大好きなキヌガサソウの大群落に出会い、可憐なハクサンフウロ、濃い紫色のタテヤマウツボグサ、そしてタカネマツムシソウ、カライトソウ、タカネイバラ、ウルップソウ、ハクサンイチゲ、チシマギキョウと、まるで高山植物の図鑑を広げたような賑わいである。
 何組かが休んでいる稜線の鞍部で昼食にした。大きな雪渓が直ぐの所にあり、その下を手が切れるような雪解け水が流れている。バーナーで味噌汁を作り朝日小屋で頼んだ弁当を食べた。ここからの眺望も良かった。今まで歩いて来た山道の先に丸い朝日岳の山容がまだらに雪を着け、その右手に妙高や黒姫、戸隠などの連山も望まれた。腰を下ろしているわずか3m程先のシロウマアサツキにクジャクチョウが留まった。慌ててデジカメを手に取ってシャッターを押す。今度はミヤマタンポポに留まる。これも写真に収めた。
 2611mの雪倉岳の頂上で次兄と互いに記念写真を撮り合った。次兄は「今年の年賀状の写真はこの写真だなあ!」と雪倉岳がポピュラーな朝日岳や白馬岳より希少価値があると言わんばかりの口ぶりである。そして雪倉の頂上を後にし、瓦礫の岩肌を喘ぎ登って午後4時、2932mの白馬岳の山頂に立った。
 ここから5分程下って今日の宿、白馬山荘である。宿泊の手続きをし、部屋に荷物を下ろして山荘のレストランに行った。窓辺に座り一杯850円のジョッキビールで乾杯。夕日の差し込む窓からは槍ヶ岳と穂高連峰、そして遠くに昔様々な思いで見つめていた剣岳と立山連峰が赤く染まり始めた空に青く浮かんで見えた。
 











2006年8月5日(土)晴れ
おやじ山の夏(白馬大池から蓮華温泉)

 ご来光を見ようと午前5時前に起きて、白馬山荘から10分ほど登った鞍部に立った。もう既にかなりの泊り客がカメラを持って東の空を見つめている。
真っ白い雲海の上を青墨色の靄が薄く覆い、その空との端境が見る見る金色に染まって朝日が顔を出した。周りから「ウォーッ!」という低い歓声があがる。太陽から放射されたいく筋かの赤い光の束が峰に立つ人々の影を後方に長く伸ばし、何やら皆を敬虔な気持ちにさせたまま影もまたじっと動かなかった。
ご来光に手を合わす。靄のベールに透けて藍色に染まった名峰の数々が静かに連座している。槍ヶ岳、穂高連峰、剣岳と立山、その奥に加賀の白山、そして浅間山が静かに噴煙を上げ、八ヶ岳が握った拳を重ねて、何とその右肩に遠くの富士山を背負っている。右に体をよじると白馬三山の奥に戸隠の霊峰、頚城三山の焼山、火打山、妙高山、そして黒姫山とまるで日本の名峰の揃い踏みである。
 午前6時、白馬山荘を後にして再び白馬岳山頂に向かう。山頂からの眺めはまさに絶景。叫び声と溜息を何度となく繰り返して、いつまでも見飽きることが無かった。
 ようやく腰をあげて白馬大池に向かう。その途中、何度も振り返っては白馬三山やその向こうの槍や穂高、そして五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳、さらに白馬大雪渓とその奥の切り立った岩肌の壁などを目に焼きつけ、飽き足らずにカメラにも収めた。
 まん丸の群青の大池が見えて来た。これをバックに記念撮影をする。近づくにつれて真っ青の水面が銀色に輝き出して息を呑むような美しさである。
 池畔の山荘の前で幾分早めの昼食を作る。梅雨明け後の最初の土曜日で山荘前の広場は大賑わいである。ここでゆっくりと休憩をとり、それから一気に蓮華温泉までの山道を下った。  
 










2006年8月6日(日)晴れ
おやじ山の夏(寂しい花火)

 広島原爆投下の日である。実家のテレビで午前8時から始まった平和記念式典の中継を観る。8時15分、「黙祷!」という音声で一瞬どちらに向かって頭を垂れたらいいのか戸惑ったが、仕方なくテレビ画面に向かって目を閉じた。「今、被爆者の平均年齢は73.9歳になった。この余命少なくなった実際の被爆体験者達が、これからどう原爆の悲惨さと平和の尊さを語り継いでいくか、模索が続いている」とアナウンサーの声。「ああ、ここでもか・・・」と思う。「模索が続いている」ということは、今まで被爆の語り部達が長く語り継いできたことが今だしっかりと受け止められ蓄積されていない、ということなのであろう。日本の政治やビジネス、そして日々の生活の中にまで構造改革だ変革(イノベーション)だ発想の転換だと、まるで昔の体験や知恵や技術が悪玉のように葬り去られていく傾向がある。そのことで現代の日本が実に浮薄で中身のない国になったように思えてならない。
 こどもたちは未来の技術を学ぶと同時に、過去の知恵や忘れ去られようとしているものや無くなりつつあるもの、そして美しかった自然のことやトンボや蝶を捕まえてその名前や生態の神秘さなどを知り、そして「なぜだろう?」と考えるフィールドと時間を持つべきなのだ。今未来の地球に残すべきものは更なる進歩だとは、とても私には思えないのだが・・・
 午後、再びおやじ山のテントに戻る。遅めの夕食を済ませ高台に折り畳み椅子を出して涼んでいると、遠く新潟方面の一つの町から赤い花火が上がっていた。町の神社の例祭なのだろうか?赤一色だけの慎ましやかな打ち上げ花火だったが、遠く音の届かない花火は何と寂しいものかと思った。

2006年8月7日(月)晴れ
おやじ山の夏(越後駒ヶ岳に登る)

 午前4時起床。今日は神奈川県から来る2人の友人達と越後駒ヶ岳に登る日である。
 テント場に置いてあるガスバーナーやコッヘル、エアマット、寝袋などを大型のリュックサックの詰め込んで待合わせ場所の浦佐駅に車を走らせた。7時39分上越新幹線とき301号が浦佐駅に着いて友人達が改札口から出てきた。二人はコンコースで待っている私を見つけても「あれっ?」と怪訝な面持ちである。
Fさんなどは「はて、どちら様でしょうか?」とにこにこ近づいて行った私にまるで別人を見るようなよそよそしさである。「なぁ〜んだ、すっかり仙人の顔だなあ!」とN君が言ってようやく3人で笑い合った。私の顔は先月おやじ山に入って以来無精ひげをそのまま剃らず、一昨日帰ってきた北アルプス登山で真っ黒に日焼けしていたからである。
 二人のリュックを車に放り込み登山口の枝折峠に向かう。今年の冬は豪雪でこの峠への352号線の開通がつい数日前だった。まるで自動車教習場のSカーブ練習道路のようなくねくね道の所々に黄色いロープが張ってあって路肩が崩れ落ちている。
 駅から約1時間で1065mの枝折峠に着いた。ぎらぎらの太陽で風はソヨともなく、この標高で都会並みの暑さである。9時20分、登山口のポストに3人の名前を書いた登山カードを入れていよいよ山登りの開始だ。トップが会社時代の友人N君、真ん中に高校時代の同級生Fさん、しんがりが私である。「お〜い、給水タイムだあ!」と途中何度もトップのN君に声をかける。何しろ低い潅木帯の登山道は真上からの太陽で日陰を見つけるのが難しい程である。しかもその潅木の切れ間から見える駒ヶ岳の山頂は何と遠く高いことか。駒ヶ岳頂上の標高は2004m、登山口枝折峠との標高差は940mである。
 どっしりとした駒ヶ岳の山肌には、この冬の豪雪の名残の大きな雪渓がいくつも張り付いていた。その純白の雪形が山腹の緑と真っ青な夏空に見事なコントラストで映えている。私が花好きなのを知っているFさんが、道脇の高山植物を見つけては「これ何?」と名前を尋ねて花のありかを教えてくれる。
 クサリ場の最後の急登を喘ぎ登って雪解け水がザーザーと管から溢れ出ている駒の小屋の水場に着いた時は、何と嬉しかったことか。台に置いてあるコップで息もつかずにごくごくと水を飲み、全く生き返った感で今度は水受けの桶に手を入れると、途端に痺れてしまう冷たさである。
 宿泊場所「駒の小屋」は避難小屋だが全く素晴らしい山小屋だった。管理人(気象観測員)さんに一人2000円の料金(協力金)を支払い階段を登って2階に上がった。先客は僅か2人。その反対側の窓際に3人のゆったりとしたスペースを確保した。北アルプスの山小屋に比べたら遥かに贅沢な広さである。
 小屋前の広場に出て早目の夕食にする。低い何列かのベンチがあって、ここでFさんが自宅で仕込んでくれた具のたっぷり入った煮込みうどんに舌鼓をうった。N君は自分の家庭菜園で採れたというイタリア種のトマトを水場で冷やして提供してくれる。生憎周りの山々はガスで靄って視界は利かなかったが、大自然の中での豪華で優雅な夕食を摂りながら全く心開かれた時間を過ごした。
 夜は耳元で轟くN君の鼾に悩まされた。耳栓を用意してこなかった事を悔やみつつ何度も寝返りを打った。(翌朝N君に抗議をすると「俺も疲れ過ぎてよく寝れなかったなあ」と全く他人事で、いささかの反省も感じられない言い草だった)













2006年8月8日(火)
おやじ山の夏(越後駒ヶ岳 雪渓逍遥)

 午前4時40分頃だろうか?しっかり睡眠をとった筈のN君から「おい、ご来光だぞ!」とたたき起こされて外に出た。今日も上天気である。N君は小屋前のベンチで、私は小屋のサンダルを履いたまま7〜80m上に登ってご来光をカメラに収めた。眼下の奥只見湖や銀山平はガスで白く煙っていたが、尾瀬や上越国境の山々が青く浮き立って見えていた。
 朝食はやはり外のベンチで、これもFさんが自宅で仕込んで持ってきてくれたサンドイッチである。そしてN君は何とドリップコーヒーを作ってくれる。おやじ山で1合の米と谷で採れたミズのタタキだけの粗食に耐えている身には涙が出るような豪華さである。
 食後はリュックサックをベンチに置いて駒ヶ岳の頂上を目指した。山頂直下に大きな雪渓があり、眩しく朝日に輝くこの雪原の上を散歩するような気分でのんびりと頂上に向かった。雪の消え際にミヤマキンポウゲやハクサンコザクラが咲き、その上の頂上に続く草原にはウメバチソウやニッコウキスゲ、ハクサンフウロ、イワイチョウ、ミヤマアケボノソウと様々な高山植物が咲き誇っていた。雪渓の上で記念撮影をする。
 駒ヶ岳の頂上に立った。左奥にかつて登った中岳がドンと聳え立ち、すぐ目の前に八海山頂が異様な岩峰を見せている。その右肩の遥か落ち込んだ麓に魚沼市の町並みが青く霞んで広がっていた。山頂でも互いに記念撮影をしクシガハナの分岐点まで山歩きを楽しんで小屋に戻った。
 いよいよ置いてあるリュックを背負って下山である。時間はちょうど9時20分。昨日枝折峠を出発した時間と同時刻である。
 下りもギラギラの太陽が照りつける苦しい山行だった。前を行くFさんも相当消耗している様子である。「こまめに水を補給して!」と声をかける。
 そして終に枝折峠の駐車場に着いた。車のドアーを開けてエンジンをかけエアコンを回す。後部座席に乗り込んだFさんがクーラーの風を当てながら息を弾ませ目を閉じた。
 帰り道、大湯温泉で一風呂浴び、休憩所の広間でみんなでそばを食べて無事帰還を祝った。そして予定の新幹線を一列車遅らせて二人を浦佐駅に送り届けた。
 二人を改札口で見送ってから、一人でおやじ山に帰った。テントに着いて帰途に買った缶ビールで喉を潤し、コップに日本酒をなみなみと注いで一人で乾杯した。 
 いつの間にかラジオをつけたまま寝込んでしまったようだ。目を覚ますとNHKのラジオ深夜便が明日の日の出の時刻を喋っている。間もなく午前0時、5月9日は長崎の原爆投下の日である。
 













2006年8月11日(金)晴れ
おやじ山の夏(小屋修理第1日目、ドラム缶風呂)

 テント場の下でわいわいと人声が聞こえている。時計を見ると午前1時40分である。何だろう?と思って外に出てみる。夜空に真ん円の月が煌々と光を放って昼のような明るさである。人声の方を覗き見ると、10人ほどの人達が下の道路脇のサイトで真夜中のテント張りをしている。自分達以外には誰もいないと思ったのか、そのうち花火をポンポンと打ち上げはじめた。全く迷惑千万だが無勢(一人)に多勢、我慢して自分のテントに戻った。(後でキャンプ場の管理人さんに尋ねると、愛知県から来た震災復旧工事の人達でホテルが取れなくてキャンプ場に申し込んで来たのだという。この人達は13日までいたが、撤収跡はとても<飛ぶ鳥の跡>とは程遠いものだった。さぞ管理人さんはご苦労されたことだろう)
 今日は神奈川と千葉からOさん、Tさんの友達二人がおやじ小屋の修理に来てくれる日である。テントサイトで朝食を摂っていると、「お早うございます!」と二人の元気な声が聞こえた。まだ午前8時である。「もう着いたの?早いなあ!」とビックリしながら出迎える。夜中じゅう高速道路を走って来たのだと言う。
 午前中は二人に睡眠をとってもらって、昼過ぎからおやじ小屋の修理に着手した。工事(修理)内容は、2年前の中越地震とその後の大雪で沈み込んだ小屋の柱をウィンチで持ち上げる作業である。この日は北側の柱1本と入口の柱の周りの穴掘り、そして西側の沈んだ側板に沿っての穴掘りをした。
 びっしょり汗をかいた後で3人でドラム缶風呂を沸かして入った。「これに入りたかったんだあ!」と二人とも大満足の様子である。(写真) しかし湯に浸かる前の掛け湯(水)のスナップはとても公表出来ないのでカットした。
 夜はキャンプ場のカマドで海鮮バーベキューの豪華版だった。やはり動物性タンパク質を摂るとモリモリと力が漲ってくるようである。
 







2006年8月12日(土)晴れ
おやじ山の夏(小屋修理2日目、小屋の吊り上げ)

 おやじ小屋修理2日目、午前中に新潟から次兄も駆けつけてくれた。今日からいよいよ沈んだ柱を吊り上げる作業である。
 次兄が昨日掘った穴の中の柱を点検し段取りを考える。先ずはホームセンターに必要部材を買出しに行くことにする。
ウィンチのワイヤーと吊り下げ用の布ベルト、それに吊り上げた柱の下に敷く砂利を買って小屋に戻った。
 私はチェーンソーを持ってウィンチを吊り下げるための三脚用の丸太を切り出しに杉林に入る。昨年と今年の豪雪で何本かの杉が倒れたが、今だ手付かずにそのままにしてあった。そのうちの手ごろな3本にチェーンソーを当てる。元と末を伐り、枝を払って小屋の広場に運び込んだ。
 先ずは北側の柱の吊り上げである。杉丸太を三つ巴に組み、Oさんが屋根に登って結束用の番線で交点を結わいつける。この三脚にウィンチのワイヤーを掛け、そして柱の元の腐れ部分を切り取った下にウィンチの布ベルトを回して掛けた。いよいよ柱とともに小屋の一方の吊り上げである。次兄が慎重にウィンチのアームをポンピングする。ミシッ!・・・ミシッ
!と不気味な軋みをたてながら柱が持ち上がりはじめた。約30p吊り上げ、予め穴の中に敷いた砂利の上の土台柱(松)に載せて1本目の完了である。
 午後5時に本日の作業は終了。皆で麓のテントに戻ってビールで乾杯した。次兄もこの日はテント場に泊ってくれて明日の作業に備えることにした。





2006年8月13日(日)晴れ
おやじ小屋の夏(小屋修理3日目、第一期工事終了)

 今日は盆の入り、Oさんも郷里信州に帰る日である。朝食後に皆で小屋まで来たが、しばらくしてOさんは帰って行った。Tさん、次兄、私の3人で残りの柱の吊り上げ作業に入る。先ず南側の入口の柱の吊り上げである。昨日と同じように杉丸太で櫓を組みウィンチを吊るして腐れ部を伐った柱の底に布ベルトを掛ける。そしてウィンチのポンピングである。途中ウィンチの不具合で難渋したが、入口の柱1本と小屋の中の柱2本を補修することが出来た。東側の2本の柱は手付かずのままだが、3日間でここまでやれれば上出来である。友達には感謝、感謝である。
 いつも使わせていただいているロッジ脇のシャワーは、今日はお盆で午後5時で終了だった。ぎりぎりの時間に飛び込んだにも拘わらず、職員の方の計らいで5時過ぎまでゆっくり使わせて貰った。
 本来の墓参りは午前中に済ませるべきなのだが、遅ればせながら次兄とともにおやじとお袋の墓がある托念寺に向かった。Tさんも一緒に来てくれて墓前で手を合わせてくれた。次兄はその足で新潟に帰り、私とTさんはキャンプ場に戻った。





2006年8月15日(火)晴れ
おやじ山の夏(コスモス広場の朝)

 終戦の日、そして月遅れのお盆。いつものようにヒグラシの鳴き声で目を覚ます。夜が明けるのが遅くなった分、ヒグラシの鳴き始めも遅くなったようだ。確か8月2日が4時20分頃に鳴き出し、今朝が4時40分過ぎである。少しウトウトとして「ヒグラシの声が止んだなあ」と思ってまた時計を見ると、5時を回っていた。11日から来ていたTさんは昨日帰って、またテントの一人暮らしである。起きて炊事場に行って顔を洗い、いつものようにコスモス広場(正式名は、東山ふれあい農業公園<花と緑の広場>)にジョギングに行く。
 手を振って体操をしていると東山の峰が明るくなって太陽が昇り始めた。長岡の街の上に薄く靄がかかって、その上に弥彦山のコブが青く2つ見えていた。西山の連山も山の端だけが青墨色に波打って肩から下を靄で白く隠している。広い敷地の広場に植えられたマリーゴールドが満開で、朝日に照らされて金色に輝き、コスモス畑も花の数が大分多くなった。
 数日前から作業道路脇の植物観察を始めた。意外と面白くて続けているが、今日は中央図書館に行って分からなかった植物を図鑑で調べようと思っている。

 夜はHさん宅に招待された。昔懐かしいエゴや丸ナスの料理、山菜料理などをご馳走になり愉快な時間を過ごした。
 





2006年8月17日(木)晴れ、気温38.4度
おやじ山の夏(流れ星とシューマン)

 夜中に目を覚ましトイレに外に出る。満天の星である。東山の峰のすぐ上に三日月の濃い翳を残した右弦の月が明るく光っていた。星空を見ながら用を足していると、珍しく流れ星がサッと流れて慌てて出した物をしまった。「いい夜だなあ〜」とこのままテントに潜り込むのが惜しくて、いつもの高台に椅子を出して座った。長岡の街の灯が澄んだ闇の中にキラキラと瞬いている。流れ星がまた一つ流れた。
 テントに戻る。今日一日はおやじ山で過ごし、いよいよ明日にはテントを畳んで帰る予定である。夜が名残惜しく、ラジオをつけ酒の残りを飲み始めた。ラジオ深夜便のロマンチックコンサートでシューマンのピアノ曲が咽ぶような音色を奏でている。シューマンの曲が終わり、午前3時の時報でまた横になった。
 5時起床、コスモス広場でジョギング。午前、おやじ小屋広場の草刈りと小屋の中の整備。午後、杉の枯れ葉や材の切れ端の焚き火。
 この日の気温、38.4度。長岡での最高気温を観測する。夕方小雨がパラつく。そして遠雷・・・

2006年8月18日(金)曇
おやじ山の夏(ツクツクボウシ鳴く)

 明け方のヒグラシが鳴き止んで、今度は「ジィ〜」とアブラゼミの声。5時に起きる。今日は撤収する日なので寝袋を畳んでいると、「ホーィッツクツク!ホーィッツクツク!・・・」とツクツクボウシが一匹鳴き始めた。この夏初めて聞くツクツクボウシの声である。この声を聞くと、もう秋である。「ああ、おやじ山の夏は終わったなあ」としみじみ思う。
 朝食後にデポ品を持っておやじ小屋に行った。昨日の焚き火が燃えきれずにまだ煙っていた。バケツに水を汲んで丹念にかけ、しばらく修理途中の小屋を眺めてから山道を下った。
 <9月の日記>に続く