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2006年2月4日(土)
おやじ小屋の雪下ろし(第1日目)

2月4日(土)、おやじ小屋の雪降ろしに出かけた。
天気予報では4日、5日はちょうど寒波の襲来で日本海側には大雪注意報が出ていたが、越後は昨年以上の、何と20数年ぶりの大雪とかで、小屋が潰れてはしまわないかとヒヤヒヤしていた。2月に入ってすぐ雨が降ったのも気がかりだった。屋根に積もった雪が雨を吸ってずっしりと重くなるのである。
実家に着いて倉庫から預けてあったスノーシューを取り出しシャベルとスキーのストックを借りて東山に向かう。
東山ハイキングコースの入口でスノーシューをつけて新雪が積もっている尾根をあえぎあえぎ登る。
途中雪が降り止んで僅かな時間だがぱ〜っと青空が覗く時がある。その瞬間の雪景色の美しさたるや・・・(感動!)
登り始めてから1時間もかかって見晴らし広場に着く。展望台の上に積もった物凄い雪の量を見て「これではおやじ小屋は・・・」と益々不安になる。
小屋までさらに1時間かかった。普段なら10分の道のりである。展望台からの雪が更に深くなって木々の枝が行く手を阻み、回り道をして谷に下ると膝の上まで雪に埋まって、登りがまた一苦労なのである。時々強い吹雪もあって、下手をしたらこんな所で遭難もしかねない感じだった。
小屋は、無事だった。屋根の雪は約2m、小屋全体が殆ど雪に埋まって昨年以上に傾いていたが、「う〜ん」と必死に頑張っていた。もちろん小屋の中へは雪の壁で入れない。
昨年建てた作業小屋も、直径15cm程の杉の丸太の梁を大きく撓ませながら屋根に積もった大きな雪の塊の下で耐えていた。
小屋の周りには獣の足跡がまさに縦横無尽についている。こいつらが駆け回っている姿をいつか見たいものだ。
午後2時半シャベルを持って屋根に上る。小屋の周りの雪が高く積もっているので梯子など無くてもひょいと一跨ぎで屋根に上がれる。
3分の1程下ろしたところで第1日目の作業を終える。時計が4時近くなっていた。帰りもかなりの時間がかかるはずである。
小屋に来た時の雪の踏み跡を忠実に辿って登り口まで戻る。
スノーシューを外し、既に今日の営業を終えた市営スキー場まで戻った頃にはあたりは暗くなっていた。
スキー場のゲートを閉めに来た管理人が黄色いロープを張りながら私に向かって声を掛けた。
「どなたかお迎えに来なさるのかね?」懐かしい長岡弁である。「ええ」と返事をしてほっと心が和む。
実家にいるボンちゃん(姪っ子の愛称)が迎えに来てくれることになっていた。

<第2日目に続く>詳しくは「森のパンセ」で


    (一瞬の輝き)

    (展望台の雪)

(「う〜ん」と頑張るおやじ小屋)

 (小屋周りの獣の足跡)

  (今日の雪降ろし成果)
2006年2月5日(日)
おやじ小屋の雪降ろし(第2日目)

昨夜は実家に泊まる。夜中に戸がガタガタなって吹雪いたようだ。昨晩家の前に降り積もった雪は約20cmである。
車を借りておやじ山に向かう。
昨日と同じ登山口でスノーシューをつけていると、休日のスキー講習会でもするのだろうか、通りかかった小学生の団体の1人が「センセー、あれもスキー?」と聞いている。
「これはね、今風のカンジキだよ」と説明してやろうと思ったけど、「カンジキも知らないのでは?」と止めてしまった。それに「おじさん、それ履いて何やるの?」と言われると、ちょっと説明がややこしくなって・・・
9時10分、登山開始。麓の新雪は約30cm。昨日のスノーシューの踏み跡はすっかり消えて、かすかに窪みが分かる程度である。その窪みを辿りながら50歩あるいて10秒休み、というペースで尾根を登る。時々コースを見失って大きくどふる。(足を雪に捕られる、という意味。これ長岡弁かなあ?)
ごく小粒のあられ混じりの雪が降ったり止んだりしている。この雪は積もる雪である。立ち休みして振り返ると、遠くに弥彦山、そしてその手前の越後平野の一角が午前の日差しに輝いている。弥彦も昨夜の雪で真っ白である。西山の連山も何となく明るい感じで天気が期待できそうで嬉しい。
9時55分、見晴らし広場に着く。ここまで45分。昨日より15分早い。
そしておやじ小屋へ。途中新雪の上に、つい今しがた逃げたばかりの動物の足跡が、昨日私がつけた踏み跡のかすかな窪みに沿って続いている。形状からうさぎのようだが、やはり野生の動物でも人間のつけた硬い踏み跡の上を歩いたほうが歩き易いのだろう。
昨夜降った雪は多い所で40cmほどの積雪である。何度か踏み跡を見失ってひどく雪に潜ったりしたが、10時40分おやじ小屋に着いた。昨日よりは時間短縮したが、麓から1時間30分かかったことになる。
雪が降り続いていた。休んでも体が冷えるばかりなので、早速雪降ろし作業にとりかかる。
昨日より更に高くなった屋根の雪を上から下へと掘って行くが、底近くの雪はカチンカチンに凍りついている。これをシャベルで割るのが大変な重労働である。
その底の氷のような雪を割っていた時「あっ」と思った。腰に痛みが走った。何度も病院通いをした例の兆候である。しかしここまで来て雪降ろしを止める訳にはいかないと思った。
途中何度も休みを取りながら何とかおやじ小屋とその続きの物置、そして作業小屋の屋根の雪降ろしは終わった。時計を見ると14時40分になっていた。
おやじ山の冬景色をゆっくり満喫したかったが、途中で腰痛のため歩けなくなったりしたらまさに遭難だと、痛む腰を伸ばして小屋を後にする。15時だった。
16時20分、車の置いてあるスキー場の駐車場に着く。車の中に入ってほっとため息をつく。エンジンをかけ暖房を入れてから目を閉じると、雪にすっぽりと埋まったおやじ小屋の情景がまぶたに浮かんだ。
(後日談:藤沢の自宅に帰ってから猛烈な腰痛に襲われて殆ど動けなくなってしまった。これでは仙人の名も形無しである)

<詳しくは「森のパンセ」で>

<<「GALAスキー記」に続く>>


 (越後平野に陽の光が・・)

  (獣の足跡。ウサギか?)


 (降ろした後にまた雪が・・)

(雪降ろしは終わった。小屋は潜った)

   (また来る日まで・・・)
2006年2月15日(水)
GALAスキー記

2月15日(水)、気のおけない昔の同級生達とガーラ湯沢にスキーに行った。とっても楽しかったので日記に書いておこうと思う。
定年退職して失業中の身なので高校時代の同級生から「ガーラに滑りに行かない?」とスキーに誘われた。JR東日本もこの時期いろいろキャンペーンをやっていて、何と10,800円で往復新幹線代・1日リフト券代・ドリンク付き・レンタルスキー2割引券付きだという。
それで、なけなしの雇用保険金を削って参加することにした。何か国民の税金で遊んで悪いような気持ちにもなったが「これから世に尽くすためには絶えず体を鍛えておく必要がある」という理由付けをすることにした。
しかしつい先日のおやじ小屋の雪下ろしで腰痛になり動けなくなったばかりである。「果たして大丈夫かな?」と前日までヒヤヒヤしていたが、必死のリハビリで何とか行けそうである。
東京駅8時53分発の新幹線に乗りガーラ湯沢のゲレンデに11時過ぎにはもう立っていた。便利になったものだと感心してしまう。
天候は小雨、見上げる雪の斜面のすぐ前からずっと上にかけてガスで靄って視界がきかない。ゴンドラに乗っても真っ白な霧の中をゴトゴト進むだけである。「誰か行いが悪い人が居るのよね。関さん、何か心当たりがあるんじゃない?」と前の席に座ったKさんが言う。ほら来た!「いや俺、正月に引いたおみくじ大安だったよ。旅行もいい筈なんだ」と答えると「大安じゃなくて大吉でしょ」と訂正され、「それに大吉って良くないのよ。おみくじを引いた時点が頂点でその後はまっしぐらに転げ落ちるのよね」とTさんが嫌味を言う。転んで腰痛がぶり返さないように気をつけよう。
ゴンドラを降りてから今度はスキーを履いて4人乗りのリフトに乗った。「ねえ、会社辞めてずっと家にいるの?」とTさんに質問される。「まあ、今はそうだね」「奥さんに嫌がられない?」グサリと来る。「・・・Welcomeって言ってる、ようだけど・・・」「ほんと?」という顔付きである。
何本目かのリフトに乗って、ぼんやりと霧に煙っているミズナラの樹林に見とれていた時、今度はKさんが「ね、ね、ねっ、夫が定年退職した直後の離婚て多いんだってよ。じっと我慢してた奥さんの方がプツンと切れて、妻の方から離縁状なんだって。関さん大丈夫?」 はっとして夢心地から覚める。「それで奥さん、今何やってるの?」 「えっ?それ、それ、そういう奥さんが一番危ないのよ!」グサッと来た。目の前の安全バーが無かったら霧に吸い込まれてリフトから転落するところだった。
リフトの終点の山の頂上でTさんから記念写真を撮ってもらった。本来ならば越後三山や上越国境の名峰が望まれるはずだったが、ガスで10m前ですらぼんやり霞んでいる。「光った?」とシャッターを切ってからTさんがフラッシュの具合を聞く。大方の素人カメラマンの第一声がこの言葉である。
今度はお返しにTさんとKさんのツーショットを撮ってやる。シャッターを押してからやっぱり「光った?」と自分も定番の言葉を吐いてしまった。しかしこの凄いガスの中では輝子さんと麗子さんの顔も霧子さんや幻子さんの顔になってしまうのではないか?だがそれは二人の顔がますます雰囲気のある愁えたような表情になって魅力的に写る筈である。(ホントかなあ〜?)
ゲレンデでは昨年北海道のスキーツアーで田辺君に教わったやり方を思い出して慎重に滑った。転んで治りかけた腰痛が再発して「ほら、見たことか!」とカミさんに言われないためである。この場合の「ほら!」は感動詞ではない。指示代名詞のような「ほら」で、過去にあった悪さをいびり出すような響きを持つはずである。だから、怖いのである。
昼食は1時過ぎにゴンドラの終点のレストランで摂った。。ラーメンとビールを盆に載せて、Kさんが「ここにしましょうよ」と言ったシルバー席に座る。Kさんは何と大皿に盛ったイタリアンである。ふっと生命保険会社が募集した川柳の『昼食は妻がセレブで僕セルフ』という句を思い出した。Kさんは少し残した料理を前にして「私、グルメの求道者になるかダイエットの健康第一主義者になるか、どうしょうかなあ?」と悩んでいる。「それは健康第一だよ。健康、健康!」とすかさず言って何となく仇をとる。「そうか・・・」とKさんはそれでも恨めしそうである。
この席で私は名刺を配った。会社を辞めてからも何かの自己紹介の時に使うだろうと思って2箱(200枚)も作ったが、さっぱりはけないのである。渡す必要もない兄弟や親戚の者に数枚配っただけである。だから今日は良いチャンスなのである。
渡された名刺をしげしげと見て、友達は「何かいっぱい肩書きがあるのね・・・」と呟いている。前に渡した兄から「この名刺、ビラビラがいっぱい書いてあって成金趣味だなあ」と言われたことがある。だからこう言われると恥ずかしいのだ。
このホームページのプロフィールに書いたようなカタカナ名の資格のようなものを名刺に刷ったのだが、カタカナで書くと字数が多くなってやけにチャラチャラした感じになってしまうのだ。
この点やっぱり日本語や漢字は素晴らしいと改めて思う。森林インストラクターが「森の案内人」、グリーンセイバーが「木と環境の助っ人」、グリーン・スッタフが「自然環境世話人」とでも書いていいような気がした。
とにかく、無事スキーは終わった。それで皆で駅の中にある温泉に入ることになった。何と水着着用のジャグジー風呂だという。温泉に入ることは聞いていたが、普通の岩風呂や桧風呂の温泉だと思って水着など持って来なかった。思わず「俺、フリ××で駄目だろうか?」と言ったら「まあ、嫌ねえ!」とTさんの顰蹙を買ってしまった。大変失礼をいたしました!
(2月17日記)