おやじ山の自然

ー私の日々のモノローグです。興味ある方はお読み下さい

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2006年2月2日(木)
定年退職後1ヶ月の生活

昨年の12月に入っても暖かい冬で「これはやはり地球温暖化のせいで・・・」などと言っていたのに、12月中旬過ぎから途端に寒くなった。
12月18日には全国的な大雪のニュースが流れ、年明け早々には20年ぶりの大雪だと報じられた。
そして新潟県津南町と長野県栄村が雪で孤立し、1月13日には全国の雪による死者は83人にのぼった。
おやじ小屋が昨シーズンの豪雪で30cmも沈んでしまったので、今年は冬の期間中に雪降ろしをやろう、と次兄と話し合っていた。
そこで現地の状況を電話で聞くと、1月13日現在おやじ山の登り口にある市営スキー場の積雪は1メートルと意外に少なく、多分まだ少しの期間は大丈夫だろう、との返事である。
連日テレビで4m近く積もった豪雪地帯の映像を見ていたので心配していたが、これでいくらか胸を撫で下ろした。

ところで・・・何人かの人から、それもとりわけこれから定年を迎える友人たちから「おい、会社辞めたあと毎日どうしてるの?」と探りを入れられていたので、ボランティア精神で書いておこうと思う。(役にはたたないかも知れないけど・・・)
@、12月20日の退職後、早速家の中での自分の居場所を確保するための作業をする。年末から年初の約半月かけて一部屋を徹底的に片付けた。不用になった本を捨て(7束結わいて資源ゴミに出し、貰ってくれそうな1束を市立図書館に持って行った)、そして空いた本箱の1つにラベルを貼って不燃ゴミとして出し、何やらかんやらを年末のごみと一緒に出して捨てた。多分こういうタイミングじゃないと、本などは思い入れがあってなかなか処分出来ないものだ。これでささやかな自分なりの「男の隠れ家」ができた。
A、次は収入の確保である。と言っても失業したのでハローワークに行って雇用保険を貰うことである。会社からの離職票が届くのを待って12月28日(水)に藤沢公共職業安定所に行く。この最初にハローワークに出頭する(?)曜日が重要である。次回行く雇用保険説明会(1月11日水)、その次以降の失業認定日(初回認定日は1月25日水だった)など、全て最初に出頭した曜日に指定されるからだ。だから後で都合が悪くなるような曜日に最初行ってしまうと困ることになる。(失業者だからいつでも暇な訳だけれど・・・でも・・やはり・・・)尚、1月11日の雇用保険説明会の後で、社会保険事務所に寄って老齢厚生年金の支給停止の手続きをし、1月12日に就職支援セミナーを受講し「求職活動」をした。(失業認定のためには説明会を含め2回の求職活動が必要である)
B、確定申告をする。12月の給与で年末調整をした、と言ってサボってはいけない。この時期にいろいろの所から郵送されてくる「この資料は確定申告の時必要になります」という類の書類に目を通し、「これは?」という書類を持って税務署に出向くことである。ちなみに私は初めての確定申告で19,400円税金が戻って来る事になった。嬉しかった。税務署の職員に思わず「ありがとうございました!」とお礼まで言ってしまった。
C、これからずっと長く続けて行こうと思っている自然観察や環境ボランティアのための活動。まだ冬なので準備活動の期間と定めている。この1ヶ月での活動は森林クラブ丹沢(1月14日)と森林インストラクターの七沢森林公園自然観察会(1月29日)の参加である。いつも参加して思うことだが、まだまだ勉強が足りないと反省する。しかしこれからだ。時間はたっぷりある。
D、体力作りと遊び。生活するための基本である。次兄の東京出張に合わせて丹沢登山をした。(1月26日〜28日)コースは大倉尾根〜塔の岳〜丹沢山〜蛭ヶ岳(山荘に1泊)〜桧洞丸〜西丹沢自然教室である。雪は丹沢山〜蛭ヶ岳が一番多く20cm程で全般的には予想外に少なかった。しかしアイゼンは必要である。特に蛭ヶ岳からの急降下の斜面は必須である。何と丹沢山から桧洞丸付近までは誰にも会わず(最後の桧洞の頂上付近で蛭ヶ岳に向かうという単独行の人に会った)雪の踏跡も数日前に来たと思われる一人分の足跡だけだった。

以上が定年退職後約1ヶ月間の生活の概要である。意外に忙しかった。在職中に先走ってあれこれやらなかったことがかえって良かったのかも知れない。
しかし1月中は今までの放っぽって(どこの方言だろう)散らかしていたことをまとめ整理しようと思っていたが、やったようで実はほとんどやれていないように、今感じている。本当にまとめなくてはならないことは山ほどある。これからじっくり楽しみながら、それをやろうと思っている。人生の宿題を早々と片付けてしまってはいけない気がするからである。(1月の日記おわり)

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