11月23日の勤労感謝の日はおやじの命日である。だからこの日の前後に墓参りを兼ねておやじ山に行くのが毎年の恒例になっている。雪国越後では、この時期になるとシトシトと冷たい雨が降る。山に入ったこの日も数日来の雨模様で向かいの山肌がぼうっと氷雨に煙っていた。
「ただいま!」という感じで小屋に入り(今年は昨年の地震と豪雪のせいで、入口の戸板が地面にめり込んで開かず、窓枠を跨いで小屋に入る羽目になった)、先ず取り掛かるのは囲炉裏に火を焚くことである。早く暖をとりたいせいばかりではない。小屋の中に浸入している虫や動物を煙で燻して追い出すためである。だから夏でも小屋での一番の仕事はこの焚き火で、何時ぞやは上の棚から大嫌いなヘビが這い出してきた。
新聞紙を丸めてマッチを擦り、外から集めてきた杉っ葉をその上に載せ、コバを載せ薪を載せ、外に逃げ出す。何しろ杉っ葉もこの時期に乾いた枝葉を集めるのは大変で、湿り気のある葉っぱはモウモウと煙が立つ。コオロギやヒメネズミやヘビが燻される前に自分が燻し出されるのである。
今年は珍しく、と言うよりは初めての経験だがカメムシが1匹もいなかった。例年の今頃の時期には決まって臭い匂いを出すカメムシが越冬のために小屋に入り込み、燻り出されたカメムシをせっせと炭バサミで摘んで外に放り投げる作業に辟易となるのだった。「今年は助かった」と思うより、「何か変だな?」と感じさせる現象だった。カメムシの姿が見えないということは、山にも冬がまだ来ていないということである。
今年の紅葉も遅かった。何時までも暖かい秋の日が続き、11月になっても木々の葉が青々としていた。「何時紅葉するのかな?」と木々を眺めているうちに、11月7日の立冬も過ぎ暦の上だけで冬になってしまった。
もう一つの今年の異変はドングリの大量結実である。10月初旬の情報で全国的なブナの大量結実は知っていたが(ブナは自らの生存戦略として7〜8年周期で大量結実する)おやじ山の楢の木もブナと呼応するかのように大量にドングリを実らせていた。それがこの時期に地面にびっしりと落果し、おやじ小屋へ向かう山道を歩くと、一歩ごとにパリパリと踏みしだく音がするほどである。こんなことも私の経験にはない出来事だった。
しかしここ数年来のコナラやミズナラの異変には気付いていた。5年か?いや7〜8年前からか、山の赤松の松枯病が終息した頃から、代わって特にコナラが枯れ始めたのである。当時は「しめしめ、これでナラタケやクリタケやヒラタケの収穫が・・・」と不埒な思いでほくそえんでいたが、その後のあまりの無残さに得も言われぬ不安を感じてきた。このままでは楢の木が全滅するのではないかと思える程なのである。
さらに2年前の春には山の森の木に大量の虫が発生した。とりわけナラの新葉にはびっしりと毛虫がついた。
そしてこの秋の大量結実と大量落果である。やはりコナラもミズナラもブナ同様最後の生存戦略に打って出た様に思えるのである。果たして人間は大丈夫だろうか?
今ようやく地球温暖化が人々の意識に上り始めた。人間による化石燃料の燃焼などによって排出される二酸化炭素が最大の原因となって、地球の気温の上昇や異変が顕在化してきたからである。
二酸化炭素濃度は1750年の280ppmから現在の375ppmへと実に34%も増加した。これは過去2万年で最高の増加率である。さらにこのままでは2100年には540ppm〜970ppmへと増加が予想されている。このため地球の平均気温は20世紀の間に約0.6℃上昇し、2100年には1990年比で1.4〜5.8℃上昇すると予想されている。そしてこの気温の上昇が原因で海面が9〜88cm上昇すると言うのである。
これらによる被害は甚大である。京阪神や首都圏が広範囲に渡り水没し、世界的な気候変動や病害虫による穀物被害により食糧の60%を海外から輸入している日本にとっては深刻な食糧難に陥る恐れがある。マラリヤや熱中症の感染率も高まり、生物の絶滅種は加速度的に増えるであろう。そして、美しいブナの森も消えていく運命となる。
おやじ山のカメムシも楢の森も、人間よりは遥かに敏感にこの危機を察知しているのかも知れない。 |