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最後の更新は10月13日

2006年10月1日(日)晴れ、夕方から雨
おやじ山の秋(きのこ狩り)

 昨日待望のきのこの発生を見たからには、やはり今日はきのこ狩りをせずにはいられない。まだ幾分薄暗かったが6時にテントを這い出し、朝食の準備をしながら朝日が昇るのを待った。肌寒さがキリツと感じられて珍しく早朝から活性化している。やっぱりきのこ採りで興奮しているのかも知れない。
 朝食を済ませて8時過ぎにカミさんとおやじ山に向かう。行きがけに昨日運び切れずに見晴らし広場に
残したブロック6個を一輪車で小屋まで運び、小屋に着いてからは、直径20cmほどのホオノキと松の丸太をチェーンソーで切って、基礎工事の砂利固めに使う突き棒を作った。気が急いて仕事をやったせいか、または年のせいか、きのこ採りに山入りする前にやっぱり疲れてしまった。
 それでも気を取り直して「よし、行こう!」とカミさんとブナ平を目指して森に入る。ブナ平まで採り登って、そこから三の峠山への尾根伝いを探して小屋に下りてきた。午前中で立派なウラベニホテイシメジを3、40本も採っただろうか?嬉しい収穫である。
 正午前に小屋を後に下山した。今日軽トラを返す予定なので、再びホームセンターに行って貫板10枚と貫棒1束を買って見晴らし広場まで運び上げなければならない。帰り道、すっかりきのこ目に変わったカミさんが、道端のきのこを見つけてはいちいち後ろの方から大声で「これ毒ゥ〜? 食べられるゥ〜?」と呼び止めるものだから何度も道を行き来するハメになった。そのうち面倒臭くなって、「これェ〜?」と声が掛かった途端に「毒、毒っ!」と見もせずに答えることにした。何しろ気が急いて仕方がなかった。
 軽トラを返し終わってから二人で栃尾の杜々の森までドライブした。大分遅い時間だったがレストランでコーヒーを呑み(閉店間際だったためか実にぬるかった)片付け始めた八百屋さんで塩漬けにするためのシソの実を3袋買ってテントに戻った。
 夜、雨になった。テントの中で夕食。酔っ払ってそのまま寝込んでしまったが、夜中に目が覚めた。パラパラとテントに当たる雨足が強くなっている。何時頃だろう?ラジオのスイッチを入れると、NHKのラジオ深夜便のベテランアンカー宇田川清江さんがゲストの話しに相槌を打っている。ゲスト「・・・ということがあるんですねえ」 宇田川さん「はい!」、 ゲスト「例えばですね・・・」 宇田川さん「ええ!」 、この受け答えの返事が絶妙なのである。たった「はい!」と「ええ!」の2フレーズの繰り返しに過ぎないのだが・・・。感心しながらまた寝入ってしまった。
 

2006年10月2日(月)大雨
おやじ山の秋(蟄居)

 強い雨が降り続いている。外に出ないでテント内でお湯を沸かしてカップ麺の朝食。後は何もやることがない。(出来ない) 狭いテントでボンヤリ座っているのもつまらないので立ち上がってテントの天井に二日酔いで偏頭痛になった頭を押し付け、ターフ越しにバシャバシャと降りしきる雨粒で頭のマッサージをしてみる。とても気持ちがいい。「こりゃあ、いい!頭痛が治る」と喜んでいたら、「呑まなきゃ最初から頭など痛くならない」と言われてしまった。

2006年10月3日(火)薄曇り〜晴れ
おやじ山の秋(きのこが出た!その2)

 6時に目を覚ますと、外は明るく朝日の気配である。外に出てテント場を散歩する。何と、張ったテントの数メートルの所に2箇所、シャカシメジ(センボンシメジ)の幼菌が6株も生えている。近くのコナラの根元には、これも高級きのこのクリフウセンタケが5株ほど生えていた。味が出てとても美味しいきのこである。アミタケ(長岡ではアワタケという)もテラスの赤土の上で見つけた。ぐるりとテント場を回る。(広いテント場だが、私達の他には誰もキャンプしていない)「ある!ある!」出始めのシャカシメジがあっちにもこっちにも顔を出していた。比較的大きい株を2株採って、あとは枯葉で覆って隠しておく。
 夫婦できのこ採りに来たい、というKさんと新潟の次兄に「きのこ、出たよ!」と電話する。
 朝食後、おやじ小屋へ行きがてらウラベニホテイシメジをかなりの本数採った。
 夕方まで小屋の基礎工事。池側の基礎の穴掘り、砂利敷き、突き固め、捨てコンの型枠作りまで完成。





2006年10月4日(水)快晴
おやじ山の秋(3本目の柱の修復)

 爽やかな秋晴れである。散歩がてらに昨日少し離れた所で見つけたシャカシメジの幼菌を確認に行く。覆ってある落ち葉を払うと、幾分大きくなっていた。毎日どれくらい生長するのかデジカメで定点撮影をして観察することにした。それから、これも昨日テント場で見つけたクリフウセンダケとハエトリシメジを夕食用に採取する。
 朝食の準備をしているとちょうど我々くらいの年齢の女性がテント場をうろうろしている。きのこ採りのような、そうでないような。きのこ採りなら地面に目を凝らして屈んでいるはずだが、伸び上がるようにしてガサガサやっている。「何ですか?」と声を掛けると、「ナツハゼです。これでジャムを作ると美味しいですよ」という。ナツハゼなら周りの日当たりのよい場所にいくらでもある。私がガキの頃の山のおやつだった。カミさんの目が俄かに輝いて、この女性にとことこ近づいて話し合っている。戻ってきて「ジャムの作り方を聞いてきた」と言い、「あの女の人、こういうキャンプ生活が夢なんだって」とも言った。
 午前中に次兄が小屋の修理の手伝いに来た。まだ手付かずだった谷側の2本の柱のうち、東側の1本を丸太の三脚を組んでウィンチで持ち上げ、地震と大雪で沈み込んだまま腐った根元を切り取ってから沓石に乗せた。午後5時までかかった大工事だった。薄暗くなった山道を大急ぎで下山し、次兄はテントに少し立ち寄って新潟に帰って行った。
 留守番のカミさんはナツハゼをビニール袋に2袋も採っていた。さすがというか、あこぎというか、この貪欲さには脱帽である。
   





2006年10月5日(木)曇、夜雨になる
おやじ山の秋(西側基礎工事の完成)

 朝起きて落葉で覆っていたシャカシメジを2株採ってきた。定点観察などしているうちに、他の人に採られてしまったら元も子も無い、と思ってしまった。(ケチだなあ) 2日前より大分大きい株に生長していて、まさに「育てて採る」方法の実践である。
 おやじ小屋で1日土木工事。敷き詰めた砂利の上にドライコンクリート3袋を池の水で練って捨てコンにし、その上に重量ブロック6個を並べた。2箇所、土台と連結するアンカーボルトも埋め込んで、一応プロ仕様である。さらに北側の基礎の穴掘りと砂利敷きまでやって、午後4時作業終了。
 小屋の周りをトタンで囲って雨対策をしてから山道を戻った。見晴らし広場の展望台に登って長岡の街並みを見ながらリュックに入れてきたグレープフルーツを取り出して食べた。小屋では作業に夢中になって食べる余裕がなかった。そして眼下に広がる越後平野と夕暮れに鈍く光る信濃川を眺めながら今日一日の工事を振り返った。
 テント場に戻るとカミさんがアミタケと山栗をいっぱい採ってベンチの上に並べていた。



2006年10月6日(金)雨
おやじ山の秋(残念!中秋の名月)

 激しい雨がテントを打ち続けている。ラジオの音もかき消されそうである。ニュースは関東地方も大雨だと告げている。
 朝食をテントの中で摂り、あとは横になって耳元にラジオを寄せて聞いていたが、思い立って洗濯物を車に積んで実家に行く。
 夕方、かねてからの予定で千葉からTさんが来るので長岡駅に迎えに行く。そして一度自宅に帰ったOさんも長岡駅で合流した。「生憎の雨だなあ」と互いに苦笑いしながらテント場に向かう。
 今夜は例年より遅い中秋の名月、十五夜である。
この雨ではとても月など・・・

2006年10月7日(土)雨
おやじ山の秋(テントの中の芋煮会)

 雨が降り続いて急に秋冷えの感。今日の最高気温は18度、10月下旬の気候だという。6時に起き傘をさしてキャンプ場を散歩する。Oさんが「おはようございます!」と下から登って来たので見つけておいたシャカシメジやハエトリシメジの生えている場所に案内する。
 雨の中を山に入ってもつまらないので皆で温泉に行くことにした。今まで行ったことのない温泉だったが、昨日実家から聞いた長岡ニュータウン近くにある近代的な施設だった。
 夜はOさんが信州で採ってきたホンシメジとマツタケ2本の垂涎希少品も加えて、豪快なきのこ汁とシメジご飯を作った。激しい雨の中、外のターフの下で料理をし、鍋ごとテントの中に持ち込んで車座になっての芋煮会である。菊水酒造の銘酒「五郎八」に酔ったか、5本以上食ったら悪酔いするというハエトリシメジを過食したか、朦朧の末に撃沈した。しかしマツタケなど何年ぶりに食っただろう?



2006年10月8日(日)小雨、夜晴れる
おやじ山の秋(きのこ品評会)

 朝8時にようやく起きたが、二日酔いでふらふらである。パラパラと小降りの雨がテントを打ち付けていた。
 今日は長岡市が主催するきのこ品評会が下のスキーロッジであるという。それで20名ほどの参加者がきのこ採りの籠やビニール袋を持ってキャンプ場に入ってきた。定点観察と「育てて採る」ために採り残しておいたシャカシメジやハエトリシメジを見つけられたら大変だと、OさんTさんと3人でガードに行った。Tさんは通り過ぎていった集団を見送りながら「やっぱり、財産を持つと気苦労が多いなあ!」とため息をついたので、「ホントだなあ」と苦笑いしてしまった。
 昼は皆でスキーロッジに行き、昼食を摂りながらきのこ品評会を見学した。講師の先生が参加者が採ってきたきのこを同定し、食毒が分かるように色別のマジックで名前を書いていく。地のきのこだけに大いに勉強になった。
 それから今日は、中越地震で大きな被害を受けた旧山古志村の闘牛がキャンプ場下の仮設闘牛場で開催された。上から覗くと雨でぬかるんだサークルの中でトン級の大牛が角を突き合わせている。その周りで十数人の勢子達が「ハイヨ〜!」と大声で囃し立てる。決着がつかず制限時間になってまだいきり立っている二頭の牛を今度は勢子たちが引き離すのだが(今の今までけしかけていたのに・・・)、この時の緊迫感たら無かった。勢子がヌルヌルの地面に滑って転んで牛に踏みつけられたり、牛の後ろ足に掛けたロープに引きずられて倒れたりと、スリル満点だった。
 夕食はきのこ汁で懲りずにまた宴会。夜になって一段と冷え、バケツのコンロの炭火が実に有難く思える。夜11時、雲が切れてようやくまん丸の月が顔を見せた。十七夜の月、立待月(たちまちづき)である。 





2006年10月9日(月)晴れ
おやじ山の秋(柱上げ工事完了)

 今日が体育の日だというが、国民の祝日が年によって変わるというのは如何なものか?(どうも政治家の口調に似てきた)
 6時前に起きてテントの外に出ると、まん丸の月が西の空のコナラの梢のあたりに煌々と照っていた。昨夜見た立待月(十七夜の月)の名残りだが、見事な月姿にその名の通り立ったまましばらく仰ぎ見ていた。
 午前中はTさんと二人で、最後に残ったおやじ小屋南側の柱を上げるために杉丸太で三脚作りをした。Oさんは長岡に嫁いだ娘さん夫婦を案内しておやじ山できのこ採りである。作業をしているとOさん達がきのこの袋を持ってにこにこと小屋にやってきた。大分採れたようだ。
娘さん夫婦は剥き出しになった小屋の中に入って興味深そうに囲炉裏を覗いたり自在鍵を見たりしている。
 昼は皆でキャンプ場に戻り、小屋の修理で新潟から駆けつけた次兄を交えてきのこ汁の鍋を囲んだ。山ほどのきのこの具である。
 O娘さん夫婦の車でTさんも帰った。午後は次兄とOさんとの3人で柱の持ち上げ作業。午後5時、ようやく作業が終った。これで4隅の柱を全て上げたことになる。ようやくホッとしたが、ゆっくり小屋を眺めている暇もなく、薄暗くなった山道を急ぎ足でキャンプ場に戻った。
 夜は冷えた。しかし今日もいい月夜だった。十八夜の月、居待月(いまちづき)である。



2006年10月10日(火)晴れ
おやじ山の秋(友遠方よりきたる)

 朝一気に冷えた感じだが、絶好の秋晴れとなった。今日は高校時代の同級生Kさんが、ご主人と一緒にきのこ採りに来る日だ。何と伊豆からわざわざ来てくれるというのである。ご主人も長岡の人で、私と同じく郷里での楽しいきのこ採りの思い出が忘れられないのかも知れない。
 最初は朝の6時に来るなどと言っていたが、6時といえばまだ居待月の月夜である。いかに入れ込んでいるとはいえ、と思っていたが、昨日また電話があり、「8時に行くね」でようやく安心した。
 さすが二人はもう慣れたもので、(Kさんは春の山菜採りにも来てくれた) しっかりした山行きの格好で、自宅の菜園で作ったというサツマイモやピーマン、キュウリ、それに伊豆名産の干物などの差し入れを持ってキャンプ場に上がってきた。二人に、今日帰るというOさんやご主人には初対面のカミさんをそそくさと紹介し、早速みんなできのこ狩りに出掛けた。それにしてもご主人の方はともかく、Kさんの入れ物が実に小っちゃいのだ。弁当箱くらいのバスケットをウエストポーチのように腰の前に着けているだけである。「それ、小っちゃ過ぎないかい?」というと、「私、きのこ良く分からないし、せいぜいこんなもんかなあと・・・」と、何となく戸惑い気味である。事実、昨日の体育の日は三連休最終日の晴天で、ウズウズしていたきのこ採りがごっそりおやじ山に入っていた。果たしてまだ取り残しがあるかどうか不安は不安である。しかし、キャンプ場脇の赤土の斜面でアミタケ(長岡ではアワタケ)やヌメリイグチ(長岡ではジカボウ)があり、おやじ小屋へ向かう山道の脇ではキンロク(ニンギョウタケ)やウラベニホテイシメジなどが採れて、途中でKさんに手持ちのビニール袋を貸してやった。
 昨日の工事で散らかしたままのおやじ小屋まで来て休憩。ここで見晴らし広場まで我々を車で運んでくれたOさんが山を下りて帰って行った。Kさんはミョウガ畑に腰を屈めて、もう殆ど終わりのミョウガ採りに精を出し、それから皆でおやじ山のコナラ林に入って何本かのウラベニホテイシメジを採った。
 午前中でのんびり山道を下ってキャンプ場に向かう。テント場に着いて早速Kさんとカミさんは、里芋、ナス、油揚げ、牛肉、それに採りたてのきのこで昼食の準備に取り掛かった。私はご主人を誘ってテラスと呼んでいるテント脇の高台に椅子を持ち出して、眼下に広がる越後平野と長岡の街並みを見ながら談笑した。秋の陽ざしがいっぱいに降り注いで、眠くなるような気持ち良さだった。そして盛りだくさんの具を入れたきのこ汁と、郷里に住む同級生のO君が早朝作ってくれてKさんに渡したおにぎりを皆で頬張りながら、実に楽しいひと時を過ごした。O君ありがとう!ご馳走様でした!
 午後2時、Kさん達が帰って行った。夜は十九夜の月、寝待月(ねまちづき)である。これも、趣のあるいい月だった。こんなに毎晩(そして明け方も)、お月様をしげしげと眺めたことなどあっただろうか?





2006年10月11日(水)晴れのち曇
おやじ山の秋(中柱の補修)

 朝食を食べてから一人でおやじ小屋へ。西側基礎工事の捨てコンの型枠をバールで外す。初めてのコンクリート工事にしてはなかなかの出来栄えである。
 10時頃だっただろうか? 次兄がおやじ小屋への途中で採ったきのこを手に提げてやって来た。「おお、頑張ってるなあ」と言いながら小屋をぐるりと見回してから、次兄が気になっていたという中の2本の柱の修復に掛かった。谷側の柱2本を持ち上げたために今度は中の柱が少し浮き気味になってしまった。
これを砂利を入れて突き固め、しっかり固定するのである。
 昼は次兄が持ってきてくれたおにぎりと缶ビールで景気付けをした。少し朦朧となったが、午後からは、私は谷側基礎の穴掘り、砂利敷き、捨てコンの型枠作り、次兄はあちこち貫板でカスガイを打ちつけては柱を揺すって確かめ「これで地震がまた来ても大丈夫だ」と言った。午後5時過ぎ、小屋の周りをトタンで囲ってから暗くなり始めた山道を走るようにして下った。

2006年10月12日(木)曇
おやじ山の秋(車中泊)

 天気も下り坂に向かっているようで、今日中に小屋修理の目途をつけてキャンプ場を引き払う予定である。天気予報では夜は雨。朝一番でおやじ小屋に行き、今日ホームセンターで購入する工事資材の再見積りをした。カミさんには「今日テント場を引き揚げるので荷物を片付け始めておくように」と言っておいた。10時にテント場に戻り、カミさんと一緒にホームセンターに買出しに行く。ドライコンクリート(20s入り)10袋、重量ブロック7個、トタン波板3枚、貫板5枚、水杭棒1束6本を、ホームセンターで借りた軽トラで見晴らし広場まで運び上げた。
 軽トラをホームセンターに返し、午後からカミさんと二人で一輪車に資材を積んでおやじ小屋に運んだ。見晴らし広場と小屋の間を4往復、1回当たりの積荷の重さは70kgから80kgである。いつもの通り、カミさんが一輪車の前に縛り付けたロープを引っ張り、私が後ろから取っ手を持って押した。「私は奴隷なんかじゃない!」とムズがるカミさんを「もう、これが最後だから」となだめなだめの4往復だった。運搬途中でカミさんは2回転んだ。どういう気持ちか私には理解できないのだが、そのまま馬車馬のように真っ直ぐ坂に向かって引っ張り続ければ良いと思うのだが、カミさんは急坂の手前に来ると一度後ろ(つまりこちら側)を振り向き(同時に体も回して)、何やらフィギュアスケートのステップのようにツイストしてからクルッと前に向き直って引っ張るのである。「変な事やるなあ。まさかこんな山の中でカッコつけてる訳でもないし・・・?」と怪訝で仕方が無かった。変に口を挟むと、また「私、今すぐ藤沢に帰る」と作業放棄しかねないので黙っていた。そしてクルッと前に向き直る時にけつまづいて転ぶのである。とても荒川静香選手のようには行かないのである。そして4回目の積荷の運搬で、このツイストで足が縺れてまた転び、咄嗟についた右手の指を捻挫してしまった。幸い軽症で助かった。残りの運搬作業も傷を負ったカミさんに手伝ってもらって午後3時に終わった。
 カミさんはテントに戻って撤収作業、私は小屋に残って大急ぎでミキシングタブでコンクリートを煉り、谷側の基礎の型枠に流し込んだ。空が曇って日が暮れるのが一段と早くなった。作業の手元がどんどん暗くなり、殆ど見えなくなる直前に煉ったコンクリートを使い終えた。コンクリートの付いたままで道具類を放置して置くと固まって駄目にしてしまう。手探りで池の水を汲み、手探りでシャベルやコテやタブを洗い流した。デッキに出した荷物はそのまま放置した。時間切れで明日また作業を続行しなければならない。
 資材の運搬と土木工事でへとへとになった体で真っ暗な山道を下った。全く明かりが無くて勘だけが頼りである。途中薄気味悪く獣の鳴き声がして、一瞬体が凍りついたりした。見晴らし広場まで戻ると眼下に長岡の灯りが見えようやくホッとする。ここからは作業道路に敷かれた砂利の白さで道が判別できた。
 キャンプ場に戻るとテントは畳んで片付けられていた。、炊事場のランタンの下でカミさんがテントの下に敷いていたブルーシートをザーザーと洗っていた。「今日は帰らない。作業は明日に持ち越しだ」と告げる。夕食を閉店間際のA食堂で食べてキャンプ場に帰り、駐車場に車を停めて車中泊となった。

2006年10月13日(金)晴れ
おやじ山の秋(山を去る日)

 晴れた。予想に反して天気が回復した。昨夜A食堂の帰りに買ったパンで朝食を済ませ、一人でおやじ小屋に向かった。小屋に着いて休む間もなく北側基礎工事の作業開始である。慎重にレベルを取り直して水糸を張り、ミキシングタブにドライコンクリートをあけてバケツで水を入れ煉り始める。話し声が聞こえてきたなあ、と顔を上げると、数日前にブナ平との分かれ道の所で出会った二人連れの男の人が小屋に向かって歩いて来た。先日私にそれぞれが収穫したきのこを見せて「これ、食えるかの?駄目かの?」と聞いてきた人達である。ハナホウキダケなども混じっていて食毒を教えてやると、とても感謝されてしまった。二人は積んであるブロックを見て「いやあ、たまげた!よくここまで運んで来たなあ!」と言ってから、ずっと以前のこの小屋の事などを話しかけて来た。「お茶も出せなくて申し訳ないなあ」とコンクリート煉りの手を休めずに言うと、「とんでもねえて。こっちこそおめさんの(お前さんの長岡弁)邪魔をして・・・」と言ってから「ちいっとばかし、おめさんの山を見せてもろうてえ」と若杉林の方に歩いて行った。
 北側基礎の捨てコンを打ち、その上にブロックを並べ終わってようやく一段落した。午後2時になっていた。デッキに腰掛けておにぎりで遅い昼食を摂った。朴の葉が秋の陽ざしを受けながら1枚また1枚と舞い落ちてきて、その度に「カサッ・・・カサッ・・・」と乾いた音が静かに響き渡った。「ああ、今日でおやじ山の最後かあ・・・」と幾分寂しい気持ちになる。
 散らかしてある道具類を片付けてから、今日最後の1袋のコンクリートを煉ってブロックの基礎を仕上げた。予定していた作業の完了である。
 小屋の周りをトタンの波板で覆ってロープで結わい付け、小屋を閉じた。途端におやじ小屋が森の中の佇まいに戻ってシンと静まったように思えた。いつものようにおやじ小屋に向かって「ありがとうございましたあ!」と大声で頭を下げ、少し歩いて振り返ってまたおやじ小屋を見、そして山道を下った。見晴らし広場に立つと、長岡の街の上空はきれいな夕焼けである。その刻一刻と変わる西の空を見ながら山道を歩いてキャンプ場に着くと、パンパンの荷物で膨らんだ車が待っていた。
「終わった。帰ろう」 脇で待っていたカミさんに声をかけ、車に乗ってキーを回した。21日間のおやじ山だった。

<<11月の日記>>に続く