2024年10月1日(火)小雨のち晴れ |
10月1日のこもごも(新幹線60年と「むしゃくしゃして」) |
(こもごも-その1)
今朝の新聞に「新幹線60年」と題する社説が載っていた。内容は最近のトラブル続きの鉄道の安全と整備新幹線の費用対効果などの問題指摘だが、冒頭に『東海道新幹線がきょう、開業60年を迎えた。高度成長の活気あふれる1964年、東京五輪を前に歩み始めた。人生の特別な日の情景に新幹線が浮かぶ人もいるだろう。』との文面に、「ああ、あれから60年経ったのか」と、まさに感慨ひとしおだった。この年、18才で郷里長岡を離れて東京に出、国分寺にある国鉄の幹部養成学校に入学した。そして10月1日の開業前に、特別に三島にある新幹線車両基地でピカピカの新幹線に試乗させてもらった。その後国鉄を裏切って飛び出したが、当時は大きな誇りと夢を胸に抱いた忘れられない我が青春の一コマである。
(こもごも-その2)
一週間前に病院で「帯状疱疹」と診断されて、「安静にしてくださいね。お酒もだめですよ」と言われておやじ山入りを延ばしていた。それで今日の再診でOKが出たら即出発と準備を整えていた。今日の診断内容は次の様なものであった。
医者「その後、どうですか」
オレ「頭のテッペンがまだ痛いです」
医者「頭のその他の部分はどうですか」
オレ「大分良くなりました」
医者「前の痛みを10とすると、今はどれくらいですか」
オレ「ええと・・・頭のテッペン部分はまだ10で、その回りは・・・まあ3くらいかなあ」
医者「平均で5ですね」--カルテにサラサラと書いている。
オレ (平均で!?当たっているような、何か違うような・・・)「・・・はい、まあ・・・それくらいかなあ」
それで思い出したのが、翻訳家の岸本佐知子の著書「ねにもつタイプ」の一節<むしゃくやして>である。
『前々から気になっていたのだが、なぜ報じられる放火の動機が判で押したように「むしゃくしゃして」なのであろうか。放火だけではない。痴漢の動機は決まって「仕事でストレスが溜まって」だし、未成年のひったくりは「遊ぶ金ほしさ」だし、人を包丁で刺すのは「カッとなって」だ。たまには遊ぶ金ほしさに放火したり、カッとなって痴漢したり、むしゃくしゃしてひったくりするようなことがあってもよさそうなものなのに、そういう話は一向に聞かない。
刑事「なぜ火をつけたのだ」
犯人「いや、なんかこう、就職にも失敗したし、彼女にもふられちゃったし、何にもいいことがなくて、火でもつけたらすっきりするかな、みたいな・・・」
刑事「つまり、むしゃくしゃしていたわけだな?」
犯人「あ、はあ、まあそれでもいいっす」
--刑事、”むしゃくしゃしてやった”と記入。
といったところであろう。』
今日の医者の診察と似てないだろうか。それで結果は、「あと一週間は静かにしているように」だった。早く山に行かなければと気が急くが、ここは<むしゃくしゃして>も仕方ないと腹をくくる。
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2024年10月3日(木)曇り |
酔芙蓉 |
団地の前の家の庭に酔芙蓉の花が咲いている。朝花が咲き、夕方には萎んでしまう一日花で、朝は白い花びらだが、昼にはほんのりと桜色になり、徐々に花色が濃くなって、夕方にはピンク色になる。なるほど、昼からグダグダと酒を呑んでいる酔っ払いが、夕方には顔面真っ赤になる様子を模してのこの植物の和名である。
酔芙蓉で思い出すのは、高橋治の小説「風の盆恋歌」である。年に一度、越中おわら風の盆で逢瀬を重ねる男女の恋物語だが、確か旅館の玄関先にこの花が咲いていて、その描写が物語に情緒を添えている。
風の盆風に揺れゐる酔芙蓉 堀井より子
そしてまた、風の盆で想い出すのは、東京から転勤して3年間を過ごした富山時代である。会社の幹部社員となって初めての赴任地で、八尾にも仕事上の縁がありしばしば訪ねた。もちろん、ここでの最大イベント「越中おわら風の盆」は、3年間必ず観に行った。今は全国から観光客が押し寄せ、まさに一大ショー化しているが、当時は落ち着いて穏やかな町内のお祭りだった。ひと晩を通して町中をゆるゆると哀調深く踊り歩く姿は感動そのもので、日本的美の根源に触れた感じがした。
酔芙蓉悲喜交々の日の過ぎて 赤羽正行
遠い富山時代のあれこれに思いを馳せ、今年ひと夏のあれこれを振り返る今日の日である。 |
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2024年10月6日(日)曇り~晴れ |
おやじ山の秋2024(山入りの日) |
昨夕藤沢の自宅を出発して、午前0時に東山ファミリーランドに着いた。職員駐車場に車を停めてそのまま車中泊。今日の午前7時におやじ山に入った。
早速Kさんが駆けつけてくれて、モバイルバッテリーとネコ(一輪車)の電動モーター(Kさんが取付けてくれた)のバッテリーを持ってきてくれた。「早かったですね。関さんが山に入る前にバッテリーを小屋に置いておこうと思ったのですが、出遅れましたね」と笑いながら言った。有り難い地元の山仲間である。Kさんは用事があるらしく一度山を下りて行ったが、しばらくして再び山に戻り、止っていた谷川からの引き水を開通してくれた。全く感謝、感謝である。 |
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2024年10月7日(月)曇り~雨 |
おやじ山の秋2024(風の小屋5周年記念打ち合わせ) |
朝早く、麓の栖吉町のTさんが訪ねて来た。「帰って来なさったかね。わたし、13日の記念式典には参加出来んけえ、これ届けに来たこって」と塩沢の銘酒「緑川」の一升瓶を置いて行った。「ハハッ~!」と押し戴いたが、こんな律儀な人たちが長岡には居るのである。
10時に地元の山仲間たち(Kさん、Nさん、Hさん、K子さん)が集まって、13日に実施する「風の小屋落成5周年記念式典」(実際は4周年だが)の打ち合わせをした。入山が遅れて残りの日にちは僅かだが、仲間たちに協力を仰ぐほかない。
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2024年10月8日(火)雨、寒露、気温12℃ |
おやじ山の秋2024(買出し) |
ようやく気温が下がって、きのこの発生条件が整ってきた。仲間と造ったマイタケ床にポツポツと幼菌の芽出しがあって期待が膨らんできた。
山を下りて川口道の駅「Agriの里」で式典で振る舞う「きのこ汁」の食材を調達した。里芋、茄子、人参、葱などと舞茸ご飯の素(10袋)。更に大湯温泉手前のきのこ販売所まで足を伸ばして、塩漬けきのこ2袋など。(本来はおやじ山で発生したきのこだけで調理したかったが、気温が下がらず発生が大幅に遅れている)
食材調達の帰り途中で日帰り入浴に寄って一風呂浴びてから日赤町のSさん宅にご挨拶に伺い、13日の式典には参加いただけることになった。嬉しくて思わず涙ぐんでしまった。自分がこうして長く山暮らしを続けられてきたのも、まさにSさんのお陰。風の小屋建築では、Sさんご夫婦から最大限の協力と励ましをいただいた。まさに今次式典の主賓のご参加で大安堵である。 |
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2024年10月11日(金)雨~曇り |
おやじ山の秋2024(風の小屋5周年記念準備) |
有り難いことに連日山の仲間たちが駆けつけてくれて、風の小屋記念式典の準備を精力的にやってくれている。山径や当日案内するおやじ山の草刈り、あちこちに放置したままになっている建築端材の整理、30人分のきのこ汁を料理する「薪かまど」の手配や舞茸ご飯炊き出し用のガス大釜の準備、式典舞台になるデッキの清掃、キャンプ場のテント張り、などなどである。
そしてこの日、山を下りて市営キャンプ場に張ったテントに泊まる。
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2024年10月12日(土)晴れ |
おやじ山の秋2024(記念式典前日ー朋有り遠方より来る) |
いよいよ「風の小屋5周年記念式典」を明日に控えた日となった。夜中に自宅を出発し関越道をひた走って長岡入りしたカミさんと娘、娘の友だちのSさんが早朝キャンプ場に着いた。早速皆に手伝ってもらって炊事場で里芋の皮むきやきのこ汁の下ごしらえをやってもらう。
午後、神奈川から駆けつけてくれたSさん兄弟がキャンプ場に来て、カミさんも伴っておやじ山に入る。兄のTさんは国際会議の準備の最中で、超多忙の中での参加である。山に着いて早速明日の前準備である。風の小屋デッキ正面に祝いの紅白幕を飾り、かまどに火を焚いてきのこ汁の仕込み。大釜で炊く舞茸ご飯のマイタケ収穫。おやじ山入口付近の山径沿いの草刈りと、Sさん兄弟とK子さんの大奮闘で準備を終えた。
この日は他に東京からKさんが来て一緒にキャンプ場泊り。神奈川の森林インストラクター仲間Tさん、Nさん、Mさん、Sさん4人が谷川連峰の大源太山に登った後、風の小屋に入った。更に高校時代の同級生仲間のKさん、No君とNa君の3名が新幹線で長岡入りして、夜は地元の同級生たちと市内で旧交を温めている筈である。明日の式典参加の為に遠くから集まってくれた友人たちに心から感謝である。「朋有り遠方より来る、亦た嬉しからずや」である。
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2024年10月13日(日)晴れ |
おやじ山の秋2024(風の小屋落成5周年記念式典) |
いよいよ「風の小屋5周年記念式典」の当日を迎えた。秋の日差しが降り注ぐ絶好の日和に、おやじ山に居ますおやじと山の神に「ありがとうございま~す!」と心の中で大声で叫んだ。
10時半、この日の来賓たちが次々と集合場所の東山ファミリーランドの駐車場に集まった。ここからは地元の仲間たちの車で見晴らし広場まで送迎する。見晴らし広場からは各々が秋の山径をゆっくり歩きながらおやじ山入りした。
この日集まった式典参加者は以下28名である。
(地元の山仲間8名):佐藤勝得・久美子さんご夫婦、日野端栄ご住職、酒井忠司・健介さんご兄弟、西山昇一さん、吉原和子さん、中村康子さん、(同級生仲間7名):首都圏から海野さん、野口君、永井君(残念ながら伊藤君、田辺君、古幡さんは欠席)、地元から青柳君、小熊君ご夫婦、石原君、(森林インストラクター神奈川会の仲間5名):辻さん、久保さん、野呂さん、松井さん、境さん(残念ながら佐藤憲隆さんが欠席)(朝日酒造千楽の会の仲間2名):富山の池田恵輝・芳子さんご夫婦、(森林調査の親分さん1名):久留剛さん、(私の家族・兄弟と娘の友人5名):道子、克人兄、才香、坂上さん、自分)
式典は11時半から始まった。主催者(私)の挨拶のあと、地元浄福寺のご住職でおやじ山倶楽部のメンバーでもある日野さんからお祝いのお経をあげていただき、参加者全員が一人ひとり祭壇の前に立って手を合わせて下さった。式典の最後に、全員でおやじ山のテーマソング「故郷」を高らかに歌った。深く澄んだ秋晴れの空に、この歌声がどこまでも高く高く吸い込まれて行った、と思う。
式典が終わって祝いの料理が風の小屋の前庭に並んだ。今朝早くから浄福寺からお借りした大釜で、忠司・健介さんご兄弟と和子さんが炊いてくれた「舞茸ご飯」。おやじ山向かいの山菜山で採った「ぜんまいと鰊の煮物」。昨日仕込んでおいた里芋、茄子、豚肉、油揚げにたっぷりのきのこを入れた「おやじ山風きのこ汁」と、参加者の皆さんには喜んでいただけたと思う。
予定では、この後皆さんにおやじ山で栽培している舞茸を収穫して、お土産で持ち帰ってもらうつもりだったが、残念ながら発生量がいまだ少なく、断念した。
午後2時過ぎ、式典は滞りなく終了した。同級生たちとは麓で別れ、その他の参加者で時間の都合がついた17名が「風の小屋5周年祝賀会会場」の山古志種苧原の「あまやち会館」に向かった。
お頭付き鯛や刺身の船盛りのご馳走とカラオケ付きの楽しい大宴会が終わり、翌10月14日の朝食後にあまやち会館前で皆と別れた。今年最大のイベントが終わった。まさに「歓楽極まりて哀情多し」である。
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