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2019年2月9日(土)ミゾレ
緑の保全活動参加
 1月10日に九州での森林調査の仕事が終ってからは、いつもの森林インストラクター仲間との新年会と、高校時代の同級生仲間「新横の会」の集い(今回もN君が「東京下町巡り&老舗割烹みや古で深川めしミニツアー」を企画してくれた)で外出らしい外出をしたくらいで、殆ど自宅で隠遁生活をしていた。それですっかり身体が鈍(なま)った感じで、2月に入って心機一転、運動不足解消を含めてボランティア活動に参加した。

 一つは、もはや幽霊会員の体で、まさに2月2日の参加がちょうど1年ぶりとなった横浜市戸塚区のフィールド「名瀬谷戸の会」の活動である。
 当日は全く春本番を思わせる陽気で、午前中は、この日初めて参加した幼児連れの若いご夫婦や、小学校の子ども達と若いママさん等に対する安全講習のグループに入った。もちろん講師ではなくて生徒としてである。
 「先ず服装だけどね・・・」と講師のKさんが独特の濁声で喋り始める。「次に、ヘルメットの被り方・・・」「それから、目だね・・・。これが目を保護するゴーグルで・・・」「え~と・・・、頭、目ときて・・・次は首。首にはタオルとか、今おじさんがしてるみたいにカッコいいバンダナなどを巻いて・・・」と説明を続けて、「最後に足回り・・・」で注意事項が一応終わり、「これで漏れはないかな・・・?みんな、分かったかな?!」とKさん。「は~い!」と俺は心の中で元気に返事して、全く感心してしまった。な~るほど、普段俺が何気なくやったり注意していることが、Kさんから整理して指摘されてみると、目から鱗である。
 昼食は、ここの地主さんが経営するレストランから、美味しいカレーライスが提供された。
 そして午後は、第6ブロックと言われる山の斜面で、真竹の除去作業に参加。南斜面のポカポカとした日差しに身体が温まって、とろけるような時間を過ごした。(殆どサボって、休んで日向ぼっこばかりでした)

 二度目は、昨日(8日)、伊豆のSさんが主催する「熱海の森」で山作業をやった。山の尾根からの眺望をよくするために、邪魔なヒノキを伐倒するための準備作業で、先ずはその周辺の草刈りと雑木の整理である。尾根からは海側にかなり急傾斜になった場所で、一緒に参加したHさんは刈払い機でウラジロの除草、俺とSさんは、伐倒するヒノキが掛り木にならないようにコナラやハゼノキ、松の枯れ木などをチェーンソーで伐り倒した。
 午後3時には作業にケリがついて山を下ったが、久々に目にした穏やかな相模湾の眺めは、やはり一足早い伊豆の春を感じさせる風景だった。
 昨日もSさんにはすっかりお世話になってしまった。山仕事が終わって、Sさんの棲家に隣接するリゾートホテルの温泉にゆっくり入れていただき、最寄りの伊豆急の駅に車で送っていただくや、「酒も呑まさずにこのまま帰すわけには行きません!」と言われて、二人で駅裏の居酒屋に飛び込んで宴会になった。Sさん、タクシー見つけて無事に山奥の棲家に帰れただろうか?


 
2019年2月25日(月)小雨
「どちらでもない」を乗り越えて
 昨24日(日)、沖縄県民投票が実施された。右の投票用紙(見本)にあるように、国が計画している名護市辺野古の米軍基地建設の埋立てについての賛否を問うものである。結果は、賛成が19%(11万5千票)、反対が72%(43万4千票)、どちらでもない9%(5万3千票)となった。
 この中で俺が注目したのは、「どちらでもない」の数字9%(5万3千票)である。

 以下は、経済学者の坂井豊貴慶応大学教授の言葉である。
 「行動経済学では、何かを選ぶとき、人間は中間的な選択肢があると、そちらに行きがちである。うな重の「松」「竹」「梅」なら「竹」に集まる。マーケティング戦略では、「上」を売りたいなら「特上」(と「並」)を作り、「上」を中間に見せる。今回の沖縄県民投票は「どちらでもない」という選択肢を加えた3択にしないと、全県投票が実現できなかった。しかし、「賛成」、「反対」の他に、中間の「どちらでもない」は、こういう心理的な誘導を起こしかねない、という意味でも問題なのだ。
 住民投票の目的は二つあって、一つは「決めること」だが、今回は法的な力はないので、もう一つの「意思表示する」が、重要な意味を持つ。そのために投票結果が明確なメッセージとなることが重要だ。「どちらでもない」は、人がこの選択肢に何らかの思いを込めても、第三者には分からない。賛成派は賛成に、反対派は反対に解釈したくなる。よって3択をのませた側の狙いは、三つ目の選択肢を入れさせることで、結果を分かりにくくなるように「いじわる」をした、と解釈できる。」

 以上の視点から今回の「どちらでもない」の数字を俺なりに評価すると、「中間」への誘導の効果は極めて限定的だった、と分析できるのではないか。それは3択という苦渋の選択をさせた(のませた)側の「いじわる」を見事に克服したという意味で、沖縄県民の意思表示がかえって鮮明に出たのではなかったかと、投票したすべての人たちに敬意を表するのである。

 坂井教授は、また次のように言っている。
 「どんな結果が出ても日本政府の方針は変わらない、と今回の県民投票の意味を疑問視する声がある。しかしもし私が誰かに殴られ続け、そのまま無抵抗でいれば、あいつは喜んで殴られている、といわれるかも知れない。しかし、殴られつつも抵抗したならば、そうは言えなくなる。その抵抗は記録されて歴史になり、後世に必ず影響を与える」