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2019年1月4日(金)晴れ
箱根大学駅伝
 新しい年2019年が始まり4日目となった。時間には「直線的な時間」と「循環する時間」があると教えられたが、直線的な時間の観念なら、2019年1月1日は単なる時間の通過点に過ぎない。ところが循環する時間なら、2019年1月1日は、2018年をリセットして新しい時間を積み上げて行くスタート地点となる。人は皆、この循環する時間も体内に持っているからこそ、元日の朝には清々しくフレッシュな気持ちで迎えることができるのだと・・・。(とは言っても、俺は今年も大晦日の深酒がたたって・・・)

 ドカンと届いたぶ厚い元旦の新聞には1面フル広告が満載だったが、その中で、今年もまた岩波書店の広告に喝を入れられてしまった。

 大見出しは「基本を学ぶ 自分で考える」。そして長い広告文の前段は次のように書かれてあった。
『国の最高法規、憲法。私たちの日々の暮らしは、その根本のところで、憲法の原理に支えられています。そして日本国憲法の三つの柱、「国民主権」「基本的人権」「平和主義」を支える最も基本的な原理は、「人間の尊厳」です。これこそ、人類が、多年にわたって戦い獲得した成果であり、人類普遍の原理です。
 いま日本で起きているのは、こうした国の根幹、暮らしの根本に手をつけようという動きです。国民の多数が喫緊の課題と考えず、改められる条文も改められるべき理由もはっきりしないまま、改憲の機運だけが政治によって高められようとしている事態を、どう考えたらいいのでしょうか。憲法に制約されるべき行政の長が、率先して改憲の旗を振るという事態を、どう考えるべきでしょうか。
 あるいはまた、県民が建設を拒む意思を繰り返し示したにもかかわらず、その地域に、政権が軍事基地建設を押しつけようとするのは、憲法が認める人権、民主主義、地方自治などの原則から、正当化できることなのか。
 問われているのは、いずれも原理的な問題です。断片的な情報が飛び交い、揺れ動く事態の中で、原理的な問題を深く考え、きちんとした議論と判断をするためには、基本に戻って学び直す以外の方法はありません。
 近代憲法とは何か。その原理とは何か。立憲主義とは何か。平和主義の根幹とは何か。・・・後略・・・二〇一九年元旦 岩波書店』
 
 この広告文を読みながら、「人間、生涯勉強だ!」と、若き血潮が瞬間的に騒ぎはしたが・・・さて・・・

 2日、3日は、毎年の恒例になった箱根大学駅伝の沿道での応援に行った。自宅から車で20分ほどの公園駐車場に車を停めて、歩いてすぐの場所が俺の定位置である。区間は往路の3区、復路の8区で<戸塚-平塚>間である。
 特にどこの大学の応援という訳ではない。必死に走っている選手の1人ひとりに、「ガンバレ~!ガンバレ~!」と大声を掛け、「パチパチ!」と拍手をしながら(もちろん選手に声援を送っているのだが)、実は俺自身に、「シャキッとしろ!頑張らんかい!」と叱咤しているのである。

 選手達は実に若く、走っている姿は眩しいほど美しい。それを俺はまだ、羨ましいと嫉妬しながら憧れることができる。そう思わせてくれるから、俺は沿道に立って声を張り上げるのだ。


 明日(1月5日)からまた、森林調査で九州の山々に入る。どんな森を見、どんな風景に出会えるか楽しみである。
2019年1月11日(金)晴れ
南九州の山旅
 1月5日の宮崎県を皮切りに、鹿児島県、熊本県と回る森林調査の仕事で、昨1月10日に自宅に帰った。南九州の出張はこれで3回目だが、相棒のKさんのお蔭で、今回も各地で素晴らしい風景に出会い、忘れられない思い出を作ることができた。そして俺にとって、今年度の森林調査の仕事は今回が最後だった。昨日は熊本空港で、「1年間お世話になりました。ありがとうございました」とKさんと握手しながら、別れの挨拶を交わした。

 1月5日、羽田空港からガラガラのJAL便で宮崎空港に着くと、何と空港ロビーは正月休み明けの帰還者でごった返していた。KさんのANA便の到着を待つ間、展望デッキに上がってみると、故郷帰りした家族や友人達を見送る人たちがズラリとフェンスに張りついていた。

 そして今回も、出勤前に時間を作って南九州最大の神社「霧島神宮」に初詣をすることができた。霧島神宮でのお参りも今回で3回目だが、仕事の無事と、自分や家族が健康でいられるようにと、願いを込めて手を合わせた。

 鹿児島県の調査では、途中立ち寄った南大隅町で、グランブルーの水を湛える「雄川の滝」に息を呑み、姶良市蒲生町では、旧環境庁の巨樹・巨木調査で日本一の巨樹と証明された「蒲生の大クス」に目を瞠った。

 そして車で移動途中の桜島の雄姿。夕陽に染まる錦江湾と水平線に浮かぶ秀麗な開聞岳。さらに出水郡長島町では、古来から「一に玄海、二に鳴門、三に薩摩の黒之瀬戸」といわれた日本三大急潮の一つ「黒之瀬戸」に立ち寄ることができた。
 鹿児島県最後の宿は、Kさんが薩摩川内市入来町の諏訪温泉を手配してくれた。もったいないほどの温泉水が滔々と溢れる温湯に浸かって、年末年始の呑み疲れをいやすことができた。
 この宿を発って町の外れに来ると、道路に掲げられた「また、おじゃったもんせ」の横断幕にすっかり気持ちが和んでしまった。

 最後の調査地天草へは、鹿児島県長島町の蔵之元港からフェリーで移動した。行先は天草下島の牛深である。フェリーの甲板から遠く東シナ海の水平線に浮かぶ甑島を望みながら、しばしの旅情にふけったのである


 天草での宿は、3年前に泊まってこの宿の名物「蛸ステーキ」に感動した民宿あさひ荘である。やっぱり凄い料理がテーブルにずらり並んで(写真の他にサザエと牡蠣の焼貝料理、天ぷら、茶碗蒸し、蛸飯など)腹がはち切れそうになった。

 天草では「天草四郎ミュージアム」に立ち寄ることができ、数々の展示物を興味深く観た。そして館の庭にあった「愛の鐘」の石盤にはこんなことが書いてあった。

 『
愛する人のことを想いながら  
 神秘なる海に向かってこの鐘をついてみませんか
 潮風があなたの愛をきっと運んでくれるでしょう
 夫婦の愛は永遠に
 恋人は結ばれ
 そして新しい友情が深まることを願って』


「愛ねェ~、どれどれ」と紐を握って鐘を打つと・・・ 
「カ~ン!」とドキンとするほど大きな音が響き渡った。庭にはkさん以外誰も居ないのに、何故か恥ずかしくてぽっと顔が赤らんでしまった。

 熊本空港のロビーでKさんと別れて、ビル内のレストランに入り、この旅初めての日本酒を呑んだ。地元の焼酎に慣れた身体に、懐かしい(僅か6日間だが)熱燗のエキスが浸み渡って、1年間の仕事納めを迎えた充実感にしばし酔いしれたのである。