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2018年11月14日(水)晴れ
おやじ山の秋2018(プロローグ)
 先週の土曜日(11月10日)におやじ山から藤沢の自宅に帰った。8月31日の山入りから数えて、実に73日ぶりの帰還である。例によって息つく暇もなく、山から持ち帰ったガラクタの整理や、留守中に溜まった郵便物の確認やらであたふたと時間を費やして、気が付くと早4日目である。

 今日はようやく少しホッとした気分でコーヒーを喫し、さらに渋茶などを啜りながら振り返ってみると、「今回は随分忙しかったなあ」と、溜息混じりの第一印象が頭をよぎった。 しかしこの73日間に書き殴った日記をパラパラ捲りながら、「ああ、アレがあり、コレもあった」とそのひとつ一つを反芻し始めると、「やっぱり楽しかった!」と相成るのである。

 今回もまた、地元長岡のSさんご夫婦やNさんから底なしのご親切を受けた。本当に涙が出る思いでいっぱいである。さらに第二おやじ小屋(ゲストハウス)造りやおやじ山の山林施業で、地元のKさん、Yさん、Nさん、Hさん等の絶大なる助っ人参加で、これから先のおやじ山の姿と形が少し明るく見えてきた。

 多くの市民が参加した恒例の猿倉岳トレッキングイベント(9月30日(日)実施)での思わぬ太田小学校の子ども達からの素敵なプレゼント。そして11月6日(月)には、おやじ山の麓の栖吉小学校4年生60名との何とも楽しかったハイキングでの交流。とりわけ俺にとっては忘れられない今回の大事な宝物である。


太田小学校の子ども達から、夏の学習会の写真集の贈呈を受ける。 子ども達と一緒に「ふるさと」を合唱した。泣いた! 

        栖吉小学校の子ども達と一緒に
自然観察林を歩き、花と緑の広場で遊ぶ

 9月1日(土)は朝日酒造の棚田で酒米の稲刈り、23日(秋分の日)には森林調査の相棒のKさんも一緒に、蓬平のNさんの棚田で稲刈りと稲架掛けで汗を流した。





 そしておやじ小屋暮らしから東山ファミリーランドのキャンプ場にテントを張って移り住んでからは、森林インストラクター神奈川会のいつもの仲間が馳せ参じて大いに酒を呑み、歌を唄い、長高時代の同級生達がきのこ狩りに来れば、皆できのこ汁を囲んで青き春の時代の話題で盛り上がった。

 「長岡米百俵フェス」が東山ファミリーランドで開催された初日の10月6日は、兄貴の命日(一周忌)だった。キャンプ場を追い出されて再び一人でおやじ山暮らしをしていたが、この日は山を下って野外コンサートの会場を尻目に兄が眠る託念寺の墓に向かった。野外音楽フェスの大音響や夜の打ち上げ花火の轟音が、まさにこの時期のタカの渡りルートになっている東山丘陵の大切な自然生態系を歪めると、主催者の一方である長岡市に抗議のメールを送ったが、未だ返事は「梨(無し)の礫」である。(長岡市は、来年もまた同時期に開催すると発表した)

 今月17日からまた森林調査の仕事で中国地方に出張します。出張から帰っておやじ小屋の雪囲いでまた山入りと、何やら忙しい年末になりそうです。時間を見つけて「おやじ山の秋2018」を少しづつ綴ってゆきたいと思います。
 
託念寺の裏門から信濃川の堤防を望む 見晴らし広場から見た雲海の長岡市街 キャンプ場から見た虹



        中国地方の山旅(広島・山口・島根)
2018年11月24日(土)晴れ
中国地方の山旅
 11月17日の昼に広島空港で相棒のKさんと落合い、いよいよ今年度初の森林調査の仕事がスタートした。この仕事を始めて11年が経ったが、やはり初日は緊張が抑え難い。ブルブルと奮い立つ一方で、寄る年波の己が体力への不安もあるからである。

 今回の調査では、広島県を皮切りに山口、島根の山々を巡って、再び広島に戻る6日間のスケジュールだった。
例によって、全ての段取りはKさんが整えてくれて、仕事上はもちろんのこと、宿選びとその手配から、素泊まりの時の夕食の店探しまで、全く申し訳なく思いつつもいつもKさんに甘えてしまうのである。

 今回も旅先で、忘れられない光景や思い出を胸に刻むことができた。
 初日の仕事が無事終わり、林道に停めた車に戻って、フッと振り返って観た穏やかな瀬戸内海の夕暮れ。仕事始めの強張った身体をこれほど癒してくれた光景は今まであっただろうか。

 以前にも泊まった山口湯田温泉では、早朝散歩で再びこの地が故郷の中原中也の詩碑を訪ね、長門市仙崎では、26歳で命を絶った薄幸の童謡詩人金子みすゞにも再会できた。



 そして再び戻った広島では、夜明け前に宿を出て、未だ暗い市電通りを平和公園まで歩いた。まだ夜が明け切らない早暁の寒空に、原爆ドームの叫んでいるような骨組が、胸に刺さるようだった。原爆死没者慰霊碑の「安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから」と石盤に書かれた文字をなぞって、やはり涙が禁じ得ないのである。そして2歳で被爆し10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子の「原爆の子の像」の下には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と文字が刻まれてあった。



 既に広島での俺たちの定宿となったHotel FLEXは、流石Kさんの見立てだけあってセンス抜群の宿である。出立前の朝のひと時、出勤や登校で急ぐ人達をおっとり眺めながら、テラスでコーヒーを啜る贅沢な気分は、何にも代え難いものである。

 11月22日に藤沢の自宅に帰った。そして今日の夜、再びおやじ山に向かうつもりである。


JR山陰本線と島根の海(道の駅ゆうひパーク三隅)