前のページ|次のページ>>
最後のページは<3月22日>   「おやじ山の春2017」は3ページ目からです。

2017年3月6日(月)雨
我が啓蟄-うごめき出す時-
 昨日(3月5日)の日記を開くと、白いページの頭に「啓蟄」と小さく印刷されていた。家人が惰眠を貪っている間に起きて、(まあ、こころ静かに?)居間のコタツで前日の日記をつけるのが慣わしになっているが、啓蟄の印刷文字に触発されてフッと背筋を伸ばし窓越しに庭に目をやると、サンシュウの花が淡黄色の散形花序を綻ばせていた。確か、植物学者の牧野富太郎博士は、この花木に「春黄金花」(ハルコガネバナ)と名を標した筈だが、啓蟄の言葉と相俟ってつくづく春の到来を感じてしまう。

 そして数日前に、楽しみながらページを捲っていた越後の才人鈴木牧之の著した「北越雪譜」も読み終えた。暖国(江戸)の雪に対する甘い考えを揶揄しながら、雪国(越後)の積雪の凄まじさ、吹雪や雪崩の悲惨さを活写し、熊捕の方法や熊に助けられたエピソード、越後縮(魚沼や小千谷産の麻織物)の詳述、川を遡上する鮭漁師の悲話、子どもの雪遊びや鳥追い、斎の神の行事と、今のおやじ山の雪景色を思い浮かべ、俺がガキの頃の郷里の冬を懐かしく回想しながら、全く読み飽きることがなかった。

 北越雪譜のお蔭で暖国(ここ藤沢)に居ながら雪国の冬籠りの気分を味わっていたが、本を閉じてみれば辺りはもう啓蟄の季節である。
 俺もそろそろおやじ山へうごめき出す時が来たようである。
2017年3月11日(土)曇り
長岡へ向かう
 5時起床。昨日と、そして今日の予定の日記をつけて新聞に目を通す。3・11東日本大震災、東電福島第一原発事故から6年目を迎えた。今も3万4千人が仮設住宅に住み、故郷を追われた原発事故の避難対象者は5万6千人だという。

 そして、昨日まで準備したおやじ山入りのガラクタを車に運び込む。これから約2カ月半の山暮らしの所帯道具である。昨年末に岩手の森林調査で立ち寄った九戸村で見つけた炭屋に頼んで、岩手の切り炭15キロを送って貰ったが、この炭を含めて、寝袋、衣類、米や調味料、(酒)、スノーシューとストック、書物などなど、やはり車の荷台が一杯になった。

 これから長岡に向けて出発する。おやじ山にはまだ大分雪が残っているだろうが、雪融けから春に向かうこの時期のおやじ山が、大好きである。(AM:8:20記)

おやじ山の春2017
2017年3月12日(日)晴れ
山入りの日
 朝日が眩しい絶好の荷揚げ日和になった。昨晩は実家に泊まり、朝早く発っておやじ山に向かったが、麓の村の田圃にもしっかりと雪が残っていて予想外の積雪である。

 8時50分、昨日の「朝日日本酒塾」の卒塾式にOBとして参加した神奈川のNさんと長岡市営スキー場で落合う。Nさんには当面の山暮らしの荷揚げを手伝って貰う手筈になっていた。
 1週間前に営業を止めたスキー場は、今日は「かんじきトレッキング」のイベントで賑わっていた。真っ黒に雪焼けした友遊会のTさんがニコニコと皆さんを指導していたが、K場長も参加していて、お二人に挨拶して早速Nさんと荷揚げ開始である。

 午前、午後とスキー場に停めた車とおやじ小屋の間を大型リュックと背負子を担いで2往復し、食料、酒、炭、その他ガラクタ類を運び上げたが、全くNさんのお蔭で大助かりだった。

 夕方Nさんが帰って、差し入れの酒とカップ麺で夕食を摂る。満月が煌々と雪のおやじ山を照らし、身も凍る程の寒さとなる。

 小屋周りの積雪は約70cm、おやじ池を覗くとクロサンショウウオの卵嚢6個あり、そしてホオノキに掛けた巣箱からムササビ君が出迎えてくれた。

 
2017年3月13日(月)晴れ、日中気温上がる
山の朝、煮菜に泣く
 朝目覚めて小屋の外に出ると、鈍色に眠っていた谷筋の奥から早暁の明かりが見る見る輝きを増して、山菜山の斜面を純白に晒していく。俺が大好きな早春のおやじ山の風景である。何やら嬉しくて、思わず「お早よ~ッ!」とムササビの巣箱に向かって叫んでしまった。ヤマガラ用に掛けた小さな巣箱をムササビ君が乗っ取って、自分用にガリガリと穴を大きくして棲みついたが、さすがに窮屈と見えて顔や尾っぽが外から見えるのである。

 今日もまた街に下りて山籠もりの買い出しと車に積み残した荷揚げの予定で、早速今朝は、俺が街に出ると見た日赤町のS奥さんから「ワタシ用事で家に居ないけど、煮菜作っておいたから家に寄って持ってってね」と有難い電話が入った。市内の店であれこれ買い物をし、最後にSさん宅に行って差入品を受け取ると、奥さん手作りの煮菜の他に、おはぎ、赤飯、パン、柿の種、缶詰、お茶、それに手紙まで添えてあって、全く独り暮らしを始めた我が息子に持たせるような温かい品々に涙が出そうである。

 日中の気温が上がって、おやじ小屋への帰り径は膝上までドブリながらの難儀な荷揚げになった。
2017年3月15日(水)雨時々ミゾレ
小屋籠り
 寒い!小屋のドア脇に掛けた寒暖計が0度を示している。小屋の中で七輪にガンガン炭を熾してもせいぜい室温は3℃までしか上がらない。いつか友人が「小屋の中で火焚いたり炭熾して酸欠や一酸化炭素中毒にならないの?」と心配してくれたが、全然大丈夫である。自慢じゃないが(?)、おやじ小屋は素人の手造りで隙間だらけのまさに校倉造りで、通気性だけは抜群なのである。外はミゾレ混じりの氷雨で、今日は終日七輪に炭を熾してズックベッドの上でシュラフに包まっていた。

 夕食は、雪に埋もれたホダ木から生え始めたシイタケを毟り取って来て、モヤシと豚肉を絡めて炒めて食った。旨かった!
2017年3月16日(木)曇り
百丈懐海の戒め
 昨日は百丈懐海(えかい)の戒め(「一日作(な)さざれば一日食らわず」)に背いて、全く無為徒食の一日を過ごし、酒まで食らって早寝したので、何と午前2時に目覚めてしまった。(やっぱり寒かった)それで暖をとるためて炭火を熾して(ついでにウイスキーで体の内部を温め)ラジオ深夜便を聴きながらじっと夜明けを待った。

 今日は百丈禅師の戒めを守り、先ずはスノーシューを履いて山回りをした。今年は小雪だった昨年よりさらに小雪と聞いて、例年よりは1週間早めて4月9日に設定した「おやじ山カタクリ観賞会」のカタクリ広場に行ってみると、斜面にはまだ雪がたっぷりとあり(約80cm。因みに昨年の今日の日記を調べると20~40cmとあった)、どうももくろみが外れそうである。
 それから水場の周りの雪をスコップで掘り、台形に固めて雪のキッチン台と雪を積んでカマクラにした天然冷蔵庫を作った。

 「やれやれ」と小屋に戻ると、ムササビ君が巣箱から長い尾っぽを垂らしていた。尾っぽで巣箱の穴を塞いで箱の中の暖をとっているのだろうか?
2017年3月17日(金)晴れ
フクロウ鳴く、雪割草の湯
 今朝寝覚めにフクロウの鳴声を聞いた。下の池の方からで、小屋からはまだ少し距離がある。小屋近くに掛けてあるフクロウ巣箱でいよいよ営巣が始まる筈で、嬉しい。
(これはフクロウではなく、今朝のムササビの写真です)
 朝飯は、持参の塩漬けきのこを戻して大根と白菜たっぷりの具に焼きモチを入れた雑煮を作った。腹一杯食べた後にスノーシューを履いて下山。途中の山路では雪が融けて少し地肌が現われた箇所やマンサクの黄色い花が雪に埋もれ乍ら健気に咲いて、小さな春の訪れに胸が躍った。

 街でちょっとした買い物をして、入院されたSさんのお見舞い前に身体を整えておこうと大崎温泉雪割草の湯まで車を走らせた。この温泉は最初にSさんから教えられた実に寛げる日帰り湯である。畳敷きの休憩室からは、春のまばゆい日差しが日本海に立つ白波を群青の海原にくっきりと際立たせていた。

 Sさんの病室に行くと、Sさんも今しがた風呂を使ったばかりだと、血行を良くした顔を綻ばせて迎えて下さった。

 その後市役所に寄って転勤されるⅠさんに挨拶をしてからおやじ小屋に帰った。真っ赤な夕陽が雪の山路を美しく染めていた。
2017年3月19日(日)曇り
春雷
 午前4時10分、「ド~ン!」と物凄い地響きで目が覚めた。一瞬「雪崩か!」と思ったが、北のサッシ窓に赤い閃光が走って落雷と分かった。直後、今度は枕元の南の窓に「パッ!」と黄色い閃光が映って「ドド~ン!」と耳をつんざく雷鳴である。直接雷に打たれた訳でもないのに身体が痺れてぐったりとし、シュラフを頭からすっぽり被って再び不貞寝を決め込んだ。

 朝6時半からのラジオ体操を聴きながら、一応シュラフを被ったままでイメージトレーニングをして、「体操の先生は何で朝からこんなに元気なんだろう」と感心しながら起きた。

 今日は小屋脇のおやじ池、清水が湧く上の池、そして小川のある中の池、ミズバショウの生える下の池と、冬の間に落ちた枯れ杉葉のドブ浚いをした。殆ど一日中曇り空だったが、時折雲間からパッと陽が差してキラキラと白い雪が美しく輝くと、その度に手を休めて見惚れてしまうのである。
2017年3月20日(月)晴れ、春分の日
屋根の雪、消える
 毎夜フクロウが小屋の近くで啼くようになって、ムササビ君が怖気づいたかパタリと姿を消した。ちょっと寂しい気もするが、自然界の掟では仕方がない。

 今日は春分の日。春の選抜高校野球も始まったようで、日差しも実に春めいた暖かい一日だった。
 午前中にスノーシューを履いてスキー場の麓に停めてある車まで下り、車に残した炭を大型リュックに積め、森林調査で訪れた高知梼原の道の駅で買った竹の自在鉤も両手で抱えて再び小屋に戻った。白一色だったゲレンデも少し綻びて地肌も見え始め、途中の山路では松の幹が根元まで裂けていて驚いた。これは果たして獣の仕業なのか?昨日の落雷の爪痕か?興味津々である。

 午後は今まで吊ってあった鉄製の自在鉤を外し、天井の火棚も綺麗に掃除してから新しい自在鉤を吊った。そして春分の日の今日、今までおやじ小屋の屋根に残っていた雪が、全て融けて消えた。
 
2017年3月21日(火)雨
なな!何という事だ!
 朝からシトシトと雨が降って、「さて、今日の仕事は?」と算段を巡らせていたが、いっそ下山してコインランドリーで溜まった汚れ物を洗濯して、ついでに「お山の家」の風呂でも浸かってリフレッシュすることにした。

 そしてスノーシューを履いて歩き出した直ぐの山路でカモシカの足跡を見つける。2、3年前に、おやじ山の入口でバッタリ出くわしたことがあったが、小屋周りで頻繁にカモシカの痕跡を見るようになったのはつい最近のことである。

 スキー場から車を走らせる沿道の田圃は、入山時とは打って変わって随分と雪溶けが進んだ。「ああ、春がそこまで来ているなあ」と嬉しくなる。

 正午を少し過ぎておやじ山の麓に帰り、スノーシューとストックを雪に立てて置いた場所まで戻ると、何と!見当たらない。雪に差した痕跡は確かにあるのだがスノーシューもストックも無くなっていた。まさかこんな日には誰もここまでは来ない、と思って放置しておいた自分が悪いのだと自戒はしたものの、何とも後味の悪さが一日続いてしまった。
 小屋までの帰りは長靴とズボンの隙間をガムテープでぐるぐる巻きにして、雪が靴に入らないようにして歩いたが、大いにドブって1時間と40分もかかってしまった。あ~あ・・・・・・!
2017年3月22日(水)曇り時々晴れ
おやじの遺稿集
 朝、小屋の中の温度は1.5℃で、日中は時々日が差すものの霰や小雪のチラつく寒い一日だった。
 晴れ間を狙って小屋の屋根に上がり、冬の間にどっさり溜まった杉の落葉を竹箒で払い落とした。そして屋根の上から見下ろす下の谷川は、ぶ厚く岸辺を覆っていた雪もすっかり後退して、せせらぎの音が随分大きくなったように思えた。

 しかしこんな寒い日は、やはり小屋の中で囲炉裏に火を焚いて過ごす時間が多く、炉端で自宅から持って来たおやじの遺稿集「腕白の郷愁」を読むのである。
 この本はおやじが死んで3回忌を迎えた平成4年の11月23日に、兄弟3人で金を出し合って出版した。おやじはしがない旧国鉄の線路工夫だったが、俳句を詠んだり文章を書いたりすることが好きで、亡くなった後、おやじの部屋の押し入れにはどっさりと書き溜めた原稿類が遺っていた。一生貧乏暮らしだったおやじは、何一つ遺産らしきものは残さなかったが、この原稿用紙こそが我々兄弟に残した心の遺産なのではないかと、本にしたのである。

 もう何度となく繰り返し読んだが、読む度に目頭が熱くなって本を閉じてしまうのである。
三月に詠んだおやじの句から

 積もるより消えるが早し春の雪 
  
 長靴の日々の重さよ残り雪