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2017年2月2日(木)晴れ
越後の雪
 慌ただしく1月が過ぎて、早2月に入った。昨日はおやじ山でのこの1年の作業をあれこれ思案して、先ずは4月15,16日に計画している「おやじ山カタクリ観賞会」(今年で4年目になる)の日程が、果たしてドンピチャリと開花時期に合ってくれるか?と情報を取ることにした。それで地元長岡で奮闘している森林インストラクターのMさんに電話を入れ、次いで猿倉緑の森の会の中村代表にも積雪状況を訊いてみた。予想に反して(先月はテレビの天気予報で新潟県は連日のように雪ダルママークが並んでいたのに)、お二人とも「今年は雪が少ないがてぇ」と口を揃えての回答である。昨日時点で、暖冬小雪だった昨年よりも更に少ない積雪だという。ちょっと日程の前倒しを検討しなくちゃいけないかも・・・

 何日か前から越後国魚沼郡塩沢が生んだ奇才・鈴木牧之の「北越雪譜」を読み始めている。郷里が厳冬期の最中、改めてこんな本を読み直すのも時宜に合っているとの思いからだが、こんなに面白い本だったかとすっかり魅せられてしまった。雪国の悲嘆にユーモアを秘め、博覧強記の中に洒脱な物語がありと、現代の読者さえ飽きさせないサムシングが詰まっている。毎日本書のページをくくるのが楽しみになった。

2017年2月24日(金)曇り
准高齢者スキー
 20日、21日の2日間、毎年恒例になった高校時代の同級生5人と越後のスキー場に行って来た。やはり寄る年波には勝てず、皆「いつまでこのスキーが続けられるかねェ」と毎年口癖のように呟きつつも、我ら還暦を迎えてから早10年を過ぎてスキーを続けている。
 3年前までは東京から新幹線に乗ってガーラ越後湯沢がホームグランドだったが、昨年からはいまだ現役のN君の会社が持っている石打のリゾートマンションを使わせてもらって、マンションサイトがゲレンデの石打丸山スキー場に変わった。

 20日は、スキー場も雨だった。それでもマンションに着くとN君を除く同級生4人は鼻息荒くゲレンデに飛び出し、勇躍ハッカ石口の第1リフトの乗り場に立った。そして男女に分かれて2人づつリフトに乗るのだが、前に並んだFさんkさんの女組を見ると「あらあら!」、Kさん一人が「待機位置」でリフトに飛び乗って(普通はそこから3mほど前の「乗車位置」で乗る)、リフトの端が分銅を吊るした昔の棒秤にようにハネ上がっている。何しろ、Kさんの体重は・・・(言わない) リフトが緊急停止したのは言うまでもない。それで俺とT君は、1年前の記憶を手繰り寄せて慎重にリフトに腰かけ(T君は「ドッコイショ」と言った)、無事今シーズンの初リフト乗りを終えた。
 
 石打丸山スキー場は広大なゲレンデである。何本ものリフトがカタコトと動いて、雨降るコースも厭わず客の大方がスノボーで滑る春休み中の大学生たちの間を、何と齢合計280才超の自称若者が、昔取った杵柄を誇示せんと、シルバーコースをせせら笑ってパスし、ジャイアントコースで風を切り、パラダイスコースに華麗なシュプールを描いて滑走したのである。


 リゾートマンションの温泉で身体を温め、N君の部屋で同級生5人揃っての恒例の宴会は本当に楽しかった。昔の思い出に花が咲き、一気に10代の高校生に戻って青春の笑いが弾けたのである。

 翌21日は猛吹雪になった。朝現役のN君が社長の顔に戻って新幹線で東京に帰り、酒のダメージで起きられない俺を残して、3人の准高齢者達はゲレンデに出て行った。「雨ニモマケズ、吹雪ニモマケズ」とは、まるで宮沢賢治の詩のような生き方ではないか。

 帰りは越後湯沢駅前で、この店の名物「大名そば」を食べて打ち上げとした。ともあれ、「年寄りの冷や水」にならず、楽しく無事にスキー合宿を終えたことを喜んでいる。