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2017年1月21日(土)晴れ
再び四国の山旅と遅い正月休み
 俺にとっての日遅れの正月が昨日で終わった。1月16日に四国の山旅から帰り、翌17日から昨日までの4日間「よくもこんなに眠れるものかと」我ながら感心するほど眠り呆け、本正月の仇とばかりに大酒を呑んで過ごした。

 実は、本正月はインフルエンザでずっと自室で監禁されていた。中国地方の出張から戻った12月30日に救急病院でインフルエンザと診断され、貰った薬が効いて元旦には殆ど治ったような感じで、「はい、おめでとさん♪」とニコニコ居間に顔を覗かせた途端、カミさんから「うつるから、寄らないで!」と手を振ってバイ菌扱いされた。それで仕方なく再び仕事に出掛ける1月6日の四国入りの直前まで自室で謹慎蟄居し、せっかくのお正月の御神酒も、「舐めるほど」しか飲んでない(飲まされなかった)。

 今回の森林調査の仕事は、6日の高知入りから3日後には徳島県に移動し、更に香川県を回って愛媛の瀬戸内側の山々を巡り、今治から大洲、宇和島と下って再び高知県に戻る11日間の山旅だった。

 たまたま日本列島が寒波襲来と相なり、四国の山にも冷たい雪が降った。徳島県の国見山近くの標高1200m地点の調査では、横殴りのミゾレ雪に「凍え死ぬかと思った」と頑健な相棒のKさんでさえ震えながら吐息をつき、今治小松自動車道をひた走って調査地に向かうフロントガラスからは、西日本の最高峰、四国の霊峰石鎚山(1,982m)が、銀色に雪化粧した姿が見えた。そして四国一周して戻った南国土佐でさえ、梼原町の宿を出ると外は吹雪で、ひと月前にKさんと巡った東北の雪景色と見紛うほどだった。

 徳島の国見山付近でミゾレに打たれながら仕事した4日目は、その日に香川県まで移動して琴平町に宿をとり、翌朝は出発前に大急ぎで1368段の石階段を駆け上って「こんぴらさん」にお参りした。

 そしてこの日は、香川県内で1ヶ所仕事をした後、昨日の調査地点でやり残した作業を完結するため、再び国見山まで戻ることになった。実はKさんには言わないでいたが、この場所の途中で、鉈を忘れて来ていた。それは昨日の調査が終わった下山時に、強風で倒れた杉の丸太が林道を塞いでいて、Kさんと二人で鉈と鋸で丸太と格闘しながら開通作業をした。そこにたまたま、森の伐採作業をやっていた(この日は成人の日で祝日だったというのに!)林業の若衆何人かが軽トラで通りかかり、チェーンソーで難なく俺たちの車が通れる程の道を開けてくれた。そしてその人達は、自分等は丸太を最後まで片付けるのでどうぞ先に行きなさい、と言ってくれた。俺とKさんは礼を言ってそこを離れたが、気が急いていたせいか大事な鉈をその場に置き忘れてしまったのである。
 琴平町の宿について鉈を忘れたのに気付いたが、Kさんが気にしてはと思い、また、俺の鉈が今日出会った気さくで人情味のある林業の若衆に使ってもらえるなら本望だ、との思いもあって口には出さないでいた。

 しかし、また昨日のポイントに戻ると聞いて、「実は・・・」と鉈の件をKさんに白状した。Kさんは「後戻りの仕事で関さんには申し訳ないと思っていましたが、鉈を探すという用件もできて、いくらか気分が楽になりました」と言ってくれた。

 鉈は、あった!実に分かり易い立木の根元に、丁寧に立て掛けてあった。林道に投げてあった筈の鉈を、林業の人達が目につく場所に置いてくれたのである。まさか!の偶然が2つ重なって俺の鉈が手元に戻った。倒木の現場で、思わず「ありがとうございました!」と大声で叫んでしまった。そして手帳を破ってお礼の言葉を書き、ダクトテープで立木に貼りつけたが、あの人達は果たして読んでくれただろうか?

 高知県香美市物部町の山村神池にあった何ともユーモラスな夥しい数の案山子(村の人口より多そうである)、松山道を南下して大洲市に向かう途中の、伊予灘に沈む涙ぐむような真っ赤な夕陽、移動の間についと立ち寄って渡橋体験して遊んだ梼原川の吊り橋や四万十川47の沈下橋中最長の佐田の沈下橋(291.6m)。
 今回も数々の思い出を胸に刻んだ11日間の四国の山旅だった。