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2016年9月2日(金)晴れ
今年の夏の宿題
 今日、ジョン・ダワーの大著、1945年8月の日本の敗戦から1952年4月のGHQによる占領の終焉までの歴史を詳述した「敗北を抱きしめて」を読了。同時に併読していた「憲法と民主主義の論じ方」(長谷部恭男・杉田敦対談集)も今日読み切って本を閉じた。8月16日におやじ山から帰って来て、毎夏の宿題(?)にしている「読書の夏」に大慌てで取り掛かり、9月になって少し持ち越してのゴールである。その他この夏には、直近の直木賞作品、荻原浩著「海の見える理髪店」も「オール讀物」を買って読んだ。


 アメリカの歴史学者ジョン・ダワーの名を知ったのは昨年(2015年)の元旦の新聞だった。岩波書店が戦後70年を期に『「戦」の「後」であり続けるために』と題した新聞1ページ全面広告を掲載し、そこに作家大江健三郎とともに、ジョン・W・ダワーのメッセージ「平和と正義という目標を見失うことなく」が載っていた。(「森のパンセ-その70-」にアップ)読んですっかり感動して、この歴史学者の代表的な著書だという「敗北を抱きしめて」をアマゾンで取り寄せてみると、上・下巻で厚さ5cm、本文で800ページ、その他注釈だけで上下巻合わせて90ページ及ぶ難物だと分かった。

 しかし、17年前(1999年)にアメリカで出版されたこの本は、有名なピュリッツァー賞をはじめ、バンクロフト賞、ナショナル・ブック・アウォードなど全米で権威ある10を超える賞をさらった珍しく日本を書いた歴史書だと言うので、ようやく読み始めたのは(俺の10年日記によると)昨年の8月21日だった。何と、上・下巻読了までに1年と12日費やしたことになる。

 この本は、8月15日の天皇の「玉音放送」による戦争の終結から、GHQ(この本ではSCAP=マッカーサーの連合軍司令部、と呼んでいる)による占領政策、そしてSCAPが深く関わった日本国憲法の制定、それから戦犯に対する極東国際軍事裁判(東京裁判)を経て、1952年の占領の終了に至る日本の大きな歴史のうねりと、その波に揉まれながら民衆という無数の泡沫が草の根的に確実に日本の歴史を形成していったドキュメンタリーを、まさに膨大な資料(極秘文書や発禁処分された数々の書物を含む)や夥しい証言、投書、エピソード、当時の小説や哲学書、短歌誌、会報、地方の消防団の月報、芸能人や流行歌手といった呆れるほどの事実を突きつけながら歴史の形成過程を炙り出し、さらにもちろん、著者の分析と評価を加えてまとめ上げているのである。

 この著書の隠れたキーワードは「天皇」である(と思う)。SCAPによる天皇を利用した占領統治、日本国憲法に書かれた9条と象徴天皇とのバーター的関係、東京裁判での天皇の神秘性を覆いにした説明責任の回避など、「天皇制民主主義」と表現された意味が随所に著されている。

 この本のエピローグで歴史家ジョン・ダワーはこう書いている。
『戦後の「日本モデル」の特徴の大部分が、日本とアメリカの交配型モデル「a hybrid Japanese -American model』というべきもので、このモデルは戦時中に原型が作られ、敗戦と占領によって強化され、その後数十年の間維持された。・・・最大の経済成長を遂げるためには国家(高級官僚)による計画と保護が不可欠だという官僚制的資本主義「スキッパーズ・モデル」(SCAPと日本人の合作によるモデル)というべきものであった。
 そして大著の最後には、今から17年前でありながら、現在の政治情勢では実に現実味を帯びた日本と日本人に向けての(多分?)「危惧」と「希望」の次の言葉で締めくくられていた。
『占領初期の「非軍国主義化および民主主義」という理想は、半世紀以上にわたり民衆の政治意識の中に生き続けた。
 ・・・しかし、日本は戦後システムのうち、当然崩壊すべくして崩壊しつつある部分とともに、非軍事化と民主主義という目標も今や捨て去られようとしている。敗北の教訓と遺産は多く、また多様である。そしてその終焉はまだ視界に入っていない』

 
 台風10号が東北と北海道に猛威を振るって、秋が来た。そろそろ、またおやじ山へ・・・と心だけは動くのだが・・・。
 

おやじ山の秋2016

2016年9月16日(金)曇り
おやじ山の秋2016(山入りの日)
 藤沢の自宅を午前7時に車で出発した。そして圏央道~鶴ヶ島JCT~関越道とひた走って国境の長いトンネルを越え、越後湯沢ICで高速道路を下りた。国道17号線を走って塩沢の町に入り、青木酒造の直営店で「鶴齢」を買うためである。
 鶴齢はここ出身の友人のT君から教えられた酒で、「地元では○海山など誰も飲まないよ。みんな鶴齢だね」と一押しで、なるほど飲んでみたら「・・・!!」と唸らされた淡麗辛口の銘酒だった。青木酒造は、江戸時代「北越雪譜」の著書で知られた越後が生んだ才人鈴木牧之の子孫によって経営され、創業以来300年(創業は享保2年)の老舗蔵元である。

 ところが店に行って古い格子戸に手を掛けても戸が開かない。閉店の看板も掲げてないので休みではないようだが、仕方なく道路向かいの土産物屋で鶴齢本醸造(税込2,052円)を1本仕入れた。これですっかり安心した気持ちになっておやじ山に向かった。 

 長岡の山はまだ夏の風景だった。見晴らし広場に車を停めて、ぐるり山を見渡しながらおやじ小屋への山道を歩いたが、木々も青々として秋の気配はなかった。
 早速小屋に入って大型リュックを肩から下ろし囲炉裏に火を焚く。「ああ、帰って来たなあ」とホッとする瞬間である。

 夕方、外のデッキで鶴齢を飲みながら飯を食っていると、何と、顔のすぐ脇をムササビが飛んで行った。こんな間近でムササビを見たのは初めてである。俺に挨拶に来たのだろうか。

 夜は雨になった。