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おやじ山の初夏2016
2016年7月9日(土)雨
おやじ山の初夏2016
 3日前(7月6日)におやじ山を下りて、藤沢の自宅に帰った。今回の山入りは6月24日(23日は長岡のSさん夫婦のご厚意に甘え、歓待されて御宅に泊めていただいた)で、僅か13日間の滞在だったが、目的の山施業やイベント参加の他に思わぬあれこれも入って、いささか慌ただしいおやじ山暮らしだった。

 この時期の主な山仕事は、梅雨時期に旺盛に繁茂する雑草の草刈と100本以上に増えたナメコとシイタケのホダ木の養生である。梅雨が明けてからの草刈りでは、光合成で蓄えられた養分が根に回ってしまって除草の効果が薄くなると以前に教えられてから、毎年の梅雨時施業のメニューになった。更に雨で濡れた草の葉は刃物の切れが良く、日照り時に活性化するスズメバチの攻撃からも身の安全が確保できるのである。
 ホダ木の養生は、天地返しと本伏せ位置の調整などである。
 
 という訳で今回の山暮らしを始めたが、今回の滞在中は本当に雨の日が多かった。日差しを見たのは13日中僅か2日間だけだった。そして本来、梅雨時ならではの小屋の楽しみは、囲炉裏に火を焚いて揺らめく炎を見つめて沈思黙考したり、窓の外の山菜山の斜面を煙らす穏やかな雨の簾(すだれ)に感じ入りながら時間を過ごすことだが、(実際そのために、ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて(下巻)」や、石原慎太郎の「天才」、そして今回もおやじの遺稿集「腕白の郷愁」をリュックに詰めて来た)何故か卑近な雑念がセカセカと頭を巡って、酒瓶を手にする時間だけはたっぷりあっても、持参の書物を開く余裕が無かった。(まあ、いつものことだけど・・・)

 今回予定していた行事は2つあった。6月25日実施の「千楽の会」(あさひ日本酒熟のOB会で田植えした酒米田圃の「たな草取り」)への参加と、猿倉緑の森の会のNさんから依頼された6月29日実施の長岡市立太田小学校児童への野外授業の講師(お手伝い役)である。

 2つの行事とも本当に楽しかった。とりわけ児童生徒3名が参加した(たった3人と言うなかれ!地元蓬平町の人達や太田小中学校の先生等にとっては、まさにこの子等は村の宝、学校の宝なのである)猿倉岳天空のブナ林での野外授業は忘れられない思い出になった。
 子ども達と太田小学校の教頭先生はじめ4名の先生方がブナ林に到着し、野外授業の第一時限目はブナの植樹だった。予め用意された植え穴に村人達の補助でそれぞれヘルメットを被った子ども達がブナ苗を植えるのである。そして植え終わって、「はい、ポーズ!」の記念撮影。
 二時限は俺の先導で天空のブナ林の自然観察である。きのこを見つけて子ども達を呼び寄せ、森林でのきのこの役割を教えてやったら、すぐに子ども達は「♪きのこ~♪きのこ~」と歌いながら森の中を歩き回って次のきのこ探しである。
 そしてブナ林内にある小さな広場「森のコンサート会場」に来て、3人の児童と俺は、横一列に並んで太田小学校の校歌を歌った。ギャラリーは4人の先生と付添の女性一人である。もちろん俺は太田小学校の校歌など知る由もないが、子ども達の声を聴きながら必死に斉唱した。そしたら、どうした訳か、歌いながら泣けてきたのである。熱い何かが突然こみ上げて来て、危うく落涙しそうになった。見ると、ギャラリーの女先生が、眼鏡を上げて瞼を指で拭っていた。そして、こんな可愛い児童たちと一緒に過ごしている先生が本当に羨ましく思った。
 野外授業の最後は、間伐体験だった。子ども達がノコギリを持って、それぞれ自分の腕よりも太い立木を伐倒するのである。介添え役の俺も、子ども達と一緒に大汗をかいてしまった。

 今回の滞在期間中、北陸道を2往復した。1度は長岡から富山の立山ICまで、もう1回は実家近くの越路ICから上越ICまでの往復である。
 富山に向かったのは、千楽の会のメンバーで立山に山荘を建てて田舎暮らしを楽しんでおられるIさん夫婦に会いに行ったのである。俺がいつかおやじ山にゲストハウスを建てると聞いたIさんが、有難くも余っている柱や梁、板材があるので提供すると申し出てくれて、その検分でもあった。
 訪問した当日は、珍しくギンギラ真夏日の梅雨の晴れ間で、Iさん夫婦に案内されてあちこちの田園風景を眺めながら、遥か30年前に俺の転勤で家族が富山に移り住み、夏休みになった息子を連れて郊外に行き、親子一緒に昆虫採集や小川での魚釣りに興じた当時を、実に懐かしく涙ぐむように回想したのである。

 旧高田(現上越市)の浦川原は兄嫁のN子さんの実家があった所で、今や菩提寺にあるお墓も守り手が居なくなって永代供養することになった。この菩提寺の墓とは別に、N子さんの実家跡地の裏山に古い石仏があり、これもお経をあげて山に埋めるという事だった。N子さんや関わりのある近所の人たちの話では、既に苔むしてはいるが石仏は実にいいお顔で、出来れば埋めたりせずに他に移す所があれば、という話だった。それで永代供養の日に俺も出席させてもらい、他の石碑と一緒におやじ山に持ってくることにした。当初は軽トラと一輪車で、と軽く考えていたが、実物を目にすればとてもとてもと、専門の石材店に頼んで後日おやじ山に運んでもらうことにした。

 
 あれやこれやでバタバタと日数が過ぎて行ったが、入山当日から毎晩ホタルを見ながら過ごした。蓬平のNさんによれば、今年のゲンジボタルの発生は例年より早い6月10日、最盛期は6月15日頃だったという。俺が山に入った6月下旬は発生の終盤で、ホタルが乱舞する盛期から二頭がペアで寄り添いながら浮遊するホタルの晩期にあたる。それでも6月一杯は毎晩10頭ほどが確認できた。
 このペアで浮遊するホタルの習性で面白いのは、何故か俺に二頭のホタルが近寄って来るのである。小屋下の渓の暗がりで舞っていたホタルが、斜面を流れるように上がって来て、小屋の前で立っている俺の周りで飛び交うのである。一度など、思わず手の平で掬ってみたら手の中でピカピカと光って慌てて放してやった。

 7月6日午前10時、再び小屋を閉めた。そしていつものように小屋に向かって、「ありがとう・ございましたあ~!」と大声で挨拶して頭を下げた。
 帰りの山径には、入山時には薄緑色だったヤマユリの蕾が、今や白く大きく膨らんで、あと数日もすればおやじ山は、むせるようなヤマユリの香りに包まれそうだった。

                         おやじ山の初夏2016  おわり 
 
2016年7月24日(日)曇り
十日町市地域おこし実行委員会「ありがとうの会」参加
 昨日、東京神田のあるビルで、新潟県十日町市池谷集落で地域おこしに取り組んでいる団体(十日町市地域おこし実行委員会)が主催する「ありがとうの会」に出席した。きっかけは4年前の2012年6月20日に、おやじ山からの帰りにふとこの集落に立ち寄ったことである。この年の春は85日間のおやじ山暮らしを切り上げ、藤沢の自宅に帰る途中で、山で一緒だったカミさんの慰労も含めて十日町の農家民宿に泊まった。そしてここの主人から池谷集落の話を聞き、翌20日の朝に主人に案内してもらった。当初の目的は、池谷集落にあるブナ林の見学だった。

 お話し通りの見事なブナ林を見た後で、集落にある米の集出荷作業場に案内された。2004年に発生した新潟県中越地震後には、この集落の人口は6世帯13人にまで減少し(1960年は37世帯211人だった)、その村人に混じって若い女性と若夫婦が働いていた。いずれも遠く京都から移住者だという。(若夫婦のご主人が、地域おこし実行委員会事務局長の多田朋孔氏だった)それですっかり感動して少しでも応援をと、この集落で作付けた「山清水米」を月々定期購入することにした。そんな縁で今回の案内状が来た次第だった。

 さほど広くない会場に出席者50名とスタッフや村人たちが10名程の集会だった。実行委員会から今までの経過や近況の報告のあと、多田事務局長の司会で、たまたま座ったテーブル毎のデスカッションのプログラムがあった。テーマは「都会と田舎が力を合わせて人口減少社会をどう切り開くか」である。俺が座ったテーブルは8人。周りは殆ど若い女性である。話し合いながらそれぞれが思いつくままにアイデアを紙に書いて模造紙に張りつけていく。若い女性達の活発な論議に目を瞠りながら、久々に現役時代に鍛えられたブレーンストーミングを懐かしく思い出したりした。

 そして待ちに待った(!?)お食事会である。多少ヨコシマな気持ちで参加したその期待通りの田舎料理がズラリとテーブルに並んた。極太のゼンマイ煮があり、大根と豚肉の合え煮があり、新ジャガの煮ころがし、朝採りして運んだ新鮮なキュウリとナスの即席漬けなどなど、更には待望の十日町の地酒「天神囃子」がテーブルに立った!本来はコップ片手にニコニコと交流するのが筋だろうが、目の前にこうも並べられると構っちゃいられない。取り皿にゼンマイを運び、芋を載せ、丸ナスを頬張り、コップの天神囃子を呷りと、デスカッションの時より格段に大真面目に取り組んだ。

 宴たけなわで「十日町小唄」が流れた。郷里の盆踊りでは佐渡おけさとともに必ず流れた民謡である。するとどうだろう。村人やスタッフがテーブルの周りを輪になって踊り始めると、若い参加者達も見様見真似で輪に加わった。
 最後は祝い唄「天神囃子」の披露だった。村人や実行委員会のスッタッフが一列に並んで、多田さんが先導で朗々と唄って他が唱和しと、実に厳かないい唄だった。

 この会場で、ご夫婦で参加されたOさん(確か83歳?)とお話しすることができた。東京にある有名企業の社長と会長を務め、池谷集落の地域おこしの最大のスポンサーである。名刺を交換し、互いの近況や自然への思いを共感しながら語り合った。僅かな時間だったが、いい会話ができて嬉しかった。