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2015年8月31日(月)曇り
「8.30国会10万人大行動」女が政治を変える-その1
 昨日曜日、今国会で審議中の「戦争法案廃案・安倍政権退陣 8.30国会10万人大行動」に参加した。安保法制反対のデモに6月から参加して、今回は通算5回目になるが、生憎の雨の中、物凄い人たちが集まり(国会周辺だけで12万人)、最大規模のデモとなった。

 たいそうな人出になると予想していたので、昨日は朝早く自宅を出た。JR新橋駅で電車を降りて、そこから日比谷公園まで歩き、先ずは昔懐かしい日比谷図書館のカフェでおっとりコーヒーを飲みながら、ヒタヒタと心身に潮が満ちてくるのを待った。図書館を出るとつい先ほどの霧雨が滴の雨に変わって、潮が幾分引きかけたが、傘を広げて霞ヶ関の交差点から桜田門、そして集会場所の国会前まで歩いてくると、既に本部席近くの歩道は場所取りの人たちで占められていた。
 集会の開始は午後2時からで、まだたっぷり2時間以上もある。それで隣接する公園の中にある憲政記念館の休憩所で時間を潰すため歩き出したが、途中で「待て待て、この人出だとおちおちしてはいられないなあ」と思い直した。とって返して、本部席に近い歩道との境のブロック壁に登った。7、80cmの高さだろうか。そこは歩道と公園の鉄柵との間の一段高くなった狭いスペースで、歩道に沿ってクチナシの植え込みが続いている。一度登れば、これからの時間、ビッシリの人混みの歩道に飛び降りるには可なり勇気が必要になりそうだが、ここからはステージの登壇者が何とか望まれる、まあ好ポジションである。

 午後1時を回った頃から途端に人が溢れはじめた。やはりこの植え込みに上がってきたデモ慣れした様子の隣のおばさんが、スマホに目を落としながら、「あら、大変。友だちがここまで来れないってメールが来たわ。地下鉄の駅がまた閉鎖されたのかしら」と困惑顔である。それでも何やかやとこちらに話しかけてきて、ふんふんと応じているうちに、今度は前にいる女性も話に乗ってきたりして、即席の「デモ仲」の雰囲気ができてしまうのである。

 そして案の定、歩道がデモの参加者で一杯になり、議事堂正門前の横断歩道の両端に警察のバリケードが置かれて人の行き来が出来なくなると、「ハズセ!ハズセ!」と警備の警察官へのシュプレヒコールが挙った。それから程なく、どっと歩道から群集が車道になだれ込んで、バラバラ駆けつけた機動隊との束の間の攻防となった。そして国会正門前にスルスル乗り込んできた機動隊の装甲車の前でバリケードが敷かれて前線が確定すると、国会前の広い車道は一気にデモ隊で埋め尽くされた。

 手に汗を握るドキドキする光景だった。まだ開会前の時間で、本部のステージではミュージシャンがギターを弾きながら前座を務めている最中だった。周りの群集も報道のカメラマンたちもすっかりデモ隊と警官隊の攻防に気が移って、俺も思わず大声で「やれ~ッ!やれェェ~ッ!」と車道に雪崩込んだデモの群集に声援を送っていた。こういう場面になると、俺も俄かに戦闘意欲が昂揚して、日頃の平和主義も吹っ飛んで、我ながら矛盾した男だとつくづく悟らされてしまうのだ。

 午後2時、コールリーダーの若い女性のシュプレヒコールで集会が始まった。先ず野党4党の党首(民主岡田、共産志位、社民吉田、生活の党小沢)の挨拶のあと、法政大学の山口二郎が、「昔の時代劇で萬屋金之助(古いなあ~)が悪人を相手に『お前ら人間じゃない。たたき伐ってやる』と口上したが、今安倍に言いたい。『お前は人間じゃない。たたき伐ってやる』」と、法学部の大学教授らしからぬ物騒な演説をし、学者の会や日弁連の代表が法案反対のスピーチをし,SEALDsの中心メンバー、明治学院大の奥田愛基(おくだあき)君が「憲法を守ったほうがいいって、おかしな主張ですか」と声を張り上げ、音楽家坂本龍一が「憲法と民主主義をもとの場所に戻すために出てきた」と話し、作家森村誠一が「戦争は最も残酷なかたちで女性を破壊する」と語った。
(つづく)

  政治学者 山口二郎    音楽家 坂本龍一     作家 森村誠一
2015年9月1日(火)雨
「8.30国会10万人大行動」女が政治を変えるーその2(8月31日日記からつづく)
 それから演壇には、大学の名誉教授やら、警察の過剰警備を監視する国会議員団の代表やら、「安保法案に反対するママの会」やらが立ってスピーチしたが、車道に溢れたデモ隊の方でも盛んにシュプレヒコールの声が上がって、演説の声がよく聴き取れなくなってきた。

 それでグルリ周りを観察してみると、6月14日に俺が最初のデモでここに立った時とは様相が一変していることに改めて驚かされるのである。最初の頃のデモでは、団体組織の幟旗が目立ち、男が圧倒的に多く、それも周りを見渡せば老人だらけだった。(まあ、俺もその一人だったけど) 悲しいかな若者、とりわけ学生の姿が見当たらないのである。
 「何だ、今時の学生はデモもできないのか」と、この国の現状を憂い、その憤懣やるかたない思いで新聞社に送った拙稿が、4日後(6月18日)の朝日新聞「声」欄に『デモに若者がいない悲しさ』の見出しで掲載された。

 見よ!それが今や、学生団体「SEALDs」のもとに多くの学生たちがデモに参加し、若いママたちがプラカードを持ち、見渡す限りでは今回のデモの6割以上、およそ3分の2が女たちである。かつてのシラガ頭の老人たちは・・・・・・?消えて無くなった訳ではなかろうが、若者や女たちの大群集に併呑されて、もはやその存在感は無きに等しい。それでいいのだ!僅か3か月弱で、隔世の感がある。時代は、未来は、老人ではなく、女と若者たちが築くのだ。俺は、男と政治を変えるのは、ひとえに女の力だと信じている。(経験はないが)過去をじっくり振り返り、今の政府のデタラメさを見れば、こう断言せざるを得ない。

 さすが草臥れて自宅に着いた。そして期待を込めて点けた夜のNHKテレビのトップニュースが、何と、「タイのテロで男が逮捕」(バカ!NHKは自国の喫緊課題が見えんのか!)、次のニュースも「スズキがUWとの提携解消」(ああ~もう嘆かわしい・・・キーッ!!)、そして「ヤット出た!」と喜んだデモのニュースは僅か数分間。明らかに泡沫ニュースの扱いである。
 日本時間の30日の午後、英BBC、AP通信、ロイター通信の米英メディアをはじめ、仏AFP通信も、最大規模の日本のデモを、「主要ニュース」として報じたと知った。もはや日本は、中国政府の報道規制を非難できる国柄ではなくなった様である。
(早速新聞にNHKを揶揄する川柳が載った。<
申し訳程度にチラとデモ映し 山本省三>)

 つい先日、年に一度昔の同級生たちと一緒に集うS先生から、思わぬ便りをいただいた。そこには先生が俺のブログを読んで下さって回想したという、かつての自分が参加した60年安保の国会デモの様子が書いてあった。デモの翌朝(1960年6月16日か?)、自分の前にいた東大生の樺美智子の死を知り、後に共にデモに参加した友人が「核マル派」に殺された、という痛ましい内容だった。
 重い犠牲を伴ったが、しかし当時の岸内閣は、このデモで倒れた。

 その孫の安倍内閣も、必ずや倒れる。何故なら、多くの女たちが安倍の政治を潰すために立ち上がってきたからだ。
 (このページの切り抜き写真は、2015年8月31日付朝日新聞朝刊一面)
2015年9月9日(水)雨
忘れ得ぬ夏
 今年の夏は本当に暑かった。8月7日には全国的に猛暑日の連続記録が更新された。そして8月8日の「立秋」に、一時的に猛暑はストップしたものの、翌日からまた真夏日となった。
 しかし8月23日の「処暑」(朝晩、次第に冷気を覚える時分)を経て、昨日は早、「白露」(秋の気配が見え始める時分)。今回は参加できなかったが、郷里で主催する「あさひ日本酒塾」のメンバーで田植えした酒米(五百万石)の稲刈りが、この日曜日(9月6日)に終わったと、便りがあった。もう季節は秋、俺の1年のうちで一番好きな夏が去った。

 そしてこの夏も思い出すのは、あの跨線橋の上で会ったおやじの姿である。

 それは、昭和30年か31年、俺が小学校4、5年の時の夏休みの記憶である。

 この頃俺は昆虫採集に取りつかれていて、夏休み中は殆ど毎日、捕虫網を手に蝶々を追い駆け回していた。当時長岡市旭町の鉄道官舎に住んでいたが、ここから蝶捕りに行く所は大体決まっていた。1ヶ所は長岡人が「お山」と呼んでいる悠久山、そしてもう1ヶ所が、国鉄第二機関区の広い操車場に架かる跨線橋の土手だった。

 おやじは当時、この第二機関区の線路班に勤めていた。

 旭町の家を出て、線路脇の田圃道を1時間ほど歩くと、この跨線橋の土手にぶつかる。ここから土手に沿って登り口まで迂回し、長いだらだら坂を跨線橋へと上っていくのである。この跨線橋を渡り終えた向う側の土手が、いつもの捕虫網を振るう場所だった。登り際の土手の右側には、おやじの宿直の翌朝、いつも弁当を届けにきたおやじの線路班詰所があった。

 土手の斜面には夏草が茂り、ノアザミやウマノスズクサ、ヒルガオなどが咲いていた。土手の下は野菜畑があって、その一角には百日草やケイトウ、グラジオラスなどが咲き揃っていた。キアゲハやクロアゲハなどの大型の蝶は、この花畑から土手の斜面に沿って翔んでくる。この蝶を狙って土手の上で網を構えるのである。

 この捕虫網は、内職で洋裁をしていたお袋が、古くなったレースのカーテンで作ってくれたものだった。駄菓子屋で売っている目が粗く浅い網では、蝶の翅が痛んで標本作りが上手くできなかったし、絹かナイロン地の専門の網は、とても高価で自分には買ってもらえる代物ではなかった。

 この手作りの捕虫網を振るうと、網から風が抜けずに、まるで強風に泳ぐ鯉のぼりのように膨らんだ。ある日この網の中に、下の畑から蔓が伸びて、土手の中腹あたりで実を生らしていたカボチャを入れて、家の土産にと意気揚々と持って帰った。そして「母ちゃん、土手でカボチャ見つけた」と得意満面で見せた途端、お袋が「ヒィーッ」と叫んで、「お前をこんなドロボウに育てた覚えはない!」とこっぴどく叱られた。そして泣き泣き元の土手に置いてきた苦い思い出もある。

 そしてこの日も、いつものように捕虫網を持って第二機関区の土手に向かった。土手を上がり跨線橋に差し掛かると、真夏の太陽に炙られた橋の上はゆらゆらと陽炎が立ち昇って、トラス型の鉄橋が朧に見えるほどだった。その陽炎の奥から、一輪車を押した黒い人影がこちらに向かって来た。「あっ、父ちゃんだ!」と気付いて、一瞬心が弾んだ。
 しかしギラギラと油照りの太陽で世界がしんと静まり返ったような空間の中を、父はじっと下を向いて、重そうに一輪車を押していた。そのおやじの姿が、何とも哀れで悲しかった。真っ黒に日焼けした上半身には、汗でぐっしょり濡れた半袖のぼろの下着が黒くへばりついていた。そして泥だらけの菜っ葉ズボンとぶかぶかのゴム長。その余りにみじめなおやじの姿に、俺はたじろぎ、開きかけた心が一気に閉じてしまった。

 ここでおやじとすれ違うことに、堪らない恥ずかしさを覚えた。くるりと踵を返して逃げ出したい衝動に必死に耐えた。そして、おやじと跨線橋の上ですれ違い、俺は下を向いたまま無言だった。おやじは何かを話しかけた筈だ。その記憶は、何もない。ただ俺は、じっと口を閉じたまま、おやじの脇を通り過ぎた記憶だけは、いまだに胸の中に鮮明に焼き付いて苦く残っている。

 俺は何故か、この時のおやじの姿を、長い間忘れないで来た。俺が国分寺にあった国鉄の幹部養成の学校に合格し、仇をとったようにおやじを喜ばせ、そしてその僅か3年後に国鉄を辞めておやじを落胆させ、さらにその後、俺の人生の様々な転機を迎えた時、俺はきっと、この跨線橋の上の一輪車姿のおやじを思い出し、振り返っていたように思う。

 また、今年も暑い夏が来て、ふとこのシーンを思い出し、一輪車姿のおやじを脳裏に浮かべる時、俺は堪らなく悲しく、そして懐かしくなる。俺はあの時、「父ちゃ~ん!」と叫んでおやじに甘えたかったのだ。それが、それが・・・あの真っ黒になって働いている姿に拒絶されて、おやじの胸に飛び込むことができなかった。その悔いと慙愧が、60年経った今年の夏も、また辛く思い出されるのである。

2015年9月15日(火)晴れ
「たったあれだけの人数」とは?
 安保法制の国会審議は、多分今週が山場を迎える。それで昨日、再び国会前のデモと集会に参加した。今回で6回目のデモ参加になるが、年金生活の俺にとっては、自宅から国会議事堂までの交通費はバカにならない金額(往復で2,740円!)である。日ごろカミさんからブツブツ言われている、それでも一升瓶二級酒の値段とボンヤリ頭の中で比較して、その差額の大きさに「エッ!」と一瞬たじろぐが、まあ、崩れかかる意思を奮い立たせてデモに行くのである。

 デモを重ねるごとに、周囲に見る参加者の顔ぶれは変わってきている。組織動員よりは個人、老人から若者や学生に、そしてとりわけ女性たちの姿が目立ってきた。シュプレヒコールの声に合わせて拳を振り上げる外国人の姿も散見されるようになった。そしてそれらの人たちのそれぞれが、自腹を切り、労力と、時間とを費やして議事堂まで足を運んでいる。
 8月30日の国会前集会で登壇した作家の森村誠一が、新聞の投稿欄に次のように書いていた。『ある政治家は国会前に集結した12万人に対して「たったあれだけの人数」と言った。安倍政権の暴走を阻止するために集まった人数は単なる数字ではない。一人一人が、より多くの抗議を背負っている。しかも、組織や権力に庇護されている人間と異なり、国民は自弁というハンディキャップを負いながら闘っている。』

 国政に送られた政治家は、何もワンイシューで国民から支持され投票されたわけではない。世論調査では、本法案に対して「反対」が過半数を超え、「いまの国会で成立させる必要がない」が7割近くもある。国政が民意とかけ離れた政策をとった時に、国民が声を挙げてそれを正すことこそ、民主主義というものではないのか。
 昨日のデモは、最大規模だった8.30デモに次ぐ4万5千人が参加した。民主主義の基盤である「デモができる社会」になるためにも、「デモによって政治が変わる社会」の実現を、何としても証明したいと思っている。
(以下、昨日の写真である)

    
国会前昼のデモ       最近は外国人のデモ参加も     警察のバリケード決壊直前

ノーベル賞作家大江健三郎スピーチ   機動隊車両がデモ包囲開始  バリケード決壊。デモ隊車道へ流れ込む

機動隊車両がデモ隊を囲む 主催者代表が「表現の自由の侵害」と警察に猛然と抗議「警察、帰れ!帰れ!」のコール

    闘い終わって帰路につく          夜8時半、都心の灯は何思う?
2015年9月17日(木)雨
再び国会へ
 昨16日、雨の中、再び国会前でデモに加わる。午後6時からの参院での安保法案委員会採決阻止を訴えるためだ。いつもの場所に陣取って拳を振り上げたが、隣は兵庫から車をとばして駆けつけたという中年男女5人のグループ。俺の後ろでは、車道に溢れたデモ隊を機動隊車両の上で、「危ないから下がって下さい。お年寄りがいます」と絶叫する警察官に対し、「お前が下がらんかい!バスば避(よ)けんと!」と警察の過剰警備に抗議する博多っ子もいた。
以下、昨日の国会前の写真である。

総がかり実行委員会の高田健氏。温厚かつ勇猛、「この人あればこそ」の存在    憲法学者、叫ぶ

地方公聴会の出席者も国会前に     機動隊車両の過剰警備に、デモ隊と警察の押し合いが続く

     沖縄、京都、早稲田と各大学有志らの幟旗も。頼もしい    戦い済んで日が暮れて、お堀の水は静かなり


おやじ山の秋2015
2015年9月18日(金)雨
おやじ山の秋2015(山入りの日)
 朝からあれやこれやの家の用件が重なり、安保法案の国会での行方も気になって腰が重くなっていたが、ようやく昼近くなって山行きの踏ん切りをつけた。

 雨の関越道をひた走って、夕方におやじ山の麓のキャンプ場に着き、薄暗くなったテント場で大急ぎで一人用の小型テントを張った。「やれやれ、これで寝る準備はできた」とホッと一安心して、今度は取って返して最寄り酒屋に車を走らせた。「朝日山」の1升瓶と「のどごし一番」半ダースを車に放り込んでキャンプ場の駐車場に戻り、車の中でセカセカと酒瓶の口を切って、「グイ~ッ」とやった途端、思わず「ああ~つ・か・れ・た・あ~!」とため息が出た。今日一日で3日分くらいの時間とエネルギーを消耗した気分である。

 そして車のナビ画面のテレビで国会のニュースを見ているうちに、悲憤と絶望で酒のピッチがどんどん上がって、もうヤケのヤンパチ酒になった。(後で考えたら、よくぞテントまで辿り着けたものだと・・・)
2015年9月21日(月)晴れ
おやじ山の秋2015(きのこ発生)
 19日から秋の大型連休(5連休)が始まって、昨日森林インストラクター仲間のSさんがキャプインした。23日に開催される「ふるさと研究会」(棚田の稲刈りと稲架掛け体験)にお誘いしていたからである。

 そのSさんと一緒に、今日の午前中は「越後川口道の駅あぐりの里」まで出掛け、おやじ山名物「きのこ汁」用の里芋、丸ナス、それから菊の花束などを買った。帰途に実家近くの托念寺に寄って、おやじとお袋の墓に花を供えて手を合わせ(Sさんもお参りをして下さった)、それから市内のアウトドアーショップにも寄って、預けていたドームテントとターフを引き出した。
 午後はおやじ小屋に行き、Sさんは小屋脇に生えている晩生のミョウガ採り(まだ出始めだったが)、俺は谷川から引いている水道の開通作業をした。

 今回の山入り前に長岡きのこ同好会のSさんから電話をいただき、「今年はきのこが大豊作らしい」と嬉しい連絡を受けたが、事実、テント場の周りはきのこ(コテングタケモドキ【毒】だけど)だらけである。さらに山入りの翌日には、おやじ山の山道でクリフウセンタケのまとまりを見つけ、今日はSさんがキンロク(ニンギョウタケ)の株を見つけた。全くきのこ狩りには幸先の良い出だしである。

 おまけに今日は、おやじ小屋のドアーに青大将の抜け殻が絡まっていて、思わず「ギャー!」と叫んでしまったが、Sさんが「ほら、まだ脱いだばかりで、殻が湿っているよ」と平気で見せるものだから、気持ち悪くて悪くて・・・。(俺は、ヘビだけは苦手である。これはもう、おやじからの遺伝で、俺の3人兄弟全て極端なヘビ嫌いである)
 
2015年9月23日(水)晴れ
おやじ山の秋2015(ふるさと体験)
 2日前に来たSさん、そして昨日長岡入りした森林インストラクター仲間のTさん、Kさんと一緒に「ふるさと研究会」に参加した。この会は、農作業の体験をしながら田舎の良さを肌身で感じてもらいたい、と猿倉岳のブナ林を整備している「緑の森の会」のNさんが立ち上げた会である。
 それで今日の企画は、Nさんの棚田の稲刈りと刈り取った稲の稲架掛け、それが終わったら稲架場で田舎料理を堪能する、というものである。

 朝8時に集合場所の蓬平集落センターに行くと、既に5,6人の村の人たちが集まっていて、早速軽トラに分乗して棚田に向かった。現地の棚田は、ピカピカと眩しく黄金色に輝く稲穂が垂れて、うっとりするほどの美しさである。Sさんは稲刈り初体験だが、TさんとKさんは既に何度か経験があると言っていた。そのせいかTさんもKさんも長靴に昔懐かしいモンペ姿で、被った帽子も農家の姉さん風で、棚田の風景にピッタリのスタイルなのである。

  総勢10人の作業で1枚の田圃を小一時間ほどで刈り終え、軽トラに稲束を積んで稲架場に移動する。Tさんと俺、SさんとKさんのペアーで投げ手と掛け手に分かれて稲架掛けである。「ハイ!」「ハイ!」と声を掛け合って5メートルほどの最上段まで稲掛けする。「こんな高い稲架掛けは初めて」と、神奈川で田圃をやっているベテランのKさんも嬉しい体験だったようだ。

 そしていよいよ稲架場での「お昼」である。Nさんの奥さんが車で運び込んだ手料理がブルーシートにずらり並べられたが、長岡名物醤油おこわ、ゼンマイと車麩・鰊・ホタテの煮物他、揚げ物、漬物、豚汁、おにぎりと、食べ切れないほどのご馳走である。(事実、帰りにはどっさり残り物のご馳走を頂いた)車座に座った目の前には、のどかな棚田の風景が広がり、晴れ渡った秋の空には赤トンボが飛んでいた。Sさんが言った。「俺は東京や横浜といった都会育ちで田舎が無かったから、田舎を持ってる奴が羨ましくてねえ~」。そして、「こうしてここに来て、自分の田舎を持てたような気がする」とも言ってくれた。有難かった。

 帰りは猿倉岳に登り、サルナシを摘んだり展望台からの山々の風景を楽しんだりしてキャンプ場に帰った。
 さらに夕飯までの間、TさんとKさんを連れておやじ小屋まで行った。途中の山道ではちょうどアミタケの出始めで、探し上手・採り上手の二人のお蔭で、瞬く間にウマ籠に半分ほどの収穫になった。

 そして夜は、頂戴したお昼のご馳走で、再び楽しい宴会となった。
2015年9月27日(日)曇り~晴れ
おやじ山の秋2015(ウラベニホテイシメジと久々のご対面)
 アミタケが23日から発生し、25日にはキャンプ場で千本しめじ(シャカシメジ)を採取し、昨日は生憎の雨模様でブト(長岡弁でブヨのこと)に悩まされながら(顔面がカ~ッと火照るほど顔中刺された)見晴らし広場で再びアミタケを採り、それからおやじ小屋へ向かう山道でキンロク(ニンギョウタケ)や待望のウラベニホテイシメジと嬉しい対面をした。このきのこは,6、7年前まではおやじ山にはそこら中生えていたが、その後はピタリと発生が止まって、幻のきのこになっていた。どっしりと重量感のあるきのこで、久々に手に取って思わず笑みが零れた。さらにおやじ山のすぐ手前の山道で今年初のアマンダレ(ナラタケ)も生えていて、「いよいよ今年は・・・!」と豊作の期待で胸が弾んだ。

  
アミタケ      ニンギョウタケ   ウラベニホテイシメジ   ナラタケ
 昨日日赤町のSさんにアミタケを届けたら、早速今朝早く、Sさんがキャンプ場にきのこ汁の温かい鍋と炊き立てのおにぎりの差し入れを持ってやってきてくれた。全く、いつもいつも感謝、感謝のSさんなのだ。

 今日は森林インストラクターのMさんが主催する自然観察林の植林地の草刈りに参加し、終わって午後からは、おやじ小屋に行って、杉林の中とカタクリ広場のブッシュの刈り取りをやった。おやじ山でも刈払い機を動かしながらきのこ眼であちこちに目が行ってしまって、なかなか草刈に集中できなかった。

 夜7時半、Sさんからの携帯電話が鳴った。「ほら、名月が出たよ。今日は仲秋の名月らてえ。見てる?」「あ、そうか!」とふらふらとテントを這い出ると、南東の空に黒い雲に見え隠れしながら東山を照らす大きな月が浮かんでいた。
2015年9月28日(月)晴れ
おやじ山の秋2015(スーパームーン)
 4時半に起きてテントを出ると、長岡の街も、目の前の悠久山も、濃い霧に包まれて、辺り一面真っ白な世界だった。朝のラジオが「北海道の大雪山に初冠雪」と報じ、「今日はスーパームーン」だと言っている。スーパームーンとは、満月か新月かが地球への最接近の日と重なったお月様のことを言い、通常の月より約14%大きく、30%も明るいのだそうだ。

 そして事実、この日観たスーパームーンは、俺がかつて見たどの月よりも素晴らしかったと断言できる。

 テントサイトから7,80m山側に歩くとキャンプ場の外れの高台に出る。その正面には暗い夜のスキーゲレンデが拡がり、そのスロープの突端から三ノ峠山の峰が黒くシルエットになって連なっている。その山の端を明るく映し出して、煌々と輝く満月が薄墨色の夜空に浮いていた。まさに息を呑むほどの美しさだった。
 満月の夜には「財布フリフリ金運アップ」とか言って、財布の中身を全て取り出して空っぽにし、満月の光に財布を当てて「どうぞ金運が・・・」とお願いするのだと教えられたこともあったが、そんなこともすっかり忘れるほどの見事な満月だった。

 そして次から次と、満月をよぎって南東方向へと変幻自在に形を変えながら流れていく雲の面白さである。
 満天を覆う薄墨色のビッグホリゾントをバックに、月光に照らされた雲の塊が巨大な白鯨に変身したり、三ノ峠の山の峰からモクモクと白イルカが立ち上がったり、それがいつしか巨大なライオンに形を変えて雲の穴からは金色の目が光り、そして風に煽られたようにモクモクと体毛が浮き上がったりと、全くお伽の世界の風景である。
 巨大な雲の生き物たちが去ったあとは、大きな大きな白い雲のレースのカーテンがスーパームーンにかかって、雲の流れにつれて明滅する月光の神秘さったらなかった。

 ある写真家が言った。「よい風景には、よい雲がある」と。然りである。
 だが・・・すべての雲が流れ去って、綺麗に掃き清められた純潔、澄明な蒼墨色の夜空に、一点の満月が孤高なまでに煌々と光を放つ姿も、また実にいいものだった。
2015年9月30日(水)晴れ
おやじ山の秋2015(若き陶芸家の来訪)
 朝5時前に起きて西の空を見ると、いまだ覚めやらない薄明の空に、十六夜の未練月がかかっていた。昨日は山道の草刈でグッタリ疲れて、観月など楽しむ余裕もなくテントに倒れ込んで寝入ってしまったので、今朝は何やら儲けた気分になった。

 今日も山道の残りの草刈り、そして小屋の雨漏りを防ぐために屋根にブルーシートを掛けた。3年ほど前からの雨漏りで気になって仕方がないが、いつかは思い切って屋根を新たに張らないと駄目そうである。

 仕事を終えてテントに戻り、「さて、晩飯の支度でも・・・」と取り掛かった途端、「こんばんわ~!」と日赤町のSさんご夫婦が、おこわご飯とおでん、さらにはリポビタンDの精力剤まで添えて有難い差入れ品の持参である。
 Sさんご夫婦とよもやま話に花が咲いて、帰られて間もなく、今度は「千花」のマスターHさんが一升瓶を下げ若い陶芸家を連れて、テントにやって来た。この若き陶芸家の将来を期待して敢えて名を明かすと「近藤九心(こんどう・ここのしん)さん」(随分変わった名前だが、れっきとした本名である)全国を回って自作の陶芸品のPRと販売をしていて、この春からHさんが探した長岡の農家の空家に棲みついて、作陶に勤しんでいるのだという。Hさんが俺の仙人暮らしを九心氏に吹聴したら、是非会いたいとここに来たというのである。
 実に、いい男である。若いのにこんなに押しが弱くて果たして自分の作品が売れるのかしら?と心配になるほど、謙虚である。勿論独身である。それで「どうして結婚しないんだ」と訊いたら、「自分の作品がいっぱい売れるようになってから」と、またまた謙虚なのである。「いつまでも売れなかったら生涯独身だぞ」と脅したら、「そうですね・・・」と落ち込んでしまって、実に素直である。
 誰かいい女(ひと)いないだろうか?