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2015年1月1日(木)
新年の決意
 昨日(2014年12月31日)「5年日記」最終の1,825日目を書き、今日は新たに買った「10年日記」の1ページ目を記しました。

 投票率52.66%の今の日本ですが、めげず、あきらめず、これからの10年の日本の行くえをしっかり見据えて、生きてゆきたいと思います。
 俺にとってもまだまだ課題山積の10年ですから、へたばるわけには行かないのです。

   (2015年 元旦  おやじ小屋から)
2015年1月4日(日)晴れ
正月三が日
 早正月三が日が過ぎた。しかしかつてのように、何やらの焦燥感を抱きながら過ごした正月休みとは違って、今年は、ややのんびりした気持ちで過ごせた3日間だった。

 元日、例年のごとく、分厚く届いた朝刊の束の中で、岩波書店の1ページ広告に目が留まった。≪「戦」の「後」であり続けるために≫の大きな見出しの下に、作家大江健三郎と、歴史家ジョン・W・ダワーの文章が載っていた。二人の知識人のメッセージを、まさに粛然として読む。

 正月二日には、昔からの友人Yさんが自宅に来てくれた。それもYさんが全て手ずから料理したという素晴らしいおせちの重箱持参である。お互い比較的近くに住まっていながら、なかなか会う機会がなかったが、何年かぶりでの旧交を、おせち料理をつつき、ゆっくり酒を酌み交わしながら、温めることができた。

 そして昨三日は、恒例ともいえる箱根大学駅伝の沿道での声援である。新聞社から手渡された小旗を振って、「がんばれ~!がんばれ~!」と選手に声を張り上げながら、何故か涙が出てしまった。選手のひたむきな力走に感動したのか、はてまた自身の叫び声で胸が締め付けられたか・・・。ともあれ、興奮のあまり卒倒しなくてよかった。
2015年1月16日(金)晴れ
中国地方出会いの山旅(素晴らしき日本の風景)
 正月明けの1月8日から14日まで、岡山県を皮切りに、広島、山口と中国3県を巡る森林調査の仕事に出掛けた。今回も気心の知れたKさんと一緒で、四駆車X-TRAILを駆っての7日間に渡る山旅が始まった。

 いつも感心してしまうのだが、Kさんは宿選びでもプロである。お蔭で山歩きで疲れた身体が癒され、メリハリのある7日間を過ごすことができた。鳥取県境近くの山里の民宿では鹿肉や猪の猟師料理に舌鼓を打ち、雪の舞う湯原温泉では、アツアツの露天風呂で体を伸ばした。以前カルチエ・ラタンと名付けた(2011年の夏にも、広島県内で森林調査の仕事をした)水都広島の川べりに建つプチホテルでは、お洒落にワインを頼み、最後の山口県岩国では、錦帯橋を見下ろす大きなホテルで、Kさんとともに仕事のフィナーレを祝して乾杯した。


 そして今回の山旅でも、思わぬ名所に遭遇したり(つまり、普通の旅ではとても想像できない場所だったり)、何やら懐かしい風景との出会いがあり、地元の人たちとの束の間の交流など、まだまだ俺の知らなかった素晴らしい日本が各地に限りなくあることに、改めて驚かされるのである。


 広島県総領町で立ち寄った小さなパン工房の女主人の弾けるような笑顔。太田川上流の河原で出会った、村人総出の「とんど」(最初の「と」が濁らない。郷里長岡では「賽ノ神」または「どんど焼き」と言った)作りの風景。呉の港に建つ「大和ミュージアム」では、思わぬ長岡高校(旧長岡中学)の大先輩、山本五十六の写真や書を目にすることができた。


 そして広島入りした12日、たまたま少し時間ができて、平和記念公園に立ち寄った。まだ正月飾りの献花でいっぱいの原爆死没者慰霊碑の前で手を合わせ、「安らかに眠ってください 過ちは 繰返しませぬから」の、その石碑に刻まれた文字を、あふれ出る涙を落としながら読んだ。
 「広島平和記念資料館」の入館料は、大人わずか50円(中学生以下無料)だった。この日は成人の日で祝日だったが、ここを訪れてる日本人は少なく、外国からの旅行者の方が多く目についた。小さな我が子に原爆の資料を熱心に説明して聞かせる外国人の母親がいた。残念ながら、こんな日本人の親子をついぞ見かけることはなかった。
(資料館での出来事を「森のパンセ-その71-<レオ君への手紙>」で書きました)


 また、明後日から1週間ほど、森林調査の仕事に出掛ける。今度は、宮崎、大分、長崎を回る九州の山旅となる。
2015年1月25日(日)晴れ
九州800キロの山旅
 1月18日(日)に羽田を発って宮崎空港に着き、宮崎、熊本、大分、福岡、佐賀と山々を渡り歩いて、一昨日(1月23日)長崎空港から羽田に戻った。Kさんとペアの森林調査の仕事で、6日間、X-TRAILを駆っての九州800kmに及ぶ旅だった。

 初日、トロピカルムード一杯の宮崎の街に入り、そしてKさんが手配してくれた宿は、大淀川河畔に建つ大きなホテルだった。このホテルのまだ夜の明けきらない朝の露天風呂に浸かって、傍らに植栽された背の高いヤシの木を見上げると、風にそよぐヤシの葉影の奥に、早暁の星が瞬いていた。

 そして2日目の宿は、町中からもうもうと湯煙の立ち上る熊本県小国町の杖立温泉。3日目は天下の名湯別府の湯。4日目が河原にも露天風呂がある大分県日田の天ヶ瀬温泉。さらに最後の仕事を終えた23日には、早くも庭先で桜咲く佐賀県嬉野温泉の「シーボルトの湯」に入って6日間の山旅の疲れを洗い流し、全くKさんのお蔭で嬉しい湯巡りの山旅でもあった。


 今回の旅の途中でも、数々の歴史遺産や素晴らしい風景に出会うことができた。トラクターが走る畑の中に、至極当たり前に「古代」が点在する高鍋町の持田古墳群。豊後竹田の岡城跡の高楼に上れば、瀧廉太郎の「荒城の月」も、「むべなるかな!」と何やら合点がいったのである。そして全国八幡宮の総本宮、国宝の宇佐神宮にも立ち寄って、御祭神が鎮座する三殿(応神天皇、比賣大神、神功皇后)にそれぞれ二礼四拍してお参りした。


 宮崎から高千穂を抜け熊本県小国町に移動する途中の、あの阿蘇山公園道路で見た冬枯れのススキの高原に沈む真っ赤な夕陽は、まさに胸に沁みた。夕陽に照らされたススキの原野が赤く染まって、燃えんばかりの光景だった。
 そしてその翌朝、今度は調査地に向かう久住高原で、久住の連山をバックに見た壮大なススキヶ原のたおやかな拡がりに、思わず車を停めて何度溜息をついたことか!


 最終日、最後の調査ポイントで仕事を終えて車に戻り、Kさんと互いに「お疲れ様でした!」と言葉を交わし、それから、調査器具を片付けたり自分の荷物を整理したりする時間が、好きである。ホッとすると同時に何やらの達成感がふつふつとわき上がって、いい気分になるからである。
 先に書いたが、今回は嬉野温泉「シーボルトの湯」で6日間の疲れを癒し、長崎の街に入って中華街で名物長崎ちゃんぽんの大盛で打ち上げの昼食を摂った。


 それから飛行機の発つ時間までまだ大分時間があったので、ずっと以前に一度訪れたことのあるグラバー園に足を運んだ。旧グラバー邸も、そこから望んだ湾内のドックも昔のままの姿だったが、明るく冬晴れの陽に輝く長崎の街並みは、すっかりモダンな風景に変わったように思えた。